問題提起3

戦争責任とマイノリティ アメリカ黒人の戦争観

ジョン・G・ラッセル 岐阜大学助教授

 戦争に関してさまざまな神話があります。その一つは、戦争によって国民の意思を統一し、外敵を倒すという共通の目的で参戦したという神話であります。しかし、第二次世界大戦に対する、アメリカ人の戦争観はさまざまであり、人種によって戦争の意味と意義が違っています。つまり、アメリカの少数民族、いわゆるマイノリティの人たちは参戦することに、非常に複雑な気持ちを抱いていました。自国でまだ自由を獲得していない少数民族にとって、自分たちを迫害している国家のために、海外で命を落とすことに強い疑問を抱いていたからです。今日は、第二次大戦とベトナム戦争を中心に、アメリカのマイノリティの一つである黒人の戦争観についてお話ししたいと思います。

 第二次世界大戦の終戦五○周年である今年は、あの戦争についてアメリカと日本両国でいろいろな議論がなされました。日米両国には、誇大なスローガンや奇麗な言葉で戦争を美化したり、自国の犠牲だけを強調したりする人がいます。アメリカ側には、誇りを持って、第二次世界大戦は独裁政権および民族主義との戦いだと主張する者がおり、最近日本の国会で不戦決議をめぐる討論が示しているように、日本側には、アジア諸国のための「解放戦争」「反西洋帝国主義」、いわゆる「大東亜共栄」のための戦いとして、太平洋戦争中の日本の侵略行為を正当化している者もいます。

 しかし、戦争を美化し正当化しようとするそれらのスローガンの裏には、忘れられた醜い事実が潜んでいます。つまり、アメリカ人によっても、そして日本人によっても、太平洋戦争を「人種戦争」として捉えようとしていたという事実です。当時のアメリカ側の戦争宣伝では、日本との戦争は、正義と自由を大切にする西洋白人と不可解な未開の、人間以下の「黄色人種」との戦いであるかのように描かれました。一方、日本の戦争宣伝では、西洋白人はアジアを侵略し、植民地化した野蛮な鬼のような民族として描かれていました。これによると日本の主張は、いわゆる鬼畜同然の西洋白人支配者からアジアを解放する「有色人種の味方」であるというものでした。どちらにしても、敵国の国民を非人間化し、自国の国民の優秀性を宣伝したのでした。

 では、多種多民族国家であるアメリカにおいて、アメリカ社会の一員である黒人はどのように第二次大戦、とくに太平洋戦争を見ていたのでしょうか。同じ有色人種である日本人が傲慢な白人に立ちむかい、白人優越主義の神話の崩壊を実現したと歓迎する黒人がいる一方、アメリカで酷い差別を受けながらもアメリカに忠実な姿勢をとり、反日感情を抱いていた黒人もいました。

 戦争中に黒人が日本人に対する同情を考えるとき、アメリカにおける人種差別問題を別にしては考えられません。長年アメリカ黒人の日本人観を研究した神田外語大学のレジナルド・カー二ー教授の『二○世紀の日本人−アメリカ黒人の日本人観一九○○〜一九四五』によりますと、戦前からアメリカの黒人が、日本人に対して好意的な態度をもっていることがわかります。日露戦争の勝利によって、白人による植民地支配に挑戦して二○世紀初の唯一の非白人の国として、日本にかなりの関心を示し、尊敬する国として考えていました。しかも、戦前から白人が抱いていた人種差別的な日本人観に対して強い疑問を抱き、日本人を自分と同じように抑圧された有色人として見ていました。アメリカ白人と同様に、黒人も日米戦争を「人種戦争」として捉えると同時に、善し悪しは別として、日本人を同じ有色人同士として捉え、同情的な見方を持っていたのです。

 とくに、アメリカの戦争宣伝における日本人の描写には、白人の日本人に対する偏見がはっきりと現われていました。当時の宣伝ポスター、漫画、映画などには、日本人を野蛮な獣、有害な虫、つまり人間以下の存在であるかのように描かれました。白人社会に自分の人間性が認められていない黒人たちは、このような人種差別的な描写に対して違和感を覚え、非難的でした。反日感情を煽るところから、むしろ日本に対する同情を一層強めていました。残念なことに、日米戦争が白人対有色人の戦争という見方を抱いた黒人は、有色人である中国人や韓国人、東南アジア人が日本の帝国主義の犠牲者だという事実から目をそらすことになりました。しかし、アメリカ黒人の日本に対する好意的な見方は、親日感情というよりも、むしろ反白人感情として捉えた方が正しいかもしれません。同じように、日本の戦争宣伝に見る黒人を含む有色人に対する連帯感は、親黒人感情というより反白人感情の現われだったと言えるでしょう。なぜなら、日本側のレトリックは別にして日本帝国には、肌の黒い民族を日本民族より劣等で未開な民族と見下し、平等に扱う意図の全くなかったことが日本に支配された非白人の待遇によって証明されていたからです。

