司会 最初に、実は言いたかったんだけれども言えなかったというようなことがあればお話願って、それから参会者からの質問にお答えするという形で進めたいと思います。
フフバートル モンゴル人意識と国際化ということについて少し触れたいと思います。現在、国際化が進むにつれて、モンゴルというのは国家単位で考えられるようになり、これからモンゴルと言った場合には、だんだんモンゴル国、あるいはモンゴル国民を指すような傾向に進んでいくんじゃないかと思います。そうなると、国を持たない、あちこちにいるモンゴル人たちの存在が忘れられていくという傾向はさけられないと思います。
三橋 中国での民族教育について一言。お祭りとか言葉、あるいは文学、口承文芸というところでは、これを残そうとしたり教育するのは可能ですけれども、モンゴルの民族教育というのは、高等教育になってきましても、最後まで文科系しかないという問題があるわけです。そこで新しい近代テクノロジーについていけるための教育を受けようとすると、どうしてもマジョリティの言語の中で学んでいくしかない。民族の言語でもってそれを全部果たしていくと、恐らくこれは逆に言うと非常に政治的な意味を持ってくる。
それから、テクノロジカルな教育までが完璧に民族内でそろってきたときに、今度は古くから持っていた民族の文化を自ら壊していく可能性が出てくる。その狭間で民族教育というのはどういうふうにあるべきかということをつくづくと感じたということだけご報告しておきたいと思います。
ユ 自分の報告のときに時間が足りなくて、あまり丁寧に触れられなかった話について、ちょっとだけコメントしたいと思います。
パンモンゴリズムというのは、ある種の脅威をもたらすもの、危ないものというようなイメージがある。しかし例えばEUに代表されるような広域での民族間統合がその域外にいる者たちに与えている脅威はパンモンゴルという言葉で連想されるようなものとは比べようもないほど巨大なものである。
ですから、パントルコイズムとか、パンモンゴリズムというものは、例えば中国当局の立場からすれば、中国の基本的な立場は、民族地区の分離というものは許さないというものですから、脅威になるかもしれない。しかし、不本意に分断され、お互いの交流さえもできなかった人びとが、今のような新しい大きな流れの中で再び自らが同胞であるということを確認し合い、そして失われた固有のものを早く取り戻す、そういう努力としてのモンゴル人の再統合の動き、あるいは交流の動きが、どちらかというと否定的な方向性を持った言葉で語られるということは、それ自体、大きなものによる、より苦しい状況に置かれている小さいものに対する抑圧の状況のあらわれでしかないと私は思っています。
もう一つ、ハイラルで訪問したモンゴル族小学校で、エヴェンキとかダフールなどモンゴル族より少数の民族の子どもたちが、一、二年生の間は彼らの母語で授業をうけていることが印象的でした。これらの少数民族は固有の文字を持っていないのですが、そのためもあって、彼らだけの学校はなく、比較的近い関係にあるモンゴル語で教えるモンゴル族の小学校へ通っている。しかし、いくら近いといっても最初からモンゴル語による授業についていくのは難しいので一、二年生の時は自民族のことばによるいわば補習を行なっているのです。こうした工夫は、おそらく国家の指導によるというよりは学校関係者をふくめて地元の人びとの創案と思いますが、よく考えたものだと思います。こうした努力を積み重ねていけば、ここから、モンゴル族がモンゴル語では文科系の高等教育しかうけられないという現状も少しは改善できる、新たな可能性も見出せるのではないかと思います。
司会 今話された問題は、実はモンゴルだけの問題ではなくて、日本におけるアイヌ民族であるとか、あるいは沖縄県人が基地でどれほど苦しんでいるかというようなことを本土の人間はほとんど知らないでいるという、そういう身近な問題と関連していますが、さしあたってきょうはモンゴルをテーマにしながらみんなで考えてみたいと思うのです。会場からはどうでしょうか。
参会者 現代の民族関係とか教育問題をいろいろ聞かせていただいたんですけれども、では何をもってモンゴルというアイデンティティを持つかというところが、あまり聞かれなかったような気がするんです。例えば羊を屠る問題にしても、モンゴルのそれというのはどういう方法か、そういったものを少し聞かせていただければと思うんですけれども。
