スリランカ高地の農民の世界像

澁谷利雄

◎人間関係学科教授

 人間関係学科の澁谷です。きょうのほかの方々の報告を見ますと、〃世界のなかの「わたし」と「われわれ」〃というテーマの、どちらかというと「わたし」及び「われわれ」のほうに重点を置いた報告が多いかと思いますが、私はどちらかというと重層的な「われわれ」意識を検討しながら、世界像というのは一つではないというか、私たちみんな世界じゆう同じ世界像を持ってその中に生きているように思うけれども、違うぞという、そういうことを話してみたいと思うわけです。

 私はもっぱらスリランカを中心に南アジアでフィールドワークをやってきています。スリランカというのはそんなに広いところではありませんが、その中でも主として山岳地帯、高地の農民の世界像からまず話してみたいと思います。

 私たちが「世界」と言うときに、毎日のようにマスメディアで取り上げているように、ネーション・ステートを単位とした国々の諸関係といいましょうか、そして、世界地図なんていうのは私たちにはなじみがあるわけで、そういったことを何となく前提にして、世界とか世界のさまざまな問題について話題になっているように思います。そうした世界像とスリランカの農民の世界像はだいぶ異なるという例を出したいと思うんです。

 その前に、スリランカのシンハラ人の農民の話なんですが、概略を言いますと、現在、全体の人口は約千七百万でして、北海道ぐらいの広さです。その八0パーセント近くが農村に住んでいます。千七百万のうち七0%余りを占めているのがシンハラ人です。シンハラ人はシンハラ語を話す仏教徒と言うことができます。シンハラ語というのは、言語学的にはインド・ヨーロッパ語の伸間でして、タミル語とはだいぶ違う系統の言葉だと言われていますが、何しろスリランカに暮らしている特に農民の場合は、シンハラ人でもタミル語のできる人は多いわけですから、別に言語学者が言うような距離なんて全く感じているわけではありません。

 マイノリティとしては、北部及び東部に住むタミル人、タミル語を母語にしているヒンドゥー教徒です。ほかには、ムスリム、すなわちイスラーム教徒とか、マレー人がいます。マレー系の人たちというのはイギリスの植民地時代に警官とか兵隊として導入された人たちの子孫です。ほかにはヨーロッパ人との混血の人たちとか、こういった人たちはキリスト教徒です。また、ごく少数ではありますが、ウェッダー人と呼ばれている人たち、このウェッダー人は近年までジャングルで狩猟採集生活を行ってきた人たちで、文字を持たない人たちです。こんな構成になっているわけですが、ここでは人口の七0%余りを占める仏教徒のシンハラ人の社会、その中でも農民の世界像をまずは取り上げます。

 このシンハラ人なんですけれども、シンハラ人のアイデンティティーというのは、農民を中心にして考えてみますと高地と低地に分かれます。低地というのは、マータラという都市が南のほうにありますが、コロンボからマータラに至る西部沿海地域です。海岸地帯ですね。この地域というのは十六世紀以来、ポルトガル、オランダ、そしてイギリスというふうに、その当時の最大の軍事力を持った世界最強の国々によって植民地支配されてきたわけですが、その影響を早くから受けていた地域です。そういう植民地支配を契機にして、高地のシンハラ人と低地のシンハラ人というふうにアイデンティティーが分かれるわけです。

 高地というのは二十世紀の初めぐらいまでは内陸部にキャンディー王国という仏教王国が存続していましたので、その点でも歴史的な経過が異なっているわけです。

 低地の人たちは、当然早くから西欧文化に接していたわけですけれども、十九世紀後半になりますと、イギリス人がコーヒーのプランテーションを大々的に開発していくのにつれて、土着の人々の間でもコーヒーとかココヤシのプランテーションの経営に乗り出す者があらわれます。そういう商業資本家たちがだんだん力を増してきまして、新しいエリート層を形成していくわけです。こういう低地のエリート層、シンハラ人エリートが植民地支配に対する抵抗として仏教復異運動を起こし、それがシンハラ・ナショナリズムの基礎となるわけです。そういうナショナリズムの高まりよって独立が実現し、そして現在に至るわけですが、今日に至るまで政治・経済の主力は低地出身者で占められています。

 一方、高地のほうは、山岳地帯で、ジヤングルに覆われていたということもあって、ヨーロッパ人もなかなか入りにくかった。先ほど言いましたように、一八一五年まで仏教王国が存続していました。その後、イギリスに滅ぼされ、島全体がイギリスの植民地になりますが、その後も一八一七年から一八年にかけて、それから一八四八年にも、イギリス支配に対する大規模な反乱が生じたことがありました。そういうことから、高地の人たちは抵地の人たちに対して、やつらはすぐに征服されてしまったけれども、われわれは戦ったのだという誇りを今でも持っているわけです

