『情況』1996年11月号(第2期7巻10号)98-109頁

「同性愛の遺伝子」をめぐって

                               堂前雅史

ゴールド家の黄昏

 一九九三年、ニューヨーク・ブロードウェイ劇場街、タイムズスクエアに程近いブース・シアターで『ゴールド家の黄昏』という芝居が上演された。あらすじはこうである。スーザン・ゴールドは遺伝学者のロブ・シュタインと結婚し、それを祝って夫と相談し、スーザンの家族(父母と弟)を誘って食事に出かけ、その場で彼女が最初の子供を妊娠したことを報告した。スーザンの家族ゴールド家は典型的なニューヨークの中産階級で、弟デヴィッドがゲイであることが家庭内でちょっとした問題になっているくらいであった。家族に祝福されたものの、家族歴から考えて、産まれてくる子供がある病気ではないかと心配する。ロブは会社の研究室でヒト・ゲノム地図を完成させる技術を開発し、羊水を検査すれば産まれてくる子供の遺伝情報を知る技術があることを知らせる。結局、夫婦は産まれてくる子供の遺伝子診断をすることにした。その結果、産まれてくる子が心配された病気とは無縁だということが分かったのだが、脳のINAH3と言う部分の構造と遺伝子から九〇パーセントの確率で同性愛者になるという診断が出てしまった。スーザンは、産まれてくる子が社会で困難な目にあう可能性が高い以上、堕胎するべきではないかと悩む。ロブは「育てることで変えられる性質はいっぱいある」と言う。弟のデヴィッドは、あたかも自分のことのようにその子の命を守ろうとする。色々あった末に、スーザンは子供をおろすことにするが、同時にもう妊娠できない体となってしまう。
 実際に、芝居を見たわけではないので、いくつかの劇評から察するにこんな筋立てだったらしい。脚本を書いたのはジョナサン・トーリンスという自身同性愛者の劇作家である。芝居としての出来はどうだったかは分からないが話題作とはなったようだ。同性愛が遺伝子診断で分かるのかと思う向きもあろうが、この戯曲には元ネタとなった研究があり、それと比較すると設定の意味が分かって面白い。
 ひとつは一九九一年に発表されたサンディエゴのソーク研究所のサイモン・ルヴェーの研究である[1]。彼は脳の視床下部という領域の中にあるINAH3(前視床下部第三間質核)という神経細胞群が女性では男性よりも小さいことに着目した。総じて男女の脳で構造が違うところというのはあまりないのだが、INAH3には違いがあることが近年発見されたのである。もしもこの領域が男性を好むか女性を好むかという性的傾向に関連しているのなら、同性愛男性はこの領域が女性のように小さいはずだと考えたのだ。ルヴェーは一九例の同性愛男性(うち一人は両性愛)と一六例の異性愛男性と、六人の異性愛女性の死体から脳を得て、染色して件の神経細胞群が分かるようにして、顕微鏡下で断面を測定した。結果、男性のINAH3の平均の大きさは女性の二倍以上、同性愛男性の二〜三倍くらいと出た。言うまでもなく、先の芝居に登場したのが、このINAH3という細胞群である。
