ランゲージ・ディフィカルティ

山田久

 経済学科教授

 "世界のなかの「わたし」と「われわれ」"というタイトルのシンポジウムだということで気安く請け負いました。けれども今までのお話を聞いていて、さてこのシンポジウムで何をするのか、何を話すのかということが、だんだんわからなくなりました。先ほどは人類学の話から始まって、経営の話もありましたし、人種差別の話もありましたから、これからどういうシンポジウムになるのか、なかなか興味深いと思っております。私は経済学しか知りませんので、経済学の話を通じて若干お話をしたいと思います。

私は「ランゲージ・ディフィカルティ」というテーマを掲げたのですが、それは私自身の留学経験と、"世界のなかの「わたし」と「われわれ」"ということで考えれば、私には「ランゲージ・ディフィカルティ」しかないと思ったからです。

 私が、ここで言っている「ランゲージ・ディフィカルティ」というのは、本当に英語の中にこういう言葉の使い方があるかどうかあやしいんです。しかし少なくとも私の留学の仲間の間とか経済学を勉強した連中の中で使われていた言葉であります。要するに、英語が難しいとか、英会話が難しいとかいう話ではありません。そうではなくて、留学というのは外国へ行って勉強するわけですから、そこで勉強するときに、はたして語学が障害、障壁になるかどうかというふうな意味だとお考えいただきたいんです。そういう意味でここでは使っています。

 このシンポジウムのはじめに水上先生のおっしゃったことの一つに、パネラーに問題提起をしてほしいということがありました。私の問題提起は非常に簡単です。私は経済学を勉強しているわけですけれども、経済学がはたしてユニバーサルなものであり得るのかどうかということです。つまり世界に一つの「経済学」があって、その経済学のもとですべての経済事象が説明できるのかどうか、ということを考えてみたいのです。それを問題提起にしたいと思います。これはまさに「ランゲージ・ディフィカルティ」と同じなんです。経済学が国境なり、人々の考え方なりを乗り越えられるかどうか、そういう意味です。そういう意味でここにランゲージ・ディフィカルティに関して二百字ぐらい若干書いておきました。[注]

 なぜそんな話になるかということを、簡潔にまとめてみたいと思います。それにはまず私が、どういうふうに経済学を勉強したか、という話をしなければなりません。私は一九七三年、今から二十一年前ですが、アメリカに留学しました。学生諸君は大体そのころ生まれたのかなと思うと、私も随分年を取ったものだなと思ってがっかりしてしまいます。七三年に私は留学してアメリカヘ行ったのですが、それがどのくらい古い話かといいますと、それは学生諸君が生まれた頃の話だということと同時に、アメリカヘ行くのに羽田から出発した時代なんです。羽田から出発して、なおかつ、今はなくなったパンナムに乗って行きました。帰ってきたのが八四年です。僕は途中で一回も日本に帰ってこなかったものですから、八四年に日本に帰ったときには成田におろされてしまいえらいところにおろされたなと思ったものです。

 ただ、僕の先輩たちはもっとすごくて、船で行ったという先輩たちもたくさんいました。私の大学時代の先生は戦後すぐにアメリカヘ行かれているわけですけれども、そのときには、今、横浜の山下公園につないである氷川丸に乗って行ったということです。氷川丸で延々と十何日かけてサンフランシスコヘ行ったという苦労話を聞かされました。

 七三年というのは非常におもしろい時期でした。日本の国際的な地位及び世界的な経済状況が大きく変わる時期だったのです。そういったときにあちらに行けたというのはなかなかおもしろかったわけです。ただ、生活的にはえらい苦労をしました。七三年当時、アメリカはかなりのインフレになってしまい、もらっている奨学金がみるみる目減りしていくという、みじめな状況になりました。けれども、世の中が大きく変わる時期に米国にいられたということは非常におもしろかったと思います。

 さて、ランゲージ・ディフィカルティにかかわる話です。留学となりますと、私の場合はアメリカヘ行きましたから、英語で勉強するわけです。英語自身は別に大した問題ではないんです。というのは、英語がやさしいとか難しいとかいう話ではなくて、経済学を勉強するという立場から見れば、英語というのは要するに道具なんです。道具というと語学の先生に叱られるかもしれませんけれど、要するにただの道具なんです。パソコンの中身を知らなくても、ソフトの中身を知らなくても使えればいいわけです。自動車のメカニズムを知らなくても、運転ができればいいわけです。私には語学というのはそんなものだという気持ちがあります。ですから、語学の先生からは、だから経済の人の英語は優雅でないというように言われるんですが、別に優雅でなくてもいいんです。コミュニケーションができて、そして経済学の勉強ができればいいわけで、何も優雅な英語を勉強するために留学したわけではないのです。ということを常々我々は、語学の上手な人たちに対する、なかばやっかみ半分で言っていました。我々は経済学を勉強するのであって、英語を勉強しに留学したのではないんだと言い張っていたわけです。

