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知は運命を変える
変動する中国社会における学びへの期待


加藤三由紀* 和光大学教員


――はじめに

 「知は運命を変える」、こんなキャッチフレーズを使ったコマーシャルが、中国全国ネットの中央テレビ局のゴールデンアワーに流れた。学ぶことで自らの運命を変えた人物、有名無名の老若男女四〇名を取材し、そのインタビューを一人一回六〇秒に凝縮したシリーズで、放映期間は一九九九年から一年間だったという[*1]。モノクロの記録映画ふうの映像にその人の声とキャプションが流れ、最後に「二一世紀は知の時代、知は運命を変える 長江実業・和記黄埔 皆様とともに」という色文字が映る。このキャッチフレーズは流行語となり、「インターネットは運命を変える」、「英語は運命を変える」など、これをもじった表現が出たり、各種専門学校の募集広告などにも使われている。
 著名人としては、映画監督の張芸謀、漫才師の姜昆、作家・デザイナーの楊二車娜姆、車椅子の女性作家張海迪などが出演して話題をよんだ。なかでも、張芸謀は、「人には運命があるとよくいわれるが、一九七八年、北京電影学院に合格したのが、私の一生で最も大きな運命の変わり目だった」と語り、コマーシャルのテーマを端的に表現して視聴者の関心を集めた。
 また、「わら一本、二つの運命」も、反響を呼んだ。貧しいために、姉か妹かどちらか一人、長いわらを引いた方しか小学校にやれないと母親にいわれてくじを引いた姉妹の、それぞれの運命を撮った一作である。長いわらを引き当て、翌日からかばんを持って学校に行った妹は大学生となり、「姉に子どもができたら私が学校に通わせる」と姉への負い目を涙ながらに語っている。短いわらを引いた姉は、今も籠を背負って農作業に出ている。周りの風景も服装も話し方も、全てが対照的な姉妹の姿が交互に映る。権利が保障されていない義務教育、世の不公平、大学の「威力」、知は運命を変えることの屈折した意味合いを、視聴者はどう感じ取ったのだろう。
 コマーシャルの制作期間は一年、張芸謀とコンビを組んで数々のヒット作を生み出した顧長衛が監督をつとめ、鍾阿城[*2]など映画制作で実力を示してきた二〇名ほどがスタッフに加わり、ドキュメンタリー映画を編む気構えで臨んだという。反響が大きかった理由には、一作一作の完成度の高さが考えられるが、あわせて、「知は運命を変える」というキャッチフレーズそのものに、今の中国社会に強く訴える力があったこともあげられよう。市場経済導入後、急速に変化する社会の中で、かつて教育の機会に恵まれなかった中高年層はリストラに遭い、普通高校から大学へというルートからはずれた青少年たちは就職難に直面している。貧困地区では人生の選択は限られ、都市へ向かった人びとの生活も楽ではない。コマーシャルはそんな人びとに、あなたの運命は知によって変えられるというメッセージを送った。
 この広告制作のアイデアを出して出資したのは香港の実業家李嘉誠[*3]だった。李嘉誠は、北京青年報の記者にこう語っている。
 今の中国には教育事業発展に不可欠な、知に高い価値をおく考え方が社会に定着していない、というスポンサーの見方が妥当なものか、判断はむずかしい。ただ、社会構造が大きく変わろうとしているこの時期に、このコマーシャルが大きなインパクトを持ったことは確かである。ここで演出されている知とは何なのか、知によって変えなければならない運命とは、どのようなものなのだろうか。そこにこめられた制作者の知、教育への期待とはどのようなものなのか。放映されたコマーシャルとそれを再編集した本、『知は運命を変える』[*5](以下『本』と略す)を紹介しながら、九〇年代以降の中国の知と学びにかける期待をみていきたい。
 本題に入る前に、この広告シリーズと関連の深い希望プロジェクトの概要と、九〇年代以降の中国教育改革状況とをまとめておく。