 ここでは非エリートといいますか、農民の世界像を問題にするわけですが、日本と違ってエリートと非エリートの差というのがいろんな点でみられます。おいおいそれに触れていきます。まずはエリートですが、商業資本家が出発点であり、シンハラ・ナショナリズムの担い手であったわけですが、英語とシンハラ語のバイリンガルであるということ、英語に関してもかなり流暢に読み・書き・話せるというのがやはりエリートの条件であり、植民地時代にそういった階層が形成され、今日に至るまで続いています。もっとも独立後はエリート以外も高等教育を受ける機会が出てきましたから、大学を出て英語を身につけて成り上がっていく者も若干これに加わっていくという、そういう構図になります。

 スリランカでは無償教育が普及したために、識字率は九0%を超えています。ですからほとんどの人が読み書きできるということが言えますが、とはいいながら、いなかのほうへ行きますと、小学校の中途退学者が非常に多い。三年とか四年ぐらい行ってやめてしまう者が多いわけです。ですから簡単な読み書きは確かにできますけれども、そういった人たちは高等教育を受けた人たちと違って、西欧的な教養はほとんど身につけていないということが言えると思います。それに、年配の人たちの中には今でももちろん読み書きのできない人もおります。

 肝心の「われわれ」意識ということを見ていきますと、農民にとっては、シンハラ社会では核家族単位で家を建て、暮らしているというのが普通のあり方です。もちろん家族というのは経済単位であるわけで、水田の稲作とトウモロコシ、ヒエといった畑作を行っているわけですが、「われわれ」意識というのは核家族単位でまずあります。

 この場合、先ほどタミル語では「われわれ」は二種類に分かれるということで、非常に興味深い話だったんですが、シンハラ社会で言う「われわれ」というのは、私たちが使う「われわれ」とほとんど同じかなと思います。ですから、「われわれ」というのは、我々一般を指すような「われわれ」で、一種類しか言葉としてはありません。

 その次の段階は親族になるわけですけれども、親族というのは双系的な親族関係です。双系的というのは父方とも母方ともつながりを持っているという意味です。いなかに住んでいると農作業を集団でやることもあって、親族のつながりというのは非常に緊密です。

 子どもは父親の姓を継承します。相続については均分が原則です。不動産についても動産についても均等に継承するというのが普通です。末子、つまり末の息子が年老いた両親と暮らし世話をするという形が一般的です。とはいっても、同じ家に住んでいてもかまどは別にしているという格好になっています

 その次の段階としては、インドではジャーティという言葉でよく表現しますけれども、内婚的職能集団といいますか、いわゆるカーストですが、シンハラ語ではクラヤと言っています。タミル語ではクランという言葉も使っていると思います。クラヤが違うとか、クラヤが同じだとか、そういうような感覚になるわけですが、内婚的職能集団と日本語で言った方がいいかなと私は思うんですが、例えば洗濯人であれば洗濯人同士で結婚し、同じ職能を世襲的に親から子へと継いでいくという、単純に言うとそういうことです。

 それぞれの村には、それぞれ一つづつ有カクラヤといいますか、あるいは支配的なクラヤ、中心的なクラヤとでも言いましょうか、それが大体一つあります。しかも七0%とか八0%ぐらいが一つのクラヤで占められていて、ほかはあと二つ、三つ、それよりも低く位置づけられるクラヤから構成されているというのがよくある村の形です。

 村の中の同じクラヤのメンバーというのは、ほとんどの場合、親族関係を持っています。村に住んでいると、役所に登録した名前というのは当然あるんですけれども、お互いに知らない場合が多いです。出生届を出していますから、登録した名前がありますが、そういう名前は使いません。お互いに呼び合うのは親族名称で、実際の親子でなくてもお父さんとか、あるいはおばあさんとか、息子とか、言い合っているわけで、親族名称を使って呼び合っているという、そういう関係であって、村の農民にとっては、村レベルの「われわれ」意識というのが一番強いし、重要なわけです。もっとも、親族関係というのは、結婚などによって、自分の住んでいる村の外まで、近辺の村まで広がっています。クラヤで、高地社会で一番多いのは、農耕民に当たるゴイガマと呼ばれている人たちで、大体人口の五0%を超えるかと思います。このゴイガマが一番最上位に位置づけられている人たちで、それ以外には、ヤシから砂糖をつくるワフンプラと呼ばれている人たちとか、鍛冶屋とか、太鼓たたきとか、呪術の踊り手とか、洗濯人とか、こういった人たちがいるわけです。

