授業名  プロゼミ(3)「トンデモ本の科 学論」
日時 水曜日3限
対象学生 身体環境共生学科1年生
開講 2009年度休講(たぶん隔年)
内容  科学とは何かを考えるには、科学でないものとは何かを考えるのも近道の一つです。 
 で、本プロゼミでは、疑似科学とされるものについて調べ、肯定論と否定論の両方を紹介するようなゼミをやっています。 

 
 2004年度、学生さんが選んでくれたテーマは以下のようなもの。 

ダウジング/錬金術/バミューダ魔の三角地帯/ゾンビ/ネッ シー/血液型人間学/タイムマシーン/ルルドの泉/ナスカの地上絵/マイナスイオン/フォトンベルトとマヤ文明/UMA/ファティマ第3の予言/運命の赤い糸/アトランティス大陸/フィラデルフィア 実験/サ イババ/ドクター中松/創造論/オーパーツ/アトピービジネス/超心理学/ノストラダムス/心霊写真/神隠し

 2001年度、学生さんが選んでくれたテーマは以下のようなものでした。 

サイババ/バックスター効果/宇宙考古学/創造論(反進化論)/超心理学/ドクター中松/神々の指紋 /血液型人間学/錬金術/バミューダ魔の三角地帯/ネッシー(ネス湖の怪獣)/火星生命/アダムスキー/コティングリー妖精写真事件/トリノの聖骸布/ナ スカの地上絵/雪男/おまじない/オーパーツ/臨死体験/ダウジング/古史古伝/UFO誘拐事件(含むキャトル・ミューティレーション)/ノストラダムス /地球空洞説/ドゴン族のシリウス神話/ビリー・マイヤー/アトランティス&ムー大陸/大槻ケンヂ

教科書/参考書 『トンデモ本の世界』 と学会 /洋泉社 1995年\1,553
『トンデモ本の逆襲』  と学会 洋泉社 1996年  \1,359
『現代科学論(ワ−ドマップ)井山弘幸/金森 修 /新曜社 2000年 \2,200
 その他
その他 履修者へのお知らせ

 最後に受講生は自分の発表をA4版紙1枚にまとめたものを提出してください。文章の形式は百科事典風に(百科事典を知らない人は、今のうちに一度見ておいた方が身のためです)。これ出さないと単位上げません。



 夏にプロゼミ合宿やると思います。過去の例はここ

2001年度のプロゼミホームページに載せた文章(参考)  
とぼんゼミ=大切なことを教えない平凡なゼミ

 正式名称は「和光大学人間関係学部人間関係学科2001年度プロゼミ(1)『トンデモ本の科学論』」というところでしょうか。ですが、学生さんはトボンと略しているようなので、「と本ゼミ」とでも言いましょう。

 このゼミはなんの変哲もない平凡なゼミです。ただ、学生さんに調査項目を割り当てて、各自が調べてもらったものを発表してもらうと言うだけです。その際に、鵜呑みにするのでなく、批判的論点も紹介するようにと指導していますが、これまた、どこにでも見られるゼミでのありきたりの言いぐさですよね。

 唯一特徴といえるかも知れないことは、大切なことを教えないということでしょうか?なんせ調査対象が何の役にも立たないことばかりです。大学で学ぶ上での基礎知識にも、社会に出てからの基礎知識にもなりません。UFO、宇宙人、ネッシー、超能力、怪奇現象、などなどですからね。むしろ有害と言われかねないものばかりです。

 でも、それは長い間多くの人を魅了してきたし、今後も魅了し続けるイメージです。皆さんに調べてみてもらえば分かるように、実は世間で言われている以上に根拠が怪しい物が多いにもかかわらず、多くの人を強く信じ込ませてきました。さらに、それだけではありません。これまた調べてもらえば分かるように、そうしたものについて「根拠が怪しい」と書いた本はほとんど売れません。しかも長続きせず、すぐ絶版になります。

 それは、こうした怪しげなことが、真偽のほどはどうでもよくなるほど、実に魅力的なことばかりだからではないでしょうか?

 と本ゼミでは、そうした魅力的なものごとを「こんなの嘘だ」と決めつけるよりも、どう考えると怪しいのか、どう考えると信じられるのかを考える材料にしてほしいと思っています。そう考えることで、人の想像力や欲望というものが見えてくるかも知れませんし、論理の遊びというものを発見するかも知れません。

 しばしば、こうした超常現象を「信じないと楽しくない」という人がいます。でもそうでしょうか?疑うことだって、十分に楽しめることを私たちは知っているじゃないですか。たぶん、このゼミでそんな楽しみを味わい始めた人もいると思います。そして、実は疑うことこそ、考えることの楽しみの第一歩じゃないですか。大学では「考えねばならない」と苦行を強いるように言われることが多いですが、音楽が好きな人は「音楽を聴かなくては」と思って聞きませんよね。「好きだから聞く」っていうでしょう?同じように、楽しいから考えるという、そんな考える作業を味わってみましょう。

 逆に、こうした怪しげなことを否定し葬り去らなくてはならないと思っている人もいます。発禁処分を口にする人もいます。でも、待ってくださいよ。誰が「怪しげ」と決めるんですか?怪しげなものを嘘だと否定することはできるかもしれません。でも、そんなやり方が時には正当性のあるものまで弾圧してしまうことがあることも、私たちは歴史の中で経験してきたではありませんか。「怪しい」と思えるものと共存する知恵もそろそろ必要なんじゃないでしょうか?

