教員の活動 |  2020/03/30

 こんにちは。現代社会学科の馬場淳です。今日は、2019年度の研究活動を簡単に振り返ってみたいと思います。基本的にこれまでと同じパターンなので、なるべくかぶらないようにします!
 まずは前期は、5月の日本法社会学会(千葉大)で研究発表(「法人類学と存在論――法文書をめぐるエージェンシーとコミュニケーション」、内容は後述する杉島敬志(編)『コミュニケーション的存在論の人類学』の拙論を参照のこと)を行い、6月の文化人類学会(東北大)に参加しました。ペーパーレス化の時代を感じます(^^)/

 夏休みに入ると、8月6日から22日まで、去年と同様、ケニアのメル社会を訪れました。ケニア科研の最終年度として、英語論文Ontology of Photography among Tigania Meruを仕上げるための最後のフォローアップ調査です(最終的に完成したのは2月末だったけど……)。
 8月は結婚式(スワヒリ語でアルーシ)が多く、地元のカメラマンの稼ぎ時。彼らこそ、村の写真文化を支えてきた人々でした。しかし今回の結婚式では、彼らの姿を見ませんでした。主催者が金持ち過ぎて、プロを雇ってしまい、素人カメラマンの出る幕がなかったのです。ちょっとかわいそう……

▲撮影だけではなく、結婚指輪も届けるドローン

 金持ちの結婚式で驚いたのは、ドローンの活用でした! 田舎の結婚式でドローンをみるとは・・・これは初めてでした。さすがプロの撮影集団!! これじゃ、地元の素人カメラマンは勝てないよ( 一一)……と思っていたら、ドローンで結婚指輪を届けるという粋な演出にさらに驚いてしまった!(爆笑) 教会のなかでブンブンとドローン飛ばして、神父さんは……普通に対応していました(笑)
 ところで、8月は学校も長期休暇に入るので、実家を離れた高校生や大学生たちが帰ってきます。ホストファミリーの家も例外ではありません。娘たち(=女子高生たち)が夜遅くまでおしゃべりしたり、笑ったり、歌ったり・・・それにママも便乗して、とにかくもう賑やか!!

 その一方で、ホストファミリーの屋敷地で一緒に暮らしていたの兄と妻子が屋敷地から追い出されていました(汗)。少し離れたところに暮しているというので、挨拶しに行ってみた。理由は聞かないでください……((+_+))  

▲一番右は僕の調査助手

 ケニアの次は、長野県小川村へ。期間は8月25日〜28日。

▲今年度の小川村FWメンバー

 学生6人に加え、地域流域フォーラムのスタッフ・齊藤さんも途中参加。教員は、堂前先生(全日程)、僕(前半)、加藤巌先生(後半)。紅一点は、現代社会学科の中野夢菜さん。今回で2度目の小川村FW参加で、移住者に関する継続調査をしました(^_-)-☆
 これまでと大きく違うのは、FWの拠点。今年は、丸田勉さんが営む「ビオトープ」にお世話になりました。


▲ビオトープ
 たっくさん、サーヴィスしてもらいました(^^♪

 2018年12月、僕は小川村の地域再生に関する論文「ずくの継承者たち――長野県小川村における自己効力感の歴史的意義」(『日本健康学会誌』第84巻第6号)を書きましたが、次なるテーマは……今のところ秘密ですが……この洞窟と間接的に関わります。


▲300年以上前に木食山居上人が住んでいたと言われる薬師洞窟



▲村民自家製(村越邦江さん)の「しそジュース」と「野沢菜油」(写真:左)
▲はじめて学生を鬼無里の木彫人・高橋敬造さんに紹介しました(写真:右)
 高橋さんの話には、学生たちもいろいろ考えさせられたようです。

 9月に入ると、3日から5日までゼミ合宿(伊豆高原)へ。これは別の記事で書いているので、ここでは省略します。

 夏休み最後のFWは、八丈島(9月10日〜11日)。
 篠原涼子出演の『今日も嫌がらせ弁当』(監督:塚本連平、原作:Kaori(ttkk))のロケ地です。
 僕にとってははじめての八丈島で、フィールドワークの可能性を探る査察的な弾丸トラベル。実はこの前日、台風15号で関東圏は大混乱でした。幸いにも、出発当日は快晴、飛行機も予定通り飛び、無事に八丈島につきました。

▲夏の終わりを感じさせない灼熱の太陽・・・とにかく暑かった!
 見つめる先は、八丈小島と溶岩が作り出した絶景「南原千畳岩海岸」。

 直行便のある八丈島には、観光スポットが整備され、それに応じた多くのパンフレットが用意されている。

▲島内で見られる動植物をここで確認することができる(八丈支庁にて)


