目次へ戻る :

前へ 次へ

鈴木勁介◎人間関係学科教授

 1 はじめに
 本稿は、一九九二年度の和光大学全学シンポジウム「文化としての言葉――あなたと私の世界――」での口頭報告に、部分的な修正と補足を加えたものです。  なお文中のデータは、シンポジウムに合わせて学生を対象に行なったアンケート調査の結果に基づいたものです。
 シンポジウムに当たり、学内構成員に事前に配布したレジュメにば以下のように記述しました。「本年六月に学内で実施されたアンケート調査の結果に基づきながら″あなたと私の世界″という課題を軸にして、人称や呼称の文化的背景や言語構造との関わりについての話題を提供したい。
 他者に対して如何なる呼びかけをするかという問題は、単に″あなたと私″の関係を円滑にする言葉遣いの問題という次元のことではなく、それぞれの社会が持っている関係認識や思考のあり方の言語化されたものと考えることができるであろう。  このことも含めて、何気なく見過ごしがちな問題の背後にあるものについて言及できればと考えている」と。
 以下に、上記の主旨を敷延して述べます。

2 人称詞―非存の構造
 日本語の人称について考える上で、自称にも他称にも使用が可能な「己」「手前」「われ」などの語彙の存在は、注目してかかる必要があるように思います。 これらの語彙は文脈上からの判断でのみ自称か他称かを識別できるのであり、本質的には人称としての位置が定まっていないのです。
 それは金田一春彦氏が「自称代名詞と呼ぼう」と述べている一群の語彙であり、氏は「日本語ではよく、第一人称の代名詞が第二人称の代名詞として使われているなどと言われるが、あれは、第一人称から自称になり、それがさらに第二人称に三転したものだ。″ワレはどこの餓鬼だ″というのは、その例である」と述ベています。(注1)
 特定語彙がどちらの人称にもなり得るということで、再帰代名詞的であり、印欧諸語にみられるような固定化された用法としての、Iとyou の対立のあり方とは本質的に異なるのではないか、という考えを導きだすのです。
 このことは、印欧諸語にみられる主語としての「話手=我」をのみ指示することを目的とした一人称や、「聞き手=汝」を表示することのみに意味がある二人称という、構文構造の中での人称詞の存在のあり方とは、言語の成立ちの上で異質な体系であることを窺わせるものがあります。
 西欧諸言語における人称構造には、主体と客体の明確な区分のみが要求されていて、地位の上下や親疎といった、関係認識の表示という属性はさしあたって含意されてはいないと言えましょう。(注2)
 これらの言語では、更に主語Iには述語は am でなけれぱならず、you には are でなければならないといった人称によって動詞の活用が規定されるという、文法構造の上で主語と述語が相互に拘束し合う関係からも、人称詞の時代的推移における変異の可能性は少なかったのであり、言語史的にみても例外的な英語における thou の衰退などを除けぱ、きわめて安定した形で同一の人称詞が使用され続ける結果となったのです。
 それに対して構造的な拘束力がない日本語の場合は、人称が西欧諸語のように動詞の形態素に指標化されることがないために、自称、他称を問わず際限ないまでに人称表現は時代変化の中で変転し続けてきたのでした。


 日常的な経験に即せば、固有な人称詞が日本語には無いということから、状況に最もふさわしい人称詞の選択を常に追られることになるのであり、人称使用に苦慮する結果となるのです。    では如何なる形で語りかける対象が特定できるのか、という事が次なる課題となりますが、それには日本語の特徴の一つとされる体系化された敬語の存在が意味を持ってくるのです。
 敬語法がないとされる英語などと対比してみれぱ明かですが、日本語の場合は敬語が人称表現の中で大きな役割を果たしてきたのでした。
 言い替えれば、日木語は人称表現に敬語が構造的に組み込まれた文法体系であり、かつ対他関係の関係表示を前提的に含み込んでいる言語なのだということです。
 その他の人称表現としては、後で述べるコソアドと言われる指示詞の転用、ならびに地位名称の使用があり、敬語と併せて三種を考えることができるのです。
 敬語は待遇表現の一形式ですが、これらの語に顕著な特徴として、佐久間鼎氏によって「敬語の水準転移」という形で指摘された、使用頻度の増加や普遍化による価値の下落を生じる性格を有しています。 このことが、際限のない人称詞の変化と表現の多様化を生み出したことは紛れもないのです。
