ディスカッション


司会・松枝到 ただ今からディスカッションを始めたいと思います。
 それでは、この会にずっと関わってこられて、きょうも初めから聞いてくださいました、人間関係学科の鈴木勁介先生から最初の口火を切っていただければと思います。

鈴木 人間関係学科の鈴木です。最初の口火になるかどうか判りませんが、それぞれの先生方にお伺いします。
 最初にリケット先生に伺います。きょうのお話の中でも、フィリピン、イラン、アフリカアメリカ人、それから在日韓国の人と、実に国際的に知り合いがおられて、そういう交流の中で国籍とか市民権、人種や民族といわれるものの壁を超えての「わたし」と「われわれ」を如何に考えるかの問題提起だったように思います。そういう意味では「わたし」と「われわれ」というのは決して非階層的な言葉、没価値的な言葉ではないのだという問題提起だったと受けとめました。
 ところで、「鏡に映されたわたし」という問題がございましたね。その鏡というのは、言ってみれば支配層というか、差別する側の、しかも無自覚的な強者の側がつくり出した鏡であって、主体が自らのアイデンティティーに則して無心に見つめる鏡というか、そういうものではないのだというお考えのように思いました。お話の中で重要な鍵概念だと思いますので、理解しやすいように補足願えないでしょうか。

リケット おっしゃるとおり、非常にあいまいな言い方で、うまく説明できなかったのですが、アメリカはルーズな社会なので断言はできないのですけれども、白人でない、あるいはWASPでない人たちが出世しようと思えば、WASPたちの価値観をある程度内面化しなければならないんですね。そして、その時に、内面化することによって、自分は自らの本当の姿、WASPでないアイデンティティーを押さえなければいけない、あるいは隠し、または、場合によって抹殺しなければいけないという、精神的に非常に苦しい経験を味わうことになりかねないのです。しかし、その価値観を内面化しても膚の色だとか、女性だとか、階層出身だとかを理由に、出世できないということもよくあります。いろいろな障害が生じてきます。だから、アメリカ社会におけるその鏡とは、 つまりは白入社会がつくった鏡であって、白人でない人々は歪んだ形でしか映って来ない鏡なのです。それは「白人」と「非白人」両者にとって大変悲しいことだということです。日本社会の中でも同じようなことが言えるのではないかと言いたかったのです。
 問題は鏡そのものではなくて、鏡をゆがませる意識というか、心というか、そういうのを形成していく社会的・心理的過程にあると思います。ゆがませる手をどう止めればいいかは、アメリカ社会だったら白人の課題であるし、日本社会だったら、大和系日本人の課題であるということを言いたかったのです。単純な話しですし、すでに気づいている人々も多いかと思います。目新しいことを言っているつもりはありません。

鈴木 ありがとうございました。それでは、他の方にもそれぞれお話を伺っておきたいと思います。
 岡本先生のお話なのですが、ヤオハンというデパートが昭和三十年代の終わりごろに静岡にありまして、本当に小さなスーパーという感じだったことを記憶しています。あれよあれよという間に大きくなったのですけれども、今まで海外に日本の商社が進出するときには、言ってみれば国家の看板を背負った国家の商社というようなものが多かったわけですね。ヤオハンというような国家権力から遠い小売業が出ることによって、小さな存在の「わたし」というものが、中国や東南アジアに対して、今までの日本とは違った形で文化的影響、あるいは相互影響し合うという、そういうことが十分可能性としてあるわけてしょうか。

岡本 今、鈴木先生がおっしゃるように、総合商社の場合は早くから進出しています。
 ヤオハンのような、小さな企業が海外になぜ進出していったかといいますと、 一つには、国内ではダイエーとか大型店が占めていまして、日本では勝負にならない、競争できないという、そういった事情がありました。
 それから、もう一つは、流通業界のソニーになりたいという、そういう思いを持っておりました。電気製品の業界でソニーは国内では後発のメーカーだったので、松下や東芝や日立とは競争できない。それでは海外に出て、海外で力をつけて日本に帰ってこようというソニーの盛田さんの考え方を、ヤオハンも実践したいということがありました。
 最初、ブラジルに進出して失敗したのですが、次にシンガポールにまいりまして、シンガポールでは成功するわけです。鈴木先生がおっしゃいましたけれども、文化の面とか、そういう面では、アジアですから似ているとは言いながら、言葉も違ったり、宗教の問題もありますね。そういった問題で日本の普通の企業でもって宗教の違う国へ行って人材を教育するというのはなかなか難しい。ところがヤオハンの場合には、先ほど申しました生長の家の理念を持っていまして、これは、人類は神の子、あるいは太陽の子どもだという形で、それだったらみんな一緒になれるだろう。そういう形でアプローチしていくわけです。宗教的には一応生長の家の教義といいますか、そういった形で大体みんな納得してくれたということで、宗教上の問題もかなり解決しました。
 文化という面では、寿司のような日本食だとか、香港に大相撲を連れていきまして香港場所を開催して、日本の文化にふれさせるとか、そんなことをやっております。またNHKで放送した「おしん」はアジアで人気があるのですが、「おしん」のモデルはヤオハンの和田一夫代表の母親といわれています。それで母親(カツさん)がシンガポールや香港や中国に行くと大変な騒ぎでした。したがって間接的に日本の映画文化をも紹介していたような気がします。そういう意味ではただ単に物を売るために出稼ぎに行ったというのではないということがあると思います。
 同時に、この小さな企業が成功しているという点で、日本の中小企業、特に零細な企業の経営者にとっても、自分たちでもやり方によっては海外にはばたける、またそういうような企業になり得るような夢を与えているんですね。そういう一つのモデルになっているのではないか。そんな気がしているわけです。そういう面で、ほかの企業よりはいくらか、文化を紹介するとか、あるいは宗教とか、そういった面でも頑張っているのではないかという気がしています。

