ディスカッション

若林敬子 厚生省人口問題研究所・地域構造研究室長

橋本堯 人文学部教授

佐治俊彦 人文学部教授/司会


司会・佐治 ただいまから討論を始めたいと思います。差し支えないようでしたら、最初に現在の所属などを簡単に紹介の上、質問や意見を出して下さい。

参会者 私は近所に住んでいる山本と申します。中国政府からの要請を受けてNGOとして一九九〇年から七年間中国へ一〇回ほど行き、現地で農業の技術指導をしております。そこで実際見たことと関連して三つほど質問したいと思います。一つは、私は主に非開放区の農村へ行きましたが、そこで目にする電気も娯楽もないという農民の生活環境から考えてみますと、はたして一人っ子政策は現実的に実現できるのだろうかという疑問を持ったことです。
 二つ目は、非開放区は大変貧しく、文盲が多くいます。そういうところは県庁所在地からちょっと離れますと満足に学校もありません。しかし彼らはいわゆる教育を受けて、まあまあの生活をしたいと思っています。つまり教育の問題です。三つ目は、話をするためある鎮(省の下の町)へ行ったときのことですが、朝早くから二〇代の若者三〇〜四〇人が不安そうにしておりました。そこは計画出産の事務所であったわけです。その脇の部屋には検査室と手術室がありました。中国は人治国家ですから「上に政策あれば、下に対策あり」で、上から割り当てられた数と実際の末端の数では違うのではないかということであります。

若林 私などよりはるかに中国について詳しい方からのご質問で恐縮いたします。一つ目から感想も含めてお答えしていこうと思います。中国の社会保障制度は都市だけに限られていますので、貧しい農村では老後は子どもに面倒を見てもらう、そして労働力としての男の子は多ければ多いほどいいとされています。その中でとりわけ農村において産児制限は子どもが欲しいということとの戦いであります。したがって農村における一人っ子政策は難しいというご指摘の通りであると思います。人口問題とは、伝統的価値観をいかに変えていくかということとの戦いでもあるわけです。
 二つ目は教育の問題でしたが、これもご指摘の通りだと思います。中国の文盲・半文盲は減ってはおりますがいまだ一億二〇〇〇万人以上おり、貧しいところでは学校さえいけないという状況であります。問題はやはり学校に行けない、行ったとしても途中でやめてしまうという問題です。なぜやめてしまうかというと、生産責任制が広がる中で子どもの労働力も欲しいからであります。またもう一つ教師の問題があり、金、金という儲け主義へ価値観が変わる中で、給料が非常に低い彼らが脱教師化していくということです。むしろ教師が確保できない、そして子どもはドロップアウトしていく。とりわけ貧困地帯や農村における子どもの脱学校化は非常に大きな問題であります。これは私の先ほど述べた四つの柱の一つから見るならば、人口資質を上げるという中国の国家課題にも直面しているわけです。
 三つ目は、中国では、例えば一人っ子政策の意識調査をすると、「政策が変わるのを待つ」という答えが出てくるように、そのうち国の政策が変わるだろう、それを待つんだというしたたかな人民の対応があったりします。しかしなお一五〇〇万を超す闇っ子(戸籍にない人口<黒孩子>)が存在すると中国政府が発表しましたが、これは親が届け出を出さないだけでなく、上から下まで管理責任体制ができているため、担当者からすれば、自分の管理しているところから計画外出産されたら困るわけです。もちろん給料にも影響します。そうなれば、たとえ登録に来ても受け取らないということになります。まさに「上に政策あれば、下に対策あり」という中国社会の性格をも人口問題は見事に反映しているといえるわけです。

参会者 慶応大学の今井と申します。僕が質問したいのは、今までお話しにあったような伝統的慣習が残っている中で、一九七九年以降人口の増え方は減ってきているわけです。私は実際北京に行き、日本よりも男女平等が進んでいるように感じました。それはおそらく、北京という都市だからだとは思うのですが、そこには女性の解放があったと思います。僕自身よく知らない農村などではお話しにあった現実があるとは思うのですが、そうした農村の現実と、実際に成功した人口政策がどのように結びついていくのか。結局国の政策担当者の意見が末端まで伝わって、国民一人一人が人口政策も大切だと思ったのか、それとも、やはり私的な権力は公権力に従属させられてしまうだけなのか、お二人に意見をいただきたいと思います。

