ディスカッション

ロバート・リケット 本学助教授  劉孝鐘 本学助教授  松枝到 本学教授
ケビン・内田 平和と人権ヒロシマセンター  マイケル・S・ヤスタケ 牧師
ジョン・G・ラッセル 岐阜大学助教授  鄭暎恵 広島修道大学助教授  篠原睦治 本学教授/司会

 

 司会・篠原陸治 ただいまから、「戦後五○年を考える」パートⅡ、「太平洋戦争と日米のマイノリティ」というテーマでシンポジウムを催したいと思います。さっそくですが、ロバート・リケットさんから、問題提起をされた先生方を紹介していただきたいと思います。

 ロバート・リケット まず、アメリカ、広島、岐阜、京都など遠い所からいらしていただいた講師の皆さまに感謝の意を表します。本日のシンポジウムは、一年半前に平和と人権ヒロシマセンターのケビン・内田さんからの話に端を発しておりまして、太平洋戦争を少数民族の立場から捉え直す必要があるのではないか、そのために両国のマイノリティの代表者に東京に集まってもらって、話し合ったらどうかと提案されました。そして学者に限らず、さまざまな場で活躍している人びとも呼びたいということで、長い間計画を練りまして、今日のシンポジウムを迎えました。

 ここで問題提起をして下さった講師の方々を紹介します。最初のケビン・内田さんは、一九八七年にアメリカの合同メソジスト教会の研修員として来日しました。一九九二年から九五年までの間に、日本キリスト教協議会(NCC)の平和と人権ヒロシマセンターの幹事を務め、日米軍事問題、ジェンダーと性差別、在日外国人と人権問題などについて活動してこられました。現在、京都でNCCの協力幹事として同じ仕事を続けておられます。

 つぎは、アメリカからおいで下さったマイケル・S・ヤスタケ牧師です。全米キリスト教協議会の顧問で今年七四歳です。一九六○年代半ばころから南部のミシシッピー州で、アフリカ系アメリカ人の公民権運動に参加し、それいらい、各分野で人権活動をやってこられました。一九七七年に、シカゴ市にあるロヨーラ大学で歴史学の博士号を取得され、現在はアフリカ系アメリカ人、プエルトリコ人などの政治犯の釈放運動に肩入れをし、また日本とアメリカにおける人種・民族差別問題に取り組んでおられます。

 次にジョン・G・ラッセルさんはニューヨーク市のハーレムで生まれ一九八九年にハーバード大学で人類学の博士号を取得して現在は岐阜大学の助教授をしておられます。日本の精神障害者に対する差別意識、日本の大衆文化とマスコミにおける黒人像、アメリカ人の日本人観などをテーマに教育研究活動をなさっています。

 最後の鄭暎恵さんは慶応大学の博士課程を終了し、一九八八年から広島修道大学の助教授として勤めておられます。韓国とアメリカに一年間ずつ留学されご二つの言語を話されます。かつて指紋押捺などの民族差別問題に取り組み、現在はエスニック・アイデンティティ、ジェンダーの社会学、マイノリティ女性のフェミニズムなどのテーマを追求しておられます。 そして、今日通訳を引き受けてくださったのは北井香織さんです。

 篠原 ありがとうこざいました。最初にケビン・内田さんのほうからマイノリティの問題提起をマジョリティが引き受けるというテーマがあるのではないかということからはじまって、後半、マイノリティどうしがたんなる被害者として差別される側としてではなく、いろんな関係のなかで自分たちも加害者という点を振り返っていく作業を、ともにやりたいという問題提起があったと思います。このような問いのなかで、マジョリティとしての日本人のテーマも、あらためて示されてきたと思います。ありがとうございました。

 限られた時間のなかで実り豊かに討論をまとめていくのは、ほとんど不可能ですが、その努力はしていきたいと思います。その仕掛け人として三人のパネラーに託したいと思います。パネラーは本学の教員ですが、共通項はエスニック・アイデンティティと言いますか、ナショナル・アイデンティティは三者三様です。それぞれの立場からの発言が聞けることと思います。それではロバート・リケットさんからお願いします。

 ロバート・リケット お話しを聞いていて、胸にささった発言が多く、私がはじめて知ったことや反省させられることも多いのですが、ここでは感想だけを述べさせていただきます。まず感じたのは、大和系日本人とヨーロッパ系アメリカ人が共通の問題をかなり抱えているということです。ヤスタケさんからお話しがあったように、アメリカ白人社会のことをもっともよくわかっているのは白人ではなくて、周辺化されたマイノリティだということです。なぜ日本人と白人には自分の足元がよく見えないのか、あるいは見ようとしないのか。マイノリティを通してしか自分の素顔が現われてこないという悲しい、情けない話ですが、それが今の日米社会の実情でしょう。

