ディスカッション

山根 聡 大阪外国語大学助教授 江川ひかり 本学兼任講師

松枝 到 人間関係学部教授 澁谷利雄 人間関係学部教授/司会

 

司会 それでは、ディスカッションを始めたいと思います。

 皆様方から広くご質問、ご意見をいただいた上で、こちらで答えられることは答え、また、きょうはいろいろな専門の方がおいでのようですので、参会者の方からお答えをいただいてもいいかと思います。

 それでは、先ほど講演のなかで受け取りきれなかったご質問もあるようですので、ご質問やご意見のある方は挙手していただきたいと思います。

参会者 松枝先生にお伺いします。

 クルド人がいろいろな国に分散して、長い歴史を経ているのに、クルド人として存在しているということは、血の純潔というようなことを強調していたのでしょうか。普通いろいろな民族との雑婚が起こると考えられますが、その点はいかがでしょうか。

松枝 現実にはかなり混血といいますか、さまざまな民族との間の婚姻関係が進んでいると思いますが、ある意味では排除される側ですので、その中でかえって文化的なもの、習慣的なもの、あるいは伝統的なものを非常に強固に持ち続けたと想像されます。

 はっきりとクルド人という名前が出てくる段階までに相当混血があった、あるいは、特定の民族に別の民族が入ってきた結果、特殊な集団化したのであろうという説もありますし、現実に混血は進んでいると思います。

 特にトルコでは、先ほど申しましたように山岳トルコ民族としてトルコ化しようという動きがあり、一時はその政策がかなり進んでいたと聞きます。いまクルドを自称する人びとが増えていますが、これもボスニア・ヘルツェゴヴィナと同じで、一種の自己申告制のようなものです。

 都市では非常に微妙な事情もありますが、イスタンブールに行っても、クルド人は服装ですぐわかります。そういう民族的な服装をしている限り、私はクルド人だと言っているわけですから、むしろ被抑圧民族としての裏返しの強調があります。

 現実に血統としてどうなのか、はっきりはわかりませんが、血が一滴でも混じっていればクルド人なのだという意識もあるかと思います。私は状況がよくわかりませんが、かなり進んでいると思います。

参会者 嫌われている面のほうが強いんでしょうか。

松枝 それはもう蛇蝎のごとく……。国によって違いますが、トルコ、イラン、イラクというところでは少数民族というわけではなくて大勢力ですから、かなりの数がいますが、それでも国家を持たない、あるいは制度的に差別されていますので、もちろん嫌われています。

 また、旧ソ連、パキスタンの一部、それからヨーロッパにかなりの数のクルド人がいます。ドイツなどに大変多いのですが、ドイツでは最底辺の仕事をしている例がほとんどです。そういう意味では差別的な感覚はついてまわるものですから、おおむね厳しい生活を強いられていることは確かです。

参会者 私がドイツにいましたとき、近所にクルド人が住んでいましたが、特別そういう差別はなかったし、わりと清潔な生活をしていて、嫌われることはあまりなかったように思うんですが。

松枝 ドイツにいるトルコ人全体がある種の最下層労働者を形成していて、クルド人などは、またその中の最下層になっています。もちろんすべての人びとがそうではなくて、かなりインテリゲンチャのクルド人の留学生などもいます。

 ドイツで『最も下の世界』という本が出版され、日本では『最底辺』というタイトルで岩波書店から翻訳が出ています。ドイツ人ジャーナリストがトルコ人に扮し、ドイツのトルコ人世界に入ってルポルタージュした本ですが、下から覗き見るとかなり抑圧されているという感覚のようです。ましてクルド人なら、なおさらではないでしょうか。

参会者 今は過激派が三グループに分かれて争っているという話ですが、クルドの底流に、たとえばユダヤのシオニズムのような動きはないのですか。

松枝 クルド人は宗教的に必ずしも一枚岩ではありません。それから、言語的に三言語あると申しましたけれども、中に大きく二つのグループがあります。それから、西と東のクルド族で風習などがかなり違うということもあって、むしろ一枚岩的な民族運動をどうつくっていくかということのほうが彼らにとって問題でしょう。

 シオニズムの場合には、大きな聖典と長年培った信仰がありますが、クルド人にはありません。現実にはかなりのクルド人グループがあって、それらをきちんとまとめていくことは現状では困難です。非常に過激なグループも極めて穏健なグループもいますし、あるいは、解放主義者たちから言わせれば癒着なんですが、イラン政府、イラク政府、トルコ政府に、国家の運動に参加しているクルド人も当然いるわけです。

 ですから、なかなか一つのイメージで、一枚岩的にはとらえられないと思います。

参会者 ユダヤの場合、決して社会の下層ではないですね。知的にも優秀で、金持ちもおりますし、そういう違いが大きいのですか。

松枝 単純に語ることは難しいのですが、ユダヤの人びとの持っている連帯の底には、神を一つに抱いている世界の中での一体感があると思います。また、ユダヤ人についても経済的な成功者はほんの一握りで、大多数のユダヤ系の人びとは貧しい場合が多いと聞いています。でも世界観では、やはり一体観が強くあるのでしょう。しかし、クルド人の世界観は必ずしも一つではありません。

 それと、軍事的抑圧をかなり長く受けている経緯があります。また、彼らの住む世界は山の中での遊牧とか、そういう空間ですから、ユダヤの世界とは違います。ユダヤのように、都市社会に浸透していくという歴史はあまり持っていない。都市社会の中では少数派であるということがあります。

 これは余談なんですけれども、サダム・フセインという人の「サダム」というのは、先ほど申し上げたサラディンの名前から由来しています。「サラディンのように勇敢な子」という名前の由来を知っていて、彼がどうしてクルド人を殺したのかという複雑な思いがあります。ところがサダム・フセインは、ユダヤの民をイスラエルからバビロンに連れていった、「バビロン捕囚」を行なったネブカドネツァルという古代の王がかれの理想像のようですから、そういう意味では、歴史的な問題としてのユダヤ人問題、クルド問題、あるいは中東のさまざまな問題は、すべてリンクしていると考えられます。

 一部のクルドの過激な政党はパレスチナと連帯していますから、関係がないわけではありませんが、クルドは、たとえば反ユダヤといったようなことを今、公に表明はしておりません。そこはむしろ自分自身の問題のほうが最優先であるということだと思います。

参会者 お三方の講演、ありがとうございました。ずっとよくわからなかったことを考えてみましたら、三つの地域に共通しているのはイスラームだということだと思ったのですが、私どもはイスラームになじみがないもので、イスラームの基本とはどういうことか、それとこの地域の紛争との関連はどうなっているかということが、お三方にお聞きしたい第一点です。