若林 子どもを産むとか産まないとかは上からの政策以外に、人びとがどう考えるかという点が重要であります。一人の女性が生涯で子どもを産む平均出生児数が二・一で、産まないと静止人口にならない中で、北京や上海では現在一・二ぐらいまで落ちています。中国のリーダーたちが言うように、彼らは心の底から子どもはもういらない、という状況まできていると思います。例えば、教育別出生率などを見ますと、大卒や幹部などは非常に低い。それに対して文盲は二、三倍というように差があります。
 そのような意味ではご指摘の通り、中国の都市においては、働いている女性は意識改革がされているとみることができますが、一律にはいえなくとも農村はやはり間引きの問題や中絶など多くの問題があると思います。しかし閉鎖的な戸籍が存在し、都市と農村間に交流のない時は農村に伝統的意識が残っていたと思います。しかし、出稼ぎという形で人びとが動き出すと、社会問題とは別に、彼らが都市から帰ってきた時、農村の価値観を変えていくことになります。人口移動の問題が、農民の伝統的価値観をも変えていくだろうということはいえると思います。ちょっとお答えにならないかとは思いますが……。

橋本 私は先ほどあえて男尊女卑の問題についてはふれませんでした。なぜなら男尊女卑は中国だけでなく世界でも当たり前でしたし、現在もなお残っています。したがってわざとはずしました。私は文化的違いや伝統的文化の重みというのは、そんなに本質的な問題ではないと思っております。そうではなくて、経済的、社会的、教育・文化的な貧困差に、現在の政府が公的な経済力や責任に基づいてどこまで対処しているかということです。ところが実際はやられていません。そこに問題があると思います。
 都市だけ見ると確かに女性が進んできています。なぜでしょうか。先ほどひどい農村の状態が紹介されましたように、ここに答えの一つがあるように思います。つまり公教育が全くさぼっているわけです。したがって状況が変化すれば価値観も変化していくわけですから、この問題は伝統的なことよりもむしろ次のようなことを考えていかなくてはならないと思います。
 一つは社会保障や医療・文化・教育の保障を公的機関で農村まで行き届くようにしなくてはならないということです。二つ目は交流が農村の意識を変えるというお話しがあったことと関連して、移動の自由の確保だと思います。三つ目は、<黒孩子>の<黒>は闇という意味ですが、これは権力者側からの価値づけであるわけです。上からは闇ですが、下からは決して闇ではありません。また人口政策に関する中国側からの弁明は聞きますが、それらはすべて政府側の見方でしかないわけです。したがって、人口問題に関する選択権を国民に委ねるか委ねないかという裁量が、全く存在しないことの方が問題だと考えるわけです。

参会者 総合文化研究所助手の内田と申します。米国のことがでましたので、教えていただきたいと思いますが、「プロ・ライフ派」と「プロ・チョイス派」はどちらもグローバルな人口増加問題として考えているのではないかもしれない。むしろそれは議論展開の一部の問題だと思うのですが、そうならば主要な主張点を教えていただきたいというのが一つ目であります。また、グローバルな人口問題として議論を展開しているとすれば、それぞれの主張の反論に対してどう答えているかを教えていただきたい。三つ目はそこから少し離れるかもしれませんが、カトリックあるいはプロテスタントの保守派が「プロ・ライフ派」にいるわけですが、米国での宗派とその人たち自身の出生比の関係を教えていただきたいと思います。

若林 私自身米国の人口問題に自信を持っておりませんが、グローバルな問題をどうするかという視点は「だからどうだ」という形に分かれているというわけではなさそうですね。現時点の解釈における宗教なり価値観の相違だと見ておいた方が的確ではないかと思います。

参会者 この大学で社会学を教えている三橋と申します。先日新北京駅へ行きました時に、初めて地方から出てきている人を見たのですが、そのような人たちに対する上からの政策は今どうなっているのか。それから彼らには働き口があって、後から来る人たちがそこで回転をしているのか、それとも停滞してしまっているのか、その辺の現状を教えていただきたいと思います。

若林 人口流動問題というのは一人っ子政策以上に、現在は人口問題の柱になっております。「盲流」という形で動き出した一九八五〜八六年頃、口コミなどで広東省や海南島へまさに盲目的に動き出したことが社会問題となりました。その後、軍隊が動き出して元に戻しましたが、また翌年農閑期になったら出てくるという状況でした。それが今は「盲流」から「民工潮」という言葉に変えられつつあるように、盲目的に流れるのではなくて出稼ぎというはっきりとした目的を持って出てきて、戻っていくというようになってきています。つまり「民工潮」とは出稼ぎの流れを意味しています。それは農民からいえば、出稼ぎをして現金収入を得て戻ることになりますが、北京や上海などの大開発をしている都市側も安い労働力が必要になってきているということです。
 それも技能労働力や日本でいう3K的な労働力、建設業に必要な労働力といったように都市側も計画的な経済発展にともなってさまざまな人材が必要になってきています。また戸籍にも便宜が図られており、例えば都市側では勝手に来られては困るとして、人口を出す側と受け取る側がいわゆる協定を結ぶという流動人口の管理体制が今進行しつつあります。もちろんすべてが管理されているかというとそうではありませんが……。その他非常に細かい規定が作られており、すでに最初の「盲流」ではないということです。
 しかしやはり依然として先に行った人間の後に続くという、人のコネで多くの労働力が動いていることも事実です。その辺の動き方についても、調査の結果正確な状況がわかるようになってきております。

