問題提起2◎アジアのなかの教科書裁判

「朝鮮」と教科書裁判

林 哲 津田塾大学助教授

 

私は教科書裁判について深く考えてきた立場ではありませんが、たまたま在日朝鮮人の一人としてこの問題を考えることが大きな意味をもつと思っていました。朝鮮と言いますのは南北朝鮮を含むばかりか、海外に分散して住んでいる朝鮮人が五〇〇万人を超えるわけですが、在日朝鮮人も含みます。歴史の文脈と現在と未来を総合的に根本的に考えてみたいという気持ちで、「朝鮮」という言葉を用います。

「朝鮮」という言葉自体、現代日本では非常に変わった使われ方になっていて、これについて話を申し上げるだけで数時間かかる問題かと思いますが、私が日本にまいりましたのは一九五四年で既に八歳でした。それまでソウルにいまして、最終的には戦争を避けて家族と共に釜山まで避難しましたが、私の記憶にある言葉は「チョソン」という言葉一つであります。

現在、朝鮮、韓国という言い方がはやっていまして、朝鮮は自動的に今日の北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)を指すかのように考えられがちですが、実は「朝鮮」の呼称をめぐっては今、佐藤先生がお話しになりましたGHQによる日本占領、あるいは冷戦の問題と深いかかわりがございます。日本においては本来は「朝鮮」という言葉は何も悪い言葉ではございませんが、現代では「朝鮮」と言うと北朝鮮のことを指し、韓国人は「韓国」と言ってほしいと、特に韓国からの留学生がそう言いますので、それが誤りのない現実であるかのように示されがちですが、巨大な圧力と政治的文化の中では、それらの呼称も文字どおり「現実」として生産されるだろうということを申し上げたいわけであります。

それはなぜかといいますと、私は非常に不十分な形で韓国の初等教育の一部を受けましたが、私の頭の中には残念ながら「韓国」という言葉が定着しませんでした。テハンミングッ(大韓民国)だとか、ハングッ(韓国)という言葉が強調されたと思いますが、記憶にあるのはチョソン(朝鮮)という言葉一つしかなかったのです。ここで申し上げたいのは、朝鮮、韓国から見るというよりも、むしろ朝鮮という概念の中に含まれるすべての経験、観点、事実、そのようなものを基礎にお話ししたいということです。南北朝鮮、あるいは在外朝鮮人を含めまして、この教科書裁判が提起した問題は、南北朝鮮の民衆に深い意味でその意味が体得されるまでには至っていないというのが私の個人的な感じ方であります。

まず教科書裁判について、特に韓国でこの裁判結果がどのように報道されたのか、ここに資料としてご紹介いたします。

一つは『中央日報』の非常に大きい記事で、家永先生の写真を相当大きく載せ、それから個人の紹介もされています。リードの部分だけを申し上げますと、「三二年ぶりに幕を下ろした日本教科書検定制裁判、過去史歪曲事実上認定」「検定は合憲、韓国の立場は及ばず」となっています。記事の論点を紹介いたしますと、まず第一点は、教科書裁判は、戦後日本の教科書制度はもちろんのこと、過去史反省に鈍感な日本社会全体に予期した以上の影響を与えたということです。

第二点は、三次にわたる家永教授の訴訟の結果は、検定制度は合憲という結果になってしまったが、しかし検定意見中、一部の項目については違法であるという判決とともに、国家賠償命令を下すことによって、日本の裁判所が、日本政府の過去の歴史についての縮小志向の態度を公式的に断罪したという点で意義が大きいとしています。具体的な事例としては、七三一部隊、南京大虐殺、日本軍の蛮行という具体的な事例を取り上げて説明しています。第三点としては、三二年間の訴訟は、一九四八年に始まった日本の教科書検定制度の変化にも決定的に寄与した。文部省は一九七七年に一方通行式の規制から脱して、教科書執筆者の反論権を認定するように制度を変え、文部省の検定基準には、一九八二年、三一運動(朝鮮の独立運動)を暴動と変えよ、などという文部省の指示について、中国や韓国、その他の国々が大いに反発し、国際的な教科書波動として広がるやいなや、近接アジア諸国との近現代の歴史的事象を扱う場合には国際理解と国際協力の見地から配慮することという条項が追加されるようになったと書いています。