 第二点は、日本はイスラームとどう付き合っていけばいいのか。日本から考えるということで、その辺の基本的なところを、三地域について教えていただければありがたいのですが。

山根 ではまず、アフガニスタンについて申し上げます。

 先ほどの説明のさいに、伝統的なイスラームと原理主義という言い方をしましたが、イスラームとは唯一の神であるアッラーに帰依する、アッラーの教えに従うことです。

 ですからイスラームでは、キリスト教もユダヤ教もみなアッラーからの啓示を受けていることになります。ムハンマド、つまりマホメットが、預言者としては一番最後に出ている。預言者とは予言者ではなく、神の言葉を預かった人という意味ですが、預言者ムハンマドが神の啓示を最後に受けている。

 神の教えに従う者、これがムスリム、つまりイスラーム教徒のことですが、この人たちの社会の理想は、ウンマというイスラームの共同体、ムスリムによる共同体です。

 ムスリムの見方では世界が二つに分かれていまして、一つはムスリムたちでつくる世界、もう一つはムスリムがいなくて戦争が起こっているところ、となります。ムスリムの目的としては、イスラームの世界を広げて、戦争の地にもイスラームを広めることなのです。

 まず、伝統的なイスラームについて話しますが、七世紀ごろにイスラームがはじまり、いろいろな思想家が出てきました。その中に神秘主義者といわれる人やある奇跡を起こした人とか、その地域での聖者のような人が出てくるわけです。天神様のような感じなんですが、そういう人たちを祀り、その偉業を讃えることによって、その人の持っていた力を授かるという信仰形態をとった人もいるわけです。

 アフガニスタンの伝統的なイスラームの中にはこの形態が多くて、特に南部あたりの名士、有力者たちが、その神秘的な力、バラカと言いますが、力を授かっているという人がいて、その人の教えを受けるという伝統が残っています。その人の解釈、言葉を連綿と語り継いでいくという信仰形態があります。

 これに対して、原理主義というのは、後に出てきた人たちの言葉ではなくて、アッラーからムハンマドに直接啓示された教えに帰るべきだ、それこそが本来のムスリムであるという考え方です。

 そして、たとえばソビエト寄りの政権になると、共産主義の影響で、神を否定する問題が出てきた。ムスリムにとってそれは容認できないことですから、そこから反共産主義などの活動に動いていくわけです。

 この動きの中で生まれてきたイスラームの思想は、伝統的なものとは違って、よりピュアなものに帰ろうという、復興主義的な、イスラームを復興させようとするもので、それが政治的なイデオロギーとして用いられていくことになるのです。これがアフガニスタンの現在の宗教の状況です。

 日本がイスラームとどうかかわったらいいのかということですが、私はだれが何を信じていようが自由だと思っていますが、たとえば現実的な面で言うと、お酒が飲めないとか、女性が自由に活動できないとか、日本人はイスラームをそう考えてしまうのですね。

 しかしトルコなどを見ますと、最近ちょっと変わっているかもしれませんが、自由にお酒を飲めるわけです。パキスタンでもある時期まではお酒を自由に飲めていた。だから、イスラームだからこうであると一概に決めつけてしまうのはよくないのではないか。

 日本とイスラームとのかかわり方においては、まずイスラームに対する、これまで我々が抱いてきたイメージを、もう一回考え直すべきであろうと思います。

 先ほど申し上げた、たとえばターリバーンという集団は、女性の自由を拘束して、テレビも見せないような連中であるというイメージだけで言ってしまいがちですが、彼らは、場合によっては判断をいろいろ変える用意があるわけです。そこに我々がどうかかわるかが課題で、最初からターリバーンは我々が説得しても通じない人たちだとは考えないほうがいいと思います。むしろターリバーンとうまく接触していくためには、我々の持っているイスラームに対する偏見を捨てるべきではないかと思います。

 実際にカンダハールでターリバーンと会いましたが、中には酒はないかと言ってくるのもいるわけです。ひょっとしたら彼らに試されたのかもしれませんが、要するにターリバーンがこうであると断言するのは難しい。

 ですから、イスラームはこうであると、今まで持っているイメージだけでステレオタイプ化してしまうのはよくないのではないかと、私は思います。あまり答えになってないかもしれませんが。

参会者 ステレオタイプというお話をされましたが、ターリバーンがいずれしっかりした国家という形にしていくときに、たとえばイスラーム法、シャリーアとかファトワーを根拠にして国づくりをしていくことになると思うのです。

 そうなっていくと、たとえばそういう状況でつくられた国と、政教分離ということで、一応、宗教というものを分離することを国是としているトルコのような国などとは。同じにはならないのではないでしょうか。

山根 たとえばサウジアラビアの場合でも、法律すべてがシャリーアであるわけではなくて、イギリスの法律などをかなり組み入れています。刑法などでは確かにシャリーアに基づいた判断がなされるかもしれませんが、すべてがすべてイスラーム法の解釈でなされるかというと、仮にターリバーンが法律をつくる段階に至ったときには、必ず外からの助言が出てくると思います。

 と言いますのは、暫定政府が一九九六年九月にできたときに、即刻、パキスタンのウラマー党という政党の代表が、我々は憲法を改正するのに援助をする用意があるという発言をしています。ですから、そういう外からの助言を得るときに、誰の助言を得るかがおそらく問題になってくると思うのです。

 ちょっと話は飛びますが、たとえばドーストムというのも、最初はあまり政治的なグループではなかったのですが、国連の人や外交団と会っているうちに、だんだん知恵を付けていくといいますか、政治的な話ができるようになってくる。そういうプロセスが、ドーストムの政治化につながったと思います。

 ですから、現在の問題としては、ターリバーンがどういう国と、どういうグループと、あるいはどういう人たちと接触していくか、それによって彼らが進む方向が大きく変わると思うのです。法律をつくる段階においても、だれが、どこが助言するかということが、今後のターリバーンの体制の方向づけの中で大きな要因になると思います。

江川 旧ユーゴにおけるイスラームということをお答えします。

 先ほどお話ししましたように、旧ユーゴにおいてはオスマンの支配によってイスラーム化が進んでいき、現在は、ボスニア・ヘルツェゴヴィナにイスラーム教徒が非常に多く住んでいる状況になっています。

 オスマンの支配以前は、ここがローマとの境界線であり、もともとは東側がキリスト教の正教の世界で、西側はカトリックの世界であったわけですが、そこにオスマンの支配の過程でイスラームが入っていきました。ですから、ここはもともとキリスト教の世界の狭間で、信仰の希薄な地域であったという重要な指摘がなされています。

