問題提起1 民族紛争化するグループ対立

アフガニスタンの現状

山根 聡

 大阪外国語大学助教授

 

大阪外国語大学の山根聡と申します。本シンポジウムのテーマが《民族紛争の現在》ということで、私としては、「民族紛争化するグループ対立―アフガニスタンの現状」というタイトルを置きました。

アフガニスタンが内戦状態に至った過程をお話しして、「民族紛争」というキーワードでくくれる部分と、紛争以外の背景の部分を考えてみたいと思います。

アフガニスタンで民族紛争が起こっているということは、すなわちアフガニスタンに複数の民族が存在するということです。そこで、民族の定義付けが問題になります。ここでは、民族の定義の外的要素としては、歴史的に、言語、文化、宗教などを共有しているグループを指し、内的には、私はパシュトゥーン人であるとか、何とか人であるという帰属意識を強く持っている、これを民族としますが、そういう集団がアフガニスタンには複数認められるわけです。

新聞報道などで民族紛争が起こっているという表現があり、一九世紀にアフガニスタンの地域で展開された、イギリスとロシアとのグレイトゲームという確執を真似て、小さな民族レベルでのグレイトゲームだという、最近の研究の中の表現もありますが、アフガニスタンで起こっている現在の内戦が、はたして「民族紛争」という言葉だけでくくられるのかというところから考えたいと思います。

まずアフガニスタンという国の位置の確認をしますが、アフガニスタンは、周りをいろいろな国に囲まれています。南側にパキスタン、西側にイラン、北にはトルクメニスタン、ウズベキスタン、タジキスタン、それから六〇キロほど距離がありますが、ワハーン回廊というところで中国とも国境を接しております。山岳国で、海はありません。

この国の鉱物資源や天然資源は特に挙げられませんが、経済的な意味での価値があります。どういうことかといいますと、トルクメニスタンやウズベキスタンやタジキスタンなどの国々が海へ出ようとするとき、アフガニスタンを経由して、陸路でパキスタンの港に出るのが一番よいと考えられているからです。

それから、パキスタンにとっても、インドに対抗する経済的な基盤を確立させるために、中央アジアのイスラーム諸国との連携をしたいという点では、アフガニスタンの陸路を通じて中央アジアの国々との連携をとっていきたい。

イランの場合も、アメリカなどの経済制裁がまだ続いているので、中央アジアとの連携をとる上で、アフガニスタンの地理的な意義があるわけです。

しかもアフガニスタンにとっての不幸なのは、イラン、パキスタンが政治的な問題を抱え込んでいて、安定していない。それにトルクメニスタン、ウズベキスタン、タジキスタンも、独立して一〇年も経っていなくていまだにロシアの影響から脱却できておらず、経済的な自立を模索中であるというように、アフガニスタンは不安定な国に囲まれているわけです。

総人口は二〇〇〇万人弱、首都のカーブル市に約一四〇万人が住んでいるといわれています。ただ、これは内戦下であり、推定です。

それから、アフガニスタンの国名ですが、これは本来アフガン人の国とか場所という意味です。後で紹介いたしますが、アフガン人というのはアフガニスタンの現在の国土の中でマジョリティを占めているパシュトゥーン人を指します。

とは言いましても、ここで取り上げるアフガニスタンという国名は、パシュトゥーン人だけの国という意味ではなくて、ほかの諸民族も加わっている、現在の地理区分でのアフガニスタンを指しています。

民族分布についてですが、アフガニスタンには、ヒンドゥークシュ山脈が流れ、二〇〇〇メートルから七〇〇〇メートル級の山がずっと続いています。山脈から南側にパシュトゥーン人が住んでいます。それから山岳部の、交通のアクセスの悪いあたりにハザーラ人が住んでいて、ウズベキスタンと接するあたりにウズベク人、山脈から北のあたり、バダクシャン地方に主にタジク人が住んでおり、地理的に分断された国土が見事に民族的な分布を反映している状況です。

地理的に交通のアクセスが悪く、山を越えるのは数本のハイウェーに頼るしかない状況は、それぞれの民族がそれぞれの分布地域内で政治的な活動を展開するのに、より拍車をかけていると思われます。

