映画はいかにして「物語」から自由になりうるか

坂尻昌平 本学講師

 

Ⅰ 映画と「物語」

映画は「物語」ではない。あたかも映画と「物語」を不可分のものであるかのように考えるのは完全に間違っている。商業映画としての要請が、映画に「物語」を表象することを強いているのだとしても、そのことによって映画と「物語」を一体化したものと考えるのは軽率である。映画は、そもそも現実の光景を運動状態で分析・記録する装置として発明されたものだし、リュミエール兄弟は世界じゅうに自社のお抱えカメラマンを派遣して、世界のさまざまな表情をフィルムに定着させたのであり、この段階では決して「物語」は映画の目指すべき目的でも理想でもなかっただろう。にもかかわらず、映画が「物語」を表象する恰好のメデイアとして産業化されるのは、魔術師ジョルジュ・メリエスが、実演のマジック・ショウに代わる新しいスペクタクルとして興業し始める一九世紀末から今世紀初頭であり、一九○五年頃には世界的規模で産業化することになる。その段階では、映画は単なる記録ではなく、「物語」を語る新たなスペクタクル装置として、広く認知されていたのだから、映画は、一八九五年にパリのグラン・カフェでお披露目されて以来、瞬く間に物語る装置としての機能に限定された歩みを辿ることになったといっても過言ではない。

ところで、アメリカ映画史にデヴィッド・ワーク・グリフィスが出現して、『国民の創生』Birth of a Nation(一九一五年)、『イントレラ ンス』Intolerance(一九一六年)、『散り 行く花』Broken Blossoms(一九一九年)と いった驚くべき「物語映画」の傑作を作り上げたということの衝撃ははかり知れないものがある。とりわけ、「現代、バビロンの崩壊、キリストの受難、聖バーソロミューの虐殺という、四時代・四場所の物語を平行して展開させるその構成からも、グリフィス流技法の集大成として映画史に残る重要な作品」*1、『イントレランス』は、後にモンタージ ュ理論を展開する若きソヴィエト・ロシアの映画人にも大きな影響を与えることになる。

グリフィスのインパクトの下、クレショフやプドフキンによるモンタージュの実験が、個々のショットの意味は、前後に配置されたショット相互の関係によって生み出され、規定されるということを明らかにした。それは男の顔のクロース・アップ画面に続けて、一つはテーブルの上のスープ皿、もう一つは死んだ女が横たわっている棺桶、三つ目はおもちゃで遊んでいる少女のショットを繋いだ、各三つの実験用シークェンスをあらかじめ何も知らされていない観客に見せることで、俳優の顔に読み取られる意味の変化を調べたものである。その結果、「人びとは俳優の演技を激賞した。彼らは、忘れ去られたスープへのその男の重苦しい物思いのこもった気分を指摘し、死んだ女を見詰める時の深い悲嘆に感動し、遊ぶ少女を眺めやりながら浮べる明るい幸せな微笑を讃嘆した。だが、その三つの場合とも寸分違わぬ同じ顔だということを我々は知っていたのである」(プドフキン)*2。この極めて興味深い実験結果は、エイゼ ンシュテインのショット同士の衝突による創造的意味生産を主張した「弁証法的モンタージュ」に比べて、いささか生彩を欠くかに思われるかもしれないが、映画が個々のショットを編集しつつ「物語」を語り出すことを円滑に可能ならしめる、すぐれて実践的=理論的な根拠ともなるものであり、今日においても重要な示唆を含んでいるといってよい。

ショットAは、ショットBの後にふたたび繋がれた場合、もとのショットAとは意味に違いが生じている。この現象は、映画における「語り=物語行為」(narration)の基本とも考えられる。反復されたショットAは、さらにショットCの後に繋がれると、また意味を変化させるだろう。こうして、同一のショットAも、他のショットとの相互関係、時間的前後関係の中で、さまざまに意味を変えてゆく。こうしたショット間の継起的関係それ自体が、映画における「語り」の運動を構成しており、ショットの意味的な中立性はその関係の中でそのつど変化しては再規定される。つまり、ショットそれ自体には積極的な意味はないということであり、あくまでも線的な統辞論的秩序の中で、関係項として意味を規定されるということである。

