問題提起1
大学改革と授業研究
教員の共同研究が切り拓いたもの

梅原利夫 人間関係学部教授


 「語りあい、見せあい大学授業」という、この一○年ほど私どもが力を合わせてやりました授業研究に基づいて率直な問題提起をしたいと思います。与えられた時間も限られているので、いつ終わってもいいように、私の考察の結論部分をまず話します。それを頭に入れておきながらお考え頂きたいのです。私の結論は六つあります。

 第一点。大学改革に関しては、構成員による内部からのエネルギーの創出が何よりも重要です。特に教員は、研究と教育の両面から大学改革に参加します。教育の側面では、「学びあえたと実感できる、やりがいのある授業がしたい」という要求を大学の教員も持っていますから、その要求を実現する道を探究すること、これに尽きると思います。

 第二点。授業研究を通して大学改革へ有効に連動していくためには、教員の自覚による自主的な共同研究が大切だと思います。その意義を今日は強調したい。私どもが一○年やってきた研究もそれでして、自主的な共同研究は、政府主導ないし政策主導によるものやアメリカ等で行なわれている上からの授業改革のあり方とも異なる、独自の研究形態であると思います。

 第三点。授業研究の基本は、学生がどういう学習要求を持っているか、また学生が学習を発展させていくプロセスはどのようなものかを的確に捉えることであります。また、学生の学習過程及びそれへの働きかけの分析と評価をまず教員側から始め、やがては授業づくりへの学生参加を求め、その道を展望していくことです。

 第四点。大学授業の改善にも、これまで確かめられてきた経験と蓄積されてきた教訓が生かされるべきです。つまり、ゼロからの出発ではないのです。しかしこれらの財産を共通のものにしながら、最終的には各教員が自覚的に授業改革に取り組み、個性的な授業を創造していくことが必要でしょう。

 第五点。授業の中身を改革するためには、教員の授業の持ちコマ数や教員一人当たりの指導学生数、施設設備などの教育条件の改革が不可欠です。これは国公私立の中でも、特に私立大学が今直面している条件の悪さを改革していくことが必要であると思います。

 第六点。大学改革とは、大学構成員による各方面からの改革の努力が組み合わされた大学づくりの動的過程、動く過程として大学改革を捉えることが重要であると思います。

 このような私の考え方に沿って、私たちの自主的な授業研究がどういうものを切り拓いてきたのかをお話ししたいと思います。いま文部省やマスコミなどで流布されている授業改革とどこが似ていて、どこが独自なのかを考えたいのです。

 私がいまとりわけ注目しているのは、いわゆる「サバイバル競争」という名の強迫的な外圧のことです。「生き残り」の競争主義と財政面での格差づけの誘導が行なわれ、その中に大学改造が位置づけられていますが、これを改革といえるのかどうか、むしろ変質というべきではないか、大きな評価に関わる問題です。

 資料1は今年発表された文部省の教育白書です。文部省がその冒頭の半分近くを用いて、大学像つまり高等教育問題を特集しているのは、非常に象徴的な出来事だと思います。図2のグラフを見てください。文部省が委託した調査によっても、今の学生たちが大学の授業やカリキュラムに望むことのトップは、わかりやすい授業、役に立つ内容の授業、あるいは専門教育の充実などでそこにはもっともな要求が現われています。また大学に対する満足度を見ても、今の学生たちの学びたい要求に見合っていない現実がわかります。こうした現実に授業改革がどのように接近していくことができるのかが、私たちに求められている課題だと思います。

 この点に関していえば、大学審議会がここ四、五年来次々と答申を出しています。資料1の表1にあるように平成三年二月の「大学教育の改善について」をはじめとして、同年五月の「高等教育の計画整備について」等々、ほとんど毎年出ています。それに基づいた大学政策も次々に実施され、そのスピードは日本の大学の歴史の中で最も激しいといってもいいくらいで、現場の私たちがそれに引きずられるような形で進められています。このように矢継ぎ早の答申と方策で、果たして大学改革や授業改革が実りあるものになるのでしょうか。これが、私が皆さんと一緒に考えたいことです。

