含まれる「われわれ」と排除する「わたしたち」

中村忠男

◎芸術学科講師

 やはり私も、世界における「わたし」と「われわれ」といった非常に大きなテーマ、ある意味で多層的に取れるテーマを与えられて非常に当惑していると言わざるを得ません。ですから、何を話そうか、いろいろ迷ってしまうのですが、たまたま最近読み直していた本がありまして、その冒頭の言葉が何となくこの主題に合うのではないかと思いますので、そこから話を始めさせていただきます。

 その言葉というのは、「わたくしがこれから語りたいと思うのは、わたしたちというものが行う他者の発見である」というものです。これはフランスの記号論研究者であるツベタン・トドロフという人が、十六世紀におけるアメリカの発見というものについて書いた本で、その翻訳が出ています[注]。先ほどリケット先生が、アメリカにおける民族の問題と日本の問題を比較されていましたけれども、それ以前、要するにWASPなどが登場する以前ですね、スペイン人たちがどのようにしてアメリカという新大陸を発見し、それを征服してきたのか。それを分析した本であります。これについては僕は専門でないので語るわけにはいかないのですが、ただ一つ非常におもしろいなと思ったことがあるんです。

 その本の中に、スペインによる征服は非常に大きな謎であるとして、いろいろな説が出ているのです。征服者であるコルテスがたかだか数百人のスペインの騎兵と歩兵を連れて行って、それによって数十万人の兵隊を擁していた当時のメキシコにある王国、モクテスマという王様がいたのですが、その王国を電撃的に征服して、それを支配してしまった。一体どうしてそういう事態が起きたのだろうか。少なくとも軍事的に考えると数百人対数十万人では勝負にならない。あるいはゲリラ戦を行うにしても、攻め込む側が数百人では常識的に考えて一体どうやって勝利できたのか。これについてはさまざまな説が歴史学のほうでは出ているそうです。

 この中でトドロフが分析しているのは、今までの経済的、社会的な視点とは別に、記号の問題、あるいは情報の問題から見たらどういう解釈ができるだろうかというような新しい視点です。いろんな錯綜した話があるわけですけれども、簡単にまとめてしまうと、当時のスペイン人たちが持っていた、あるいは行っていたコミュニケーションの形態と、その時代のメキシコの人間のコミュニケーションの形態、この二つの形態が全くずれていたということなのです。そこにさまざまな行き違いだとか、対立、衝突というものが生まれるわけですが、スペインは非常に有利にそのずれを使っていったのではないか。つまりコルテスという人が天才的にこの二つのコミュニケーションの形のずれを利用して、一種の情報戦略によって勝利したのではないかという、一つの見方を出しております。

 これがどこまで妥当するのかどうか、私はアメリカ史の専門でないのでわかりませんけれども、一つ、見方としておもしろいなと思ったのは、この二つのコミュニケーションの違いということです。その中で、僕の専門は南インドで、同じインディオでも全く違うインド人ですから、かなり話は違うんですけれども、でもそこになにか共通するものがあるように思います。トドロフは、人間が他者とコミュニケーションをとる場合に三つの異なる形があるだろうということを挙げています。第一は、人間と自然のコミュニケーション、第二は、僕らが自然に行っている、人間と人間のコミュニケーション、そして第三は、人間と、広い意味での世界、あるいは宇宙とのコミュニケーションです。我々にとって、現代の日本人、あるいはその当時のスペイン人、あるいはその当時のメキシコのさまざまな部族の人々、この三者を取り上げても、今の三つの形のコミュニケーションをとっていないということはないわけです。もちろん僕らも何らかの形で宇宙といいますか、世界との交信というか交流を行っているわけですね。ですから、この三つの形が、必ずしもどちらがどちらであると言うのではありません。