主要民族構成は、まずパシュトゥーン人がいます。これは主に南部地域に分布し、総人口のほぼ半数を占め、隣国であるパキスタン西部地域にも分布しています。母語は主にパシュトゥー語を話します。彼らは自分たちがパシュトゥーン人であるという帰属意識が非常に強く、特に「パシュトゥーンワライ」と呼ばれる掟に従った生活をしています。復讐の掟とか客人を歓待する掟とかいろいろあります。

興味深いのは、人類学者によりますと、パシュトゥーン人は、個人レベルにおいてイスラームとパシュトゥーンワライとを混同していて、まったく矛盾を見出していない、ということです。つまりパシュトゥーンワライで良いことはイスラームにおいても良い、イスラームに反することはパシュトゥーンワライにも反する、そう彼らは認識していると言われています。

パシュトゥーン人は、過去、一九五〇年代に特に盛り上がったパシュトゥーニスタン運動という、パシュトゥーン人の独立を企図した運動を展開したことがありました。

ただ、パシュトゥーン人全体が民族として団結しているわけではなくて、部族間の対立があります。パシュトゥーン人とひとくくりに言っても、その中にたくさんの部族があり、部族間で長い間抗争を繰り返してきました。たとえば、ドゥッラニー族とギルザイー族との対立があります。ドゥッラニー族はターリバーンの核となっている人たちで、特にカンダハールを中心としてアフガニスタン南部のあたりに住んでいます。これに対してギルザイー族は、アフガニスタン北東部、カーブルのあたりに住んでいる人たちで、ヘクマティヤール元首相が属するグループです。

ギルザイーのほうはカーブルの近くに住んでいますので、ソビエト寄りの政権のころでも官僚などにも随分入っていきました。ところが、ドゥッラニーは、王族もこちらに入りますが、一般には農村部にとどまって、官僚層などをそれほど輩出できていない人たちなのです。ですから、部族間でも経済的な格差があって、長年の間、確執を生んできているわけです。

次はタジク人です。アフガニスタンの北東部あたりに住み、人口比は二七パーセントほどといわれています。この人たちはタジキスタンやウズベキスタン、あるいはイランにも分布しています。話しているのはペルシャ語で、ダリー語と呼ばれる言葉です。ラッバーニーとかマスウードという、非常にすぐれた指導者がいます。

ウズベク人はウズベキスタンと国境を接する北中部のあたりに住んでいて、総人口の約八パーセントを占めています。過去にNHK特集に出たドーストム将軍もウズベク人です。

ハザーラ人は中部の山岳地域に住んでいますが、最近、ターリバーンによるバーミアンと呼ばれる仏教遺跡の破壊問題で取り上げられています。ダリー語を話しますが、彼らの大多数はイスラーム教シーア派で、雪が降り始めると交通のアクセスがだめになってしまう山岳地域、開発のおくれた地域に住んでいます。シーア派であることから、宗教上、イランとの接触を持っています。

このほか、少数派としてはトルクメン人、アイマク人、バローチ人といった人たちがいます。

ほかにアフガニスタン人と呼ばれる人たちの中で重要なのは、海外在住の移民です。たとえばザーヒル・シャーという亡命した国王はイタリアにいますし、その親戚で元首相であるユースフなどはドイツにいます。ほかにもオーストラリアやアメリカなど、戦争が始まるころ、あるいはクーデターが起こったころに世界中に散らばっています。知識層、富裕層、元官僚といった人たちが海外に逃げたことは、アフガニスタンの今後の復興において、知識層が欠如していることであり、非常にマイナスな点ではなかろうかと思われます。

海外在住の移民は海外に定住しており、内戦状態の祖国へ帰ろうという意思はほとんどありません。国内に残る肉親に対しては、パキスタンなどの親戚を通して資金を援助したりしています。

それから、このほかにも難民と呼ばれる人たちがいます。いわゆるアフガニスタン難民ですが、パキスタンやイランを中心に多くの難民がいます。パキスタン国内だけでもおそらく一五〇万人から一六〇万人程度、アフガニスタン難民がいると言われています。

国内の避難民というのは難民とは違いまして、カーブルが戦争になっているというので、カーブルの家を捨てて、アフガニスタン国内のどこかほかの町に移動している人たちです。国内で難民化している人たちを避難民と言います。

こういういろいろなアフガニスタン人たちがいまして、この人たちは文化、言語、伝統がそれぞれ違っていますが、唯一共通しているのが宗教です。つまり、ほぼ一〇〇パーセントがイスラーム教徒、ムスリムです。このうち九割がスンナ派で、残りがシーア派です。若干、イスマーイーリー派というのがカーブルの北あたりにいますが、イスラームが唯一のよりどころです。

