問題提起2

マイノリティと戦争の遺産 強制収容所、先住民族、原爆

マイケル・S・ヤスタケ 牧師

 私は昨日シカゴ市から日本へまいりました。この機会を与えて下さったことに深く感謝いたします。

 日米両国での終戦五○周年を記念する一連の「愛国主義」的な式典を見ていると、太平洋戦争がもたらした破壊や苦しみは過去のものであるという印象を受ける方が多いかと思います。しかし、戦争の惨事から生き残った人びと、かつ抑圧の最大の被害者たちの苦痛とそれに伴う問題の多くは、いまだ解決されていないのです。戦争と戦後の時代を振りかえって、その犠牲者たちの目を通して見つめることで、昨今の悪しき扇動に対抗できるのではないかと私は考えております。と言うのも、五○年前に起こった「本当のこと」は、自国のために敵国と戦った国民ではなくて、その迫害を受けたもっとも弱い人びとの人生を通してのみ語れるからです。ここで、皆さんと一緒に考えてみたい問題が二つあります。戦時中、日本とアメリカの無惨な争いが、両国内に、マイノリティなど力のない、社会の底辺に追い込まれた人びとに何をもたらしてきたのか、という問題です。そして、その以前からも存在し、戦争によって煽られた人種・民族差別が、今現在、日本とアメリカにおける民族間関係にどうような影響を与えているのかという問題です。

 深刻な問題として沖縄の例が念頭に浮かんできます。沖縄は、アメリカと日本が太平洋戦争の最終局面で激しい戦いを繰りひろげたところで、沖縄の民間人の死者は二○万人とも言われています。それとともに日本とアメリカの兵士一○万人が殺されました。現在、沖縄の土地の二割以上がアメリカの基地として使われており、その面積は在日米軍基地の七五%を占めているわけです。沖縄住民は、最近の少女暴行事件をきっかけに、今基地に反対する声が高まっており、より多くの人びとが基地の撤回運動に参加するようになりました。その強い意思表示を受けて、アメリカの平和団体は、すべての基地を日本から撤退するよう米政府に対して圧力をかけようとしています。

 沖縄の基地問題を理解するために、日米戦争の歴史を「上から」ではなく、「下から」見極める必要があると思います。その目的で、私が今委員長を務める「日米人種正義委員会」は、一週間にわたる文化行事を計画しています。これは、「土地と命」というテーマを中心に、来年の四月から五月にかけて沖縄で開かれる予定です。今の時点で招待されているのは、日本の軍隊に命令された集団自決から一命を取りとめた沖縄の人たち、性の奴隷とされた元従軍慰安婦の女性たち、それに核実験の結果として奇形児を出産した太平洋諸島の女性、米軍によって土地を没収されたハワイの先住民、そして家族が日米双方の軍隊にとられた日系アメリカ人たちです。

 私の両親は一九○○年に福岡県からアメリカへ移住し、私はワシントン州シアトル市で生まれました。当時の法律により、アメリカで生まれた者はみなアメリカ国籍となるので、私も二人の弟もアメリカ国籍だったのです。しかし、両親は日本国籍だったので、法律によってヨーロッパからの移民と違う扱いをされ、帰化、つまりアメリカ市民権の取得は許されませんでした。太平洋戦争が勃発した一九四一年、日系人社会は、敵国である日本の国籍を持っていた一世と、アメリカ市民である二世の両方で構成されていました。ラジオ、新聞などでは、一世の人たちは敵だと非難されたわけです。しかし、彼らが「東洋人」であるという理由だけで帰化できず、日本人のままであるという事実を、白人の誰も言わなかったし、知りもしませんでした。

 戦争がはじまって間もなく、私は敵国国民として、シアトルの家から追い出され、一二万人ほどの日系アメリ力人とともに強制収容所に入れられました。父は危険人物としてみなされ、FBI(連邦捜査局)が運営していたキャンプに送られました。家族のほかのメンバーは内務省の管轄下にあった収容所に入れられたので、わが家はバラバラにさせられました。