 これだけなら、ゲイに生物学的構造が関係しているということにはなっても、それが遺伝するものとは限らない。同性愛が遺伝するかどうかについてはボストン大学のリチャード・C・ピラードとジェイムズ・D・ワインリッヒが系図を追いかける研究をしていた。ただし、系図をたどるやり方は、家族環境が同じである以上、遺伝のせいだとは結論しにくい。そこで重要視されるのが双子と養子の場合である。ルヴェーの研究と同じく一九九一年に発表された研究では、ピラードとノースウェスタン大学のマイケル・J・ベイリーはゲイ向けの出版物に広告を出し、ゲイかバイセクシャルの一八才以上の男性で、双子か養子の兄弟がいる者を募集した[2]。その結果、調査には一六一人の同性愛の男性が参加し、一卵性双生児の兄弟五六組、二卵性双生児の兄弟五四組、彼らの兄弟だが双子ではない者が一四二人、養子による(生物学的には無縁)兄弟が五七組が参加した。本人へのインタビューの結果、ゲイである男性の兄弟が同性愛である確率が計算され、同性愛男性の一卵性兄弟では五五パーセントが、二卵性双生児の兄弟では二二パーセントが同性愛であった。一卵性双生児では遺伝子が全く同じであるのに対し、二卵性双生児では普通の兄弟と同じように遺伝子は半分しか共有していないことから考えると、これは遺伝による影響が強いと考えられる。しかし、双生児ではない兄弟では九パーセント、養子の兄弟では十パーセントであった。双生児ではない兄弟は二卵性双生児兄弟と共有する遺伝子の割合は同じであるはずなのだから、二卵性双生児と同じかそれに近い値を示しても良さそうなものなのに、双子でない兄弟はなんと遺伝的にはあかの他人であるはずの養子兄弟と同じ程度にしか同性愛になっていなかった。この結果はどちらの数字に信頼を置くかによって結果の解釈が変わってきかねないものだが、上記のルヴェーの論文とあわせて同性愛が遺伝すると言う記事がジャーナリズムを賑わせた(例えば[3])。
 もちろん、こうした研究への反論もある。ハーバード大学名誉教授のフェミニスト系生物学者ルース・ハバードはルヴェーの研究について、いくつかの点から批判し、結果が信用できないとしている[4]。この研究で使われた同性愛者の死体は全員エイズで死んだものであり、エイズが脳組織に影響を与えることがある以上、上記の同性愛男性と異性愛男性のINAH3の差はエイズにかかったことを反映しているだけかも知れないとしている。またデータも平均で比べると違いはあるものの、最大値から最小値までの範囲は両者にあまり違いがないことを指摘し、また「異性愛者」というのも死後、実験者がそう想定しただけではないかと疑っている。ベイリーとピラードの研究についても、研究参加への応募する者の家庭環境が大きく影響する可能性があることを指摘している。家族が同性愛に不寛容で、兄弟も同性愛者でないような家庭にいる同性愛者は応募しない可能性が高いであろう。そのために兄弟が同性愛ではない同性愛者の参加者が少なくなり、結果としてデータの上では兄弟で同性愛である場合が多くなってしまう。逆に兄弟ともに同性愛者であれば、こうした研究への興味が湧き、積極的に参加することがおおくなり、この場合も同様の結果を生み出しやすい。また一卵性双生児は二卵性双生児よりも、小さい頃から同じ取り扱いを受けやすいということも問題にしている。
 精神科医のウィリアム・バインも両者に対して同様の批判をした。特にルヴェーの研究については、エイズの治療による影響がINAH3の差を生み出す可能性を指摘し、またINAH3が性行動と関係している可能性があるという前提自体を間違っているものとしている[5]。しかし先述したように「ホモは遺伝する」というジャーナリズムの喧噪が高まっていった。


ゲイ遺伝子の発見?