鈴木 中村先生の「ナーンガル」と「ナーム」のお話は大変興味深く拝聴しました。日本でも和歌山県の方言では共通語の「われわれ」一語に対して「あがら」と「わいら」という遣い分けをしています。これはやはり相手側を「われわれ」の中に入れているか入れていないかという、その違いでしょう。
 澁谷先生のほうでは、シンハラの「われわれ」は日本語と同じだろうとおっしゃっていましたけれども、たぶん日本語の共通語と言われている「われわれ」とか「わたしたち」というのは、多義的で、タミル語に似ているだろうと思います。だから表現としては一つしかないけれども、例えば「このシンポジウムにいるわれわれは」と言うときには、報告者もそれから質問者も含めているわけですね。ところが、「われわれ聞き手側からすれば」と言ったときには、報告者は入らない。たぶんそういう日本語の共通語と言われている「われわれ」と同じものとしては、シンハラ語にもあるのではないかと思いますが、如何でしょう。
 それから、もう一つは、高地シンハラの場合、老人はどういう生活をしているのでしょうか。核家族の場合、日本では独居老人という形で非常に社会問題になっていますね。家族の中の「われわれ」の一員ではなくなりつつあるようですが。

澁谷 シンハラ語で「われわれ」にあたる言葉はひとつですが、やはり鈴木先生がおっしゃるような微妙な使い分けをしています。
 それから老人の問題については、大体息子や娘たちが年齢の高い順から結婚して外へ出て、別々になっていくのですが、最後に親と暮らすのは末子というか、末の息子夫婦です。その場合でも、同じ家に住みますけれども、かまどは別にしています。壁で仕切ってかまどを別にするんです。だから経済単位も別です。時々おかずを余分につくってやる、その程度はやりますけれども、 一応かまどは別なのです。火も別々です。

鈴木 山田先生、経済大国から経済学は発生するとおっしゃっていますけれども、それは西欧的「われわれ」の経済学だったのだろうと思います。現在日本は経済大国というように言われているのですが、その場合、日本がつくり出す経済学というのは、ヤオハン的な「われわれ」の経済学になるのか、その可能性はいかがでしょうか。

山田 私自身はアメリカ経済学のパラダイムの中で教育を受けていますから、それがどういう形になるかというのはよくわからないのです。ただ一つだけ言えるのは、日本型の経済学ということになるとすれば、それを既にだれか体験している人が今までいたかどうかということなんですけれども、 いるとすればただ一人というようにカウントできると思います。鈴木先生の世代だったらご存じだと思いますけれども、下村治という人がいます。例の池田内閣のときの所得倍増計画を理論的にバックアップした下村博士ですけれども、あのタイプの経済学になるだろうという気がします。あのタイプの経済学という言い方はちょっとおかしいのですが、あれは一つの日本的な土壊から発生した日本的経済学であるという感じがします。
 ではほかに今、下村治氏に匹敵するような経済学者がいるのかというと、いないと思います。その理由は、経済学者の大半はその教育を、私と同様にみんなアメリカ経済学のパラダイムの中で受けているからです。ところが下村先生はそうではないんですね。日本の経済の中から出てきている。
 そういう形でいくと、私はよく経済学者を二つに分けるのですが、経済学者というのは、英語で言えばエコノミストというので一つなんですね。ところが日本の場合には一応分けていまして、カタカナで書くエコノミストと、漢字で書く経済学者というのは、別個のものだと思うんです。漢字で書く経済学者というのは、アカデミックな経済学者、 一応キャンパス・エコノミストと言いますけれども、アカデミックなもので、カタカナで書くエコノミストというのは、官庁にしても民間にしても、いわゆるエコノミストですね。民間エコノミスト、または官庁エコノミスト、企業エコノミストと言われている、どちらかというとそういった現実の日本経済に非常に詳しいエコノミストの方の中から、今後の日本の経済学の枠組みたいなものを提示できるような人が出てくる可能性はあると思います。ですから、今、先生が質問でおっしゃったヤオハン経済学というのは、十分可能性はあるだろうと思います。

司会 鈴木先生に全体を総括するような質問をしていただいて、これできょうお話ししたことがだいぶリンクしてきたのではないかと思います。
 始まったときからずっと会場で頑張っている方々がおられますけれども、会場から質問はございませんか。

武田巧 経済学部の武田です。山田先生の仮説に従いますと、恐らく私は日本の経済をよくしている経済学者の一人ではないかというように思っています。残念ながら私が最初から最後までお聞きした話は山田先生のお話だけでしたので、山田先生のお話に関して質問させていただきたいと思います。
 山田先生のお話の中で、合理主義をもとにした欧米型といいますか、そういった経済学というものは、日本型、あるいはほかの型の経済学とは異なるということがありました。そしてその乖離というものは恐らくなくならないという前提でお話をなさっていたと思うのですが、確かに最近では欧米の経済学というものが必ずしも唯一の経済学ではないのだというような認識が高まっていると思うのです。その中で、M.アルベールが『資本主義対資本主義』という本を書いたりとか、それから、世界銀行が東アジア型の経済というものについて分析したりしていたと思うのですが、 一方で、国際化、あるいは情報化というような流れの中で、完全ではないにしろ、ある程度型の違いというものが収斂をしていく、違いを残しながらも接近をしていくような傾向もあるのではないかと思うのですが、その辺について山田先生のほうからご意見を聞きたいと思っております。