 現代に入ってユーゴスラヴィアという国をつくってからも、もともと深い信仰に基づいているわけではないということが指摘されています。ボスニアのイスラーム化が進んでいく過程でも、たとえば、イスラーム教徒がマリア様を拝んでいる、カトリックの人も拝んでいる、正教の人もそのマリア様を拝んでいる事例があります。

 また一方では、病気になったカトリック教徒が、イスラームのお坊さんにまじないをしてもらって病気を治そうとしたという例が報告されています。そういう意味では、ユーゴスラヴィアという地域は宗教的には非常に希薄で、もともとユーゴスラヴィアという地域には、むしろ土着の信仰のような形でわりと何にでも転換できるような信仰の土壌があったということが指摘されています。

 ボスニアのイスラーム化が進み、ムスリム人という民族概念がつくられたお話をしましたが、彼らはもともと南スラブの民族でした。しかし正教を信じるセルビア人、そしてカトリックを信ずるクロアチア人、スロヴェニア人が、自分たちのアイデンティティを民族として主張していく段階で、スラブ系のムスリムもアイデンティティを求めたために、結局それが宗教としてのイスラームに自分たちが帰属するしかないということになって、ムスリム人という概念がつくられたわけです。

 ボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争の過程においても、ボスニア・ヘルツェゴヴィナのなかにもクロアチア人とセルビア人がいて、そしてムスリム人がいるわけです。そうすると、クロアチア人にはクロアチア共和国が、セルビア人にはセルビア共和国が支援をするけれども、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ内のムスリムを、国境を接して支援するムスリムの国はありません。ですから、ムスリムの人たちを誰が助けるのかということになって、イスラーム諸国がここについてくるわけです。そして、さらにボスニア・ヘルツェゴヴィナの多民族性が大事だと主張するアメリカがこちらについたわけです。

 そういった意味では、現在、非常に政治的な環境の中にイスラーム教徒が置かれていると考えています。ですから、信仰というよりは、むしろ政治的なアイデンティティのような形で考えられていると思います。答えになっていますでしょうか。

参会者 イスラームの原理的なものに、たとえば戦争を容認をするとか、人を殺してもいいとかという考えがあるので、各地でそういう紛争が起こるのかどうか。そういうことはありませんか。

松枝 それはまったくございません。イスラーム教徒の一つのイメージとして、右手にコーラン、左手に剣、というきまり文句がありますが、コーランにそんなことは一切書いてありません。これは西洋人の描いたイスラーム教徒のイメージです。

 カトリック、あるいはキリスト教徒とイスラームとの戦いが、たとえば十字軍などを通じてイメージされていますが、少し説明させてください。

 キリスト教の時代が長く続くなか、七世紀にムハンマドが、「私は、ユダヤ教、キリスト教と続いた一連の神の言葉、ただ一人おられる神の言葉を最後に聞いた預言者なんだ」と啓示を受けます。ですから、コーランのなかには当然モーセが出てきます。モーセ、アブラハム、イエス、ムハンマドという順なのです。

 私があるアフガニスタン人に、学生にコーランを教えるには何を読ませるのがいいだろうかと聞きましたら、「モーセ五書」を読ませなさいと言われました。もちろん彼はイスラーム教徒です。創世記、出エジプト記と続く、旧約聖書の最初の五冊、これが「モーセ五書」です。

 初期のコーランには教友という言葉がありますが、それはユダヤ教徒とキリスト教徒をさします。イスラーム教徒にとってユダヤ教徒、キリスト教徒は先輩なんです。彼らは先輩だけれども、ムハンマドが最後の預言を聞いたのだから、ある意味でこの預言者は最新情報で、これが最後だと言うのだから、最終情報でもあるというわけです。

 そういう意味では、イスラームとキリストとユダヤという三つの宗教は、渾然一体としたものでもあって、必ずしも互いに好戦的なことを書いてあるわけではありません。ほとんどは空想的なイメージです。

 ただ、一つ問題があって、ユダヤ教というのは民族宗教、つまりユダヤの民の宗教です。ところがキリスト教とイスラーム教は世界宗教で、つまりムハマンドがアラビア人であろうが何人であろうが、中国にもアメリカにもアフリカにもかなりのイスラーム教徒がいるわけです。日本にもかなりイスラーム教徒がふえてきました。そういう意味では、世界宗教であるものと民族宗教であることの差はあります。

 私が言うのは変ですが、ボスニア・ヘルツェゴヴィナでムスリムの人びとが攻撃を受けて、なぜ攻撃されるのかと考え、そのとき生まれて初めてコーランを読んだというような人びとがいるのです。

 あるいは、彼らに自覚を促すために、イスラーム世界から戦士がやってきた。確証はありませんが、たとえばアフガニスタンのゲリラが指導者として来たともいわれますが、彼らは武器を教えたのではなくてコーランを教えた、そうも聞いています。

 その意味では、カトリックなどよりもイスラームのほうが、はるかに寛容な宗教だと私は思います。ボスニアの過去の歴史で、オスマン帝国の中でも強制的に宗教を改宗させるということは一切なかった。もちろん国家同士ですから、戦争を仕掛けるというより、領土拡張ということはありますが、宗教を理由にした領土拡張はほとんどありません。

 ただ、あくまで悪意にみちたイメージはありますし、たとえばイランといえば原理主義という名前がついてまわりますが、それにもいろいろなレベルがあります。

 クルド人の話で言えば、ほとんどスンナ派ですが、一方にはシーア派という宗派があります。シーア派というのは、ムハンマド直系のアリーという人が暗殺されて、それで家系が途絶えてしまったのですが、その人の道を続けていこうと考えるグループです。これをシーアット・アリー、アリーの道という意味の言葉で呼び、そこからシーア派と言うわけです。これがイランのイスラームの中核をなしています。ですから、かなり大きな違いがあります。

 クルド人のなかにも若干シーア派がいますが、これはほとんどイラン・クルドです。イランに住むクルド人のある程度の数がシーア派です。

 ただ、クルド人問題に関しては、あまり宗教は問題になりません。宗教は直接の問題ではありません。宗教の話であれば、クルド人であれ、トルコ人であれ、アフガニスタン人であれ、イラン人であれ、同じように話ができます。