 それぞれの発言のなかにあったように、戦時中、交戦国の支配層は人種差別を意識的に助長し、それを武器として利用しようとしましたが、その矛先は敵国民だけではなく、国内の民族的少数者にもむけられたものでした。そして今なお、植民地支配と戦争の遺産として残された複雑な民族間関係の仕組のなかで暮らさざるを得ない少数者たちが、自分の民族的アイデンティティと戦争との関係を追求していく姿勢に対して、私は感動しました。と同時に、若干の危惧も抱いております。内田さんはシンポジウムがマジョリティのためにもなると言ってくれましたが、少数者との関係も含めて多数者の責任はあまり問われなかったような気がします。

 日米のマイノリティがこのようにざっくばらんに自分たちの戦争体験と責任問題をテーマに話し合うことは、私が知っているかぎりはじめてで、ラッセルさんも同じような指摘をされたと思います。では、その課題はこの場で聞いているマジョリティである私たちとどういう関係があるのか、その関係をどう考えればいいのでしょうか。また、そういった関係のなかでもっとも「得」している、しかももっとも重い責任を背負わねばならない多数者たちは、それについてお互いにどのような話ができるのでしょうか。

 そしてもう一つ、太平洋戦争による殺し合いの関係が終わったけれども、戦争の非常時体制の支えとしてつくり上げられた精神構造は変わっていないところもたくさんあります。アメリカの場合に、これははっきりしていると思います。例えば、一九八一年に、シカゴでビンセント・チンという若い中国系アメリ力人が二人の白人に殺された事件があります。事件は日米貿易摩擦の最中で、臨時解雇となった自動車労働者の白人たちが、「おまえは日本人だろう。おまえのために我々は首になったんだ」と言って、チンさんを殺したわけです。長い裁判になったが、陪審員は全員白人で、結果として二人の容疑者は執行猶予と軽い罰金ですんだのでした。その判決を当時の貿易・文化摩擦のせいにする人もいますが、本当の原因は戦時中につくり出された日本人観にあると思われます。一九八○年代に、白人社会は貿易摩擦を機にそうした差別的なステレオタイプを日本叩きという形で復活させましたが、今度はそれをアジア系のマイノリティ一般にむけてしまいました。戦争は以前から築かれた偏見などを簡素化し、より洗練されたものにしましたが、そういったステレオタイプは非常に便利ですから、時期によって復活させられます。

 今日の講演を聞いて見えてきたのは、二つのことだと思います。それは、真珠湾奇襲・原爆の是非、お互いの加害者・被害者関係の云々よりも、両者が近代化の過程において植民地化と戦争の枠のなかで編み出した人種・民族主義の問題と、それを通して形成されてきた自己の「国民的」アイデンティティというか、歪んだ民族意識という問題です。

 私個人として、このシンポジウムの成果の一つは今まで私たちのなかにあって、しかもあまり見えてこなかった壁を、少しでも自覚するようになったことです。この辺で、「壁作り」に当たる国家の責任も非常に大きいのですが、それがすべてではないでしょう。その意味において、これもまた内田さんの指摘ですが、マジョリティとして四人の方々の問題提起をどう受け止めるかが、本日のシンポジウムの真のテーマではないでしょうか。

 篠原 リケットさんから、日本においてもアメリカにおいても、差別は折々に吹き出す。それは戦争中でも戦後でもあった。にもかかわらず、この壁をどのように突き破っていくかという問い、その前提としての壁の確認ということが、今日の問題提起のなかで見えてきたのではないかという発言だったと理解します。なお、リケットさんは国籍はアメリカですが、ベトナム戦争以降、反戦を訴えて日本を中心に長期滞在をしておられます。では劉孝鐘さんにお願いします。劉さんは、ここ五、六年、私たちの同僚として教育研究活動をやっておられます。

 劉孝鐘 韓国生まれの韓国人で、大学を卒業して大学院一年まで韓国におりました。今、韓国人と申しましたが、私は自分が韓国人であることに不都合を感じません。ただし、韓国の国家がやっていること、また韓国に住んでいる多くの人びとの考えていることとは、大分違った考えも持っていると思います。なぜ、このようなことを敢えて申し上げるかと言いますと、鄭さんのお話しは大体において同意できるものでしたが、最後の結論として出されましたエスニック・アイデンティティを超えるという新しいビジョンにはにわかには賛成できないと考えているからです。というのは、僕はアイデンティティというのは、超えるとか超えないというようなものではなく、自分を規定している、自分が所属しているものに対してどれだけ肯定的・積極的に認め、受け入れるかの程度であって、超える対象ではないと思います。