こうした、クレショフ的モンタージュ論の歴史的限界は、映画史と映画理論史のその後の展開を俟つまでもなく明らかであろうが、中でも最大の反措定といえるものが、アンドレ・バザンの「ワン・ショット=ワン・シークエンス plan-s子uence」論である。たとえば、ライオンと少年と遠くから見守る両親を同一の画面に収めて撮る場合とそれをいくつかのショットに分割してモンタージュする場合とでは、映画的リアリズムの様相に大きな違いが生じる。「問題は、少年がそこに表現されているような危険を実際に冒したということではなく、ただその表現が出来事の空間的単一性を尊重するようなものだったということなのである。ここでは、リアリズムは空間の等質性の中にある。こうしたわけで、モンタージュが映画の本質をなすどころか、映画の否定に他ならぬ場合があるということが、わかるだろう。同じシーンが、モンタージュで処理されるか、全景で処理されるかによって、出来の悪い文学にも、すぐれた映画にもなりうるのである。」*3と、バザンは「 禁じられたモンタージュ」という意味深長な表題をもつ論文の中で述べている。

クレショフ的モンタージュでは、個々のショットの意味は、あくまでも前後にあるショットとの統辞論的秩序によって規定されていたのに対して、バザンの主張する空間的単一性は、モンタージュによる空間の分割をしない「ワン・ショット=ワン・シークエンス」によって保証されており、意味はその一つの画面内の諸要素の関係から生じてくる。この「モンタージュ」対「ワン・ショット=ワン・シークエンス」という映画美学上の対立は、今日に至るまで映画の撮り方の二大潮流をなしており、また映画を見、論じることにおいても絶えず熟考さるべき問題を多々提起している。もちろん、一本の映画の中で、両者は、ともに用いられる技法であり、どちらか一方のみで構成される映画は、実際には稀である。

確かに、例外的に『パリところどころ』Paris vu par・(一九六五年)のジャン・ルーシュ篇「北駅」Gare du Nordの驚異的「ワン・ショット=ワン・シークエンス」や、いくつかの切断があるとはいえほぼ「ワン・ショット=ワン・シークエンス」で全編を撮り上げたヒッチコックの『ロープ』Rope(一九四八年)のような作品があるのだが、むしろ冒頭のタイトル・バックのシークェンスを強烈に幻惑的な長廻しで撮って見せたオーソン・ウェルズの『黒い罠』Touch of Evil(一九五八年)が、そうであるように、短いモンタージュと「ワン・ショット=ワン・シークエンス」が、絶妙にブレンドされている映画の方が圧倒的に多い。したがって、このことから両者の美学的優劣を判定することにさしたる意味はない。ただ、映画的リアリズムを個々の場合においてどのような水準に設定するのかということが、問題になってくるということであろう。そして、そこで、映画と「物語」の大層神経過敏な関係が、改めて浮上してくることになる。

先にバザンの挙げた映画では、ライオンと少年とその両親とが一つの全景ショットの中に収められていなければならなかった。それらの要素を個々別々の短いショットに分割して手際よくモンタージュしたならば、そこで起きている事態は、観客にはとてもわかりやすく伝達されるだろう。だがその反面、そこで起きているすべては、映画撮影のために人と猛獣とを安全な時空間に隔離した上で、撮影した素材をあたかも同一の時空間での出来事であるかのように編集して偽装した虚構の出来事にすぎないとも見做されてしまうだろう。言い換えるなら、モンタージュすることで事態はどんなに緊迫しているように見えようとも、人為的な虚構と見做せる限りにおいて、観客はそれをリアルなものとは感じないのである。しかし、事態のすべてが、全景の「ワン・ショット=ワン・シークエンス」で撮られているならば、そこで起きている出来事は紛うかたなき真実であると、観客は信じるだろう。