 彼らの問題は自分の土地がないということです。しばしば宗教という言葉のほうが前面に出てしまって、むしろ問題の拡散に利用されているという側面がありますが、現実に彼らがイスラームだから戦争をしているわけではありません。むしろ、イスラームに固有の問題のほうが今までいかに無視されてきたかということであって、我々が知れば知るほど、なぜ彼らのところばかり戦争があるのだろうかという疑問が重要になってくるわけです。

 ですから、たとえばインドネシアなどもイスラーム人口の多い国家で、世界で最もイスラームの人口密度が高いのは東南アジアで、中東ではありません。湾岸戦争期に何度もメディアに出てきたイラクの当時の外務大臣がいましたが、彼はキリスト教徒です。そういうこともこの機会に学んでいただければ、と思います。

参会者 今、世界的にイスラームだけが唯一、どんどん広がっていますね。人口もふえているし、アフリカなどにも……。

松枝 なかなか人口統計ではつかめない。誰が何の宗教を持っているかという統計はわかりませんが、最近では、仏教徒などもふえています。

渋谷 何教徒であるというのは、時々難しいこともあると思います。外から見るとイスラーム教徒のように見えても、インドなどではヒンドゥー神殿に行ったりとか、そういうこともしばしばあります。それから、本人たちは何教徒とか何宗教という、そういう意識がない場合もかなりあるのではないでしょうか。ですから、その辺はすっぱり分けられないと思います。

 ちなみに、日本人の私たちも何教徒という意識があまりない人が多くて、ただ、外から見ると日本人は宗教をやっているように見えるかと思いますが。

参会者 西南アジアの勉強をしていますので、アフガニスタンに大変興味があります。きょうはアフガニスタンの問題にかかわっていらっしゃった山根先生に伺ってみたいことがありますので、よろしくお願いいたします。

 事実関係につきましては、先ほどのご発表でよく理解できましたが、問題は、今後アフガニスタンがどうなるのか、また、どのようにすべきであるのかということかなと思っています。

 先生のご発表の中にもありましたが、アフガニスタンの問題は、まさしく冷戦の落とし子というか、冷戦というものの中から生まれてきたような側面が多分にあります。現在では、それに周辺国の経済的な利害、あるいは政治的な利害というようなものが絡んで、アフガニスタンの問題がアフガニスタンだけではとても解決できない。たとえばターリバーンの問題にしても、パキスタンがそれを生み出したというようなことが盛んに言われています。

 簡単で結構ですが、一つは、国連を中心とした働きかけというものが、そういう面でどのように行なわれてきて、今どうなっているのかをお聞きしたい。私がその中で知りたいのは、国連およびアフガニスタンをめぐる周辺国が、アフガニスタンという国をどんなふうにしたいのか。戦争を終わらせるということがもっとも大きな問題ですが、戦争が終結した後、どんな国をつくるのか。一番知りたいのは、国連がどういうビジョンを持ってアフガニスタンの問題に取り組んできたか、また今後取り組んでいこうとしているのかということについて、先生のご経験からお話をいただけたらと思います。

山根 ご質問、どうもありがとうございます。

 今後どうなるかということが予測できたらいいのですが、はっきり言ってどうなるかわかりません。

 それから、国連は紛争の調停に取り組んでいると思うのです。国をどうこうしようというのは、内政干渉というか、アフガニスタン人に失礼な気がします。どういう国をつくるかは、おそらくアフガニスタン人自身が決めることだと私は思っています。それに向けてまず内戦を終結させること、紛争を終結させることに国連は労力を費やしていると思います。私はそうあるべきだと思っています。

 周辺国の場合はそうではありません。紛争の調停に乗り出しているという大義名分の下で、実際はそれぞれの国の利害関係に合うような国家づくりを望んでいる。

 たとえばパキスタンの場合ですと、アフガニスタンの中を貫いて、中央アジアとの大きな経済ルートをつくりたい、経済圏を構築したい、といった意図があります。イランにとっては、アフガニスタンの国内にいるシーア派のグループの権限を守りながら、同時に親イラン系の政権ができてほしいと願うでしょうし、中央アジアの国々も、ターリバーンが目指そうとしているイスラーム国家の建設というものを望んではいません。むしろトルクメニスタンあたりは、おそらくもう少し世俗的なものを望んでいると思います。

 では、彼らは今後どうしたらいいのかということですけれども、はっきりとはわかりませんが、先ほどおっしゃった、冷戦が終わった後こういう問題が出てきたということを考えますと、彼らアフガニスタン人のアイデンティティの問題がかかわってくると思います。

 我々もそうですが、いわゆるアイデンティティが重層的になっているのです。

 たとえば自分でターリバーンだと思っている、私はターリバーンだと言っているけれども、同時に私はパシュトゥーン人でもあり,アフガニスタン人でもある。そしてムスリムでもある。

 そうすると、その人はアイデンティティのいろいろなところを動いているわけです。たとえば私がターリバーンだというときには、反ターリバーンの連中と対立するわけですが、ターリバーンのグループだった人とラッバーニー派とかヘクマティヤール派の人たちがイスラマバードで会うと、手をつないだりするわけです。それから、パシュトゥーン人とタジク人とは、アフガニスタンの国内だとけんかをするかもしれませんが、アフガニスタン難民同士となると、パキスタンの国内では、おれたちはパキスタン人にいじめられていると、一緒になってパキスタンの悪口を言っているわけです。

 同時に、ムスリムというアイデンティティもありますが、これによってアラブの連中が加担している。

 冷戦構造のときには、これらのアイデンティティのほとんどが隠れていて、ソビエトに対して、彼らの中でアフガニスタン人という意識が共通して、そのアイデンティティのレベルのところでソビエトと戦ったと考えられます。

 おそらくはアイデンティティのこういうところを行ったり来たりしているのでしょう。だからアフガニスタンがまとまるためには、すべてのアイデンティティの中の共通するところを探すしかないような気がします。

 たとえばシンガポールですと、インド系のヒンドゥーもいれば、ムスリムもいれば、クリスチャンもいれば、中国系もいる。小国家だからできたのかもしれませんが、宗教や民族を超えたところに都市の法律があって、ムスリムであろうがヒンドゥーであろうが、つばを吐いたら罰金というように、すべてを超えたところに法律というものが歴然とあります。それによって国家というものが成り立っている。

 だから、解決の方法としては、民族とか何とかを超えたところにある体制を構築しないとだめではないか。ただ、我々は助言はできても、それ以上干渉すると、アフガニスタン人たちがかえって反感を持つ可能性がありますから、そこはなかなか難しいだろうと思います。

 お答えになったかどうか……。

参会者 そうしますと、国連が今、アフガニスタンについてやろうとしていることは、まず停戦させることであって、そこから先に何かビジョンをもって進むところまではいかないという理解になるのでしょうか。