――希望プロジェクト
 基礎教育は社会の共同事業

 九〇年代はじめにも、やはり広告という方法で民間団体が教育の意義を訴えかけたことがあった。中国共産党機関誌「人民日報」(一九九一年五月二五日)に掲載された希望プロジェクトの募金広告である。中華人民共和国では初めての募金広告だったという[*6]
 希望プロジェクトとは、基礎教育を受けられない貧困地区の子どもたちに就学の機会を保障するため、中国青少年発展基金会[*7]が企画した事業で、義捐金を募り、復学を希望する小学生への奨学金支給、貧困地区の小学校建設・校舎補修、文具や教材の購入援助を進めようとするものだった。その背景には、一九八五年の「教育制度改革についての決定」公布以降、九年制義務教育の提示とともに、それまで中央政府が責任を持っていた基礎教育費を地方行政が支えることになり、地域格差が広がって貧困地区の教育財政がますます厳しくなっていく状況があった[*8]
 貧困地区の状況を報道することすら、社会の暗部を暴くことになると懸念された当時にあって、「人民日報」に広告が載ったことの宣伝効果は絶大だった。党、政府のお墨付きを頂いたことで募金活動は順調に進み、各メディアも希望プロジェクト関連の報道を流すようになる。九二年には、貧困地区に学ぶ子どもたちを撮った解海龍[*9]の一連のモノクロ写真が各紙に掲載された。その年の中国写真芸術祭では、彼の写真展に人びとが殺到し、かなりの募金を集めたという。鉛筆を手に輝く目を向ける女子生徒を撮った作品「大きな目の少女」は、希望プロジェクトの宣伝ポスターとなった。カメラマンの解海龍は、後に『知は運命を変える』シリーズの取材を受け、こう語っている。農村で、ある標語――どんなに貧しくても教育を貧しくしてはならない、どんなに苦しくても、子どもたちを苦しめてはならない――を目にし、貧しい中で必死に学ぼうとする子どもたちを写真のテーマに定め、それによって、自分自身が新しい人生を歩むようになった。
 国家の事業である義務教育の普及に、民間団体の募金活動がどれだけ効果をあげられるのか、そもそも国民の基礎教育を募金で援助しなければならないのが現実だとしたら、あまりに悲しいではないか、希望プロジェクトはこのような疑問を抱きながらスタートし、内部外部に問題を抱えながら、一〇年間に一八億元もの募金を集め、二二〇万人余りの児童に奨学金を贈った。
 希望プロジェクト発動後、未就学児童の七割ほどをしめていた女子生徒を対象に民間募金活動「春蕾計画」が生まれた。政府の事業としては、九五年に総額一一六億五〇〇〇万元を投じる「国家貧困地区義務教育プロジェクト」が始まった。一九九九年末には、九年制義務教育は八割がた達成され、小学校入学率は九九・〇九%、中途退学率〇・九〇%、中学校入学率は八八・六%、中途退学率三・二八%、中卒者の高校進学率五〇%という数字が出ている[*10]
 希望プロジェクトは実質的な成果の他に、募金運動に付随した宣伝活動で社会に大きな影響を与えた。劣悪な生活条件にもかかわらず教育に打ち込む山村教師の姿や、「学校に行きたい」と全身で訴えかける子どもたちが、ルポルタージュやドキュメンタリーで紹介された。彼らは『知は運命を変える』シリーズにも登場することになる。希望プロジェクトの発起人徐永光は、発足当初こう語ったという。「金額からすれば、希望プロジェクトは中国の教育投資としては焼け石に水、微々たるものだが、アピールしたいのは、その精神だ」。希望プロジェクトは、貧困地区の勉学への意欲を強く社会に印象づけることで、当初の目的通り、貧困地区の基礎教育保障を社会の責任とする共通認識をつくりあげた。
 二〇〇一年五月二九日『国務院基礎教育改革の発展についての決定』[*11]は、最後に次のようなまとめをつけている。