山田 今の武田先生のご質問ですけれども、確かに経済にはいろいろな経済があり得るわけです。東南アジア型の経済もあるし、日本型の経済もあるし、アメリカ型の経済もあるし、 ヨーロッパ型の経済もあります。ただ、私が今日問題にしたのは経済学の話であって、経済を説明でき得る理論の話をしているわけです。そうすると一つの理論体系で東南アジア型の経済も日本型の経済もアメリカ型の経済も説明できるかどうかという点を問題にしているわけです。
 私の最近思っていることでは、どうもできないのではないか。それはさっき武田先生も指摘されたように、合理主義をもとにしてでき上がっている経済学では、日本型の非合理的な社会は説明できないんじゃないかという気がするわけです。経済学を勉強していない諸君にはなかなかわからない話かもしれませんが、 一つ例をとると、自由貿易がありますね。今、自由貿易というのは、絶対的善のような形で言われているわけです。各国がすべて自由貿易をしなければならないと。そのためにGATTがあり、ウルグアイ・ラウンドがあり、そしてアメリカが日本の市場開放を要求するというような動きがあるわけですね。そういうふうにしないと自由貿易が損なわれて保護貿易になるんだというわけです。保護貿易になってしまえば世界は不利益になる。だから自由貿易を守るためにも、日本よ、市場を開放しなさいみたいな言い方が出てくるわけです。
 そこを考えるわけですけれども、合理主義的に考えて、合理主義的に成り立った経済学で考えれば、自由貿易というのは絶対なんですね。だけど実際にそれを運用するという立場から考えると、何も自由貿易でなくたってうまくいく可能性はあるわけです。単に自由貿易だけが絶対だという考え方に立つことがおかしいのではないかというように考えているわけです。
 ですから、アメリカ政府が今、日本に要求してきていることというのは、すべて経済学のロジックにのっとった、実に正しいことを要求しているわけです。ただ、それをこちら側から見て、または本当に生きている経済の中から見てみれば、どうもおかしいことが多いのではないか。ですから、どうもロジックで攻めたててくるアメリカ的な経済学のアプリケーションというか、そういったものに問題点があるのではないか。ということは、すなわちその根本的に問題があるのではないかというのが、きょうの無理やりの私の問題提起なのです。

司会 ほかにいかがでしょうか。

上西哲夫 文学科の上西と申します。漠然と、どなたでもこの質問に答えてみようかと思う方に答えていただきたいのですが、テーマになっている「わたし」と「われわれ」というのは、「わたし」がたくさんいたら「われわれ」になるわけではなくて、「わたし」が「われわれ」になるためには、「わたし」以外の他者と一緒になって「われわれ」があるわけで、実はそこには大きなギャップがあるんですね。その辺の問題というのは、お話を聞いてもけっこうどの先生のお話にも関係があるような気がしているんです。特にリケット先生の提言は重要だと思いました。そのギャップが問題なのだという、その辺を意識した言い方をされているような気がするんですね。「わたし」と「われわれ」というのは全然違うんだと。その辺についてどうかなということについてのコメントを、それぞれの先生にしていただきたいんです。
 お話を聞いていて、山田先生がおっしゃった、欧米系の経済学というか、欧米系の社会と日本社会の違いという点ですが、欧米系社会では「わたし」がそのまま「われわれ」になるとは限らないという気持ちがある。ところが、日本人はその辺が不分明なのではないかというお話、それから、中村先生のお話で、トドロフを出されたからかなと思うんですが、人間とコミュニケーションというと、人間は個なのか複数なのかというあたり、トドロフは恐らく意識していないと思うのですが、中村先生はその辺どう思われるのか、お伺いしたいのです。
 それから、岡本先生のお話の中で感じたのは、日本企業が出ていったときに、現地の人たちにとって「われわれ」というのはどうなんだろうかという感じがします。日本人の場合は企業がすっと「われわれ」になってしまうわけで、「わたし」イコール企業という感じなのですけれども、そういうものというのは、アジアの人にとってはどうなのか。その辺のところをお聞かせ願いたいと思います。

山田 今のご質問ですけれども、西欧型と日本型というか東洋型ということでいくと、個のために全体があるのだとか、全体と個との関係みたいなことをちょっとイメージしたのですけれども、私が「わたし」と「われわれ」というふうに感ずるときは、最初、水上先生からお話を伺ったときは、「わたし」は自分だったのですね。ところが皆さんがいろいろお話をなさっているときに、中村先生が代名詞だとおっしやったので、ああ、代名詞の話だったのかというように思ったのです。
 今の先生のご質問から、「わたし」と「われわれ」についてどう考えるかといいますと、まさにおっしゃったとおりです。経済学者などは非常に粗雑な頭をしていますが、それから考えると、経済学でよく使うところの「合成の誤謬」という言葉がありますが、それに当たります。個を積み上げても全体にはならないし、全体を崩していっても個にはならない。その間には積み上げていく過程における「合成の誤謬」があるという言い方をします。
 それが現状として経済学をミクロ経済学とマクロ経済学とに分けて教えているということにつながってくるのですけれども、ミクロというのは、細かい個の話なんですね。マクロというのは全体の話なのです。ですからまさに「わたし」と「われわれ」ということをミクロとマクロというように考えていくと、経済学においてはミクロを積み上げてもマクロにはならないし、 マクロを細かくしていってもミクロにならない。その間にはギャップがある。つまり「合成の誤謬」があるんだという言い方をします。
 僕はこのぐらいで、あとはほかの先生方にお任せします。

リケット 上西先生の質問にもどりたいと思います。上西先生が示唆したように、確かに「わたし」と「われわれ」はまったく別のものではなく、個々の人間は両者の間に常に動いているわけですね。本当に相手やコンテキストによって変わってしまうのです。僕はテ―マを考えたときに、国家とか、民族間関係とかという観点から個人意識が「われわれ」意識にどういうふうに転換していくのかということが頭の中にあったのです。それで、自分の個人的な経験から考えてみようと思ったのです。民族とか、国家とかとなると、やはり日常生活の中からわいてくる「われわれ」の性格は変わってしまうのですね。今日、澁谷先生と中村先生の話の中で、似たような例があった気がします。スリランカなどで、人々の帰属意識は小さな家族から、クラヤとか、そこから村へと広がっていって、それから地域、地域からどんどんと上の方に拡大していくんですけれども、 いざとなると上のほうのエリートたちが全体をまとめようとすると、やはリナショナリズムという違う形で個人とか、村とかが囲まれていくんですね。
 「わたし」と「われわれ」というのを考えたときに、先ほど、鈴木先生の質問とも関連するのですけれども、支配的な社会層とか、階級とか、民族と言ってもいいのですが、鏡をつくってしまうわけですね。その鏡をつくっているのは「われわれ」なんだけれども、「われわれ」が鏡をつくっているという意識は個人にはあまりないのでやっかいなのですね。ですから、その鏡をつくる自分はどういうものなのか、「われわれ」に囲まれている「わたし」はどういうものなのか、そして、「わたくし」と「われわれ」との関係はどういう歴史、民族関係の中につくられてきた、あるいは、今現在、維持されているのかということを考えなければいけないのではないかと。