ところで、映画で「物語」を語る場合、ショット間の関係性次第で、意味を変容させるクレショフ的モンタージュは、実に便利な技法であるといえよう。ショット間の統辞論的秩序を熟知していれば、操作者は自分の思うように観客にショットの意味を過たず了解させることができるはずだからである。個々のショットには固定した意味はない。といっても無意味だというわけでもない。クレショフ的ショットにあっては、意味は宙吊りにされ、定まっていない状態にあるのだ。こうしたショットをしかるべき統辞論的秩序においてみた時、初めて映画は「語り」の運動を開始する。ショットA→ショットB→ショットAというモンタージュでは、反復されたショットAにはショットBとの関係性が加算されて、実際にはショットA(B)と考えることができる。さらにその後にショットCがきて、ふたたびショットAに繋がるとした場合には、それはショットA(C←B)、同様にショットDがきてAに繋がると、それはショットA(D←C←B)と考えることができよう。括弧内は古い順に潜在的な記憶になってゆく。クレショフの実験を再度引用し、同じ男の顔のクロース・アップに続けた三つのシークェンスが連続して見られたと仮定してみよう。

観客は、「忘れ去られたスープへのその男の重苦しい物思いのこもった気分を指摘し[A(B)]、死んだ女を見詰める時の深い悲嘆に感動し[A(C←B)]、遊ぶ少女を眺めやりながら浮べる明るい幸せな微笑[A(D←C←B)]を讃嘆した。」といった具合に表記できる。この統辞論的秩序において、ショットAにはショットB、C、Dが加算され、古いものが潜在的な記憶として残留してゆくと考えられる。こうして、映画的「語り」は、観客にこの男の一貫した持続的記憶をもたらし、物語的秩序の中で了解することを可能ならしめるのだ。だからこれは、基本的に加算法のモンタージュなのであり、それだからこそ円滑に意味は生産され、次いで潜在的なものとなって滞留し、「語り」の時空間の厚みをなしてゆくのである。

一方、「ワン・ショット=ワン・シークエンス」は、どうだろうか。この技法は、「空間の等質性」(バザン)によって、映画的リアリズムを確立する。しかし、こうしたリアリズムは、「語り」という虚構化する運動とは一見相容れないかのように思われるかもしれない。なるほど、観客はこの技法によって、眼前に見える光景をリアルな出来事として信じてしまいがちではあるが、概ね「物語映画」にあっては、どんなにリアルに見えても、ほぼすべては演出された要素の綿密な構成によっているはずである。ただ、この技法は、モンタージュによる描写よりもはるかにリアルであり、観客に現実に起こった出来事を目撃しているかのように思い込ませる「真実らしさ」がある。しかし、「ワン・ショット=ワン・シークエンス」の技法は、加算法のモンタージュとは大きく異なり、意味の生産は一つのショットの画面内の諸要素間の関係性によって生み出されるのであり、意味は、あらかじめそこに顕在的にも潜在的にも存在しているといえよう。だから、「ワン・ショット=ワン・シークエンス」同士のモンタージュは、当然の事ながら加算法のモンタージュではありえず、基本的にまったく質的にも量的にも異なった時空間の接続であり、意味の積極的生産は希薄たらざるをえない。これを並置法のモンタージュといってもよいだろう。

ここで改めて整理してみよう。「ワン・ショット=ワン・シークエンス」の最初のショットをAとし、続く「ワン・ショット=ワン・シークエンス」ショットをB、次をCとするなら、A→B(a)→C(b←a)と表記できる。括弧内は潜在的記憶となったショットであるが、「ワン・ショット=ワン・シークエンス」の場合ショットの持続時間が長く、前のショット内容は次のショット内容と直接対応しないまま縮減されてしまうが故に、小文字で表記している。先の「クレショフ的モンタージュ」は、A[顔]→B(A)[対象と顔の関係性]→A(B←A)[=顔と対象との関係性]と表記できる。