 一九九五年一一月に議員立法で成立した「科学技術基本法」も、大学人はまだ充分な注目をしていませんが、大へん重要であると思います。首相が議長になって二一世紀の科学技術基本計画が作成され、そのもとでは先ほど言ったような格差づけによる財政誘導という形で、高等教育研究機関そのものが変えられようとしている状況があります。このほかにも新聞紙上で問題になった、文部官僚の国立大教授への変則的「天下り」がありますが、詳しいことは省略させていただきます。

 これらの状況を考え合わせると私は、これからの大学改革の焦点は大学自治機能の現代的復権にあるだろうと思います。自治というのは、保守的にこれまでの既得権を守る形で発揮されるようなものではなくて、むしろ下からの改革への活性化につながるような形で、大学の自治というものが改めてその原理に立ち戻って復権されなければならない、と思っています。

 もう一つ、別の角度からの大学改革例を付け加えます。九五年、『授業をどうする! カリフォルニア大学バークレー校の授業改善のためのアイデア集』という訳本がでましたが、カリフォルニアのバークレー校といえばアメリカでも有名大学の一つです。そこでの授業を良くするためのさまざまなアイディアが、非常に親切に紹介されています。例えば、月曜早朝の多人数講義では、特に今週のジョークで授業を始めるとか、中間テストの成績があまり良くない学生たちと定期的に会うようにする、などなど、たしかにすぐに使えるいろんなアイデアがいっぱいあります。私どもはそれを軽視するわけではありませんが、やはりもっと根本にある自治機能の現代的復権という立場から、授業改革問題や共同研究のあり方を考える必要があると思います。もっと言えば、和光大学授業研究会の仕事は、こういう授業改革とも違うんだということを私は言いたいのです。

 もう一冊、産経新聞社社会部編の『大学を問う-荒廃する現場からの報告』という本があります。大学問題での新しい試みを紹介した本ですが、特に大学審議会の答申やそれに基づく政策に沿った試みを主として紹介しています。さらに一週間ほど前の『朝日新聞』に、「大学の教員も講義法を学ぼう」という表題の投書が載っていました。ある大学の教員が書いたものですが、企業の教育センターで講師をした経験から、「板書の使い方、声の大きさ」など「講義の技法」を学ぼうと提案していました。

 こうしたことも必要には違いないけれど、それだけでは真の大学授業の改革には至らないのではないでしょうか。もう一味違うものを、私たちはつくろうとしてきたということを強調したいと思います。

 初めに言った本の話に移ります。和光大学でこの本をまとめたのは、およそ一○人の教員集団です。和光大学八十数名の専任教員の中の一○人ですから、決して低くない割合だと思います。いろいろな分野の教員が集まって、この一○年ほど全く自主的に授業改革の共同研究を行なってきました。私たちが切り拓いたものは何だったのか、五点のみに絞って私なりに考えてみたいと思います。興味を持たれましたら、ぜひ私たちの本をご検討頂ければと思います。

 資料の2を見て下さい。そこに私どもの報告書全体の構成が書いてあります。ご覧になってお分かりのように、一年生のプロゼミから専門教育、そして障害者と共に学習し生活する問題、また学生からの授業評価、それから私どもが中国やアメリカ、韓国、タイなどの大学訪問をした報告をアメリカの例で代表させ、最後に授業研究をすることの意味を述べています。これからの私の問題提起は、そのうちの三章の社会科学、五章の外国語、特に英語、六章の身障者と健常者が共に学ぶ授業、八章、九章の学生の授業評価、一一章の大学で授業研究を教員自身が行なうことの意味を改めて考える。この五つの点について、皆さんと共に考えていきたいと思います。

 まず一一章から始めます。大学で授業研究をすることの意味を、もう一度改めて確認する必要があると思うからです。この最後の章では、私たちの研究組織での一○年ほどの授業研究の特徴を大きく四点にまとめましたが、ここでは柱だけをお話しします。