 それはまた、方向指示詞の転用としてあった人称詞としての「こなた」「そなた」「あなた」の使用変化の軌跡にも著しく、少なくとも江戸期においては敬称として用いられていた「こなた」「そなた」は現在では死語化し、「あなた」のみが命脈を保っているのに過ぎないことからも明かです。
 しかし「あなた」自体も、戦後間もない昭和 27年に言葉遣いの指針として出された『これからの敬語』の中で使用が示唆された当時に比べて、現在では価値の下落が著しく、目上への使用がためらわれるというのが一般的理解でありましょう。
 したがって、主観的判断が関与しがちな敬語的人称表現に代わるものとして、社会的地位が上位の相手に対しては、当該地位表示語である、第三の地位名称が多用されることになるのです。
 地位が上位の対象に対してその地位名称を称することは、上位の地位であると認めるが故のことであり、したがって敬意を示す結果となるからです。
 これらの地位表示語が指示する内容は客観的事実であるために、語彙の選択に苦慮しなくても良く、しかも社会的地位が上位にある限りは価値の下落も生じないことから、新規な言い替えを考慮する必要もないのです。
 当然の事ながら、社会的地位名称には職業的なもののみならず、年齢階梯語や親族名称も含まれるのです。
 古来より集団内での地位が確定しており、社会関係が固定的であったのが親族組織です。それ故に、家族や親族内では上位者の全てに地位名称が適用されることとなり、調査結果においても一般的通念とほぼ変わらぬ結果を得たのでありました。    そしてこれは英語などの場合にも同様にあって、親に対しては"Father・Mother"や"Papa・Mama"の日常的使用法としての"Dad・Mom"や"Daddy・Mommy"を用い、年下世代には"first name"を用い得るのであり、鈴木孝夫氏が言うような(注3)日本語に特徴的な現象では必ずしもないことについての記述を、佐久間章氏の論文等に見ることができます。
 同氏によれぱ、英語のみならず印欧諸語におけるtitleとnameの使用は、人称代名詞とは異なって構文的な制約がないためであると言います。(注4)
 構文的制約の有る無しが、人称詞に関する彼我の違いを生みだした一つの要因であることに留意する必要があったのです。
 ついでながら、親族以外の第三者に対して用いられる「おじさん」「おばさん」「にいさん」「ねえさん」の類は、鈴木孝夫氏の言うように「親族用語の虚構的用法」とみるか、渡辺友左氏の言うような年齢階梯語(注5)とみるかは論の分かれるところでありましょう。
 この問題については、別の視点からの検討も必要のように思います。即ち、現在では傍系親族である「伯父・叔父」も非血縁の第三者を表示する「小父」も等しく「オジ」と表記されるのですが、旧かな遣いでは前者ば「ヲヂ」であり、「オヂ」とは区別されていて、発音上の違いがあったという事実に関してです。
 それは両者が全く別語であると認識されていたということであり、「親族語彙の虚構的用法」とは異なる論点が成立つことになるからです。
 いずれにしても日本語の人称体系においては、他者との関係認識の表明が前提として要求されているために、語彙の選定は自称も他称も相互の上下親疎の関係把握の上でなされることになるのです。
 したがって関係把握が困難な未知なる他者との出会いの場面などでは、年齢基準程度しか認知材料が無いため、前記のitem 59の調査結果のように、語彙の選択にしばしぱ困難をきたすことになるのです。

 人称に関する論議の第二の課題としては、英語のように一切の属牲を捨象して主体・客体の認識のみの表示を基本とする言語構造に依拠する世界観と、対他関係における関係認識を含みこんでしか発話が可能とならない言語構造によって立つ世界観という、社会関係・人間関係の認識のあり方や世界観に二種の違いがあることについて考慮する必要がありましょう。
 後者に相当する日本語の場合には、敬語法が体系化されていることから『源氏物語』等にみられるように、誰が誰に語りかけるかを、敬語使用によっていわゆる主語がなくても判別できるのです。
 日本語は、この意味で文法的に主語の存在を文の成立条件としない言語でもあると言ってさしつかえないでしょう。
 このことが、人称をでき得れぱ使用しないで済ませてしまうという、人称のゼロ記号化をも可能としたのでした。
