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女の言葉/男の言葉 言語行動の女性学

井上輝子◎人間関係学科教授

 「女の言葉/男の言葉―言語行動の女性学」というテーマでお話をする前提として、まず言葉と女性学との関係についてお話したいと思います。

 女性学というのは、 1960年代末から70年代初頭にかけて、アメリカ、日本、ヨーロッパという、いわゆる先進資本主義諸国で始まった、第二波フェミニズム運動の中から誕生した学問です。20世紀初頭の第一波フェミニズム運動は、主として婦人参政権獲得運動に焦点化されたように、近代市民社会における市民の地位を女性にも与えよという運動でした。そういうかつての運動と区別する意味で、60年代末から始まった運動は、「フェミニズムの第二の波」と言われます。ここでは、単に女性が近代社会の一員として参入するということにとどまらず、男性中心的な現代社会、及びそれ以前から続いている男性中心的な文化の見直しということが、主たる関心になったわけです。

 第二波フェミニズム運動は、 コンシャスネス・レイジング(意識高揚)から始まりました。すなわち現代社会のなかで女性がいかに差別されているか、抑圧されているかということをそれぞれが語り合うなかで、自分たち自身がもっているステレオタイプ的な"女らしさ"とか"女意識"を変えていく、というところから始まったのですが、それがやがて、そういう意識をつくり出している文化そのものに対する批判へと進んでいったわけです。そういう意識をつくり出している文化、あるいはその意識を含めた文化をつくり出しているもの自体を見直していくことになったわけです。

 男性中心的な文化にはさまざまなものがあります。メディアもそうですし、学問も男性中心的につくられてきました。男性中心的な学問の見直しということで女性学が始まり、芸術の分野でも、男性の観点からのみ芸術が評価されてきたことに対してフェミニスト・アートという領域が出てきます。文芸批評の領域でも、女性の視点から文学を見直すという、フェミニスト・クリティーク(フェミニズム批評)と言われる領域がうまれてきます。さらに女性の観点から映画をつくるということで、フェミニスト映画監督も出てくるというふうに、男性中心の文化を批判するところから始まった運動が、やがて女性自身の文化をつくり出すというところにまで進んできました。これが第二波フェミニズムでして、現在はその延長上にあるといえます。

 男性中心的な文化ということを考えると当然、文化を伝達するものでもあり文化そのものでもある、言葉とかコミュニケーションヘの関心が起きてきます。メディアが性差別的であったり、ステレオタイプ的な女性像を増幅しているという理由で、女性雑誌社に抗議デモをする運動が一方であり、同時に内容を批判的に分析する、マスコミの女性学的研究も始まります。私などはこの分野で仕事をしているわけですが、それ以外にも、教育の領域におけるメディア批判として、教科書批判など起こってきます。

 当然、そのかなめになる言葉そのものについても見直しが始まります。たとえば「Ms.」という呼称。英語では、女性に対する敬称としては「Miss」と「Mrs.」という二つの言葉がありました。これは、女性を結婚しているか・していないかで分類しているわけで、"女性は結婚するはずの存在だ"という固定的な観念のなかでつくられた呼称ですね。男性のほうは結婚していようがいまいが「Mr.」で済むわけですから、それに対応する形で結婚していようがいまいが女性を「Ms.」という呼称で呼ぼう、という提案が出てきたわけです。これは雑誌の名前にも採用されて、『Ms.』という雑誌も創刊され、一時は50万部も発売されましたし、「Ms.」という呼称自体、今では一般的に使われるようになっています。

 葉に対する批判はさまざまな形で進んできて、言葉の見直しが始まるわけです。たとえばNOW(全米女性機構)が出した言葉の言い換え例[注1]を、 レジュメに出しておきました。英語の場合、「man」という言葉を「人」という意味で使うと、女性はそのなかに含まれているのか含まれていないのかわからない、女性は陰の存在になってしまうというので、「man」という言葉はなるべくやめて、男女両方を表すときには、たとえば「man's achievement」だったら「human achievement」というふうに言い換えるとか、「mankind」(人類は)は「human kind」とか「humanity」というふうに、言葉を変えていくことが提案されてきたわけです。

 人びとは言葉を無意識のうちに使っていますが、その無意識のうちにさまざまな観念が生まれてくるわけですから、それを変えていくということは非常に大きな意識の変革になるわけですね。