 基礎教育普及のための民間の募金活動と宣伝活動は、今も政府の基本的な教育政策に組み込まれている。『知は運命を変える』シリーズも、広い意味でこの政策に則った、企業として教育を重視する社会的雰囲気作りに貢献するものといえよう[*12]

――九〇年代以降の中国教育改革
 「受験教育から素質教育へ」

 近年、教育を語るときに必ず出てくるのが、「受験教育から素質教育へ」というスローガンである。子どもの過重な学習負担、重点学校[*13]への越境入学や高額賛助金の徴収など、大学受験合格を最終目標とする受験教育の弊害が指摘されてきた。それを正すのが素質教育であるという[*14]
 国務院副総理李嵐清が、素質教育の目的を端的に記した一文、「基礎教育の根本任務は民族全体の素質を高め基礎を固めることである」[*15]の概要を紹介しよう。

 一読して明らかなのは、国家の発展のために必要な人材ヒエラルヒーを計画的に完成させるための教育制度改革を進めようとしていることである。三好章『中等教育の現状と課題――「素質教育」の展開』[*16]の言葉を借りれば、素質教育推奨の意味は次のようにまとめられる。素質教育は、九三年の『中国教育改革および発展要綱』に始まり、九四年、全国教育工作会議で李鵬首相、李嵐清副首相、劉斌国家教育委員会委員長が提起した「三級分流」[*17]と相まって、複線型学校体系を合理的に説明し、大量の熟練労働者、中級技術者養成のための議論を正当化するものである。
 そのような政府の教育政策に対して、清華大学教授・中国青少年発展基金会副主任の秦暉は、次のように警告を発している。素質教育とは特定のイデオロギー教育などと対立する概念であり、受験教育とは成績以外の出身階級や金銭で評価を出すことと対立する概念だ、競争という圧力をそのままにしておくならば、生徒は「素質」を競うのに懸命になる、職業高校出身者に大学受験の門戸を閉ざしてしまったら、中学受験の段階で「一度の試験が一生を決める」ことになってしまう[*18]。また、職業教育に偏った教育構造では、高等教育の大衆化を望む声に応えられないという指摘もなされている[*19]。さらには、職業教育を受けてもその技術が通用する期間は短く、職業高校の卒業生も普通高校卒業生とほぼ同じ割合で、改めて職業訓練、技能教育を受けている実態から、職業高校より投資額が少なくてすむ普通高校の拡充を主張する声もある[*20]
 教育部の統計[*21]によると、九九年末で、職業高校系の学校は高校在籍者の五六・四七%を占めるが、募集者数、入学者数ともに減少、それに対して普通高校は募集者数、入学者数ともに一割以上増加している[*22]。この動向から見て、教育現場や社会の要望を無視して、六割から七割を職業高校へという政府主導の計画的人材育成のための改革を進めるならば、その妥当性が厳しく問われることになるだろう。
 素質教育という語のみをとってみれば、プラスイメージの語として広く社会に通用しており、『知は運命を変える』シリーズでもたびたび耳に入ってくる。教育の現場でも、その試みとして、楽しく学ぶことを追求する学校づくりの実践などが各地でなされている[*23]。それが結局は計画的人材育成につながるのか、それとも、提起された文脈から抜け出て新しい学びの場や学びのイメージを創っていくことになるのか、注目される。

――『知は運命を変える』シリーズ
 知への期待と知の魅力

 コマーシャルに登場する人物は、ここ数年ほどの間に新聞雑誌やテレビで紹介された中から数百人を選び、さらにスタッフの間で意見を交わし候補者に話を聞きながら絞り込んだという。そのうち、大卒以上の学歴を持つ人は半数である。男女比は女性がやや少ない。取材地は広く、チベットなど辺境にも及んでいるが、スポンサーの関係か、香港在住者の割合が高い。職業は研究者、教師、自営業者(起業家)、学生、専業主婦などさまざまだが、行政に携わる「お役人」は一人もいない。再度取材して編集した『本』には、三四人が収められている[*24]
 以下、「運命を変える=知にかける期待」に重点をおくものと、「知そのものの魅力」を伝えるものとに大まかに分け、それぞれ特徴ある作を紹介していく。