 『ゴールド家の黄昏』は、そんな議論の興奮がさめやらぬ頃に初演されたのであるが、この開幕の時期にあわせるかのように「ゲイの遺伝子」として話題になる論文が『サイエンス』誌に掲載された[6]。著者は米国立衛生研究所のディーン・H・ヘイマーのチームである。彼らはまず七六人の同性愛男性を中心とする系図の調査を行った。その結果、同性愛者の兄弟が同性愛者である確率は一三・五パーセントであったのに対し、兄弟に同性愛者がいない男性が同性愛者である確率は二パーセントであった。また本人が同性愛者であった場合、母親の兄弟、つまり母方の伯叔父が同性愛者である確率は七・三パーセント、母方の伯叔母の息子(母同士が姉妹である従兄弟)が同性愛者である確率は七・七パーセントとどちらも偶然に生じるしては大きい値となった。逆に父親は0、父方の親戚は小さな値をとった。つまり同性愛男性は、母方の親戚に同性愛男性が多いということになる。
 母方に同性愛者が多いということを説明するアイデアは色々あり得る。男性の性的傾向に母親の育て方が影響するとすれば、その母親を育てた母方の家庭環境が関係する可能性がある。そうなれば母方の家庭の文化を共有する者と性的傾向が似通う可能性はあるであろう。しかし、彼らはここで母親だけから得る遺伝子を疑った。有性生殖する生物では、遺伝子の半分を父からもらい、もう半分を母からもらう。遺伝子はDNAと言う物質でできていて、DNAは染色体という棒状のまとまりをなし、ヒトでは四六本にまとまっている。この四六本の染色体は母由来二三本、父由来が二三本である。この二三組の染色体各組は女性では全て同じ二本の染色体からなっているのに対し、男性では一組だけ異なる染色体二本からなる不揃いな組み合わせを持っている。この男女で異なる染色体の組を性染色体と呼び、性分化、つまり発生の過程で男性と女性の違いを作る過程に深くかかわっていると考えられている。この性染色体は二種類からなり、X染色体とY染色体と呼ぶ。女性はX染色体が二本あり、XX型と表記される。男性はX染色体とY染色体を持ちXY型となる。先述した性染色体のペアを不揃いにしたのは、このY染色体である。このようにY染色体は男性しか持っていないため、父親から来るしかない。一方のX染色体は男性の場合は母親から来ることになる。ちなみに両親からX染色体をもらえば、この子はXX型となり女性となる。ヘイマーのチームはこのX染色体に目を付けた。
 男性のX染色体は母親由来である、とすればX染色体上に同性愛に関係する遺伝子があれば母方の親戚に同性愛者が多いことを説明できるのではないか。さらにデータをよく見ると母方の従兄弟でも、母親の姉妹の息子は同性愛者が多いが、母親の兄弟の息子は同性愛者が少ない。これも母親の兄弟がいくら同性愛のX染色体を持っていても、その息子に伝わるのはY染色体だけであることを考えると説明が付く。さらにこのX染色体で説明すれば、もう一つの難問が回避できる。もしも男性同性愛が遺伝するのだとすれば、そういう遺伝子を持つ男性は子孫を作る可能性が低く、そんな遺伝子は簡単に淘汰され人類の遺伝子プールから消え去ってしまう。しかし、母親から来るX染色体上に乗っていれば、母親を同性愛者にする効果を持っていない限り、同性愛の遺伝子は男が子孫を残さなくても、その姉妹が子孫を残せば脈々と受け継がれることになる。先に上げた『ゴールド家の黄昏』を思い出していただきたい。主人公の弟でゲイでもあるデイヴィッドは、同性愛の可能性が高いと遺伝子診断された胎児にとって母方の叔父に当たる。同性愛者の母方の親戚に同性愛者が多いという結果は、先のピラードとワインリッヒの系図調査からも窺えることから、トーリンズは戯曲の設定をそこから取材したのかも知れない。
 かくしてヘイマーらはX染色体に注目したわけだが、兄弟ともに同性愛者である場合にX染色体上にある同じ遺伝子を共有しているかどうかを調べた。染色体のまとまりは不変ではない。同じ組の相方の染色体とDNAの切り張りをして、ある部分を交換してしまうことがある。すなわち、母親が持っている二つのX染色体の片方にあった同性愛遺伝子が、隣り合う遺伝子配列といっしょに相方のX染色体の中に紛れ込んでしまうこともありうるのだ。これを利用すると同性愛に関係する遺伝子のX染色体上の位置までも推定することができるかも知れない。彼らにとって幸いなことに、ヒトゲノム計画の進展のおかげで、X染色体にはいくつかの目印となるDNAの配列があることが分かっている。