問題提起2
改革開放体制下の人口問題

若林敬子 厚生省人口問題研究所・地域構造研究室長


皆様こんにちは。前々からうかがいたいと思っていました和光大学で、このような機会をいただきありがとうございます。私に与えられましたテーマは、中国の人口問題を人権の側面から語ってくれないかというものでしたが、あまり人権にこだわらずに、人口問題を全般的に話しながら人権の問題にもふれていきたいと思います。

世界人口は現在五八億を超え、毎秒三人、毎日二七万人、毎年九七〇〇万人が増加し続けています。一九六八年に、ポール・エーリック、スタンフォード大学の教授が『人口爆弾』(The Population Bomb)という本を書き、大変な影響を与えました。その四年後にローマクラブが『成長の限界』を発表しましたように、一九六〇年代後半は最も世界の人口増加率が高い時でした。

その時に警告したポール・エーリックは、一九九〇年になって『人口爆発』(The Populatiom Explosion、邦訳版は『人口が爆発する!』水谷美穂訳、若林敬子解説、新曜社、一九九四年)を発行しました。つまり二〇世紀はまさに「人口爆弾」が彼の言葉を借りると「爆発した」といえるのであります。

人口増加率で言えば、二%を超えるということを世界が気付き、一九七四年、初の国家レベルの会議、第一回国際人口開発会議(一〇年に一回)がルーマニアのブカレストで開かれました。その後、一九八四年にメキシコシティで開かれ、一〇年後の一九九四年にはエジプトのカイロで開かれました。つまり現在人類は、世界的な人口爆発にいかに対処し、人口増加率を低下させていくかということ、それはまさに二一世紀に向けた、人口・環境・食糧・エネルギー問題というグローバルな問題に直面していることだと思います。

その中で、言うまでもなく最大の影響力を持つのが、中国大陸のみで一二億人、世界人口の二二%、四人に一人近くを占める中国の人口であります。中国の人口がいかに動くかということが様々な影響を与えるということです。例えば食糧問題について一昨年あたり、米国、ワールド・ウォッチ研究所所長のレスター・ブラウンの問題提起が東アジアに与えた影響の母体となっているのも中国の人口の動向が与える巨大な影響力に依拠しているのです。それでは本題に入っていこうと思います。

私は中国の人口問題を考えるにあたり、次の四つの柱を立てています。一つは人口の数そのものの問題です。これは中国の国家的政策「一人っ子政策」による数をいかに減らすかという問題につながります。それから数だけでなく、減らす中で問われている子ども一人ひとりの資質の問題が二つ目です。これには遺伝学的にも健康で優良な子どもを生むために考え出された「優生」の問題があります。

この人権と直接関係する「優生」問題については、後ほどふれたいと思います。三つ目は、現在中国の現代化論として人口問題の前面にでてきている「人口の移動分布」の問題であります。これまで、厳しい戸籍制度(農民という戸籍は一生農民であり、自由に都市戸籍に移せない)のもとに農村に封じ込められていた農民が、改革開放政策によって戸籍は農村におきながら大都市へと動き出した(「盲流」「民工潮」という)、出稼ぎ農民の問題であります。

四つ目としては、「年齢構造」が問題となります。つまり一人っ子政策によって数をおさえた結果、二一世紀に人口高齢化という大きなツケがまわってくるわけです。例えば日本は、戦中の「生めよ増やせよ」から戦後の家族計画においてわずか一〇年間で出生率を半減させましたが、これによって御承知のように現在他の国に例を見ないスピードで人口高齢化問題をかかえているのです。中国も二一世紀には、同様の問題に直面するに至ったということです。以上四つの柱を整理しながら論を立てております。そこで、その中から少し話をひもといていきたいと思います。

