2000年11月12日の日本平和学会での

伊藤武彦の講演

「ユネスコと平和の文化」(報告レジュメはこちら


はじめに

 今日私が話そうと思うことは、大きく分けて2つです。第1には、平和の文化という新しい概念の経過と説明、それと平和学との関わりです。このことについて報告します。次に、先ほどユネスコの紹介がありましたが、今ユネスコが中心になって、平和の文化の運動を来年から10年というスパンで国際10年を準備中です。そのうちの1つが、予稿集にありますCPNNです。それの説明を詳しく行いたいと思います。


平和の文化国際10年に至るまでの経過

 まず第1点目に平和の文化国際10年に至るまでの経過を説明します。国連という国際機構は、非常に複合的な組織であるということは、皆さんご存知であると思います。平和、人権、環境といった分野に関する部門がそれぞれ分かれています。それで、平和の文化という活動の特徴は、ユネスコが中心になっているということです。その平和の文化を私なりにさかのぼって考えますと、1986年に暴力についてのセビリア声明というものが出されております。これは、ユネスコが後援した、暴力についての国際研究会議で出されたものです。これは非常に限定された目的があります。生物学に名前を借りた、戦争=本能論、あるいは、戦争は遺伝するだとか、戦争は人類史において、人間という種にとって不可避的なものであると言う考え方をこういう俗流生物学だとか、神話の批判がありました。それで、その中心人物に、デービッド・アダムズという人がいます。彼はそこからユネスコのほうに関わりを深めまして、予稿集の年表のような経過の中で、理論的な問題だけでなく、実際の紛争が起こった当事国において、紛争後、あるいは、まだ戦火が燻っている時に介入するプログラムを実施しています。心理学においても、最近予防ということが注目されています。戦争のあとの、紛争の解決、それから和解と、再構築、その中で非常に重要な働きを果たすのが、平和の文化ということなのです。昨日のセッションで性暴力に対する不処罰の連鎖という問題がありました。一般に暴力には暴力の連鎖というのがあります。

平和学を語るときに、ガルトゥングの暴力概念と平和概念は非常に重要なインパクトがありました。最近の彼は1996年の『平和的方法による平和』という著書の中で、今までの直接的暴力と構造的暴力に加えて、文化的暴力ということを言っています。そして、それと対応させて、直接的平和、構造的平和、文化的平和ということをいっています。「平和の文化」は、ガルトゥングの議論とも符合するような概念です。視点を変えて例えてみると、差別と偏見、あるいは差別と差別意識との関係を考えてみましょう。差別は加害者の意図によって起こる場合と、加害者が無意図的な場合にもおこります。いずれも、それは相手に悪いインパクトを与える行動です。差別をなくすにはその行為そのものを問題にしなくてはならないという課題があるのですが、人々の間に偏見がありますと、その差別が拡大再生産されます。そういう風に、差別と偏見(差別意識)というのは、車の両輪のように、両方を考えなくてはならないと考えます。具体的な、物理的なプロセスの問題と、その後ろにある、心理的プロセスの両方を考えなくてはならないです。平和もそのとおりで、一方で直接的暴力は、これは直接被害者に作用します。それとともに抑圧や、差別搾取という構造的暴力を支える、イデオロギーや、人のものの考え方、そして伝統というものがあります。そのようなものを彼は、文化的暴力と呼んだのです。それで、ユネスコでは「暴力の文化」そして、文化的平和とは呼ばずに「平和の文化」と呼ぶので、私もユネスコの呼び方に習ってそう呼びたいと思います。


平和の文化の定義

予稿集の2番は、平和の文化の定義ということです。平和の文化は、国連決議第1条に定義されています。

「第1条:平和の文化とは次に掲げるような価値観、態度、行動の伝統や様式、あるいは生き方のひとまとまりである。

(a)教育や対話、協力を通して生命の尊重し、暴力を終わらせ、非暴力を促進し、実践すること。

(b)国連憲章と国際法の精神にのっとり、本来それぞれの国の国内法下にある諸事態には、その国の主権や領土の保全、ならびに政治的な独立の原理を十分に尊重すること。

(c)全ての人権と基本的自由を十分に尊重し、それを促進すること。

(d)紛争の平和的な解決に向けて責任を負うこと。

(e)現代ならびに未来の世代が、開発と環境を享受できるように努力すること。

f)発展の権利を尊重し、それを促進すること。

(g)女性および男性の平等の権利と機会均等を尊重し、それを促進すること。

(h)表現や意見、情報の自由に関するすべての人の権利を尊重し、それを促進すること。

(i)社会と国家のあらゆるレベルにおいて、自由、正義、民主主義、寛容、連帯、協力、多元主義、文化的多様性、対話そして相互理解という原則をまもること、そして平和の文化は、平和に貢献する国内的そして国際的環境によって励まされること。」