第四点目として、この三二年間、教員組合、出版労働組合など、進歩的団体が家永教授の訴訟を物心両面で支援するなど、絶えざる努力の結果、来年度に使用される高校日本史教科書のすべてが従軍慰安婦関連記述を載せるなど、肯定的な変化があらわれるようになったことをあげ、第五点目として、しかし、韓国の立場から見ると、日本の歴史教科書の過去の歴史に関する記述はいまだ不十分というのが事実であるとしている。そして今年の六月、文部省が発表した高校教科書の検定結果について見ても、戦後補償の必要性、従軍慰安婦の数、強制連行の性格の問題など、なお文部省の削除、修正要求が貫徹されていることを見てとることができると指摘している。

第六点目として、最近では日本の戦争犯罪を教科書などで紹介するのは自虐史観であると反発する右翼勢力の反撃も本格化していることに注意しなければならないと指摘し、最後の点として、しかし、相対的にはこのたびの判決は家永教授の著書に限られてはいるけれども、他の教科書も七三一部隊などに関してより詳細に記述するよう促す肯定的な役割を果たすであろうと展望される。これが韓国の代表的な日刊紙、『中央日報』の見方であります。

これはなかなか興味深い見方で、『韓国日報』も代表的な日刊紙ですが、日本の歴史歪曲について正しく理解しようとすることが、三二年の闘争の結果「勝利」したというとらえ方です。また『朝鮮日報』は、「日本教科書検定判決の意味」というコラムの中で、検定は合憲、侵略を否認するのは誤りであるとして、具体的な事例を挙げて説明しております。さらに『ソウル新聞』は、日本の侵略の歴史の教科書記述については、規制が緩和されつつある。良心的な学者の三二年の粘り強い闘争が結実した。しかし、従軍慰安婦問題など、過去の事実の歪曲はいまだ変わっていないとの評価です。これらは基本的なところでは似ているわけですが、最後の『ソウル新聞』だけは、『中央日報』とは対照的でして、結論的には、日本の良心的な声は消え去りつつあると考えているようです。

この問題を分析するだけでも大変な問題ですが、私は新聞のレベルで見る限り、家永裁判に関して直接何かまとまった意見を発表した研究者の見解を見つけることはできなかったわけです。それから、朝鮮民主主義人民共和国に関しても、教科書裁判が幕をおろしたことの意味についての積極的なコメントを見出すことはできませんでした。このことについて積極的な関心をもっているという印象ではありません。

問題の本質は、実は一九八二年の教科書問題のときに出てきておりました。そのときに李泳禧というジャーナリスト出身の漢陽大学の先生が、一九八三年六月に、『韓国社会研究』という本に「再び日本の『教科書問題』を考える」という論文をお書きになりました。これが『季刊三千里』という雑誌に抄訳されましたが、これは非常に重要な論文であったと思います。八二年段階からすると、韓国の一般的な見方そのものが動きつつあるということを指摘できるかと思います。しかし、八二年教科書問題で韓国自身の非常に根本的な自己批判にもつながるような批判が既に行なわれていたにもかかわらず、そのような問題意識の発展というのは、韓国においても弱いと言わざるを得ません。

同時に、朝鮮民主主義人民共和国につきましても、八二年の教科書問題に関しましては、『労働新聞』その他、各研究機関の、日本の歴史捏造、あるいは皇国史観の美化、軍国主義史観の美化という極めて原則的で痛烈な批判は、このときにすべて行なわれております。古代史から現代史までのそれぞれの専門家によって書かれた一つ一つの事実について、いかなる歪曲が行なわれたかということについて、朝鮮民主主義人民共和国社会科学院の歴史研究所で出している『歴史科学』という雑誌の一九八三年一号に論文として発表されています。しかし、今日までこの『歴史科学』という歴史家たちの雑誌が、近現代史について私たちになにか示唆的な論文を発表したためしがないという現実もあるということを指摘せざるを得ないと思います。