 鄭さんはマイノリティどうしの連帯ということを強調されました。それはいいのですが、その際に重要なのは、鄭さんもふれたように、あくまでもマイノリティどうしの、それぞれの置かれた状況の違いを前提としての連帯であり、理解であると思います。そこではそれぞれの個性というものを認め合うことが基本となると思います。それぞれの個性のなかに、最大のものが、それぞれが何人であるのか、どういう文化的歴史的背景を持っているのか、それの総体として自分に意識されているものが、アイデンティティだと私は理解しています。もちろん、この言葉によって鄭さんが表現されようとしたものについて、基本的には賛成です。

 今日お話しを聞きながら、七月にこの場所で開かれたシンポジウム「アメリカと日本・アジアの中の日本‐戦後五○年を考える」(人間関係学科主催)のことを思い出しました。そのとき私は、篠原さんといっしよに司会をやっていたのですが、すこし興奮して会場の方の発言にたいして批判を加えたりしました。そのことをフッと思い出しました。なぜかと言うと、ケビン・内田さんからマイノリティが声をあげるのはマジョリティのためでもあるという発言があったからです。七月のシンポジウムのときはシカゴ大学のノーマ・フィールドさんのお話しを聞きましたが、私のやや興奮気味の発言があったりした後、ノーマさんが「何よりもこの問題は日本人のためです」と言ったのです。植民地支配であれ、戦争責任であれ、その責任を認めると言うことは、アジアで支配の被害を受けた人びとよりは、とりあえずは日本人のためです、ということをおっしゃられたのです。

 二次会に行ったら、その言葉が物凄く感動的だということを何人もの方が言っていました。なるほどなあと思いながらも、マイノリティの発言がマジョリティのためでもあると言わなければ、なかなか伝わらないのだということをあらためて感じました。内田ケビンさんの話は、それをあらためて確認させてくれたものでした。ただ、僕個人としてはマジョリティのためにという前提よりは、鄭さんが言われたように、やはりマイノリティがお互いに置かれている状況をよく知ることが、何よりもまず重要だと考えています。

 次に鄭さんの話とも関連しますが、マイノリティが持っている二重性と言いますか、被害者であり、かつ加害者である場合もあるということに関しては、私はつぎのように考えています。鄭さんのお話しのなかに、韓国政府もしくは韓国国家が行なっている行為にたいする責任はあまり感じない、それよりも日本社会の住民として、日本が行なっていることに関しては責任を感じたいというご発言がありました。その心情は分かるような気がしますが、しかし、そこには大きな壁があると思います。まず基本的に、参政権が認められない、つまり主体としての立場が認められない人が、その国の主体の名において行なわれた戦争に責任を感じるということは、かなり難しいものであると考えています。

 さきほど、私自身は韓国人であることに対して不都合を感じていないと申しましたが、もとより韓国の政府が行なっていることに対して賛成だということではない。と言っても韓国に生まれていないから、あるいは現在韓国に住んでいないから、韓国政府が行なっていることに無関心であるとか、責任を感じないということにはならない。韓国の国民または朝鮮人である限りは、やはりその国家が行なっていることに対して、それなりのしかるべき関心を持ったり、あるいは関わりを前提として批判を加えたりすることが自然だと思います。鄭さんの今日の報告のなかにも、韓国軍のベトナム参戦に対する指摘がありましたが、そういう問題意識のなかには、韓国に生まれていないが、鄭さん自身の韓国人としての意識が前提となっていると思います。

 最後に、先にもふれた自分の住んでいる社会のことについて、マイノリティとしても責任を負うべきだという意見についてもう一つだけ。それはそれとして重要な問題提起だと思いますし、きちんと受け止めたい。しかし、その一方で、そのことをその社会のマジョリティに対して直接に発言する場合には、さらに考えなければならない何かがあるのではないかと思われます。マイノリティであれマジョリティであれ、自己反省はそれとして大切ですが、それが誰に向かって表現されるのかによってその社会的意味は異なってくることもあると考えるからであります。

 篠原 おもに鄭さんの問題提起に沿った形で、とりあえず考えてみたいこと、あるいは異論ということで問題を提起されたと思います。それでは松枝さんにお願いします。

 松枝到 芸術学科の松枝と申します。二点だけお話ししたいと思います。今日お話しありましたなかに、マイノリティという問題がありまして、私個人はここ数代、これはここ数代と限定する理由があるのですが、ここ数代は純然たる日本人で、そういう意味では日本国内において、いかなる意味でもレイシズムによる差別を受けたことがございません。