 主語がないということと主体が無いことは別であり、主体の価値づけは敬語の他に「イク・クル」などの移動動詞や「ヤル・クレル・モラウ」などの授受動詞が補完しているのです。しかしこのことは、主体の存在の不明確性を招く結果となったのです。
 その帰結として、日本語においては主語がなくても対話が可能でありますが、主体が無いというわけではないところに、西欧的論理や思考法からすればうさんくささや曖昧さを感じさせる結果となるのでありましょう。
 国際的な社会関係の中で、主体としての個が強く主張されることを是とする社会と、個が集団の中に埋没するように見受けられる社会との違いとして論議の爼上に載ぜられるのは、多くが上に述べたことに起因するように思います。
 巷間で日本人は公衆の前で話ができない等と言われますが、演説というものを社会的に持たなかった歴史的背景とは別に、不特定多数を対象にした的確な人称詞がないという事も一つの原因なのかも知れません。
 言い替えれば人称の問題は、言語学的課題としてではなく、社会的関係認識や国際関係の中での言語的理解の不十分さに由来する誤解や相互不信に至る諸問題へと収斂していくことになるのです。
 「あなたと私の世界」とは、個のレベルに留まらず、国民や国家のレベルの問題でもあり、「文化としての言葉」の問題でもあったのです。

 第三の課題として、日本語の人称使用のあり方は印欧諸語にみられるような主体と客体の明確な対応とは異なり、話す主体の位置づけが聞き手たる客体との間で相互補完的に成り立つということが課題となるように思います。(注6)
 日本語社会における我と汝の関係は、絶対的主体たるIと客体としての you が基本にあるというのではなく、森有正氏の言う「我は汝の汝」に象徴されるような、汝との関係の中で我の位置が確立するという相互補完的関係、あるいは互酬的関係によって成立するのです。
 それに対して印欧諸語における一人称とはまさしく第一人称であるが故に、主体の絶対性を疑うこともなかったのであります。
 デカルトの cogito ergo sum「我思う故に我あり」に象徴されるような、絶対的我を前提とした認識のありようです。
 考えてみれば、デカルト以後の西欧哲学が現在のポストモダンと言われる状況に至るまでの軌跡は、この絶対的我に対する「脱中心化」〈ミシェル・フーコー〉への志向であり、「キアスム」〈メルロ=ポンティ〉や「外部の視座」〈ジャック・デリダ〉という概念を導き出すための運動であったと言えなくはないでありましょう。
 脱構築などというものも、西欧社会が主体を確かなものとみることを自明の前提としてきた、ギリシャ以来の形而上学的思考への、問い直しの作業だったと言えるでしょう。
 このような認識のあり方の違いに、言語構造が如何なる程度関与しているかは今後の課題でありますが、少なくとも西欧の思想が長い苦闘を重ねてきた幾つかの問題が、日本語を含めた多くのアジア・アフリカ諸語の言語的世界の中では自ずからのものとして、疑念なく解決済みということがあってもおかしくはないのです。
 シンポジウムでの提言は、上の三つの課題についてでした。本稿では既述の指示詞に関わって、時間の制約のために触れることができなかった問題で補足すべき事柄を以下に付言しておきます。

3 「そこはどこだ」の世界
 佐久間鼎氏によって「コソアド」と名付けられた指示詞の体系は、西軟文法の引き写しでは説明のつかない日本語の構造の一端を示すものでありました。
 コソアドとは、身近なものや己に属するものは「コレ」「コノ」「ココ」「コチラ」のようにすべて「コ」の体系で指示することが可能であり、汝の側には「ソ」の体系を用い、両者に属さないのは「ア」の体系とな り、そして不定のものは「ド」の体系が用いられますが、それらの頭を並べて命名したのでした。
 コソアドは、印欧系の言語では理解する上で困難とされる文法体系ですが、西欧文法的な意味での人称体系を持たない日本語は、この指示詞を転用することによって人称語の非存を補っているのです。しかしそれは、同時に新たな世界認識を作り出すことでもありました。
 即ち、方向を示す「こなた」「そなた」「あなた」や、「こちら」「そちら」「あちら」ないしは「この(人)」「その(人)」「あの(人)」の人称化がそれです。 今は死語化した「こなた」や「そなた」は、かつては二人称として用いられ、歌舞伎等の古典の世界では今もなお使用されている言葉であります。
 ひるがえって、スペインの社会学者オルテガの著作に心引かれたのは、彼の発想の中に己が共有し得る世界認識をかいまみたからでありましょう。
