◎シンポジウム・アジアのなかの教科書裁判

ディスカッション

佐藤伸雄 歴史教育者協議会副委員長  林 哲 津田塾大学助教授 

殷燕軍 一橋大学客員研究員  永原慶二 一橋大学名誉教授

山村睦夫 経済学部教授/司会

 

司会 問題提起をされた先生方ありがとうございました。皆様方からのご質問やご意見を承りながら問題を考えていきたいと思いますが、最初に、問題提起をしていただきました先生方から、補足のご発言がありましたらお願いしたいと思います。

佐藤 永原先生が最後に、日本人がとかく日本中心の歴史認識を持つ、それを是正していくためには、日本の歴史の相対化というものが必要であろうということを申されましたけれども、これは教科書裁判の運動を通して私自身も感じていたことであります。

 実は家永先生の教科書自身、これが絶対的にいいものだというような言い方はできないだろうと思います。そして特に家永先生の裁判が起こった後で、在日朝鮮人の学者の方から、家永教科書にはこういう欠点があると指摘されました。その後、実はいろいろな形で日本人の研究者にも大きな刺激がありまして、私の書いたものも在日朝鮮人の方々から大変厳しい批判を受けまして、いまだに納得できないものもあるし、なるほど、あそこは当たっていたなというものもありました。しかし、そういう切磋琢磨の場がお互いの歴史観を正しいものにしていくだろうと思います。

 また、日中という場合もそうですし、先ほど殷先生から大変厳しいご指摘がございましたけれども、例えば南京事件の犠牲者の数は一体どうなのかということが一つの問題なんですね。例えば南京事件の記念館がございますが、そこに犠牲者の数を三〇万人と書いてあります。三〇万人という数字が意味するものは一体どんなものなのか。藤岡信勝氏などは南京のごく狭い意味でのまちの中にはそんなにいなかったから、そんなに死ぬはずはないと、こういうような議論をするけれども、しかし、南京市という市の中にどのくらいの人がいて、どういうふうなことだったのかということを、現在の中国の研究の側ではどれだけ確認をされているのか。また実は南京攻略戦と言う場合に、戦闘は上海から始まっているわけです。上海から南京に攻め込んでいくときに、随分めちゃくちゃなことを日本軍がやっているわけで、それらの犠牲者は一体どうなっているのかといったようなことを、これはきちんと突き合わせて考えていかなければならない。

 具体的に日本で日本人の加害認識の問題について広く言われるようになったのは八〇年代だと言いました。これは明らかにおそいわけです。四五年に戦争が終わっているわけですから。しかしながらそれは同時に韓国の民主化や民主運動の成果、日中国交正常化ということを通して交流ができるようになった中で行なわれてきたという側面も大事にしていかなければならない。そういう面で考えていかなければならないのではないかと思います。

 きょうのお話の筋合いからしますと、一つは社会主義崩壊の問題がありまして、今、佐藤さんが八〇年代の重要性ということをおっしゃられたわけですが、実はそのようなことはアジアで随分前からあったと考えているわけです。民族の問題も、日本でも随分早い時期にアジアの民族主義とかナショナリズムについては議論になっていたはずで、それは単に概念の問題としてよりは、まさに社会的課題といいますか、それを集団的に解決していく方向として、思想なりあるいは歴史認識なりもあると考えますと、日本では最近もインテリの一部にあるポストモダンの風潮ともあいまって、大きな思想はもうだめになったので、何か身近にある、自分たちがそれまで気づかなかったものを通して考えるという風潮も若干出てきているのではないか。しかしそれだけでは足元をすくわれるのではないかと思います。日本自身が抱えている課題、日本として解決しなければいけない課題については、先ほど永原先生のお話にもありましたけれども、今まで相当密度の濃い歴史研究や社会科学研究の成果をアジアの多くの民族を対象として生み出してきているわけです。それが研究のための研究とか、学問のための学問という形には、まさかなってはいないでしょうねと感じます。