▲宿泊先の八丈ビューホテルから夕陽に沈む三原山と八重根地区

 こうして、あっという間に夏が終わったのでした。
 疲れに加え、急に冷え込んだこともあり、後期がはじまる頃に少し体調を崩してしまいました(←何やってんだよ!って言いたくなりますね)

 10月は、国立民族学博物館・共同研究「心配と係り合いの人類学」(代表者:西真如)で研究発表
 →「逃走する男」をめぐるケアの生態学

 ついでに、民博の特別展『驚異と怪異』を見学してきました。すっごい人! 展示は興味深く充実した内容で、しかも見学ルートの最後には「ファイナルファンタジー」まで登場したこともあり、テンションMAXになりました!これだけ人が集まるのも納得(^_-)-☆

 12月は、(上とは別の、すでに研究期間が終了した)国立民族学博物館・共同研究「エージェンシーの定立と作用」(代表者:杉島敬志)の成果本が出版されました。

▲杉島敬志(編)『コミュニケーション的存在論の人類学』臨川書店。

 年明けて1月に、パプアニューギニア・マヌス島へ弾丸調査をしてきました。これまでのフォローアップ調査(DVシェルターが機能不全になっていたのには愕然とした)、裁判所の新たな統計資料の入手、そして後述する科研報告書の確認(現地語のチェックや写真掲載の諾否など)が主な目的です。

 このシーズンは、現地語でアハイの季節(北西季節風により海が荒れる雨季)。写真ではよくわからないかもしれませんが、レインコートを着ているように、一度ボートに乗ると、ずぶ濡れになります。毎日のように激しい雨が降って(スコールじゃない)、土地もぬかるみ、あまり行きたくない季節なんですが、メリットはクリスマス・ニューイヤー休暇で普段、島外にいる人々が帰ってきていること。それゆえ、情報量がかなり多い。
 (今から思えば)新型コロナの影響で来年度はFWに行けない可能性が高いので、この時期に行って正解だったように思います。もっといたいところですが、帰らねばなりません。ホストファミリーのパパが糖尿病でかなり苦しんでいて、彼を州都の病院まで送り届けて……島を後にしました。「パパ、待ってて。またすぐに帰ってくるから!」

▲心配そうに見つめるのはママ・エウィ(ロレンガウ病院にて)

▲APECハウス(ポートモレスビー)
 
 2018年11月に開催されたAPEC=アジア太平洋経済協力閣僚会議を機に、ポートモレスビー(首都)はさらに発展。その度合いは、ますます村とかけ離れていきます。写真のAPECハウスはエラ・ビーチ(Era beach)に建立されましたが、白砂を海外からもってきて整備したビーチは見違えるほど変わっていました。

 2月は、再び大阪へ。ドーンセンターで、APP設立20周年記念シンポジウムに参加し、夜は中央公会堂前で行われたフラワーデモに参加。3月で一応終わる予定ですが、「以後も続けていきたい」とのことです。

▲大阪市中央公会堂

(これは研究活動ではありませんが)3月上旬には国際交流センターのパンフレットも仕上がり、2年間務めてきたセンター長の仕事を実質的に終えました。現物は、和光大学A棟3階の学生支援室でもらってください(もちろん、タダです) ^^) _~~


 そして3月末、4年間やってきたニューギニア科研の報告書(英文)が完成し、2019年度が終わりました。

▲Protecting Family in Contemporary Papua New Guinea: An Ethnographic Study of Legal Impact on Manus Islanders

こうして、2019年度は、ここ数年間やってきた成果が目に見えるかたちで現れた一年となりました。
2020年度は(少し疲れたこともあり)アウトプットよりもインプットに重点を置きたいと思います。

馬場 淳(和光大学 現代社会学科)

イベント教員の活動 |  2019/02/09

この3月で、和光大学を退職します。新聞社で30年以上労働担当の記者として取材に携わり、若い方の就職の実態などについてもっと現場に即して知りたいという関心から大学へやってきたのが2011年4月でした。東日本大震災が起きた直後で、被災地の女性支援にかかわりながら不慣れな大学生活に適応する、ということで、かなりしんどい日々でした。

学生たちは、会社に入ることには一生懸命でも、働き始めた後、どのようにして身を守るのか、そのためにどのような権利があるのかについては白紙と言っていい状態でした。それは、いまの若い人たちが「恵まれている」からでも、「甘えている」からでもありません。1970年代以降、学費は値上がりを続け、親世代の賃金も下降傾向をたどり、バイトをしないとやっていけない学生が多い中で、それにつけこんで「ブラックバイト」が横行します。そこで「過酷な働き方が当たり前」と刷り込まれます。せっかく就職しても、辞めざるを得ないような労働条件であることも少なくありませんが、非正社員が増えすぎて「とにかく正社員就職」が目的となり、その後のことなど考える余裕もありません。