これらに関連して皆さんにお伝えしておきたいことは、李泳禧さんが先の論文の中で、教科書問題というのが韓国にとっては単なる教科書問題には終わらないで、朝鮮半島における、特に韓国の現代史そのものの総体的なあり方を根本的に問う問題にならざるを得ないということを、極めて説得力のある例を挙げて展開している点であります。どういうことかと申しますと、南北分断以降、韓国においては教科書は基本的に国定制でした。国定制から徐々に変化しつつありますが、現在なお基本的には検認定で、日本の検定よりも規制の非常に強いものです。高校や中学の教科書も全く同じでして、そのような問題を抱えているわけです。

そして、韓国は歴史教科書の検定どころか、研究上の制約というのがなおあります。私の研究の中心テーマは、朝鮮は、日本から解放されて何で統一独立国家を建設できなかったのかという問題でありますが、この問題については長い間研究自体がタブーな部分がありました。先日もテレビでやっていましたように、南北の離散家族は一〇〇〇万人あって、体制がどうであろうとイデオロギーがどうであろうと、北朝鮮の問題は、韓国にとっても、あるいは韓国民にとっても日常の現実の問題であります。生活現実の問題なんです。ところで一一月末に二人の学者が、統一問題を扱った若者向けの本の中で北朝鮮をほめたたえたとして国に訴えられるという衝撃的な事件がありました。国家保安法という法律がありまして、その中に利敵表現罪というのがあります。もし韓国民がその危険を絶対的に避けようとすれば、事前に大使館に通告しなければまずいことになるわけです。しかし、教科書で授業をするのに一々通告するということが近現代世界にあるだろうかという問題があります。したがって、教科書問題の問題提起の根本的なところは、実は現代韓国においてもいまだなお意識されていない。しかも歴史の歪曲という問題は単に過去の歴史ということではなくて、現在の歪曲なんだというのが李泳禧さんの主張だったわけです。

そういう意味で、既に韓国の一部では一九八二年の教科書問題で本質的な部分が問題として提起されていたからこそ、以後、韓国と日本の間で歴史教育、歴史教科書の協議活動が非常に幅広く展開されてまいります。これは両国の歴史研究者、歴史家たちが中心になって進められたものであり積極的意義を見ることはもちろん可能ですが、また反面では、今申し上げましたように、朝鮮半島が抱える根本問題、いいかえれば東アジアが抱える今日の根本問題は何一つ変化がないと言ってもそう乱暴でないという現実があります。

さらに、東アジアにおける根本的な和解というようなことに関連した問題があります。例えば、帝国主義時代に引き起こされた根本的な階層分解といいますか、両極分解という事態、帝国主義支配国と帝国主義支配の最末端に置かれた状況という事態は、今日どれほど変化しつつあるだろうかという、構造的な把握、あるいは経済的社会構成体という認識のようなものも、韓国においては研究者の間ですらほとんど勉強される機会がなかったというのが現実です。マルクスの『資本論』も八〇年代に入って初めて翻訳されて、読むことができるようになったわけです。そのような動きと、日本がその段階まで朝鮮やアジアを非常に蔑視していまして、その蔑視に気がついて、反省として他者に気がついていく。あるいは他者に目を開いていくという動きは、同時に進んできたことになります。あまりにも短い間に圧縮された形で同時に進んだ。そうすると、例えば深さ、広さ、掘り下げという点において、はたして歴史の深みということを我々は十分にくぐり抜けてこれたかどうかということが問題になるかと思う点があります。

ここでは割愛せざるをえませんが、八〇年代以降、ソウル市立大学の鄭在貞氏などが、非常な熱意で日本と韓国の歴史教科書の研究会、例えば韓日関係史研究会を精力的に主導されまして、自国史中心的な史観を脱し、加害と被害という二項対立を超えるという問題意識で大変努力されているわけです。しかし、そこではなお韓国において、朝鮮半島の分断問題を考えていきたいという歴史意識ないしは方法そのものを深めていく方向でいるのかという点が必ずしも明らかではありません。そういう動きとどういう関連にあるのかということについては、まだまだ問題が残っているかと思います。肯定的な面と疑問符の面の両面が残っていると言わなければいけない思います。