 職業の呼び方についても、たとえば「air-line steward」と「air-line stewardess」と性別で分けて言うのではなくて「flight attendant」と呼ぶとか、 「anchor man」は「news anchor」とか「anchor」、「business man」は「business person」、「chairman」(司会者、議長)は「chair」とか「chair person」、「newsboy」は「newspaper carrier」、「workmen」は「workers」というふうに言い変えよう、ということですね。

 あるいはまた、「lady doctor」―日本で言えば「女医さん」ですね―という言い方がありますが、これはやめて全部「doctor」でいいんじゃないか、「woman lawyer]じゃなくて「lawyer」でいい。男性の弁護士には「男性弁護士」という言い方はないわけですから、「女性」というように特定することはない。というような形で言葉自体を言い変えていくということが提案されました。

 1974年ごろ、 マグローヒル社の「出版物における男女平等取扱いのためのガイドライン」が出されます。これがモデルになって多くの出版社が、自社で出版する本や雑誌での言葉の使い方について見直しをするためのガイドラインを出しています。アメリカだけではなくて、 ヨーロッパの各国でもこういうことが始まっていきます。

 70年代の末から80年代になると、多くの自治体が男女平等取扱いのための言語のガイドラインを出します。オーストラリア、 ニュージーランド、スウェーデン、カナダなどですが、このうち、国家がやっているところもありますが、多くは自治体のレヴェルです。たとえば自治体が公的な手紙を市民に出すときに、英語で言えば「Mr. & Mrs.○○」(○○夫妻様)というふうな書き方はやめて、各自の名前を書く、というふうなことです。

 ドイツ語にしても英語にしても、言葉自体が性別を明示したり、あるは男性に偏った用語法があるわけですが、それを変えていくことが政府のガイドラインで出されたり、出版社やテレビ局がそれをつくったり、広告代理店が広告で使う言語のガイドラインをつくったりしています。そういう形で、運動のなかで言語の見直しが始まるわけです。

 れは当然、研究にもはね返ってきて、女性学研究のなかで言語についての研究が同時に始まります。これについての主要参考文献[注2]を、日本語で手に入るものだけを挙げておきました。

 一番上にあるロビン・レイコフの『言語と性』、これは言語を女性学的な観点からとらえた、最初の本といってもよいと思います。英語は日本語に比べれば男女差が少ない言語だと言われていますが、そのなかでも女性には使えない表現とか、女性にのみ期待される表現とか、先ほど挙げた「man」のように言葉自体が性差別的な表現になっているものもあるわけで、そういうことを明らかにした最初の本です。翻訳は、かつえ・あきば・れいのるずさんが八五年に出していますが、もとの本は七五年に出ています。

 次の『ことばは男が支配する』は、80年代の初めにD・スペダーというイギリス人が同じような分析をした本です。これもあきばさんが訳していますが、そこらへんから言語についての女性学研究もかなり始まってきて、いまでは非常に大きな領域になっています。

 日本でも、だいたい70年代後半から言語についての女性学研究が始まります。ここに挙げたのは寿岳章子さんの『日本語と女』(岩波新書)と、日本女子大の井出祥子さんの『女のことば 男のことば』、それから遠藤織枝さんたち「ことばと女を考える会」の『国語辞書にみる女性差別』という、国語辞典自体が非常に性差別的な構成になっていることを批判した研究などです。

 国語辞典がそういう構成になっているというのは、言語習慣自体が性差別的だということの反映でもあるわけですが、辞典というのは現状を反映すると同時に、人びとの言語使用がそれに影響されるという意味で重要です。たとえば妻については「悪妻」とか「良妻」という言い方があって、妻は評価の対象になるけれども、「悪夫」という言葉はありません。それから「女々しい」というのは悪い、「雄々しい」というのはよい、というようにそれぞれに価値化されている。そういうふうに言葉自体が非常に差別的になっています。