同一ショットの反復に基礎を置かない「ワン・ショット=ワン・シークエンス」は、「空間の均質性」を物語の効率よりも重視することで、「真実らしさ」の効果を生む。しかし、それはあくまでも「真実らしさ」であって「真実」そのものではない。ここでは物語的虚構における「真実らしさ」の度合が問題になっているのであり、場合によっては、モンタージュの方が「真実らしさ」の度合を増すこともあるだろうし、「ワン・ショット=ワン・シークエンス」が、あからさまに人工的な虚構性を剥き出しにすることもあるだろう。実際、オーソン・ウエルズからテオ・アンゲロプロスに至るまで、「ワン・ショット=ワン・シークエンス」の技法は幾多の幻惑的な映画的時空間を創造してきたのであり、「真実らしさ」の印象はむしろ積極的に「語り」の運動に奉仕してきたとさえいえるかもしれない。しかし、ここで問題としたいのは「ワン・ショット=ワン・シークエンス」のモンタージュの図式、A→B(a)→C(b←a)と、「クレショフ的モンタージュ」の図式、A→B(A)→A(B←A)との間の差異である。

「クレショフ的モンタージュ」ではAが反復され、最初のAと次のBの潜在的記憶が加算されており、「ワン・ショット=ワン・シークエンス」は、Aを反復せずに新たに出たCに縮減された潜在的記憶a、bだけが加算されている。ここで注目されるのは、後者、「クレショフ的モンタージュ」におけるショットAのショットA(B←A)への変容であろう。この変容にこそ映画が、短いショットの継起によって「物語」を語りうることの根拠があるのだ。たとえば、A[=顔]→B(A)[=棺](顔の見た目)→A(B←A)=[顔(悲しみ)]といった風にこのショット連鎖を感受すること自体に、すでに「物語」の生成がある。他方、C(b←a)と表記された「ワン・ショット=ワン・シークエンス」にも十分「物語」は存在している。ただ、このショットCにはショットA、Bの「ワン・ショット=ワン・シークエンス」が縮減された潜在的記憶a、bが滞留しており、それらの共在を感じつつ、観客は新たにショットCを時間的持続として生きることになる。そこでは一つの意味に決して収斂しない意味生成のプロセスがそのまま運動状態で経験されることになるだろう。従って、「ワン・ショット=ワン・シークエンス」のモンタージュでは、A(B←A)=[顔(悲しみ)]といったように、一義的にショットの意味は規定されようがない。とはいえ、そこに統辞論的秩序が存在する限り、「物語」は確固として存在している。しかし、われわれは「物語」という言葉で厳密には何を指しているのだろうか。ここまであえていささか曖昧に使ってきたこの「物語」という言葉の内実を次に詳しく見てゆくことにしよう。

Ⅱ 「物語」の脱構築 ―「古典的映画」から「現代映画」へ

今日、人が映画を見るといった場合、その多くが「物語」を視覚及び聴覚によって体験し、消費するということと同義であると考える傾向がある。或る映画を面白がったり、つまらなく思ったりするのも、基本的に人が見たと考える「物語」を判断基準にしがちである。しかし、視覚的要素と聴覚的要素の組合せを継起的に配列したものは、それ自体では「物語」を構成しない。より、厳密にいうならば、一つのディスクールとしての「物語言説(r残it)」を構成することはあっても、 因果律的・時間的継起性をもった「物語内容(histoire)」は十全なるものとはなりがたい。あらかじめ、先行するものとして、想定される「物語内容」は、具体的な「語り=物語行為(narration)」によって、初めて「物語言説」として、具体化され顕在化する。とはいえ、「語り」が介在していることは、「物語内容」と「物語言説」が、等号で結ばれているわけではないことをも意味している。厳密な意味で、「物語内容」の時間と「物語言説」の時間は、「語り」の運動の介在によって、いくらでも恣意的に変化しうるのであり、たとえ、それが厳密に一致しているかに見える場合にあっても、具体的な出来事の選択とその継起の恣意性故に、逆に「語り」の「騙り」性を露呈するものとならざるをえないのだ。

