久米田康治さん

「こうあるべき」なんてない。
あの頃の仲間たちが教えてくれた。

漫画家 久米田 康治 さん

人文学部(現 表現学部) 芸術学科 1990年卒

profile

1990年『行け!!南国アイスホッケー部』でデビュー。『かってに改蔵』、『じょしらく』、『かくしごと』など多くの作品を手がける。代表作『さよなら絶望先生』は第31回講談社漫画賞少年部門を受賞し、アニメ化もされている。

壁がない環境が良かった。

和光大学に入学する時、何を学ぼうとか将来何になろうとか、決めていたわけではありませんでした。モラトリアムというか、入ってから何か見つけようと思っていたのが正直なところです。その点では、専門を決めなくてよくて、カリキュラムを自由に決められる芸術学科は、自分向きだったと思います。実際、粘土に夢中になったり、石を削って造形をしてみたり、デザインの面白さを発見したり、いろいろなジャンルを経験できたからこそ、視界を広げることができたと思います。

また、芸術学科には絵がうまい人は大勢いたため、最初は自分と比較してしまうこともありましたが、だんだんと人のことを気にしても仕方ないと折り合いをつけられるようにもなりました。自分は自分の描き方をするだけ。和光大学での経験が土台になって、自分自身のスタンスが決まっていきました。

ユニークな人との出会いが、価値観を変えた。

私が通っていた当時の和光大学は、今までに会ったことがないようなユニークな人が集う場でした。どんな個性の人でも許される、認められるような懐の深さがありました。もう毎日が文化祭のようでした。私は漫画研究会に出入りしていたのですが、そこに集まる人たちも、いい意味で変わり者ばかりで、彼らと交流する日々は刺激的で楽しかったですね。「こうあるべき」なんてないと仲間から学んだ気がします。

漫画のキャラクターやシナリオを構想するとき、自分の脳で考えられることには限りがあるので、出会った人や過去の体験から着想するのですが、大学時代に出会った仲間がヒントになることもあります。いろいろな価値観や考え方があるのだと理解できるようになったのは、和光大学での数々の出会いがあったからだと思います。

ユニークな人との出会いが、価値観を変えた

いつも常識を疑って、凝り固まらないように。

本格的に漫画を描き始めたのは、大学生活も終わりの頃。どうすれば掲載してもらえるのか分からず、出版社に漫画を持ち込んだこともありました。賞をいただいてプロの道に入りましたが、プロになると、自分が描きたいことを描くだけでは仕事になりません。編集者の無茶ぶりの企画に応えることも求められます。それゆえ、作品づくりには葛藤や妥協がつきものです。私の場合、ただ編集者の要望を受け入れるのではなく、いつも自分なりの答えを出したいと思っています。

そのためにも、日々、常識を疑い、自分が凝り固まって「こうあるべき」にとらわれないように心がけています。漫画の世界は大きな変化のまっただ中。雑誌だけではなく、スマートフォンで読む、縦読み漫画なども登場してきました。変化に柔軟に対応しつつ、健康に気をつけて、これからも私にしか描けない作品を世に送り出したいと思います。

久米田さんへ5つの質問

  • 01漫画家デビューのきっかけは?

    直接、出版社の編集者に漫画を持ち込んだらすぐに担当をつけてくれました。

  • 02大学でやって良かったことは?

    油絵や彫刻、デザインなど、興味ある多くの芸術に触れ、 制作もできたこと。

  • 03逆に、大学でやっておけば良かったことは?

    テニスとか、少しは大学生らしいこともやっておけば良かったかもしれません。

  • 04大学生活は、 どんな時間でしたか?

    仲間と遊び、創作活動をし、 毎日が文化祭のようでした。

  • 05和光大学の魅力は?

    個性的な人が多いこと。 そして、 どんな個性も許されること。

後輩や受験生へのMESSAGE

日常のあたりまえに疑問を持つように。 物事には必ず理由があります。