 それは多分、西欧諸言語の中では珍しく彼の母語であるスペイン語が、指示詞において「ソ」の領域を持つという、日本語に通じ合う構造を有していることと、いくらかは関わりがあるのかも知れません。
 彼は「ここと遠方のあそことのあいだには、一つの中間項――そこ――がある。すなわち私のここにはないが、近くprókximo にはあるものである。とすると、隣人prójimo がいるのはそこということになろうか。場所を示す指示副詞ここは、言語学的に見て人称代名詞から派生したものである」(注7)と述べています。
 指示詞と人称詞の関係については、カッシラーが「ほとんどすべての言語において人称代名詞の表記法の出発点となったのは空間指示詞であった」(注8)と述べていますので、人称詞に指示詞を転用することは普通的だったと一応は言えるでしょう。
 彼は更にフンボルトを引用しつつ、「ここ、そこ、あそこという対立や、我、汝、彼の対立が出てくるのは、同じ一つの、半ぱ身振り的、半ぱ言語的な指し示す行為からであり、同じ「指示」(ディクシス)の基本形式からなのである」(注9)とも述べていますし、インド・ゲルマン諸語の初期について「一人称「我」指示詞[Ich-Deixis]には内容的または言語的に二人称[汝]指示詞[Du-Deixis]が対しており、この後者そのものがさらに三人称[Der-Deixis]の一般的な形へと移行するのである。――中略――こうして、ほかならぬ指示代名詞の形成は、さまざまな言語圏に同じように現れてくる、言語形成の根元にひそむ基本的思想に属するものだということが理解されよう」(注10)とも述べています。
 この限りにおいては近称・中称・遠称を「コ・ソ・ア」で示す日本語的な三元的世界観と印欧諸語の間にさしたる認識の違いがあるようには思えませんが、現実にほ異なっているという事実も、まだ存在しているのです。
 我々は西欧諸言語を考えるとき、英独仏の諸語を念頭にして考えがちですが、これらの言語に共通するのは、場所の指示において「ソ」系と「ア」系の区別が無いという意味で二元的な構造だということです。具体的には英語の場合、here に対しては there しかなく、それを日本語では文脈上の判断から「そこ」と訳したり「あそこ」と訳しているに過ぎません。
 両者の区別が無いということは、「ソ」か「ア」のいずれかが主体の対象になったとき、他は自動的に排除されるということです。我と汝が織りなす日常会話の世界においては、当然の事ながら二人称が用いられることからすれば三人称で指示される彼や彼女の世界は前提的に排除の対象となることになります。
 日本語にも詳しいチェコ生まれの言語学者J.V.ネウストプニー氏は、その著作の中で「she とhe という単語は、案外使いにくい。というのは、英語も含め、ヨーロッパの諸言語で、その場面にいる人については、she とhe という代名詞を使うことはほとんど許されていないからである。特に前者を使い、たとえば側に立っている友人についてshe came yesterday のようなことをいうのは相当に失礼である。この場合は、名前を使ったり(Jane came yesterday)、本人を話相手にしたり(you came yesterday,didn't you?)して、言い方を変える。
 このルールをまだ知らない子供がよくなおされ、mother などと言わせられる。その時英語では“she”is the cat's mother ということわざがある。つまり、she は、猫のお母さんなら使っていいだろうが、自分のお母さんについては使ってはいけないよ、という意味である。
 日本語ではかえって、英仏独口語で自由に使える二人称の代名詞の使用が制限され、三人称の「彼」「彼女」は友だちなどについては使えるし、「この方」のような場合には、目上にも自由に適用できる。ヨーロッパのshe とhe に関する制約は、説明しやすい現象ではない」(注11)と述べています。
 ここにはきわめて重要な示唆を見ることができるのです。即ち三人称は当事者の面前では遣えないという指摘であります。
 言い替えれぱ、場の構成員に対して三人称が遣えないというのは、それが it と同様にモノ化するために人格の剥奪を意味することになるからなのでしょう。