 したがって、問題は歴史事実を確認する意味においても、それは何のためか。ということが人間の生き方としては当然問題となるわけで、単にオタク的関心といいますか、そういう興味で重箱の隅をつつくような方向であっていいんだろうか。私は長い間日本の教育を受けながら、何か日本の教育と同化しきれないといいますか、根本的にずれていると感じているのはそれなんです。多くの友人たちはそれを民族主義的偏向とか、あるいは民族的主張が強いというふうに考えがちですけれども、置かれた条件、客観的現実、それが違えば当然動きのベクトルの方向は違うわけです。ただ最終的な方向といいますか、世界諸民族の平和的連帯とか相互理解を深める方向においてずれているわけでなくて、戦争を起こしたという意味での民族排外主義的な傾向がナンセンスであるということさえ深く掘り下げられていけば展望はあると考えたい。私は、先ほど対立とか論理的な対話というご指摘がありましたけれども、もっとぶつかってみる、最終的な目標の共有性さえ確認していれば、そういうことが必要なのではないかと思います。

 最近の日本で、自由主義史観の人たちがはたしてどのぐらい根の深いものであるのかについては、評価は非常に難しいですし、私たちの周辺でも必ずしも評価が定まっている感じではありません。ただ、あまりにばかにしていてもいけないし、かといって、このあまりにもとんちんかんな問題提起の仕方に本気になるよりは、むしろ歴史認識のあり方が、私たちが抱えている課題を解決するために、どういう方向で克服されなければいけないかをより深く考えるべきではないかと思います。

 深く考えていく作業自体が対話をより深めるわけですし、相互理解を深めることになるのではないか。たとえば韓国と仲良くなりたいといっても、韓国の政権は繰り返し官製の民族主義で、新しい韓日関係とか、新しい未来とかを言っているわけですが、そういう官製の方向に人びとの意識が流されていくよりは、何の制約もない対話だとか討論だとか、人間同士の議論を通じて認識を鍛え上げていくことが迂遠なように見えても本質的ではないかと、申し上げたいと思います。

司会 殷先生、お願いいたします。

 先ほど佐藤先生からのお話があるので、これだけは話をしておきたいんですが、数の問題、範囲の問題ということですけれども、私はそういう専門の者ではございませんが、私の知っている限りでは、極東裁判は二〇万、三〇万の数、そして南京裁判では三四万の数を挙げています。今ほとんどそういう国際裁判で決められた数字を挙げているというのが現状です。当時既にあった数字です。また、範囲の問題ですけれども、私個人の理解としては郊外も含むという話です。ただ、いろいろな説があって、今おっしゃったような上海から南京まで四〇〇キロ近くあって至るところで虐殺された。その数はどうなるのか。今のところ私はまだ十分わかりません。

参会者(和光大学生) 僕は自由主義史観を考える会という会をつくって、自由主義史観に対して、いろいろ藤岡信勝氏が書いている本とか、『近現代史の授業改革』とかを批判的に読んでいるので、どういうことを言っているかはある程度わかっているつもりですけれども、最近、授業とかに出ていても、自由主義史観の思想にかぶれている人とかいますし、うちの学校の教授でも、新しい歴史教科書をつくる会に賛同している人がいらっしゃるんですね。日本の社会としても、本当は自由主義史観の台頭というのは結構危ないんじゃないかと思うんです。でもまわりの学生とか見るとあまりそういうことは知らずにいます。広く一般に自由主義史観の台頭をどうお考えですか。

永原 自由主義史観というのが現象的には世に迎えられているようで、本屋さんに行くと平積みになっているとか、あるいは教育の現場にいらっしゃる先生方の中にも、あの研究会に集まって生き生きと討論をやっているという話がありますが、なぜそういうものが、これは括弧つきかもしれませんけれども、今日「世に迎えられる」のか。それにはいろいろな面から考える必要があると思うのです。