文化の定義といいますと非常に大きな話になりますが、大きく分けると2つに分けられると思います。1つは産物としての文化です。芸術、建物、行事といった、なにか人間の外にあるものを文化と呼ぶ場合があります。もう1つは、文化人類学者が言うような文化であります。それは、人々の行動の仕方、意識のあり方、人間関係のあり方、つまり、目に見えないようなものも含めた文化です。そして、(a)から(i)まで並んでいる各項目の分野は平和の概念を構造的平和、つまり構造的暴力のなくなった状態の平和も含めてとらえるということです。具体的には下記のようにまとめられます。(a)は非暴力ということ(b)は領土不可侵の原則です。(c)は人権、(d)は直接的暴力、紛争解決です。(e)は開発、環境、発展問題です。それから、(f)も発展、ないしは開発です。(g)が男女平等です。(h)が表現の自由、情報公開です。それから(i)は今まで国連全体が進めてきた、いろんな価値観、自由、正義、民主主義、寛容、連帯、協力、協力、多元主義、文化的多様性、対話、相互理解ということです。それでこのような文化を築くことによって、戦争をはじめとする直接的暴力や、人権抑圧をはじめとする、構造的暴力を未然に防ごうというようなプロジェクトが平和の文化の運動なのです。


「私の平和宣言」

その立ち上がりの年ということで、2000年は「私の平和宣言」という署名運動を行っています。この署名は、2000年10月現在で6000万人です。日本は100万人以上集まっています。この署名の中身は非常に興味深いです。つまり、国連決議は割と国際関係のことも言っていますが、「私の平和宣言」6項目は、非常に身近なところから出発しています。1番が命の尊重。2番が非暴力。3番がシェアリング、不正抑圧に対する反対ということです。4番が相手に耳を傾けるという傾聴、ないし表現の自由。項目によっては複合的な内容が入っていますが、5番は環境を守るということです。それから6番は、男女平等と民主主義、それから連帯、こういうような内容になっています。これは日本ユネスコ協会連盟のほうでインターネットを通して署名を集めています。紙による伝統的な署名も集めています。

インターネットを通して集めているのはわけがあります。消極的な理由は、ユネスコには財政難があって、紙を集めても、それを集約したり、分類したりする金銭と時間がないということです。しかし、積極的理由もあります。それは今、IT革命という言葉があるように、先日の沖縄のサミットでも話題になりましたが、それとは違ったあり方で、世界の平和の前進にとってインターネットをはじめとする情報技術を利用しようとする始まりでもあると思います。もうひとつ特徴的なのは、これまで、国連機関が署名運動を行ったことがあったかどうかということです。私の知る限りでは、国連のある機関が署名運動をやるということは、前代未聞、国連の歴史が始まって以来ということだと思います。この「私の平和宣言」は、ノーベル平和賞受賞者たちが起草しています。一見非常に身近で、簡単な内容です。しかし、これを本当に、自分のかかわるいろんな世界で実現していこうとすると本当に難しい、ということがいえると思います。こういう、悪く言えばあいまいな、誰でもできるような署名でありながら、真剣に一言ひとことを見ていくと大きな内容を含んでいる、という印象を私は持っています。

 今年は平和の文化国際年ということで、全世界で1億人の署名を12月31日までにやろうということが決まりました。それでさらにもっと増やそうという運動をやっていますが、来年からは何もやらないのかというとそうではありません。来年からは「世界の子供のための平和と非暴力の文化をすすめる国際10年」です。今年と来年以降の10年の違いは、今年の国連の担当機関がユネスコだけだったのですが、来年からの10年はユネスコとユニセフがこの課題に取り組むということです。今年の9月の国連決議では、ユネスコと並びユニセフが明文化されて、事務総長報告で述べられています。その中にたくさん項目があるのですが、その中で、これは平和の文化ならではというものがあります。それが、今から説明いたしますCPNNです。


CPNNについて

 平和と非暴力の国際10年に向けて、CPNNという構想があるということです。「CPNNは、ユネスコとその平和パートナーが行うプロジェクトです。平和の文化と非暴力の文化に関する地域の活動、およびメディアの動向の情報を、インターネットによって広げることを目的としている。」ということで、これは新しいジャーナリズムであるということです。しかし、新聞記者は誰か、それはそのサイトの読み手です。インターネットによる新しいジャ―ナリズムです。ホームページを開いてそこにみんなが投稿するということです。その投稿したものを、モデレータと呼ばれる、あらかじめ訓練を受けた編集者がこれを丸めます。どういう風に丸めるかは後ほど説明します。報道の中身は大きく分けて2つです。