したがって、「語り」において具現化される、映像と音の継起としての映画的「物語言説」が、誰にでも了解可能なものとして、「物語内容」を円滑に表象=代行しえているかどうかということが、いわゆる「商業映画」などにあっては大層重要な事柄となるのである。一般に一本の映画が、「わからない」とか「むずかしい」といった言葉で難詰されたりもするのは、概ね「語り」の運動によって具現化される「物語言説」が、「物語内容」を素直に再現=表象していないからであるといってもよかろう。とりわけ第二次世界大戦以後、観客が「物語内容」を再構成し、その全体像を掴むことが不可能であるような、断片化や非中心化の力学を漲らせる、いささか穏当ならざる映画が、急速に世界映画史に現れて来たことは誰もが知る通りである。ここで「物語内容」が、透明なほとんど顕在化しない「語り」によって「物語言説」化される映画を「古典的映画」と呼ぶことにしよう。そして、「物語内容」が、円滑には表象=代行されえないような逸脱や歪曲に満ちた奇形的顕在的な「語り=騙り」によって「物語言説」化される映画を「現代映画」と呼ぶことにしよう。もちろん、こうした二分法には収まりきらないどちらの要素をも兼ね備えた無数の映画が存在するだろうが、とりあえず事態を単純化するためにこの二種類の映画分類によって話を進めよう。たとえば、アンドレ・バザンはこういっている。

モンタージュは、《目に見えない》ように使用することができる。それが、戦前の古典的なアメリカ映画においては、最も頻繁なケースであった。そこでは、ショットは、出来事を場面の具体的なあるいは劇的な筋道に従って分析するという唯一の目的によって分割される。分析が行なわれているという事実をわれわれから見えなくしてしまうのは、そうした筋道であって、観客の精神は、演出家が彼に提供するいくつかの観点を、それらが行為の地理学や劇的興味の移動によって正当化されることから、ごく自然に受け入れてしまう。*4

バザンは「古典的映画」の特徴をモンタージュが《目に見えない》ということに見た。有名な《目に見えない=不可視の》デクパージュ(d残oupage invisible )である。これは言い換えるなら、「語り」の運動を決して顕在化しないということであり、そうすることで観客はあたかも具体的画面(物語言説)など見ることなく「物語内容」のみを受容しているかのような錯覚に陥るのだ。これが、《目に見えない》デクパージュの極意である。かくして、「古典的映画」の世界的規模での普及と浸透は、すでに述べたように映画を見るとは「物語」を見ることであるという信仰というかたちで一般化して、今日にまで根強く広がっていることは言を俟たない。

他方、第二次大戦後、イタリアのネオ=レアリズモや、フランスのヌーヴェル・ヴァーグなどの一群の映画が登場するのだが、それらの映画は、戦前のハリウッドで完成を見た「古典的映画」とは明らかに著しく異なった様相を呈していた。スタジオからロケ撮影への移行、著名な俳優ではなく、無名の素人を起用すること、完成したシナリオよりも即興演出を重視すること、映画の劇的起承転結よりもより真実に近い生活=人生を捉えること等々といった大きな転換は、映画的表象の古典的安定よりも、崩壊に瀕した戦後社会の生々しい様相をよりリアルに映しだすことに主眼が移ったということを示しており、またそうした傾向をもっとも見事に体現したネオ=レアリズモ映画への世界的な熱狂は、「古典的映画」の表象システムの孕む虚構の安定性に、観客の側が一時的にせよ同調し難くなっていた事態をも指し示しているのかもしれない。こうして、第二次世界大戦のインパクトは、「古典的映画」の表象システムにある不可逆的な亀裂を走らせ、一九六○年代以降のその崩壊を準備することにもなるのだが、「現代映画」と呼ばれうる一群の作品と映画作家たちは、こうした背景の中で登場して来るのである。

 《見えないデクパージュ》による「古典的映画」の「物語映画」としての表象システムの安定には、もはや観客も映画作家もほとんどリアリティーを感じられなくなったかに見える一九五○年代、ハリウッドでは「赤狩り旋風」が吹き荒れ、才能ある映画人が、亡命やら失職やら裏切りの中で、陰欝に歪んだ映画を撮ることとなり、フランスでは弛緩しきった当時の自国の文芸映画に飽き足らない『カイエ・デュ・シネマ』の若き批評家たちが、映画作家としての蜂起の日を着々と準備していた。こうして六○年前後には今日、「現代映画」のメルクマールとなる重要な作品が次々に誕生することになる。