 ランゲージ・ディフィカルティに関して一番おもしろかったというか、非常に深刻な問題だと思ったことがあります。大学院ですから人数は少なくて、いつもゼミみたいな形で授業をきっちりやるわけです。授業中、教師が生徒に質問します。大学院の授業は質問で成り立つような授業ですから、沢山の質問をします。そうするとしばしば答えられない状況があるわけです。答えられないときに、アメリカ人の先生で、この学生は外国から来ているから英語に問題があって答えられないんだろう、というように思ってくれる先生もいますが、ランゲージ・デイフイカルティなんかないんだという先生もいます。君がそこに座っていて、私の質問に答えられないのは、英語力の問題ではなくて経済学がわかってないからだ、という言い方をするわけです。つまり語学が壁になっているのではなくて、経済学力のなさが壁になっているんだというわけです。これをやられますともう外国人学生はびびっちやいますね。ある程度は本当に語学の壁というのがあるんです。それがあるのに、そういうふうな形で、何も言えないのはおまえの経済学力がないせいだと言われたら、もうどうしようもなくなるわけです。留学生はそういう冷汗をかきながら勉強しているわけです。

 ところが、そのうちに何となく要領がわかってきて、コミュニケーションできるようになります。それは結局、経済学がだんだんわかってくるからそういうようになるんだろうと思うんです。語学留学生以外の一般の留学生は英語はそんなにうまくないわけです。ところが、だんだんやっているうちに要領がつかめてきて、そしてコミュニケーションできるようになってくる。そうなると英語は壁ではなくなってしまうんです。経済学の大学院の教室の中において交わされる言語というのは、もはや英語ではなく、ほとんど単なる記号にしかすぎないというふうな状況になります。

 それで、冗談めかしてこんな話があるんです。ある大学は留学生が非常に多くて、大学院経済学部の半分以上がアジアからの留学生だったという話があるんです。そういうときどういうふうにして議論が行われているかというと、じつはだれもしゃべらないというわけです。疑問があるとすぐに黒板に走っていって、黒板の前で図を描いたり式を書いたりしてお互いにコミュニケートするということです。そういうクラスを担当した教師は、だんだん自分は英語が下手になっていってしょうがないというふうなことを言っていました。ランゲージ・ディフィカルティというのは、経済学を勉強する限りにおいては存在しないというのが、私自身がずっと感じてきた結論のような気がします。

 そういうふうにして考えていくと、では経済学自体はどうなのかということなります。アメリカで勉強した経済学がはたして本当にユニバーサルな経済学なのかどうかというのが、自分にとっては一番の問題意識であるわけです。八四年に日本に帰ってきたころには、当然アメリカの経済学は絶対にユニバーサルなものだというふうに思っていました。思っていましたけれども、 いざ実際に日本で生活を始めてみて、日本の経済を分析してみて様々な経験を積んでいくと、どうもおかしいぞという気がどうしても出てきます。

 なぜそうなるかということなんですが、そこで「わたし」と「われわれ」というテーマが関係してくるかもしれません。アメリカの経済学の根本がどこから出てきているかといえば、西洋近代文明というか、西洋合理主義というか、そういったところから出てきているわけです。そういったところから出てきて構成されている経済学ですから、西洋文明の影響のもとにある経済を分析するには役に立つわけです。

 私は七三年にシカゴ大学大学院に留学したんですが、シカゴ大学というところは経済学のメッカのようなところです。そんなところへ直接飛び込んだものですからえらい苦労してしまったんです。ノーベル賞経済学者のミルトン・フリードマンとか、ミルトン・フリードマンの弟子のゲーリー・ベッカーとか、その他にも世界的に著名な先生たちがたくさんいるわけです。そういった人たちが経済学をどう考えているかということを一番疑問に思うわけです。ですからいろいろな機会をとらえて、直接に聞くわけです。ゲーリー・べッカーというのは一九九二年度のノーベル経済学賞をもらっている人なんですけれども、彼がこう言うんです。「この」経済学、 つまり自分たちがつくり上げた経済学という言い方をします。(シカゴ大学の教師たちというのは、ミルトン・フリードマンを初め、T・W・シュルツだとか、スティグラー、特に九〇年度からはノ―ベル経済学賞を、ミラー、 コース、ベッカー、去年のボーゲルに至るまで毎年シカゴの教師がとっています。彼らには自負があって、この経済学は自分たちがつくったんだ、自分たちが完成させた経済学だというふうに思っているわけです。)「この」経済学が、欧米の経済分析をするときには非常に役に立つということはわかった。なぜならば自分たちがつくり上げて、自分たちで分析してみて、実にうまく説明がつくんだと言うわけです。

