浜野 謙太さん

今、生きている社会に自分の言葉で発信する。

ミュージシャン・俳優 浜野 謙太さん

人間関係学部 人間関係学科(現 現代人間学部 人間科学科)2005年卒

profile

1981年神奈川県生まれ。バンド「在日ファンク」ボーカル兼リーダー。学生時代よりインストゥルメンタルバンド「SAKEROCK」(2015年解散)のメンバーとして活躍。俳優としても多数の作品に出演し、存在感のあるキャラクターで注目を集めている。

『トンデモ本の世界』を通して、批判的な眼を養う

高校時代、社会科が好きだったんです。日本では歴史上、民衆の暴動はあっても蜂起と呼べるような集団行動がなかったので、今でも市民の政治参加が進まないとか、そういうことが腑に落ちて、大学では社会学を勉強したいと思いました。

和光大学の人間関係学部(現 現代人間学部)では、いろいろな専門分野の先生が個性を放っていましたね。特に1年次のプロゼミから卒論までお世話になった堂前先生は、生物学や環境学の角度から人間社会を考えるアプローチをされていて新鮮な驚きがありました。

堂前先生のプロゼミでは当時、『トンデモ本の世界』というサブカルチャー的な書籍を教材にして、科学的根拠が怪しいのにまことしやかに伝わる疑似科学や歴史を取り上げ、どこがどうおかしいか解説するという課題があったんです。単純におもしろくてたまらなかったんですが、今思えば、物事を鵜呑みにせず批判的な視点を持つとか、調べて考えて自分の言葉で発言するという習慣があの時についた気がします。

ジャズ研とライブハウスの活動を両立

サークルはジャズ研究会(通称:ジャズ研)に所属していました。大学時代は音楽活動のウエートが大きかったですね。楽器は中学時代に吹奏楽部で始めたトロンボーンでした。学生ジャズの世界では、ビッグバンドコンテストでテクニックを競うという傾向があって、それはそれで、いい意味で自分を縛りながら追究していました。

それと同じ頃に、「SAKEROK(サケロック)」という高校時代の先輩・後輩で結成したインストゥルメンタルバンドに呼ばれて、ライブハウスで演奏もしていたんです。そこでは目の前のお客さんをどう喜ばせるかということが大事で、反応がじかに返ってくる手応えがあり、ほどなくしてメジャーなバンドになっていきました。だから、ジャズでも人を楽しませたいし、自分も楽しみたいというのがあって、ファンクの創始者のジェームス・ブラウンに傾倒し、部室でビデオを繰り返し観てはパフォーマンスを研究していましたね。

ジャズ研とライブハウスの活動を両立

バンド名「在日ファンク」に込めた意味

今、俳優業と両立している音楽活動では、ファンクミュージックバンドのボーカルをやっています。ファンクはアメリカのブラックミュージックが発祥です。黒人の民主化運動と切り離せない歴史があり、黒人が自分たちを鼓舞するような歌詞が歌われている。それを日本人の僕たちがやっても、黒人にはかなわないというのがあって、だからといってノリだけで上澄みをすくうような音楽はしたくなかったんです。

それなら日本に置き換えて考えればいいんじゃないかって思ったんですよ。そこでグーループに付けた名前が「在日ファンク」。日本におけるファンクなんです。黒人にはあからさまな差別の歴史がある。日本には制度的な差別はないよう見えて、差別的な考え方ってなくならない。それが言語化されていないから表面化していないだけだと。政治や社会でおかしいと思うこともあるけれど、口にするのはタブーのような風潮もある。どうせ何も変わらないとやり過ごすのではなく、それぞれが問題意識を声に出せる社会になればいいと考えるのは、和光大学での学びが影響してるなって感じます。これからもファンキーなパフォーマンスで楽しませながら、自分なりに仲間と発信し続けたいと思っています。

浜野さんへ5つの質問

  • 01キャンパスの思い出の場所は?

    ジャズ研の部室。いわゆるジャズの王道だけでなく、エンターテインメントを追求していた。

  • 02和光大学の魅力は?

    自由とは何か身をもって示してくれた先生方。

  • 03充実した4年間の作り方は?

    自由な環境だからこそ、自分を縛る(挑戦する)ことを決める。

  • 04おすすめの一冊はありますか?

    トイレにまつわる卒論を、社会学研究として成立させる手がかりとなった『においの歴史』アラン・コルバン著

  • 05これからの大きな夢は?

    シュプレヒコールで叫ばれるような歌詞を書きたい。