五九年『勝手にしやがれ』A bout de souffleで鮮烈なデビュ ーを飾ったジャン=リュック・ゴダールは、長すぎる自作を短縮するために全体にわたってショットに鋏を入れ、奇妙なジャンプ・カットだらけの、しかしとてもテンポのよいジャズ的リズム感に満ち溢れたその神話的長篇第一作で一躍「現代映画」の最前線に躍り出る。アラン・レネは「ヌーヴォー・ロマン」の旗手アラン・ロブ=グリエのシナリオを得て、画期的な『去年マリエンバードで』L'ann仔 derni俊e * Marienbad(一九六一年)を発表し、センセーションを巻きおこす。もちろん、イタリアではネオ=レアリズモ以後の重要な映画作家、フェデリコ・フェリーニが、『甘い生活』La dolce vita (一九六○年)、ミケランジェロ・アントニオーニが『情事』L'avventura(一九六○年 )を発表している。まさに一斉に堰を切ったように乱立したこれら「現代映画」の傑作群は、まったく個々に特異性を孕んでいるのは言うまでもないが、しかし同時に共通の特徴を有していることにも注目したい。まさにその共通の特徴にこそ、映画は「物語」からいかにして自由になりうるのか、という本論の主題でもある問題を解決するための糸口を探り当てることができるのである。

「古典的映画」が、《見えない》デクパージュによって「語り」の痕跡を消し去ろうとしていたのに対して、新たに登場した「現代映画」は、むしろ積極的に「語り」を顕在化し、物語言説に観客の注意を引きつけようとする。とりわけゴダールが『勝手にしやがれ』で行なったジャンプ・カットの組織的な使用や、俳優がカメラに向かって語りかけるといった演出は、透明であるべき「語り」を顕在化し、観客をそれに対して覚醒させる働きをする。ここには、すでに「現代映画」に計らずも巨大なインパクトを与えることになるベルトルト・ブレヒトの「異化効果」の萌芽を見ることもできるだろう。

「現代映画」とは、一口に言えば、「古典的映画」が自明の前提としていた「物語」を批判的に脱構築する「物語批判」あるいは「イメージ批判」の営みそれ自体を映画作品化したものといってもあながち間違いではあるまい。

だから、「現代映画」にあっては、「物語内容」は、「語り」にとってもはや自明の前提ではありえない。『去年マリエンバードで』が、そうであるように、「語り」によって再構築されるべき当初の「物語内容」自体が、いくつもの差異を孕んだ虚偽の「語り=騙り」の中でさまよい、やがて散乱した鏡の破片の中に四散することになる。『不滅の女』L'Immortelle(一九六三年)や『嘘をつく男』L'Homme qui ment(一九六八年)といった「現代映画」の傑作をものにしている映画作家でもあるアラン・ロブ=グリエとレネの切り開いた映画的時空間の絶対的迷路は、「語り」が決して真実を語るものではなく、「騙り」でもあるのだということを観客に思い知らせながら、「語り=騙り」の運動が具現する「物語言説」のほとんどバロック的散乱ぶりをたっぷりと悦楽させてくれるだろう。

 

・ ストローブ=ユイレ、

  「物語」からの自由へ向けて

ところで今日、われわれは映画におけるもっともラディカルなブレヒト主義者を知っている。古楽奏者のグスタフ・レオンハルトにバッハの扮装をさせ、ほとんどすべての場面を同時録音、ワン・ショット=ワン・シークェンスの演奏シーンばかりで撮り上げた『アンナ=マグダレーナ・バッハの日記』Chronik der Anna Magdalena Bach(一九六七年)の徹 底して厳格であるが故の途方もない自由の実現を目のあたりにした観客は、ジャン=マリー・ストローブ&ダニエル・ユイレこそが、「現代映画」にあって、ブレヒトの教えに忠実であることでもっとも自由な映画を撮り続けている映画作家であることを確信する。この偉大な夫婦映画作家のデビュー作である短篇『マホルカ=ムフ』Machorka-Muff(一九六二年)、中篇『妥協せざる人々』Nicht vers喇nt oder Es hilft nur Gewalt herscht(一九六四/六五年)はいずれも六○年代前 半のフランスのヌーヴェル・ヴァーグと同時代的朋友関係にある。とりわけ『妥協せざる人々』における単線的物語の解体と再構築は、レネの『去年マリエンバードで』と双璧といえるかもしれない。