 言い忘れましたが、簡単な資料がありまして、半円形でつくった図がありますので、多少参考になるかと思います。村を超えた段階では、山岳地帯にはプランテーションがあります。そのプランテーションは現在ではお茶が中心ですけれども、そこの労働力というのは、南インドのタミルナードから導入されたタミル人で、そういったタミル人が近辺に住んでいるわけです。それからイスラーム教徒のムスリム、さらにはコロンボとかマータラとかいうような低地シンハラ人。低地の人たちは非常に意欲的で、商業活動に早くから乗り出しているので、高地にもやってきて住み着いている。こういった人たちが村の近辺にいるわけですが、この辺までが友人関係を持ったり、あるいは、少ないとはいえ、時々は結婚する関係にある範囲です

 これを超えるともうだいぶ遠い関係になりまして、この図で書きましたように、ロディーとか、アヒクンタカとか、マラヤーリ、中国人とか、ウェッダー、この辺になると「われわれ」という範疇には入らない、だいぶ遠い存在で、しかし若干は出会いがあるという、そういったレベルです

 ロディーとかアヒクンタカとかマラヤーリとか言われている人たちは、ほとんどアウト・カーストといいましょうか、ロディーは、牛の皮からロープをつくったり、物乞いをなりわいとしてきたと言われている人たちですし、アヒクンタカはへビ使いで、占いもやります。マラヤーリと呼ばれているのは、インドからやってきたと言われていて、占いとか呪術をやる人たちです。中国人は、数は少ないんですが、かつて衣類を行商して各地を歩いていた、その人たちが今でも少し町などに住み着いているわけです。ウェッダー人は先ほど言いましたように近年まで狩猟採集生活をしていた人たちです。こういった人たちがいまして、その次に、ヨーロッパ人に支配されたということがありますから、白人もイメージするわけですが、白人はもっと遠い感覚になります。

 よくスリランカのシンハラ語を話す人は、自分たちの国のことを、「ランカー」というふうに呼ぶのが普通なんです。「スリ」というのは「美しい」とか「すばらしい」という意味の形容詞で、なくてもいいんです。この「ランカー」は、国を超えると、せいぜいインドとイギリスぐらいしかイメージできないんです。インドという場合でも、一つの国というよりも、インド世界にさまざまな国があるというような感覚でして、ですからインド諸国とでもいいましょうか、ランカーもそのうちの一つであるという、そういうような感覚になります。

 何しろ私たちになじみがあるような、ネーション・ステート別に線が引いてあって、名前がついているような、そういう世界地図とか地球儀を見なれている人というのはあまりいないわけで、日本などというと、本当にどこにあるかわからない人がけっこういるわけです。

 北部のタミル人が主として集まって住んでいるところをヤーパナヤと言います。タミル語ではヤールパーナム、英語ではちょっとなまってジャフナと言いますけれども、島の一番北のほうです。そこは、ヨーロッパ人がこの島にやってくる以前の過去には、別の小さいタミル王国があったんです。そういったこともあって、シンハラ人の農民にとっては、タミル人の住んでいるヤーパナヤというと、ランカーに入るか入らないか、はっきりしないような、インド諸国のうちの一つかなと、そんな感じのところです。しかし民族紛争が激しくなる以前は、巡礼旅行で、仏教の聖地もヤーパナヤのあたりに一つありまして、そこにバス旅行で行ったりしますから、全く知らない世界ではないんですが、でも国としてはもしかして違うかなというような、そんな感覚もあるようでした。

 こういうふうに見ていくと、日本というのは、村の人たちと話してみると、世界の果てといいましょうか、あるいは想像外の闇の領域とでもいいましょうか、具体的なイメージが持てない領域であるわけです。