 知への期待
 (1)大学受験が変える運命
 知は運命をどのように変えるのか。最もわかりやすいケースは、冒頭に紹介した張芸謀の一編である。
 まず、「綿打ち工場の雑用係」という文字が映り、綿打ち作業の様子を撮ったフィルムに作業のしんどさを語る張芸謀の声が流れる。画面は間もなく表情豊かな張芸謀に移り、「張芸謀:有名な映画監督」という文字が入る。心の空洞を埋めるためにカメラを買い、撮影に関する本を盗んだこと、雑用係から労働組合か宣伝部の仕事に移動するのが当時の最高目標だったことなど、思い出を語るうちに張芸謀のヒット作『赤いコーリャン』のテーマソングが流れてきて、北京電影学院合格が人生最大の運命の変わり目だったと語る彼の笑顔で終わる。
 つなぎ合わされたフィルムは、「しんどい雑用係→大学合格→有名な映画監督」という道筋をすっきりと表現している。
 張芸謀の場合、出身が悪かったために職業選択の余地はほとんどなかったが、大学受験によって社会的に生まれ変わることができた。都市戸籍を持たない者も、社会的に生まれ変わるために、この道筋をたどることになる。漁の傍ら農業を営んでいた両親と姉の援助で学業を続け、大学に合格、生命科学の最先端をいく科学者となった陳章良も、その例である。彼らのフィルムは、出自による不平等と生まれ変わりに関する社会の常識を再確認するものだ。張芸謀のフィルムでは、彼の出身は触れられていない[*25]ので、最後の笑顔も屈託がない。ここでは大学受験がもたらした社会的生まれ変わりは、その人の能力の証として表現されており、受験に至るまでの不平等や、受験そのものの不公平[*26]、受験でしか社会移動できないなどの問題は、表面に現れない。陳章良の場合も同様で、故郷の海が映されても、それは彼の専門分野である生命科学へと連想がいくようになっている[*27]。けれども社会的生まれ変わりの背後にあるものは、もはや常識となっている。次のような声も、この常識を下敷きにして、このシリーズ広告を理解しているといえよう。