 それに、嘘だからダメという態度は、なにやら正解だけを求める態度、無駄には考えない態度に近いものではないでしょうか。それは、実は考えないで信じる態度と意外に近いものかも知れません。そして「考える楽しみ」とは逆の態度ではないでしょうか?

 トンデモ本の流通は科学教育上好ましくないと言う人がいます。確かにトンデモ本を書く人達は、自分たちの主張を科学的だということがしばしばあり、正当な科学と紛らわしくなり、さらには詐欺同様の事態にまでなることもあります。でも、「本物の科学」なるものだけになってよいのでしょうか?むしろ、トンデモ本の存在こそが、「科学ってなんだろう?」と考える機会を私たちに与えてくれるのではないでしょうか?

 以前、ある美術史の先生が書いていたことですが、ヨーロッパにはニセ物ばかりの美術館がある、美術史の学生は、それを見学することでニセ物と本物を見分ける訓練をする、ということでした。

 科学にしても同じことは言えないでしょうか?高校時代に習った覚えのある科学用語を使っている人や著作を見て、「あ、理科の用語だ。きっと、この人は科学的なことを言っているんだ」と思いこんでしまった経験はありませんか?こんな時、むしろ「本物の科学」ばかりを教えている現在の理科教育こそが人をだまくらかす道具になってしまっていると言えないでしょうか。正当科学の用語を使っていたって、怪しげな人はいっぱいいます。そんなのを見分ける最大の味方は、常日頃からトンデモ本を身近に置いて味わう「疑う楽しみ」「考える楽しみ」を身につけることだと思います。

 そんなわけで、私は、大切な基礎知識なんかは教えませんし、教えられません。大事じゃないトンデモ用語と、人前で大きい声で自分の考えを話す時の形式的な技術とを教えるだけです。考えることって楽しいってっていう感覚は、みなさんが自分で感じてもらわなくてはしかたありません。だから、一番大切なことは教えられません。体得してください。私はその補助になることならなんでもします。

 つまり、このゼミは一番大切なことを教えない平凡なゼミです。
2004年度のプロゼミ報告書に載せた文章(参考)
とゼミの学生へ

 2000年の冬、和光大学に赴任することが内定していた私は、2001年度の担当授業を決めるべく、当時の学科長・鈴木勁介先生にお会いした。「どんな授業を持っていただけますか?」との問いに、生命倫理学や生態学などのマジメそうな響きの講義案を出し、最後におそるおそる持ち出したのが「トンデモ本」であった。鈴木先生は他の講義案に目もくれず、いきなり「あ、これがいい。こういうのが大事なんですよ」と言われ、しかもプロゼミに採用することが一瞬にして決まったしまった。こうしてプロゼミ「とんでも本の科学論」(後日学生に「とゼミ」と略称された)が2001年度から始まり、今年度は2回目である。

 鈴木先生が大事だとおっしゃった背景には、オウム真理教事件の影響があったろう。つまらない現実よりも、夢のある理想的な非現実の方に惹かれるのは、今に始まったことでもなかろうが、それが現代社会に牙をむき出す時のすさまじさを思いしらされた。そういう事態を避けるにはどうしたらよいのか。オウム的なものは「間違い」であるとして我々の近辺から遠ざけ、我々の社会常識だけが正しいということを信じ込み、我々の社会常識だけにしか触れられないような空間を維持することなのか。「正しい」ことを信じ込むことでの解決は次なるオウムを生むだけだとも言われている。

 さらにちょっと考えれば分かるように、「常識」の方だって、これはこれでずいぶんオカルトがかっている場合も多い。アトピーやガンの特効薬だの血液型性格判断だのマイナスイオンだの。オウムとは無縁だと思われているかも知れないが、ろくな根拠もないのに、みんなが信じているから信じているという点では、私には紙一重に見える。そもそも絶対正しいことなんかあるんだろうか?重要なのは、そうした怪しげな物事を遠ざけることよりも、疑いつつ付き合っていく思考法ではないだろうか。

 そんなわけで、受講生には、調べてこい、そして疑えと命じた。高校までの教育は、教えられたことを正しいと信じることを前提として理解することを求められてきた。それを終えたばかりの人間にとって、苦労して調べてきたことを苦労して発表した上に、「こんなこと信じているのかよ」と馬鹿にされるのは、さぞやしんどいことであったろう。よくもまあ、付き合ってくれたものである。教えられたことを疑えるかどうかが、高校までの「生徒」と大学の「学生」の違いだと思っている。

 1年弱、役にも立たないことを苦労して調べ上げて、おもしろい発表と機関銃のような質問と討論をぶっぱなしまくってくれたプロゼミの学生諸君に心から感謝する次第である。  


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