「女性活躍」政策が始まっていますが、女性正社員の過労死・過労自死の報道は相次ぎ、セクハラ、マタハラも横行しています。にもかかわらず、労働は男性のもの、という無意識の刷り込みが、なお女性に行われ、働く女性の労働教育や安全ネットをこれからどう構築していくかは大きな課題になっています。

この8年は、学生たちを通じて、そんな若い人の現実を教えてもらった日々でもありました。こうした私の足取りと、労働教育の授業について語った最終講義の映像が、下記のようにユーチューブにアップされています。ご覧になってください。


【和光大学での労働教育における若者の変容〜新自由主義と雇用の劣化の中で】https://youtu.be/0O-MRNJ3Etk


今後は、大学生活の中で考えてきたことの総決算を、フリーのジャーナリストとして結実させていきたいと思います。みなさん、いろいろありがとうございました。


2019年2月8日 竹信三恵子

教員の活動 |  2018/09/05

こんにちは。現代社会学科の馬場淳です。今回は、僕が今夏行ったフィールドワークを紹介します。


 まず、8月7日から20日まで、科研費(代表者:首都大学東京・石田慎一郎准教授)のもとで、ケニア調査に行ってきました。航空会社はカタール航空(Qatar Airways)。ドーハを経由するかたちで、成田とナイロビ(ケニア)を往復します。













▲これがウワサの、真珠をモチーフにしたカタールの新リゾート地「パール・カタール」
 来年度には調査成果となる論文を公表しなければならないため、「こんなとこでバカンスを満喫したい!」という気持ちを抑えて、腹を括ってケニアに向かったのでした(腹括るのおせーよっ!) ナイロビからは、ケニヤ山の東にある地方都市メルを目指します。写真(下)は、メルへの途中にある赤道の標識。

▲「あなたは今、赤道にいる!」

 実は、元の標識の位置が間違っていたことから、数日前にこの(新しい)場所に移されたそうな。「ここが赤道だっ!」という今までのあの感動は何だったんだ…(笑)
 メルからさらにミキンドゥリ(村落の入り口となるちょっと栄えた場所)へ、そこでバイク(現地ではピキピキという)に乗り換え、村に入ります。

















▲舗装道路のない村奥まで連れて行ってくれるピキピキ
 
 第二次ケニア調査(2016年度〜2019年度)の目的は、家族写真を通して、(家族を含む)人間関係や社会的出来事の記憶を辿りつつ、伝統文化の持続と変容を明らかにすること。伝統的社会に導入された写真がいかに地元の文化に影響を与えたのかと言い換えてもいいです。よって、毎日、世帯を訪問し、ひたすら家族写真を見ながら、記憶を検証しました(下の写真:赤いキャップの男性は調査助手)。













 今回の調査ではじめて経験したのは、さきほど述べたミキンドゥリで髪を切ったことです。写真(下)の床屋(スワヒリ語でキニョジという)はこのあたりで有名な店。僕の「キョウダイ」はわざわざ村からここに通っているとのことで、「そこなら安心!」と思って訪れた・・・のですが・・・












 ツーブロックの下はバリカンでいいんだけど、前髪までバリカンでやろうとするから「おーい、ちょっと待ってくれ。ハサミだろ!」と言ったところ、「ここにハサミはねーよ。俺たちは全部、バリカンでやるんだ!」と返答され、以下のように問答が続きました(汗)

馬場「いや、前髪を含めこのフサフサした髪の部分はハサミで整えてくれ!」
スタイリスト「わかった。今、持ってくる」
  (しばしどこかに行って、紙を切る普通のハサミを持ってきた)
スタイリスト「じゃ、切るぞ!」(と言いながら、前髪をパッツン)
馬場「おいおい、そうじゃないよ。アシンメトリーに切ってくれ」
スタイリスト「……」

 バリカンは一流だが、ハサミの使い方には慣れていないと悟り、そこで強制終了。今思えば、いろいろ注文をつける迷惑なお客さんだったことでしょう。
 とりあえずホストファミリーも息災で、僕も病気・ケガ・盗難にあうことなどもなく、無事ケニア調査を終えました。

















▲ホストファミリーのママ(左)と娘(右)、お手伝いに来ている親子(中二人)

 帰国すると、今度は、長野県小川村へ。期間は8月22日から24日の2泊3日。
 今回は、小川村について僕が書いた投稿前の原稿を地元の人々にチェックしてもらい、事実関係を確認しつつ、新たな情報を得ることが目的です。ケニアに行く前に、小川村の関係者に原稿を郵送していたのですが、みなさん、ちゃんと読んでくれていました(感動!)コメントもありがとうございました(^_-)-☆
 実は、小川村訪問はFW引率も兼ねています。共通教養科目「フィールドで学ぶ山村」の担当教員として、学生の調査研究を支援しなければならないのです。今回の引率教員は、前半が堂前先生・加藤巌先生、後半が岩本先生と僕です。参加学生は3名(総合文化学科2名、経済学科1名)……現代社会学科の学生はどうした?!