しかし、グリフィス的単純さを希求するストローブ=ユイレ作品は、レネ=ロブ=グリエ作品のバロック的散乱ぶりとは著しく異なっている。ストローブ=ユイレ作品の強さは、ブレヒト的物語=イメージ批判をラディカルに継承しつつも、あくまでもグリフィス的単純さを希求することによって確固としたものになっているのである。われわれはグリフィスの『スージーの真心』True Heart Susie(一九一九年)とともに『アンナ=マグダレーナ・バッハの日記』を見直すことで、「現代映画」の向かうべき一つの極限を知ることになるだろう。グリフィス作品とはハリウッドが、《見えない》デクパージュを確立する以前のラディカルな「現代映画」にほかならないのだ。

そして、われわれは、ストローブ=ユイレとともに「現代映画」のもっとも先鋭かつ繊細な境域に佇んで、しばし茫然とするほかなくなるだろう。『早すぎる、遅すぎる』Trop t冲,Trop tard(一九八○/八一年)という、その大半が、フランスとエジプトの農村風景からなっているもはや分類不能の映画を前にして人は言葉を失うだろう。一〇五分の上映時間の内、前半はフランスの農村風景にフリードリヒ・エンゲルスのカール・カウツキー宛て書簡の朗読が、後半のエジプトの農村風景にはマフムード・フセインの『エジプトにおける階級闘争』の朗読が、ごく疎らに入る。特に凄いのは後半になるとほとんど朗読も途切れ、同時録音による物静かな音と気の遠くなるほど長いフィックス・ショットや、車から道を行く前方を延々と撮ったショットなど、ほとんど度外れた「ワン・ショット=ワン・シークエンス」の画面が続くことだろう。アンドレ・バザンの唱えていた映画的リアリズム論からいってもほとんど極限的な画面というほかはない。

厳選された風景にはしかるべき歴史・社会・政治的意味があるはずではあろうが、大概の観客には何もわかるまい。朗読のコメントが疎らに入ることで、ある歴史・社会・政治的コノテーションが、いま映しだされている風景に付与されるのだが、しかし、それも長い沈黙の中に消え、聞こえてくるのは、同時録音で採られたエジプトの農村地帯の微弱な音だけである。

観客は、風景の中にコメントにあった階級闘争の痕跡を探そうとする。しかし、そこには現代のエジプトののどかな田園風景が広がるのみである。われわれは、いま、ここでいったい何を見ているのだろうか。そんな疑問がふと脳裏を掠める。かつてあった階級闘争の「物語」。現代エジプトのいまここに見える田園風景。それを見ている観客である「わたし」。映画とは観客のいるこちらの世界からスクリーンに映しだされるあちらの世界を覗き見るものだとばかり思っていたのだけれど、どうもいまや様相は一変してきている。

こちらの世界とあちらの世界の境界は、この途轍もない「ワン・ショット=ワン・シークエンス」の長い時間的持続の中で溶解し始める。こちら(=映画館)とあちら(=スクリーンに映しだされた世界)の二元論は、この恐るべき持続の絶対性の中で映画=世界の一元論へと移行してゆく。こんなことが映画を見ることにおいて起きてしまうのだろうか。何も起こらないのどかなエジプトの田園風景をじっと見続けることが、途方もない事件となることの驚き。おそらくは、これもまたラディカルなブレヒト主義者としてのストローブ=ユイレの仕掛けた「異化効果」なのだろうか。映画を見るとは「物語」を見ることではない。われわれは、ストローブ=ユイレとともに映画=世界を発見しているのであり、たぶんいつも見ていながらも決して本当には見ていなかった世界を映画として発見しているのだろう。