篠原 ビデオで見ていただいたのは、私たちの車の運転をしていたイスラーム教徒の行なった羊の屠りですが、九五年にモンゴル国でビデオ収録した屠りの方法は、胸に小さな穴を開けて、そこから手を突っ込んで心臓の近くの血管を爪で切って、血を一切流さないで解体し、血も料理に使うものです。
それからアイデンティティ問題についてですが、私は多くの支族があるにもかかわらず一つのアイデンティティがあると感じました。例えばチャハル族出身のフフバートルさんがオイラート族を訪れても、一緒に歌える歌が沢山あるし、その時の草原での宴で、老人が歌ってくれた歌の内容は、チンギス・ハーンを讚えるものでした。チンギス・ハーンが民族を結ぶ一つのシンボルであると感じました。婚姻関係もかなり広範囲で成立しています。こんなところから一つのアイデンティティが形成されていると言ったのですが、議論の必要なところです。
フフバートル 私もモンゴル人共通のアイデンティティについて一言。チンギス・ハーンの末裔とかモンゴル帝国の歴史となるとかなり広くなりまして、ユ先生が挙げたモンゴル語系の諸民族、その辺も当然チンギス・ハーンの末裔という意識を持っているわけです。
しかし、それに対して現在のモンゴル高原に住んでいる内モンゴルや外モンゴルの人たちが、はたして彼らを自分の兄弟とか同族と意識しているかということが問題でありまして、普通の庶民はチンギス・ハーンとかモンゴル帝国を知っているわけではないので、それもまた全体的なものとしては難しい。モンゴル高原の遊牧生活者と違って、現在、農耕なり定住をしている人たちもいます。
そういうことで地域によって違いますので、内モンゴルにおいてはどちらかというと遊牧生活で、モンゴル語とモンゴル文字とがあるんじゃないかと思います。特にモンゴル語を話していればモンゴル人だと。
ところが、モンゴル語というのは、モンゴル国においてはアイデンティティとしてそれほど意味を持たないんです。そこに生活している中国人も、ウランバートルの標準語だったら内モンゴルの人たちよりもきれいに話せる。だからウランバートルの人たちが内モンゴルの人たちの話を聞いて自分の同族だというふうに感じたりするとは限らないのです。逆にそれは変な方言ではないかという意識すらあるわけですから、その辺で共通のものが基本的にない。それを探すのは難しいですね。かえって彼らの場合はモンゴル国民であるというのが強いものであると思います。
三橋 もう少し重層的だという感じがするんです。例えばいろいろな形でもって、現在、いい意味でたがが緩んでいる。つまり自分たちのブラックボックスだったところをどういうふうに埋めていくかということが、いろいろな部族で行なわれはじめているということがあると思うんです。例えば一つの国を構えているモンゴル国だと、さっきの話で、星だけをちょっと取ってしまえば、レーニン像を倒さなくても、社会主義の象徴を取ってしまうようなことが可能になります。そうすると今度は、一九二四年からのソビエト型正史にたいして、それ以前の歴史の再評価の必要が出てくる。そこに変革前なら大侵略者であったチンギス・ハーンがもう一度統一の象徴として現れてきます。
一方、今度の報告の中で言えば、オイラートの人たちというのは、別の形でアイデンティティを求めています。先ほどビデオでちょっと遺跡が出てきましたけれども、あの遺跡も文化大革命のころは全く無視されていて、そこら辺の岩を勝手に持っていって自分たちの家をつくっていた。それが開放政策が行なわれるあたりから少し自由になってきて、改めてその遺跡というのは何だったのかと。あれはジュンガル・ハーン国の首都だったのか、単なる寺院だったのかという議論が国際的に起こっているわけだけれども、そういうものが何であったのかというのを、自分たちのものとしてつかみ直す。
あるいは、チンギス・ハーンが登場しないジャンガルという口承文芸がある。この口承文芸はいろいろなところにあるんです。そういう口承文芸をもう一回自分たちのものとして調べ直し、記録し、そして叙事詩として編成し直すことが、過去に自分たちの固有の歴史があったんじゃないかということをつかみ直すことが今行なわれているということが、アイデンティティに向けての一つの動きであるし、そういうことの流れの中で、ある意味ではチンギス・ハーンというのが象徴的に引っ張り出されてくる。だからチンギス・ハーンの末裔であるからといって、単純に同族意識が生まれてくるのではない。
中国の内部では漢民族化というのがものすごく進んでいるわけですから、それに対するリアクションの中でそういうことが行なわれる。こういった現代的な試みの中でアイデンティティというのが模索されている。そういうダイナミズムであって、アイデンティティが全部なくなってしまったのを、今、チンギス・ハーンを一つの柱にして、昔、我々は大帝国をつくったという格好で何かをつくっていくという、そういう意識のあり方ではないというふうに私は考えています。