山根 私はそう思っています。

参会者 たとえばターリバーンが国土のほぼ九割、ほとんどの部分を支配しているけれども、国連は依然として反対する各派の代表というものも引き込んで、話し合いの場をつくるということを盛んに提案しているように、報道からは読み取ることができますし、最近たまたま読んだのですが、ジュネーブで夏に行なわれた国連の人権委員会が、人権を抑圧するような行動を取るターリバーン政権を認めないように、各国政府に働きかけるべきであるというような声明を出しました。

 これは国連の人権委員会が出したということなので、そうすると、私としては、アフガニスタンは何十年も戦争をしていて、それもアフガニスタン一国の問題ではなくて、国際社会がまさに生み出したような問題であるのに、国連の考えとか動きとがどうもよくわからないので、その辺のことをもし何かご存じならお伺いしたいと思います。

山根 確かに我々から見ると、これまで自由だった人たちが自由を奪われるということは、人権侵害というように受けとめてしまいますが、他方、そうされていることを当たり前だと思っている人たちもいます。我々がおかしいと思っても、彼らにとってはそれが当たり前の生活だと思っているところがあります。たとえば女性は外に出ないということ、それを当たり前だと思っている。我々はおかしいと思いますが、彼らはおかしいと思っていないのです。

 先ほど申しましたように、カーブルの女性たちは、それまでスカートで自由に働いていましたから、その自由が奪われたということで、国連などに訴えています。それは間違いありませんが、そういう人権侵害をなくさなければいけない、なくして、ああして、こうすれば国家として認めてやろうということになってくると、アフガニスタンという国が誰の国なのかわからなくなってしまいます。

 彼らがまず戦争をやめて落ち着けば、おそらくその後に国連の仕事があると、私は思います。国連はその後でいくらでも助言できると思います。人権侵害の問題については、国連とか日本、アメリカもそうでしょうけれども、政府承認という問題でかかわってきていると思います。

 政府承認の条件には、それぞれの国の条件がありますから、そこは一概に言えないと思います。たとえばパキスタンはターリバーン政府を認めていますが、日本はまだ認めてない。だから、それぞれの条件がありますし、それぞれの国の事情がありますから、女性が外へ出られないからこの国はだめだとか、あながちそういうふうにも言えません。そこが難しいところだと思います。

 国連はいまだにさまざまな会合にラッバーニー派の代表を呼んだりしているのですが、どういう基準でターリバーンのほうに移ることができるかというのは、私にはまだわかっていないので、お答えできません。申しわけありませんが。

参会者 お話、どうもありがとうございました。

 山根先生にちょっとお伺いしたいのですが、最近ターリバーンのことが新聞でもよく報道されるようになりましたが、新聞を読んでいるとわかりづらいなと感じるところがあるのです。

 ちょっと前の話になりますが、アメリカがターリバーンの拠点とみなしているところに爆撃を加えました、アフガニスタン紛争のころだったら、アメリカが武器支援や資金提供などを行なうというようなことがあったわけですね。

 それで、今、アフガニスタンとアメリカとの関係が悪いのかなと思ったら、イランからはアメリカの手先というふうにみなされていたり、そのようなことが言われているんですが、きょう、お話をお伺いして、イスラーム教と言っても色合いというか考え方がかなり違うんだなということを教えてもらったと思うんですけれども、ターリバーンとイランとの関係ということをちょっとお聞きしたいと思います。

 ちょっと前に、武力紛争が起こるのではないかと報道されていましたが、そういうふうな中で、アメリカとどう距離を保っていくのか、あるいはどう関係をつくっていくのか、そういうことも絡んでいるようですが、アメリカの関与、関与と言っても爆撃をしたりしていますが、ターリバーンの人たちやイランの人たちから、そういうのはどう見なされているのか、そういうことをお伺いしたいなと思います。

山根 アメリカの、ターリバーンへの関与、あるいはターリバーンがアメリカとどうかかわっていくのかという質問だと思いますが、まずターリバーンについて少しお話しいたします。

 新聞でよく謎の集団と書かれている、ターリバーンというグループの元来の意味は、ペルシャ語でタリブ、道を求める、求道する学生たち、つまりイスラームの教えを学ぼうとする人たち、という意味の複数形です。

 この人たちは、もともと自分たちの呼び名を持っていなかったのです。ほとんどがソビエトとの戦争に戦士として出ていった人で、戦争後、共産主義政権に幕がおりたので、それぞれの田舎に戻っていきました。

 南部の田舎に戻っていって、じゃあイスラームでも勉強しようかと、マドラサと呼ばれるイスラームの学院、寄宿舎のようなところに入って勉強を始めました。勉強をしていて、共産主義政権が終われば我々の理想の国家ができるだろうと思っていたのに、そうはならなかった。

 覇権を争い、グループ間で対立し、ムスリム同士で殺し合っている。これはイスラームに反するのではないか、これではいけないのではないかというので、当時、アフガニスタン南部のあたりでファトワー(教令)と呼ばれるものが発表されました。私はそのファトワーの写しを持ち帰りましたが、当時の多くのイスラームの指導者がサインをして、パシュトゥー語で、今行なわれている抗争はイスラームに反する、だから我々はここで立ち上がらねばならない、というファトワーが出されて、そこで決起したわけです。

 ターリバーンは元兵士ですが、戦争の経験はそれほどありません。

 ところが、パキスタンがヘクマティヤール派というグループを支援していたのですが、ちょうどこの時期、両者の関係がうまくいっていなかったのです。

 しかもそのころ、パキスタンでは政権がかわって、ベナジール・ブットーという女性の首相を中心にした連合政権になりました。自分たちの党だけではうまくいかないものだから、ターリバーンの核たるグループと思想的に同じであるウラマー党という宗教政党を連合政権に入れたわけです。

 ウラマー党は与党の中に入ったので、自由に動けるようになった。ウラマー党が自由に動けるようになった上に、ブットー政権の内務大臣で国境警備隊を指揮する立場にバーブルという人がいました。この人はパシュトゥーン人だったので、自分の影響力を使って、ウラマー党と一緒になってターリバーンに対してかなりの支援を送ったと言われています。

 最近では、資金などに関する研究が出ていまして、何月に幾ら、ターリバーンに資金を払ったとか、額面が実際に出ている論文もあります。

 ですが、ターリバーンは決してパキスタンの傀儡ではありません。これはアフガニスタンのすべてのグループについて言えることですが、アフガニスタンのすべての政党、すべてのグループは周辺国との関係を持っていたり、支援を受けたりしていますが、決して傀儡ではない。

