和光大学かわ道楽座談会

「地域と学生が作り上げる岡上文化」

鈴木勁介和光大学名誉教授 司会 堂前雅史和光大学助教授 和光大学かわ道楽:木暮剛 和光大学わ太鼓サークル竜鼓座:形山浩子 岡上農園部:秋山 眞樹子

 

堂前:司会の堂前です。今日一応承っている話題は、ひとつは岡上における学生の活動の始まりがいつから、どうしてか、やってみてどうだったかということと、それぞれの視点から自分にとって岡上とは何かです。皆さんのざっくばらんなお話をいただけたらと思います。まず岡上での活動の始まりということで、本日お越しいただいている鈴木先生は、色々な学生の活動に関わって、面倒見てくださっていらっしゃり、流れも一番ご存知ではないかなと思いますが、いかがでしょうか。

鈴木:和光大学は昭和41年にできました。その翌年から全国的に大学闘争が始まって、学生は農民と共闘すると唱えたのですが、魚も野菜も知らないで、農業を語ってもしょうがないと。ほんとに農民の心がわかる運動でなければいけないだろう。そういう想いが潜在していて、岡上で学生と農業ができないかと思っていたのです。ところが、岡上の農業は、夏が中心です。一番盛りが8月です。

堂前:いわゆる夏野菜ですね。

鈴木:夏野菜ですね。昨日は小指の先ぐらいだったナスが、今日親指ぐらいになり、明日になったらはじけるという感じです。凄まじいですよ。夏休み中、学生が毎週きてやれるか自信がなかったから、10年以上気持ちとしてあたためていてもやれなかった。やがて大谷さんという伊勢原の農家出身の学生が夏休み中毎日のように来てもいいですよと言ってくれて、彼女なら大丈夫だと思って、宮野薫[]さんにお願いして畑を借りた。これも紆余曲折があって、一時期本当に学生が減ってまた次の代増えてきましてね、ここ何年かは完全に定着しましたよね。秋山総大将で。(全員:笑)それが農園の始まりですね。

堂前:ノーエンズがいつからどうしてというのは鈴木先生からお話しありましたけど、やってみてどうか、秋山さんの視点から見てどうでしょうか。

秋山:総大将の秋山です(全員:笑)私は別に農業とかに興味が元々あったのではなくて、和光大学に入ったのは鈴木先生にひかれてでした。先生が作ったサークルということと関係なしに、ただチラシを見て、野菜が食べられるのだとか思って入ってみました。そうしたら、一般的に想像していた飲み会でわーと騒いでいるだけというサークルではなくて、すごいく居心地がよくて、ご飯も美味しいし、お金もかからないし。岡上でお借りしている畑に歩きながら、喋ったり、風景見ながら歩くのも面白かったけど、畑とか野菜とか直接は興味がなくて、いわれるがままなんとなく参加していたのが最初の1-2年でした。去年ぐらいから副部長になって新しく田んぼも借りられるようになったのですけど、それで宮野さんと沢山連絡取るようになって自分からやり方を調べたりするのが始まって、言われる前に考えるようになってきました。

堂前:例えばこのシーズンになってこれをやるとか?

秋山:そうですね。ジャガイモ早くしなきゃみたいな感じで。

鈴木:春野菜は秋の彼岸までに植えなければいけない。農民はそういう農事暦が全部頭の中に入っている。

堂前:自然相手だと人間の都合に関係ないですからね。こっちがアルバイトで忙しいとかいう理由で、二週間飛びでやるわけにはいかないから(笑)

秋山:最近、私が気づいたのですけど、ほんとにここ数年、毎年毎年、同じ時期に植えればいいってものではなくて全然気候が違うらしくて、去年と今年を比べてもよく分からないって。

堂前:人間の都合よりも自然の都合というのがあると思い知ったのは?

秋山:すごく思うのは、夏野菜。夏は大変で、キュウリとかも毎日収穫に行っても、朝とっても夕方には出来てるっていう感じで。夏はレポートの時期と重なってしまうと、学生が全然行けないし。

堂前:ほかに地元の方とのつながりについてどういう風に思いました?

秋山:宮野さんはいい人なので、それが普通だと思っていたのですが、実は宮野さんはほんとに優しくて特別な存在だと分かったので、どこか行ったら必ずお土産を買っていて、大事にしなきゃと思っています。

堂前:偉いね。その次出来たサークルとして竜鼓座はいかがですか。形山さん。

 

形山:竜鼓座が出来たのは2000年のときなのですけれども、実際に岡上地域でイベントをしたのは、03年1月12日のどんど焼き[]からでした。私は2代目座長で、初代の座長は技術ではなく他で補えるとしたら何が私たちにできるかなと結構試行錯誤したようです。その時浮かんできたのは、外に出て、自分達の知らない人たちと一緒に太鼓というものを通じて一緒に叩いたり、手をたたいてしてお祭り騒ぎをする、そういったことが太鼓ではできるのではないかということでした。最初は、岡上ではなく、福祉施設でした。その後、02年に、Aさん[]が岡上の祭りへの参加の声を掛けてくださり、竜鼓座としてもそちらの方を目指していたので、お願いしますと応えて、それが始まりです。やってみてどうかは、初代と考えは異なると思うのですけど、最初の頃は漠然としていて、地域と関わることは楽しい、面白いと思うだけだったのですけど、和光大学の学生のサークルの一つとして、そういった地域への参加を通じてのメリットがあると知ったのは座長になってからですね。

堂前:どういうメリットがあったのですか?