 では、アジア、特に日本に関してはどうかというと、こういう先駆者というか、本物の経済学者たちというのは実に明快な答えをします。「わからない」と言うのです。「この」経済学がアジアの分析、特に日本の経済の分析をする際に有用であるかどうかということは自分にはわからない。なぜならば自分はアジアを知らないからだと、はっきり言うわけです。じやあどうしたらいいんですかと問うと、それは君らの仕事だと。おまえが日本へ帰って、これから「この」経済学を利用して経済分析をやってみて、そしてそれが使えるかどうか試してみろというわけです。そしてそれを楽しみにしているというんです。

 アメリカで経済学を勉強すれば、アメリカの経済学はユニバーサルで、何にでも応用できるんだというふうに思うんです。しかし私がだんだん疑問に思い始めてきたのは、アメリカの経済学というのは合理主義をもとにしてつくられている。この合理主義というのは、いろいろとめんどうくさい解釈があるかもしれませんけれども、簡単に言えば、西洋近代文明というか、西洋近代思想そのものです。その流れの中で重要なものはキリスト教だと思うんです。それで問題なのは、どうもキリスト教を根幹とした合理主義の一つの典型として、自黒をはっきりさせるという点があると思うんです。いいか悪いかをはっきりと区別する、そういう考え方が中心にあるんです。

 ところが、その辺を考えてみると、アジアの、特に儒教圏や仏教圏を考えると、白が常に白であるとは限らないんですね。黒が常に黒であるとも限らないわけです。これは外国人から、特に欧米の人から見ると腹立たしいぐらいに、日本人のイエスは時々はイエスだけれども、時々はノーだということになるわけです。同じことでも、日本人がノーと言ったときは、あるときはノーだし、あるときはイエスだということで、わけがわからないじゃないかと言うわけです。確かにそう考えていくと、仏教の影響を大きく受けた日本の考え方というのは、白黒をはっきり区別できないという点が確かにあるわけです。

 そういうように考えていくと、自黒をはっきり分けるということを大前提としているアメリカの経済学が、白黒をはっきりできないような日本の文明に適用できるかどうかといったら、これはかなり疑問だというふうに思っています。

 経済学の歴史をみると、経済学はやはり大国から出てくるんです。経済学は経済大国から発生します。アダム・スミスの経済学は、当時の経済大国であったスコットランドから出てきています。その次にマーシャルやケインズの経済学は、大英帝国から出ているんです。そして現在のアメリカ経済学というのは、戦後すぐの経済大国、スーパーパワーであったアメリカから誕生しているわけです。そういうふうにして歴史的演繹をしていくと、今の日本が一応経済大国であるとすれば、バブルがはじけて少しポシャっていますけれども、そういった経済大国日本から新しい経済学が出てきてもおかしくないという気持ちがするわけです。

 資料に書いているように、 エコノミックスではなくて、 エコノミックス・ディフィカルティというのはあるのではないか。つまり、さまざまな国をユニバーサルに分析できるような経済学というのは、実は存在しないのではないかという気がするわけです。

 もう一つ、なぜアメリカの経済学がおかしいと思えるかということです。今日の経済を考えていただくと、アメリカの経済ははっきり言ってきりきり舞いしているわけです。しかし経済大国の最たるものであることは確かです。GNPで測ってもGDPで測っても、何で測ってもアメリカが超大国であることは間違いありません。労働生産性の問題でも何で測ってみても、とにかくアメリカの経済が非常にすぐれているということは間違いないわけです。日本がそれに次ぐぐらいの力であるということも間違いないわけです。

 ところが、大きさと効率性に関してはアメリカの経済はいいとしても、伸び率というか、変化率というか、成長率、特に経済成長率の問題を考えてみますと、現在は頭打ちになっているわけです。おまけに、アメリカは現在、財政赤字と貿易赤字という双子の赤字で悩んでいるわけです。そういったこと等を考えると、確かにアメリカの経済は大きくてすぐれてはいるけれども、ある種きりきり舞いをしているというふうに言わざるを得ないわけです。

 では、日本経済はどうか。日本経済は、確かにバブル崩壊の影響を受けて一時的には落ち込んでいますけれども、成長率の問題から考えても、効率性の問題から考えても非常にすぐれたものがあります。特に歴史的に考えれば、まだ日本経済というのは近代化されてたかだか百年ちょっとしかたってないのです。その中でこれだけのパフォーマンスを達成したのは大変なものだということがわかります。

 ところが経済学のステータスから考えてみてどうかというと、日本の経済学というのは、実は全然世界的なレベルにはなっていないわけです。世界的なレベルという言い方はおかしいかもしれませんけれども、例えばノーベル経済学賞の数で考えれば、日本の場合はゼロですから、比較になりません。ですから日本の経済学がユニバーサルになるかどうかということは、もっともっと先の話なんです。私が疑問に思うのは、アメリカにあれだけ優秀な経済学者がたくさんいて、それでどうしてあんなにアメリカ経済はきりきり舞いするんだろうということです。そこが一番おもしろい点ではあるんです。