岡本 私に対する質問には、答えが二つになるのではないかと思います。まず最初に、私が「わたし」と「われわれ」という言い方を認識したのは、「わたし」というのは私自身で、私が「われわれ」というふうに考えたのは、ゼミの学生を含めると「われわれ」になるという、そういう考え方に基づいて、私と私のゼミの学生たちと一緒にという意味で、「わたし」と「われわれ」という、そういうとらえ方をしたつもりでおります。
 そして、先生のご質問は、日本の企業が海外に出た場合、それが「わたし」になるのか、「われわれ」になるのかという、そういうようなご質問だったのではないかと思います。一つの企業が海外に進出した場合には、それは企業としては個別企業ですから、「わたし」という意味が最初は強いんだと思います。ところが、先ほど例に出しましたヤオハンというような企業がだんだんと、個別企業ではありますけれども、それらが海外に出て非常にスポットライトを浴びまして、それが海外で日本を代表する大きな企業になっていきますと、単に個別企業というにはとどまらないで、「わたし」が「われわれ」に変っていくのではないかと思います。
 この間の土曜日に三島の日大で学会がありまして、そのときにちょうど和田一夫代表(日大経済学部出身)が、特別にお見えになりまして講演をされました。そのときに、「実は秋の園遊会に招かれまして、それで皇室の人々からもいろいろな言葉をちょうだいしました」ということを言っておられましたが、海外で活躍する、日本を代表する企業ということになると、恐らく「わたし」のというより、「われわれ」の企業、日本を代表する企業という意識に変わっていくのではないかというような気がします。したがって、海外へ行くような企業は、最初は「わたし」であっても、しばらくすると「われわれ」というような認識に変わっていくのではないかと思います。答えになるかどうかわかりませんが、そんな感じがしています。

中村 トドロフの話が少し出ていたので、私が解説するより皆さんに読んでいただいたほうがいいのですけれども、最初に彼が先ほど言ったような切り出しをした後にすぐ出てくる言葉があるのです。「わたし」というのは一個の他者だというような話が出てくるのです。恐らくあの本の話の中で一番重要な点というのは、単にアメリカがどうやって発見され征服されたかという問題よりも、むしろ逆であって、他者の発見を通してどのようにして「わたし」あるいはヨーロッパという概念ができてきたのかという、そのプロセスの検討なんだろうと思うんですね。それを逆の方向からうかがっている。
 その中でいろいろなことが言われていたようですけれども、彼の興味深い指摘があって、現在のヨーロッパという一つのアイデンティティーができ上がったのは、彼の視点では恐らくアメリカの発見以降、 つまりコロンブスの発見以降だというのです。なぜかというと、一つの大きな理由があります。ヨーロッパ型の社会というものは、いわゆるエゴセントリックなとらえ方をされがちですけれども、例えば先ほどの話で言うと個の孤立性とか独立性といったものがあるというわけです。それから、そこに基づく合理主義といった問題が出てくるけれども、歴史のプロセスを見てみると、むしろヨーロッパというアイデンティティーができ上がる重要な方向性としては、むしろアブサントリックなジャンル、他者志向型のコミュニケーションあるいは探究の仕方にあるのではないかという考えを持っているのですね。
 例えば先ほどヨーロッパ性みたいなものをつくり上げていく非常に大きな根幹としてキリスト教が挙げられましたけれども、キリス卜教の成立においても、やはりユダヤ教との関係が非常に重要なんです。ユダヤ教という他者との関係においてキリスト教が明確になってくる部分があります。あるいはルネッサンスの場合、 ヨーロッパ性といったものの非常に重要な問題として、あるいは重要な遺産として出てくるのは、ギリシャ、 ローマのいわゆる異教的な文化ですね。
 あるいはアメリカの発見といったものを通じて、全く見たこともない、いわゆる差別用語ですが、土人と言ってもいいような――土人という概念そのものもその時期につくられたわけです――人々を見出します。そういった他者の発見を通して「わたし」というものができ上がったのではないかというような話が出てくるわけです。
 たとえば欧米的な基本的な発想に基づいてコミュニケーションをとる場合と、それから、十七世紀ぐらいのメキシコの人間、あるいはタミル人、あるいはシンハラの人々と対話する場合に、はたして合理主義で「われわれ」自体は対話を行っているのだろうか、ということは非常に疑問なのです。また逆に言って、タミル人なり、あるいはシンハラ人なり、当時のメキシコ人といったものは、極めて自分のパラダイムの中から出ずに、即応性はないのかというのは、これは全くの疑問ですね。むしろそこの対話の中で繰り広げられる、ある程度の相互の即応性みたいなもののコミュニケーション自体を自分に有利に展開しようという戦略が恐らくあったでしょう。恐らくそのかけ引きの中で初めて他者というものが明確になり、逆に言って「わたし」というものが見えてくるのではないだろうかと、単純に考えているのです。
 この問題は恐らく、つながりとしてはナショナリズムの問題に関係していて、例えばアジア諸国におけるナショナリズムの問題とつながっているのだろうと思います。その辺はむしろ澁谷先生のほうが得意分野なので聞きたいのですが、例えばシンハラ・ナショナリズムといったものができ上がるのは、仏教復興運動のなかからですよね。仏教をある程度復興していこうという運動の背景としては、キリスト教の布教活動が大きい。それから、タミル人のエリートとの対抗関係。そこにはやはり恐らくヒンドゥー教という他者の宗教とキリスト教という他者の宗教の相剋の中から仏教も出てくるのであろうし、それが一つの大きな独立運動、民族運動につながっていく。そこの関係といったものを聞きたいと思いました。質問から質問に飛んでよろしいですか。