 英語でいうと、これはたまたま私がいま翻訳している本に指摘されていることですが、beatという、「打つ」とか「鞭打つ」とかいう言葉があるでしょう。オクスフォードの普及版の、ポケット辞典というんでしょうか、PODのほうでは、この言葉の例文の最初の方にbeat his wifeというのが出てくるんです。英語の先生の御協力も得て大辞典のほうもいろいろ調べたんですが、大辞典にはさすがにそういう例文はありませんで、「家畜を殴るこというふうな例文がずっと挙げてありました。たぶん大辞典も、古い時代を調べればそういうのが例文に挙がっていたのだろうと思いますが…。辞典の例文自体が性差別を前提にしたようなつくり方になっているわけです。

 それから、『日本語学』という雑誌が昨年「世界の女性語/日本の女性語」という特集をしておりまして、ここに、言語についての女性学的な研究がだいたい集大成されていると思いますので、内容を細かく紹介しておきました。これはどちらかというと言語学者が書いたものを集めたものです。

 もう一つ、やはり昨年の夏に有信堂から出された、あきばさんの編集による『おんなと日本語』という本、これも非常にいい本です。あきばさんはハワイ大学で言語学を教えている日本人で、アメリカ人と結婚してレイノルズという名前になっています。数年前にたまたま日本に来たときに、女性学の授業にゲストで来てくださったこともある人です。彼女は女性学的な研究の主要文献をいろいろ翻訳していて、この有信堂の本には、言語学者以外の主要な研究がかなり集まっているんです。たとえば田中和子さんの「新聞にみる構造化された性差別表現」とか、遠藤織枝さんの「日本語研究」とか、江原由美子さんたちの「性差別のエスノメソドロジー」という会話分析とか、かなり多様な角度からの分析をまとめています。こんな本も出てきて、言語についての女性学研究はかなり蓄積ができてきています。

 私自身は言語学者でもなんでもないんですが、言語についての女性学研究がやってきたことの蓄積を少し勉強しましたので、今日はそれをかいつまんでお話したいと思います。

 実は、言語についての女性学研究は言語行動に届まりません。言葉自体が差別的かどうかとか、国語辞典がどういう構成になっているかとか、この言葉はどういう意味をもっているかという問題とか、かなり拡がりがある領域なんです。例えば「主人」という言葉も、遠藤さんたちの研究によれば、それが夫を現わす意味で一般に使われるようになったのはむしろ戦後のことであって、大正時代は「主人」という言葉はほとんど使われていなかったということですが、夫をなんと呼ぶかという問題も、言語の女性学研究のなかでかなり重要なテーマです。

 きょうは時間の関係もありますから、とりあえず、女性の言語行動が男性とどう違い、どういうことが女性に期待されているのかといった、言語を通じて女性の社会的な地位を考えるということと、もう一つは女性同士、男性同士、あるいは男女で会話をするときに、女性はどういう役割を担っているのか、という二つの問題に焦点を当ててお話したいと思います。

 まず、女性の使う言葉には大きく言うと二つの特徴があるということが、 いままでの女性学研究のなかで指摘されてきています。一つは、「自己主張和らげの原則」があるということです。言語というのは、ある程度自分の意思とか感情とかを主張しなくては意味がないわけですが、しかしあまりあらわに主張すると女らしくないと思われるので、「〇〇だわ」と語尾を上げて言う終助詞の使い方がある、それは断定しないで相手に同意を求めるような効果をもつ表現としてある、というわけです。それが自己主張和らげの原則。

 それから、疑問文とか命令文とか、男性には使えるけれども女性には使えない文体がある、ということ、疑問文について言えば、「おまえ、行くか?」とか「○○をやったか?」というような普通の疑問文が、男は使えるけれども女は使えない。女性は「…かしら」というような婉曲な言い方を使ったりしますね。

 命令文になるとなおそうです。「早く来い」とか「黙れ」とか「静かにしろ」というような文法的に言えば正しい命令文が、女はほとんど使えないものですから、「行きましょう」「行ってください」とか、「静かにしてください」「聞いてください」とか「聞いてね」とか、依頼形の言い方をするわけです。

 一般的に女性は自己主張をしすぎるのはよくないという規範があるため、自己主張を和げて相手の抵抗を少なくするような機能をもつ表現をするように仕向けられている、女性規範の言語的な表現と見ていいんじゃないかと思います。