形山:大学がある地域のお祭りに参加していて、しかも、継続して行われる所はないではないですか。大学の宣伝になる。それと竜鼓座は太鼓をつかって大きな音をだす。防音設備も無いところで、ドンドコやってたら、地域の人は驚いて、苦情ももらうこともあるのですけれど、お祭りに参加することにより地域の方から理解されていく。ひいては、和光大学の他の音をだすサークルへの理解につながる。そういう意味では学校のメリットにつながっていくのではないかなと思っています。面白いのは、実家がある地域でも学生と地域が一緒にイベントをしているのは見たこと無ないし、自分自身も、実家の地域での祭りに地元の人間として参加していると意識はないのですよ。岡上ではそういう意識を持って参加できる。

堂前:次のサークルになるかと思いますが。木暮さん!

 

木暮:かわ道楽代表できました。最高顧問である鈴木先生の前でこんな話をするのは非常におこがましいと思うのですが。かわ道楽の組織自体立ち上がったのは03年なのですけれど、きっかけは堂前先生が受け持っていた02年度のフィールドワークの授業で、岡上の田んぼや、鬼の窪川、斜面林逢坂山の定期定期に観測をするという授業があったのです。そこで集まった学生で飲み会やってました。私の捉え方でいうと、基本的にそれまで自然が好きっていうような人々が集まったとはいえないのですけど。その時鶴見川流域ネットワーキング[]の自然保護活動の場所で土日にフィールドワークの学生で草刈に行っていたのです。たとえば源流の泉というところでやっていたのですが、和光から遠出しないといけないところで。それで、その岡上の雑木林で、最近手入れをしてないので草刈やってみないかということで、始めてみたら地元であるという愛着も出てきて、積極的にやるようになった経緯があります。自然に関する知識が皆無なんので、その時に自分たちはなんで草刈をやっているのか無自覚にやっていたのですね。雑木林の下の小川もきれいにして、03年ですね、当面の目標がホタル復活というのがあって、地元のホタルの子孫の卵を板橋区ホタル飼育施設からいただきまして、鬼の窪川に放流ししてみて、ホタルが復活し生息し続けられるような場所になればかつての谷戸の自然環境であるようということも分かるのではないかと思いまして。04年になると、本当にホタルが復活してホタルが出ると言うことで、そういう所で地域との関係も出てきました。あとは03年からどんど焼きや、納涼祭[]とかにも参加して地元と交流しているのですけれども、去年から作ったこの冊子とか配ることも地域の方々の理解を得やすくなって、今の僕らの活動が出来ているのではないかと思います。

堂前:どんど焼きは和光大学と地域との関係で結構重要なものになっていると思います。このどんど焼きの復活、に関わった鈴木先生からなんかお話しいただいてきたいと思います。

鈴木:和光大学が創立30周年を迎えた時に創立30周年記念委員会っていうのができて、僕は代表みたいのになったのです。その記念行事をいくつか考えたのですが、和光大学ができた1966年から途絶えてしまった川井田地区のどんど焼きを復活させようと。子供が少なくなったでしょ。どんど焼きというのは子供の祭りですから、意欲がなくなったのでしょう。それで、復活させようと考えたのです。僕はそれが大変な作業だとは思わなかったのでね、竹を一番最初の時は張り切っちゃったから20何本立てたのかな。それから竹を縛るのがフジヅルでないといけないのね。フジヅルがないとどんど焼きが出来ない。そんなことも知らなかったのですけれどね。それがどんど焼きの最初。その時、僕のゼミに韓国の学生がいて、どんど焼きの頃は韓国でも似たようなことやるけども、その時トック(韓国の雑煮)をつくるのだと言うので、では君が作るかと聞いたら責任もってつくると言うことになって、彼が大鍋いっぱい作ったのです。それで、伝統行事になったのです。西町会住民はどんど焼きはトックが出るものだと思っている(全員笑)。僕はそういう意味では、文化の破壊者と同時に文化の統合者である。かわ道楽の話ですが、僕はホタルがいたらしいって話はしたかもしれないけど、ホタルを復活をさせようとは言ってない。僕はナマズを養殖してくれと言ったのですが(全員笑)。そしたら堂前さん乗ってくれないし。かわ道楽にお願いしたいのは、絶滅危惧種を大事にしているけどね、人間はものを食わなきゃ生きていけないでしょ。「身土不二」です。体と大地は二つに分かれない。その土地のものを食って、その土地のものを飲んで生きてきた。その思想から言えば、まず必要なのはナマズの養殖である(全員笑)。