 家永教科書に象徴されるようなと言ってもいいかもしれませんし、歴史家は無力であったかもしれないけれども、戦争が終わったときから戦争責任問題について非常に厳しく論じてきたし、闘ってもきたわけです。でもそういう歴史家の問題の出し方、あるいは研究や主張の仕方が、一般の国民にしっくり行かない面がある。本当に日本だけが悪かったのかという形での非難は、そもそも問題のたて方自体がおかしいわけですけれども、国民はそういうふうに受けとめやすい形になっていたのですから、それに対して説得力のある答えを歴史研究が出してなかった、あるいは歴史教科書が出していないという問題がやはりあると思うのです。ですから、自虐史観的批判が出てくる根拠というものを広く考えてみることが、一つの問題点だろうと思います。

 同時に、あの人たちの言っていることは、学問的にはあいまいで本当に雑な内容だろうと思うんです。時間がないから言いませんけれども、今大事だと思っているのは、藤岡グループがあんなに活動ができる今日の言論社会の構造みたいなものを、もう少しメカニックな意味で追求してみることの必要です。自民党に「明るい日本国会議員連盟」とか、新進党に「正しい歴史を伝える国会議員連盟」とかいうのがあって、これが露骨に大臣たちの妄言の源泉地になっています。藤岡氏みたいな人が出てくると大歓迎、どんどん金の援助をしようと言っているのです。

 藤岡氏の発言が学問的には何ら新しいものを持っていないし、わりと簡単に歴史歪曲的だと言えることがたくさんあります。例えば藤岡氏は二年ぐらい前までは、自分は太平洋戦争肯定史観ではないと言っていたのに、今年の正月ぐらいには、はっきり太平洋戦争肯定史観に変わっているんですね。とても無責任なわけです。世間に向かって言う言葉として、学者がやれることではないような豹変をどんどんする。それはそういうものをけしかける勢力があって、藤岡氏を太平洋戦争肯定史観の方向に引っ張っていく、そう言わせるようなメカニズムといいますか、勢力といいますか、そういうものがあるはずです。

 それは恐らく出版資本の問題とか、政治家の資金の問題などを含めて、今日の日本社会にそういう言論が出てくる構造というものは追いかけてみないとわからないと思います。ただ単純に現在の歴史学の考え方があまりに自虐的で暗黒史観で、亡国の歴史観だから、ああいう反論が勢いを得てきたという、そんな簡単には受け取れない。一体どういう基盤において、どういうパイプを通してあんな形で勢いを得たかを解きあかしていくことが必要だろうと思うんです。藤岡氏批判というものは、彼の言っていることの内容自体の学問的批判と同時に、そういうものを生み出したり支えているメカニズムについて考えてみることがさしずめ必要なことでしょう

佐藤 藤岡氏がどういうところからああいう形の発言をしだしたのかということですが、実は彼は湾岸戦争で一国平和主義ではだめだったと、そこで変わったんだと言っているけれども、これは実はうそです。湾岸戦争よりも前に、ソ連の崩壊で転向した人間なんです。ある人間がどのようなイデオロギーをお持ちで、どのような党派に属し、またその立場を変えるということは、市民社会においては自由であります。しかしながら、学者がかつて自分がやっていたことが恥ずかしくなって、省みて他を言うという形の非難が始まったわけです。ですから、マルクス主義者でもない人に、これはコミンテルン史観だなんて言いだしたりする。

 同時にもう一つ、彼が教育学者であるということの問題があります。実は歴史教育とか地理教育とかいうような教育のことで言うと、「何をどう教えるか」というのが問題になりますね。ところが歴史学者であれば、「何を」のほうに重点を置いた形でものを考えますし、教育学者であれば、「どう」のほうに重点を置いた形で考えることになります。これは大変厳しい問題でありまして、どちらもこだわりすぎると始末が悪いんです。とんでもない難しいことを子どもに教えようとしたり、教えやすいからというので、歴史のつまみ食いをしてみたりということにもなりがちなんですが、彼は教育学者であって、授業の批判というようなところから始まってきている。そういうような要素があるということも考えておく必要があると思います。