中国が「一人っ子政策」(一組の夫婦に子ども一人を提唱する)という世界にも例をみない実験を始めたのは、一九七九年のことでした。人民共和国成立後の人口政策史は、紆余曲折する苦難の道のりでした。かの毛沢東は、人口は多ければ多いほど国の武器になる、つまり人間はものを食べる口は一つだが働く手は二本あるという、人口資本説を唱えました。それに対して一九五七年のことですが、当時北京大学学長の馬寅初という経済学者が、人口は経済発展のためにはある程度抑制しなくてはならないという「新人口論」を提出しました。それは「大躍進」の時代を迎えるなかで、毛沢東の主張に対立するとして厳しく批判され、馬は社会的に葬られてしまいます。

その後、異常な自然災害を契機に一九五八年から始まった「大躍進」運動の政策的失敗などがからみ、二〇〇〇万人が非正常死してしまうという時期がありました。その反動も起因して、六〇年代前半期に、大変なベビーブームが生じました。

一九六〇年に馬寅初が北京大学学長を解任されたあとは、人口研究は〈禁域〉(タブー)となっていたのですが、一九七六年に毛沢東が逝去、その後の調整期を経て、この二〇年間に食糧生産は人口の伸びにしか相当しなかった、何の成長もしていなかったことに気付くわけです。そして現代化早期実現にむけて人口抑制が不可欠であると判断し、一九七九年になると一人っ子政策を急ピッチで進めていくことになるのであります。

その一人っ子政策という新しい人口抑制政策が論拠としたのは、言うまでもなく二〇年前の馬寅初の「新人口論」であったわけです。当時の理論は正しかったとして、馬は九八歳の高齢で名誉回復を果たします。つまり「一人を誤って批判したがために、三億人もの人口を増やしてしまった(錯批一人,誤増三億)」というわけです(�光明日報�一九七九年八月五日)。

一人っ子政策の仕組みを簡単に説明しますと、「晩婚」(遅く結婚)、「晩産」(遅く出産)、「少生」(少なく生む)、「稀」(出産間隔を三〜四年あける)、「優生」の五つを主柱にしております。そしてまず憲法で夫婦に「計画出産」の義務を与えます。一般にファミリー・プランニング(家族計画)という語が使われますが、中国の場合は家族による計画ではなく、国家主体による計画が地域末端の夫婦にまでおりてくるという構造になっています。そして一人っ子政策のあと、人口の資質を向上させよという命題を組み込んだ法令(「中華人民共和国婚姻法」)が一九八〇年九月に制定されました。

実はこの時「計画出産法」という法も同時に作ろうとしたのですが、広い中国を一律に論ずることは難しく、まだ機が熟していないとして見送られたのであります。そこで、計画出産の義務や、結婚年齢を男二二・女二〇歳以上と遅くさせることや、婿入りの奨励といった一般的な内容も入れ込んで「婚姻法」が制定されるわけです。そして具体的な規定は各地区で計画出産条例というものを作って、地域の実状に応じて罰金・奨励金などに差を設けることになっています。

例えば賞罰制度を取りあげてみますと、二子目を生まないと宣言し「一人っ子証」を受領した夫婦は、月五元(当時平均月収の約一割)の奨励金の受領、託児所・学校への優先入学、医療費免除、就職・住宅の優先、年金の加算など七つの優先政策(「七優先」)が受けられることになります。他方、計画外の出産をした者は、超過出産費という罰金を取られるとか、社会養育費の徴収、医療費などを自分で支払い、昇給昇進も停止といった経済措置を受けます。

このように国策として徹底した人口管理を行なっているということであります。女性の性をどのように管理しているかなどの細かい事情については、、『ドキュメント

中国の人口管理』(若林敬子編、杉山太郎監訳、亜紀書房、一九九二年)で詳しく紹介しておりますので、そちらを御覧いただきたいと思います。

つぎに、実状に即して設けられた第二子出産条件の枠についてお話しいたします。これは、一九七九年当初、一人っ子政策を一律に行なおうとしたのですが、一九八四年のメキシコ会議で米国のレーガンに痛烈に批判されるといった国際世論に加え、中国の農村において子どもとは何かという問題と関係しています。