 ▲土尻川で水生生物調査をする学生
 
 こうして、学生たちの調査を見守りながら、その合間をぬって自分の調査(上記)をしたわけです(^^)/
 最終日(23日)の夜は、小川村役場をはじめ地元で働く方々の前で、(毎年度恒例の)調査報告会を開催。多くの質疑応答が飛び交い、盛り上がりました。これは、学生たちが調査研究を精力的かつ真摯に行ったことの裏返しだと思います。













 ▲調査報告会の様子

 最後の写真(下)は、毎回小川村に行くと買っているかぼちゃ焼酎「YUKIKO」。














 小川村の名産の一つだったこの焼酎がなんと生産終了となったようです。理由はともかく、残念でなりません。ゼミ生にも飲ませてあげようと思い、ゼミ生用にも一本買っておきました。そう、この(小川村の)後、ゼミ合宿が控えていたからです。それは、別の記事で報告します。

馬場 淳(和光大学 現代社会学科)

教員の活動 |  2018/06/30

2018年4月に現代社会学科に着任した小野奈々です。

和光大学は私が生まれ育った実家からほど近い場所にあり、
子どもの頃からしばしば母から「ユニークな教育をする学校よ」
と聞かされていました。 
幼心に身近さと淡い憧れを感じる存在でした。

その後、各地を転々としながら研究と仕事を続けてきましたが、
和光大学の一員としてそのユニークな教育活動に貢献できることを
誇りに思います。

私自身は、環境保全やボランティア活動を扱う研究をしているので、
自然の多い大学周辺の環境を活かした教育にも将来的に取り組めたら
よいなと考えております。

生まれ育った土地で、教育活動に貢献していきたいと思います。
これからどうぞよろしくお願い致します。

小野 奈々 (和光大学 現代社会学科)

教員の活動 |  2017/07/30

6月下旬、渋谷の某スタジオにて、AV監督の長瀬ハワイさんと対談しました。この対談記事は、2017年7月18日発売の『サイゾー』(2017年8月号)に掲載されています。



 対談では、『裸の大陸』や『野性の王国』シリーズを対象に、撮影の苦労話から人類の性行動、インセスト・タブー、スマホがもたらす性のグローバル化まで、縦横無尽に語り合いました。ここで興味深い発言を一つ挙げておきます。

「このシリーズは、現地の過酷な環境にどう女の子が順応してセックスまでいくかというのが醍醐味なんです。面白いことに、撮影が終わって帰ってくると、どの子も成長したな、という感じがしてくるんですよ。」(長瀬ハワイ監督)

 その子がその後どうなったのかはわかりませんが、こういう裏話が聞けたのも面白かったところです。旅が人を変えるとよく言われますが、『裸の大陸』などのAVでは「旅」が重要な要素になっているため、同行したスタッフたちにも何らかの変化が生じたことは想像に難くありません。
 AVは単なるオナニーの道具として考えられがちですが(実際にそうなのですが)、対談でも語ったように、微細なポイントからいろいろ見えてくるものがあるかもしれません。ロードムービー的なAVではなおさらです。対談がさまざまなトピックに広がったのもそのためです。もっとも多くのトピックが紙幅の関係上カットされちゃったわけですが・・・(+_+)

馬場 淳(和光大学 現代社会学科)


教員の活動 |  2017/04/02

今日は、2016年度の研究生活を簡単に振り返ってみたいと思います。
2016年5月、長野県小川村の御柱祭に参加したことはすでにこのブログで書きましたので、それからのこと。
まず8月の夏休み中に、2013年以来、ご無沙汰にしていた南太平洋はパプアニューギニア、マヌス島に赴きました。この島は僕の博士論文(『結婚と扶養の民族誌』彩流社)の舞台となった島で、「家族」がいます。
昔、スッポンポンだった「弟」のケレヘウもちゃんとTシャツを着た少年に育っていました(笑) 写真はケレヘウと一緒に、村から町(ロレンガウ)に戻ってきたところ。



実は、2015年2月ニューギニアに行ったものの、他大学の先生のプロジェクトだったのでマヌス島を訪れる機会がなかったのです。今回は自分で資金(科研費)をとって、自分のために調査をしてきました。成果は今年の学会で発表します。