 それから、例えば自由主義史観研究会をつくって、教科書から従軍慰安婦問題を削除しろと言いましたね。あれを言いだしたのは去年(一九九六年)の九月からなんです。実は従軍慰安婦の問題が書かれた教科書が検定を通ったという発表はその年の六月の末でありまして、六月二八日の『産経新聞』に彼は大変な自虐教科書が出てきたと言って、検定に通った教科書の悪口を書いているんですが、そこには一言も従軍慰安婦の問題が出てこない。その後だれかが彼に告げ口して煽り立てたんですね。その秋から急にわっとその問題を言いだすようになって、さらに地方議会でいろいろな決議をさせたりする動きが出てきた。そして、中曾根元首相が文部大臣に会わせるとか、自民党に行って講演するとかというようなことが始まっていて、この段階から急激にまた悪くなっている。とにかく彼の中でも短い間に幾つか変化があるんです。

 それから、これはあまり言いたくないことなんだけれども、やはり東大教授というような肩書が大変ことを大きくしてしまっているという、そういう社会的風潮の問題があります。私は、歴史学の世界だったら、東大教授だろうが、京大教授だろうが、変なことを言っても大きな影響を及ぼすとは思わないんですけれども、ある学問の分野においては相当それが大きな影響を与えるという側面があるような気もしております。

司会 ありがとうございました。林先生か殷先生、関連してお話がございますか。

 今指摘されたことに私も全く同感なんですが、今の若い方が自由主義史観に多少なりとも関心を持つような形で指摘するのは、アジア人が日本をよく批判することがあるからだと思います。反日的な言動があると、私たちも大学の中でそういうことを言われるケースがあって、これはとても困る問題だし、注意しなければいけない問題ではありますが、日本では議論するというのはあまり得意ではないようですが、客観的事実はどういうことなのかという問題は、お互いに徹底的にこだわっていいと思うんです。

 従軍慰安婦の問題にしても、これは概念そのもので考えると非常に複雑ですし、そう簡単ではない問題ですし、一部の政治家が言うように公娼制の問題とか何とかという形で、問題の本質をそらす発言があるようですけれども、従軍慰安婦にされた人の証言、それから例えば日本軍の関係者でつくっている資料、これを読んでごらんになれば、それはもう真実に迫る深さが違う問題があるだろうと思います。したがって、どんな方であっても、それがなかったとか、あったとか、それはうそだというのを、徹底的に議論してみればいいわけであります。

 今の若い学生の方が言ったことはとても大事で、実は七〇年代に韓国民主化闘争にとても深い理解を示した方々が、今、アジア女性のための国民基金でやっていることは、今までの認識を引っ繰り返して、とにかく慰安婦の方に、あなた方は大変なんだからまずお金を受け取ったらどうかという話をしているんです。これをアジア女性は本質的にかんかんに怒っているわけです。私はここに日本の知識人の傲慢さのようなものを感じざるを得ません、まさに脱亜入欧以来、全く精神的に変わっていない。どこかでアジアがおくれているという判断に立っているのではないかということです。

 私は自由主義史観の人たちは論外だと思いますが、アジアの友だったという日本の代表的なインテリたちの無残な姿に関しては、明治以来の日本の知識人の問題として、あるいは日本の社会のあり方の問題として考えていくべき問題だと思っています。例えば韓国の慰安婦であった方々だってお金の必要な方もいます。しかし彼女たちが言っていることは、根本的には、自分たちが何でこういう目に遇ったのかわからないということに対する異議申し立てなんです。

 今の自由主義史観のやり方は、中国語で言えば、木だけ見て森は全然見ない。基本的に本質は何か。例えばある兵隊が何かで人を助けたということになると、もうその戦争は侵略ではないという。東南アジアの民族解放だという表現もそうですが、その本質は何なんでしょうか。小さい一つのことを取り出して、だから日本は正しいというならば、その戦争の本質が何かは全然見なくなってしまう。

司会 どうもありがとうございました。あとお一人かお二人ぐらい、いかがですか。

参会者 私は大正の末に生まれまして、教育勅語以来の明治の日本の教育体制にどっぷりつかりまして、小学校に入学したときが満州事変ですから、本当にまっさらな心に皇国史観を刷り込まれました。私の父は中学校の教員でしたから、天照大神が好きで、国史ということに絶大な信頼を置いていまして、そういう家庭で全然疑問もなく、ずっと青春時代をお国のために天皇のためにということで育ちました。どうしてそんな気持ちになったか、今思うと本当に不思議なんですね。それはやはり生まれたときから刷り込まれたパターンがずっと残っていたからだと思うんです。