 ただし、文化の形によって、その三つあるコミュニケーションのどれが非常に重要視されているか、この点においては大きな差があるのではないかということです。その点で、当時のモクテスマという王様によって支配されていた帝国、アステカではないらしいのですが、こういった社会においてはむしろ人間対人間のコミュニケーションよりも、圧倒的に人間対世界とのコミュニケーションのほうが重視されていた、というのがトドロフの解釈です。それはどういうことかというと、アステカの人々が基本的な物事を解釈したり、あるいは人々が付き合っていく上で非常に重要だったのは、予言とか前兆、そういったものをどう読むかだったのです。少なくともその前兆や予言といったものをなし得る基礎として、周期的に、例えば二十年なら二十年、一世紀よりも短い周期で反復してくる世界、そういった積み重ねの中で、これから起こることが過去によって決定される。従って未来を読むためには過去を探っていかなければいけない。あるいは、現在何らかの事業を行うに当たっては、過去を調べてみなければいけない。そういった形で、すべて過去の世界と現在の世界とのつながりにおいて現在が構成されるというふうなことが言えるらしいんですね。

 そう考えていくと、スペイン人という、今まで見たことのない白い人間が、馬という僕らは馬と知っていますけれどもアメリカでは全く見たことのなかった乗り物、あるいは悪魔と言ってもいいのかもしれないような、名状しがたいものに乗って攻めてくるという新たな事態が生まれたときに、それをどういうふうに解釈すればいいのだろうか。残念なことにそういった事態はそれまでの現地の文化の中には、あるいは歴史の中には起こらなかった。そのときに出てきてしまったのが一つの当惑だというふうに彼は言っています。つまり、現在起きていることを即興的に解釈しながら進んでいく社会ではなく、過去に判例を探していくような社会では、新たな事態に対処できないわけなのです。

 ところが、一方のスペイン人の社会においては、むしろ人間対人間のコミュニケーションのほうが極めて重要な意味を持っている。もちろんこれはヨーロッパでも、十六世紀の初頭、あるいは十五世紀の後半あたりでは、まだまだ中世的な人間対世界、つまりキリスト教中心主義的な世界観というのは非常に大きな意味を持っていたわけですから、必ずしも第二のタイプ、人間対人間のコミュニケーションだけが行われたわけではないのですが、コルテスというのはその辺のところに長けていて、当惑しているメキシコ人たちをうまく情報操作して、数少ない兵隊をあたかも大軍に見せかけた。そういった操作を行っていくことによって、戦いを有利に進めていったんだというふうに解釈しているわけです。

 ヨーロッパというのは、それ以降、むしろ新大陸との出会いにおいて、つまり他者を見つけることによって自己をだんだんと確立していった。逆に言って、そのプロセスの中では人間対人間の闘争的な関係のみが重視され、世界と人間とのかかわりが非常に抑圧され、失われていく傾向にあったんだというふうに彼は書いております。

 実際にそれがどこまで当たっているのかよくわからないんですけれども、ただ、この話を読んでみておもしろいなと思ったのは、フィールドに出ている人類学者一般のメタファーとして考えるとよくわかるような気がするんです。どういうことかというと、私はたまたま専門が南インドですけれども、南インドというのは、僕らの社会あるいは文化とは極めてかけ離れています。あるいは、つながりはあるにしても、我々が忘れているようなはるか過去の世界、あるいは経済的な世界ではつながっていますけれども、日常暮らしている上ではあまり意識しなくてもいい世界です。そういったつながりのない世界に出かけていって、その現地で、現地の文化を考える。とりわけ僕の場合は、今南インドで行われているアイヤッパンという神様の巡礼を研究しているんです。ですから、この場合でいくと、私はそこに参加していて、現地の人々がアイヤッパンという神様とどのように交流しているのか、彼らにおける人間対世界のコミュニケーションのあり方を理解するということになるわけです。もちろん僕の場合はその神様を信仰しているわけではないので、彼らと同じコミュニケーションの形にうまくはまっていくことはできません。むしろ同じ神様を信仰するという行為を共有できない人間と、信仰している人間とのずれの中で、初めて何らかの「わたし」とは違う他者の姿が見えてくるんだろうというふうに考えて調査しているわけです。ですから、巧みにコミュニケーションのずれを利用していく。戦術的に、即興的にそれを利用していくということを行っているわけです。