 勿論、すべての黒人が日本人に対して同情を抱いたわけではありません。戦争が黒人の社会的、経済的地位を向上させる絶好な機会、と見ていた黒人もいました。さらに、アメリカ社会の反日感情や日系人排斥運動の流れに影響された黒人も少なくありませんでした。

 例えば日系アメリカ人の強制収容所に関しても、黒人の見方はわかれていました。カー二ー教授が指摘しているように、経済的な競争相手である日系人の強制収容所入りを黒人の経済力向上のいいチャンスだと思い、大統領の措置を支持する黒人もいました。しかしその一方で、人種の違いだけで人権を奪われた日系人に対して同情と同胞意識を寄せ、自分たちも同じ目に遇うのではないかと心配する黒人もいました。

 第二次世界大戦時のアメリカ黒人の戦争観および日本人に対する好意的な見方は、アメリカの人種問題と結びついていて、多くのアメリカ黒人は第二次世界大戦に対して強い疑問を抱きました。そうした疑問は、アメリカ社会の矛盾および偽善から生まれました。アメリカ白人はヨーロッパや南太平洋で「正義」とか「自由」「民主主義」のために戦えと言いましたが、アメリカ社会においては、黒人をはじめ有色人種に対する差別が依然として当たり前な存在だったのです。ナチスドイツの人種主義思想を非難しながら、アメリカではジム・クローという人種隔離制度が合法であり、ドイツ人と同じようにほとんどのアメリカ白人は、なんの疑問もなく白人が世界一優秀な人種であると信じ込んでいました。

 多くのアメリカ黒人は、戦争を強く支持しなかったしそれに無関心でした。実は真珠湾攻撃以前、孤立主義感情の高いアメリカでは、多くの白人もドイツと日本の侵略戦争を無縁な出来事と見ていて、アメリカが参戦することに関心を持っていませんでした。

 しかし、白人は真珠湾攻撃にショックを受け、日本軍の勝利を恐れたのに、多くの黒人は日本の危険性をそれほど感じませんでした。例えば、ハーレムの住民を対象にした一九四二年の世論調査によりますと、「もしドイツが戦争に勝ったとしたら、黒人の待遇がよくなると思うか」という質問に対して、「良くなる」と答えた黒人はわずか一%であり、「変わらない」と答えたのは二二%、「もっと悪くなる」と答えたのは六三%でした。しかし、日本の勝利の場合は、黒人回答者の一八%が「待遇が良くなる」と答え、三一%が「あまり変わらない」と答えました。「もっと悪くなる」と答えたのは、二八%しかありませんでした。そうした黒人の戦争に対する無関心や白人に対する不信感を利用しようとしていた日本人もいました。当時のFBIの情報によりますと、アメリカ駐在の日本のスパイが過激な黒人団体に潜入し、黒人が参戦しないよう働きかけたとのことです。

 にもかかわらず、多くのアフリカ系アメリカ人は疑問を抱きながら参戦しました。実は一九四五年までに二五万四七二○人の黒人が米国徴兵または兵籍という形で、米軍に入ったと言われています。彼らの目的の一つは、参戦の勝利によって、戦後のアメリカ社会において黒人の政治的、経済的、社会的地位を向上させることにありました。つまり海外での勝利は、国内の勝利につながる、と彼らは信じていたからです。その象徴が、「ダブル・ビクトリー」というキャンペーンでした。つまり、外国の敵とともに国内の人種差別とも戦うという二重勝利を目的としていました。

 とは言え、黒人兵たちは矛盾を感じていました。皮肉なことに、外国の戦場で戦っていた黒人兵は人種的に隔離された部隊に入れられ、黒人兵がどんなに忠実なアメリカ人かということを見せても、同僚であるはずの白人兵に厳しい差別を受け続けたのです。ちなみに、トルーマン大統領の行政命令で米軍の人種隔離制度が禁止されたのは、大戦後の一九四八年七月二六日のことです。