 私たちは、鉄条網で張りめぐらされた狭いところに押し込められ、二四時間武装したガードマンの監視下におかれ、バラックで共同生活しなければなりませんでした。バラック生活の、もっとも耐え難い、屈辱的な経験の一つは、家族間の自由な私生活、プライバシーの侵害ということでした。また食事とか、トイレを使いたい時は、長い列にならばざるを得なかったのです。日系人の強制収容政策は明らかに人種・民族差別に根づいたものでした。それは、ドイツもイタリアも敵国でありながら、ドイツ系とイタリア系のアメリカ人は大量に収容されなかったという事実からもうなずけます。

 日米戦争につながった出来事の一つとして、一九二四年に成立した排日移民法は、日系人と日米関係に大きな影響を与えました。この法律が通過して以来、ヨーロッパからの移民は歓迎されたのに対して、日本からの移民は完全に停止されました。当時の日本の駐米大使萩原氏は、この法律が両国の関係に重大な結果をもたらすと警告しました。排日移民法が成立した時、たまたま日本を訪れていた著名な歴史学者アーノルド・トインビー氏は、このニュースを聞いて、日本では数週間にわたって、非常に危険な反米感情や世論が高まったと著書のなかに記しています。

 こうした反日立法はあからさまな東洋人への差別の一つの現われだったのです。東洋人は、「オリエンタルズ」と英語で言いますが、このなかには中国系も含まれています。それから、戦争が終わってから行なった、もう一つの微妙な人種差別も存在しました。その微妙な差別とは、有色アメリカ人に対して同化が強要されたことです。同化とは、「ヨーロッパ系アメリカ人の文化・生き方に同化せよ」ということです。これは「アメリカナイゼーション」と言われていますが、たとえば、ここで私がアメリカ人と言った場含、皆さまは白人を想像するだろうと思います。常識的に考えれば、その枠のなかに日本人とか中国人とかは入らないでしょう。こういったものに同化する、これがもう一つの微妙な差別なのです。

 日本でもこれと同じようなことが行なわれていたと思います。例えば在日韓国・朝鮮人とか沖縄人、アイヌの人びとに対して、やはり同じように「日本人になれ」ということで同化を強いられてきました。私の友達で、日系二世のロナルド・フジヨシ牧師は、このことを「ジャパナイゼーション」と呼んでいます。彼は、日本に長期滞在しましたが、指紋押捺を拒否して長い裁判闘争をやってこられた方です。

 同化とは、その人のルーツを元々の文化的遺産から完全に切り離してしまうものです。北ヨーロッパ系の人たちはそれ以外の人より優秀だという考えを、当然のように助長するイデオロギーです。そのもっともわかりやすい例の一つとして、先住民族のアメリカ・インディアンの子供たちは、長い間寄宿学校に入れられることによって、民族の言語やそのほかの文化的な表現も禁じられ、自分たちのエスニック・アイデンティティが奪われてしまいました。先祖のルーツにまつわる価値を否定することによって、強引にアメリカ人として同化されてしまったのです。それと同様に、日系二世は、「自分が日系二世だということは好ましくないことだ」と思いながら育ちました。私もその通りだったのです。白人のように話したり、白人とつきあったり、彼らと同じように行動しようと一生懸命に努力しました。そういうわけで、一般的に言えば日系二世は日本語の勉強を拒んだりして、日本について学ぼうとはしませんでした。

 私はイリノイ州エバンストン市というところに住んでおりますが、その近くにノースウエスタン大学があります。アジア系の学生が全学生の約二割ぐらい占めており、もともとアジア、太平洋地域から移民してきた日系、中国系、韓国系、そして最近はベトナムなど東南アジア系の子孫もいます。彼らは、幼いころからアメリカとヨーロッバを中心とした教育を受け、それに疑問を持った人びとがアジア系アメリカ人の歴史の授業を開設するよう当局側へ訴えたら、門前払いにされました。しかし、学生たちは、ハンガーストライキなどの抗議行動を行ないました。大学側が彼らの要求を却下する理由として、すでに日本語や中国語、韓国語の授業があり、また東アジアなどの歴史も教えられているということをあげたのでした。