特に役に立つ目印配列は反復DNAである。DNAの同じ配列が何度か反復する配列をしているのだが、この反復回数がヒトによって違う。これを利用すれば、二人の男性のX染色体の内、この部分は同じだがこの部分は違うという目印となる。これを兄弟に応用してみると、同じ目印を持っている可能性は五〇パーセントになる。母親が二つのX染色体を持っており、その二つの内どちらをもらうかは偶然によるものであるからである。もしも両方同性愛者である兄弟で、同じ目印を持っている確率が五〇パーセントよりも、ある程度大きければその目印配列の付近に同性愛に関連した遺伝子がある可能性が高いということになる。ヘイマーらは、二二個の目印配列を使って、同性愛兄弟の遺伝子共有率を調べてみた。その結果、X染色体の端のXq28と言う領域にある目印配列が四〇組の兄弟の内、三三組で同じであり、違うXq28を持っていたのは七組であった。両方ゲイである場合の兄弟間での同じXq28配列の共有率は八二パーセントであった。
 この結果の解釈上、誤解を呼んでいる点は、これで同性愛の遺伝子が見つかったというわけではないということである。ヘイマー自身も注意を促していることだが[7]、もしも同性愛に関連する遺伝子があるとすればX染色体上のXq28という領域の中にあると考えられる結果が出たということであって、このXq28領域自体は数百ものの遺伝子を抱え込んでいるらしい長大な領域なのである。その上、ある同性愛兄弟で共通したXq28を持っていても、同じ配列が別の同性愛兄弟でも見られると言うわけではない。別の同性愛兄弟は別のXq28配列を共有していることもあるのだ。また、ヘイマーらは特定の遺伝子があればそれだけで同性愛になるというわけではないのかもしれないと考え、異性愛者を解析の対象から除外している。つまりXq28の同性愛にかかわる遺伝子があっても、他の条件(例えば他の遺伝子や環境)がととのわなければ異性愛者になってしまう可能性があり、異性愛者の遺伝子を解析しても意味はないと考えたのである。つまり、ヘイマーらは必要条件としての遺伝子を求めたのである。さらにこのことが直ちに因果関係を示しているわけではない、すなわち遺伝子が直接の原因で同性愛になるとヘイマーらが断言したわけではなかった。
 しかし、特に今回は遺伝子が同定されることへの道を開いたことから、数学的処理やデータの取り方など方法上の批判だけでなく、生物学的決定論への警戒がますます前面に出るようになった[8]。『ジェンダーの神話』(邦訳は工作社から)などで人間の性の微妙さを論じている生物学者アン・ファウスト-スターリングはハーバード大学の進化学者エヴァン・バラバンとともに同じ『サイエンス』誌に批判を投稿した[9]。ヘイマーらの研究では、両方同性愛者の兄弟に関してXq28が共通していることを明らかにしているだけであり、片方が同性愛者でもう片方が異性愛者という兄弟ではXq28が一致しないかどうかということも論じる必要があるということなど、方法についての批判をひとしきりした後に、このデータを社会が利用することについて科学者が積極的に責任を負うべきであることを論じている。
 にもかかわらず、この研究は同時期に開幕した例の芝居と相俟って、「ゲイ遺伝子の発見」として社会に認識され、またも大きな反響を巻き起こした。


お母さん遺伝子をありがとう!

 「ゲイ遺伝子発見」の報に対する反響の中で興味を引くのは、同性愛者の書店で「Xq28−お母さん、遺伝子をありがとう」と書かれたTシャツが販売されたということである[8]。もちろん、これはかなりの皮肉を込めての企画ではあろうが、まんざら冗談とばかりも言っていられない状況もあるらしい。そのことが、先のスターリングとバラバンの批判と同じ欄に寄せられた、「ゲイおよびレズビアンの科学者・科学技術者全国組織」の議長であるロシェル・ダイアモンドの寄稿に窺える[10]。