 第一次大戦後と同じように、戦場から帰ってきた黒人兵が白人の群に襲われリンチされました。さらに一九四三年の夏に、ニューヨーク、デトロイト、アラバマ州、テキサス州でそれまでなかった最悪の人種暴動が次々と発生しました。戦争直後もオハイオ、テネシー、フィラデルフィアや黒人が多い南部などで、リンチ事件と人種暴動が発生しました。一九四六年をピークにして、黒人の退役軍人をターゲットにしたリンチ事件および暴力事件が続発しました。

 私はアメリカ黒人が日本人に対して連帯感および同胞意識を抱き、日本人の戦争での活躍を高く評価したと言いましたが、一方で日本軍によるアジア人に対する虐待行為と迫害を非難した黒人もいました。しかし、アメリカ社会で排除され迫害された黒人の目には、日本軍の戦争行為がアメリカや西洋の歴史の流れのなかで、白人の有色人に対する行為とそれほど違うものではないと写ったのでした。

 しかし、日本側の戦争宣伝を見てみますと、日本の有色人に対する連帯感は、決して日本人と非白人の平等を前提したものではなくて、日本人が優秀な「指導民族」であるという人種優越主義の思想に基づいていたことは明白です。当時、アメリカ黒人がどの程度それを知っていたか私にはわかりませんが、黒人が抱いていた有色人に対する連帯感と日本人が抱いていた優越感をもとにした連帯感には大きなズレがあったに違いありません。

 黒人は第二次大戦の開戦を白人と違う目で見ていたのですが、終戦に関する見方も異なっていました。当時、原爆投下に対して人種差別的行為だと非難した声が白人に比べて黒人社会に多かったし、今でも原爆投下が間違いだと思っている黒人は決して少なくありません。一九八七年の世論調査によりますと、原爆投下が誤りだと思うという質問に対して、「はい」と答えた白人が二三%であるのに対し、黒人は三八%も「はい」と答えていて、原爆投下に対して白人より非難的な姿勢をとっていることが指摘されました。

 アメリカ黒人の反戦感情は、第二次世界大戦後も止まりませんでした。一九六○年代初期から黒人の大学生が既にベトナム戦争に反対する声を挙げていました。一九六四年にはマーチン・ルーサー・キング牧師がベトナム戦争をアメリカの軍事主義の現われだと公然と非難し、一九六七年のニユーヨークでの演説のなかで、アメリカ軍による数百万人の南ベトナムー般市民への無差別的攻撃を強く非難しました。さらに一九六六年に黒人学生の公民権団体の一つである学生非暴力調整委員会(SNCC)が、ベトナム戦争は国際法に違反する行為であるとし、ベトナムから米軍の撤退を要求する声明を発表しました。ブラック・パワー運動、ブラック・モスレム運動の指導者、黒人新間や有力な知識人、作家、政治家など黒人社会のあらゆるところから強い反発が起きました。反戦的感情を抱いたのは、一般黒人だけではなく、反戦運動の最中に戦場に送られた黒人兵も少なくありませんでした。一九六八年の『ワシントン・ポスト』紙の記事によりますと、一九六六年から一九六七年にかけて、陸軍だけでも、黒人兵の再入隊者率は六六・五%から三一・七%に急低下し、空軍や海軍、海兵隊でも陸軍ほどではないが、黒人の再入隊率が下がりました。また、ベトナムに駐屯させられた黒人兵を対象とした一九七九年の世論調査によりますと、大多数の黒人兵は、ベトナム戦争を白人対有色人の人種戦争と見て、同じ有色人であるアジア人を殺したくないという理由で、参戦に反対だと意思表示しました。

 勿論、黒人兵以外にも米軍に入った他のアメリカの少数民族の兵隊、特に中国系アメリカ人やアメリカの先住民の間にも、反戦感情が強かったと言われています。沖縄では、黒人兵が反戦運動に参加しただけではなく、沖縄人と連盟をつくり、彼等と一緒になって白人による人種差別に抗議しました。戦争が終わって、国防総省が反戦感情を抱いている黒人兵を海軍から除隊すると発表したことは、米軍が黒人の反戦感情をどれほど気にしていたかをよく物語っています。

 第二次大戦中、多くのアメリカ黒人は自分の参戦の目的を二重勝利のためだと信じていたが、その後もアメリカの軍国主義は自分たちの生存に重大な脅威だと感じ続けたのです。黒人の指導者の間には、西洋から独立を目指したベトナム人やアフリカ人と同じように、アメリカでの自分たちの人種差別に反対する奮闘を解放運動、独立運動、反植民地運動と考え、人種問題との戦いは、内なる植民地化との戦いだと主張しました。