 (2)自ら選びなおした道
 次に紹介する二編は、高等教育を受けることで、親が決めた道とは違う自分の道を歩むきっかけをつかめるというメッセージを送っている。
 「大学が新しい命をくれた、これまでとは全く違う命を」と語る陳翠は、九〇年のアジア大会で金メダル三つ、銀メダル一つをとった体操の選手だった。五歳から一七歳まで練習に明け暮れた彼女は、学校に通う他の子どもがうらやましかった。引退後、深大学に学び「優秀卒業生」として卒業、現在は深発展銀行の香港駐在員として活躍している。
 香港に生まれた蕭芳芳は、家計を支えるために幼い頃から映画俳優の仕事をしてきた。撮影の合間をぬって家庭教師に学んだが、学校へ行きたくて、二一歳の時にようやく留学の夢をかなえた。その後、四〇代後半に大学院で心理学を学び、今はカウンセラーを主な仕事=役柄としている。『本』で紹介されている彼女の言葉には説得力がある。「自我を失った人が自分の役柄を取り戻すのを手伝ううちに、私自身も自分を見つけた。」
 (3)学び、教えることで変える運命――学生と教師
 希望プロジェクトの広告と同じく、恵まれない環境にある人びとの教育への志を強調する作が数編ある。
 張勝利は希望プロジェクト奨学生第一号だった。当時、彼の村では一三人のうちの一一人が、学校に収める雑費二〇元を払えないために学校へ行けなくなっていた。張勝利はその後上海第一師範学校へ通い、教師として故郷の村へ戻っている。ともに奨学金を受けた仲間の一人は、村の将来の役に立ちたいと畜産科を受験する予定だ。貧しい土地を変えるためには、一人二人の力ではだめだ、村の子どもたちの素質を高めなければと思い、むかしからあこがれていた教師となった。彼は村を出るために学んだのではないと言い切る。教師としての彼の希望は、山の子どもたちに外の世界、大きな町や天安門を見せてやることだ。
 僻村に生まれ苦学した李勇も教師志望である。合格した師範学校へ通うため、家財を売り払って学費を工面し、中風で寝たきりの父と町へ出て、学校の近くに間借りして父の介護をしながら学んだ。学ぶのは、顔は黄土に背は天にむけ土地を耕すだけの人生から逃れるためだと彼はいう。書物を通して外の世界を知り、未来を空想するのが楽しい。『本』には次のようなエピソードも紹介されている。メディアに採り上げられ、義捐金が集まったけれども、父が亡くなってしまい、余分なお金はいらないので、義捐金を出して苦学生のために「優秀学生奨励基金」をつくった。
 祖父の代から成人教育も含めて村の識字教育一筋に尽くしてきた馬景武の映像は、識字教育のために考案したさまざまな道具を中心に構成されている。興味深いのは、『本』で紹介している村人の識字に対する意識の変化である。五〇年代、多くの人が文字を知らない苦しみをなめてきたので、識字への意欲は非常に高く、五七年に村の識字率一〇〇%を達成できた。ところがその後、中学や高校を卒業しても村へ戻って農民をしているのを見て、勉強しても仕方がない、働いて稼いだ方が得だとみんなが考えるようになってしまったという。
 少数民族地区での共通語教育をとりあげた一編の主人公は、静かに語る女性の教員である。彼女は一九歳で高校を卒業した後、チベットの海抜四〇〇〇メートルの山村へ小学校の代用教員[*29]としてやって来た。着いて初めて途方もなく遠いところへ来てしまったとわかったが、朝早くから教室に来る子どもたちを見て、故郷へ帰りたいという思いはすっと消えてしまった。村の外に出ることがない村人たちは、共通語(漢語)を学んでも仕方がないと思っていたが、漢族の先生がめずらしくて子どもたちが通ってくるうちに、共通語ができれば山の外へ出てさまざまな技術や知識を村に持ち帰ることができるとわかり、今では期待されるようになった。
 貧困地区の教育現場をとりあげた以上の四編には、基礎教育は社会の共同事業という希望プロジェクト以来の文脈がそのまま生きている。また、教育は外界への窓とされながらも、外への移住を禁欲しているところも、貧困地区教育を語るときの決まったパターンである。
 ただ一人登場する都市の教師も紹介しておこう。教えなくてもできる子が集まる重点中学ではない、普通の学校で、中高一貫教育による「全面的に生徒の素質を高める教育実験」を試みてきた、ある数学教師が選ばれている。宿題は出さず、睡眠時間を充分とらせ、答えを教えるのではなく、考え方を教える。彼と生徒との交流を撮ったホームビデオ風の映像は、いかにもほのぼのとしている。素質教育で「本当の学力」を身につけた都市部生徒には、普通高校から大学、そして知の世界へというルートが開かれている。
 (4)強い意志と創意で変えた運命――起業家の女性たち
 シリーズに登場する起業家は、なぜか女性が多い。香港で水餃子を売りだし成功した女性の他、三人が登場する。
 中国伝統の茶文化を復活させ茶芸館(喫茶店)聚福隆を営む王兆蘭は、リストラされてからの再出発だった。学歴は高卒、三四歳でリストラにあったとき、工場は彼女にホテルの清掃員の仕事を世話してくれた。ホテルは外国人客が多かったので、仕事の傍ら英語を学んだ。英語力が認められて商品部に転属したが、またもや一時帰休となってしまった。仕事がない、その喪失感は堪えがたかった。経験と英語力を武器に求人の年齢制限を押し切って茶葉を売る商店に就職、茶葉を売るために茶文化を学ぼうと専門書を読み、間もなく独立した。チャイナ服を着てお茶を入れながら静かに語る姿に、あきらめない強靱な意志がにじみ出ている。
 上海独立純水工場の工場長となった蒋莎も、リストラ後の起業である。リストラにあった悔しさをバネに、仲間のもと女工たちと純水の生産販売業を興すが、素人商法ではうまくいかない。販売方法の講習を受け商売を学ぶことで利益が上がったというハッピーエンドだが、侮蔑の目を向けられながら頑張った時代を回想するときの、いかにも悔しい表情が強い印象を残す。
 数百名の工員を雇い数万匹のウサギを飼育するまでになった王玉梅は、農民で中卒、クラスの女子生徒の中でたった一人、退学せずに卒業まで学校に通った。成績は余りよくなかったという。就職したホテルの会議室での耳学問から、ウサギを飼おうと思い立つ。村では無学の農民が鶏やウサギを飼って成功している。人がやっていない、規模の大きな飼育を始めたところ、半数以上が死んでしまった。各地に専門家を訪ねまわり、ようやく研究者の援助で生存率一〇〇%を達成した。『本』には彼女のこんなチャレンジ精神が表現されているが、コマーシャルでは企業としての社会貢献や海外の先進技術の導入が強調され、シリーズの中では単調なつくりである。