 もちろんお金も要りますし、政治的な支援、経済的な支援は必要です。

 たとえばターリバーンの兵士が現在仮に二万人いるとすると、毎日二万人に食事を与えなければいけない。一人一日一リットルか二リットルの水を飲みますし、小麦を何百グラムか摂る。ターリバーン単独では、その兵站だけでも不可能なわけです。それをだれがやるかといえば、やはり周辺国に頼らざるを得ない。だからそこを人道的と称して、周辺国が支援を行なっているわけです。

 イランとしては、パキスタンが単独で支援できるはずはないから、蔭に絶対アメリカがいるに違いない、あるいは蔭にサウジがいるに違いないと言っているわけです。

 ターリバーンは、確かに支援を受けていましたが、勢力が大きくなってくると支援が必要なくなってくることもあります。彼らが支配したおかげで、その地域から山賊がいなくなって非常に通行しやすくなった。するとそこにいる商人たちが、ターリバーンに寄付をするわけです。この寄付はチャンダーと呼ばれていて、ターリバーンはちゃんとレシートも出しています。寄付によって、ターリバーンの財政が多少は潤ってきた、そういうことも絡み合って、ターリバーンが大きくなっているのです。

 武器援助については、パキスタンはおそらく兵器の部品を援助しているのだろうと思います。新しい兵器が押収されて、そら見ろ、パキスタンの武器が入ってきているじゃないかと言われれば、パキスタンとしては国際的に言いわけができませんから、部品を援助する、あるいは壊れているヘリコプターを修繕させる、そういうことによって支援をしているのだろうと考えられます。

 繰り返しますが、だからといってそれがパキスタンの傀儡になっているということではありません。現在では、パキスタンとターリバーンとの対立も明らかになっていますし、アメリカとターリバーン、あるいはターリバーンとイランの関係が複雑に見えるのも、ターリバーンがどこの国の傀儡でもないというところから、おそらく複雑に映るのだろうと思います。

 もう一つは、先ほど申し上げましたように、ターリバーンそのものが、我々はこの問題にはこう対応するという政策を掲げていないことが挙げられます。ある事件が起これば、場当たり的にそれに対応している。すべてはイスラームに基づいていく、ということばかり言っている。

 つまり、アメリカに対してこういう政策を行なうとか、イランに対してこういう政策を行なうという所信表明のようなものがまったく出てないわけです。ですから、ターリバーンは自由に動くことができますし、他方、外からは非常につかみづらい存在に見えます。

 ターリバーンは、これまでは和平調停のために国連や外交団と会ってきましたが、今回のようなイラン人の殺害事件やアメリカの空爆事件で、内戦以外のことで初めて政府としての対応を迫られたのです。そういうときに彼らがどう反応するのか。現在明らかになっていることは、やはりカーブルの政府では対応しきれなくて、カンダハールのウマルを中心としたグループが、いつも新聞などで何らかの対応を行なっているにとどまっている、ということです。このことは、ターリバーンの内部の体制がきちんと確立されていないことを露呈してしまったと、私は考えています。だからこそ非常につかみにくい存在なのかもしれません。

司会 ほかにいかがでしょうか。

村山和之 きょうの発表を大変興味深く聞かせていただきました。私は南西アジアのほうに興味をもっていますが、クルドについてお伺いしたいと思います。

 先ほどの民族分布図を見ると、クルド族がかなり広い範囲に広がっているように思います。私はパキスタンの一番西のほうのバローチスターンに何度か行きましたが、そこで何人ものクルド族とあった経験があります。

 私がパキスタンに行ったときはちょうど湾岸戦争が終わった後で、たくさんのクルド人難民がイラクからイランを命がけで抜けて、バローチスターン州の州都のクエッタに来ていました。

 彼らは国連難民高等弁務官事務所に駆け込んで難民認定の審査を待っていたり、バザールで働いていた人たちです。ここで面白いのは、伝承によると何千年か前に古代クルド族の移住とともにやって来たバローチスターンのバローチ人クルド族に、国連の難民認定審査のある段階で、イラク人クルド族の相談役をさせるというのです。バローチスターン(バローチ族の土地)もクルディスタンと同様に、意に反して引かれた国境線によって、アフガニスタン、パキスタン、イランに民族が分断されているという共通項がありますが、そのクルド族の遠い子孫が大クルディスタンの飛び地にバローチ化しながら(両民族の言語は最も近い)生き残っているとイメージすれば良いでしょうか。何千キロも何千年も隔たってお互い交流もなく生きてきたとはいえ、バローチ人の中のクルド族は、イラクのクルディスタンから来た人たちを非常に温かく迎えて、クルドの同胞が困っているから私たちが助けるという。

 私がお聞きしたいのは、たまたま困っているから起きた例かもしれませんが、飛び地にいるクルド人たちがどういうネットワークを持っているのか。いまだにクルドの故地というものがあるのなら、散らばっていったクルド人たちがそこに抱いている思いはどうなっているのか。あとは散らばったクルド人同士に、どういうネットワークがあるのか、ということです。参考になるようなことがあったらお聞きしたいと思います。

松枝 それは村山先生のほうがよくご存じのはずでしょう(笑い)。ですが、わざわざ私がレジュメのなかにインターネットのアドレスをいくつか書いておいたのは、膨大な量のクルド人のインターネット・サイトがあることを知っていただきたかったからです。支援グループのサイトもあるし、クルド人が自分でつくっているサイトもあります。

 それから、メド・テーベー(MD.TV)、メドというのは中近東をあらわしますが、メド・テーベーというテレビ局があります。これは衛星放送ですが、完全にクルディスタン、クルド人支援のための番組だけを流す、そういうテレビがあります。

 また、パレスチナとその周辺のさまざまな運動組織、合法化されたもの、非合法化されたものを問わず、政治活動を行なっているさまざまな組織と非常に強固なネットワークを組んでいます。国家がないということが、逆にそういうネットワークを強力に構築しようとする傾向をうながしていて、現在ではパリ、ベルリン、ロンドン、ニューヨークを中心に、大きなネットワーク組織ができていると聞いています。

 日本からアクセスしやすいのはやはりインターネットですが、ここでも広い範囲の情報をカバーしています。

 ついでに申し上げますと、クルド人だからクルド解放を望んでいるかというと、そうではない人たちもいます。あるいは、反対の動きを強制されている人びともいます。たとえば、キョイ・コロジラールというグループがありますが、キョイ(k噐)というのは村を意味するトルコ語で、つまり村落自警団という意味なのですが、これはすべてクルド人で組織されています。クルド人の組織が村を守ると言うのですが、いったい誰から守るのか。クルド人から守るのです。