 黒人内部の反戦の理由は幾つかありました。先ず一つは、戦争によってアメリカ国内の問題が無視されていること、つまりアメリカ予算の多くが戦争のために使用され、貧困問題、社会福祉のための予算が低下していたことです。もう一つは、不公平な徴兵制によって、黒人社会にとって重要な人材である黒人男性が不均衡に徴兵され、無意味な戦争のために戦死してしまうことです。さらにアメリカの外交政策はベトナムの独立を海外のアメリカ国家の利益に脅威であると考えたように、アメリカの国内政治は黒人解放活動を国内で脅威と見て、その活動をさまざまな手段で抑圧しようと介入していたことです。

 そして最後に挙げられるのは、第二次世界大戦のときと全く同じように、アメリカでまだ本当の自由を獲得していないのに、海外で他の国民の自由のために戦うという矛盾でした。黒人の本当の敵は、北ベトナム人ではなく、黒人を排除し不平等に扱っているアメリカ白人社会にほかならないと考えていました。当時のセリフを引用すれば、「我々黒人がなぜ、白人のために黄色人を殺さなければならないのか?」「我々を黒ん坊と呼ぶのはベトナム兵ではない!」でした。興味深いことに、それらと似たようなセリフは、第二次大戦を白人どうしの戦争として非難した黒人の間でも使われました。

 もちろん、キング牧師の反戦宣言を支持しなかった黒人指導者もいました。なかには、反戦宣言によって、戦争を支持するリベラルな白人の公民権運動に対する支持が消えていくことを心配したからです。一方マルコムX、H・ラップ・ブラウン、ストクリー・カルマイケルなどの若い黒人解放指導者たちは、リベラルな白人の支持をまったく気にせずに、ベトナム戦争を非難し続けました。

 第二次世界大戦に関して、日本とアメリカ両国においては、マスコミの評論家やジャーナリストが国民全員が戦争に対して同一な意見を持っていたかのように論じる傾向があります。しかし、戦争の実体は、本来分裂を生じさせるものです。マイノリティの社会には、戦争への参加によって、一般社会がやっと自分たちのことを認めてくれると望む人がいる一方で、自分たちは使い捨て人間として利用されるだけで、国内の差別問題は解決できないと絶望的になった人もいます。そして、いわゆる愛国心が強い戦争時代において、マイノリティがマジョリティの支持する戦争に反対すれば、裏切り者として迫害される恐れもありました。帰ってきた黒人の退役軍人への対応が示しているように、国家に忠誠を尽しても一般社会、権力側のマイノリティに対する差別・偏見は消えなかったのです。

 歴史は、勝者によって書かれていると言われます。しかし、敗北者も自国の歴史を書いています。にもかかわらず、勝者にせよ、敗者にせよ、いずれも戦争史の中にマイノリティの戦争観についてはあまりふれていないようです。日本のマイノリティは、内外の戦争をどういう目で見ていたのでしようか。例えば、一九世紀に、アイヌ民族や非差別部落の出身者がアメリカの南北戦争をどう見ていたのでしょうか。また、二○世紀初に日露戦争に徴兵されたアイヌは、その戦争をどう見ていたのでしょうか。マイノリティの戦争観は決して一般国民と同一ではありません。例えば、一九二○年代に日本軍に徴用され、軍隊でも迫害されつづけた被差別部落の人たちのなかに、日本の軍国主義に反対する声が強かったのです。

 また、いわゆる「日本人」として、民族差別を受けながらも日本帝国のために太平洋戦争で戦ったのに、サンフランシスコ平和条約で日本国籍を強制的に剥奪され、外国人になった在日韓国・朝鮮人や台湾人の退役軍人とその家族の戦争観と、一般日本人のそれとは相当な違いがあります。そして第二次大戦に二○万人の犠牲者を出し、今でも日米安保条約のもとで犠牲を払っている沖縄の人たちの戦争観、戦争に関する意識は一般の日本人と大きな違いがあることも確かです。

 戦争が起こるときには、自国の戦争行為を「国民統一」「正義」「自由のため」などと宣伝するスローガンと、それを裏切る国内での差別、抑圧、不平等という実態との矛盾が浮き彫りになります。その矛盾を最初に肌で感じるのは、その国のマイノリティに他なりません。彼らの視点から見れば、戦争の歴史を書く時、差別されているマイノリティの人びとの戦争観とその社会的、歴史的な背景をたどることが不可欠なのです。


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