 (1)授業を見てもらうことが平気になった。これは大学の教員にとっては革命的ともいえるほど大変なことで、まだまだ授業参観や授業公開に対する閉鎖的な状況が一般的だろうと思います。(2)としては、自主的自覚的意思に支えられた広い分野の教員の共同研究というスタイルを確立してきたことです。(3)に大学教育システムの改革改善に授業という視点を据えることによって、具体的な改革への問題関心や提言やヒントをつかむことができたと思います。そして(4)に、全国の大学人、あるいは世界の大学人との連繋をも私どもは追究してきました。

 こういう研究を積み重ねる中で、今の学生たちが大学の授業に何を求めているのかということも少しずつ分かってきました。やはり自分を知り将来の生き方にプラスになる授業、つまり生き方の模索と切り結ぶ授業を求めていることを私たちはいろいろな調査や自らの体験で実感してきました。そして大学教師もまた、そのことを教育する側、研究する者として求めていると思うのです。

 それで、第一一章の最後を私たちは次のような文章で結びました。「平和運動や環境運動の進め方の理念として、『地球的規模で大きく考え、地域という足元で行動しよう』というスローガンがある。大学問題を広く考え、共に語り合いながら、自分の授業の改革にむけて、教室という足元から行動を起こしていくことが大切である」。私たちは皆さんと一緒にこうした立場で考えてみたい、というのが一○年間の結論です。

 参観研究をしたいろいろな授業の例の一つとして、社会科学の問題をとりあげたいと思います。この領域でいくつかの授業をとりあげているのですが、特に「現代社会を読む」ということで法学の授業を選びたいと思います。法学の授業というと、六法全書のイメージそのままに非常に堅いというのが一般的かと思いますが、和光大学ではそうではない。二人の教員の別々の授業を参観したのですが、最初の方の教員は、自分自身を犯人や被疑者にたとえて、それらしい語調や身ぶりまじりで、楽しい授業をする。しかし中身は、「犯罪と人権-冤罪をなくすために」という真剣なものです。二人目の教員は、教室定員を三○人に限定して、学生を前に丹念に語りかける、対照的なやり方です。しかしこちらも「丸刈り訴訟」から「自衛官合祀」まで、市民レベルで法に関わる切実な問題を毎回とりあげていきます。参観したあと教員同士で必ず議論するのですが、それぞれの教員が現代社会における人権あるいは法の問題を、専門家の世界のこととしてではなく市民生活の重要な問題として提出し、私たちはどうすべきかという問いを投げかけていることがわかりました。

 二番目の教員が参観後の討論で「法的センスを育てることが一般教養の法学の目的ではないか」と言っていることに私は注目したい。法学の授業という一つの窓から現代社会をどう読みとるかという視点で授業の改革にとりくんでいる例です。

 これ以上詳しい紹介はできませんが、私どもの本には農業体験を通じて日本の産業を考えるという経済学の授業も載っています。その教員は大学の外に分校と称して農業の実習場を持っていて、週末に学生を連れていって農業を体験させ、それを通じて日本の産業全体を考えさせることを目ざしています。この分校がまた、志を同じくする学外のいろいろな市民グループとの交流の場にもなっているのです。

 法学や経済学という昔からあるいわば固い専門の分野でも、現代社会を全体として、それも市民の立場から読むという観点でさまざまな工夫をしてきたこと、しかも工夫をすればやれるとわかったことに注目したいと思います。

 さて三番目は外国語です。外国語とりわけ英語の授業は、どの大学でも非常に苦労していると思います。この本の第五章では、二種類のタイプの授業例を示しています。一つは、あるテキストを元に学生一人ひとりがあらすじを書いたり感想を出したり、毎回それを出させてチェックして単なる訳読だけに終わらない工夫をしています。テキスト自体も未来社会を扱った非常に示唆的な内容で、それを多角的に読み込むように、学生一人ひとりが主体的にとりくむことを目指す授業です。 