 ダイアモンドの反応は複雑である。一方では胎児の遺伝子スクリーニングによって同性愛者になる可能性の高い遺伝子を持つと診断された胎児が堕胎される可能性があるということ、あるいは大人でも遺伝子スクリーニングが軍隊入隊の際や生命保険などでの差別に利用される危険性があることが問題であるということを指摘しているのだが、もう一方で「性的傾向が不変の要素であることを証明する科学的証拠があるということを喜んでいる」のである。これは正直言って驚いた。生物学的違いがあるならあるで、それを享受するという発想は分からないでもないが、自分たちが他の多数派の人との間に生物学的違いがあることが証明されることを積極的に求めるとは、正直言って、私にはこの感覚はどうも分かりにくい。同一性を喜ぶ日本人の性質を持つ私だけでなく、米国おいても、むしろ生物学的根拠を強調することの危険性を論じる人も少なくない。先述のハバードもかつての優生学では、同性愛者らは生物学的に「欠陥」があるとされたからこそ迫害にあったことを強調しているし[4]、『ゴールド家の黄昏』にもあるような遺伝子スクリーニングと結びつければ一連の研究を「優生学再来」として捉えることもできる[11]。
 ここはもう少しダイアモンドの主張を見てみよう。ダイアモンドは同性愛の性的傾向に遺伝的根拠があるとなれば、現行法の中で市民権を得やすくなると言う点を上げている。その例としてハワイ州最高裁のゲイ同士の結婚を合法とした際の根拠が、性差別やプライバシーの権利に基づくのではなく、ゲイが生物学的に固定されているとしたことにあったということをあげて、少数派の市民権を擁護するのには遺伝的で不変な形質であることは有効であるとしている。実際、米国の同性愛者の間では、この研究によって同性愛が「自然」で「変えられないもの」あることが証明されたとして歓迎する傾向が強い。実は先にあげた一連の研究に従事する研究者の中にも同性愛者は少なくない。最初の脳の構造の違いを発表したルヴェーもゲイであり、その後、同性愛者教育研究所を設立するために、件の論文発表時にいたソーク研究所を辞している。系図研究のピラードもゲイであるが、ヘイマーの遺伝子の研究を賞賛している。ヘイマー自身もコロラドのゲイの権利をめぐる法廷闘争で証言に立っており[8]、総じてこうした同性愛遺伝子の研究者は同性愛者からは味方とみなされているらしい。
 ならば逆に同性愛を嫌うグループは、どう言う反応をしているのか。次のヘイマーの研究を批判する引用文を読んで欲しい。
   サンプル・サイズが小さい、…同性愛は性の「自然に生じる変異」だと言う研究
  者の先入観、異性愛者グループを対照群として使っていないという事実、記録され
  たデータを除外している例が多い、…このように、決定的研究とされるものに基づ
  いて同性愛の遺伝理論を擁護する議論はいかがわしいものなのです。
これは先のファウスト-スターリングらの議論と似ているようにも思えるが、妙なところもある。実は「アメリカ家族協会(AFA)」というキリスト教原理主義の運動団体のインターネットホームページからの抜粋である。AFAはポルノの取り締まりや進化論への反撃に力を入れているが、同性愛者の権利の拡大阻止にも勢力を注いでいる。同性愛が不変の生物学的性質となると、神が授けたものとなりかねない。彼らは同性愛は悔い改めるべき罪であるとしている。総じて米国の保守的キリスト教徒はこういった考え方をしており、同性愛に生物学的基盤があるという研究は、悔い改める機会を奪う有害なものとみなしていることが多い。保守政治家がヘイマーらの研究の信憑性を疑い、彼の属する研究所にケチを付けたこともある[8]。また、もう少し近代的な考え方ではあるが、「同性愛は治療すべき病」と考える者も多く、彼らも同性愛が固定した形質であるとする考え方には批判的である。こうした同性愛の遺伝的基盤を否定しようとする反ゲイの保守陣営の態度は、先の優生学反対の立場と紛らわしく見えることもある。先に紹介したバインは反優生学的立場から一連の研究を批判しているにもかかわらず、むしろ反ゲイ運動の手先ではないかと疑われたこともあるし、実際に保守勢力から同性愛者の軍入隊阻止に向けて協力を期待されたこともあるという[11]。こうなると米国の同性愛者が自分たちの行動の背景に生物学的基盤を求めて理論武装の一助にしようと言うのも分かるような気もする。


「氏か育ちか」論争の限界