 それに対して、「コソア」体系や授受動詞が三つで一組となっている言語の世界認識においては三人称世界を排除するということではなく、主体としての我と他を区別するに当たり、さしあたっての身近な対象である汝と、相互の背後に存在している彼もしくは彼女との関係を徐外できない、という認識のありようなのです。
 典型的には、係長が都長の言を課長に伝える場合の敬語使用に苦慮するなど、三者関係の把握のあり方の難しさとして、日常的に経験することです。
 それは多分、幼児が意識の覚醒化の当初に感じる認識のありようとは異質なものでありましょう。
 意識化の始まりの頃に感じる他者とは、「ソ」も「ア」もない全てを包括する概念としての「非我」という、我に対峙し立ちはだかると認識されるものと考えられるからです。
 しかし「ソ」と「ア」の区別を認識することが、如何に経験的なものであり困難な作業であるかについては、心理学者による幼児の言語習得の観察記録でも明かです(注12)。言語習得初期の幼児は「コレ」「コッチ」に対しては、まず「アレ」「アッチ」が登場しますが、「ソ」系の登場は一年ほど遅れるし、また遣えるようになってもしばしぱ混乱するといいます。
 幼児はまだ己を相対化できず、我以外は全て非我という認識の世界に生きている自己中心的存在だからでありましょう。
 幼児の場合、観念としての「ソ」を獲得することによって変化するのは、それまでは不動のものとしてあった「コ」即ち「我」が後退して、絶対性を失うということでありましょう。
 幼児の言語習得からの類推で、非我を概括的に指示する「ア」の領域が細分されて「ソ」の領域が成立するためには、場所の指示と同時に人間関係における我・汝・彼という、三者関係への配慮を交錯させた世界認識が必要だったのに相違ない、というのが一つの考え方です。
 我対非我という二元的な二つ一組方式が一義的であるのに対して、三元的な三つ一組方式の世界認識は両義的なのでしょう。この辺りに日本語の人称表現が相互補完的になった理由が伏在しているのではないかとも考えたのです。
 このことに関して、大江三郎氏の「英語が話し手と聞き手を同一伝達行為の当事者として不可分離のものとして捉えるのに日本語が両者を分離して捉えるという事実 ――その結果、方向指示詞が英語二つひと組に対し日本語三つひと組―― と無関係ではないであろう」(注13)、という記述は示唆的であろうと思います。
 同様に、英語では与貰に関してもgive・receiveの二つで一組ですが、日本語の場合は「ヤル」「クレル」「モラウ」の三種があることとも関係しているのでしよう。  日本語の授受動詞に特徴的なのは、授受行為に当たって主観をいずれにおいているかが明確だと大江氏は言うのです。
 さらに人称の場合は、方向指示詞のように「我」の視点が固定化され確定しているのではなく、いずれにも変化し得るのです(注14)
 固定的であった主体・客体という認識のありようが崩れて、相対的な見方へと移行したということです。その意味では「我」は不確かな存在になるのです。
 言い替えれば、方向指示詞の人称詞への転用によって、固定的であった「我」は視点の移行が可能となり、相対化されて「我対、非我」構造ではなくなるというわけです。
 また、方向指示詞の近称・中称・遠称の区別は、人称詞に転用されてからは二重の構造を持つようになるのです。
 一つは「こちら」「そちら」「あちら」が、そのまま我・汝・彼に対応する形ですが、他は同一の対称指示が「こなた」「そなた」を経て「あなた」ヘ移行したように、水準転移によって時代の推移の中で変化したことです。
 「ア」が分化したと措定してみた「ソ」は、「非我」の中で三上章氏が言うところの〈求心的〉な志向が意識されたときに、初めて自覚されるものなのかも知れません。同氏はまた、「ここそこ」「あちこち」「あれやこれや」などは見られても、「ソ」と「ア」の組合せは生じ難いのだとも述べています(注15)
 しかも「ソ」は「方向指示的と非方向指示的の二通りに用いられる」(注16)というように、「コ」や「ア」とは共通しない性格もまた持っているのです。「ソ」には知覚的な空間認識に依拠した現場指示機能と共に、事柄を指す観念的な文脈指示の機能の、この二つがあるということです。
 しかし、カッシラーが「ある意味で絶対的な座標系は、言語にとっては明らかに語り手の場所と語りかけられる人の場所にある。こうして、ある特殊な運動が語る人から語りかけられる人へと向かっているのか、それともその逆なのか、あるいはまた語る人から、語りかけられている人とは違う第三の人または物に向かっているのか、ということがさまざまにきわめて正確かつ鮮明に区別されるのである」(注17)と述べているにも関わらず、印欧諸語の現実の中でソとアの区別が失われていることについては触れられておらず、また印欧世界に共通な「絶対的」な座標系「我」の確認はあっても、「ソ」の存在の有無については詳かとしないのです。