澁谷 先ほどの問題で、私のほうからの答えということにはならないと思いますが、「わたし」と「われわれ」に関しての表現について、私の経験的な知識で考えてみます。日本語とシンハラ語を比べてみますと、よく言われるように、日本語では、話すときもそうですが特に文語では、「わたし」と「われわれ」を省略しますね。でもお互いに何となくわかっている。ないしは、かなりあいまいに使ったはうがいい、うまく通じ合うという場合もあると思います。
 その点、シンハラ語では、特に書き言葉で「わたし」と「われわれ」を省略することはまずありません。話し言葉の場合には省略しますが、日本語よりは省略しないのではないかという気がします。そうは言っても、私自身、個人と集団の関係ということについて、あまり調べたり考えたりしてこなかったので、それ以上は立ち入れません。日本人に比べて個人の意識がどの程度違うかというのも言いにくいのですが、言語表現に関してはそういうことを私は経験しました。
 それから、中村さんが言ったことは、 一言で言いにくいところですね。私が先ほど話した中からもおわかりいただけると思うのですが、大きく分けてナショナリズムにエリートの意識と、農民を中心とした非エリートのものとでは、民族意識がだいぶ異なるということです。歴史を振り返ってみますと、シンハラ人ないしはシンハラ社会にとって最も身近な他者ないしは隣人というのはタミルです。シンハラとタミルの関係といえば、それは夫婦から始まっていろいろな関係があるわけですが、エリートはそれを二千五百年ぐらい前から敵対しているのだというふうに歴史をとらえるわけです。ほんとうは歴史学を少し勉強すればそうではなくて、過去にはたしか王国も幾つもあったわけで、その王国の間で戦争はありましたが、王国の民、国民全体がまるごと一丸となってタミルとシンハラに分かれて戦ったなどということは過去にないわけですね。ですから正面からの敵対というのはエリート特有の歴史解釈であって、先ほど私が問題にした農民たちにとって、いまだにタミルというのは、必ずしも単純に敵という格好ではとらえていないのです。
 例えばタミル人がたくさん住んでいる、英語で言うとジャフナで、シンハラ語ではヤーパナヤですが、北部のあの辺の野菜とか果物とかいうのは質がいいということで非常に評判がいい。一般の人たちも歓迎してきました。それから、タミル人というのはかなり教育熱心で、医者になった人も随分います。タミル人の医者は、シンハラ人の農民の間ではかなり歓迎され、あてにされていたところがありますから、 エリートにとっても農民にとっても最も近しい他者はタミルです。ですから関係の持ち方とかイメージの仕方が柔軟というか、多様に持っているなという、そういう一面も感じてきました。
 ですから、私などもタミルの概念に入るわけです。要するにシンハラ人以外は全部タミルという、過去にはそうだったのです。最近は民族紛争が激しくなってきたから、タミルというと、タミルナードゥとか、 スリランカの北部に住んでいるタミル人というようになってきましたけれども、少し前はタミルというのはもっと広い範囲が含まれていたようです。

中村 一つ気になっている問題があります。最近、歴史学のほうで小谷汪之先生が『ラーム神と牝牛』という本を出されました([注]小谷汪之者『ラーム神話と牝牛――ヒンドゥー復古主義とイスラム』平凡社、一九九三年)。これはあるインドの聖地をめぐる紛争を歴史的にどう見ていけばいいのかという問題で、そこは現在はイスラムのモスクになっているんですね。そこはかつてラーム王というインドの有名な王様の生まれたところで、王国の中心都市で、そこに昔はヒンドゥー教の寺院があった。これが最近になってからイスラムとヒンドゥーの対立が激化して、そのためにヒンドゥー教徒がそのモスクを壊して、ヒンドゥー寺院を建てるということから、実際に今年ぐらいですか、かなり破壊されてしまったわけです。今、ヒンドゥーのアイデンティティーとムスリムのアイデンティティーというのは明確に分かれていますが、これがただ単に共存するところでぶつかったというように考えられがちなのですけれども、実はむしろこういった対立ができ上がる極めて大きな条件としては、イスラムとヒンドゥーを信ずる人々以外の要素、 つまリイギリス人の登場がなければこういった非常にコミュナルなアイデンティティーはつくられなかっただろうという話が出ているのです。
 その中の一つの例として、雌牛の保護運動というのが出てきます。僕らは、インドというと牛が聖獣であると思っています。これは事実ですが、ただし牛を殺すか殺さないか、どういう状況で殺すか殺さないかというのは、意味が違ってくるわけです。必ずしも殺さないということがヒンドゥー教の条件ではなくて、ある特定の範囲の中で、例えば特定の牛を殺すということは、宗教活動の中で非常に重要な意味を持っていることもあります。ところが、雌牛を供犠にふすかどうかという問題がイスラムの問題として出てくる。イスラム教徒はある特定の祭祀のときには牛を殺すわけです。
 これは従来であれば、先ほどのタミル人とシンハラ人の問題と同じわけで、あちらはやっている、こちらはそういうことはしないという差にすぎないわけです。しかし、 一方でその後に、十七世紀以降、イギリス人がやってきて、だんだんそれが政治的にも文化的にも植民地支配の図式が整っていくと、今度は牛を食う人、ビーフ・イーターとしてのイギリス人というものについてどういうように自分たちの中でのアイデンティティーを確立したらいいのかという問題が出てきます。つまり政治的、経済的に優位に立つイギリス人に対して対抗するためには、 一つはモラリスティックな意味で対立するほうが優位に立てるということで、そこに出てきたのは肉を食わないという話なのだというのが、歴史的に事実としてあるらしいのです。
 それがイギリス人対インド人という図式でとまればよかったわけですが、 一方で牛を殺すというのは、内なる他者、 つまリイギリス人に対抗して「わたしたち」であるインド人が、今度は同じメルクマールをつくって「わたしたちインド人の中の他者」ができてくるという形で、両宗派間の戦いがだんだん激化してくるというプロセスを小谷先生が分析しておられます。恐らくこれはアジアのほかの地域の問題を考えても、いえるのではないかというふうに思いますけれども、澁谷先生にお聞きします。

