編者造言

東西南北という、判っているようでいて判りにくい言葉を、英語では何と言えばよいのかと、かつてロバート・リケットさんに尋ねたところ、anything and everythingかなということでした。

その後暫くして、同氏からall things considerの方がより適切のように思うと修正案が出されました。日本語に精通し、また社会人類学者として東西の文化状況の違いを見つめてきた人ですら、この言葉の原義を組み込みつつ外国語に翻訳することは至難だったようです。

『東西南北』というこの誌名は、「共同研究機構」がその出発当初から抱えていた、ある意味ではヌエ的であったこの機構の本質を象徴していたのかも知れないと、今にして思います。

それにも関わらず、牧歌的な雰囲気の中でそれぞれのプロジェクトチームは一定の成果を挙げてきたのではないでしょうか。

経費的に物議をかもした本書は、これらの研究実績に支えられつつ、この号をもって終巻になります。本誌が大学の構成員や他の読者の期待に応えるためには、共同研究機構時代の掉尾を飾った三回目のシンポジウムが、テーマ設定や報告者の問題意識において如何に批判に応え得るものであったかを、読者に適切に伝えることでありましよう。

ところで、本年度から正式に「和光大学総合文化研究所」が出発しました。外面が明確になっただけに研究所委員会に課せられた荷は重いのではないかと思います。

ヌエ的であることがある程度は許されていた研究機構時代の遺産を、そのままに引き継ぐことになった研究所委員会の最初の仕事は、研究機構が持っていたヌエ性の克服だからです。これに対する真摯な検討であろうかと思います。

かつて教授会で研究所規約の作成を巡って研究所の独走への懸念が繰り返し提示されたのは、新研究所の発足に対する教授会員の期待からだったのに違いないでしょう。

新しく発足した研究所が、研究機構時代に蓄積してきた、正のみならず負の遺産に対して如何なる姿勢で対処していくのか、研究所委員会の今後の姿勢や新たに発行されるであろう『研究所紀要』の編集方針を見守りたいと思います。

その意味では、研究所発足の第一回シンポジウムの課題が、研究所の一つの理念を示すものとして期待されたわけです。

考えてみれば、経営戦略を先行させざるを得ない法人としての学園の各期毎の発展計画とは異なり、この研究所は特別の予算措置を講ずることもできずに、建学時代からの草創理念の情念のみを、無手勝流とも言える形で引き継ぎつつ進められてきたようなものだったと言えましょう。

底流としてあったのは、本学独自の理念の結晶を目指しての歩みのみであり、求道者的とも言えた初代学長梅根悟の建学理念への、回帰への志向であったのかも知れないと思います。

◎ 鈴木勁介