農村では労働力としてどうしても男の子がほしい、また中国は伝統的に男の子が家を継ぎ、年老いたら子どもに面倒をみてもらうという観念から、「多子多福」(多ければ多いほどよい)という伝統概念を変えることは非常に困難であります。それらの実態をふまえ、一九八四年になると一人っ子政策の枠を若干広げるわけです。

では現状はどうなっているかというと、都市については全国共通して原則として一人っ子政策であります。しかし特殊事情の場合(第一子が非遺伝性の身体障害者で働けない、夫婦双方が共に一人っ子、結婚後五年以上不妊で養子をもらった後の妊娠、華僑)については都市でも第二子を認められています。農村の中では、一部では第一子が男女どちらであるかを問わず、第二子を生んでもいいという地区がありますが、原則として第一子が女の子の場合、四年の間隔をおいて許可を得て二人目を生んでもよいとされています。もう一つ、少数民族については、チベット問題など民族問題と関係しますのでプラス一人、つまり都市二人、農村三人、特別辺境地区は四人まで緩和させています。

ここで一人っ子政策によってもたらされるであろう高齢化問題を、国連の推計(一九九四年)から考えてみることにします。それは一人っ子政策をいつまで継続するかという問題にもつながっていきます。

中国は昨年の二月一五日をもって大陸のみで一二億人に達したと宣言しましたが、国連中位推計によると二〇五〇年には一六億人を超し、六五歳以上の人口は三億人近くになり、またそれは年齢構造からいうと一八%を超すとされています。中国は一人っ子政策を開始してまもない頃は一〇億の人口でしたが、国家としての〈適度〉人口を考えた時、六億五〇〇〇万人に減らすという議論がわきあがりました。それは主に水問題などから算出された数値でした。ところがその直後の一九八二年七月にウィーンで国連の高齢問題世界会議が開催され、ここで初めて中国は二一世紀には、一人っ子政策によって大変な高齢化が進むという問題に直面することに気付くのであります。

その結果、当時六五歳以上の人口比を、先進諸国のピークである二三%前後に比べて、発展途上国としての中国は二〇%未満に抑えなくてはならないと認識するに至ります。そして高齢化をのりきるために逆算して出されたぎりぎりの数値は、一六億になっても仕方がないというように認識を改めるわけです。これは先ほどの、一九八四年以降農村で行なわれた実質上の緩和策(第二子出産条件の拡大)とからんでいるわけであります。よって現在の路線からいえば、二〇五〇年に総数一六億に達し安定化し、その後減少していくというのが一般的な認識となっております。

また、中国についで世界の人口大国であるインドが、二〇三五年頃には中国を追い抜き、逆転すると国連は予測しています。それは言うまでもなく例のインディラ・ガンジーが一九七〇年代に人口抑制を最優先課題として取り組んだ結果、インド国民は心底に深く根ざした生命への畏敬を冒涜するものとして大反対し、ガンジー首相は失脚します。その後再び首相として復活しますが強制的な人口政策はとらず、インドはなすがままに現在膨大な「人口爆発」を続けているのであります。

つぎに食糧問題についてふれておきたいと思います。現在「ブラウン旋風」が新聞を騒がしていますが、一昨年レスター・ブラウンと中国が論争を始めた頃、ちょうど時事通信社の『世界週報』でこの論争になりかけている状況を中国側の反論も含めて紹介したところ(若林敬子「中国人口の一二億突破は食糧問題に〈脅威〉か�二一世紀は〈養えるか〉で論争」一九九五年三月二一日号)、非常に大きな反響をよびました。その背景には、北朝鮮に対して行なっていた食糧の無料援助を突然ストップするといったことや、日本への大豆の輸出が停止に追い込まれたり、小麦を米国から突然輸入するといった問題を中国は抱えていたのです。