参会者 私もこのグループがモンゴルの共同研究をし始めたということで、なぜモンゴルかということがちょっと初めのうちはわからなかったんです。
それで、まず一番単純な質問としてお聞きしたいのは、あちこちに散らばっている民族同士、交流がどれぐらいなされていたのか。交流がないと、それぞれの地域にばらまかれたモンゴル族がそれぞれ別の文化をつくるということが考えられます。
今度このグループがあちこちのモンゴル族の住んでいるところに行かれたということは、住み着いた場所の条件によって、モンゴル族のアイデンティティがどのように変容したかということに重点があるのだったら、それをはかる共通のものと言うと変ですけれども、学校制度とか、親族関係とか、何か幾つかのポイントがあって、それで比較して歩くということが一つあるだろうと思います。
もう一つは、それぞれのところに住んで、自分たちの文化をどれぐらい守ってきたり、育ててきたりしたのか、今この変動する世界の中でどういうふうに変容しつつあるのかということもこのグループの研究目的にあるのでしょうか。
三橋 まず交流についてお話しますと、モンゴル国のほうから見れば、内モンゴルとの交流はあるけれども、それほど盛んではないというふうに言えると思います。
現在交流はやりたいという思いはある。モンゴル国では過去の歴史を調べようと思っても、何しろいろいろなところに出かけて行っては何かやって、戻ってこなかったことが多いわけですから、他国にいかなければ自分たちの歴史的記録が見られないという問題があるんです。うんと古い話ですけれども。
そういうことも含めていろいろなところとの交流をしたがっている。だけれども、内モンゴルの問題というのは、中国との関係でいって、単純に内モンゴルとだけ仲良くできるかというと、中国全体との関係でどういうふうに動いていくかということについて、非常に警戒心を持っているというふうに言えると思います。
一方、新疆ウイグル自治区の人たち、特にこのたび私たちが訪れた地域であるオイラートモンゴル族の場合は、歴史的に分断されてしまったカルムイク部族の人たちとの交流をかなりやっています。これは国を超えた動きです。結論としては思ったほどに交流が豊かだとは言い切れないと思います。
第二のことですが、ある尺度を我々があらかじめ持って行くというよりは、尺度を探しに行くというふうに考えていただいたほうがいいと思うんです。
微妙な例をあげてみますと、モンゴル国の中で言えば、社会主義の時代が長かっただけに、ラマ教が随分復活していますけれども、生活の中の根づき方から言うとそんなに根づいていないのに対して、内モンゴルのほうが、現在の社会主義の中国ができてから、それから開放政策にいくまでの時間の短さということを考え合わせた上での話ですけれども、例えばオイラートモンゴル族の人たちのほうが生活の中にラマ教が息づいているというふうに言えると思います。とはいえ遊牧をしている人たちの間の違いというのは、思ったよりも少ない。
中国の内部においてオンドルで暮らしているというような、定着したモンゴル族の農民たちと、遊牧民の違いというものが、これからどういうふうにさらに広がっていくのか。これは生活パターンも相当違ってきていますから、その辺がこれからの課題です。
針生 実例の補足ですけれども東北地区の北のほうで、ブリヤートモンゴル、つまりバイカル湖のあたりから移ってきたモンゴル族の家を訪ねたんです。それで、シベリアにはまだ親族なんかがいるという話を聞きました。しかし交流はそんなに密接ではないんです。中ソ対立の事情がありまして、今、手紙を交わしたりしているというような、そういう状態のようです。
さっきのアイデンティティという問題ですが、これはどんな民族だって混血が続いているわけですから、文化的なアイデンティティしか見出せないと思うんです。文化的というのは、さっきフフバートルさんが挙げた言語、それから文化、僕は文化の根源は生活様式だと思います。だから羊の殺し方というようなものも、そこに入ってくるんだと思うんです。
もう一つは、さっきユさんが言われたような、各地に散らばっているモンゴル族が政治的に再統一を宣言するというようなことは、私はちょっと現実的に考えられなかったのでそれを否定したんですけれども、もしそれが可能ならば私もそれを望みます。
