授業風景教員の活動 |  2015/10/15

 8月24日から25日、2011年3月に起きた東日本大震災の被災地となった南三陸にゼミ合宿に出かけました。
 
 南三陸は大津波によって町全体ががれきの野原のようになってしまった地域です。大空襲の跡のようなその姿は、震災直後、東京にいた私たちに大きな衝撃を与えました。いま東京では、なんとなく、被災地はすでに復興している、といった受け止められ方が広がっているように思います。でも、本当にそうなのでしょうか。社会を知るためにはマスメディアの報道だけに頼るのでなく、自分の目で現場を踏んで確認することが必要ではないでしょうか。竹信ゼミは、働き方を中心にインタビューによる調査手法の習得を目指していることもあり、報道と現場の落差を知ってほしいと思いました。また、町全体ががれきのようになってしまった地域で、どのようにして復興へ向けた働く場の再建をしようとしているのかを地元の方々に聞いて見たいとも考えました。そこで、現地へ出かけることにしました。
 
 被災直後の支援で知り合ったみやぎジョネットの草野祐子さんらの多大なご協力とご支援をいただき、学校だった建物を改装した宿舎に泊まって、現地の方々にいろいろとお話を伺うことができました。みやぎジョネットは、女性を中心に仕事づくりに奔走しているNPOです。

 

 

▲写真2 津波で鉄骨だけになった町の防災対策庁舎とゼミ生たち(2015年8月24日、南三陸町で)
 学生たちは、津波で骨だけになってしまった防災庁舎(写真2)や、津波の力で階段が落ち、建物の内部が根こそぎ押し流された石巻市の大川小学校の廃墟(写真3)のすさまじさに、改めてショックを受けていました。町は、ようやくがれきはなくなって、代わりに見上げるような土盛りがあちこちにでき、来年になればこの土盛りの上に住宅が建てられるということでした。また、10メートルの高さに及ぶと言われる防潮堤の建設も始まっていました。ただ、住民の多くは、いまだに仮設住宅住まいです。

 

 

▲写真3 津波で倒壊した大川小学校とゼミ生(2015年8月24日、宮城県石巻市で)
 
 
 被災後いち早く、なんとか残った自宅で民宿の再開に踏み切った漁業の女性は、「防潮堤をいくら高くしても、大規模な津波が来たらふせげるかどうかわからない。それより円滑に逃げられる方法を考えた方がいいのではないか」「漁師は、高い防潮堤にさえぎられて家から毎日海を見ることができなくなるのがつらい」と話していました。そして、「みなさんがお客さんとして来てくれることで、ようやく元気を取り戻している日々です」とも話してくれました。
 
 また、まちおこしのNPOを運営して仕事起こしをめざしている30代の男性は、「東京から来た人は、仕事がないなら仕事のある地域へ移ればいいという。自分もそんな風に思ったこともないではない。だが、妻の父に『ここにいたい』と言われ、いたい場所に働く場をつくる、というやり方があってもいいのではないかと考えが変わった。ここにいたい、だから何でもいいからここで食べていく方法をつくっていこうと、いまはがんばっている」と言いました。グローバル化で製造業が外へ逃げていき、食べられる新しい産業を必死で考えていかねばならない今の日本で、この言葉はこれからの私たちにとって、実はとても重要な言葉ではないかと思いました。
 
 また、仮設住宅のリーダーの男性は「日本は地震国。だれでも被災者になりうる。人を助ければ、だれかが助けてくれる。みなさんも弱い者の味方になってほしい」と呼びかけました。
 
 学生からは、「現場で見て、津波の恐ろしさを思い知った」「まだ商店もほとんど復活しておらず、驚いた。メディアのイメージではもうすっかり復興しているような気がしていた」「間接的な情報と現場の違いを思い知った」「合宿の時期はたまたま夏にしては寒い時期で、薄い夏服だったので本当に寒かった。震災が起きたときは3月でその時の寒さがしのばれた」「人を助ければ、必ず助けが来るという言葉に感銘を受けた」といった感想がありました。
 
 聞くと見るでは大違い。現場調査の力を学生たちに知ってもらえたという意味で、貴重な合宿になりました。
 
竹信三恵子(和光大学 現代社会学科) 

  働くことについての情報を、インタビューなどの現場体験を通じて得る――。これが竹信ゼミの目指すものだ。非正社員が激増し、正社員の働きぶりも過酷化している。ところが、就職体験がない学生には、それはどこかよそごとだ。働くことについて実感を持って理解するにはどうすればいいのか。試行錯誤の末たどりついたのが、現場へ出て、働く現場の人々の話を聞くことだった。
 
●キャリア教育だけでいいのか
 
 かつては、卒業すれば正社員への門戸が開かれ、定年までの安定は保障されていた。だが今や非正社員は働き手の四割近くを占め、卒業後の居場所を失う若者の増加が社会問題となっている。キャリア教育は、そうした事態を乗り越えるための教育として広がった。
 
 だが、これまでのキャリア教育の多くは、会社にいかに入るかに目的が集中しがちだった。「自己分析シート」によって適職を分析し、エントリーシートを何十社と出しまくることが仕事探しの意欲の表れとして奨励される。それが悪いとは言わない。だが、これらを繰り返しても、安定雇用を獲得できる保障は必ずしもない。問題は、学生の意欲不足というより、安定して生活できる働き方が激減していることが根本の原因だからだ。
 
