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ラルフ・イーザウ Ralf Isau †
現代ドイツのファンタジー作家
- 生年月日 1956年11月1日 ベルリン Berlin
- 年譜

『ミラート年代記』第3巻を構想中のイーザウ氏(八ヶ岳にて)
- 評価
- 雑誌「潮」2006年1号で「ラルフ・イーザウ いま、新たによみがえる『はてしない物語』」が掲載されました。
- 2005年12月15日 楽天ブックスで新たな〈ファンタージエン〉の物語と題してインタビュー記事が掲載されました。
- 関連項目
- 関連サイト
- その他
- 佐竹美保さんの個展「佐竹美保展 ―作家ラルフ・イーザウからの連画―」の開催が決まりました。
開催日時 2008年11月3日(月)〜8日(土)
開催場所 スパンアートギャラリー 中央区銀座2-2-18 tel03-5524-3060
※オープニングは4日17時〜
出展作品
絵画作品12点+立体作品2点
非売作品 装丁、挿画などの原画21点
- 参考文献
- 酒寄進一「イーザウ・ワールドの地平」『子どもの本棚?』429号(2004) 20-24頁
イーザウ・ワールドの地平
酒寄進一
ラルフ・イーザウという作家を語るとき、同じドイツの作家 ミヒャエル・エンデを抜きにすることはできないだろう。
とくに一九九五年が、ふたりの関係で重要な試金石になる。
もともとエンデによって見いだされたイーザウの最初の長編 ファンタジー『ネシャン・サーガ』(あすなろ書房刊)がドイツで出版されはじめたのが、まずこ の年だ。
その年の夏にドイツを訪れていたぼくは、ベルリンの書店で 出版されたばかりのこの本に出会い、トルコへの旅の友とした 。このときトルコのカッパドキアを目指したのは、そこにウフララという渓谷があったからだ。
エンデの『 はてしない物語』(岩波書店刊)を読んだ方なら、この渓 谷の名を聞いてきっとすぐに「南のお告げどころウユララ」を 連想するだろう。ぼくもこの名前にひかれ、『はてしない物語 』を思いながら、9月中をトルコの内陸で過ごした。そして帰国してから、エンデの訃報にふれる。
1995年8月28日、エンデがこの世の人でなくなった ことを知らずに、ぼくはエンデの思想に近づこうとする旅をし ていたのだ。イーザウもこのとき、『ネシャン・サーガ』をエンデに直接手わたす機会を永遠に失う。
イーザウはその後ドイツで、エンデの後継者といわれるようになるが、実際にはエンデのなにを継承し、なにを自分の独自 な世界として展開しているのだろう?
エンデの影がもっとも色濃い作品は、昨年出版された『タデウス・ティルマン・トルッツの秘密の図書館』(Die geheime Bibliothek des Taddaeus Tillmann Trutz 未邦訳>>注:のちに『ファンタージエン 秘密の図書館』として出版)だろう。現在、世界のファンタジー作家が『はてし ない物語』の続編を競作するというプロジェクト「レジェンド ・オブ・ファンタージエン」が進行していて、この作品もその1冊として発表された。主人公は若き日のコレアンダー。バスチアンに『はてしない物語』を渡した、あの古書店の主だ。
イーザウ自身が「『はてしない物語』のシグマリリオン」と呼んでいるように、この作品は『はてしない物語』の前史にあたる。コレアンダーがどうやってファンタージエンに赴き、な にを体験し、「幼ごころの君」にどのような名前をつけたのか ……。細部の説明は省こう。重要なことは二点。
ひとつはコレアンダーがトルッツから引き継ぐファンタージ エンの図書館だ。折しもこの図書館の本がしだいに消え、「虚無」が広がっている。この図書館にイーザウの作品のいくつか が納められているという描写がある。しかもこれまでイーザウ が創作した架空世界が、実はファンタージエンの中にあると語 られる場面まである。エンデの世界が分母だとしたら、イーザ ウは自分からその世界の一構成要素として分子の位置に立つこ とを選んでいる。
もうひとつは、「虚無」と人狼グモルクの存在。エンデは現世における「虚無」の正体をはっきりと描かなかったが、イーザウは自分なりの解釈を加えてそこに踏み込んでいる。現実の 側の舞台は1938年のドイツ。いわずと知れたナチの時代だ。ナチ=虚無ではないが、父と息子の愛の問題に収斂していく 『はてしない物語』とちがって、『秘密の図書館』では時代や社会のうねりがファンタージエンの虚無と連動している。ちなみにグモルクの正体は、グスタフ・モルク、ナチの手先ということが明かされる。
エンデの手の内で遊びながら、エンデとはひと味違った切り口を見せるイーザウの作風が、この作品からはよく見て取れる だろう。
さて話を1995年にもどそう。というのも、『ネシャン・ サーガ』以降のイーザウの作品世界を決定づけるひとつの事件 がこの年に起こっているからだ。3月20日に起こった「地下鉄サリン事件」だ。衛星放送でリアルタイムにそのニュースを見たイーザウは、テロと戦争の世紀ともいえる20世紀へのレクイエムを書く決意をする。
