
やりたい選択肢が、そこらじゅうに転がっていた。
ダンサー・俳優 DAIKIさん
現代人間学部 身体環境共生学科(現 人間科学科)2016年卒
profile
1994年神奈川県生まれ。ダンスで福祉をデザインする「SOCIAL WORKEEERZ」代表。ダンサーとして活動しながらダンスを通じた教育活動を展開。俳優として2024年はNHK大河ドラマ『光る君へ』に出演中。
やりたいことを止められてきた小・中・高時代
子どもの頃から体を動かすことが好きで身体能力には自信を持っていました。その一方で、「軟骨無形成症」という病気のため、やりたいことを止められてきた葛藤もありました。体育の授業ではドクターストップがかかっている種目もあり、見学だと成績がつかないことが悔しかったし、ずっと疑問を感じてきたんです。自分が体育の教師になれば、現状を変えられるかもしれない。そう考えたことが大学に進学した理由です。
和光大学には当時は寮があって通学しやすかったことや、奨学金が利用できる条件に惹かれてオープンキャンパスに参加しました。「自由がモットーで、入口に門がない」といった和光大学らしさを知ったのは先生方と話をしてからです。自由人の自分に合っているじゃないかと運命的なものを感じたことを覚えています。結局3回オープンキャンパスに足を運び、ここなら自分が望む学生生活が送れそうだと納得して入学しました。
和光大学では、自由を謳歌し挑戦する日々
和光大学では新しい野球部を立ち上げたり、寮では寮長をやったり、教職課程では先生と相談し、ドクターストップの種目については指導法を工夫して採用試験をめざしました。目の前にたくさんの選択肢があって、やりたいことを誰も止めなかったし、壁があれば一緒に考え、サポートしていただきました。いろいろ自由にやりましたが、今に続く一番大きな出来事は仲間とダンスの大会に出場したことです。
でも、これだけはすぐに挑戦できたわけではありませんでした。僕は中学生の頃、障がいを理由にやりたいことが次々と禁止される理不尽さに嫌気がさし、授業をサボっていた時期がありました。その時に不良仲間が踊っていたヒップホップダンスに魅せられてストリートダンスを始め、やがて“クランプ”というダンスに出合い、のめり込んでいました。自分の生き方を探すのに必死だった僕は、体の動きで怒りを伝えるスピリッドに共感を覚えたことと、ストリートダンスは個人で完結できるので人に迷惑をかけないと思ったからです。

肩の力を抜いて、自分を表現できた
大学では自分がダンスをやっていることは話していませんでした。ところが、『身体表現論』という授業で、ダンスの動画を見て感じたことを書く機会があり、思わず情熱にあふれたコメントを書き連ねてしまったことで、それを読んだ先生にコンテンポラリーダンスの大会にチームで出場しないかと誘われたのです。
もちろん最初は断りました。理由は自分が失敗し、足手まといになることが怖かったからです。いい返事ができず逃げ回っていたところ、「迷惑になるって考えてることが、迷惑になってるって考えたことある?」と先生に言われた時には、一瞬「え?」って。和光大の先生らしいですよね。結果、初めて人を信頼して一緒にダンスを踊ることができ、肩の力が抜けて、自分を表現することが好きになりました。そして、何があっても自分を表現することは続けていくと先生に約束しました。
今はダンサーや俳優として表現することを仕事にしています。また、子どもたちに、身体表現を通して人と人との違いを知ることや、共感することの大切さを伝えています。それが子どもたちの将来の選択肢を増やすことにつながるといいですね。
DAIKIさんへ5つの質問
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01キャンパスの思い出の場所は?
ダンス室ですね。踊ったり、語ったり、踊ったり・・・の毎日でした。
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02自分の個性を輝かせるには?
自分が何者なのか、探し続ける歩みを止めないこと。
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03好きな言葉は?
「楽しいことは楽(ラク)じゃない」和光大のダンス仲間に受け継がれている言葉です。
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04今後やってみたいことは?
障がいで活動が制限されない環境が整い、誰もが自然体で楽しめるダンススタジオを作りたい。
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05受験生の皆さんにメッセージを
自由を持て余すのではなく、自由を使いこなそう。選択肢があることを楽しんでください。