 もう一つは、学生の問題意識を引き出し力をつける授業です。街でたまたま実際に配られていたマンションを宣伝するチラシが教材です。このチラシをよく読むと、「外国人可」つまり外国人も入居できると書いてあり、さらに「ただし保証人は日本人、東南アジア系は基本的に不可」とあります。このチラシを元に担当教員は、バングラディシュのハッサン氏が実際にマンションを借りるというシチュエーションを設定して、不動産屋との会話を構成させる。これは英会話の授業なのですが、話す技術だけでなく、アジアの人たちの日本の社会での扱われ方を問題にする授業を組んでいるのです。

 この章の後段は、大学の外国語授業は教養主義か実力主義かとなっています。これはよく問題になることで私どもの大学でも、教養主義的なものに重点をおいた授業をする方もいれば、実力主義に重点をおいた授業をする方もいます。しかし、参観して討論した結論としては、それは果てしなく二分されるものではなく、実際に典型的な二つの授業を見て分かったことですが、深い所で共通面が多いといえます。外国語につきものの永遠の課題である教養主義か実力主義かの問題ですが、どちらかに傾倒するのではなくて、両方をかみ合わせる中で学生の問題意識を引き出し、一人ひとりに力をつける授業をつくる。簡単にハウツーの出せる問題ではなく、外国語教育についてはこれからも苦悩しながら考えていく問題だと思います。

 次にお話ししたいのは、障害者と共にする授業のことです。和光大学では、障害者にもできるだけ門をひらくという観点から、入学試験でも点字や時間延長などをやりますから、障害学生が他の大学より比較的多く入ってきています。彼らへの基本方針は、できるだけ平等な学習条件を保障するが身障者だけの閉じた世界は作らないようにするということです。

 このことを具体化した授業の一例として、スポーツ研究つまり体育の授業があげられます。いろいろな種類や程度の障害学生と健常学生が一緒にスポーツをどうやれるか、研究しながら進める授業です。私たちが参観した日は雨が降っていて、別棟になっている体育館に車椅子の学生やその他が集まることそれ自体が共に学ぶことの出発点になっていました。そして、バレーボールを大筋は一般のルールに基づくが、先生の指導で新しいルールを作りながらやっていました。例えば健常学生がアイマスクをつけたり、ボールも打ち上げるのではなく床にころがすなど、さまざまな工夫で健常学生と多種の障害学生が混合チームでスポーツを楽しむ。この授業は、毎回授業が終わるたびに、丁寧なミーティングを行ない、反省を出し合って、次の工夫につなげているのです。そういう努力は貴重で、これからもしていこうと考えています。

 障害者のことを書いた章の後半は「手話・点字とコミュニケーション」の授業です。これは、担当する教員も手話や点字に関しては受講学生とほとんど同じ水準で、むしろリードするのは障害学生や手話点字にたけた学生です。彼らの協力を得ながら、手話・点字の問題を広く人間のコミュニケーションの中で考えていこう、という授業です。参観した日はたまたま「四季の歌」をみんなで手話でコーラスをやっていました。障害・健常学生合わせて百人もの手が一斉に波のように動く、ちょっと見ものの授業でした。珍しいので年間三回参観したのですが、二回目は聴覚障害の学生を中心にシナリオを自分たちで書いて教室で劇をやっていました。テーマは、「聴障者のコミュニケーションを考える」です。三回目は点字で、受講学生が五つの班に分かれてある小説を皆で点訳していました。視覚障害の学生が先生役で、点訳が完成したら後輩の障害学生が読めるように、大学の付属図書館に寄付するそうです。

 このように私どもは障害学生と共にいろいろな工夫をしていますが、そうした授業の中でいえることをいくつかの項目にまとめました。身障者と健常者の間の理解が深まり、身障学生も対等に時にはリードして活動できて自信を得るなどですが、特に強調したいのは、変わるのは学生だけでなく、教員もこうした営みの中で変わり得るのだ、ということです。授業を担当した教員たちがそう語ってくれたし、参観した私たちも実感をもってそう感じたのでした。