 次に、丁寧な言葉は男女共に使いますが、男性の場合は必ずしも使わなくてもいい、というちがいもあります。男性の場合は、相手との関係で、その場その場によって使い分けることができます。「行け」と言ってもいいし、「行ってください」と言ってもいいし、「行きなさい」と言ってもいい。男性が丁寧語を使うように義務づけられているのは、 一般的に言えば社会的な下位者が上位者に向かって言うときですね。子どもが親に話す場合とか、学生が先生に話す場合とか(いまはそういう場合にもあまり丁寧語を使わないようですが)、あるいは会社で部下が上司に話す場合など上位者には丁寧語で話すというのが本来の形ですね。

 男性の場合には社会的下位者に期待されている言語表現が、女性はあらゆる場合に期待されています。場合によって使い分けるとか、そのときの気分で丁寧に言うのではなくて、女性が乱暴な言い方をするのは常によくないとされて、いつでも、どこでも丁寧語が期待されています。これは、男女という関係で言えば、女性が社会的に下位者として位置づけられていることの言語的な表現だと見ていいと思います。

 そういうことが続いた結果、たとえば「ざあます」とか「おトイレ」とか「おリンゴ」というような過剰な丁寧語が出てきます。これはテレビなどでは"PTAに来るお母さんたちが「ざあます」でしゃべっている"というように茶化して使われますけれども、女性が常に丁寧語を期待されていることへの過剰同調でもあり、同時にある種の階層文化の表現にもなっているわけですね。

 男性は使えるけれども女性には使えない表現があるということ、また男性の場合は選択的に使う丁寧表現が女性には常に期待されているということ、これらはいずれも社会における男女の地位が言語に反映しているということであり、また、言語を通じて社会的な地位が再生産されているということでもあるわけです。

 使っている言語に応じて、態度や物腰や発想法に影響が出てくることは、よくあることです。たとえば、いつも命令調で話していると上位者としての自覚が出てくるとか、いつも丁寧語で話していると、他者より一歩下がったところに自分の身をおく発想が身についてしまうとか、言語は人間関係の反映であると同時に、それが社会における人間関係をつくっていくという側面も否定できません。

 さて次に会話行動について、会話というコミュニケーションのなかで男女がどういうふうに位置づいているかということについて、 いくつかの研究をご紹介します。

 これは言語というよりは、エスノメソドロジーという、70年代以降にできた、比較的新しい現象学的社会学の流派の人たちの研究が刺激になって、いま言語研究のなかでも拡がっている研究領域なのですが、語法そのものに男女差別があるだけでなくて、会話行動のなかで男女に違った位置づけがある、という研究です。

 会話という対面的なコミュニケーションには、さまざまなルールがあります。そういうことについて、アメリカではガーフィンケルやサックスなど、エスノメソドロジーの研究者たちがさまざまな研究をしています。たとえば会話における発話、これにも二、三の決まったルールがあるわけです。 一度に二人以上の人がしゃべったら会話にならないから、 一度には一人ずつしゃべる、それから、 一人の人がずっと話していて片方はずっと聞き手というのでは会話が成り立たないので、話し手は交替するというようなことです。

 二人の会話なら、 一般的には、Aさんが話したらBさんが話し、次にAさんが話し、Bさんが話し……という形で会話はつながっていきますが、 いつAさんが話し、どこでBさんが話を始めるかということは、両者の関係のなかで決まっていきます。実はそういう会話のあり方に、日常的な生活における権力関係というか、社会的な支配・服従の関係というか、優位者と劣位者の関係が表われており、それが会話を通じて再生産されているのではないかというのが、 エスノメソドロジーの人たちの主たる関心なのです。たとえば、Aが話し終わらないうちにBが話してしまうとか、Aの文脈とは違う話を突然Bがもち出す―これを「割り込み」というわけですが―という行動をだれがするかとか、社会的な上位者と下位者で会話の順番取りのシステムが違っている、というような細い分析が積み重ねられています。男と女の会話とか、上司と部下との会話とか、先生と学生との会話とか、さまざまな会話からそういう分析をしているわけですね。そのなかで男女がどういうふうに位置づいているかというのが、ジェンダーの観点からの会話分析です。

 まず、会話のなかでの順番取リシステム、特に割り込みとはどういう状態になっているかということについての研究ですが、これは日本では八四年というかなり早い時期に、江原由美子さん―80年代のフェミニズム論の論客の一人ですが―たちの行なった研究があります。