このイスラームは、スンナ派とシーア派という分け方だけではなくて、先ほど申し上げましたアフガニスタン南部の農村部で伝統的な生活を送っているパシュトゥーン人の中には、各地のイスラームの聖者を崇拝して、イスラームの学院であるマドラサというところで宗教教育を受ける生活を伝統としている人たちがいます。これが多くのアフガニスタン人であったわけです。

これに対して、ソビエトに反対する運動が開始されると、共産主義の対抗勢力として台頭したイスラーム原理主義のグループが、自分たちをイスラームの聖なる戦士、ムジャーヒディーンと称して運動を展開し始めました。ところが、このイスラームというのは、イデオロギーとしてのイスラームで、アフガニスタンの伝統的なイスラームとはそぐわない。政治的なイスラームと、伝統的な生活をして村の中で昔良い行ないをした聖者を祀って、それで満足しているアフガニスタン人の伝統とは、ここで大きく乖離してしまう。そこで、ターリバーンが現在行なっているイスラーム化と呼ばれる体制維持の活動に対して、アフガニスタン人自身の中から反発が出てきているわけです。

なお、イスラーム原理主義の影響と言いましたが、イスラーム原理主義の中にも二通りあります。たとえば、ラッバーニーとかヘクマティヤールのような、ターリバーン以外のグループが標榜しているイスラーム原理主義というのは、政治的なイデオロギーとしてのイスラームであり、ターリバーンの標榜しているのは、社会の生活をイスラーム化するもので、政治的なイデオロギーとか、そういうものとはちょっと違う気がします。

簡単に言いますと、ターリバーンと対立しているグループ、ラッバーニー側の、元ムジャーヒディーンと呼ばれている人たちのイスラームというのは、政治体制として上から押さえる感じで、今ターリバーンがやろうとしているのは、ひげを伸ばせとか、髪を切れとか、テレビを見るなとか、下から治安を維持することの延長としての社会のイスラーム化という印象です。

 

さて、アフガニスタンのグループが対立して内戦に至った経緯ですが、まず一九六〇年代に、民主化、近代化とともに、ソ連寄りの政治が展開されていったとき、学生による反政府運動が始まりました。その反政府運動の中心人物だったのが、先ほど申し上げましたラッバーニー、ヘクマティヤール、マスウードたちです。彼らはカーブル大学を中心に反政府運動を展開していきました。

一九七九年一二月二七日、軍事クーデターによってソ連軍がアフガニスタンに軍事介入し、通称「アフガン戦争」が始まります。

それからほぼ九年後にソ連軍の撤退が決まり、九二年四月、やっとムジャーヒディーン政権が樹立されましたが、その後、ヘクマティヤールとラッバーニーの個人的な対立や覇権争いが表面化して、現在の内戦に至っているわけです。

内戦で治安が極度に悪化し、過去にムジャーヒディーン兵士として戦っていたグループの中には、山賊のようになって通行税を取ったり、あるいは暴行を働いたりということを繰り返す連中が出てきました。

そこで、治安回復を意図して編成されたのがターリバーンだと言われています。ターリバーンが編成されたのは一九九四年の夏ごろと言われており、その二年後、九六年九月二七日にターリバーンは首都カーブルを制圧し、臨時暫定政府樹立を宣言しました。

九七年一〇月には、ターリバーンは国名をアフガニスタン首長国と変えます。

最近の出来事で大きなことといいますと、九八年八月八日に、ターリバーンが北の要衝でありますマザーリシャリーフ市を陥落させましたが、このときイラン人の身柄が拘束され、殺害されたと報道されました。

また、八月二〇日には、アメリカがアフガニスタン北東部の武器庫、テロの施設と指摘した地点を空爆しました。

現状では国土のほぼ八割から九割近くがターリバーンの制圧下にありますが、まだ内戦が続いている状態で、反ターリバーンの連合グループがいまだに首都に対する砲撃を続けている状況です。

 

こういう混乱の中で、幾つかの対立するグループがありますが、アフガニスタンの中で対立しているグループというのは、単純な構造にはなっていません。たとえば宗教の面で言いますと、ムスリム対旧共産主義派、つまり共産主義勢力を駆逐するために立ち上がったムジャーヒディーン対ソビエト共産主義に近かったグループ、この中には北部を押さえていたドーストムが挙げられます。最初、ドーストムはムスリムでないと非難されたため、彼はメッカに巡礼に行って、自分はムスリムであるということを強調していくようになりました。

