みんな素晴らしい。誰の絵も、人生も。
水彩画家・YouTuber 柴崎 春通さん
人文学部(現 表現学部)芸術学科 1971年卒
profile
1947年千葉県生まれ。元講談社フェーマススクールズ絵画講師。2001年文化庁派遣在外研究員としてアメリカに留学し、The Art Students League of New Yorkなどで水彩の研究を行う。2017年に開設したYouTubeチャンネルでは“おじいちゃん先生”として親しまれ、登録者数は世界に約175万人を超える。
幸運だった、和光大学との出会い
当時、まだ創設して間もない和光大学に入ったのは、山手線の中で偶然に学生募集の広告を見たからです。高校卒業後、僕は実家を出て東京の美術専門学校に1年間通い、藝大を受験しました。1次試験のデッサンには自信があったのですが、アルバイトとの両立で2次試験の準備が足りなかった。合格発表は見なくとも結果がわかるほどでした。これでは僕の意志を尊重して送り出してくれた親にも顔向けができない。さてどうするかと思っていたところ、和光大学のポスターに「芸術学科」の文字があった。僕はいつもそうなんですが、次のことを思いついたら間を開けないんです。よし行ってみるかと決めました。
和光大学は昔から「自由な大学」でした。僕は毎日、朝から晩まで絵を描きに行っていたようなものです。今では授業の記憶はありませんが、とにかく先生たちが優しかったことは忘れられません。あの頃、初めて恋愛というものを経験し、周りが見えなくなってしまったときに諭してくれたのは先生でしたし、卒業を迎えても就職に無頓着だった僕に、仕事を紹介してくださった荻先生とは、その後もずっとお付き合いが続きました。
実力主義の世界で、トップを走り続ける
就職先は日本にできたばかりの絵画添削スクールでした。著名な画家が講師に集まる中で僕はアシスタントとして採用されました。新卒ですから当然でしたが、頭を押さえられることが苦手な僕は、一人前扱いされない毎日に悶々として、仕事場と逆の電車に乗ってしまい、気づいたら(大学のある)鶴川駅にいたこともありました。
それでも会社の経営方針が、アメリカのシステムを導入した実力主義だったことは自分に合っていました。添削技術をつけてインストラクターに昇格。アメリカから送られてくる絵画の資料は自分自身の勉強にもなり、海外の第一線の作家とも知り合えました。そうした環境を全部活かして、次第にトップの実績を上げ続けるようになりました。その経験を今、YouTubeのレッスンに注ぎ込んでいます。
自分の描きたい絵を、再び描きはじめて
私が会社で多忙の頃、恩師の荻先生に時々連絡をいただいて聞かれました。「絵、描いてるか?」と。添削で筆のスピードは速くなり、数えきれないほどの絵を描いてましたが、自分の絵を描いていなかったことを見透かされていたんですね。50歳を目の前にもう一度、描きたいものを描いてみようとニューヨークへの留学を思い立ち、新たな人生に踏み出しました。
YouTubeを始めたのは70歳を超えてからです。これまでの経験や想いを自分の絵に注ぎ込めることは楽しく、素晴らしいことだと思っています。それは描き始めたばかりで技術的には稚拙に見える絵でも同じです。画面いっぱいに描く喜びと悩みが詰まっている絵は、その人の人生そのもの。技術的にアドバイスすることはあっても、絵そのものに優劣はありません。誰の絵も、人生も、肯定されるべき素晴らしいものだと私は思っています。
柴崎さんへ5つの質問
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01好きな言葉は?
「吾は一人(われはひとり)」お前という人間は一人しかいないということ。小学生の頃に観た映画の言葉です。
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02個性を活かして生きるには?
わがままになること。みんな考え過ぎちゃうんだね。
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03和光大学とは?
僕を羽ばたかせてくれた、温かい巣箱。
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04日課は何ですか?
朝、今日やることをイメージする。
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05今後やってみたいことは?
海外を旅して、思いきり絵を描いてみたい。