 ただし、一つだけそこには大きな問題があるだろうと思います。それはコルテスと当時のメキシコ人との関係に少し似ているのかもしれません。一方でコルテスは情報操作を使いながら、その後、ヨーロッパ史の中でもないぐらいの大虐殺を行うんです。我々人類学者は、まさか現地に行って土地の人を殺して帰ってくることはあり得ないわけですから、現代の人類学者は非常にイノセントであると言えるのですが、ただ、比較して考えてみた場合、ある部分では似ているんですね。それは、そこで出会って、お互いずれの中で生きているということです。私と彼らの中で、どちらがそのずれについて語るのかという問題があります。インドの人間と出会って、ずれが生まれてきたときに、そのずれを測定して、つまりどういうずれなのかということを測定し、今まで積み重ねてきた知識に基づいてそのずれを解釈して、それについて語るのは人類学者の側なんですね。現地の人間は逆に言って、日本人の人類学者と出会ったことによって、日本文化について理解し、それについて例えばこういうシンポジウムの場で語るということはない。やはりそこでは情報の流れが一方的なわけです。

 ですから、その点を考えてみると、なぜ十六世紀のスペイン人とメキシコ人との交流がわかるかといえば、その言葉を残しているのはスペイン人なんですね。ですから先ほどのトドロフのような分析が成り立ち得るのは、一方的に語っているスペイン人の言葉、その中において初めて成立するのだと言えるかもしれません。そういう点では、我々もそれほどイノセントな、脳天気な存在ではいられない問題というのがあるのかなというふうに考えています。

 ところでこのことから考えて、もう一つ自由連想をしてみました。現地におけるこういった人類学者の状況というのは、タミル語の言葉でうまくあらわせるかもしれないと思ったわけです。下手な地図を描いてみます。大体ここのところにコロンボがある。僕が調査地として選んだのは南インドの非常に限られた一角で、タミルナードゥ州という州です。ここでしゃべられている言葉というのは、皆さんインドというとヒンドゥー語を思い浮かべると思いますけれども、インドの州の構成は言語によって分けられています。ですから、このタミルナードゥでしゃべられている言葉としてあるのがタミル語という言葉なんです。この言葉はヒンドゥー語と違って、英語やフランス語とつながるいわゆるインド・ヨーロッパ語族という一つの大きな言語のかたまりに属する言葉ではなくて、ドラヴィダ語族という大きな言語のかたまりに属しています。ですからかなり北のほうのインドの諸言語とは、シンタックスの面でも、語彙の面でも違いが見られるわけです。

 話はもとに戻りますけれども、このシンポジウムでは三年前からずっと人称代名詞にこだわってきたということで、ここで僕もタミル語の人称代名詞を少し考えてみました。人称代名詞のレベルで特殊な要素が何かあるだろうかと考えたからです。きょうは鈴木勁介先生がいらっしゃいますから、世界の他の言語とどう違うのか、後で教えていただきたいのですが、僕は現地へ行って最初にタミル語と触れたときに驚いたことがあります。それはきょうのテーマでもある「わたしたち」という言葉が二つあることなんです。

 「ナーンガル」という言葉と、もう一つは「ナーム」という言葉があるのです。この二つの言葉の違いというのは、どちらも一人称複数形の「わたしたち」というものを示すんですけれども、「ナーンガル」という言葉のほうは、しゃべっている「わたし」と、それから、しゃべりかけられている「あなた」がいた場合に、しゃべっている「わたし」と、その「わたし」が帰属している文化や社会の人々、あるいは地域や家族、そういった人々を指す「わたしたち」なのです。したがって、その中には話しかけている相手である「あなた」あるいは対話相手は含まれていません。一方の「ナーム」という言葉のほうは、これは僕らが使っている「わたしたち」に近いのです。しゃべっている人間と話しかけられている皆さんとを含み込んだ「わたしたち」なんです。

 現実問題としてはこの二つの言葉に分けて、「わたしたち」の概念の違いが浮き立つようなコンテキストはありませんでした。この辺については、その意味が明確に異なってコミュニケーションの形がずれてしまう、あるいは理解できなくなってしまうといった事態は残念なことになかったわけです。ただし、最初にこのことに触れたときに非常にびっくりしたわけです。「わたしたち」というのが、しゃべりかけられている人間を含んでいるのか、いないのか。この辺のことは日本語のレベルでは考えたことがなかったわけです。

