和光大学

  

Dept. of Human and Environmental Well-Being, Facul. of Human Sciences, Wako Univ. 
laboratory of Dr. Daumae


        和光大学人間関係学部人間関係学科
        和光大学現代人間学部身体環境共生学科
        堂前雅史研究室


 

nekomata
鳥山石燕『図説百鬼夜行』より
 石燕の没年は知らぬが、いくらなんでも死後50年は経っていよう
椎茸があおりくらったような帽子
-文科系とされる和光大学でなぜ自然科学を教えるのかという話に代えて-    
  
 『道潅』いう落語がある。鷹狩りに出て俄雨に遭った太田道潅から簑の借用を求められた少女が古歌を引き合いに出して山吹の枝を見せて断る故事が描かれている絵を前に、お馴染みの八っつあんが「椎茸があおりくらったような帽子被ってさ、虎の皮の股引はいて突っ立ってやんの。盗人の昼寝みたいな奴が拳固の上にトンビ止まらしてやんの。こっちに洗い髪の女がお盆の上にライスカレー載っけてお辞儀してやんじゃねえか」言う場面、故事芸術の素養のないが故の、言われてみればもっともながら身も蓋もない言い方がても楽しい。
 しかし、ここまで柄が悪くなくも、人は様々な知見を理解する際に自分の言葉にして解釈し直す作業は潜在的に行われているはずであり、科学知識の理解の際にも、自分の内部で専門用語に頼らない叙述が出来るかどうかは一つのメルクマールになるであろうし、専門外の人間が科学知識を理解し日常の中での思考に役立てる上で必要なこでもあろう。「科学的な真理は社会においても普遍性を持つ」とするこで生じる人格の生物学的決定論それへの反論がどうもしっくり噛み合っていないように思えるのも、要因決定が役割の科学の専門用語をそのまま使用していることと関係があるような気がする。「騎者笠」を高雅な語して置いておかず「椎茸があおりくらった帽子」言ってみせる八っつあんが必要な場面なのかもしれない。
 近年、初等中等教育における理科教育の危機が叫ばれている。しかしその背景には、優秀な研究者を育てるため、あるいは啓蒙によって多大な研究予算に対す る国民的理解を得るためする、いわば科学に肯定的な理解だけを期待したモティベーションが目に付き、対策面でも元来理科好きな子供以外は対象になっていないような印象を受ける。科学社会のインターフェースが必要されるき、八っつあんのように「騎者笠」を「椎茸があおりくらった帽子」言ってみせる能力をもたらす理科教育が、批判的視点も含めた科学理解をもたらしてくれるのではないか思っている。
堂前雅史(『現代思想』1998年11月号270頁より)  

 


 
目 次amakuchi1.gif
プロフィー ル

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 nezumi_small1.gif 研究活動


講義 

  ●動物と人間の関係史
 ● 生物多様性論 A・B
 ● 生命倫理学
 ● 環境倫理学
 ● 生命改造時代の社会
 ● 現代社会と生命観A・B


 

実習 

 ● 理科を楽しむ(生物)(後期)
 ● フィールドワーク(地域環境1)[1年生]
    フィールドワークを学ぶ5[2年生以上]

 ● フィールドワーク(地域環境2)[1年生]
    フィールドで学ぶ5[2年生以上]

ゼミなど 

 ● プロゼミ「トンデモ本の科学論」 
 ● ゼミ(現代社会関係論演習VI/身体環境共生論演習5)
(科学技術と私たちの社会)


 ● 卒業論文 同窓会やりました。詳細は↑ゼミのページ

その他

 ● 一週間の予定 
 ● 雑文
 ● 和光大学・かわ道楽




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