 ただ、そのなかに若干、私は個人的なルサンチマンを持ちつづけてきていました。父が北九州の焼き物で有名な有田の赤絵町というところの出身なのです。古くは鍋島藩の政策で五人とか一○人とか人数が限定されていたのですが、赤絵つけ師という職人がおりまして、そのなかの一人が私の父の系統です。私はそのルーツをたどったことがあるのですが、その一番最初のルーツは、皆さんがご存知のように、秀吉が朝鮮に出兵したときに、号令をかけて陶工と職工およびさまざまな技術者を連れてきた強制連行のときです。私の一五代前の祖先は、そのときに連れてこられた陶工の一人です。そのことを言ったからといつて、私があしたから差別されるかというと、そういうことはありません。だから、ルサンチマンと申しているのですが、ただ、私は自分のあらわれてきた場所に深いこだわりを持ちつづけています。ですから、私はマイノリティではないのですが、この関係性にマイノリティ問題の複雑さの小さなものが含まれているのではないかと思う、ということを一つつけ加えさせていただきます。

 それからもう一つ、最初にケビン・内田さんがご指摘なされたように、マイノリティというのは一つは数の問題ですが、もう一つはパワーの問題です。つまり抑圧、被抑圧という関係がマイノリティという問題を生み出しています。そのことは、かならずしも大きい数が小さい数を抑圧しているという関係ではないということです。たとえば、東インド会社のイギリス人とインド人、あるいは南アメリカにおける支配者側の白人系住民と支配される側のアフリカ系というように、少数のものがマジョリティとして、つまりパワーのマジョリティとしてあり、そして大多数のものがパワーとしてのマイノリティとして抑圧されるという例があります。このことを単純にマイノリティ、マジョリティという関係として捉えてよいかわかりませんが、そういう例を思い浮かべることができます。

 例えば、ここに呼び出されて私が何かを語っているのは、ここ一○年ほど前から、もともと美術史の関係でしたけど、いろいろな係わりから、中東、特に西南アジアの少数民族についての調査、あるいはそれに見合う歴史というものを授業として語っております。

 ちょうど先週、我々はイランとパキスタンとアフガニスタンの三つの国が重なるあたりに住んでいる少数民族でブラーフィー族とバローチ族という民族からお一人ずつ研究者をお呼びして講演をいただきました。その地域で私は三年ほど調査をしていたのですが、そこは大変な多民族国家、というより部族と言ったほうがいいとも思いますが、彼ら自身はトライバル・エリアという言葉を使っておりますように、およそ数十の部族が混交して生活しています。違う服装、違う言語、違う文化を持って、たえまなく混交しながら生きているわけです。そのなかで感じるのですが、マイノリティ、マジョリティと言うのは極めて相対的なものだということです。つまり、ある側面から見るとマジョリティで、ある側面から見るとマイノリティであるということが事実としてあるのです。酒落のように言ってしまいますが、メジャー・マジョリティとマイナー・マジョリティ、そしてメジヤー・マイノリティとマイナー・マイノリティと言えるような場面があるのです。

 ここにはカザフ人であるとかパシュトゥーン人であるとか、何十かの民族が存在しています。そのなかである民族とある民族の関係においてはマイノリティとされている民族が別の民族に対してはマジョリティになるということがあります。しかも、その同じ民族のなかで職業カ―ストがあります。鉄工をやっている人は農業の人に差別され、あるいはその下の、そのまた下のカーストというふうに非常に複雑な入れ子構造を持っています。そういう構造のなかで一番最後にくるのが、いわずとしれた性差別なのですが、そういうことも含めますと、相対性のなかで大きな問題をいかに投げ返すかという問題があると思います。

 今日の大きなテーマにすぐ投げ返そうというわけではありませんが、できれば、ごくごく少数の民族、一千人単位の少数民族のことも忘れないでほしいということを思いつつ、そのなかでこそ、指摘された新しいネットワークというものの可能性も浮かぶのではないかと考えます。

 篠原 今のお話しとつながっていくかと思うのですが、この会場ですでに退場された林さんという方が、戦時中、中南米日系人が抑留・追放されたという事実に着目しようと呼びかけておられます。パナマが二四○人あまり、コスタリカが二八九人、ペルーが約一八○○人、こういう人たちが北米に強制収容されたのに、これに対しては謝罪や補償がなされていない。なぜなら彼らはアメリカ、カナダ国民ではなかったからだ、という指摘をされています。ご本人がどういう意図で、このメモを残されたかは別にいたしまして、明らかに今日の話と重なる事実が披露されていると思いますので紹介します。それでは時間もきたのですが、さらに会場から、パネラーの意見も含めまして、ご感想・ご意見をいただきたいと思います。