 しかし、学生たちが求めていたのはアジアではなく、アジア系アメリカ人に関するカリキュラムでした。たとえば、中国系は米国の工業発達に大きく貢献したので、中国人労働者が一九世紀以来、いかにしてアメリカの鉄道建設に携わったりしてきたのか、またその過程で、差別問題も含めて白人社会からどのように扱われてきたのか、そのような内容のものを望んでいたわけです。自分たちの先祖のルーツと、彼らの在米体験の歴史を把握しない限り、アメリカとアメリカ人を理解することはできないからです。

 私は、現在、アメリカで政治犯の支援活動をしております。その団体名は「良心的囚人の支援事業」というもので、私はこの組織の議長として大勢の政治犯の釈放のために働いています。

 「政治犯」と私たちは言っていますが、政府から見ると、彼らは「犯罪者」なのです。しかし、彼らが捕まった本当の理由は、抑圧された貧しい人びとのために行動を起こしたからです。たとえば、私たちは現在一五人のプエルトリコ人の解放を求めています。彼らは一人につき四○年から一○○年の刑を言い渡されました。有罪判決を受けたのは、プエルトリコの独立を求め、アメリカの植民地政策がもたらした貧困をなくすために、プエルトリコ人の自治権を実現しようとしたからです。

 そして、もう一人、ムニア・アブ・ジャマールという黒人の政治犯の例もあげますと、彼は優秀なジャーナリストで、最近、大手の出版社から著書が出版されました。ジャーナリストの同僚からは、声を持たない人の代弁者とも言われています。現在、彼は警官を殺したという容疑で死刑判決を受けています。裁判の証拠を見ると、彼が殺人を犯したとは、どう考えても不可能なのですが、それでも殺人ということで死刑判決を受けてしまいました。本当の理由は、彼が長年にわたってフィラデルフィア市の警察を厳しく批判してきたからなのです。それは、フィラデルフィアの警官たちが貧しい黒人を不当に、残酷で暴力的に扱ってきたことを激しく非難してきたからです。

 私たちが関わりを持っている政治犯は、現在一○○人以上にのぼります。アメリカ政府は、外国とくに第三世界の国々を「国際法に背いている」とか「人権侵害をしている」と批判しますが、国内での人権侵害については目をつぶっているのです。私たちは、アメリカ人が自分の国を批判的な目で見るように働きかけています。それは、国というのは強大であればあるほど、世界の悪業に対しても大きな影響を持つからです。アメリカと日本のよく似ているところは、両国とも他国を植民地化し、抑圧してきた歴史的事実にあると思います。歴史の真実は征服者の視点からは理解しにくいでしょう。アメリカの政治犯は、誰よりもアメリカの真相をよく知っており、私が彼らの支援運動をやっているのはそのためです。

 抑圧される民族に属する人びとが、同化の束縛から解放されるためには、「同化しなくてもいいのだ」という自由を勝ち取るために立ちあがり、そして「自分たちの運命は自分たちで決めるのだ」と主張することが必要です。アメリカの先住民族は、自分たちの言語や民族の生き方を守るためにその道を歩もうとしています。ポリネシア系ハワイ人の戦いもその例の一つです。それまで君主国であったハワイは、一八九三年にアメリカに征服され、植民地となりました。そして、その征服一○○周年にあたる一九九三年四月一七日に、一五○万人からなる有力なアメリカのキリスト教団が、ハワイ国家征服に大きく関与したことに鑑み、ハワイ人に謝罪をしました。その背景に、現在キリスト教の子孫が、ハワイにおいて政治的、経済的に支配する階級を占めているという事実があります。