 最後に、学生による授業評価の問題に触れたいと思います。これも昨今いろいろとはやっていますが、私たちなりに工夫しまして、新しい授業評価法の開発を行なってきました。

 一つの例は、資料3の初めにあるように、「心理学入門」という授業の中で、二百人近い受講生に五、七、一○、一二月の四回にわたってアンケートをやりました。自分にとって好きな授業と嫌いで出なくなった授業とを理由つきで書いてもらうという、ごく簡単な調査です。学年が違うと取る授業も違いますから、データは一年生六二人に限り、そのうち四回とも出席していて全部回答したのは二四名でした。

 全部で一五回以上名の出た科目に絞って、同じ授業でも好き嫌いが月によってどう動くかを見ていくと、専門と一般それぞれに、いろいろな動き方のあることがわかりました。これを示した図が資料3です。授業の展開の過程で授業の中身や教師の力の入れ方などによって、いくつかの興味深いタイプに分かれることがわかりました。どのタイプが何の授業かということはあえてはずしてありますが、それはわれわれが一つの授業の評定をするためにこの調査をしたのではないからです。授業の展開や教師と学生のやりとりの変化が、年間を通じて固定するのでなく変化する、つまり授業の動的過程を見てわれわれ自身の授業に取り組んでいくことが必要ではないかと思っています。

 その一つの例として、図の一番下の英語のグラフを見ましょう。入学まもない五月には嫌いが圧倒的に多いが、七月以降はぐんぐん減って、代わりに好きが増えて一○月には逆転しています。先程お話しした英語の授業でのいろいろな工夫が効を奏したと見ていいでしょう。これは複数の英語授業全部をまとめたグラフですが、一番上の心理学入門のように個別に取り出すこともできるわけで、自分の授業の動態や工夫したことの効果を目の前にすることができます。

 もう一つの授業評価の例は、今見たグラフの左にあるアンケートです。それぞれの授業の最終回に学生に書いてもらうだけでなく、授業者と参観者も同じアンケートにお互いに全く独立に答を書いてつき合わせる、というやり方です。このうち○をつけた三つの問について、三者の答を比べた結果が資料4にグラフと表で出ています。これは一般教育のある科目の例です。

 下の二つの表を見てもらうと、授業で得たものに関しては、学生、授業者、参観者が共に「新しい物の見方ができた」「現代的問題の認識が深まった」という所に集中していて、三者三様の見方が可能な中で意外に評価が接近しているといえます。さらに一番下の表を見てもらうと、もっとこうしてほしかった事柄について、学生の評価と教員の考え、参観者が考えたことが若干違っています。それぞれの立場の違いが出ていて非常に興味深い。同じことは表の上にあるグラフでもいえます。この授業をとってよかったかという問いに対して、学生は一番右の「よかった」を二番目の「まあよかった」と同じくらい選んでいますが、教員二人は「まあ」が多いだろうと推測しています。授業していても学生には通じない、という感じもしくは思い込みが強いのですね。

 これ以上詳しくご紹介できませんが、ここで何を言いたいかというと、学生の授業評価の問題について、いきなりアメリカ流のやり方を日本に移入する方法もありますが、私どもはあくまでもまず自前でやりたい、日本の大学のこのキャンパスに即したやり方を考え工夫していくことが大事ではないか、ということを強調したいのです。資料4の下には、この授業評価法によって私どもが得た結果を、一応の仮説として五点にわたって書いてありますので、ご参照頂ければと思います。①はアンケート5番の結果で、授業者が書いた答に当たるあるいは近いことを書いた学生の割合が、こんなパーセントで七授業とも一致しているということです。これも興味深い発見の一つでした。

大学改革への道--学習の共同体づくりを

 さて、このような私どもの授業研究ないしは授業改革が、二一世紀に向けた大学改革の道にどのようにつながるのかについて最後に述べたいと思います。

 第一点目。私はやはり授業改革というとき、それは授業を上手にやっていく方法が問題なのではなくて、大学の教育を通じて大学をどういう風に学生たちと作っていくか、あるいは学問研究、教育をどういう風に作っていくか、という大学づくりの位置づけの中で授業の問題を考える必要があるだろうと思います。