澁谷 簡単にコメントを申しますと、今、紹介された話というのは、私も別のことで同感ですが、スリランカでそもそもシンハラとタミルという民族意識が出てくるのは、ヨーロッパの植民地となってからです。民族アイデンティティーとして、そしてまた敵対関係というのは、ヨーロッパの植民地支配以降であり、特に一九八〇年代の近年になって、シンハラ・タミル間の対立が激しくなってきたのですが、それ以前は、ある地方ではシンハラかタミルかはっきりしないような、聞かれてもどう答えていいかわからないような人たちもいたものです。特に漁民などはそうでした。実は現在漁民と呼ばれている人たちは南インドのケーララとか、タミル・ナードゥとか、その辺から十四世紀ぐらいに渡ってきた人たちなのですね。ですからある地域ではシンハラ人でもタミル語をずっと使い続けてきた人もいたんです。非エリートのほうが、シンハラ人であればシンハラ語もタミル語もできるというのが普通ですし、タミル人のほうもシンハラ語ができる。ところがエリートは自分の母語以外には英語という格好です。
 それから、インドでも、イギリスの支配域でヒンドゥーとムスリムの関係はそれほど単純ではなくて、どうもインドでもヒンドゥーかムスリムかはっきりしないような人たちもいた。例えばムスリムと言っていてもヒンドゥー寺院に行くというような、そういった人たちもけっこうつい最近までいたようです。今はいないのでしょうけれども。
 今、世界を席巻している聖者サイババがいますが、初代のサイババはモスクに暮らしながらヒンドゥー教の儀礼をやっていた人ですし、決してナショナリストが言うように二千年とか三千年の長い間の対立ということではないということです。

リケツト お話を聞きながら思い出したことですが、アメリカに初めてイギリス人が入ったのは一六〇七年なのですね。その人たちがアメリカに着いたときに、ちょうどイギリスはアイルランド人を征伐していた時期だったのです。それで、イギリス人にとっては、アイルランド人とは野蛮人だったのです。文明の世界では、アイルランドは未開の世界だというわけです。基本的に同じ人種だけれども、やはり文明、非文明ということで、 一種の他者という形になって、それでイギリス人は自覚というか、自己確認ができたのです。それで、アメリカに渡ったときに、先住民の人たちを劣った人種としてではなく、アイルランド人と等しい存在であるというように見たわけです。アイルランド人と同じような野蛮人だから、アイルランド人に対してイギリス人が使った手段と全く同じ手段がインディアンに対して使われたのです。野蛮ですから、村の土地を奪うために村を焼いたり、女性や子どもたちを殺したり、平気でやったわけです。それが一六〇七年のころからです。
 その後、 一六一九年に初めてアフリカ人がアメリカに持ち込まれました。はじめは奴隷としてではなかったんです。当時イギリスから、あるいはアイルランドからも、貧しい人たちは、二年間とか五年間とか十年間とかの契約で、格安でこき使われたりして、五年後とか十五年後に自由になったわけですけれども、最初は黒人は全くそれと同じ形でアメリカに入ったわけです。
 当時のアメリカ社会の中で、やはり土地を持っている人間、 つまり有力者たちに対して、白人であるアイルランド人と黒人とが手を結んで抵抗しました。抵抗したところでは、白人の支配層の人たちは、黒人と白人との連合が非常に危ないことをはじめて悟ったので、黒人を奴隷にしてしまったわけです。それは膚の色の違いがあったから比較的やりやすかったのですが、あっという間に黒人の場合には契約制度がなくなって、奴隷になってしまった。それは単純な理由でしたが、下層社会の運帯をつぶすためだったのです。
 それで、 一六六〇年以降、その制度が固定化されてしまってアパルトヘイト制度ができ、現在に至っているのです。白人たちは黒人たちを奴隷にしてから、黒人は膚が黒いから悪魔だとか、インディアンは人間ではないとか、そこから人種的な偏見が始まったわけです。それ以前はそういうことはあったとても、目立たなかったというか、制度化されていなかったようです。その中では、白人社会は「他者」を敵に回したり、自分の経済的な利益を守るためにアパルトヘイト制度を作ったのです。それ以降、白人のアイデンティティーには、差別的な思想が入り込んでいます。その制度は二百年以上続き、廃止されましたが、今でも意識的にはさほど変わっていないところが多いわけです。経済的、社会的な基盤が変わったとしても、意識変革がおくれており、今日の日本の場合と少し似ているかな、という気がします。

岡本 さっきの鈴木先生の質問の中に日本文化のことがあったのですが、それについて補います。またヤオハンの話になるのですが、さっきは日本食だとか、相撲の話を少ししましたが、そのほかに、店を出す場合に、日本庭園をつくりまして、外国人に日本の庭園の美しさ、日本美をぜひ見てもらいたいという形で、 ニューヨークとか、あるいはロンドンとか、 いわゆるヨーロッパとかアメノカで出店する際には庭園をつくるわけです。それには、日本瓦を使って、ただ単なるコンクリートの建物ではなくて、日本建築的な、日本の美を紹介するわけです。
 それからもう一つは、これも日本の文化だと言っているのですが、開店のときにはチンドン屋を日本から運れて行きます。 一人でいろんな楽器をこなして、外国にはない一つの日本の文化だといって紹介しています。これをやると現地で非常に受けるのだそうです。