 私はいまだに時々思い起こすことがあります。ある村人が、四十代か五十代ぐらいの人だったでしょうか、男性なんですが、私に対して「ヤーパナヤから来たそうですね」と言いました。私が滞在しているということは、外国人だというのですぐ知れ渡りますから、「ヤーパナヤから来たそうですね」と、私に声をかけてきたんですね。ヤーパナヤというのは、島の北の、タミル人の居住区です。それで私は、シンハラ語で日本のことをジャパーナヤと言いますから、「違います。ジャパーナヤから来たんです」と答えたわけです。その人は「ああ、そうですか。ジャパーナヤですか」というふうに納得したような顔をしていたんですが、一週間ぐらいして、また彼と道で出くわしましたら、「あなたはヤーパナヤから来たんですよね」と、また言うんです。シンハラ語ではヤーパナヤとジャパーナヤというのは発音が似ているということもあるし、また、ヤーパナヤもかなり遠い国のような感じもする、日本なんて知らないわけですし、その辺がどうも判然としないというか、混同しているという、そういう経験をしましたけれども、西欧的な教養を身につけていない人たちの世界像がそういったところから類推できるかなと思います。

 ある程度教育を受けた、たぶん高校ぐらいの教育を受けた人でも、地図というのは本当に見なれていない。私は常にスリランカで何か旅行したり調査をしたりするときは、スリランカの地図を持って歩くのですが、たまに出会ってちょっと話していて、どこどこの出身だと聞くと、私がわからない場合は地図をその人の目の前に出して、この地図で教えてくださいと言うんですが、なかなか要領を得ないんです。例えば北海道出身の人が九州から沖繩から全部見るような感覚で、隈なく地図を見てそれで探すわけです。そういう経験もしばしばしました。

 世界像という場合には、以上のような地理的感覚の問題にとどまらず、仏陀や神々、悪霊といった、超自然的な存在もまた深くかかわっています。こういった側面で見ていきますと、この世とあの世というとらえ方があるわけですが、そういうとらえ方からしますと、あの世というのは神々とか菩薩の住む世界であり、死後の世界、天国とほとんど重なります。この世に最も密着しているのは悪霊で、悪魔と言ってもいいし、仏教用語で言うと夜叉ですけれども、悪霊であって、病気とかさまざまな災いを引き起こすわけです。道路がぶつかっているところ三差路というのはまさに悪霊の出入り口なのです。ですから非常に危険で、また不浄な場所です。この世から最も遠いのが、仏陀が到達したという涅槃になるわけです。ほとんどの人たちはそこに行き着こうなどとは思ってもいないわけです。はるかかなたです。

 こういった超自然的存在には序列があるわけで、その序列の中の頂点に仏陀がいて、いわば全体を統括するような超越神とでも言いましょうか、そういう位置づけにありまして、その下に神々がいて、さらに悪霊がいて、死霊がいるというような序列になっています。  さらに、これらの超自然的な存在とは別に、人の人生をつかさどる九人の星神が存在していて、まさに人の運命、業をつかさどっているわけです。今でも人の幸・不幸、運・不運というのは超自然的存在としばしば結びつけて説明され、理解されています。ですから相変わらず各種の呪術が盛んに行われています。

 ここで、エリートと非エリートの農民を対比しながら、「われわれ」意識に基づいた世界像をめぐる問題点を若干整理しておきますと、エリートの場合は、何よりも英語が流暢に読み・書き・話せなければならないということがあります。イギリス支配も何と百五十年間続いたわけですが、今でも英語を流暢に読み・書き・話せる、そういった人たちは人口の一0%ぐらいと言われています。エリートにとっては「われわれ」意識というのは当然、核家族がまずあり、次に親族があり、そしてその次はいきなりシンハラ民族という段階になります。エリートの場合はほとんどが都市及びその近辺に住んでいて、シンハラ・ナショナリズムを率いてきたわけですが、そのイデオロギーの根幹にあるのは、仏法の島、ライオンの島、アーリヤ人、そういうものです。これは神話・歴史書である「マハーワンサ」を新たに解釈し直して、それを用いている概念です。

 仏法の島というのは何かというと、その「マハーワンサ」という書物で、スリランカには仏陀が三回やってきたという話があるので、それを言っているわけです。ですからここは仏教徒に約束された地だというわけです。次に、ライオンの島というのは、シンハラ王国を建設したウィジャヤ王子の祖父がオスのライオンであったという建国神話に基づいています。それを拡大解釈して、シンハラ人というのはみんなライオンの血を引いている、だからこの島はライオンの島だという、そういう意味です。もう一つ、アーリヤ人というのは、マックス・ミューラーを初めとする言語学者がアーリヤ語とドラヴィダ語という、言語の分類であったものを人種理論として誤って使ったわけですが、それをナショナリストが用いたわけです。シンハラ人はアーリア起源だというふうに言うわけです。