 話を研究の世界の方に戻すと、その後、ベイリーとピラードの双子研究はレスビアンを対象にしても行われ、ゲイと同様に遺伝的であることを示唆する結果を得た[12]。また、ヘイマーのグループは昨年、批判に答えるべく性的傾向が異なる兄弟のデータも取り入れ、またレスビアンも対象にした研究の結果を報告している[13]。まず三二組の両方ゲイである兄弟を調べてみたところ、Xq28の共有率は六七パーセントであったのに対し、同性愛/異性愛の組み合わせの兄弟(一二組)の間では二二パーセントしかなかった。一方、女性では両方レスビアンの姉妹(三六組)も片方だけがレスビアンの姉妹(一一組)もXq28の共有率はそれそれ五八パーセントと五六パーセントで、五〇パーセントと大した違いはなかった。この六七パーセントという数字は、一九九三年の研究の八二パーセントという数字に比べるといささか小さくはあるが、ここでも同様の結果が確認されたと言えよう。またXq28遺伝子がレスビアンとは無縁と考えられることから、男性と女性ではその性的傾向のメカニズムが違うのであろうと論じている。
 しかし一方では、カナダのウェスターン・オンタリオ大学のエバースとライスのグループは、四一組のゲイの兄弟で調べたところ、性的傾向とXq28の関連は見いだせなかったと一九九五年の九月の性研究アカデミーの大会で報告している[8]。
 生物学の研究者が同性愛と言う現象に興味を持つのは、珍しいことではない。内分泌学でも胎児期のホルモン環境が同性愛を引き起こすのではないかと言う議論がなされているし、動物行動学でも人類の進化の過程で同性愛の遺伝子がどうやって淘汰されずに残ったかという議論をしている。前者は同性愛を遺伝的なものと言うよりも発生過程で生物学的に決定される行動パターンと見ており、後者は遺伝的に決定される行動パターンと見ている。もちろん、こうした議論に対して、人の性的傾向や行動が生後の経験や教育によって影響されることを強調する立場もあり、右のような議論を生物学的決定論として批判している。人格に関わる行動についてのこうした議論はしばしば「氏か育ちか(nature or nurtune)」論争と言われ、実際にジャーナリズムの現場ではそう言う文脈で論じられることが多く、いわゆる人権派の知識人は優生学への警戒心もあって「育ち」を強調することが多い。特に生物学的違いを盾にとった抑圧にさんざん遭ってきている女性の権利に重点を置く場合も、生物学的決定論への反発はいきおい強くなる。また同じ米国の同性愛者でも、保守層の抑圧の少ない大都市部などでは、トーリンスの戯曲に見られるように、生物学的決定論に対する反発が目立つ。実際に古今の性的犯罪者などが去勢されるのは、性的傾向が固定され変更されないと言う考えが背景にあるからだろう。しかし、ここでは攻守ところを変えて、同性愛者の人権を擁護しようとして、あえて「氏」にこだわる戦略が採られている。米国的保守主義の特殊な土壌の中で、彼らは胎児期に抹殺される危険性と、成長後に改悛を迫られる人権抑圧との「究極の選択」を迫られて、前者を選んだのであろうか。
 だが米国の彼らが主張するように、生物学的基盤が分かれば、彼らの権利は守られるのであろうか?実際に先述したAFAは、たとえ遺伝的に決まっていようとも、同性愛は許されるべきではないとしている。また、仮に同性愛の遺伝子が同定されたとして、その遺伝子を持っていることを理由に同性愛が許される社会が到来したとしよう。そんな社会において、この同性愛遺伝子を持っていない者の同性愛の権利はどうなるのか?ヘイマーの研究でもXq28配列を共有していない同性愛者兄弟の例もあった。遺伝的に決まっていることを正当化の理由にする限り、その裏では同性愛遺伝子を持っていない同性愛者へは「悔い改めよ」と言う風当たりが強まる可能性が出てくるのは想像に難くない。これでは「血統書」付きの同性愛だけが公認される別の形の差別になりかねないのではないか。
 私には「氏か育ちか」にこだわる限り、出口は見えないのではないかという気がしている。逆に仮に育ちが決定すると言うことになり、そのメカニズムが明らかにされたとして、「こいつは同性愛にあるはずのない育ち方である」とされれば、また同じ事ではないのか。ハバードらの言うとおり、人間の行動のメカニズムは複雑であり、遺伝形質と社会的経験や環境とが様々に相互作用した出力として現れるもので、一つか二つの遺伝子に還元されるものではない。そのことはヘイマーらもそう考えており、性的傾向に「影響する遺伝子」という言い方をしている。私自身は彼らの研究成果の正しさについては何とも言えないが、こうした行動になんらかの影響をする遺伝子が見つかっても不思議はないとは思っている。例えば現在、慢性アルコール中毒の遺伝子を同定しようとする研究が行われている。この研究自体は胡散臭いと思っているが、単純に考えて慢性アルコール中毒に関連する遺伝子は思いつく。