 参会者 大変貴重な話を聞かせていただきありがとうございました。太平洋戦争中に日米の国内のマイノリティと言われている方々が、どういうひどい目に遇ったのかというお話しもはじめてうかがいまして、これはひどいことが行なわれていたんだなあと思いました。たとえばラッセルさんのお話しのなかでも、黒人の方々が矛盾をかかえながら、あの戦争に参加して行ったという、本当に歯痒い思いが伝わってきまして、二度とこのようなことを起こしてはいけないと思いました。こういうマイノリティとかマジョリティというお話しを間くと、いつも難しいなと思うところがありまして、いろんな経験なさっている方に質問したりするのは心苦しいのですが、マイノリティとマジョリティという考え方では解決できない問題があるのではないか、と僕なりに思っているところもあります。

 どういうことかと言うと、太平洋戦争の話が出ましたので聞いてみたいと思います。例えば日本という国家が、第二次大戦では権益を求めて欧米列強に戦争を挑んで、そして植民地を獲得していきました。国家の理念としては大東亜共栄圏という考え方があったと思うのですが、そういった国家の政策なり理念に基づいて、日本の支配者が国民を動員して戦争を遂行してきたわけです。その際に植民地支配が行なわれ、従軍慰安婦という痛ましいことも日本の政府としてやってきたということです。戦争中の差別と言われていることは、日本国家の政策によって生み出されてきたと思います。

 ただ、こういう言い方をしていいのかわかりませんが、マジョリティといわれているなかにも、対立を抱えているのではないかと僕は思うわけです。だから、日本の国家が戦争を遂行するというなかに、そういう戦争はよろしくないという反戦の運動などが起こってきたわけです。それを日本の国家が抑圧し弾圧してきた、その結果として、あの戦争を正当化するようなイデオロギー、五族共和とか大東亜共栄圏の思想とかが流されて、差別意識が助長されてきたのではないかなと思うんです。日本の国家の取ったいかなる政策のもとで、民族差別が助長されてきたのかとか、マジョリティ内部でもそういう対立というのがあって、それが暴力的な形で押し隠されてきたからこそ、今いろんな形で噴出しているのではないかと思っております。

 参会者 今回二日間参加させていただきました。大変勉強になりました。私は町田に住んでおりますが、この催しは新聞で知りました。申し遅れましたが私は、つい半月程前に通信関係の仕事を定年退職しました。会社入ったころはアメリカに住んでいました。自分自身を整理するために今回参加しました。戦後五○年と言いますけど、日本は韓国あるいは朝鮮、中国を蔑んできました。差別で人を見るという問題が起こったのは、一○○年前の日清戦争のころからはじまったと思うのです。

 そういうなかで、昨日と今日の話を伺いまして、なるほどなあと思いました。専門家の領域は別にしまして、私自身は最終的には国家対国家の問題もさることながら、人間対人間が非常に大切であるという気がしております。そういったことで、私の現役のころは、中国の方、あるいはチュニジアの方など、いろんな海外の方たちが会社に入りまして、仕事をし、あるいは日常生活について互いに理解していこうと努めました。お互いの違いは違いとして認め合いながら、そのなかでやっぱり人間関係が重要だ、そういったなかから、発想を変えて行かねばと思って、一つでもいいから、やれたらいいなと思って実行してきました。そういったことを考えながら、とくに今日のお話しのなかでは鄭さんのお話し、とくに最後の方でまとめられたことに対しては、できたらそうありたいと思いました。今日は本当にありがとうございました。

 参会者 二日間参加して、大変有益な話を聞かせていただき、ありがとうございました。さきほどヤスタケさんの話のなかで随分出ましたが、日系アメリカ人がアメリカの収容所に入れられたとき、かなりの人たちが和歌をつくったということを、新聞か雑誌かで見ました。今日のマイノリティの問題から少しずれますが、台湾の問題というのは大きいと思います。今で言えば台湾人、戦争当時は日本人だったわけですね、形式的には。その台湾人が戦後、和歌をつくっているのです。それが一冊の本となって出ているようです。そういうふうなことで、マイノリティの問題を含めて、民族の問題、文化の問題、それは戦争が終わったから急に切れる問題ではありません。自発的な形で台湾の方が、万葉以来の古くからの日本の文化を継承されていたということを、はじめて今年知りまして驚いています。いろいろ考えさせられる今日のお話しだったと思います。ありがとうこざいました。

 篠原 戦争という悲劇、そういうなかでも人びとは、文化の交流というか、そういう話もあったのではないか、そこも掘り起こされてよいのではないかということだと思います。

 それでは四人の方々に、あらためてもう一回ずつさきほど言い残したこと、さらにバネリスト、会場の方たちが話されたこととの関係で応答したいことを、短かめにお話しいただきます。