 教団のお詫びが出てから、アメリカ政府からも動きがあり、連邦議会でも謝罪すべきだという風潮のなかで、謝罪決議が採択されました。さらに同年一九九三)、米国によるハワイの占拠は不当だっただけではなく、違法であったという声明も中央政府から発表されました。そのなかには、ハワイ先住民の聖地である真珠湾を、太平洋戦争の前から海軍の基地にしたことへのお詫びも含まれていました。しかし戦後、土地の所有権を取り戻そうとする苦しい戦いのなかで、ハワイ人の何人かは、その政治的立場ゆえに投獄される事件も相次いで起きました。こうしたことは、皆さんはご存知ないかと思います。それは、マスコミがほとんど報道しないからで、日本政府もアメリカ政府も、こういったことは表沙汰にしたくないのです。

 一九九五年八月二日、ハワイの独立を求める民族解放グループのメンバーであるプーホヌア・カナヘレは刑務所にぶち込まれました。普通なら、保釈金さえ払えば、すぐ釈放されるはずですが、当局がその要求を却下したので、彼はいまだに獄中にいます。彼の罪状は、ちようど一年前に、抗議行動の一環として税金の申告を遅らせた同じ先住民の男性をかくまったということです。さらにカナヘレ氏は交通違反でも起訴されています。それは米政府が発行したものでなく、ハワイ独立を訴える「ハワイ共和国」と書かれたナンバープレートと運転免許証をもって運転していたからです。こうした意思表示により、彼はテロリスト、危険人物というレッテルをはられました。このようなことから見れば、ハワイ先住民の自己決定権を求める戦いは、謝罪決議が出たけれども、これから長く続くだろうと思われます。

 今年は、原爆投下五○周年を記念して、アメリカではさまざまな催しが開かれました。平和団体の多くはいろんなプログラムを組みましたが、シカゴのグループは、核連鎖反応の実験をはじめて実現したシカゴ大学で反核行事を行ないました。八月六日には、大学構内にあるキノコ雲の形になっている原爆記念彫刻の前に、大人や子供も含めて大勢の人びとが集まり、そこに折り鶴をかけました。そしてその場で、原爆の恐ろしさ、広島と長崎の被爆者たちの苦しみなどが語られ、行事は抗議行動と勉強会を兼ねて行なわれました。後で、原爆のシンボルである一○○○個の折り鶴を広島へ持っていく計画があるそうです。

 しかし、アメリカ人の多くは、いまだに大勢の生命を救うために原爆投下は必要だったと信じ込んでいます。ケビン・内田さんの話にもあったように、ワシントンのスミソニアン論争はその現われの一つです。国立博物館側が、原爆を落としたB29「エノラ・ゲイ」と、被爆者の実情をテーマにバランスよく展示しようとしたところ、退役軍人の猛烈な反対に合い、計画どおりの展示は中止となったのです。結局、原爆投下の悲惨は闇に葬られ、「エノラ・ゲイ」だけが展示されました。しかし、アメリカの内外に、白人に対して投下されなかったという点で、人種差別に基づく行為だと考える人びとは少なくありません。この五○年間の間にアメリカが敵にまわし、軍事力で襲った国々のすべては、北朝鮮、ベトナム、イラクなどの非ヨーロッパ系の第三世界の小国です。

 アメリカとは、先住民の征服の上に成り立った大国です。アメリカ人の小学生のすべてが、北米の歴史は、一四九二年のコロンブスの「新大陸の発見」からはじまったと学ぶわけです。しかし、これは事実に反する間違いでして、アメリカ大陸には、ヨーロッパ人が入ってくる何世紀も前から人びとが住んでいました。一九九二年には、先住民などの主催で、ヨーロッパ系白人による侵略五○○周年の記念行事が行なわれました。白人がアメリカで最初に出会ったのはインディアンで、これはアメリカ大陸の有色人種に対する差別のはじまりでもあったと言えましょう。

 差別は過去のものではないのです。国内には、ここ五○年間の核兵器・原子力の開発のもっとも大きな被害を受けたのは先住民たちだからです。彼らの多くは、今、「特別保留地」というところに追い込まれていますが、そういった指定居留地は今現在アメリカ国土の三%にすぎません。しかし、そのなかに全米のウラン資源の五割から八割が埋まっています。インディアンの土地を一つの国にたとえれば、彼らは世界で第六位のウランの鉱床を持っていることになります。