 ですから教育の力ということのおそろしさを本当に身をもって感じているわけです。私も小学生や中学生を教えたりしていまして、子どもたちが教育によって変えられていく、真っ白な頭に刷り込まれていく恐ろしさということを、つくづく今感じているわけです。七、八年前ですけれども、中国へ行きましたときに、何でもない普通のおばあさん、日本人は中国で随分悪いことをしたから、私たち日本人を見るとしゃくにさわるとか、いやだとか思うんじゃないですかと聞いたんです。通訳の方に言ってもらったんですけれども、そうしたら、いやそんなことはないんだと。戦争は上のほうの人たちがやったことで、あなたたちには何の責任もないんですよと言われたのでびっくりしたんです。日本人がもしアメリカ人に原爆を落としてごめんなさいねと言われたときに、あれは上の人がやったので、あなたには何の関係もないとすらっと言えるかどうか。

 殷先生にお聞きしたいんですけれども、中国のごく普通の庶民の方がそういうふうに言えるというような教育を受けているということでしょうか。日本の国民性として片づけていい問題かどうか。

 確かに教育はしていました。なかでも七二年の国交正常化はとても大変すばらしいことでした。本当は日の丸を見るだけでも大変だったんです。戦後二十何年たっても、徹底的な教育をしないと日の丸の旗を見るだけでも大変なことなんです。本当にそういう教育を周恩来が当時いろいろやったということ、もちろん周恩来ばかりではなくて共産党政権がやったことは事実です。

 ただ、一方で本当は控えているんです。本当はいろいろな論評があるんです。『人民日報』はその中で一般的なもので、厳しい方ではない。その『人民日報』は、このような自由主義史観を持っているのは日本人の大半ではないと言いながら、しかし警戒しなければならないと、そういうような言い方をしています。全体的に中日の友好関係を維持したいということは本音で、歴史問題は先ほども申し上げたように、今でもずっと控えているんです。例えば補償問題とか、いろいろな歴史問題を先に出したのは中国側ではなくて、むしろ日本の方でいろいろな問題を起こして、それで反発しなければならないというのが今までの状況でした。

参会者 私は青年心理学という授業を持っておりまして、その中で教材の一つとして、総務庁が日本を含めて一一カ国の青年にアンケートをやった比較研究があるんです。それをみると、日本の青年はいろいろな質問に対して一般的に自信がないんですね。例えば自分の国について誇れるものの数が少ないし、それから、自分の国の人間のイメージというと、日本人が勤勉というのは全世界に認められているんですけれども、平和愛好には丸をつけないし、見栄っ張りであるというところにはたくさん丸をつける。そうでなくても日本人は控えめで自信がない、子どもたちは元気がないということが気になるものですから、別に自虐史観の味方をするわけではありませんが、本当のことを知らせるのが生きる力になるような歴史でなければならないと思います。事実を隠すのは自信をつけさせることにはならないと思います。今の教科書裁判のことで、七三一部隊とか南京の事件ということで、自分たちの父親とか祖父に当たる人たちがそういうことをしたと知らせるだけでは、私は歴史を知ったことが力にならないと思うんです。その辺をどういうふうにしたらいいか。我々もそうですけれども、大体日本の知識人というのは知るほどに力がなくなります。そういうことで、歴史教育の立場から、知ることが力になるような歴史教育のあり方について簡単にお話を伺いたいと思います。

佐藤 確かに歴史の授業をしていながら、こんなことがあった、こんなことがあったと言って、短い時間の中で戦争の実態というものを語っていくと、これはまさに暗くなってくるんですね。例えば生徒から反発を受けて、もう聞きたくないというような言葉が出てくることだってなきにしもあらずなんです。それを藤岡氏などはうまく利用しているということが言えます。例えばよく藤岡氏や自民党がよく言う、あれはアジアの解放の戦争だったという議論、要するに日本が戦争したおかげで東南アジアの国々は独立したではないかと、いう議論があります。