それから、スンナ派対シーア派、これはサウジとかイランとか、周辺国の影響もありますが、先ほど言いましたハザーラと呼ばれる人たち、シーア派のマジョリティを占めている彼らとスンナ派との対立があります。

それから、イスラーム政権をつくるにあたっても、イスラーム穏健派、つまり戦闘ではなく話し合いによってイスラーム政権の樹立を求めるグループと、イスラームの急進的な原理主義派、戦闘によってイスラーム政権を樹立すべきだと主張するグループがあります。

あるいは、急進的にイスラーム体制を確立させようとする人たちと、西洋文化を受け入れることを容認しているグループもあります。たとえばカーブルの人たちは、もともとはソビエト寄りの政権のもとで発達した都市の市民ですから、女性はスカートをはき、結婚式にはノースリーブのウェディングドレスなどを着ます。女性が働くことにも何ら躊躇を感じていなかった。ところがそこにターリバーンが入ってきて、それらをすべてやめさせたのです。

私は、ターリバーンが制圧する直前にカーブルなどに行きましたが、女性はスカートで歩き、NGOなどに盛んに進出していました。しかし、現在ではそういうことはできなくなっています。ターリバーンは女性の屋外での活動をイスラームの名において禁止しているのです。

政策面では、先ほど申し上げた急進派とか穏健派、あるいは外交面での対立があります。国内だけではなくて、パキスタンと親しくしているグループ、それに対してインドやイランやロシアなどと親しくしているグループがあります。どこの国と近いかでも対立しています。

さらに、個人的レベルでの怨恨が対立の原因となります。たとえば、一昨日の報道でもありましたけれども、北部地域をターリバーンが制圧したときに六〇〇〇人から八〇〇〇人ぐらいのハザーラ人がターリバーンによって殺されたのではないかと言われています。こういう個人レベルの恨みが根強く彼らの中に残っていくわけです。

ヘクマティヤール派対マスウード派というのは、リーダーシップをかけた争いですし、マリクという人はドーストム派の中から反乱を起こした人ですが、自分の兄弟がドーストム派によって殺されたのでドーストムに対して反旗をひるがえしたと言われています。

しかし、個人的な怨恨があるからといって、それが民族的な対立に単純に反映されているかというと、そうでもありません。そこがまた複雑なところで、たとえばラッバーニー派の軍事顧問で、現在インド大使をやっているマスウード・ハリリという人は、タジク人を中心とするラッバーニー派の中にいますが、パシュトゥーン人です。あるいは、ヘクマティヤールの娘はタジク人と結婚しています。ターリバーンの中でも、主要な六人のメンバーの中の一人がタジク人ですから、単純に民族だけで割り切れないところもあるわけです。

そこで、アフガニスタンの民族紛争とはという問題ですが、これは結局、各グループが民族の利害というものを代弁していて、そこに周辺国が関与していっている。だから民族間で何年も続いている確執だけではなくて、実は極めて現実的に、経済的、あるいは政治的な、あるいは個人的なレベルでの対立、そういうものが内戦の中に大きな要因となって残り、一見すると民族間の対立のようにみえている、ということなのです。

現在の問題点については、まずは内戦です。国連は和平調停をやっていますが、行き詰まっています。これはおそらくはターリバーンの軍事的な優位が、彼らを軍事的解決に向けさせているからであると考えられます。

現在のところは、ターリバーンと反ターリバーンのグループは停戦中ですが、このまま一二月にラマダーンというイスラームの断食月に入りますので、ひょっとしたら今年いっぱいは大きな戦闘はないかもしれません。ただ、毎年、ラマダーン明けのときに兵力を増強して総攻撃をかけることがありますので、ラマダーン明けあたりにまた大きな戦闘になる可能性もあります。

この対立の一番の原因に、グループ間における不信感があげられます。個人的対立、あるいは周辺関係国が各グループへ接近していることが、両者間の対話の妨げになっている。

それから、先ほど申し上げましたように、グループの構成が民族を反映しているために、民族の利害が表面化されていっているというのも問題だと思います。

また、対外関係では、これはターリバーンの問題ですが、国際社会の「常識」にターリバーンがどうすり合わせていくのか。

たとえば対米関係ですが、アメリカが東アフリカの爆弾テロに対する報復として、資金提供者であろうと言われるウサーマ・ビン・ラーディンの施設と呼ばれるところを空爆したさいに、ターリバーンの対応が非常にとまどって、二転三転している。

