和光大学人間関係学部人間関係学科
和光大学現代人間学部身体環境共生学科
鳥山石燕『図説百鬼夜行』より 石燕の没年は知らぬが、いくらなんでも死後50年は経っていよう |
-文科系とされる和光大学でなぜ自然科学を教えるのかという話に代えて- しかし、ここまで柄が悪くなくとも、人は様々な知見を理解する際に自分の言葉にして解釈し直す作業は潜在的に行われているはずであり、科学知識の理解の際にも、自分の内部で専門用語に頼らない叙述が出来るかどうかは一つのメルクマールになるであろうし、専門外の人間が科学知識を理解し日常の中での思考に役立てる上で必要なことでもあろう。「科学的な真理は社会においても普遍性を持つ」とすることで生じる人格の生物学的決定論とそれへの反論がどうもしっくり噛み合っていないように思えるのも、要因決定が役割の科学の専門用語をそのまま使用していることと関係があるような気がする。「騎者笠」を高雅な語として置いておかず「椎茸があおりくらった帽子」と言ってみせる八っつあんが必要な場面なのかもしれない。 近年、初等中等教育における理科教育の危機が叫ばれている。しかしその背景には、優秀な研究者を育てるため、あるいは啓蒙によって多大な研究予算に対す る国民的理解を得るためとする、いわば科学に肯定的な理解だけを期待したモティベーションが目に付き、対策面でも元来理科好きな子供以外は対象になっていないような印象を受ける。科学と社会のインターフェースが必要とされるとき、八っつあんのように「騎者笠」を「椎茸があおりくらった帽子」と言ってみせる能力をもたらす理科教育が、批判的視点も含めた科学理解をもたらしてくれるのではないかと思っている。 堂前雅史(『現代思想』1998年11月号270頁より)
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