 〔1〕平和のニュースということはCNNの向こうを張ってCPNNというらしいです。CNNで1番視聴率が高い、要するに、配信されて一番売れるのは戦争のニュースです。戦争報道というのは、人々をいろんな意味で興奮させたり、心配させたり、悲しませたり、あるいは場合によっては、喜ばせたりする。そういうものがコマーシャルベースに乗りやすいのです。我々、平和学をやっている人間にとって、もっといろんな人に知らせたいという情報があるのですが、そういうチャンネルや、パイプが非常に少ないという現実があります。本当に価値あるニュースでも、いわゆる静かな感動を呼ぶようなニュースでも、マスコミが報道してくれるとは限らないのです。それで、このCPNNはそういうオルタナティブな(もうひとつの)マスコミュニケーションを作っていこうというねらいがあります。

 マスコミュニケーションでは一方向的な情報の流れが多いのに対して、CPNNは読み手が書き手になるわけですから、双方向のメディアということになります。ここで、ニュースとメディアという言葉を説明しますと、ニュースというのは本人が直接経験したことです。メディアとは、本人が間接的に経験するものです。ですから、私が今から家に帰ってこのシンポジウムの状況を書くと、それはニュースです。しかし、世の中には、いい映画、いい音楽、いい芸術、いいアニメがあります。我々がその世界に入り込むことによって、間接的に平和のメッセージを受けた、そういうものをメディアというわけです。ですから、ニュースが直接的経験に根ざし、メディアが間接的経験に根ざすという中身を持っているわけです。そこでの平和がどのように定義されるかというがあります。

 平和のニュース、平和のメディアといいますが、いったい、黒沢明の「七人の侍」は平和のメディアかどうか、「それゆけアンパンマン」は平和のメディアかどうか、そういうのは、モデレータとレポータの相互作用によって判断されていくものです。「私の平和宣言」に基づいた、8つの項目のキー概念のどれにあたるかという判断をお互いに共有しながら、平和のニュースやメディアかどうかということを判断していくということです。したがって、民主主義的であり、双方向的であり、インフラがあればという条件付ですけれども、非常に安くできるメディアであります。もうすでに、英語版をメルボルン大学の人たちが中心になって作っています。ユネスコの公用語は6ヶ国語ありますが、各々のサイトもできています。私は日本語を7番目のサイトにしようとがんばっていますけれども、実に様々な経過がありまして、詳しいことは省略しますが、CPNNが日本で立ちあがるのに多くの時間を要しました。しかし、ようやく今年の10月から準備室というものができました。ここでは、私が今説明している内容を読むことが出来ます。CPNNが本当にどういう風に動いているか知りたい方は、http://www.cpnn.org/にサイトがあります。私の目から見ても、もっと改善点が多くあり、記事もまだまだ少なく、本格的に立ち上がって間もないような印象があります。しかし、英語のサイトを見るとだいたいの感覚というか、こういう風に運営されている、ということが分かり、英語ではありますが、平和学会でこういう事がありました、という平和のニュースを投稿することができます。そうすると、ちょっと学術雑誌に似ているのですが、無条件採択、一部修正など判断され、掲載されます。上下関係ではなく、モデレータとお互いに協力しながらやっていこう、という違いはあります。実は、私が第一歩として準備室を用意して、そのコーディネータとなってこういう運動を進めていこうとしています。新しい情報技術がごく一部の人々に独占されるという状態であっては、これは本当に広がりもないし、人類的な普遍性のないものになってしまうと思います。

 しかし、私は夢を語れると思います。電話を考えてみると、電話は昔非常に新しい通信装置でした。電話が発明されたころは、東京でもごく一部の限られた、上流の階級の人だけの通信手段だったと思います。しかし、現在携帯電話も含めて、国民の二人に一台以上あるというような状況に変化してきています。それで、私はインターネットもそういう可能性を秘めていると思います。今は確かに技術力と貧富による格差があります。しかし、その格差を無くす努力をしながら、ニュースの中身を充実していくことによって、人々が平和を作り、暴力をなくそうという目的で、共感できるようなメディアに幅広い層の人々がアクセスできるようにしていこうと思います。


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Last updated 16 December, 2000