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学科長挨拶

 歓迎の言葉

 いまから50年前の晩秋(1963年11月22日)、若きアメリカ大統領ジョン・F・ケネディは、公衆の面前で凶弾に倒れました。その衝撃的な事件は、ケネディをめぐる記憶とともにさまざまな形で伝えられていますが、巧みな言語表現者としても知られた彼が残した言葉のなかには、名言として今日まで受け継がれているものも少なくありません。

 たとえば大学における学問と自由との不可分性を評した次のような心憎い言葉があります。

「学びを伴わぬ自由はつねに危うく、自由を伴わぬ学びはつねに虚しい(“Liberty without learning is always in peril; learning without liberty is always in vain.”)。」

学問のない自由も、自由のない学問も、どちらも不十分なのです。

 学問にも自由にも限界がありません。ケネディは次のようにも言っています。

「知識が増せば増すほど、無知が明らかになる(“The greater our knowledge increases, the more our ignorance unfolds.”)。」

学問を通じて思い知る己の無知こそが、学徒としての自由の果実でもあるわけです。

 さて、21世紀の現在は、自我を備えた近代型の「個人」から、複数のキャラを使い分ける「分人」へと、〈人〉のあり方が変わりつつあるともいわれますが、「個人」であれ「分人」であれ、人が己を語るための「言葉」や、自らを知るための「物語」や、自分の可能性に迫るための「思考」がいまほど必要とされている時代はないように思われます。

 もちろん、インターネットやクラウドにはマニュアルや模範が溢れんばかりに蓄積されており、ブログやSNSといった双方向・多方向ネットワークを通じて、役に立つ情報や望ましい解答に即時にたどりつけます。不足している言葉や、求めてやまない物語や、空虚を穴埋めする思考は、ウェブからコピペによって簡単に入手できます。

 しかし、そのような情報や知識の引用──自己の外部に蓄積された言葉──だけでは語り尽くせない「思い」や「記憶」が誰にもあるはずです。自分の感情や身体を経由した「言葉」を身につけ、「物語」を獲得すること、そういう言葉や物語を紡ぎだすための「思考」を鍛えること、それこそが大学における自由な学びの目的であり、それぞれの道/未知を切り開いていくために学びとるべき自由な精神なのです。

 総合文化学科の多彩な扉は、いまみなさんの目の前に開いています。なかに踏みこんで、ともに知の迷宮への旅を進めていきましょう。 

2013年4月

総合文化学科長 余田真也

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