いまやわれわれは、「ソポクレースの『アンティゴネー』のヘルダーリンによる翻訳のブレヒトによる改訂版(一九四八年)」という原題をもつストローブ=ユイレの『アンティゴネー』Die Antigone des Sophokles nach der H嗟derlinschen ・ertragung f殲 die B殄ne bearbeitet von Brecht 1948(一九 九一年)のある画面について語らねばならない。テーバイの王クレオーンが、長セリフをいう前半の方にある画面のことだ。あのストローブ=ユイレ独特の、人物をミディアム・クロース・アップで左斜め上方からやや俯瞰気味に捉えた画面、背後には大きな方形の石が横並びに配置されている遺蹟の一部が見えている。突然、その白っぽい石の上を黒い蜥蝪らしきものが、画面左から現れクレオーンの背後を素早く動いて画面右上方へとフレーム・アウトする。手前にいるクレオーンは、当然のことながら、そんなことなど知る由もなくセリフを語り続けている。

われわれ観客は、一瞬ぎょっとする。背後の石の上を横切った黒い蜥蝪らしきものは、いま語られている『アンティゴネー』の「物語」とは何の関係もないのだ。普通ならばこのカットは、ボツになるだろう。蜥蝪は、「物語」の主筋とはまったく関係していないのだから、この画面にとっては過剰なノイズにほかならない。だが、ストローブ=ユイレはあえてこの画面を使っている。おそらく蜥蝪の登場は偶然の出来事にすぎないのかもしれない。しかし、この画面が観客に与える衝撃は、やはり正しく「異化効果」と呼びうるものである。実際この映画は、シチリアのセジェスタにある古代ギリシアの円形劇場の遺蹟で撮影されているのであり、ハリウッド流の人工的なロケセットではないのだ。それ故、画面内に奇妙な小動物が入りこむこともあるだろうし、また他の場面で顕著だが、アンティゴネーの重要な長セリフの場面に風が吹いてきて同時録音のマイクに風が当たる音が入ったり、あるいは日が雲間に入って光の明度が落ちて、しばらくするとまた明るくなったりといった、ロケ撮影の自然的条件が、映画の撮影に絶えず偶発的に介入するのだが、そうしたことをも、すべて肯定する姿勢が貫かれている。

これが、演劇の記録映画であるならば、さして驚きもしないであろう。そうした偶発的出来事にも見る者が、一々心揺すぶられてしまうのは、ストローブ=ユイレの完全主義的なフレーミング、デクパージュ、録音の精度、厳密にフォルマリスム的な演技様式といった諸々の厳しい制限をあえて自らの演出に課している映画作家であるが故に、なおのことそこに介入する自然の出来事が、何か途方もない事件ででもあるかのように感じられてしまうからなのだ。そうでなければ、たかだか蜥蝪一匹人物のいる画面の背後を通りすぎてもさして気にも止めないだろう。だが、われわれは、この一匹の黒い蜥蝪とおぼしきものの「物語」とまったく無関係な登場と通過に、痛く心揺すぶられてまう。そして、こんな自由な画面をかつて見たことがないということに無上の至福を禁じえないのだ。

映画はいかにして「物語」から自由になりうるか。答えは、この一匹の爬虫類の無償の運動の中にある。

 

*1 カレル・ライツ、ギャビン・ミラー著、大谷堅四郎訳『映画編集の理論と実際(上)』岩崎放送出版社、一九七一年、四五・四六頁を参照。

*2 カレル・ライツ他、同右、二七頁を参照。

*3 Cf.Andr Bazin, "Montage interdit "(1953 et1957),in Qu'est-ce que le cinema?,Paris,Les,Editions du Cerf 1994,pp.58-59.(アンドレ・バザン著、小海永二訳「禁じられたモンタージュ」、『映画とは何かⅡ映像言語の問題』、美術出版社、一九七○年、一七一頁を参照。)

*4 Cf."L' evolution du langage cinematographique"(1952,1955,et1950),ibid.,pp64-65.(「映画言語の進化」、同上、178~129頁を参照。)


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