司会 討論が始まってちょうど一時間ぐらいになります。司会が大変楽な討論会ですが、せっかく若い方がおられますので、お若い方から何か……。

高橋(学生・女子) 人間関係学科一年の高橋です。いろいろな先生方の話を聞けて、難しい話もあったけれど、きょう帰ってから考え直すというか、復習をして、本も出るということだから、それを見てまた考えたいなと今思っています。きょうのこのテーマを見たときに、 一番最初から気になっていたのは、皆さん、「われわれ」と言うときに、どんな気持ちで「われわれ」という言葉を発していらっしゃるのかということです。それがまず、すごく気になっている大きな質問です。
 自分のことで言えば、私は、その昔と言っても何十年も生きていないけれども、深刻に悩んだときがありました。どんなに親しい友達でも、どんなにわかってくれそうな先輩がいても、その人たちと一緒にいるときに「わたしたちはこう思うんですよ」という発言は絶対できないと思っていたのです。そう言ってしまった途端に何だかおこがましいような気がして、そう思っているのは実は自分だけで、まわりもそう思っていると思えば自分も楽なような気がして発言できるような気もしますが、「われわれ」というのはすごく重い言葉に響いてしまって、簡単には口にできなくなってしまったということがあったのです。
 それで、いろいろなお話が先ほどから出てきましたが、共通して言えることは、何かみんな真っすぐに同じ目標に向かっていることがあって、その中で「われわれ」と言うときは、何だかすごくその「われわれ」という言葉がみんなの中で本当に響いている気がしたのです。特に宗教などの場合は、「われわれはあの神を信じている」と言えば、もうそこにだれも何も入れない気がします。でも、今、自分のことを考えてみると、特に信じている宗教はないし、特にだれかと一緒に結託して何かに反対するということもないし、自分の中の信じるものというのがだんだん判らなくなりました。冷戦も終わりましたし、学生デモもなくなってしまいました。その中で信じられるものがだんだん自分だけになってきて、なおさら「われわれ」なんて言えなくなってきたんですね。
 それで、先生方や会場にいる皆さんで、胸を張って「われわれは」と言える瞬間、例えば、「これからみんなで映画に行くんだよ」というときは「われわれは」と簡単に言えますけれども、特に「われわれはどうしようと思う」とか、意思を表明するときに、「われわれ」と胸を張って言えるという方がいれば、それはどうしてはっきり「われわれ」と言えるのかというところを聞いてみたいと思うのです。どうでしょうか。

司会 特にだれに聞きたいという希望はありますか。

高橋 どなたでも。

中村 体験談的な話からいこうかと思います。まず一つ「わたし」と「わたしたち」というものが非常にやっかいな問題だと思うのは、さっきも少し述べたのですが、例えば異文化の場合、「わたしたち」という言葉によって他者にこの日本なら日本というところを伝える場合に、「われわれ」というところには非常に異質な要素があるわけです。例えばもしかすると巡礼を一緒にした仲間、インド人の仲間かもしれない。やはり一緒に歩いているときの仲間は、それは例えば「われわれのグループは」のような形で、一種の非常に強固な力で結ばれている。それから、もしかするとインドで住んでいる近所の人たちの場合もあるかもしれない。これは同じような行動を同じようにするという仲間ではないわけですけれども、同じところに住んでいる、いわゆる地縁というようなつながりですね。
 一方では、先ほどからリケット先生の話で出てきていますけれども、鏡の問題があるのではないだろうか。「われわれ」と言って全部ひっくるめてしまうことによって出てくるものは、そういった個々の集団とか、特定の人というものの集合ではなくて、例えば何らかの文化的な表象、例えばタミル社会ならタミル社会に対する表象といったものを全部ひっくるめて語ってしまう。 一種、代表してしまうのではないか。はたしてそういう権利はあるのだろうか。こういうことを、例えば物を書くときに非常に考えてしまうわけですね。僕みたいな粗雑な人間でも考えるわけですから、恐らく澁谷先生やリケット先生はかなり深刻にとらえていらっしゃるだろうと思います。
 ただ、 一つだけ言いたいのは、先ほども言いましたけれども、「わたし」というものがはたして単数なのかどうかということは、考えてみなければいけないということです。先ほどナショナリティーズという、複数形でナショナリティというものが存在するかもしれないというお話がありましたが、それと同じように、「わたし」と言ったのは、「わたし」自身が知っている者は全部「わたし」なのかもしれない。それは非常に謎ですね。例えば先ほどの話で、アブセントリックな方向性という話が出てきていますけれども、そういう点から考えると、なぜ精神分析がヨーロッパで生まれたかというのもいくらかわかるような気がしないでもない。なぜならば、意識といっても、自分の中の自分ではないものが出てくることがあるのですね。そこを軸にして恐らくそういつた精神分析が生まれてくる背景にもあるのではなかろうか、何となくそう思っているのです。

リケット 先の高橋さんの発言には、非常にうまい言い方があったと思うんですが、僕には答えがないんです。いつ自分が「われわれ」という意識にとらわれるのかというと、ほとんどないと思いたくても、知らないうちに、あっという間にそうなってしまうのかもしれないんですね。それがこわいですね。無意識というか、そういう部分は。
 しかし、先ほど鈴木先生に言われたように、「われわれ」という連帯感は必ずしもこまったことではないと思います。ずっと差別されてきた民族の場合、「われわれ」というのは肯定的な意味があると思うのです。そこは複雑なので、一言で答え切れないのです。ただ、あまりものごとを二分化して考えたくないんですが、多数派の無意識的な「われわれ」と、それによって少数派の意識させられる「われわれ」とは、密接な関係を持ちながらも、別の次元のものだと思います。そして、後者の「われわれ」から生まれてくる連帯感は簡単につぶれるものではありません。

澁谷 「われわれ」という言葉の使い方というか、使うときの気持ちということですが、私はそのことについてあまり丁寧に考えたことはないのです。自分自身に即して言いますと、日本語でしやべったり書いたりしているときは、あまり厳密に使っていないような気がします。特にしゃべるときにはほとんど省略してしまうこともあります。
 それから、話題にする事柄によっても、気楽に使ったり、「われわれ」という言葉を使うことに躊躇したりすることもあると思います。日本語で「これから飲みに行こう」なんて言うときは、「わたしたちはこれから飲みに行こう」なんて言わないですね。「飲みに行こうか」というように言うと思います。シンハラ語だと、そういうときは「わたしたちは」と言うんですよ。省略しないんです。だから日本語と比べると省略しない度合いが高いのです。私はスリランカの人とシンハラ語でしゃべるときは、「わたしたち」というのは「アピ」と言うんですけれども、ちゃんとそれをつけて言うんです。"api yamu da?"と気楽に言えるんですね。しかし民族問題について「わたしたちはどういうように考えて、どういうふうに行動しているのか」というようなときは、そういうときの「わたしたち」というのはかなり重くて、あまり安易に使えないと思いますけれども、そんなことを今ちょっと連想しました。