酒の強さである。下戸では急性アル中にはなれても、慢性アル中にはなれない。酒の強さはアルコール代謝能力という生物学的体質によるものであるから、アルコール代謝系に関わる酵素などの遺伝子と関連するとしても不思議ではない。となれば、通常人よりもアルコール中毒患者に多く見られる遺伝子を追いかけていたら、なんのことはない酒を飲めるかどうかの遺伝子であったという事もありえないことではなかろうと思っている。これは「アル中に影響する遺伝子」ではあっても「アル中の遺伝子」と言いうるのかどうか。男性同性愛にしても、例えば綺麗な肌をもたらす遺伝子のように、性的な社会的相互作用を引き起こしやすい形質の遺伝子が一役買うことだって考えられないことではない(まさに同性愛者に対する偏見丸出しの例だが、想像力貧困な私には他に思いつかなかったので許されたい)。
 このように実際の行動は遺伝子、分子、身体、社会、そして自由意志などなどが不可分に相互作用するネットワークの中で決まっているのであり、いわば「氏も育ちも」影響すると言うことになる。しかし自然科学というものが現象を取り扱う場合、不可分だと済ましていては話にならない。この中のどれがどれほど関連するのかを無理にでも数字にして解釈していく欲望を持っているし、自然現象を解釈する手段としては現状では一番実用的と考えられる。ということで、遺伝学なり発生学なり心理学なりがそれぞれの尺度で各要素の影響の大きさという寸法書きを作っていくわけだが、この言説が日常世界に持ち込まれ日常世界の文脈で語られる時に「氏か育ちか」という奇妙な議論になってしまう。実際には一個の統合された人間が氏や育ちなどに分裂してしまう。原理的には無理に統合して、この人の同性愛者である可能性は遺伝学的には七〇パーセントで、脳組織学的には三〇パーセントで、発達心理学的には四〇パーセントで…という言い方が可能かもしれない。しかし、そんなものは現にそこにある個人にとっては意味のないものだろう。その人はそんな数字がどうあれ、同性愛者なのかもしれないし、そうでないこともあろう。またその人の性的傾向は気軽に変更可能かも知れないし、変更しようとすればとてつもない苦痛を伴うこともあろう。起源はどうあれ、今ある自分が自分なのだ。まだ我々は人間の個々の面について科学が書いた寸法書きを、日常世界に取り込む方法を得ていないのだろう。私自身は科学知識が現実の生への感受性を豊かにすることはあるとは思っているが、まさにこの取り込み方が社会にも科学の側にも準備ができていないように思う。
 しかし、現実にはこうした確率的言い方が実用的な場面も増えつつある。例えば多人数を対象とする保険会社にとっては、病気のメカニズムが分からないままでも、ある遺伝子を持っている人は××パーセントの確率で××病になると言った計算が出来れば十分である。同性愛遺伝子も含め、あらゆる形質を、その人のかかる病気、死に方、その時期などについて確率的な計算の中に取り込むは可能であろう。遺伝子のプライバシー保護の重要性が叫ばれ、遺伝子診断への批判も上がっているが、個人情報が仮に守られたとしても、こうした確率論的人間観は人や自分の生き方に対する我々の見方に影を落としてはいないだろうか?たとえ本人が異性愛者であることが確認できた場合でも、七〇パーセント同性愛者になる遺伝子を持っていると知ったとき、自他共に「本当はかなりホモ」という奇妙な見方を出来る感覚を我々は持ち始めているような気もする。血液型性格学が流行した際に、当人の性格が当該の血液型性格に合わないときに、「性格が潜在して表に出ないタイプ」と言う言い方が多用された。そしてさらに血液型性格学が盛んになるに連れて、自己成就的に当たるようになっている、例えばA型血液の人は本当に「A型的性格」に近づきつつあると言った現象があること[14]を思うと、私は今そこにある自分や人の生のあり様を直接感じとる力が衰弱し、その向こうの隠れた寸法書きに頼る傾向が強くなっているのではないだろうかと思ってしまう。目の前にある人の死のあり様を感受するとき、それが臓器を切り刻んでも良い死なのかどうかを判断する力は、我々が日頃の生のあり様を寸法書きにとらわれずに見ることからしか養われないのではないかと言う気がしている。『韓非子』に出てくる自分の足よりも寸法書きを当てにしたために靴を買い損なった鄭人の話が他人事ではないと思えることが度々あり、我が身を反省している次第である。