 私たちは、この度、「太平洋戦争と日米のマイノリティ」というテーマでシンポジウムを行ないました。これはケビン・内田さんとリケットさんの発案でしたが、この戦争を日米間の戦争に焦点をあてて考えてみようということで、それぞれにふさわしい方をお招きいたしました。太平洋戦争という言葉は、日本人の側から言うと違う表現もしてきました。違うふうに表現することによって、いろんなテーマを改ためて抱え直すということでもあったわけです。一五年戦争であったり、第二次世界大戦であったり、あるいはアジア太平洋戦争であった。このそれぞれにそって、私たちはそこに集約して何を考えるかということがあるわけですが、同時にこのテーマで語りきれないような戦争と差別、なかんずく人種間戦争の問題もあるような気がしています。昨日の問題は日本の側から、この問題を考えましたので、当然そういうテーマの広がりを持ったのですが、今日は、そこに限定をして考えてまいりました。では、鄭さんのほうからご発言いただきます。

鄭暎恵 まず、私が加害責任の問題をどう整理しているかを、言うべきだったと思います。加害もしくは加担しているという場合、いろいろなレベルで考えられるのですが、国家が行なった戦争責任というレベルの問題、それから経済的搾取構造に加担しているというレベルの問題、それから、意識として自分のなかにレイシズムを内在化させている問題、さらに偏見やさまざまな差別、人種的な差別だけでなく障害者に対する差別、ゲイに対する差別、エイズの患者に対する差別とかさまざまな形の差別がありますが、それに関してマイノリティであるからすべて自由であるということは、決して言えません。そういう意味で、私は自分という個人のレベルで、またマイノリティというコミユニテイのレベルであっても、差別に対する加害・加担というのは無視されるべきではなく、もっと議論されるべき問題だろうと思います。もちろん、性差別の問題が一番大きな問題としてあると思います。

 それから戦争責任というのは、国家のレベルと個人のレベルとにわけて考えることができると思います。国家のレベルとしての責任を問う場合、国民であれば参政権の問題もありますが、太平洋戦争の時期に日本国民は法律上日本の主権者ではなかったわけですから、そういうなかで国家責任を問うということは一体どういうことかを考えるべきだと思います。天皇に戦争責任があるという人がいるのですが、では天皇だけにあったのかという議論につながってくるわけです。日本の戦争に駆り立てられていった旧植民地出身者の戦争責任を問うということは、ある意味で、日本の国民に戦争責任があったのかどうかを問うことと切り離して考える問題ではないと思うのです。選択肢を持たない人、自己決定権のない人たちの行為に対して、その責任を問うことができるかどうかという問題だと思うのですが、私は天皇に戦争責任があると同時に、日本国民にも、主権者ではなかった日本国民なりの戦争責任があると考えます。国家のレベルの問題と個人のレベルの問題を考えると、やはり選択肢なく自己決定権もなく、駆り立てられた人間の行為に対しても、過剰に問われたということはありますが、無視してよいという問題ではないと思います。そういう意味で、責任をいくつかのレベルにわけて考える。意識、行為のレベルでわけて考えていくと、やはりマイノリティの加害と加担に関しては無視できない問題だと今でも考えています。

 それからエスニック・アイデンティティを超えるということに対して、同意しかねるということは、いつも言われることですので、そういう意見が出ることは重々承知していました。なぜ、あえてそういう問題をまた出したかと言いますと、これは話の部分でとばしてしまったこととも関連します。一番最初に日系アメリカ人の二世、三世、四世と表現したのですが、これは二世、三世、四世とジェネレーションでは一括して言えない問題があります。たとえば私は在日朝鮮人二・五世という言い方をしています。二世でもあり三世でもあり、またどちらでもないような立場です。それを日系人の場合には、二世、三世、四世と区切って言ってしまうことに問題があると思います。しかし、わかりやすくするために区切って言いますと、私がピルグリミッジで出会った二世の多くは収容所で生まれたとか、幼いときに収容所を体験して、そのあと日系人というアイデンティティをネガティブに持つていた。ところが、その後それを肯定的にとらえ直すなかで盆踊り大好き、カラオケ大好き、演歌大好き、天皇陛下万歳まで言ってしまう人もいるわけです。そういう人たちにとってリドレス(補償)の問題というのはエスニック・アイデンティティを尊重する問題でもあり、自分たちのナショナル・アイデンティティ、つまりアメリカ市民としての権利をきちんと要求する問題でもあったわけです。でも、私がその人たちに日本の戦争責任の問題を投げかけたとき、「あれは日韓会談で解決済みでしょう」という一言が返ってきたりするのです。