がんばっても正社員の椅子からあぶれる働き手が一定数は出て来る社会になったにもかかわらず、「頑張れば椅子に座れるはず」と言われ続ければ、椅子に座れなかった学生は、自分を責め、自信を失う。就職できたとしても、大卒の3割、高卒の4割、中卒の6割は3年以内に会社をやめる。若者労働NPOPOSSE」の調査では、その多くが労働基準法に違反した労務管理によって働き続けられなくなってやめている。
 
それでも、学生たちは「就職に不利」として自分の身を守る権利を規定した労働関係諸法を見ないようにしがちだ。そんな中で働き続けるためには、「会社に気に入られる」ことだけでなく、自己の尊厳を回復し、権利をどう守るかを身に着ける教育が必要だ。児美川孝一郎・法政大学教授が名づけた「対抗的キャリア教育」だ。
 
 
●「バイ活」の発見
 
 学生たちに労働問題を身近に感じてもらうには、彼らが生活費を稼ぎ、理不尽な扱いに悩む労働現場を取り上げるのが早道だ。それがアルバイトだ。そこで、「現代社会と労働」の授業では、「ブラックバイト」を取り上げてきた。
 
長時間働いても残業代が出ない、シフトを選べないために授業に出られず単位を落とす、といった違法、または違法すれすれの状態で働かされるのが「ブラックバイト」だ。そんな行為には、バイトであっても断る権利があること、変だなと思ったらまずは相談窓口に連絡してみること、などを説明する。職場での人権侵害の実態を知って、働くことがいやになったら困る、と不安もあった。だが、むしろ明るい顔になる学生は少なくなかった。「労働相談とか、労働法とか、味方になってくれるものもあるんですね」と言う学生もいた。彼らが声を上げないのは無気力だからではなく、孤立無援と感じているためなのだとわかってきた。
 
 そんな中で、受講していた学生の一人が、「先生、最近は就活どころかバイ活です」と言い出した。いくら面接を受けてもバイトに採用されない。自分の印象が悪いのかとひそかに悩んでいた。だが、授業を聞いて、採用になった学生たちと不採用になった学生たちに聞き取りをしてみることにしたという。わかったことは、すぐに採用された学生たちは、面接で、どんなシフトにも合わせると答えていた。一方、不採用組は、授業に合わせてシフトを選びたいと答えていた。おかげで授業に出られず、卒業が危うくなる学生が出ていることも見えてきた。アルバイトへの企業の依存度が強まり、社員並みにいつもで働いてくれる学生でなければ採用しない傾向が強まっていたのだ。
 
 
●働く現場を回る
 
 ゼミには、こうした授業を聞いて働き方に関心を持つ学生がやってくる。彼ら彼女らには、若者ユニオンや女性ユニオン、労働NPOなどのメンバーを紹介してインタビューしてもらい、レポートを提出させている。理屈だけで知っていた働く場の歪みが、インタビューでリアルに理解できるようになり、また、聞き取りによる情報取集の技術も身に着く。
 
 もう一つの試みは、労働の現場をたどるゼミ合宿だ。2014年は学生の発案で奥多摩の小河内ダムを訪れた。小学生の遠足のようだが、東京への飲料水供給のためにつくられたこのダムは日本の植民地だった朝鮮半島の出身者や貧しい日本人労働者の厳しい労働によって建設された歴史を持つ。ダムのほとりには工事中の事故で犠牲になった87人の殉職者の名が刻まれた慰霊碑も立っていた(写真1)。

 

 

 

  小河内ダムのほとりに建てられた建設殉職者慰霊碑の前に建つゼミ生(2014年8月18日撮影)

 

 

 今年のゼミ合宿は、被災地の宮城県南三陸町や石巻市を訪れた(詳しくは、後述の「2015年ゼミ合宿報告〜東日本大震災の被災地、南三陸に出かけました」参照)。東日本大震災で根こそぎ家を流されたこの地で、人々はどう働く場を回復し、生活を立てなそうとしているのかを考えたかった。町おこしのNPOを運営している30代の男性は、「東京の人は仕事のあるところへ移ればいいと言う。だが、妻の父に『ここにいたい』と言われ、『いたい場所』で生きていくために、ここで食べていく方法を必死で考える、というやり方もあると思った」と話してくれた。

 

 就職だけが働くこと、と考えがちな学生には、就職の失敗は人生の終わりにみえる。だが、働くことはもっと多様だ。産業構造が変わり、従来の仕事が失われつつある日本社会では、これから、さまざまな「働く」を生み出していく必要がある。それを知れば、就職の失敗の痛みは相対化される。

 

 安定した会社に入れることは、もちろん喜ばしいことだ。会社が数少ない実地の職業訓練の場である日本のシステムでは、就職の大切さはいうまでもない。だが、激変する労働市場の中で、会社に入った後のキャリアの守り方、作り方を考える力も、ぜひ身につけてほしい。授業やゼミが、そんな小さな足がかりとなってくれるよう願っている。

 

(この文章は「和光学園報」2015年秋季号No353掲載『私のゼミ・研究室』に加筆修正したものです)

 

 

竹信三恵子(和光大学現代社会学科)

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