※なお、本文中では一連の研究に対する反応についてもっぱら米国の同性愛者の中に見られる反応を書いたが、他の国、特に日本の同性愛者については書いていないのはひとえに私の勉強不足のせいである。日本の同性愛者解放運動では、同性愛者をとりまく情況が米国とはかなり違うので、生物学的決定論への反発が強いという指摘を受けたが、詳しいことを調べる余裕がなかった。今後、ご教示を願う次第である。

[1]Levay, S. 1991 "A Difference in Hypothalamic Structure between Heterosexul and Homosexual men."  Science, vol.253, pp.1034-1037.
[2] Bailey, J.M. & R.C.Pillard 1991  "A Genetis Study of Male Sexual Orientation." Archive of General Psychiatry, vol.48, pp.1089-1096.
[3]"Born or Bred?" Newsweek, February 24, 1992, pp.46-53.
[4]Hubbard,R. 1993  "Exploding the Gene Myth" Beacon Press, Boston.(wwwに載せるにあたっての追加情報:邦訳は『遺伝子万能神話をぶっとばせ』佐藤雅彦訳 東京書籍 2000年)
[5]Bynne,W. 1994  "The Biological Evidence Challenged" Scientific American , May, 1994, pp.26-31.(邦訳は『日経サイエンス』一九九四年七月号)
[6]Hamer,D.H. et al. 1993 "A Linkage between DNA Markers on the X Chromosome and Male Sexual Orientation." Science, vol.261, pp.321-327.
[7]Levay, S. & D.H.Hamer 1994 "Evidence for a Biological Influence in Male Homosexuality."  Scientific American , May, 1994, pp.20-25.(邦訳は「日経サイエンス」一九九四年七月号)
[8]Bailey, J.M. 1995 "Sexual Orientation Revolution" Nature Genetics , vol.11, pp.353-354.
[9]Fausto-Sterling, A. & E. Balaban 1993 "Genetics and Male Sexual Orientation" Science, vol.261, p.1257.
[10] Diamond, R. 1993 Genetics and Male Sexual Orientation Science, vol.261, pp.1258-1259.
[11]Horgan, J. 1993 "Eugenics Revised" Scientific American , June, 1993 pp.93-100.(邦訳は『日経サイエンス』一九九三年八月号)
[12]Bailey, J.M. & R.C.Pillard 1993 "Heritable Factors Influence Sexual Orientation in Women" Archive of General Psychiatry, vol.50, pp.217-223.
[13]Hu, A.S. et al. 1995 "Linkage between Sexual Orientation and Cromosome Xq28 in Males but not in Females." Nature Genetics, vol.11, pp.248-256.
[14] 山崎賢治・坂元章 1991「血液型ステレオタイプにおける自己成就予言│全国調査の時系列的分析」日本社会心理学会第三二回大会発表論文集、288-291.

どうまえ まさし  東京大学教員 一九五九年一月七日生 東京生まれ 動物行動学 このごろ思うこと:自他の想像力の貧困をどうすればよいのだろうか。