 知の魅力
 四〇編のうち、探究者ともいうべき人を語る作が、三分の一を占めている。選ばれているのは、主に研究者である。
 学生が「水中にすむ四本足の蛇」を酒瓶に入れて持ってきた。それこそ、一〇〇年以上も棲息が確認されなかった新彊キタサンショウウオであった。王秀玲教授は生きたキタサンショウウオを求めて新彊の高地へむかい、渓流の石の下にそれを発見した。以後、王秀玲はその研究に没頭し、人工養殖に成功、絶滅の危機に瀕しているキタサンショウウオの保護を行政に働きかけるなど、キタサンショウウオのために生きてきた。初めて発見した時の感動を語る彼女の表情と、キタサンショウウオの愛らしい姿、新彊の自然を撮った映像が優れている。
 生命の起源を探る趙玉芬の一編も、魅力的に仕上がっている。卵とひよこと鶏の動画に「なぜ? なぜ?」と文字が出、たたみかけるように問いを放つ彼女の口調と合わさって、問いかけることのおもしろさを巧みに伝える。
 一三七名を乗せた旅客機が無事緊急着陸するまでを再構成して、緊迫した息詰まる映像を見せた異色の一編は、緊急着陸を地上指揮した中国東方航空の周礼国を撮ったフィルムである。そこには、日常の探究、知識の集積が一瞬の判断に結実することが、見事に表現されている。交雑育種法で収量の格段に高い水稲を生み出し、来世紀には一六億ともいわれる人口を抱える中国の食糧問題の解決(=民族の運命を変える)に貢献した袁隆平の成功も、偶然のチャンスをとらえるだけの知識の集積がなければありえなかった。
 生命科学、地質学、農学、動物学、数学……チベット語のユニコード化に取り組むチベット大学教授が理系と文系の境界にある他は、研究の醍醐味を語るのは理系の研究者ばかり、科学=理系重視の社会的風潮がそのまま映し出されているようだ。
 最後に、飛行機で空を飛ぶことを夢見る農民の一編を紹介したい。天に背を向け耕すばかりの農民だって、空から自分の世界を見てみたい、そんな思いで自家製飛行機を作り始めた周尚元である。試作を重ねて三度目にようやく三メートルの高さまで飛んだ。浮いた飛行機を、目を丸くして見つめながらよちよち歩く幼児の映像が演出効果を高めている。大仰な人類の発展などとは無縁の、無用の知のさわやかさと、「農民」飛行家の刻印の切なさとを同時に感じさせる一編である。