彼らは当時どういう反応を示したかといいますと、自分たちで処理すると。つまり国際問題や国際的な対応の経験がないわけですから、他国との外交問題の処理などはターリバーンの頭の中にはありません。地方のマドラサと呼ばれているイスラームの学院、あるいは難民キャンプでしか教育を受けていない人たちが、アメリカの大統領たちにどう対応すればいいのか。彼らには国際法に対する知識がないわけですから、自分たちの方法で解決していくしかない。そこで彼らが選んだ道というのは、ウサーマ・ビン・ラーディンを自分たちで処罰する、自分たちの問題として処理しようとしたわけです。ところがそれでは国際社会が許さない。

同様に、対イラン関係ですが、最初はイランに対抗するような発言を繰り返していましたが、最近になって、身柄を拘束していたイラン人全員を釈放するなど、すり寄っていっています。

ターリバーンは、自分たちはイスラーム化を推進していると言っていますが、彼らの許容できる範囲では、主張を変更します。したがって、そのすき間をつかれて、イランやマレーシアやスーダンなどから、ターリバーンのイスラーム化はイスラームの価値観に反するという批判を言われるわけです。

では、ターリバーン内部にほかに問題はないのかというと、まずは実効的支配の確立という問題があります。反ターリバーン同盟の反撃があることで、まだ国土を全部押さえていないこと、これが政府承認の問題にかかわってくるわけです。特に日本などは実効的な支配の確立ができていない限り政府承認をしませんから、支配を確立することがまず優先されます。

そして、ターリバーン政府そのものの不安定さですが、現時点でターリバーン政府というのは、治安維持とイスラーム化に頼っている体制維持、これ以外に何もできていないわけです。たとえばインフラを整えるとか、法律をつくるとか、教育面で何かをするとか、そういうことは一切できていない。今はイスラーム化という名のもとに治安を維持するしかできていない。それは、最初に申し上げたように、元の官僚たちや知識層たちが海外へ流出している、そのことも大きな要因に挙げられると思います。官僚とか技官が欠如しているわけです。

それから、内部分裂の可能性。私はターリバーン政府の政治的機能の二層構造を指摘していますが、ターリバーンは、先ほど申し上げたとおりアフガニスタン首長国というふうに名前を変えました。これはちょうど一年前ですけれども、首長はウマルという人です。このウマルのグループは南部のカンダハールにいますが、実際の政治はカーブルでやっているわけです。

ところが、今回のアメリカとかイランの事件が起こったときに対応したのは、すべてカンダハールのウマルなのです。政府はカーブルに一応あるけれども、ほとんど機能していない。何かを決定するときにはすべてウマルにお伺いを立てなければいけない。では、はたしてカーブルにある政府の意味は何なんだろうかということになってきます。

しかも、ターリバーンの構造上の問題があって、ターリバーンは勢力を広げていくときに、あまり戦闘をやっていなかった。どんどん説教をして、説き伏せていったものですから、日和見主義的で、元山賊だったような連中は、ターリバーンのほうがいいやというので寝返っていったわけです。ところが、イスラーム化と称する締め付けがどんどん厳しくなってきたので、彼らの中から、ターリバーンに愛想をつかすものが出てきたのです。二年間もラッバーニーと戦っていてまだ全土を押さえられないというのは、これはちょっとだめじゃないかと、だんだん変わってきたわけです。

そうすると、中には、たとえばカンダハールやカーブルの政府の目の行き届かないところで悪いことをするのが出てくる。たとえばハザーラ人やイラン人を殺したりする。だから、イラン人が殺害された後で、ターリバーンの代表であるウマルが、自分の目の行き届かないところでそういうことが起こったと述べたりするわけです。

ターリバーンは、カンダハールにいるごく少数の、頂点となる二〇人ほどの中心グループの下に、それに同調した初期ターリバーンの人たち、それから、後になってくっついていった日和見主義的な人たちで構成されているわけです。上の連中はイスラーム体制の推進に対して何ら異存はない。ところが下の連中はだんだん離れていっているような印象があります。

したがって最近になりますと、カーブルの宗教学者のグループが、反イランの聖戦を行なおうという、宗教的なファトワー(教令)を出したことが新聞で報道されたりするのです。