 体験的に考えてみて、シカゴ大学にしても、他大学にしても、大変すぐれた経済学者がたくさんいる。おまけにそういったすぐれた経済学者が制度的に経済政策の策定に参画できるシステムがある。日本の場合はないんです。日本にはないのですが、アメリカの場合は、大統領経済諮問委員会があって経済学者が経済政策にかかわっています。私はその国の経済パフォーマンスは優秀な経済学者の数に反比例するんじゃないかという、そういう言い方をしてきました。日本は、世界的に活躍しているという意味での、または世界的な賞をもらっているという意味での優秀な経済学者の数は少ない。これは客観的事実ですからそのとおりですが、それにもかかわらず経済はうまくいっている。ところがアメリカはうまくいっていない。

 私がそういった考えを持った理由の一つは、私がシカゴ大学にいたときに、シカゴ大学には南米からの留学生がたくさんいたんです。アメリカの大学というのは世界に対してある種のテリトリーを持っていまして、シカゴ大学は南米がテリトリーで、 ハーバード大学は東南アジアがテリトリーでした。シカゴにはアルゼンチン、ブラジル、チリ、ペルーとか、南米からたくさん留学生が来ていたわけです。彼らは本当に優秀なんです。どういうわけかものすごく優秀で、三、四年ぐらいで経済学のPh.D.を取って帰っていくわけです。帰っていって、チリにしても、アルゼンチンにしても、 一緒に勉強した仲間たちが国に帰るとすぐに中央銀行の幹部になったり、大蔵省や財務省の幹部になって、実際に経済政策を担当するんです。

 それでどうなるかというと、そういった国の経済は大抵だめになるんです。優秀な経済学者がたくさんいる国の経済パフォーマンスはみんな悪くなるんです。一番いい例がチリです。 一九七四年にアジェンデ政権が倒れました。そうすると、その当時シカゴ大学にいたチリの運中が大喜びしたんです。さあ、これぞ自分たちの世界が来ると。今まではアジェンデのために苦しめられていたけれども、今度我々が国へ帰ったら経済政策の実験をやるんだということで、本当に帰っていったわけです。それが一九七五、六年の話なんですが、彼らはシカゴ・ボーイズと言われて世界的に有名になりました。シカゴ大学で勉強した運中が国へ帰って、実際に政府の中枢について経済政策をやったんです。そうしましたら、七〇年代の後半はけっこううまくいったんです。ところが八〇年代になってからおかしくなってしまって、チリの経済はがたがたになって、僕の仮説が当たったような状況になったわけです。

 そのときには、シカゴ学派経済学の失敗というふうに喧伝されまして、シカゴの市場重視学派がだめになったんだというふうな言い方をされました。ところが最近またチリの経済がよくなってきまして、そういった運中がまた復活しているということがあります。

 話をそろそろやめますけれども、要は世界と自分たちとを考えたときに、「世界」というのは非常に難しいというか、理解が難しいと思うんです。特に「国際」という言葉で考えてみるとさらに難しいわけです。自分を世界の中に置いてみてどういうふうに考えればいいかということになると、わけがわからなくなります。例えば私自身としても日本以外のどこを知っているかといえば、アメリカの一部を少し知っているぐらいで、あとヨーロッパにだって一カ月ぐらいしか行ったことがないし、オーストラリアもそんなものだし、アジアには香港しか足を踏み入れたことはありません。ですから世界と自分なんていうことは到底言えないわけです。

 そういうふうに考えていくと、世界とか国際というのをどういうように解釈すればいいかというと、 一ぺん外から日本を見てみるということなんだろうなと思うわけです。外から日本を見てみる、これが世界という意味なのかなと思うわけです。だとすればどこから見てもいいわけですね。日本の外から見ればいいわけでから。そして、私自身が勉強した経済学の観点から考えると、「ランゲージ・ディフィカルティ」という言葉を使いましたけれども、要は、はたして西洋の合理主義をもとにしてできた経済学というのが本当に東洋の経済分析にも役立つのかどうかという、そういう問題もあるんだということを提起したいと思います。



[注] 私は一九七三年に米国へ留学し、経済学部の大学院生・研究者・教員として約11年を過ごしました。その間さまざまな場面でランゲージ・ディフィカルティに遭遇し、その度に「日本文化」の相違点や、思いがけない共通点などに驚かされました。そして私にとってより重要なことは、現代経済学そのものが「欧米文化・哲学」を基盤としていることから、エコノミックス・ディフィカルティの発生もありうることを予感できたことでした。
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