 このことに関しては、佐久間鼎氏がドイツ語について述べている、以下の記述に留意すべきであると思います。
 氏はココ・ソコ・アソコに対応するものが、ラテン語についてはhic・istic・illeという形で存在していたのにも関わらず、ドイツ語にはソ系が存在しないと、次のように問題提起をしているのです。
 すなわち、「"istic"に相当する語詞をドイツ語の中に求めることができないのだ。理論上規準的な事例にあって、この語詞は単に"da"をもって翻訳することができない」(注18)と述ベ、更に「意味を補足または限定して"da bei dir"をもって当てはめなくてはならない」と続けた上で、「日本語のそこも、単に"da"ではなくて、しいてドイツ語で意味をあらわそうとすると、理論上やはり"da bei dir"をもってしなくては、適切に翻訳されたとはいえないものと考えられる。もとより実際上この種の語句をドイツ語の日常会話では使わない。それで、結局、そこに当たる語詞、また一般にソ系に当たる語詞が、ドイツ語に欠けているという事実を承認しなくてはならない」と記述しているのです。
 またこれを、ハイデッガーの次の文章に即してみるならばより明らかになるように思います。
 すなわち「ウィルヘルム・フォン・フムボルトは、〈私〉ということを〈ここ〉という言葉で、〈汝〉ということを〈そこ〉という言葉で、〈彼〉ということを〈あそこ〉という言葉で表現するいくつかの言語、すなわち、―文法学的に表現すれば― 人称代名詞を場所副詞で言い表わすような言語があることを指摘したことがある」(注19)
 "W.v.Humboldt hat auf Sprachen hingewiesen,die das》Ich《durch》hier《, das》Du《durch》da《, das》Er《durch》dort《ausdrucken, die demnach - grammatisch formuliert - die Personalpronomina durch Ortsadverbien wiedergeven."(注20)において、コ・ソ・アを"hier・da・dort"で使い分けていることが判ります。
 佐久間氏の論点に基づけば、"da"は〈汝の側のそこ〉という形でしか用いられない訳です。
 そこでハイデッガーの前記の事例の場合を考えてみますと、氏の文章の中で独立して用いられているように見える"da"も、前提として汝との関係の上でのみ用いられていることが判ります。
 言い替えればそれは、"da bei dir"として記述さるべき"da"であって、これはソ系に該当する"da"が、汝という存在を特記すべきものとして記述する状況を除外しては考えられないことを示唆するものであり、ここに、人称詞と指示詞の関係がほのかに見えてくるように思えるのです。これらの言語で"da"〈ソ〉と"dort"〈ア〉を区別する必要があるのは、我・汝・彼の関係を並列的に措定して論じなければならない、ごく限られた場面でしかないのでしょう。
 それに対して日本語の場合は、コ・ソ・アの関係は言語習得の極めて早い段階で獲得した分類体系だったのです。そしてそれは、幼児の観察記録が一つの示唆を与えてくれるものだったのです。
 幼児の観察からの発想として「ア」から「ソ」が分離したという考え方は、一見すれば妥当のようにも見えますが、論理矛盾があることにも気づかされます。
 人間関係に関しては、普遍的に我・汝・彼という三元構造が所与のこととしてあるにも関わらず、空間指示においては二元構造で何等問題の生じていない言語が存在しているからです。
 その意味では現代日本語からの類推では、西欧諸語との対比も、「ソ」の位置づけの解明もし難いように思えます。
 そこで改めて日本語の指示詞の成り立ちを振り返るために、橋本四郎氏が上代語の指示詞を表覧化したものを見ますと(注21)、コソアドは現在とは相当に状態を異にしていて、場所に即しては「ココ」「ソコ」「イズク(ド)」で「カ(ア)」系がなく、方向に関しては「コチ」「イヅチ(ド)」のみで「ソ」系も「カ」系も見あたらず、もの(コレ、ソレ、カレ)と指定(コノ、ソノ、カノ)だけが揃っているのに過ぎないのです。