 「先行き不透明な変化の激しい社会」というのが、七月に出ようとしている中央教育審議会答申の一つのキーワードです。しかし、果たして日本の将来は「先行き不透明な」といえるのだろうか。例えば安保の問題や消費税、住専の問題、市場経済の問題等々。どれひとつとってみても、国民的な生活あるいは生命のレベルにわたって、どちらの立場で物事を考えるかということにおいて、社会を作り変える軸はかなり明確に見えてきているのではないでしょうか。今あげた例でいえば、安保の再定義か沖縄を含め核基地のない日本か、消費税五~一○%か税制の根本的改革かといった諸軸です。目下変化の激しいことは事実ですが、われわれは先行き不透明などという言葉であいまいにしてはならない現実に、さらされているのではないかと思っているわけです。

 また一部に学問の世界は混沌、カオスの時代であるといわれている向きもありますが、果たしてそうでしょうか。私は、学問研究は今建設的な討論の時代に入っていると思っています。従って、各人が自らの良心に従った見解を思いきって出し合い、お互いに討論して意見をかみ合わせるべき時代だと思うのです。混沌に見えるのは実は学問の方ではなく、それを口にする人たちの研究の観点と座標軸が混乱しているからではないでしょうか。こういう発想も、大学の授業研究に大いに反映してくるわけですし、反映させるべきだと思います。

 それから二点目として、学生たちを社会や生活において自覚的な担い手に育てることの必要性を強調したいと思います。特に、お互いに切磋琢磨しあう学習共同体、Learing Communityを作っていくことが重要であると思います。私どもの授業研究で、これまでの大学に一般的だった一方的な講義や知識の伝達でなくて、学生とコミュニケートしながら、いろいろ苦労しながら授業改革を模索してきたことも、この学習共同体を創設する視点だと信ずるからです。

 そのために必要なことが、いくつかあると思います。一つは、異なる者との出会いと交流がプラスに働くようにするということです。教員と学生は年齢が違い世代を異にしていますし、学生同士もいろいろと違っている。男女の差、民族の違い、さらには障害の有無もあります。これらは大学の中だけでなく社会や生活にある差異なわけで、それらを互いにへだて遠ざける要因としてでなく、結び合うプラスのものにする働きかけが常に必要だと思います。

 もう一つは、学習の共同体は大学だけで創られるものではなく、そこに至る過程、つまり幼、小、中、高の教育のあり方と関わっているということです。大学とは違う意味で、学習の共同体を作る困難さはいっそう大きいといえますが、そうした中で努力している人たちと連携して、子供たちの成長と共につくられる各段階の共同体を接続させていくことが必要だと思います。

 最後に第三点目として、私立大学の可能性ということについて考えたいと思います。大学の中でも私立大学にはいろいろ条件面で困難なことがありますが、私は私立大学が持っている豊かな可能性に注目したい。特に建学の理念を明確に持つことの積極的な意味に注目したいと思います。和光学園でいえば、人間教育あるいは生活教育というものを、それぞれの時代にふさわしいやり方で作り上げていく、実現していくということを目ざしています。このことは、学園の六十余年の歩みを背景にして、和光大学の中にも生きています。私どもが授業改革をやっていく上で、カリフォルニア大学バークレー校のハウツーと違う所は、このような建学の理念と結びついた授業を自覚的に作っていくというところにあります。われわれの希望の道はまさにそこにあるのです。

 さらに私ども私立大学の教員は、財政や経営も含めて将来に責任をもって考えなければならないということに、最後に触れたいと思います。この点では国公立大学は文部省や事務当局に委ねられてどうにもならないところがありますが、私立大学はそうではない。私どもはむしろ、一円のレベルまで大学財政に関心を持ち、財政の健全化の中で研究と教育を進めていくという課題に責任を持たなければなりません。そうした筋道で考えることは、大学改革を現実的な姿で捉え、協同の努力で実現していく道になると思います。

 以上、私は授業研究という、ある意味では狭いしかし学生との接点という意味では非常に密度の濃い、重要な問題を切り口にして考えてきました。常に考えていることは、授業研究を真剣に進めていけばそこにとどまることはありえず、大学をどのように作っていくのかというように大学改革の問題と切り結んでいくことが大事であり、またそれによって授業改革の将来展望がひらけるのではないかということです。このことを強調して、私の問題提起を終わります。