 彼女たちの研究の前提になっているのが、70年代にアメリカで行なわれたいくつかの研究です。70年代にジンマーマンとウェストが、他の人が話しているのを遮って割り込んで話し始める回数を調べたところ、八九%が男性によるものだった、という結果が出ているんですね。この研究の結果ジンマーマンたちは、「男性が割り込みを行なっても秩序からはずれた行為だとみなされない。男性が会話の発言権をコントロールしている」とまとめています。

 このジンマーマンたちの研究以後、さまざまな研究がありまして、そのなかで、社会的な上下関係がある人たちの会話では上位者が割り込む、たとえば医者と患者が同性だったら医者のほうが割り込む率が高い、という結果が出ているのです。それでは、女性が上位者で男性が下位者の場合、たとえば男の患者と女性の医者という関係の会話ではどうかというと、その場合には社会的な上下関係よりは男女というジェンダーのほうがより優位に機能する、という結果が出ています。

 そういういくつかの研究を前提にして江原さんたちが日本で行なった研究は、大学生の男女に自由に会話をしてもらうという実験状況をつくって、その記録を分析したわけです。その結果は、男女両方が入っている会話での割り込みの発生率は、男性のほうがかなり高いという数字になっています。もちろん女性も割り込みを全然しないわけではありません。割り込みの種類にもよるんですが、顕者な割り込みは男性が77回、女性が37回と、男性のほうが多い、そういう有意差があるという結果になっています。

 会話では、相手の話しにあいづちを打つということがありますね。相手の話に同意する行為。これをするのは圧倒的に女性が多いということです。それから、相手の話に対して沈黙するということもありますね。相手に話を続けさせるという意味の沈黙もあれば、相手の話を無視するという沈黙もあります。自分に関係のない話、自分に興味のない話のときに沈黙するのは比較的男性に多く、沈黙の末に割り込んですぐ別の話題に変えるのも、男性の方に多いという調査結果が出ています。

 社会的な地位に違いがある男女の間での会話については日本ではまだあまり研究がないのですが、同年代の仲間の男女の会話を分析すると、男性の方が割り込み率が高い。会話のシステムのなかで男性優位になっている。そして、それが別に不思議に思われていないわけです。

 話題の選択権をどちらがもっているかということについてもいくつかの研究がありまして、発言権とか話題の選択権はしばしば男性にあって、女性は補佐役になっている、という結果がでています。

 『日本語学』に発表されている研究によれば、それまで話されていたトピックの内容がほぼ完結したと判断された場合、相手の話が終わってだれも話し出そうとしない状況が続きそうであると判断された場合に、女性が口火を切ることが多い、ということです。ということは、女性は相手の話が一通り終わるまではじっと聞いている、そして、誰も話さないで沈黙が続くとまずいなと思われるときに発話をする、 つまり、女性は他の人の発言権を奪わないように配慮しているケースが非常に多い、ということです。他の人の言葉を遮って自分の意見を述べたり、あるいはいま話されている話題を急に自分の興味あるものに変更したりしない、ということですね。

 重光由加さんが実施した調査は、家族や友人とのパーティでの会話を録音して調べたものです。それによれば、女性が割り込みを許される状況が二つあって、一つは「お茶をどうぞ」とか「このお菓子、おいしいですよ」ともてなす場合。二つ目は、たとえば、新しい人が来ると「いらっしゃい」と言ったり、あるいは「いただきます」というふうな決まり文句による挨拶を行なう場合には、それまでの会話の進行とまったく関係なく話をするということです。

 一つ目のお茶を勧めたりする場合というのは、女性の性役割に基づいた発言ですね。そういう場合には女性もけっこう割り込みをするし、礼儀の領域については女性も割り込みをしたり、話題の選択権をもっている、ということです。それと話題が切れたときには女性が話題を提供することもあるけれども、いずれにしても発言権や話題の選択権がまったく自由に女性にあるんじゃなくて、主には男性がそれをもっていて、女性は補佐役に回るということなんですね。

 会話に関する三番目の問題として、話題の内容とか会話の傾向にも男女差があるという問題があります。男性の場合は政治の問題から科学の問題、スポーツの問題と、かなり話題が幅広いんですが、女性同士の会話はわりに身辺的な領域にかぎられる、ということがあるようです。