一九九九年、『暁の円卓』(長崎出版より刊行開始、既刊 〈1〉目覚めの歳月 、〈2〉情熱の歳月)と題されたそのシリーズの刊行がはじまり、世紀をまたいで2001年9月、第4巻をもって完結する。じつに2300ページを超える大作となった。
主人公は1900年1月1日に「トーキョー」で生まれるイギリス外交官の息子デービッド。彼は百年の寿命を与えられ、予知能力や、時間を遅らせたり、色を変えたりする不思議な力を生まれながらにもっている。
このデービッドが、二十世紀に人類を破滅に導こうとする悪 の結社「暁の円卓」と戦うというのが、この物語の主旋律で、 20世紀的な戦争の本質に肉薄していく。
物語は波瀾万丈だ。「暁の円卓」の結社員は世界各地で暗躍しているため、デービッドは世界中を経巡ることになる。トーキョー、ロンドン、ニューヨーク、パリ、ローマ、ベルリン、 カラチ、ソウル、ブエノスアイレス、カッパドキア……。歴史上の人物もたくさんでてくる。昭和天皇、アインシュタイン、 ローマ教皇、ラスプーチン、ヒトラー、マッカーサー、ガンデ ィー、ケネディー、第四巻の終わりでは「次にテロを起こすとしたらビン・ラディンだろう」という会話が主人公たちのあい だで交わされる場面もある。2001年9月、第4巻が出版さ れた直後、「同時多発テロ」が起こった。イーザウの想像力が 現実に追いつき、追い抜いてしまった一瞬だった。
イーザウが、20世紀を鎮魂するために、この作品で試みたのは、現実と虚構の境界線をかぎりなくあいまいにしていくこ とだ。
たとえば、1945年8月、ポツダム宣言受諾を諮る「御前 会議」にデービッドは同席して……というように、歴史上の人 物の言動や決断が、デービッドの鋭いまなざしで検証されてい く。
またオックスフォード大学の学生だったデービッドがトールキンと出会い、ひとしきり指輪談義に花が咲く場面がある。「 暁の円卓」の結社員の力の源泉であり、また弱点ともなるのが 、彼らがはめている指輪だった。その指輪の謎を追うデービッドと『[指輪物語?』(評論社)を書こうとしているトールキンが意気投合し、重要なヒントをトールキンからもらうというエピソ ードだ。
『暁の円卓』ではこのようにして、イーザウという分母の限 りなく小さな分子として、さまざまな現実がちりばめられ、そこから「真実」といえるようなものが浮かび上がってくる。1+1が2でとどまらない、現実と虚構のシナジー効果とでもいえる働きをまのあたりにするような作品だ。
『ネシャン・サーガ』以降、『秘密の図書館』にいたるまで 、イーザウは約八年間で、立てつづけに長編を12作発表している。『暁の円卓』全4巻は間違いなく、その作品群の要石だが、彼の作品世界にはもうひとつ、だいじな仕掛けが用意されていた。別々の作品に登場する人物を交差させて、個々の作品に赤い糸をはりめぐらしているのだ。 たとえば、人間にとって記憶とはなにかを問う『盗まれた記憶の博物館』(上)、(下)(あすなろ書房刊)で活躍する少女ジェシカが、コンピュータウィルスをテーマにした『影絵のネット』(Das Netz der Schattenspiele 未邦訳)では、ベルリン工科大学の学生として登場する。また『盗まれた記憶の博物館』の最後で登場する画家ルビンシュ タインが、『暁の円卓』の後半で、主人公デービッドの片腕として重要なキーパーソンとなる。
こうした登場人物のリンクは、エンデの作風とはひと味違っ た、イーザウのスタイルだといえるだろう。これを彼は「ラルフ・イーザウの宇宙」と呼んでいる。作品ひとつひとつが、その大宇宙の中の小宇宙なのだ。そして『暁の円卓』では、たとえばトールキンという「現実」がそのまた小さな宇宙として描かれ、『秘密の図書館』では「ラルフ・イーザウの宇宙」をも包み込む、より大きな宇宙としてエンデの作品世界が設定されている。
イーザウはなにかが奪い去られるということに敏感だ。ちょうど時間を奪われる『モモ』、「実体」を根こそぎにする「虚無」をテーマにした「はてしない物語」を書いたエンデと、そ の立ち位置は近い。 イーザウの場合、盗まれるのは、記憶だったり、愛だったり 、本だったりする。『モモ?』へのオマージュともいえる『パーラ?』(あすなろ書房近刊)でも、主人公の少女が戦うのは、ことばを盗む謎の人物だ。そしてイーザウにとってもっとも重要視しているのが、人の命を奪うテロや戦争だ。
イーザウはそうした「奪う」行為を忌避し、相容れないもの 、たとえば現実と虚構が刺激しあいながらシナジー効果をうみ 、地平線のかなたに、想像力に富んだ豊穣な世界が現出することにかけている。虚構の先に現実が見え、現実の先に虚構が見える、まるでクラインの壺のような世界の構築に、イーザウが こだわりつづけるのはそのためだろう。 最後に、『暁の円卓』第1巻で最初に引用されることばを紹 介しよう。
単純な真実ほど驚かされるものはない。
わたしたちの世界ほどエキゾチックなものはない。
事実ほど想像力に富んだものはない。
エゴン・エルヴィン・キッシュ『韋駄天レポーター』より