山田 この「われわれ」というのは、日本語の特徴だと思うんですね。あなたは今、質問として話していて、胸を張って言えないと言ったけれども、そうではなくて、「われわれ」というのを毎回みんな定義しているわけですよ。「われわれ」と言った場合に、必ずその場の雰囲気の中でちゃんとした定義があるはずなんですね。だから常に胸を張って「われわれ」と言っているわけではなくて、「われわれ」と言ったときに、必ずその場の中での一緒の定義が出てきているはずだと思うのです。だから別に全然問題はないと思うんですね。特に日本語は非常にあやふやな、どう聞いてもうまく受け取られるという特徴があるので、僕はこれはいい特徴の一つだと思うのです。
 これは後でリケット先生に聞いてもらえばもっとはっきりするでしょうけれども、英語の場合に「われわれ」という言い方は絶対ないですね。つまり「われわれ」と言ったときにはカンマで必ず定義をするわけです。日本語の場合にはそれをカンマをつけて定義しないで、その場の雰囲気の中でお互いに共通の定義ができ上がっているというように僕は認識しています。だから「われわれは」と言ったときの受けとめ方も、さまざまな状況においての「われわれ」であって、それは暗黙のうちにお互いの定義をみんなわかっているのだろうと思うのです。
 だから、さっきあなたが例に出した「映画を見に行こう」というのも、映画を見に行く仲間は「われわれ」だし、澁谷先生がおっしゃった、シンハラ語ではちゃんと主語をはっきりさせるというのも、それははっきりさせて定義しただけの話であって、日本語の場合にははっきりさせなくてもお互いの間で共通の定義がすぐにでき上がるというすぐれた特徴があるのだろうというように思います。

鈴木 「われわれ」に関しては、今、主体的に自分がどう言うかという点だけで問題にされていますが、実はそうではなくて、「われわれ」と言われてしまうというか、「われわれ」の範疇に組み込まれてしまう「われわれ」というのがあります。例えばあなたからすると僕は男というように、僕は主体的にはこう行動していると言っても、だけどあなたは男の一員でしょうという、その男という「われわれ」集団といいますか、そういうものの中に組み込まれてしまう「われわれ」、その問題でこれは考えられるだろうと思います。
 要するに個人として主体的に行動するだけではなくて、その行動が集団の中の一員として、個人の意思とかかわりなくそう規定されてしまう、それは例えばリケット先生のおっしゃった話の中にあるように、例えば韓国の人が教師になろうとしても、桜とか富士山に対する感受性が違うというような言い方で、文部省がある個人を規定してしまう。その人は日本で生まれて、本人の意識としては知らなければ日本人であると思っていても、国権権的なレベルであなたは外人であると言われた途端に、もう主体の意思とは別な「われわれ」の中に組み込まれてしまっているわけです。そういう「われわれ」に、実はきょうのテーマの重点を置きたかったと思うのです。またリケット先生の主張もその点にあったのだと思います。

高橋 今、主体的な「われわれ」だけじゃなくて、そうされてしまう「われわれ」というのがあるとおっしゃいましたが、山田先生の話などを伺っていくと、その場の雰囲気に応じて「われわれ」という定義がどんどんできていくから、何も心配しなくてもいいという気も確かにするんです。けれども、そこで「われわれ」と発したときに、そういう定義があればいいなという希望はあるんですよ。あればいいなと思っても、実はそうされちゃったよと思っている人もいるかもしれないし、本当にそうかなと、他人の気持ちまでわからないというところですごく考えてしまうのです。それでも自分で「われわれ」と言って、そうなんだと決めたら、もし上からそう決められちゃったと思った人がいたとしても、それはその場で「われわれ」とはっきり言えるかというと、私はやっぱりはっきり言えないところがあるのです。何か身の上相談みたいですが、そこら辺はどうしたらいいでしょう。

谷口(学生・男子) それは十分悩めばいいんですよ。十分悩んで一皮むければいいでしょう。

高橋 ありがとうございました。

谷口 「われわれ」という言葉は、まとめる論理と排除する論理と同時に持っていると思うんです。だから難しいと思います。

司会 申しわけありませんが、そろそろ締める時間となりました。そこで、題名をつくった一人として注釈をつけたいのですが、「わたし」と「われわれ」というのは遠い概念なんですね。これは単数と複数なのかというと、そういう関係ではなくて、「わたし」と「われわれ」と言っても、「わたし」を複数にすれば「わたしたち」だったり、「わたしども」だったり、「わたしら」だったり、何か違うものかもしれないし、「われわれ」の単数は「われ」かなとか、二人いたら「われわれわれ」だろうとかいうようなことを考えます。これは一と二であって、単数、複数ではないという感じがします。つまり「われわれ」というのはダイアグラムなんですね。そのときに本当によくわかっている「われわれ」だったら、先生の言われたようにすぐに了解できる「われわれ」もあるだろうし、共有できる「われわれ」もあるだろうと考えました。僕もどうも、政治運動でみんなが「われわれは」とか言っていると、その「われわれ」から僕ははずしてくれと必ず言いましたけれども、そういう「われわれ」も当然あるだろうと思っています。
 ですから、「わたし」と「われわれ」というのはなかなか微妙な引っかけをしておりますが、きょうはそれぞれのお立場からいろいろ語っていただいたので、何となくそれはすごく問題なんだと了解しあえたと思います。「わたし」と「わたしたち」ではない、「われ」と「われわれ」ではないのだと、ちょっと引っかけたということに気づいてもらっただけでもとてもよかったのではないかと思っております。
 それで、ちょうど六時となりまして、締めなければなりませんので、 一たん司会をお返しします。

司会・松永巌 きょうは長い時間、また遅くまでかかってしまいましたけれども、最後までいろいろ話を聞き、いろいろ考えていただけたかと思います。どうもありがとうございました。
 また、発表の先生方、長い時間ずっと座りっ放しで、本当にありがとうございました。
 では、これで一九九四年の共同研究機構シンポジウムを終わらせていただきたいと思います。どうもありがとうございました。