 女性は会話のなかでも他の人に配慮する、うなづいたり、「そうよねえ」というふうに同調してあげて相手の話をもっと進めようとすることが多いこと、それから、会話を社会的規範に反しない範囲にとどめようとする傾向がある、ということです。このように、会話のなかでどういう行動をとるかということ自体に一種の性別役割があって、女性は補佐役という暗黙のルールが会話のなかにも表われているわけです。  以上述べましたような言語とか会話のルールは、全体的に、男性に比べて女性が社会的下位者として位置づけられているということを表わしているわけですが、70年代以後、女性が社会的に進出してくるなかで、女性が社会的上位者になるということも出てきまして、その場合には言語もかなり変化していくと考えられます。上位者に必要な言語法―威厳とかリーダーシップを生む言語法―と、女性に期待される言語法―丁寧であるとか自己主張をしないとか、補佐役とかいう言語法―とは矛盾するわけですね。そのときにどんなことが起きるのかという問題が出てきます。

 すでにだいぶ時間をオーバーしているようですので、その問題は討論の方に回して、最後に今後の方向について少し発言させていただいて終わりにしたいと思います。

 いままでお話ししてきましたように、社会における男女の地位を反映して、言葉自体が、男の言葉・女の言葉、それぞれ違いますし、会話の仕方も違います。今後はこれを男女平等の言語法に変えていく必要があると私は思っているわけです。そのときに、場合によっては女性が男性の言語法に近づいていく必要もあるでしょうが、それだけではなくて、女性の言語法を再評価していくことも必要だろうと思います。たとえば、男性が丁寧表現を大いに使っていくことで男女が同じ表現になっていくということも必要だろうと思います。

 それから、相手の話を終わりまで聞く、割り込みをしない、というような女性の会話法は、ある意味では人間として当然のルールだと思うのですが、男性の場合はそれを破っても大目に見られているわけですが、そこのところを変えていく必要があるんではないかと思います。

 もう一つは言葉そのものの問題です。「男女」とか「夫妻」とか、男性が先で女性が後という言い方が一般化していますけれども、それを「女男」とか「妻夫」と言うと非常に異様な感じがして、それはなかなか使えませんね。だけど、これは遠藤織枝さんなどが提唱していることですが、「女と男」「妻と夫」というように「と」を入れることで普通の言い方になってきます。その他、"男が先で女が後"という今までの使い方を変えていく、さまざまな工夫が必要じゃないかと思うんです。

 すべて逆にすればいいというわけではなくて、「男と女」「夫と妻」という言い方があってもいいけど「女と男」とか「妻と夫」という言い方もあっていいし、「父母」という言い方があってもいいけど「母と父」という言い方があってもいい、というように。古代まで遡ると「はは・ちち」という言い方が結構あったようですが、それ以後はほとんど「父母」という順序でしか話されていないでしょう。日本語以外の他の言語ではそんなに順序は固定していないようです。そういう言い方の工夫で、男女の地位を固定化させないようにする必要があるんじゃないかと思います。



[注1]

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 【言い換え例】
 NOW(全米女性機構) "Practical Guide to Non-Sexist Language"
<実例> examples<言い換え語> alternatives
★人間を代表してmanが使われている言葉
man' achievementhuman achievement
mankindhumankind,humanity
manmademanufactured,artificial
manpowerhuman resources, workforces, staff
man-sizebig, large, enormous
brotherhood of manhuman cmmunity
common manaverage person
goodwill to mangoodwill to people
modern manmodern humanity
craftsmanshipcraftship, artisanship
sportsmanshipsportship
penmanshipscript, handwriting
workmanlikeskillful, well executed
★manを特定する職業
airline steward,-essflight attendant
anchor mannews anchor, anchor
businessmanbusinessperson
chairmanchair, head, chairperson
committeemancommittee member
councilmancouncil member
craftsmancrafter, artisan
draftsmandrafter, designer
fishermanfisher, angler
mailmanmail carrier
maintenance manmaintenance worker
newsboynewspaper carrier, newspaper vendor
newsmannews caster, reporter
policemanpolice officer
salesmansales representative, salesperson
spokesmanspokesperson, speaker
TV cameraman, girlcamera operator
workmenworkers
★女を強調する職業
lady doctordoctor
woman lawyerlawyer
male nursenurse
meter maidmeter attendant
female surgeonsurgeon
housewifehomemaker


[注2]

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