そのような状況の中で大きな論争が展開し始めたわけです。その内容を簡単に説明しますと、レスター・ブラウンの主張は「中国という国は年間一二〜一三%の急速な経済成長を今後も続けた場合急に豊かになる。そうなると、彼らにとって豊かな生活は肉や魚で終わるものではなく、例えばこれまで飲む慣習のなかったビールに対する嗜好も熱狂的になる。しかも一二億の人口、とりわけ大人一人当たりたった一本飲むようになっても大量の穀物が必要になる」というものでした。つまり、中国は大規模な食糧を買い込む経済的な力はあるが、中国が必要とする大量の穀物を供給してくれる先がない、という状況に陥るというわけであります。このように将来的な推計値を出して中国に警告を発したわけであります。

これに対して、最初中国はわが国を批判するけしからん脅威論であると猛烈に反論するのですが、九月になり、日本の海外経済協力基金(OECF)開発援助研究所と中国農業部農村経済研究センターとの共同研究の結果、若干の数字の違いはありますが、いずれにしても、二〇一〇年頃には食糧輸入大国にならざるをえないことを追認しました。これは中国の動向が、日本に、アジアに、世界に直接影響を与えるという事実が認識されてきたということであります。

これと関連して、環境問題について一言ふれておきたいと思います。中国は国土の広大さに比べ、人間居住可能の範囲が限られております。黒竜江省の北から雲南省の南へ四五度の線を引くと面積は半分になりますが、この東側の面積に人口の九四%が居住しているという分布上の不均衡があるわけです。それに加え、森林破壊、耕地および草地の減少と劣化、水土(表土)流出など、そして最も大きな問題である砂漠化を抱えています。中国側から出される生態環境データーは年々悪くなっており、それは地球環境の動向に影響を与えていくことになります。

またあれだけ広い国土でありながら、実際に穀物を生産できる面積は限られているわけです。つまり中国の人口・食糧・環境の課題を世界の課題としてとらえなくてはならないことになります。だいぶ前半の話が長くなりましたが、つぎに中絶・「優生」の問題とからめて、人権の問題に移りたいと思います。

中国の一人っ子政策は人権に反するとして国際的な批判をあびました。とりわけ一九八四年、米国の当時のレーガン政権が中国は人権を無視する(中絶する)ことによって一人っ子政策を進めていると名指しで批判し、また国連はそれを認めて援助しているとして抗議し、国連の援助金(国連人口活動基金 UNFPA)を停止したのでした。米国の中でも選挙の大きな争点になるように、ブッシュを含めた共和党は非常に厳しい人口抑制(中絶)を批判する立場に立っていました。

しかし、一九九三年に政権を交代した民主党クリントンは、女性の安全な中絶を認めるという政策に大変換するのです。そして中国に対する国連の援助金を再開することになるわけですが、共和党が多数を占める米国議会ではなお根強い人口政策への批判が継続されています。一九九五年に北京で開催された国連世界女性会議でのヒラリー・クリントンの演説がその点で歯切れの悪い内容であったのも、ちょうど米国の内部事情を反映していたのであります。

またその一年前に行なわれたカイロ会議においても、中絶をめぐって衝突が起こっています。最も大きかった対立点は、フェミニストとカトリックの総本山バチカン市国(ローマ法王庁)との衝突であり、もう一つはスカンディナビアと米国のリベラリズムとイスラムを中心とした宗教保守派の価値観の衝突です。

双方の反対派はスクラムを組んで、「リプロダクティブ・ヘルス(性と生殖に関する健康)」「リプロダクティブ・ライツ(性と生殖に関する権利)」という子どもを産む・産まない、いつ産むかを決めるのは女性の権利であるとするフェミニズムの主張を背景に、中絶を認める意図があるとして猛烈に反対しました。言い換えれば、中絶を合法化、安全化し、産むかどうかの選択権を女性に与えるべきだとする「プロ・チョイス(選択権優先)派」と、宗教的・倫理的に受け入れられないとする「プロ・ライフ(胎児の生命尊重)派」との争いであったわけです。