年明けて今年の1月、補習期間をうまく使って、2017年度フィールドワーク実習の下見をしてきました。


場所は、西太平洋のパラオ。写真は国会議事堂の中庭(マルキヨク)。中央がパラオの国旗、回りが州旗。パラオについては別の記事で書きます。

2月中旬から下旬にかけて、東アフリカはケニアに行ってきました。
ケニア山の麓、メル町からさらに東に行った村を再訪。ここも久しぶりです(2013年以来) 村まで行くのにやたらと時間がかかるので、村の滞在は6日間程度でした。
調査助手(女性)はシングルマザーになり、子どもを親に預けて働きに出ていたり、もう一人の助手(男性は離婚していたり・・・変わっていました(汗)。
さらに、ホストファミリーの娘は交通事故で亡くなっており(お母さんが事ある毎に泣き出す)、息子の一人は教師を辞めてライターになるとか、最後の娘の学費を滞納し催促されているからなんとかしてくれないかとか、寝床ではノミにたくさん喰われるとか・・・とにかく今回のケニア調査はいろいろ大変でした(+_+)


写真は手術代の寄付を募って村を練り歩く女性です。僕も少し寄付してきました。
長老結社(ジュリチェケ)はまだ健在!相変わらず「ヤギを持ってこい!」(=呪う!)とか言っていて、ある意味安心しました(^^)  (ジュリチェケが何なのかわからない人は調べてください。例えば、拙著『この子は俺の未来だ』など)


無事、4年生を送り出した後(写真は追いコン)、3月下旬には島根で開催された日本オセアニア学会に参加。
せっかく島根に行くのだからということで、サントリーから助成を受けたプロジェクト『縮小する地方』のメンバーが学会に合わせてプロジェクト調査を設定し、島根の中山間地域を巡検しました。ここでは、過疎化が進むなかでのUIターンの推進事業(田園回帰)について伺ってきました。


写真は、飯南町役場。向うに雪が残っているの、見えます?
そして、山の世界から一転して、また海・島の世界へ・・・太平洋を舞台にしたディズニーアニメ映画『モアナと伝説の海』を観て、2016年度が終わったのでした。

PS
2016年6月のブログで「講義:アダルトビデオとホモソーシャリティ」について紹介しましたが、その論文が『和光大学現代人間学部紀要 10号』(2017年3月刊行)に掲載されました。ブログでは保留にしていた内容が書かれているので、興味のある方はこの紀要をゲットすべし(^_-)-☆
ただ読むのにはそれなりの覚悟が必要かも・・・


馬場 淳(和光大学 現代社会学科)

教員の活動 |  2016/12/18



昨年は、学生たちとともにフィールドワークで訪れたハワイ諸島。
今年度は研究調査のため、9月からハワイのホノルルに滞在しています。

さて、11月下旬の「感謝祭」(Thanksgiving Day)より、ホノルルの街は本格的なホリデーシーズンに入りました。

ダウンタウンのシティ・ライツ、そしてホテルやショッピングモールのXmasデコレーション、派手さはなくても上品に彩られています。世界中の観光客であふれかえるワイキキも、あいかわらず毎日がお祭のような雰囲気に包まれています。

 
▲カハラモール             ▲アラモアナセンター

ただXmasだけが、12月に注目されるイベントではありません。
日本航空(JAL)が協賛するホノルルマラソンや、ノースショアで開催されるサーフィンの世界大会など、他のイベントも目白押しです。

とりわけ、今年は旧日本軍が行った真珠湾攻撃(1941年12月7日)から75年を迎える年。オアフ島では、真珠湾攻撃75周年を記念する追悼式典、講演会や展示会、チャリティーコンサートなどが各地で行われました。

  
▲パールハーバー アリゾナ記念館        ▲Honolulu Star ☆ Advertiser の記事

日本にいると、観光目線でしかハワイを見ることがないかもしれませんし、12月7日も特に意識されることのない一日に過ぎないかもしれません。けれども、ハワイはいくつもの歴史を背にして起こった真珠湾攻撃を、いまなお強烈に記憶しています。

ワイキキのFt. DeRussyで7日に行われた追悼式典には日本からの訪問者は見かけませんが、日本人観光客を乗せた何台ものトロリーバスが式典の横を通り過ぎていきます。その対照的な光景は、記憶の温度差を象徴しているのでしょうか...