 その後、時代が下るにつれて次第に整備されていき、現代語に近似した形に整うのは江戸期になってからのことと判ります。
 江戸期以前の指示詞の体系が、現代日本語にみられるようなものではなかったということは、指示認識のあり方も異なっていた、ということに他ならないでしょう。  通常、指示詞においては「コ」と「ソ」の世界に対して、「ア」の世界は異質であって、「コレ」でなければ「アレ」であり、「コッチ」でなければ「アッチ」というように、三上氏の言を借りれば〈離心的〉な関係なのです。
 ところが上代日本語については、橋本氏によれば近称と遠称の親近性に対して、中称は不定称とかかわっているようですので、現代語とは全く異なるのです。
 そして橋本氏の「上代の指示体系が感覚の世界を指示するコと観念の世界を指示するソの二元的対立を基本とする構造を有する」(注22) という記述からすれば、上代日本語の「コ」が感覚的世界である現場指示が主流だったのに対して、「ソ」は「指す対象の存在を確信しながらそれを特定の一つに限定しえない」(注23) 場合に用いられて、現代のように中称として聞き手の領城を指すものとはされていなかったようです。
 それとは別に、「カ」は「コ」の領域に遠近の観念が導入される中で、橋本氏が「主観的に対象を疎なる関係と捉えた場合、コの分化形で指すことからカの使用が始まったのでは無かろうか。そして、その限りにおいてカはソの領域との接点をもたず、もっぱらコによりかかる形で存在したものと見たい」(注24)という言についても注目してみたのです。
 時代が下って来る過程で、上代には極めて少なかった「カ」が増加しつつ、同時に語形式も「ア」ヘ変化する中で、近称・中称に対する遠称という地位を占めて、「コ」とも決別することになったのが、日本語の指示詞の軌跡だったのです。
 橋本氏の説では、観念的世界にあった「ソ」が聞き手と関わりをもつようになる中で、中称としての位置づけも鮮明になって感覚の世界へ入り込んだのです。
 同時に、知覚し得る広範な範域を全て受け持っていた「コ」が、話手の限られた領域のみを指示するようになったのです。そして「現場指示では、コでもソでも指すことができない領域」(注25)が「ア」の領域となったのです。
 日本語の歴史的推移から考えられることの一つは、固有な人称語をもたなかったが故に、空間指示詞が転用される過程で我・汝・彼に合わせて整序するうちに、三分されたという事です。
 そこで再度三上氏の〈求心的〉な「コ」と「ソ」の関係にたち帰れば、話手「我」の「ココ」と聞き手「汝」の「ソコ」の関係で、当初はそれぞれ別の領域にあった二人が「我々」として一体化したとき、「ココ」は両者を含むのです。
 「コ」は聞き手を含む・含まないの二重の使い方がなされ、その意味で「ソ」は「コ」の 入れ子 になっていたのだと考えてみたのです。
 「我々」という言葉が聞き手を含む場合と含まない場合の、両用の遣われ方ができることと全く同様な構造だったと理解できるのです。
 英語など西欧諸語の指示形が、既に述べたように二元的なのに対して現代日本語は三元的なのですが、その三元構造の本質は単なる三元構造ではなく、入れ子型の構造だったという解釈をしてみたのです。
 二元的世界においては、「話し手と聞き手が同一伝達行為の当事者として不可分離」ということからも、here が前提として「ソ」を含み込んだものと理解してみれば、現場〈here〉にいる第三者はさしあたって会話に参加していなくても、here にいるわけですから「ソ」の領域の存在だったのです。
 英語で現場にいる第三者に she・he が遣えないのは三人称が上代日本語の「ソ」のように観念の世界の存在とみて、生身の人間としては実在しないものとしてモノ化の規定をしてしまうからだったと考えることができます。
 それが、場の構成員への三人称の使用に対して、人格剥奪や排除を意味するという認識につながるのでしょう。
 それに対して三元構造における第三者は、場の構成員であるか否かは論外であって、「コ」でも「ソ」でもない存在だということなのです。したがって現場に居る居ないに関係なく 彼 や 彼女 を用いることができるのです。
 言い得ることは、当初考えたような「ア」から「ソ」が生じたのではなく、また文法論の問題というよりもむしろ認識のあり方の問題だったということです。