現在もなお米国と中国の間には、人口政策をめぐる米国の中国批判があり、それに対して中国側は他人の国の複雑な人権問題を評価することは侵害であると反論しています。なぜなら、中国における人権問題はまず生存権と発展権が重要であり、なお七〇〇〇万人の貧困人口がいる中で、中国は中国の実状において人口を抑制していかなくてはならないと判断しているからです。そして少なく生まれた人口が衣食に事欠かない生活水準で暮らしていけることが重要なのであり、中絶を許さないために膨大な人口に増え、彼らが貧困で食べていけないならば、どちらが人権を重視することになるかというのが反論の核となっております。

先ほどのレスター・ブラウンがこのようなことを言っています。「現時点で中国の一人っ子政策を評価する時、確かに人権論の視点からみれば許すことはできないが、二一世紀へむけた世界全体のグローバルな視点で考えるならば、中国は全体の人口爆発をくいとめるのに貢献しており、その成果は非常に高いといえる」。そしてまた、「むしろ中国の一人っ子政策は世界に感謝されてしかるべきである」とまで説いているのです。

以上みてきたように、中国の一人っ子政策はどの視点でみるかによって評価に差が生ずるわけです。現段階では、自国の実状にあわせて一人っ子政策を今世紀末まで続けるのが中国の路線であるといえます。ところが地域別にみたとき、例えば上海という大都市は戸籍人口だけでいえば数年前からマイナスになっています。つまり、女性が子どもを産まなくなっており、人口が絶対減になっているのです。

上海だけでいうならば、一人っ子政策はもうやめた方がいいという専門家の意見さえあります。しかし流動人口の問題等もからみ、そう簡単には修正できないというのが実態のようです。このように様々な問題がからんでいる中で、つぎに「母子保健法」についてふれておかなくてはなりません。

中国は一人っ子政策で数を限定したとき、遺伝学的な側面から子どもの資質を上げるために、早くから優生保護法を取り入れたいと考えていました。私などはそんなことをすれば西側から厳しい目を向けられるだろうとはらはらしながら見守っていたのですが、それが「母子保健法」と名前を変え、北京女性会議の直前の一九九四年一〇月に制定されてしまったのであります。

一九八〇年の婚姻法では、いとこ同士やハンセン病患者らの結婚を禁止し、この「母子保健法」で、①重大な遺伝性疾患、②指定伝染病(エイズ、淋病、ハンセン病)、③関係精神病(精神分裂症、躁うつ病)を結婚禁止規定としてあげました。これは「優生」を強く求めたがゆえに出てきてしまったものですが、西洋的人権論からみるならば、当然人権侵害であることは間違いないわけであります。

この対立をどのように考えればいいかということですが、中国人は伝統的に非常にプラグマティックな考え方をもって男女の産み分けをします。例えば一人っ子政策の中で、男の子を必要としていたために、お腹に女の子がいるとわかった時点で中絶したり、生まれてから何らかの方法で処理してしまいます。そのため男女の出生性比が、一般的に女一〇〇に対して男一〇六が正常とされている中、一二〇、場合によっては一三〇というおかしな数字をまねき、女児間引き問題を引き起こしてしまうのであります。

これは胎児の人権がいつの段階で生まれるかをめぐる隔たりともいえるわけです。キリスト教的、つまり胎児の人権は受胎したその時に発生するという考え方からみれば、これはまさに殺人という解釈になります。東アジアのように、むしろ子どもを産むか産まないかは母体の方が選択権を持ち、中絶を女性自らが決定するという考え方からすれば、また異なる見解が見えてくるわけであります。

もちろん全てが伝統や文化の違いだと結論づけることはしませんが、ものの考え方や様々な価値観の中で、このような大きな対立があるということを理解していただきたいと思います。言うまでもなく、以前は東西の冷戦構造の中で対立が図式化されていたのですがその構造が崩れ、民族の問題や宗教の問題、人びとの価値観の問題、これらが多様化する中で、人口問題が二一世紀にむけた国家間の対立の一つとして大きく前面化してきているように思われます。その意味でも、人口問題は地球規模においてますます重要になってきていると考えられるわけです。

大変不十分ではありますが、以上で問題提起とさせていただきたいと思います。


souken@wako.ac.jp
Copyright (C) 1997 和光大学総合文化研究所

目次のページへ戻る