 つまり、クルド人に対してクルド人を対峙させようというトルコの政策ですが、そういう考えが過激化してしまった例もあります。たとえば、コントラ・ゲリラというグループ、これは対ゲリラという意味ですが、積極的にクルド・ゲリラを排撃しようと活動するテロリストグループがいます。今やインターネットが発達していますから、彼らの側もネットワークにサイトを持っているのです。

 現代はそういう不思議な世界ですが、湾岸戦争のときには、一時的にせよ電話、手紙、FAX、電子メールなどさまざまな形で構築された情報網が生まれました。都市に住むクルド人同士も、かなり強力なネットワークを組みあげて情報を流したと聞いています。

 その結果、インターネット間の複雑なネットワークが生じていると思いますので、ごらんになれる方はごらんになってみてください。

 そんなところしか答えられませんが……。

江川 今のことにちょっと関連して、クルド人のことでトルコの状況を一言、誤解があるといけないので申し添えておきます。私はオスマンの歴史を研究している関係で、トルコにはここ四年ぐらい毎年行っていますが、トルコ政府は現在はクルド人を山岳トルコ人とは呼んでいません。一九八〇年代まではそのように呼んでいましたが、八〇年代末ぐらいから、クルド人もいるという公式見解を出しております。

 そして、クルド人の存在を認め、彼らは民族としてクルド人だけれども、国民としてはトルコ国民だから共存したい、というスタンスをとっています。

 クルド人の中には、先ほど出てきましたようにゲリラ活動をしている人たちもいますが、平和的な、民主的なやり方で自分たちの主張をしようとしている人たちもいます。そういう人たちは国会議員になって、議員として発言していますが、政党をつくるなり何なりをしたときに、もしその人がクルドという独立国をつくりたいというような、トルコ共和国から分離独立を主張するような発言をしますと、これは憲法違反ということで、罰せられてしまいます。

 そういったことでクルド系の政党が解党されたこともありますし、その政党で発言をした人が刑務所に送られたというようなことがありますが、いずれにせよクルド人の中には民主的に活動していこうという流れもあることは確かです。

 そして、民衆レベルでも、都市に出てきますと、付き合っていくうちに私はクルド人だと自己主張する人がたくさんいます。食堂に行けば僕はクルド人だ、何であなたはクルド語をしゃべらないのかという感じで、ごく普通に自分はクルド人だということを明らかにする人がたくさんいることも事実です。

 クルド人が民主的に何を主張しているかといいますと、クルド語を義務教育に入れてほしいということと、クルド語の放送をすることを許可してほしいということです。トルコ政府はこれらをまだ認めていません。つまりトルコ国民だということがまずありますから、国民は共通語であるトルコ語を学べばよろしいということで、そこが争点になっているところです。

参会者 アメリカが、イラクのクルド人居住地域をトルコに合併したらいいという発言をしたということを最近何かで読み、そのときは余計なことを言うと思ったのですが、トルコではクルド人が普通の国民として扱われているという事情があるのですね。

江川 山岳トルコ人という形ではなくて、クルド人がいるということは認められています。

参会者 やはり多少の差別はありますか。

江川 民族差別は公式にはありません。事実上はないことはないとは思いますが、それはケース・バイ・ケースだと思います。

松枝 イラク北部のクルドの人びとが最も過激だということがあって、そこは非常に微妙です。アメリカもちょっと余計なことを言っている感じはありますが、ただ、トルコ政府軍がイラク領内のクルド人を空爆しているということもある。だからといって私は反トルコではなくて、トルコは大好きで友だちもいっぱいいますが、確かに昔は言えなかったことがオープンになったのですね。

 アンカラに行きまして、アンカラ大学の前の本屋に行ったら、クルド語の本がダッと置いてあって、私を引っかける罠ではないかと思いました(笑い)。前はそんなことは言えなかった。クルドのテープを持っているだけで懲役二〇年をくったフランス人がいます。今はそんなことはなくて、クルドの歴史、言語が非常に熱心に研究され、クルドの物語や音楽、絨毯、いろいろなものがトルコ国内で公然と売られています。

 もちろんクルド人には非常に過激な人もいれば、穏健な人もいる。根本的な解決を求める人もいれば、妥協案でも仕方ないという人もいます。いろいろなレベルのクルド人がいますし、それに対応してさまざまなトルコ人もいます。非常に差別主義的な人もいますし、同情的な人もいます。現実に都市部でクルド問題に加担してつかまる人は、ほとんどトルコ人なのです。きわめて苛酷なクルド論を展開したために拘置されている学者イスマイル・ベシクチという人もトルコ人ですが、クルド問題に加担したために、今は懲役三九年で、累計懲役四〇〇年でしたか、そういう人もいます。ですから一概には言えません。

 イラク・クルディスタンに関しては、きょうまさに国連で議論されているかと思いますが、割譲ではなくて、あの地域をどうするべきなのか。現に悲惨な状況があるので、それについて一種の非武装地帯化する、そのような話だったかと思いますが、詳細はわかりません。

司会 では、もう五時を回りましたので、もうお一方かお二方ぐらいで……。

参会者 山根先生にお伺いします。戦火もあってということでしょうが、アフガニスタンは平均寿命が大変低いですね。もう一つ、識字率も大変低いようですが、保健衛生の面、また児童の就学率、あるいは子女の教育の面で、我が国からボランティアで活動している機関がありましたら、お教えいただきたいと思います。

山根 日本からのボランティア機関は二、三ございます。

 一つは、日本ペシャワル会というグループです。パキスタンとアフガニスタンが国境を接するところにあるペシャワルの郊外に病院を持っていまして、そこでアフガニスタン難民に対する無償の医療活動を行なっています。ペシャワル会は、ここに本部がありますが、アフガニスタンの南東部のあたりにいくつかクリニックを持っていまして、そこでも無償の医療活動を行なっています。

 もう一つは、茨城県の城西病院という施設で、アフガニスタンで地雷によって負傷した人を日本で手術をし、そのリハビリをパキスタン国内で行なっているというNGOもあります。

 そのほかにも、カトリック系だと思いますが、教育活動を行なっているところもあります。ただ、このグループはパキスタン政府との折り合いがついていなくて、NGO活動を認められていないのです。理由は、パキスタン政府が、国内でのNGO活動について特に教育活動においてはイスラーム学を教えるべきだと主張するのに、そこは教えてなかったからです。それでNGOとしての登録を抹消されまして、活動が困難になっていると聞いています。