 実際、日本に落とされた原爆の原料のかなりの部分は、同じ有色人種であるインディアンの土地から採掘されたものだったのです。核兵器や原子力の開発のために、インディアンの土地は没収されたり、不当に安い値段で借りたり、広い面積が核廃棄物の処理に使用され、また水源が汚染されたりしてきました。これは今の核時代におけるインディアンの破壊を意味するものです。

 ここでは、インディアンの友達フェイズ・スミスさんの話を紹介したいと思います。彼女は今、シカゴにあるアメリカ・インディアン大学の学長を勤めていますが、ニューメキシコ州ラグーナ・プエブロに生まれ育ちました。彼女の若いころ、スミスさんの父親は多くのインディアンがそうであったように、鉄道建設にかかわっていました。その仕事の関係で、彼女は、アリゾナ州ウインズロー市の廃棄された列車のなかで家族と暮らしていました。すぐ隣では、ほかの家族も一時的な住まいとしてこうした列車を利用しており、彼らは日系人でした。スミスさんは、日系人の子供と仲良くなり、毎日日系人のコミュニティーへ遊びに行ったりしました。

 しかし、一九四二年のある日、いつものように友人のところへ行くと、日系人たちが一人残らず消えてしまったのです。何年も経って、彼女はその原因がやっとわかりました。そのときに受けたショックは一生忘れられないそうです。米政府は、アリゾナ州では、ヒラ・リバー居留地から四○○○ヘクタールと、コロラド・リバー居留地から一万ヘクタールの土地を取り上げ、それを日系人の収容所の敷地にしたのです。スミスさんの友人は、彼女の知らない家族と共にここに入れられました。戦時中、日系アメリカ人に与えられた迫害とインディアン社会への抑圧がつながっていたことは、この例から知ることができるでしょう。

 長い間、私はアメリカと日本における人権侵害に対して反対してきました。というのは、日系アメリカ人として、自分が生まれ育った国の政府によって差別的待遇を受けたりしたので、私の祖先の国、日本に存在する差別問題にもより敏感となっているからです。一方有色人種をさげすむ白人社会に同化された事実も認めざるを得ないのです。白人と同じ特権を持ちながらも、他方では、白人でないということで不平等な扱いをされたりして、差別の表と裏がよく見えるようになりました。皮肉に聞こえるかもしれないのですが、これは貴重な経験だと思います。

 先に述べてきた迫害と不正行為の例は、私たちに一つの大きな目的を達成するための稀な「きっかけ」を与えてくれました。それは、マイノリティもマジョリティも、すべての人びとは歴史がもたらした惨事や破壊を確認し、それらを修復するために一緒に行動をとるという機会です。そのためには、戦後五○周年を機に、私たちは世界でもっとも抑圧され、被害を受けた人びとの目を通して見つめ直すべきではないでしょうか。

 ロシア人の作家ドストエフスキーは、ある社会を深く理解しようと思えば、その社会の刑務所をよく勉強すればいいと書きました。アメリカと日本の刑務所は、両社会の実情を正しく反映しているでしょう。別の言い方をすれば、日本の根底を把握しようとするならば、天皇制をはじめとして日本の支配層の立場に立つと何もわからないのです。むしろ、沖縄人や在日韓国・朝鮮人、アジア系の移住労働者、アイヌ民族、被差別部落の出身者、そういった人びとの目線からこの社会を見つめてこそ、はじめて日本という国が見えてくるでしょう。アメリカの場合も、これと同じことが言えます。ヨーロッパ系白人の側に立ってものを考えるかぎり、アメリカの本当の姿は現われてきません。黒人、ヒスパニック(スペイン語系)、アジア系、インディアンなどの人びとこそ、アメリカの本質をより正確につかんでいると言えます。

 超大国に暮らしている日本人とアメリカ人に今必要なことは、力のない人びとや被抑圧者の話しに聞く耳を貸し、彼らの主体的な自己決定権が実現されるよう、一致団結をすることではないかと考えます。今の世界秩序を支えている国内外の複雑な従属関係を断つことによって、私たちもその束縛から解放されるでしょう。


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