 では一体どういう場合に、含む「わたしたち」と、対話相手を排除した「わたしたち」の違いが出ているのか。先ほどの人類学者一般のフィールドにおける活動と、帰ってきてからの活動を考えた場合、「われわれ」という言葉で語るとき、どういう意味で「われわれ」という言葉を、例えば私、あるいはほかの発表者の方々が世界というものの中にいて語るのか。その場合、どういう違いがあるのか、よくわからなくなってしまうんです。

 例えば現場において調査をしている場合、一般的に僕らはこうこう、こうですよねと言った場合には、「ナーム」という言葉を使うわけです。ですから、しゃべりかけている相手、対話をしている相手であるタミル人と、そこの中で、少なくとも対話を行うという行為の中で、「わたしたち」が成立している。で、その対話した内容について、タミル人とこういう会話をしたよ、タミル人というのはこういうふうにものを考えているよ、と言ってだれかに語る場合、「でもわれわれはね」と言った場合、例えば「われわれとは違うよね」と言った場合、そこでは当然にタミル人は排除されているわけですね。あくまでもそれは日本人を指した「われわれ」なんです。もちろんこのニつの状況というのは全く違う次元で、時間的にも違う軸で行われているわけですから、この点では別に不可思議でも何でもありません。

 では、それをきっちり人称代名詞の次元で分けて考えてみた場合、どういう世界が見えてくるのだろうか。ちょっとこれを考えると、自分の頭の中がこんがらかってしまうような気がしますね。そういった「わたし」であるとか「わたしたち」といったものが対話の中でのみ構成されている世界ではなく、対話についての対話、そういったものの中でずれが出てきた場合に、「われわれ」という言葉で安易に私以外の者を表象したり、それから代行してしまうことの危険性というのは、恐らくこれはどんな民族問題であろうと、あるいは私たちが日常ほかの人々と対話する場合、非常に重要な問題なのではないか、そういう気がしてしまうわけです。

 とりわけこのことについて、あまり配慮せずに何となく現場にいると、そういった概念のずれによる不意打ち、あるいは仕返しを、喰らうことがよくあるんです。現場では多くの当惑に見舞われて、考え込んでしまう場合があるんです。

 ふりが長くなってしまいましたが、きょうは、その中の一つとして、非常に当惑してしまった経験をお話したいと思います。これについては一応人類学的な解釈もあるんですけれども、でもその解釈を超えてどうにもよく意味がわからない出来事としてあるのです。

 まだ留学したてのころで、現地の言葉もまだそれほどできなくて、ようやく日常会話では不自由しない、本も多少読めるようになった、というある日のことです。大学から買い物に出かけようとしたんですね。大学の広いキャンパスで、人がいないところをずうっと歩いていって、校門のところに大きい通りがあります。そこからバスに乗るべく、一人とぼとぼとお昼ぐらいに歩いていたら、守衛のおじさんがやってきました。守衛のおじさんは顔見知りですから多少は話をしたことがありますが、私はまだタミル語が十全ではありませんから、あまり突っ込んだ会話はできません。ですから「こんにちは」とか「どこから来ました」ということぐらいしかしゃべれなかった。彼は、僕が日本から来たということは前の会話で知っています。その守衛のおじさんが声をかけてきて、「おまえの国はどこだ」というふうに聞いたんです。僕としては前に何度も言っていることですから、何で改めて自分の出身国を聞かれたのかわからなかったんです。

 この辺がやっかいな話なんですが、「君のウールは何かね」というふうに聞いたわけです。「ウール」という言葉は、日常的な会話の中では村とか生まれたところという意味があるんです。ですから、この場合、例えば僕が外国人で、タミル人に、おまえのウールはどこだねと聞かれたら、それは君の生まれた国あるいは国籍は何かと聞かれているわけです。したがって僕としてはジャパンだというふうに答えるわけですね。ところがやっかいなことに、この「ウール」というタミル語は非常に多義的な意味を持っている語彙なんです。しかもその多義性というのが文脈によって常に変わるものであって、かなり文脈依存的な多元決定によって意味がようやく見えてくる言葉なんです。