――おわりに
 知も運命を変えられないとき

 学びにかけられた最も一般的な期待は、学歴による社会的地位の獲得や自己実現だろう。大学進学から研究職、専門職へ進むことが、社会的生まれ変わりや自己実現に直結する。このルートはわかりやすい。このコマーシャルシリーズは、学歴が運命を変えるという社会通念を一方でなぞりながら、そこからはずれた人びとの学びの姿勢と成功をも見せている。不断の努力で学び続ける女性起業家たちに我が身を重ね合わせた視聴者も少なくなかっただろう。だが、その学びは、教育システムからはずれた、自分の力で開拓しなければならない困難な営みであり、成功の保証はない。次の声は、そのことをあからさまに言い表している。

 では、学歴が運命を変えられなかったら、どうなるのか。大学の卒業証書は公平だと信じ、それだけに期待をかける人びと[*32]に対して、人民日報に寄せられたある声が、こんな警告をしている。

 この声は、「多くの社会問題」について説明をしていないが、大学生が就職活動で戸籍による差別を受けることをその一つにあげられよう。さらに、これからの中国社会で学歴が持つ重みが変わってくることを予想しているようでもある。
 ここでとり上げた二つの声は、コマーシャルを見た直接の反応ではなく、一連のコマーシャルが契機となって社会に醸し出された知や運命についてのイメージに対する疑念である。コマーシャルそのものも、一作一作をとってみれば、感動もし励ましも得られるシリーズだが、登場人物に同化できないものを感じれば、当然、そのような知で運命は変えられないという反応が出てくるだろう。
 コマーシャルには、人口の多くを占める工場労働者、職人、農民が、本業では一人も登場しない。インターネットで村を観光地として成功させた村長の息子や、伐採王から環境保護に目覚めて植樹王になった老人は出てくるが、特殊なケースでしかない。先に引用した李嵐清のいう「大量の素質のよい一般労働者」にとって、知とは、学ぶこととはどういうことなのか、見えてこない。というより、それに甘んじない人びとを選んでいる。それは、エリート志向であると同時に、ある文脈の中での「大量の素質のよい一般労働者」という発想そのものに対する嫌悪によるのかもしれない。
 また、一人一作という基本設定から明らかなように、このシリーズは個人を核とする。コマーシャルが描くのは個人の学びであり、共同の学びの場はとらえていない。これまで見てきたように、教育現場を撮っても教員集団の力は描かれないし、企業や研究も成功した個人の力を強調する。だから、自立した個は、時に孤立した個に映る。
 たとえば、重い障害のため学校に通えない孫娘に代わって授業を受け、毎日その日の授業内容を孫に教える祖母がいる。そのがんばりは感動的だが、それでよしと受け止めにくいものがある。本来、行政がすべき仕事をこれからも個人が担い続けるのが、知の営みであるかのごとく描かれているからだ。
 また、自閉症と診断され、発達は見込めないと医者に言い渡された息子のために、自閉症の子どもたちのための教育研究所を創った田恵平を撮った一編は、親子を支える人びとの姿が全く見えない。彼女が民間企業として創設した星星雨教育研究所は、他の資料でも田恵平が独自のやり方で立ち上げた「個性的」な組織として紹介されており、行政に頼らない自立した個というイメージ作りは、あるいはこのコマーシャルだけの戦略ではないのかもしれない。
 「私たちは、貧乏人が金持ちのやることを、個人が政府のやることをやっている。これが、我々が直面している最も基本的な矛盾だ」。コマーシャルでは環境保護の文脈だけでとらえられている「砂漠がオアシスに」の王明海[*35]の、こんな言葉を『本』は載せている。基礎教育、環境保護といった政府が責任を持つべき事業を、一部にせよ、個人、“社会”が肩代わりしている。そのことを、『本』の編集者は、またコマーシャルの制作者も、表現の端々に臭わせている。
 「知は運命を変える」と言ったとたん、さまざまな社会問題に引っかかる。それに正面から向きあわない以上、独力で現状を変えようとする個々人の奮闘に期待をかけるしかない。あるいは、そこから新しい社会のあり方が見えてくるだろうか。



*かとう・みゆき
 近代のさまざまな矛盾を表現している中国の農村を描いたテキストに関心を持っている。和光大学表現学部文学科で「同時代の中国文学」「中国語の世界」などを担当。