 
▲Fort DeRussyでの記念式典       ▲カラカウア通りにおけるパレード


他方で、翌週の12月16日には、マウイ島に残る唯一のサトウキビ工場Hawaiian Commercial & Sugar Co.から最後の砂糖が アメリカ西海岸に向けて輸送され、19世紀から続いたサトウキビ・プランテーションの歴史に幕が下ろされました。

ハワイにおけるサトウキビ産業の歴史は、真珠湾の軍事化の歴史とも深くかかわっています。さらに、この双方の歴史の接点には、日本人移民労働者の歴史も存在しています。



ちなみに、12月下旬に安倍首相が真珠湾を訪問することになりましたが、この地を訪れる日本の現職首相は、安倍首相が初めてではありません。真珠湾攻撃から10年後の1951年9月に吉田茂首相(当時)が訪問しています。わずか20分程度の訪問だったようですが。


▲「安倍は真珠湾を訪れる日本で最初の首相ではない。」
    Honolulu Star-Advertiser , Dec 9, 2016

それはさておき、2016年の12月は、 複数の歴史的な転換期が重なった印象的な月となりました。


次回は、更新が滞っていた「ハワイ・フィールドワーク2015 〜オアフ島編〜」です。

挽地康彦(和光大学 現代社会学科)


▲ホノルル港にそびえるアロハタワー。移民船が到着した、かつての玄関口。

教員の活動 |  2016/05/12



長野県上水内郡小川村での御柱祭に行ってきました。
共通教養科目「フィールドで学ぶ山村社会」の調査で毎年お世話になっている美しい村の、7年に1度のお祭りです。
和光大学からは、僕のほかに、総合文化学科の小関先生、心理教育学科の岩本先生、学生4人(心理教育学科)と卒業生1人(総合文化学科)が参加しました(現代社会学科の学生はどうした?)

53日は里曳き、4日は建御柱(たておんばしら)でした。
注連掛場から小川神社までは約1.2km、道中には上り坂やカーブもあります。11時頃から、先頭の神楽に続き、御柱二体(杉の木)をみんなで一所懸命に引いていきました。途中、テレビ取材陣にインタヴューされる場面も…ただガチで引いていたために、取り繕うことできず、痛ましい形相とコメントになってしまいました(この場面は、夕方、長野放送の「御柱ニュース」で放映されました)。

   

諏訪大社と違うところは、御柱の引き手が氏子だけではなく、一般の観光客にも開かれているという点です。見知らぬ人々が一緒に御柱を引き、掛け声をかけ、手の力がなくなりながらも握り続け、汗をかき、いつの間にか一体となる――儀礼・祭が人々の凝集性を高めることはよく知られていますが、現代社会学科の学生には是非それを現場で体感・観察してほしいものです。

なお、御柱の引き手には、お弁当とお茶が支給されます。どさくさに紛れてタダでもらおうとする方もいるようですが、そこは「引換券」制にして防止していました。

昼食休憩時、テントに無造作に置いてあった(嬉しいことに誰でも飲んでいい)「御神酒」(白馬にごり)を調子よく飲んでいたら、疲れもあってマッタリした気分になり、いつの間にか寝ていました。起きたときには御柱はすでに出発しており、絶句! 自責の念と後ろめたさを抱えながら、何事もなかったかのように引き手の列に加わったのでした。


御柱が小川神社に入ったのは、もう夕方になっていました。ここがクライマックス。最後の力を振り絞って御柱を小川神社境内のしかるべき場所へと引き込みます。あれ、軽快に写真撮ってたじゃん?!っていう学生のツッコミ。記録(写真)をとることに専念していたのだ、この現代社会学科ブログのためにね(^_-)-

翌日(4日)、朝から神事が執り行われ、重機を使って二本の御柱は小川神社の両側に無事、建てられました。




馬場 淳(和光大学 現代社会学科) 

 


授業風景教員の活動 |  2015/10/15

 8月24日から25日、2011年3月に起きた東日本大震災の被災地となった南三陸にゼミ合宿に出かけました。
 
 南三陸は大津波によって町全体ががれきの野原のようになってしまった地域です。大空襲の跡のようなその姿は、震災直後、東京にいた私たちに大きな衝撃を与えました。いま東京では、なんとなく、被災地はすでに復興している、といった受け止められ方が広がっているように思います。でも、本当にそうなのでしょうか。社会を知るためにはマスメディアの報道だけに頼るのでなく、自分の目で現場を踏んで確認することが必要ではないでしょうか。竹信ゼミは、働き方を中心にインタビューによる調査手法の習得を目指していることもあり、報道と現場の落差を知ってほしいと思いました。また、町全体ががれきのようになってしまった地域で、どのようにして復興へ向けた働く場の再建をしようとしているのかを地元の方々に聞いて見たいとも考えました。そこで、現地へ出かけることにしました。
 
 被災直後の支援で知り合ったみやぎジョネットの草野祐子さんらの多大なご協力とご支援をいただき、学校だった建物を改装した宿舎に泊まって、現地の方々にいろいろとお話を伺うことができました。みやぎジョネットは、女性を中心に仕事づくりに奔走しているNPOです。

 

 