 そういう二世と同時に、四世というのは三世とも違って存在します。三世というのはその反動で、逆にマイノリティどうしの連帯を見ていこうとか、アメリカ人としてのアイデンティティは揺らがないのですけど、文化的なものがないから逆にルーツを探ったり、日本人としての文化は何なのかということを、ネガティブなところからでなく二世に比べると相対的に日本に対して肯定的なところから出発して考えていると思います。四世になると、それがほとんど白紙の状態になって、逆に言えばネガティブなものも含めて、もっと日本的なものを吸収しないと、アイデンティティの空洞化現象に耐えられないというところがあります。そのアイデンティティの空洞化現象に耐えられないために、彼らはピルグリミッジの収容所へ巡礼の旅にやってきたんですが、日系人である「我々」と言うのを確認したいがためにやってきたのに、なぜピルグリミッジに白人がいるのか、なぜピルグリミッジに在日朝鮮人がいるのかということを、非常に問題視した四世がいたことをあとで聞きました。

 そういうのを見ていると、同化政策によってアイデンティティが奪われるという問題はあるんですが、その一方で、同化政策と対抗するためにアイデンティティを持たなくてはいけないという考えが強くなってきます。四世ぐらいになってくると、同化政策と闘うための武器として、エスニック・アイデンティティが必要である、自分がレイシズムと闘う道具としてのアイデンティティを得るために今度は逆に誰かを排除していくということが現実には起こっているわけです。

 ですから、さっき劉さんがおっしゃって下さつたエスニック・アイデンティティを受け入れることは、私は通過点としては必要だと思います。エスニック・アイデンティティを獲得することを無視して、はじめからそんなものはないんだとうのではなくて、そこを一度通った後で、もう一度、誰を「我々」と呼ぶのかということを問う必要があると思います。自分が所属している所属を受け入れるという単純な問題ではなく、そこに渦巻いている政治的なプレッシヤー、圧力、アイデンティティを持たなければならないという圧力を問うて、誰を「我々」と呼ぶのかという「我々」の中味を再び問うことが必要だと思います。そのなかで在日朝鮮人だ、日系アメリカ人だという立場を超えるのは、むしろ、マイノリティどうしがお互いに「我々」と呼べる共通の基盤を持ったところから、国家の枠だけでなく、国家を超えてつながっている政治的な問題、たとえばレイシズムの問題、そういったものを見ていく必要があるのではないかということで、あえて挑発的な言い方かもしれませんが、アイデンティティを越えるという問題提起をさせてもらったわけです。

 さきほど松枝さんが例を出しておっしやってくださったこととも関連するのですが、マイノリティ、マジョリティと言うのは、本当に入子構造になっていて、相対的なものですので、それをはっきり自覚したうえで問題を提起していかなければ、自分が提起した問題によって逆に足元をすくわれてしまうということがあります。実際に、ユダヤ人が差別を受けて、その結果パレスチナ問題にまで発展していったということを見ると、このことは見過ごしてよい小さな問題ではないと考えます。エスニック・アイデンティティを超えることは、具体的にどういうことなのかということは、これからマイノリティのなかでも議論されていくべき問題だと思います。ぜひ、こういう視点も議論のなかに加えてほしいと思っています。

 ジョン・G・ラッセル 一つはエスニック・アイデンティティについてですが、世界に差別が存在している限り、それに関するエスニック・アイデンティティというのが出てくると思うんです。自分の民族、自分の存在が大事であるということを証明するために持つことが大切だと思うんです。ただ問題になるのは、民族的なアイデンティティが民族主義になってしまうということです。過去に被害者だった人が将来あるいは現在加害者になる恐れがあります。鄭さんがおっしやったようにパレスチナ問題がそれに関連していると思いますし、ほかにも現われています。

 もう一つは、戦争と差別に関する発言が出てきましたが、差別意識が戦争になる前にあるのか、戦争によって差別意識が出てくるのを考えてみると実は両方にあります。一つの例として考えられるのが、例えば被爆者は完全に戦争による新しい種類の差別構造なのです。そして混血児、日本で言われている「ハーフ」に対する差別問題、それも戦争が引き起こした問題の一つであります。

 マイケル・S・ヤスタケ リケットさんは、私の発言にふれて迫害された人びとの目から見ることの重要性を主張したと思います。「特権階級」という言い方がありますが、今アメリカではよく使われている言葉です。それはアメリカの白人男性として生まれたら、すぐに特権を持ち得るという意味です。日本も特権階級のある社会ですから、生まれたときからその階級、階層の一構成員となるでしょう。特権階級の一員として生まれてくると、社会の真実、特権のない人びとが見えなくなってしまうのです。

 私の経験で言いますと、私はシアトルで、日本からアメリカへ移民した人たちの子供として生まれたわけですが、やはり、私は男性でもあります。妹は大学で英語と詩を教えています。彼女は詩集を出しましたが、そのなかで日系アメリカ人女性としての視点から、私や両親、私たちの関係を鋭く分析しております。それを読むと、私のような日系アメリカ人男性をよく理解している。やはり女性から見た彼女の方が、私のことを自分自身よりもよく知っているということです。