参会者 先ほどイスラームはそんなに特殊な宗教ではないというお話がありましたが、現在、地球上の各地で起こっている地域紛争を見ると、イスラームにかかわるものが非常に多いという気がします。

 たとえばイランのイスラーム革命は、西欧化、近代化、あるいは経済発展をもくろんだにもかかわらず、それが失敗したために極端にイスラームに回帰したという、そういう意見もあるわけですが、経済的な問題がイスラームにかかわるもろもろの問題を解決するという、そういう基本的な問題はあるのでしょうか。

山根 イスラーム国家の建設をうたっていても、結局、現実とどう対処するのかということになりますね。

参会者 西欧化や近代化とかといった問題とどう結びついていくかということですね。やはり非常に特殊だ、という気がして仕方がないのですが。

山根 それは宗教が悪いというわけではなくて、その宗教を掲げる国家体制に問題があると思います。宗教を掲げていても、国家体制が別な形で出てくれば、おそらくそういう近代化というのはできると思います。

 ただ、西欧化が正しいかと言われると、それはムスリムにとっては受け入れがたいことでしょう。何が正しいかということではなくて、生活の向上、経済の発展ということで、現時点では近代化というものが西欧化にやや近いと思われていますが、しかし、彼らは彼らなりに模索して、イスラーム国家でありながら近代化をしていこうということで、それがここ一、二年の間にできるという短期的なことではなくて、おそらく彼らは長期間の中で繰り返して、試行錯誤しているのではないかと思うんです。

 そこから生まれてくる、内戦などのいろいろなひずみは改善されるべきだと思いますが、今はその過程だと思っています。

 同様に、たとえば西欧諸国と言われるところが、自分たちが正しいと本当に思っているかというと、最近では反省も促されているわけです。だから一概にイスラームという宗教の枠組みでそこがいけないとは言えないのではないかと私は思います。

参会者 イスラームを守りながらの近代化というのはどういうことでしょうか。

山根 そのご質問の背景には、宗教に対する帰属意識というか、特に日本人はそうだと思うんですが、我々はムスリムであるとか、仏教徒であるとか、何教徒かとかいう帰属意識が比較的希薄であるということがあると思います。まず自分は何であるかというアンデンティティのときに、我々は宗教というものに至らない。だから我々には奇異に映るんだと思いますが、彼らにとってはムスリムであるということは当たり前のことであって、個人がムスリムであるということを前提に近代化を進めていくわけですから、そこは彼らの物差しで見なければしょうがないんじゃないかと思います。

江川 たとえばトルコという国は政教分離をしていますが、九九パーセントム、スリムなのです。このトルコでも現在イスラームの復興という現象が非常に急速に高まっています。「近代化」をしていながらなぜかというと、資本主義に毒されて、貧富の差が出てきて、国家ではそれらの貧しい人たちを救済することができなかったのに、イスラーム的活動の中で彼らを救済するという、そういうシステムがあるからです。

 ですから、イスラームという組織は、ただ戦争をやっているだけではなくて、貧しい人たちにただで御飯をあげる、あるいは職を確保するというような活動、つまり社会福祉的活動を推進する側面があるわけです。だからこそ貧しい層の支持を得て、世界的にもイスラーム復興現象が起こっている状況があるかと思うのです。

 社会主義でも資本主義でも救済できなかった部分、あるいは解決できなかった部分を、イスラームの中で解決できる部分があるのではないかと模索しているのだ、私はそんなふうに考えています。

 そういうことから言えば、私たちも敵対意識ではなく、理解しようというスタンスで見ていきたいし、いいところは日本も見習っていくところがあるのではないかと、トルコを見ていてそう思います。

渋谷 私のほうから一つだけ話題にしたいんですが、先ほどNGOのことが出ましたが、きょう報告があった地域に対する日本からのODAはどういうふうになっているのでしょうか。ODAがあるならば、日本も間接的に民族紛争に関与しているということが言えると思うので、その辺を伺いたいんですが。

山根 アフガニスタンの場合は、八八年のジュネーブ協定、ソ連軍が撤退したというときに、日本は莫大なお金を拠出しました。二〇〇〇万ドルくらいだったと思います。しかし、内戦が続いたので、そのお金をジュネーブのアフガニスタン対人道援助調整官事務所に留保しました。現在は、毎年その中からいくらかずつ出しているという状況で、地雷撤去活動にも毎年二〇〇万ドルぐらいずつを出しています。

 それから食糧援助や難民支援などを行なっています。難民支援というのは、たとえば毛布や雨よけのカバーを支給したり、食用油や小麦を配給したり、パキスタンからアフガニスタンへ帰っていく人たちに対して当面の食糧を与えるなどですが、難民高等弁務官を通して支援をしています。

 それから、NGOに対しては三通りありまして、一つは外務省がやっている草の根無償の支援を使って、NGOに対する資金提供を行なっています。もう一つは、各大使館ができる範囲での、五〇〇万円程度を限度での資金援助があります。また、郵政省のボランティア貯金によって資金を提供しているというのもあります。

江川 ボスニア・ヘルツェゴヴィナに関しましては、和平協定が結ばれた後に人道的支援として莫大なお金を、具体的な金額は今わかりませんが、援助をしています。それから、NGO活動も医療団などで行なわれていますし、先ほども紹介しました国連難民高等弁務官を中心にした人道援助もなされています。

 それから、和平協定以後のボスニア総選挙に、国連の監視団として日本からも代表者が派遣されていますので、そういった意味では我々も見えないレベルで援助をしていることになるかと思います。

 トルコのクルド人に関してという形では行なっていないと思いますが……。

松枝 たとえば化学兵器を使用された際の一種の緊急救援物資であるとか、薬品、食糧、それから、各国にいる難民などの対策事業費というのはいくらかずつ計上されていると思いますが、なにぶんさまざまな国に分離して居住していますので、一括した対クルド支援というものは、非常にプライベートな形のもの以外にはありません。あるいは分散した形なのでよく見えてこないというのが現状だと思っています。

司会 五時までの予定でしたが、五時二〇分になりました。まだいろいろお話があるかと思いますし、また、こういう場所ではないところで、もっと身近にお話ししたい方もおられると思います。このあと雑談の場を準備していますので、そちらに来ていただければ、もう少し個別的なお話、あるいは情報の交換などもできると思いますので、お時間がありましたら、ぜひ足をお運びください。

 きょうは長い時間、どうもありがとうございました。