ただ、レーニンがかつて言った民族自決。今、中国は明らかに民族自決を否定しているわけですし、自治の拡大ということしか現実にはあり得ないんですね。そうすると、中国の中の内モンゴル自治区と言っても、実際は植民地みたいになっているような実情がある。各地に散らばっている人たちの自治を拡大し、文化的な統一をもっと強めるということは具体的にはどうするのか。私も具体的にちょっと考えにくいんですけれども、長い目で見ればそれは可能だし、かなりインパクトを与えるだろうと。
ユ アイデンティティに関する話がありましたけれども、私は少なくとも中国のモンゴル族には、彼らの民族としての意識の持ちよう、あるいは暮らし方を見るときに、アイデンティティという概念はなじまないというか、部分的な意味しかもたないと思います。というのは、今まさに雲南、四川のモンゴル人は、針生先生が言われる文化様式、生活様式はモンゴルの伝統的なものとはかなり違います。そして彼らが本当にフビライの兵士の末裔かどうかということを確認する方法もないんですね。そうしたなかで彼らは今までは、漢族またはそのほかのなに民族というふうにされていた。それが近年になって、自分たちはもともとモンゴル族だということで、家系譜あるいはその他の昔からの記録を根拠として族籍変更を申請し、それで一応モンゴルとして認定されたというような状況です。この他に、少数民族優遇政策の恩恵にあずかるためという理由だけで、モンゴル族その他に替えようとするいわゆる「偽りのモンゴル族」もかなりいるといわれます。
こうした状況ですから、モンゴル人というのは何かとなりますと、モンゴル人にされている人とモンゴル人でありつづけたい人にモンゴル人になりたい人などを合わせたものが、とりあえず、モンゴル人であるという状況だというふうに説明できると思います。モンゴル人がたとえ文化様式、生活様式などをなくしたとしても、なおモンゴル人であるという状況は当分変わらないだろうと思います。
司会 松枝さん、台湾のモンゴル族の言葉の問題とアイデンティティについて、何か。
松枝 台湾の人びとは、自分が何々人である、あるいは特定の民族、あるいは文化様式というものを選択するということについては深い関心があります。私はこうした意識を勝手に「文化ジェンダー」と呼んでいますが、それはなにかというと、自覚がないままに特定の民族に編入させられることと、自覚を持ってある民族に編入すること、その意識の距離をさします。一つはユダヤ人問題です。たとえばある人が率先してユダヤ人を発見して追跡して、収容所に送っていた。そのご当人があるとき政府からおまえもユダヤ人だと言われて絶句した、などという例が無数にあるということです。これはただ血統を何代かさかのぼって、ひいおばあさんか何かのいとこにユダヤ人がいたとか、そういうことから突然押し付けられる民族性があります。
もう一つは、ボスニア・ヘルツェゴビナの事例ですけれども、この間まで同級生で楽しくやっていたのが、ある日突然おまえはモスレムだと言ってなぐられたり殺されたり、レイプされたりということが起きたときに、それならモスレムになってやろうじゃないかと言って、今まで全く中庸的な生活様式だったのが、一気にイスラームに走ってしまうというようなものが、ある種の選択としてある。そういうロジックがあったと思うんです。お母さんがモンゴル語をしゃべるので、少数民族の側にいたほうが得だから、勝手に自分をモンゴル族にしてしまいましたとしゃべる女性がいましたが、そういうことは当然起こり得るだろうと思います。
そういう意味では、台湾で自らモンゴル人である、あるいはチベット人であるということで運動を展開する人びとは、おじいさんか、ひいおじいさんかの代に、国民党の政治政策としてかなり定着した人ですから、これを家宝のようにしている断固たるモンゴル人ですから、それはまたちょっとニュアンスが違うかなという気がします。
三橋 そこで中心になって活躍している人が、学校教育ではずっと野蛮人だと教えられて、自分が野蛮人じゃないかと思っていたけれども、もう一回、モンゴルはすごいんだと思って自分のアイデンティティを取り戻したと言っていましたから、複雑ですね。それから、漢族のほうが圧倒的な勢いでモンゴルを圧倒しているということと、モンゴル人の生活が必ず圧倒的に漢民族化している文化の中で漢民族よりも貧しいかというと、それは別のことです。だからこの問題も複雑ですね。
司会 一時間になろうとしていますので、本当は会場からもっと発言なさりたい方があったかもしれませんが、これで打ち切らせていただきたいと思います。長い時間、どうもありがとうございました。