 それから、迫害された者の視点からものを見る重要性のもう一つの理由として、迫害を受けた人間こそ社会に対して貢献ができるという事実です。キリスト教というのは迫害を受けたキリストとその教徒の犠牲によって広められた宗教ですが、これも一つの例です。そして、中流階級に生まれ大学を出た、あるいは出ようとしている皆さんも大きな役割を果たすことができます。しかし、現社会を変えるのは楽ではないでしよう。何かを問題にするとすれば、自分の特権を捨てることになるし、苦しみを味わう覚悟をしなければならないかもしれません。アメリカの政治犯を支援している人びとはそういう経験をしています。ただし、そういった経験を通して、それ自体が変革へのエネルギーとなり、社会を変えていく運動とつながるのではないかと思います。そして国連が設定した国際人権規約、人種差別撤廃条約などは、人権侵害への抵抗や反対運動の成果でもあります。

 ケビン・内田 今日ここで発言している人は、鄭さん以外は全員男性です。ですから、私のしやべる時間を会場のなかの女性が発言する時間として提供したいと思いますので、どなたか意見のある方、どうぞご自由にお話しください。

 参会者 大学の学生生活課で看護婦をしている青島と言います。この会に参加させていただいて、一つひとつ点として持っていた知識が自分のなかでつながったので、とてもよかったと思います。私は看護婦になりましたが、日本のなかで看護婦の地位がとても低いのは、日清戦争のときに傷病兵の看護のために必要な婦女子を招集するのに、日本では普通の女性に、そういう卑しい仕事はさせられないということで、遊郭の女性を連れていったそうです。そのことが、看護婦というのは男性の性のはけ口として見られ、ずっと看護婦の地位が高められない原点になっているそうです。そこがヨーロッパなどの看護制度との大きな違いだと思います。

 そういう思想が、先の戦争のときも自国の特権階級の婦女子を連れていくことができないので、侵略をしていた朝鮮の若い女性や若妻、中国の人たちを、うさぎ狩りという形で連行して従軍慰安婦として連れていったのです。私は一九四三年生まれで、今年五二歳ですが、戦後教育のなかで、きちんとした日本の近代史を教えられていないので、今日の話を間きながら、点として自分のなかで持っていた知識をつなげることができて、とても感謝しています。まして私よりもっと若い人たちは、本当に今日の話を間いても、 日本の正しい歴史認識が持てるのかどうか疑間です。せめて大学教育のなかで日本の正しい近代史、アジアを侵略したことを含めての近代史を学べる機会をつくっていただけたらいいのではないかと思いましたので、一言いわせていただきました。

 ケビン・内田 ラッセルさんのダブル・ビクトリーの話ですが、アメリカが日本に勝ったら、日本に勝つだけでなく人種差別にも勝つ、そういう「二つの勝利」についての話でした。そして、日系人も黒人と同じような立場にありまして、戦場で、ほかの民族よりもより勇敢に戦うことによって、自分の忠誠心を証明できると考えたわけです。

 私が考えるに、アメリカの差別のなかには二通りの側面がありまして、一つは明らかな差別、これは人種とか強制収容所にほうり込むとかの明らかな差別です。もうひとつは微妙な差別、これは同化政策であります。私は同化のほうがよりひどい差別だと考えております。同化というのは精神を破壊するからです。同化というのは、一つのアメリカの典型的なイメージに自分を重ねたい、なりたいと思わせることなのです。そしてそこで感じるのは、一体そういったイメージをつくる目的は何なのかということです。日本の社会を見てみますと、いじめによって破壊されている子供たち、そして女性差別、また過労死をするサラリーマン会社員、要するに伝統的なイメージ、日本人の理想に近づくことで、こういった弊害が起こってくるわけですけども、誰が利益を得ているのか、何のためにその部分に私たちがこだわっているのかということを考えます。

 そして、人種差別を考える場合、それをマイノリティの問題としてだけで乗り切るのではなくて、一体、そういった迫害や抑圧で誰が得をしているかということを知る必要があると思います。ですから、さきほどの差別構造、たとえば人種差別、性差別、そうしたものはたいしたことはないとは言いませんが、ここで自分がそういうことを感じるということ、それは一緒に活動できる一つの基盤となりうると思います。

 篠原 戦後五○年の今、私たちは何を考え、いかに生きるべきかという話に収斂してきましたが、その意味でシンポジウムを開いたことの意義は大きいと思います。もう一つ、太平洋戦争というものを、日米のマイノリティの立場から改めて考えるという、優れてポリティカルなテーマに取り組んだことはとても新鮮でした。四人の問題提起の方々、ありがとうございました。そして、長時間にわたって熱心にお聞き下さった会場の皆さんに感謝いたします。


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