堂前:問題提起をありがとうございます。でもナマズ養殖の方が大規模に川を変えなくちゃいけないし、ホタル復活よりよっぽど難しいのですよ。

鈴木:僕が堂前さんはすごい人だなと思っているのは、かわ道楽という形で、お勉強ってこんなに面白いのだよと、勉強しているのか、遊んでいるのかわからない形で生物学を学生に身に付けさせた。それはすごいな。ほんとに僕は感動しているのですよ。

 

堂前:先ほどどんど焼きとかそういう話が出ましたけど、どんど焼きについて、それぞれの方たちの関わり合い方をどういった風だったかを順番にいきましょう。

秋山:どんど焼きは、鈴木ゼミから受け継いでいたトックとかおしるこ作りをノーエンズも手伝いに行くぐらいしか関わってなかったのですけれど、手伝いが終わってお酒を飲みつつ、地域の人と話す場あって、そういう積み重ねが大切だと言える感じです。

形山:あの納涼祭だって、岡上と学生と学校の結びつくイベントだと思うのですよ。どんど焼きはもっと学生と地域とが密になる場所。特にいろんな人が入り乱れてイベントを成り立たせているというのがあるから、私の中では一番地域との結びつき、信頼を得られるイベントだと思う。竜鼓座がどんどで大事に思っているのは、自分たちだけでなくて、そこにいる人たちがいかに楽しく遊べるかということ。

木暮:どんど焼きは、私の認識では、鈴木ゼミが主体になってやっていると思います。初代代表が積極的に関わっているので、かわ道楽が主体になっているというイメージですけど、それはちょっと違う。やはり、雑木林、草刈やると出るものでつくられるといった意味で関わりがあるとのことで位置づけているということですね。皆さんと同じように、我々の活動は地元地域の協力無しにはないので、活動の宣伝の場としても活用しています。タワー(「せいの神」とよぶ)の所は草刈ったとか使っているということで我々の関わりはそういった形と思います。(全笑)

堂前:町内会の方達も地権者の方も学生もぐちゃぐちゃに混ざり合いながら一緒に火を囲んで暮らすという、そのゆえ時間空間があるということが起きているのではないかと。

鈴木:そうですね。祭りの場というのは日常と違った、秩序が作られる、それがいいわけでしょ。ようやく和光大学も地元の人達の仲間入りさせてもらえるようになった。そんな感じですよね。

形山:私は一年の時から参加しているのですけど、住民の人達の意識が変わってきたなと思う。地元の祭りは特に住んでいる人達の考えというのが重要ではないですか。今年、初めて団子をさす三つ叉の竹竿を作っている時「僕達じゃなくて学生中心でやって行かない、いつまでもやるわけにはいかないのだから」「学校地域の一体のことなのではないか」と地域の人たちが次々に言ってくださって、協働で作っている文化という考えの芽生えているのかなと感じました。

堂前:それではまとめにはいりましょう。それぞれの視点から見た岡上について、自分にとって岡上とは何を話してください。

形山:あたしは古里。実家より身近な気がする。

堂前:古里という言い方、第二の古里とでもいうのですかね。今の若い世代の人が地域のコミニュティの中に入って居場所を作り出すというルートとしての大学というのをちょっと位置づけなおすという一つの考えかな。

形山:大学に通っているのだけど、実は通ってるのは大学じゃなくて、岡上に通っているのだと。

秋山:自分の地元で役割を持ちながら、自分のやりたいことをやっていく、そういう場がないから、地元のお祭りにも参加しないし、交流も生まれない。地元の一部として役割を持てるのではないかと自分でも思うからこそお祭りもあるのだろうと思った。

木暮:自然環境を保全するという我々の目標も建前上はありますが、文化というのは崇高な思想の下に愛郷心が生まれるわけではないと思うのです。学生が草刈りある日とか、イベントがある時にあつまる。それで学生たちで共同作業をしているとしていると、第二の古里的な感じがいつの間にか生まれたものなのではないかと私は考えているのですけど。

鈴木:第二の古里論は面白いですがね。自分が生まれ育った地域の行事なんかに参加するのは地域共同体の一員として参加するのであって、個人として主体的に参加するものではなかった。一人一人が主体的にするのではなく、大学サークルの一員としてだったら参加できる、そういう場が提供できればすぐ第二の古里になっちゃう。岡上が第二の古里になるような卒業生が出てくるのは、そういうことからかなと思いますね。

 


[]鈴木先生を通じて和光の学生と知り合って色々ご支援を頂いている地権者さん。

[]どんど焼きの事を岡上地域では「せいの神」といっている。(「せいの神」は邪悪なものが村に入らないようにという意味)

[]01Rの学生で鈴木ゼミにも在籍し初代かわ道楽代表。

[]鶴見川流域の保全活動をする団体の連合体。

[]学生が納涼祭に参加したのは、02学祭機構の「学祭やるにあたって、近隣と直に顔を合わせて挨拶したい」という方針がきっかけである。

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