 エリートにとっては、現実社会のさまざまな利害関係、特にタミル・エリートとの対抗関係の中では「われわれ」意識はやはり民族レベルで最も重要なわけです。

 シンハラ・ナショナリズムの出発点というのは、十九世紀後半の仏教復興運動であったわけですが、この運動は、植民地支配とキリスト教に対するプロテスト、またプロテスタンティズムの影響を強く受けていたので、ブロテスタント仏教というふうに呼ばれています。簡単に特徴を言いますと、僧侶の社会活動を促し、一般の人々である在家に対して禁欲を説き、アラハンに到達する可能性を主張した。アラハンというのは僧侶ではありませんが聖者のような存在のことです。したがって出家と在家の差は小さく、僧侶と一般の人々との差は小さく、現世的思考が非常に顕著で、現世でも涅槃に近づくべく努力することの価値を主張したわけです。神々や悪霊に対する呪術に対しては否定的であり、超自然的な存在というと、仏陀と自分自身のかかわりというのが一番重要であるというふうに主張してきたわけです。ですからこれは各個々人の努力によっているわけです。

 非エリートの場合、たとえば農民たちの場合は、現実社会における村レベルの「われわれ」意識が最も重要なわけです。それは農作業を共同でやるとか、そういうことがその中に含まれるわけですが、超自然的な存在の中では、仏陀よりももっとずっと神々とか悪霊とか死霊、それから星の神、これが日々の生活に深くかかわっているわけですから非常に重要であり、来世のことよりも現世利益が最大の関心事であるわけです。もろん仏教徒ですから涅槃の価値は認めていますけれども、それに向けて具体的な努力というのはあまり熱心には行わない。それから、超自然的存在との関係で言うならば、「われわれ」意識というのは人間一般まで拡大されるわけです。ですから、悪霊とかあるいは神に対して人間一般という意味で「われわれ」を使う場合もあります。

 こういうふうに対比してみますと、エリートの民族意識というのはナショナリズムと結びついて、宗教的、経済的な排外主義を伴ってきたわけで、近年見るように激しい民族紛争の主因になっているわけですけれども、それに対して非エリートは、仏教徒を自認してはいるけれども、そうした排外主義というのは見られません。民衆レベルで見てみますと、例えばカタラガマとか仏足山という、これはスリランカの古くからの聖地なんですけれども、あらゆる宗教に属する者が現在もそういう聖地に巡礼に出かけていきます

 エリートの「われわれ」意識というのは、ナショナリズムとの関係で、ネーション・ステートの段階でとどまっていると言えます。ネーション・ステートの権力を「われわれ」の手のうちに握ることに執着してきたということが言えると思います。

 エリートと非エリートの世界像はこういうふうにかなり違っているわけですが、両者は全く別々に関係なく存在しているというわけでもなくて、相互に影響し合ったり、依存し合ったりしている、そういう側面もあるわけです。もちろんスリランカでも教育の普及、それからマスメディアの発達というものがありますし、そもそもシンハラ・ナショナリズムのテーゼは、古くから広く知られている「マハーワンサ」という書物によっているのです。これは書物そのものを読んだことのない人、ないしは読めない人でも、内容は多くの人が広く知っているわけです。それをエリートが積極的に用いてきたし、ナショナリズムも大衆化し、都市部に台頭しつつある中産階級やいなかのほうまで普及してきたということも確かです。

 こういう一応民主的な体制、例えば普通選挙制度に関してはアジアでも最も早くスリランカで実施されたし、本国のイギリスよりも早かったわけですが、いわゆる民主的な制度のもとでは、やはりエリートのナショナリストも権力を維持し他民族と対抗していくには大衆を動員していく必要があるわけで、ですから広く知られている「マハーワンサ」という神話・歴史書を用いたということがあります。また、その一方で、そういった神話や伝説、民話が、文学や演劇、映画、大衆音楽の素材にも取り入れられているわけです。

 最後に簡単にまとめますと、世界ということを問題にする場合、私たちは、私たちと世界像を異にする人々の存在をやはり視野に入れていく必要があるだろうと思います。その場合、西欧的な世界像とでもいいましょうか、私たちになじみのある世界像ですが、それとそうではないもの、スリランカ以外にも見ていくとたくさんあるということになりますが、それらはやはり対等・平等な関係ないしは並列的な関係ではないということであって、西欧的な世界像を持っている人たちが国家を代表して国連へ行ったり、あるいは国際会議へ出たり、新聞に書いたりしているわけで、私たちはそういったものだけ見ていると、何となく同じ世界像の中に住んでいるような気がしてしまうわけです。そういった世界像の側が、非エリートの側の農民の世界像を同化し支配しているという状況があると思います。

長くなりましたけれども、一応これで報告を終わらせていただきます。