 それははたして本当なのかどうなのかということを考えるときに、一連の戦争の中で、中国における戦争と、東南アジアにおける戦争とでは、やや性格が違ってくる。中国の場合だったら、これは一方的な侵略であり一方的な抵抗だったということが言えるんだけれども、東南アジアの場合は植民地の争奪戦という意味を持ってきている。だけれども、植民地を持っていた側の連合国はどうであったのかというと、そのときアメリカとイギリスの代表が、我々は領土の拡大を求めているのではないのだ、ファシズムに対する戦争をするのだという憲章を出し、それが連合国側を結集させるという形になっている。ですから、アメリカ自身も帝国主義国であり、植民地から略奪していた国ではあるけれども、そこのところで自分たちのことに一定の歯止めをかけたことがあるわけでありまして、そこを押さえてないと、おまえたちもやったじゃないかというような形の議論になってしまう。

 同時に、戦争というのは勝っても負けても必ずものすごい犠牲を受けるわけです。にもかかわらず国民を動員していくというのにはどんな理由があるのか。一つには、何と言ったって強い軍隊があって、その軍隊のもとで戦争をするという形の政治体制、また、戦争をすることによってもうかる体制を日清戦争以来、日本は作ってきてしまったわけです。さらに、どんなに犠牲を払っても戦争をすることが正しいんだと思うような形の教育のあり方、こういったものを近代史の授業では取り上げなければならないと思います。

 戦争を扱う場合に、国民はどういう形でその戦争に巻き込まれていったのか、そしてどういう損害を受け、あるいは抵抗したのか、こういったようなことを少し細かく見ていく必要があるのではないかという気がいたします。実はこのことは、瀋陽でシンポジウムを開いたとき中国の先生方に言われました。戦争に関して、我々は日本人を大きく四つに分けて考えている。一つは戦争に反対した人、抵抗した人。二つ目に戦争に巻き込まれて中国あるいは植民地へやってきたけれど、中国の人たちに同情を持ち、お互いのためにやっていこうと努力した人。それは結果においては侵略者の一人であったかもしれないけれども。それから何も知らずにとにかく攻め込んできた者。最後には攻め込ませた者。そのように分けて考えているんだと言われたときに大変教えられました。

 日本人の中にもいろいろな形の人間がいたわけでありまして、多くの場合はやみくもにとにかくお上の言うことを信じてやってしまった。けれども、その中で自分たち自身が一体どんな犠牲を払わざるを得なかったのか、というようなところにまで目を向けていく人、あるいは抵抗の気持ちを持っていた人もいた。また行動をとった人もいたのです。どういった人たちがいるのか、こんなことを考えていくことが必要ではないとか思っております。

 被害者と加害者の問題というのは、普通、足を踏んだ人間は痛くもかゆくもないんだけれども、踏まれた人間は痛いんですね。踏まれた人間、被害を受けた人間は、なかなか忘れられるものじゃないんです。これは日本と韓国・朝鮮、あるいは日本と中国の問題だけではなくて、日本の国内だってあります。例えば戊辰戦争のときにひどい目に遇った会津の人は、いまだに長州の萩を許していませんね。これは笑い話ではなくて実際に被害を受けた立場に立つということ、少なくとも教師であるならば、教師が言った一言がどれだけ子どもたちを傷つけることがあるか、隣人の場合でも同様です。そういうことに気がつかないような人間が教育学者として勝手なことを言っていることに対して私は大変怒っているのであります。

 最後に、自由主義史観という言い方は、いかに多くの自由主義者をばかにした言葉であるか。あれは自由主義ではないです。ファシズムですよ。そういうこともきちんと踏まえておきたいと思っております。

司会 どうもありがとうございました。今回は、教科書訴訟で問題になった論点を、深めることがいかに重要なのか、そしてそれを深めることを通じてアジアとの新しい関係をつくることの可能性も幾つか示唆されたように思います。私どももこれを契機として、さらに問題を考えていく機会をつくってゆきたいと思っております。本日は本当にどうもありがとうございました。


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