 当然の事ながら一つの論理に対しては反論理も成り立つわけで、おおもとの指示詞と人称との関係についてすら「指示(ディクシス)と呼称(ネネン)とは峻別されるべきふたつの別種の語」(注26)という説や、前記のオルテガのように、カッシラーとは逆に指示詞を人称代名詞から派生したものとする見方もまたあるのです。「ソ」入れ子論が説得性をもち得るためには、まだ多くの作業が必要でしょう。
 コ・ソ・ア三元構造における「そこはどこだ」という疑問が論理的に解明されるには、ラテン語の istic と ille の関係やスペイン語に潜む歴史的な構造変化との対比なども必要なのですが、日本語の考察に関しても新たな視点の導入が必要のように思います。
 入れ子「ソ」の世界の存在は、言語形成の根元にひそむ基本的思想の一つであることには相違ないのでしょう。
 西欧的世界観と日本語的世界の間には、入れ子「ソ」の存否によって認識のあり方の上で大きな隔たりが生じたということなのです。


(1)金田一春彦『日本語 新版』岩波書店、一九八八、一六二頁。
(2)印欧諸語の人称詞に、関係認識の属性がそもそも無かったわけではない。ラテン語起源による tu と vos の遣い分けのように、上位者には V を用い、下位者には T を用いる地位の墓準がかつては存在し、西欧圏諸語では後になって親疎の基準へと移行したのであるが、英語の場合は thou が捨てられて、ye の後裔である you が生き延びたのである。
(3)鈴木孝夫『ことばと文化」岩波書店、1973年、146頁。同氏はその後の著述の中で親族名称が「英語にもかなり見出されることが分った」と述べている。「自称詞と対象詞の比較」/『日英語比較講座 第5巻 文化と社会』大修館書店、1982年、46頁
(4)佐久間章「人代名詞の社会心理学的考察」/『言語科学』3、昭和42年。
(5)渡辺友左「紹介・鈴木孝夫著ことばと文化」/『国語学』96、武蔵野書院、昭和49年、67頁。
(6)西欧諸語の場合に、例えばフランス語の tu と vous やドイツ語の du とSie'ないしはイタリア語の tu とLei やスぺイン語の tu と usted などの、対象指示の二種の遣い分けはあっても、自称は変化しないのである。日本語はオマエに対してはオレ、アナタに対してはワタシのように相補的である。
(7)Jose Ortega Y Gasset "El Hombre Y La Gente",Madrid,1957. 佐々木孝他訳「個人と社会」/『オルテガ著作集5』、白水社、1969、96頁。
(8)Ernst Cassirer "Die Philosophie der Symbolischen Formenbd.I.Die Sprache",Berlin,1923.カッシラー著、生松他訳『シンボル形式の哲学』岩波書店、1989、270頁。
(9)カッシラー、前掲書、271頁。
(10)カッシラー、前掲書、254〜256頁。
(11)J.V.ネウストプニー『外国人とのコミュニケーション』岩波書店、1982、72頁。
(12)矢田部達郎『児童の言語』昭和24年、131頁。
(13)大江三郎『日英語の比較研究―主観性をめぐって―』南雲堂、1975、24頁。
(14)自称として「こちらで致します」の場合は、対称は「そちらにお願いします」のようになるが、「こちらはどなた」や「そちらの方は?」となれば、いずれも三人称であろう。
(15)三上章『現代語法新説』刀江書院、昭和30年、173頁。
(16)大江三朗、『日英語の比較研究―主観性をめぐって―』南雲堂、1975、23頁。 (17)カッシラ−、前掲書、268頁。
(18)佐久間鼎『日本語の言語理論』恒星社厚生閣、昭和34年、132頁。
(19)ハイデッガー・細谷貞雄他訳『存在と時間』/『ハイデッガー選集』理想社、1977年、203頁。
(20)Martin Heidegger "Sein undZeit"Niemeyer,Tubingen,1986,P.119。
(21)橋本四郎「指示詞の史的展開」/『講座日本語学2 文法史』明治書院、昭和57年、222頁。
(22)橋本、前掲書、224頁。
(23)橋本、前掲書、227頁。
(24)橋本、前掲書、230頁。
(25)橋本、前掲書、239頁。
(26)Walter Benjamin "WERKE"1972、Frankfurt、「ヴァルター・べンヤミン『言語と社会』/『ヴァルター・ベンヤミン著作集 3』晶文社、1981、81頁。



目次に戻る