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教員ブログ

五輪峠と人首〜賢治の足跡を尋ねて〜

2014年10月13日

 9月21日は宮沢賢治の祥月命日です。81年前のこの日に、賢治は37年の生涯を終えたのでした。花巻市内の「賢治詩碑」(賢治が独居自炊の農耕生活と農業指導などに使った“羅須地人協会”の跡地)では毎年「賢治祭」が開かれる日です。 いつもの年なら、私はそちらに参加して賢治詩の朗読や郷土芸能(鬼剣舞や鹿(しし)踊り)を楽しむのですが、今年は知人のSさんにお誘い頂き、奥州市と遠野市の境にある「五輪峠」とその周辺をクルマで案内して頂きました。花巻から五輪峠までは山道を経ておよそ40㎞あります。
 五輪峠は「あゝこゝは/五輪の塔があるために/五輪峠といふんだな/ぼくはまた/峠がみんなで五っつあって/地輪峠水輪峠空輪峠といふのだらうと/たったいままで思ってゐた」と『春と修羅 第二集』に収められるはずだった心象スケッチ「五輪峠」に記した場所です。1924年3月24日の日付をもつ作品ですから、90年前に賢治が立った峠ということです。
 賢治はこの詩に推敲を重ねて、

五輪峠と名づけしは、
地輪水輪また火風、
(巌のむらと雪の松)
峠五つの故ならず。

ひかりうづまく黒の雲、
ほそぼそめぐる風のみち、
苔蒸す塔のかなたにて、
大野青々みぞれしぬ。

 と文語詩に書き改めており(「文語詩稿五十編」)、この詩を刻んだ碑が五輪峠に建っています。
 賢治は五輪峠周辺を歩いた際に「人首(ひとかべ)町」など複数の詩を書き残していますが、私はそれらの詩に書き付けられたことばにぴったりと合う風景の中をSさんに案内して頂いたのでした。五輪峠から遠野に抜ける舗装道路はかつては存在せず、Sさんのお父さんが村長を務めた時代に開削されたものだそうです。その道路建設の逸話もたいそう興味深いものでしたが、それ以上に驚いたのは、90年前に賢治が歩いた峠道が今なお、ほぼそのままに残っていたことでした。
 「さあ犬が吠え出したぞ/さう云っちゃ失敬だが/まづ犬の中のカルゾーだな/喇叭のやうないゝ声だ」(「丘陵地を過ぎる」)と、峠道を下る途中で賢治が犬に吠えられた集落もほぼそのまま残っており、Sさんは、現在そこにお住まいのお年寄りから、昔は何代も犬を飼っていたというお話しを聞いているそうです。
 『遠野物語』で知られる民俗学者・柳田國男も通り、俳人の河東碧梧桐も歩いた五輪峠周辺を案内して頂いた後、Sさんのお家に向かいました。途中、人首(ひとかべ)町(現在は江刺区米里)内の賢治にゆかりがある医院跡地や、郵便局跡、カトリック教会跡(1884年設立。盛岡の教会に次いで、県内二番目)などを経て、Sさんのお宅によせて頂きました。
 築百年を越す立派なお屋敷(ほんとうに大きなお家です。別棟には、昭和初期の著名な詩人で、のちに戦時中に内務省でお仕事をしていた大伯父様の残した沢山の文学雑誌や詩集、小説集、作家・詩人からの書簡が保存されています)で、奥様手作りのお料理を頂きながら、同世代のSさんと私はむかしのグループサウンズやフォークソングの事、流行歌の歌詞の文芸性についてなどなど、あれこれと楽しいお喋りの時間を過ごしましたが、それとは別に、池や築山のあるSさんのお庭に、ついこの間、ツキノワグマが現れたというお話しにはビックリしてしまいました。
 夜12時を過ぎて、帰りのクルマに乗る際、見上げた星空は本当に素晴らしいものでした。天の川がくっきりと見えたのは勿論のこと、“星だらけ”とでも言うほかない広がりを見るのは、星くずをてんこ盛りにした宇宙ナベの中に自分の頭を突っ込んでいるような感動的な体験でした(あまり詩的な表現ではありませんね)。

五輪塔(右、高さ約2.4メートル)と建立者の記念碑。

五輪峠に建つ「賢治詩碑」。

この日は五輪峠からおよそ30キロ離れている水沢(現・奥州市水沢区)方面がよく見えた。

五輪峠への旧道の一部。地元の有志の方によって整備されている。

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