資料1 文部省「教育白書」より
図1 大学改革と大学審議会 [略]
表1 大学審議会における真偽の経緯 [略]
表2 経済関係団体による大学改革に関する提言一覧 [略]
図2 大学の授業に望むこと [略]
資料2 語りあい見せあい大学授業
まえがき 1
序章 和光大学での授業研究十年 9
第一章 一年生からゼミをやろう--プロゼミ 19
 (1)メディアの船で現代に漕ぎ出る授業 19
 (2)プロゼミは大学で学ぶ基礎づくり 22
 (3)読書会・輪読型プロゼミとその功罪 26
 (4)討論・ディベート型プロゼミとその功罪 30
 (5)あらためてプロゼミを考える 36
第二章 史観のジョウシキをひっくり返す--歴史学 38
 (1)「西洋的世界像の見直し」の授業風景から 38
 (2)大学であらためて歴史を学ぶことの意味と限界 44
 (3)近代日本史の陰画たち--三つの立体参観から 49
第三章 憲法・平和から現代社会を読む--社会科学 56
 (1)現代社会をしっかり見て考えることの大切さ 56
 (2)市民の側に立つ法学の講義二つ 58
 (3)国際平和をコトバや原爆から考える 66
 (4)農業体験を通じて日本の産業を考え、『人間的実力』を養う授業 70
第四章 なるほど、そうか、自然にチャレンジ-自然科学 75
 (1)ある日の授業風景 76
 (2)参観授業に見るしかけ 81
 (3)自然科学教育の意味とは 87
 (4)授業改革の課題 90
第五章 楽しくて力のつく英語の授業--外国語 92
 (1)幅広い選択肢--自主性の尊重 92
 (2)学生主体化をめざす授業 96
 (3)学生の問題意識を引き出し、力をつける授業 100
 (4)教養主義か実用主義か 105
第六章 身障学生も共に学ぶ--スポーツ、手話・点字 111
 (1)大学教育と障害者 111
 (2)共生スポーツを研究する授業 115
 (3)『手話・点字とコミュニケーション』の授業運び 119
 (4)『手話・点字とコミュニケーション』翌年の特別授業 125
 (5)障害者関連の授業で学んだこと 128
第七章 学問研究への本格的ないざない--専門教育 131
 (1)専門教育の役割 131
 (2)何が課題か--参観者と授業者との対話から 134
 (3)学問研究へいざなうとは 146
 (4)専門教育で検討されるべき課題 148
第八章 学生は授業をこう見ている--調査三題 152
 (1)学生の反応を見るのは大事だがむずかしい 152
 (2)一授業の受講感想文客観化の試み 154
 (3)学生の授業好き嫌いタイプと受講実態 158
 (4)卒業後の生活に大学の授業は役立っているか 164
 (5)学生の調査三題のまとめ 168
第九章 三つ巴作戦--ちょっと変わった授業評価法 171
(1)「三つ巴」の成り立ち 171
 (2)「三つ巴作戦」例--その一「西洋的世界像の見直し」 176
 (3)「三つ巴作戦」例--その二「人権論」 181
 (4)「三つ巴作戦」七例で得られたことのまとめ 185
第十章 アメリカの大学で授業参観がやれた 190
 (1)外国の大学訪問--なぜアメリカの大学か 190
 (2)アメリカ大学事情あれこれ 193
 (3)アメリカの大学での授業参観 200
 (4)この訪問調査で考えた「日本の大学が学ぶべきこと」 205
第十一章 いま大学で授業研究をすることの意味 210
 (1)楽しくしたたかに続けよう 210
 (2)この小さな組織での授業研究の特徴 212
 (3)学生はどんな授業を求めているか 218
あとがき 227
資料3 学生の授業好き嫌いタイプと受講実態 [略]
資料4 「三つ巴作戦」例 その1「西洋的世界像の見直し」 [略]
souken@wako.ac.jp
Copyright (C) 1997 和光大学総合文化研究所

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