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[*1] 注の画像へ

[*2] 鍾阿城(一九四九年〜)は、阿城のペンネームで話題作「棋王」(八四年)「孩子王」(八五年)「樹王」(八五年)など中編小説や、文語調の短編小説、エッセイを発表している。陳凱歌監督の映画「孩子王」(八七年)では原作者として脚本を担当した。映画は小説の「孩子王」と「樹王」を下敷きに作成され、文化大革命期の山村の学校を舞台に、学校教育、ひいては識字教育そのものの暴力性や文明の野蛮を暗示した作としても注目される。

[*3] 一九二八年生まれ、自ら創業した長江実業グループと英国から買収した和記黄埔社を率いる。

[*4]  李嘉誠の経歴は主に長江実業のHPによる。北京青年報の記事は*1参照。

[*5] *1参照、附録に広告映像を収めたディスク。

[*6] 注の画像へ

[*7] 一九八九年設立、中国共産主義青年団を後ろ盾とする。

[*8] 李洵「生産責任制の実施と教育資金の調達――中国農村部の初等教育を中心に」(『中国研究月報』、一九九六年7/8合併号)参照。

[*9] 「中国青年報」記者。

[*10] 教育部「一九九九年全国教育事業発展統計公報」(『中国教育報』、二〇〇〇年五月三〇日原載、『新華文摘』二〇〇〇年九期転載による)

[*11] 注の画像へ

[*12] なお、この「決定」で注目されているのは、貧困地区家庭の経済困難な小中学生を対象とする教科書無償配布制度の試験的実施を初めてうたったことである。

[*13] 教育資金を集中し高度な教育を行なう実質的な進学校。

[*14] 受験教育の原語は「応試教育」。「素質教育」は、今のところ日本では、資質教育もしくは素養教育と訳されることが多いが、イメージにずれがあるので、ここでは原語の「素質教育」をそのまま使う。

[*15] 「光明日報」一九九七年六月二〇日。

[*16] 小島麗逸、鄭新培編著『中国教育の発展と矛盾』(御茶の水書房、二〇〇一年七月)所収。

[*17] 小・中・高各段階における進路の分岐。

[*18] 注の画像へ

[*19] 注の画像へ

[*20] 蕭今「中国教育体制面臨的挑戦」(『二十一世紀』二〇〇一年四月号)

[*21] 二〇〇〇年五月二九日。

[*22] [*6]参照。

[*23] 日本での具体的な紹介に、平成七〜九年度科学研究費補助金研究成果報告書研究代表者阿部洋『現代中国における教育の普及と向上に関する実証的研究――江蘇省の場合を中心に』(平成一〇年三月)、平成九〜一一年度科学研究費補助金研究成果報告書研究代表者阿部洋『「改革・開放」下中国における農村教育の動態――日本との比較の視点に立って』(平成一二年三月)がある。

[*24] 一〇〇歳の老人が見てきた中国の変化をたどるものや、科学的な地質調査と測量技術で枯れない井戸の開削に成功した村の声を集めたものなど、再取材が難しいものが省かれているようだ。

[*25] 『本』では明記されている。

[*26] 居住地による合格ラインの差など。

[*27] 『本』では、学校へ行かせてくれた両親と二人の姉への感謝が記されている。

[*28] 「中国戸籍制度悄悄改革」(『解放日報』二〇〇一年九月七日、インターネット版による)

[*29] 行政が給与を保証せず、村人が給与を払う。

[*30] ここでの知は探究心、引用者注。

[*31] 注の画像へ(新浪網http://edu.sina.com)

[*32] 受験生と受験生の親、とりわけ、子どもが受験の年齢になろうとしている、文革で農村に移住しそのまま残留したかつての知識青年。

[*33] ここでの知は学歴、引用者注。

[*34] 注の画像へ(人民網http://www.qglt.com網友之声)

[*35] 羊毛会社社長。

[*18][*11][*6][*1]
[*34][*31][*19]


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