変容するモンゴルの世界

グループを代表して

三橋 修 人間関係学部教授

 

 本日は沢山の方々にお集まりいただき、ありがとうございます。

 私どもの研究会は、『モンゴルの変容する社会と文化の諸相』という課題の共同研究をしようと、日本私学振興財団に研究資金の援助を申し込みました。幸いなことにこれに合格して、助成金を受けることが出来ました。学術振興の基金というのは大学からも出ておりますから、調査費用の出どころは、めぐりめぐって、皆さんの授業料でもあるわけです。ですから調査をやったものを皆さんにお返しする義務があるというように私たちは考えまして、きょう、この会をもつことになりました。そういう意味では単に学術調査をしてきたというのでお知らせするのではなく、私どもがいわば代表して経験してきたことを皆さんに共有していただきたいというのが、きょうの会の目的です。

 モンゴル研究の始まりは、現在、研究所がオープンしておりますが、もともとはその前に共同研究機構という教員の研究グループがありました。アジア研究・交流教員グループが一九八五年に始まり、一昨年で終わったのですが、終わるに際して、針生先生からまとまった現地調査を、という提案がありました。そこで、本学には非常勤でフフバートル先生というモンゴル人の研究者がおいでになるし、ユ先生も朝鮮民族が国をこえて各地で生活している実態を調査されているというようなこともありまして、ユ先生たちが中心になって和光大学モンゴル学術調査団が出来るようになった次第です。こういう成立事情ですから、針生先生が代表者としてふさわしいのですが、三年間の研究計画の途中で、定年を迎えられてしまうので、やむなく私が代表を引きうけた次第です。

 さて、その「モンゴル」ですが、最近ちょっと流行のようです。モンゴル人民共和国が九一年に社会主義体制を放棄し、モンゴル国となりましたので、いろいろなテレビ局が草原へ出かけていってナーダムという祭りの模様や放牧の様子を撮影して来て、番組をつくっております。草原を馬にのって疾走する少年少女のイメージは、なかなか素敵なものです。しかし中には草原をオートバイでぶっ飛ばして、草原は素晴らしいとうたいあげる番組もありました。こうなると、草原は美しいとともに牧民にとって貴重な生産の場でもあるだけに、いささか暗然たる気持ちになりました。

 こうした草原にすむ牧民たちの映像は、決して間違いではありませんが、しかし、その姿がそのままモンゴル人の姿のすべてとはいえません。さまざまな地域で、さまざまな生活の形をもって彼らは生きています。定着して稲作をやっている人たちもいるのです。ご存知のように、チンギス・ハーンの頃には、広大な地域に彼らは移動し、広がり、住みつきもしたのです。そしてその後の歴史の動きの中で政治的に国境が引かれた途端に、ある国境の内部ではマジョリティとなりますが、別のところではマイノリティになってしまいます。モンゴル国は前者の例ですし、後者の典型的な例は、中華人民共和国の場合です。国家という形で一度分断されますと、その国家の政治体制とその政策によって、彼らは別々の生活のあり方を求めざるを得ません。その中で、伝統的な生活のあり方・例えば宗教生活は、禁止の対象となったりして大きく変容をせまられます。

 私たちはこうして、政治体制とその変化に大きく関わりながら、どのように伝統的な生活を保持し、あるいは放棄しつつ、その地域の特性の中で生活を営んでいるのかを、幾層にもわたる視点をもってみてみたい、そして分散しつつなお共通性をもっているなら、そうしたものを生みだす彼らの知恵も学びたいという思いで共同研究を開始しました。

ところで、これまで「モンゴル人」といういい方をして来ましたが、そもそも「モンゴル人」と一言でいえるほど、彼らは怩かりやすい攝lびとであるのでしょうか。これも問題です。当然のことながら、一言でモンゴル族といわれる人びとの中にも、支族が存在します。となると、どこまでの範囲の人びとをモンゴル族といい得るのか、ということすら問題となって来ます。この辺りのことは、今日の報告でも触れられるはずです。恐らくみなさんのイメージの中にある「モンゴル」とは、大分かけ離れた生活をしているモンゴル人も存在していることを、今日の報告から是非知っていただきたいと思います。




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