▲写真2 津波で鉄骨だけになった町の防災対策庁舎とゼミ生たち(2015年8月24日、南三陸町で)
 学生たちは、津波で骨だけになってしまった防災庁舎(写真2)や、津波の力で階段が落ち、建物の内部が根こそぎ押し流された石巻市の大川小学校の廃墟(写真3)のすさまじさに、改めてショックを受けていました。町は、ようやくがれきはなくなって、代わりに見上げるような土盛りがあちこちにでき、来年になればこの土盛りの上に住宅が建てられるということでした。また、10メートルの高さに及ぶと言われる防潮堤の建設も始まっていました。ただ、住民の多くは、いまだに仮設住宅住まいです。

 

 

▲写真3 津波で倒壊した大川小学校とゼミ生(2015年8月24日、宮城県石巻市で)
 
 
 被災後いち早く、なんとか残った自宅で民宿の再開に踏み切った漁業の女性は、「防潮堤をいくら高くしても、大規模な津波が来たらふせげるかどうかわからない。それより円滑に逃げられる方法を考えた方がいいのではないか」「漁師は、高い防潮堤にさえぎられて家から毎日海を見ることができなくなるのがつらい」と話していました。そして、「みなさんがお客さんとして来てくれることで、ようやく元気を取り戻している日々です」とも話してくれました。
 
 また、まちおこしのNPOを運営して仕事起こしをめざしている30代の男性は、「東京から来た人は、仕事がないなら仕事のある地域へ移ればいいという。自分もそんな風に思ったこともないではない。だが、妻の父に『ここにいたい』と言われ、いたい場所に働く場をつくる、というやり方があってもいいのではないかと考えが変わった。ここにいたい、だから何でもいいからここで食べていく方法をつくっていこうと、いまはがんばっている」と言いました。グローバル化で製造業が外へ逃げていき、食べられる新しい産業を必死で考えていかねばならない今の日本で、この言葉はこれからの私たちにとって、実はとても重要な言葉ではないかと思いました。
 
 また、仮設住宅のリーダーの男性は「日本は地震国。だれでも被災者になりうる。人を助ければ、だれかが助けてくれる。みなさんも弱い者の味方になってほしい」と呼びかけました。
 
 学生からは、「現場で見て、津波の恐ろしさを思い知った」「まだ商店もほとんど復活しておらず、驚いた。メディアのイメージではもうすっかり復興しているような気がしていた」「間接的な情報と現場の違いを思い知った」「合宿の時期はたまたま夏にしては寒い時期で、薄い夏服だったので本当に寒かった。震災が起きたときは3月でその時の寒さがしのばれた」「人を助ければ、必ず助けが来るという言葉に感銘を受けた」といった感想がありました。
 
 聞くと見るでは大違い。現場調査の力を学生たちに知ってもらえたという意味で、貴重な合宿になりました。
 
竹信三恵子(和光大学 現代社会学科) 

  働くことについての情報を、インタビューなどの現場体験を通じて得る――。これが竹信ゼミの目指すものだ。非正社員が激増し、正社員の働きぶりも過酷化している。ところが、就職体験がない学生には、それはどこかよそごとだ。働くことについて実感を持って理解するにはどうすればいいのか。試行錯誤の末たどりついたのが、現場へ出て、働く現場の人々の話を聞くことだった。
 
●キャリア教育だけでいいのか
 
 かつては、卒業すれば正社員への門戸が開かれ、定年までの安定は保障されていた。だが今や非正社員は働き手の四割近くを占め、卒業後の居場所を失う若者の増加が社会問題となっている。キャリア教育は、そうした事態を乗り越えるための教育として広がった。
 
 だが、これまでのキャリア教育の多くは、会社にいかに入るかに目的が集中しがちだった。「自己分析シート」によって適職を分析し、エントリーシートを何十社と出しまくることが仕事探しの意欲の表れとして奨励される。それが悪いとは言わない。だが、これらを繰り返しても、安定雇用を獲得できる保障は必ずしもない。問題は、学生の意欲不足というより、安定して生活できる働き方が激減していることが根本の原因だからだ。
 
がんばっても正社員の椅子からあぶれる働き手が一定数は出て来る社会になったにもかかわらず、「頑張れば椅子に座れるはず」と言われ続ければ、椅子に座れなかった学生は、自分を責め、自信を失う。就職できたとしても、大卒の3割、高卒の4割、中卒の6割は3年以内に会社をやめる。若者労働NPOPOSSE」の調査では、その多くが労働基準法に違反した労務管理によって働き続けられなくなってやめている。
 
それでも、学生たちは「就職に不利」として自分の身を守る権利を規定した労働関係諸法を見ないようにしがちだ。そんな中で働き続けるためには、「会社に気に入られる」ことだけでなく、自己の尊厳を回復し、権利をどう守るかを身に着ける教育が必要だ。児美川孝一郎・法政大学教授が名づけた「対抗的キャリア教育」だ。
 