 どういうことかというと、一つには、生まれた土地だとか、住んでいる村という意味があります。もう一つの意味として、ちょっと面倒くさい言い方をしますけれども、ある特定の時点で、認知の次元で自分を方向づけている領域だという定義があるんです。難しい言い方になりますが、例えば日本人だと、だれか知っている人が歩いていると、「おい、どこへ行くんだ」というふうに聞きますね。英語で言うと「Where are you going?」といつた形になるわけです。これをタミル語で直訳すると「イェンガ ポーリングラー」となります。つまり、「Where are you going?」という言葉は直訳できるわけです。「Where」に当たる、あるいは「どこ」に当たる言葉として、「イェンガ」という言葉があるんです。ところがタミル社会の中では、どうやらこの「イェンガ ポーリングラー」というシンタックスは非常に不吉なものと考えられています。「イェンガ」という、どこかわからないところにあなたが行ってしまうという、その言葉を発することによって不吉なことが相手に起こるかもしれないという考え方があるらしいんです。これは私が現地の人に聞いたわけではなくて、言語学の本を読んで知ったことです。

 ですから、そのかわりに使われる言葉があって、「イェンガ」という言葉を使わなくて「ウール」という言葉を使うんです。「ウール ポーリングラー」というふうに言うわけです。つまり「ウール」に行くのかねと。この場合は生まれた土地あるいは村に行くのかねという意味ではないのです。「ウール」というどこか、話しかけている相手が行く漠然としたどこかについて指している言葉なんです。恐らくこれが成り立つためには、そのどこかということは、聞きかけている人間が知らなければいけません。例えば小さい村で、Aさんという人がいる、Aさんは公務員だから、毎朝八時にお役所に出かける。それを見ていたBさんという人が「ウール ポーリングラー」と聞けば、「どこへ行くんだい」、BさんはAさんを日常知っていますから、お役所へ行くのはわかっているわけです。ですから「ウール ポーリングラー」と言っても、「行くんだね」とか「あそこへ行くのか」といったような意味になります。ですから、「あそこ」とか「あっち」とか、非常に漢然とした場所を指す概念なんです。

 ところが、これがやっかいなことですが、日本語だって「あれ取ってくれ」「これ取ってくれ」「あれがそうして」「ああしてくれ」というふうに言います。これは日本語の特徴だと言われますけれども、どんな言語でも、話す相手と聞く相手の関係がはっきりしないと意味が全くわからない言葉がいっぱいあるわけです。この「ウール」というのは、恐らくタミル語の中でも非常に重要なそういった言葉なんだろうと思います。ですから、「ウール」という言葉の意味がわかるためには、話す人と、それから相手について知らなければいけない。そして、相手と今しゃべっているという状況がわかっていなければいけない。「ウール」の語義はこういった文脈に依存してできてくるわけです。

 さて、話をもとに戻します。おじさんが「君のウールはどこだ」と聞くから、何で日本人だと知っているのに聞くのかなと疑問に思いながら、私は「日本です」と答えます。それから、「ウールポーリングラー」と聞く。今の話は多少知っていたわけで、この場合は、「ウール」と言った場合、これから僕はどこへ行くのかと聞いているんだろうと考えます。それで、これから市場に行きますと答えたんです。これで話は終わりだと私は思って歩きだしたわけです。そうするとおじさんがまた後ろから肩をトントンとたたいて、「おまえのウールはどこにあるんだ」と聞くんです。そうするとどう答えていいかわからない。日本人だということも知っているし、市場に行くということも知っているわけです。ですから、何で改めてどこのウールに行くんだと聞くのか、わからない。

 非常に困惑して、「ソンダ ウールに行くことか」と聞き返します。「ソンダ」というのは自分自身のという意味ですから、生まれ故郷という意味です。だから、「君が聞いているのは僕の生まれ故郷のことか、それとも市場のことか」と聞き返したんです。ところがそうじやないと。そこにほら、道があるだろうと言うんです。その道のどちらの方向に君のウールはあるのかと聞かれたわけです。これは非常に困ったことで、私たちは日本に住んでいても、例えば今しやべっている土地からどちらの方向に新宿があるのかよくわかりませんね。それが一本の道のどっちに日本があるのかと言われても、答えに困るわけです。市場に行くんだったら、もちろん方向はわかっているわけですが、おじさんは当然そんなことはわかっている。そうするとその質問の意味もわからないし、彼が何を考えているのかもわからない。