つまり、ターリバーンの目の届かないところでいろいろな活動が起こってきている。ターリバーンは治安維持だけではなく、体制を整えて、ターリバーン国家、政府というものを制度化させないと、内部分裂が避けられない状況になるのではないかと思います。

現在、ターリバーンの中心部は、六人で構成されるPresidency Islamic Shura of Afghanistanと、Prime Ministry 、大統領府と首相府の二つが同一になっています。これはカーブルにありますが、あまり機能していません。

ターリバーン政府の外務省の構造を紹介しますが、外務省には国連局、それからNGO局、それから翻訳局、それからインフォメーション(出版局)という局しかない。つまりターリバーンが今直面している問題というのは、まさにこのことだと思うのです。国連にどう対応するか。NGOをどうまとめていくか。それから、通訳が必要になっていて、あとはインフォメーションが必要とされている。この四本柱でしか今ターリバーンは対応できていないという状況であります。

したがって、今後ターリバーンが現状を維持し、政権を樹立させる、あるいは対外的な信頼を得るためには、これからはおそらく体制を整え直すことを迫られると思います。それが内戦が長引くことによってできないとなれば、おそらくターリバーンの中で分裂が起こって、また新たな内戦が起こるのではないかという懸念があります。

 

最後に、現在の経済がどうなっているかというと、ほぼ壊滅状態です。インフラも壊滅状態で、写真を持ってくればよかったのですが、遺跡の中を歩いているような感じです。

ご承知いただきたいのは、内戦というものは、都市部で展開されているのであって、農村部は内戦にはなっていないということです。国土全部で内戦が行なわれているわけではないのです。現時点でアフガニスタンで戦闘が行なわれているのは、首都とその北部であって、ほかの地域は比較的安定しています。そういうところでは自給自足の生活ができています。

ただ、自給自足ができるようになると、最初は戦争が終わってほしいという欲求だけですが、戦争が終わると人間というのは欲が出てくるもので、より豊かになりたい。ところが、電気がありませんし、水も十分にない。そうすると、麻薬や武器の輸出に傾いていくのが一番手っ取り早いわけです。向こう数十年は戦えるであろうという武器を持っているので、それを外に流していく。これが彼らの経済を潤す原因になっているわけです。したがって、経済はほとんど壊滅状態ですが、壊滅状態であるがゆえにそういう経済活動に流れていっているのです。

あるいは、密輸です。一九六五年にパキスタンとアフガニスタンが締結したアフガン・トランジット・トレードというのがありまして、アフガニスタン向けに輸出されるものは、パキスタンでは税金をかけないという条約ができました。先ほど申し上げたとおり、アフガニスタンは山岳国ですので、貿易港がありません。そこで密輸業者は、日本からのナショナルやソニーの製品を全部パキスタンのカラチ港に、アフガニスタン行きというシールを張って送るわけです。そうすればパキスタンでは税金がかからないからです。ところが、アフガニスタンには電気がないので、テレビを見ることはできません。一たんアフガニスタンに入れるふりをして、すべてパキスタンに入れている。それがパキスタンの経済活動に悪影響を与えているのです。

蛇足ながら、去年、ターリバーンがカーブル市内でテレビを見るのをやめさせたという記事が日本で出ました。よく考えてみると、カーブルは現在ほぼ電気がない状態です。ということはどういうことかというと、テレビを見ている人たちというのは、おそらくターリバーンの上部の人たちです。一般の市民はおそらく電気が供給されているようなところには住んでいない。つまりターリバーンの中にテレビを楽しんでいる人たちがいるということで、ターリバーンそのものの内部の中でいろいろなグループがいるんだろうということが言えると思います。

あまりまとまらずに、現状をご報告するという、あるいは現状に至るご報告をするということだけで終わってしまいましたが、以上で私の発表にかえさせていただきます。

 


やまね そう 一九六四年生まれ 大阪外国語大学外国語学部地域文化学科助教授 パキスタン国立パンジャーブ大学オリエンタルカレッジ修士課程修了 専攻・ウルドゥー語、ウルドゥー文学 一九九四年〜一九九六年、在パキスタン日本大使館の専門調査員としてアフガニスタン問題を担当 論文に「The Current Situation in Afghanistan」『アジア太平洋論叢』7号、大阪外国語大学、一九九七年などがある


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