あいさつ

杉山康彦 和光大学学長


 和光大学ではこの四月で創立満三○年を迎えました。その記念行事を昨年以来いろいろと重ねてきて、昨年一○月には和光学園の六二周年と合わせて祝賀の式典を実施しました。しかし三○年前のちょうど今頃、最初の開学記念式典を行なったので、それに合わせてこの時期に、全体のイベントの打ち上げをすることになり、こうした集まりを持つことになりました。

 今日のシンポジウムは、和光大学総合文化研究所主催となっていますが、この研究所も大学の三○年を記念して昨年の四月に、それまでの「和光大学共同研究機構」を改組改称したものです。この開所記念を兼ねて昨年秋に研究所主催のシンポジウムを行ない、今日は一連の三○年記念行事のしめくくりとして、「二一世紀に向けて大学のあり方を考える」というシンポジウムを行ないます。もともと和光大学は戦後の大衆化した大学のあり方を模索する、いわゆる「実験大学」としてスタートしたものでありますから、三○年記念のテーマもこれがふさわしかろうということになりました。

 昨年のシンポジウムは、一○月二七、二八の両日にわたって、「戦後五○年を考える」という総合テーマでやりました。本学創立三○年が、たまたま戦後五○年ということで、第一日は「日本の戦争責任と東アジア」、二日目は「太平洋戦争と日米のマイノリティ」をテーマにしました。それはすでに冊子『東西南北・一九九六』として活字にされています。表の所においてありますので、どうぞお読みください。この研究所はいきなりできたのではなく、十数年前から教員たちの自発的な共同研究グループがありまして、それぞれ活発に共同研究を行なってきました。それらをまとめて「共同研究機構」と称し、三○年を機に研究所設立となったわけです。現在も共同研究グループが一五あり、これを三つの系列に分けて、一つはアジア・地域研究系、先程言いました第一回のシンポジウムは、この系を中心に行ないました。二番目の系は表象・文化研究系、三つ目は教育・生活研究系です。今日のシンポジウムは、三つ目の系が中心となって開催します。

 今日は和光大学のなかからお二人、外部からは遠路名古屋からおいでいただいて問題提起をしていただきます。今も司会の石原教授から話があった通り、世界の状況はベルリンの壁崩壊以来急激な変動をしています。科学技術も情報社会も猛烈なスピードで進んでいます。こういう中で、学問のあり方もその枠組をゆさぶられています。この状況に対して、大学はどうあるべきかが問われています。これはわれわれ自身の問題であって、日々苦悩しています。今日のシンポジウムで、少しでもその展望が開ければと期待しています。どうか熱心なご議論をいただき、きびしいご批判を賜わればありがたいと思います。

 創立三○年でもあるので、いささか手前味噌ではありますが、少し感想を述べさせていただきたいと思います。和光大学の母体は和光学園で一九三三年、昭和八年四月に開校しました。成城学園から分かれ独立したのですが、その時同時に分かれた玉川学園とは兄弟校の関係です。大学は戦後、一九六六年の創立で、私はこの時から構成員となりました。開学当初はこの辺は、ほとんど全くと言っていいほど人家はありませんでした。初年度は一年生だけなのでこじんまりして、校舎も新しく、講義をしていても、ままごとをしているような感じでした。

 そんな牧歌的雰囲気もしばらくのことで、やがて全国的に大学紛争が起こり、その波は和光大学にもおしよせてきました。新設の大学だから何も責められることはない、と思っていたのですが、大学のあり方全体に問いかける運動でした。力と力がぶつかり合う激しいもので、学長室が一部学生によって占拠されるという事態も生じました。

 そういう中で初代の梅根学長は、大へん熱心に、先頭に立って学生と対応いたしました。学生との対話(彼らは団交と呼んでいた)が、時に夜明けに及ぶこともありました。われわれ教職員もこの梅根学長の熱意に引きずられて、学生の追求に答えようとしました。しかしその闘争は相当長期にわたり、教職員そして学生もへばりました。そういうなかで多くの大学は警察の機動隊を入れて問題を処理しましたが、梅根学長は教育の現場にそういうことはふさわしくないということで、ねばり強く対話を続けました。和光大学は機動隊を導入しなかったほとんど唯一の大学であったと、誇りに思っています。

 学生の追求がきついばかりではありません。機動隊を入れて早く秩序を回復せよという国の圧力や世論もありました。そういう中であくまで力を用いず対話を貫きました。これは和光大学にとって銘記すべきことであり、宝であると思っております。

 学生の追求は、大学全体に対してだけでなく、各学部・学科に対しても行なわれました。例えば当時の人文学部人間関係学科では、学科構想とは何か、という追求がされました。その頃この学科は教育、社会、心理の三専攻があって、この三つはどういう関係で学科は何をめざしているのか、という問いです。乱暴な問いかけだといえばそうですが、教員たちはまともに受けとめて、答えていきました。

 その時の対話がもとになって、現在の新しい人間関係学部ができたといえます。大学紛争は何の変化も大学に与えなかった、とよく世間でいわれますが、そういうことはない、少なくとも和光大学に限っては、あの紛争は徒労であった、変革改革と無関係であったとは絶対言えない、と僕は思っています。新学部設立は、いまの世間の大学改革の波にのってというものではありません。三○年のつみ重ねのうえにできたものです。教職員・学生ともに、この紛争を通して多くのことを学びました。私自身もいろいろ学びました。

 そういうさまざまな蓄積を大事にして、今後の和光大学は歩みたいと思っています。どうか熱心なご討議が行なわれますよう願っています。


souken@wako.ac.jp
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