参会者 現在は何もしておりませんが、現役時代商社に勤めていたこともあり、国際感覚をできるだけ失わないようにと思い、今回出席させていただきました。ちょっと本題から外れてしまうのですが、単純な質問なので簡単にお答え頂ければ幸いです。先生の出されている資料の中で、先進国の中で米国だけが人口の増加が激しいように思うのですが、その根拠は何かあるのでしょうか。

若林 アメリカ合衆国はおよそ二一世紀の半ばに白人と非白人系の人口比が逆転するといわれていますが、要するにそれぞれの出生率の違うことが、人口構成を大きく変えていく要因になります。それで米国は移民政策をどうするかという大きな問題を抱えております。ヨーロッパを見ますと、ドイツやフランスなどでは移民が一般的に高い出生率であり、かたやドイツ人やフランス人の出生率が低下し人口構成を変えています。おそらく米国も同様のことと関係しているのではないかと思われます。
 またもう一つコメントしておきたいことは、ブッシュ時代もそうですが、アメリカに移民したいという中国人は、人権侵害である一人っ子政策を逃れるために政治亡命を認めろと主張して何度か許可されています。しかし例のゴールデン・アドベンチャー号などに代表される非合法移民を一時期から米国はコントロールしはじめました。オーストラリアも同様です。いずれにしても、一人っ子政策がらみの人権無視を亡命理由にしているということが要因であることも補足しておきたいと思います。

参会者 経済学部の持田と申しまして、農業経済を専攻しております。本日レスター・ブラウンの話が何度か出てきましたが、彼が例の「だれが中国を養うのか」という論文で問題提起をして以来、中国の食糧問題は大変ブームになっております。最近中国で『食糧白書』が出されましたが、これはレスター・ブラウンに対する一種の反論で、中国人は中国人が養うと宣言したようですが、これ自体正しいかどうかは問題がありまして、なかなか厳しい計算があるようです。この中で、中国人は一人当たりの摂取カロリーが二七〇〇カロリー前後であり、世界平均とほぼ同じであるとしていますが、私にはこれがよくわかりません。日本は二六〇〇ちょっとで、つまり日本より高いわけです。これはどういう計算になっているのか、教えていただきたいと思います。

若林 レスター・ブラウンの問題提起の後、ご承知のように多くの批判がでました。穀物を表わす中国語の≪糧食≫には、芋などが入ります。ところがレスター・ブラウン推計は、外形的なところから違っていると指摘されています。そしてこのレスター・ブラウンの警告が一つの誇張された数字でしかないのではないかという批判に対して、それをどう評価するかという問題があります。
 例のOECFの数字が出された後あたりから、定量的な計算はやはり誇張がありすぎる、しかし定性的な流れとしてはレスター・ブラウンがいうことはまさに的確な警告であるとされています。そして今中国の自給率はぎりぎりであり、二〇二〇年頃には穀物を輸入せざるを得なくなる、という点では双方完全に一致したとみていいと思います。さらに、問題は今後どうなっていくかということですが、中国がこのまま経済発展を続けていきますとすでにふれた通り、大量の穀物が要求されることは間違いないと思います。
 さらにいえば、先日、ローマの食糧サミットで李鵬が「問題ない」と演説しましたが、その時の一つの問題は例の耕地面積の問題でありました。私は自分の論文の中で、耕地面積は生態環境の悪化から減少していると書いていますが、その理由には、一番生産力の高い地域で道路や宅地、工場などが次々と建てられたり、また先ほど強調しましたが、生態環境からくる砂漠化などがあります。それに対して中国側は、それらを隠したいという動きもあり、技術の方が発展して食糧問題は解決するとみるか、耕地面積はより厳しくなるとみるかは議論の分かれるところだと思います。私はレスター・ブラウンの問題提起は若干誇張はありながらも、東アジア全体の問題として非常に的確な警告であると考えるわけであります。

司会・佐治 予定していた時間をだいぶ過ぎておりますので、とりあえず討論をここで締めさせていただきたいと思います。長時間にわたって有意義なお話しをうかがうことができました。まだお話しをうかがいたい方がいらっしゃると思いますので、どうぞこのあとに予定しています懇親会にご参加下さい。
 では、これで秋期シンポジウムを終わらせていただきたいと思います。本日は遅くまで熱心に参加していただき、どうもありがとうございました。


souken@wako.ac.jp
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