 そうすると僕としては、人間対人間のコミュニケーションの次元で、非常に大きなずれの中にはまり込んで答えに窮してしまうわけです。そのときに考えればよかったのは、人間対世界とのコミュニケーションにおいてはどうなのか、ということだったのでしょう。つまりタミル人にとって、ある人間と、その人間とつながりのある土地、そういったものとの関係について知っていた場合、どういうことが言えたのかと、事後的に考えてみたんですね。先ほども言ったように、「ソンダ ウール」、つまり自分自身のウールと言った場合は出生地を意味するわけです。これは日本人の場合よりも非常に大きな意味があって、人間の体だとか、そういった物質、集団、植物、そういったものの共通の実体というか、サブスタンスを構成しているものなのです。日本人で言うと原子や分子がすぐ頭に浮かぶわけですが、タミル人の場合は「ブナム」というもの、サンスクリット語から来ている言葉ですけれども、三つの要素に分かれて、それの配列とか分配様式によってさまざまな人間や事物があるわけです。

 類似のことを表す「ジャーティ」という言棄もあります。「ジャーティ」は一般にカーストという言葉と誤解されているんですが、僕らが言うところのカーストというのは、いわゆる職業集団、生まれだときから課せられている職業集団というふうに一般的には考えられています。ところが「ジャーティ」という言葉は、人間の集団だけではなくて、土地であるとか、動植物、それから普通の無生物の事物、それから人間、それから人間集団、これに全部かかわるのです。「ジャーティ」という言葉は、分別、あるいは分類といった言葉と同義なのです。

 ですから、その中では、人間と土地や動物や事物が全部つながって一つのジャーティをつくっているというふうに考えることができます。どういうことかというと、ある土地のある物質の構成のバランスがあるとします。その土地で育ったヤギとか牛、それから、そこから生えた米であるとか麦といったものは同じ体でできている。そこから生まれて、その動物を食べたり、植物を食べたりする人間もやはり同じバランスでできているというんですね。ですから、その場合、ウールといったものは、単に同じ場所に住んでいる、あるいは生まれた場所ということではなくて、その土地と同じ体の構成をしているわけです。ですから、その場合はタミル人のある意味でのパーソンというのは、いわゆる自己中心的なエゴというものとはかなり違って、もう少し広い意味、つまり土地や自然も含めた意味での統一体、それがジャーティだというふうに考えられるのだと思います。

 だとすると、ある道があって、その一本の道に私が属する土地がつながっていると考えてもおかしくないわけですね。つまりインドと日本は海で離れていますけれども、同じ地球上にある点ではつながっているわけです。ですから相対的に見ると道のどっちかにあるのだと、言えなくもないわけです。ただ、我々の場合は、その一本の道のどちら側にあるのかということよりも、むしろ幾何学的にとらえている部分が大きいんです。実際にはそれがどの方向のどういう角度で、北緯何度に私の生まれた土地があるというのはだれも知らないわけですが、大きな漢然とした意味では、人間と世界とのコミュニケーションといったものが、幾何学や地理といった概念によって構成されている。ですから道のどちらかに自分の家があるというふうに考える人間は日本人の場合はあまりいないということです。

 さて、こういうふうに考えたら、最初の話は理解できるかもしれないと考えたのですが、それでも何かよくわからない部分もあります。話の結論がないのですが、幾つかコミュニケーションのずれはありながら、そのずれ自体を理解できない自分といったものがあるわけです。そのずれを一体どういうふうに考えていったらいいのか。しかもそれを「わたし」の問題としてではなくて、話しながら、さまざまな次元で違う種類の人間と行う対話の中で考えたんです。このことは非常に重要なのではないだろうか。ですから、ここではあえて、先ほどの話が今の解釈で事足りたということではなくて、皆さんといっしょに変な話という困惑をともに経験していただければ、と思います。こういった困惑の話は後からもっといっぱい出てくると思いますので、きょうはここでとどめておきたいと思います。ですから、結論はありません。



 ツヴェタン・トドロフ著『他者の記号学−アメリカ大陸の征服』法政大学出版局、1986年。
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