さらに、最近の見るべき傾向として、「韓国における国史教科書の変遷とイデオロギー」という論文が日本語に翻訳されて、『社会科教育研究』という日本の専門雑誌に載るくらいに、時代はやはり変わりつつあることも明らかだと思います。「韓国における国史教科書の変遷とイデオロギー」というのは、国史教科書の持つイデオロギーということです。これには大変な問題があるのですが、はしょって結論だけ申しますと、相当な変化がありました。様々な見解がありますが、多くの人びとにとって肯定的に変わってきている側面があるのではないかということを申し上げたいと思います。

韓国においては、八〇年代に入って現代史研究の状況が爆発的に変わります。特に象徴的なのは済州島四三事件をめぐる問題です。一九四八年に南北分断を固定化させ、韓国を成立させるための単独選挙が行なわれた際に、その単独選挙をめぐって韓国の済州島で起こった民衆蜂起、ここで数万人が虐殺されたにもかかわらず、その人数も定かでなく、これが長らくタブーであったわけです。この四三問題に対するつい最近の済州島道民の関心が、植民地時代について考えたいとする意識よりも強く、アンケート調査では三分の二の人が、戦後史、現代史で置き去りにされた問題を正しく知りたいという点に移ってきています。

このような問題をめぐりまして、一九九四年に韓国の教育部が、第六次教育課程改訂国史教科書準拠案というのを出しました。国史編纂委員会の人たちが執筆にかかわったこの一次試案は、四〇年前のものに比べると大変な前進であるといえます。韓国ではいわゆる民衆史学論といいますか、これを保守派右派はマルクス主義史学というふうに考えているようですが、問題は単純なマルクス主義史学であるのかどうかというより、韓国の民主化闘争の文脈の中で発展してきた思想、観点、歴史認識、要するに民族分断を乗り越えていこうとすると同時に、隣接領域とも相互理解を深めようとする思想にも彩られていることであります。こういう問題の自由な議論の場は不十分とはいえ、経済的社会構成体の変遷の歴史とか、社会構造の歴史とか、マルクス主義をはじめあらゆるものが思考の対象になり、歴史認識の基礎になりつつあって、それを国史教科書も一気に取り入れざるを得ない状況になってきているわけです。

ところが、一九九四年の教科書第一次試案に関して、韓国の右翼が一気に立ち上がりまして、大変な非難を提出したわけです。当時の新聞を見ますと、ファナティックなほどの官製の民族主義と反共イデオロギーに彩られた攻撃でありまして、韓国の持つ問題性のいまだ克服しがたい状況を垣間見せてくれました。にもかかわらず、日本との関係、それから日本の歴史教科書問題に対する韓国の知識人をはじめとする人びとが、日本と朝鮮の関係史のみならず、朝鮮の近現代史の研究進化の必要性を南北にも、また在日はもちろん海外朝鮮人、さらには海外の研究者にも迫っているという事実は大事な動きだといわねばなりません。

しかし、そのような関心の広がりの中でも、植民地近代化論といいますか、植民地支配を肯定するかのような議論が、日本においても朝鮮史研究者とか専門家の中からも出てきています。また、政治的には朝鮮民主主義人民共和国の非常な硬直化というほかない問題、北朝鮮の現実をどのように見るべきなのか、朝鮮民主主義人民共和国の民衆自身はどのように考えているのかが全く見えない現実の体制によって、分断体制そのものを克服することはとても困難になっています。極めて政治的に操作されやすい状況になっている以上、日本における教科書裁判の教訓といいますか、これを南北朝鮮において深く取り込んでいくことが、教科書裁判の韓国的文脈における意味、朝鮮史的文脈における意味だと言わざるを得ないと思います。


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