 
●「バイ活」の発見
 
 学生たちに労働問題を身近に感じてもらうには、彼らが生活費を稼ぎ、理不尽な扱いに悩む労働現場を取り上げるのが早道だ。それがアルバイトだ。そこで、「現代社会と労働」の授業では、「ブラックバイト」を取り上げてきた。
 
長時間働いても残業代が出ない、シフトを選べないために授業に出られず単位を落とす、といった違法、または違法すれすれの状態で働かされるのが「ブラックバイト」だ。そんな行為には、バイトであっても断る権利があること、変だなと思ったらまずは相談窓口に連絡してみること、などを説明する。職場での人権侵害の実態を知って、働くことがいやになったら困る、と不安もあった。だが、むしろ明るい顔になる学生は少なくなかった。「労働相談とか、労働法とか、味方になってくれるものもあるんですね」と言う学生もいた。彼らが声を上げないのは無気力だからではなく、孤立無援と感じているためなのだとわかってきた。
 
 そんな中で、受講していた学生の一人が、「先生、最近は就活どころかバイ活です」と言い出した。いくら面接を受けてもバイトに採用されない。自分の印象が悪いのかとひそかに悩んでいた。だが、授業を聞いて、採用になった学生たちと不採用になった学生たちに聞き取りをしてみることにしたという。わかったことは、すぐに採用された学生たちは、面接で、どんなシフトにも合わせると答えていた。一方、不採用組は、授業に合わせてシフトを選びたいと答えていた。おかげで授業に出られず、卒業が危うくなる学生が出ていることも見えてきた。アルバイトへの企業の依存度が強まり、社員並みにいつもで働いてくれる学生でなければ採用しない傾向が強まっていたのだ。
 
 
●働く現場を回る
 
 ゼミには、こうした授業を聞いて働き方に関心を持つ学生がやってくる。彼ら彼女らには、若者ユニオンや女性ユニオン、労働NPOなどのメンバーを紹介してインタビューしてもらい、レポートを提出させている。理屈だけで知っていた働く場の歪みが、インタビューでリアルに理解できるようになり、また、聞き取りによる情報取集の技術も身に着く。
 
 もう一つの試みは、労働の現場をたどるゼミ合宿だ。2014年は学生の発案で奥多摩の小河内ダムを訪れた。小学生の遠足のようだが、東京への飲料水供給のためにつくられたこのダムは日本の植民地だった朝鮮半島の出身者や貧しい日本人労働者の厳しい労働によって建設された歴史を持つ。ダムのほとりには工事中の事故で犠牲になった87人の殉職者の名が刻まれた慰霊碑も立っていた(写真1)。

 

 

 

  小河内ダムのほとりに建てられた建設殉職者慰霊碑の前に建つゼミ生(2014年8月18日撮影)

 

 

 今年のゼミ合宿は、被災地の宮城県南三陸町や石巻市を訪れた(詳しくは、後述の「2015年ゼミ合宿報告〜東日本大震災の被災地、南三陸に出かけました」参照)。東日本大震災で根こそぎ家を流されたこの地で、人々はどう働く場を回復し、生活を立てなそうとしているのかを考えたかった。町おこしのNPOを運営している30代の男性は、「東京の人は仕事のあるところへ移ればいいと言う。だが、妻の父に『ここにいたい』と言われ、『いたい場所』で生きていくために、ここで食べていく方法を必死で考える、というやり方もあると思った」と話してくれた。

 

 就職だけが働くこと、と考えがちな学生には、就職の失敗は人生の終わりにみえる。だが、働くことはもっと多様だ。産業構造が変わり、従来の仕事が失われつつある日本社会では、これから、さまざまな「働く」を生み出していく必要がある。それを知れば、就職の失敗の痛みは相対化される。

 

 安定した会社に入れることは、もちろん喜ばしいことだ。会社が数少ない実地の職業訓練の場である日本のシステムでは、就職の大切さはいうまでもない。だが、激変する労働市場の中で、会社に入った後のキャリアの守り方、作り方を考える力も、ぜひ身につけてほしい。授業やゼミが、そんな小さな足がかりとなってくれるよう願っている。

 

(この文章は「和光学園報」2015年秋季号No353掲載『私のゼミ・研究室』に加筆修正したものです)

 

 

竹信三恵子(和光大学現代社会学科)

教員の活動 |  2015/09/20

「和光3分大学」に、9月は現代社会学科の馬場淳先生が登場しています。

家族のかたちが多様であることについて、パプアニューギニアや
スウェーデンの例を紹介しながら説明しています。

小田急線の車内で、また下記よりご覧ください。

(↓下記をクリックするとリンク先が開きます)





中力 えり(和光大学 現代社会学科)

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