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杉山康彦

 私が?僕が?和光大学の共同研究機構委員長の杉山です。たくさんお集まりいただいて感激しています。私は和光大学創立以来この大学に来させていただいていますが、最初は一年生だけ、文学科は三クラス募集して、結果はニクラス七十人のスタートでした。教師はほとんど出そろっていて、教師一人に学生五人という牧歌的な時代でした。しかし何かママゴトをしているようで、何時そうでなくなるのか、どういう具合になるのかなどとそのなりゆきに興味と不安を抱いていましたが、何ということはない、たちまち大学紛争が始まりママゴトどころではなくなりました。
 私など何が始まったのかよくわからず、ただ走り廻っていました。そのなかで始めてわれわれ教師たちはお互いを知り合うようになったのです。私は人文学部所属ですが、経済学部の先生方とも知り合いました。その意味では紛争はよかったと言えますが、よかったといっても大変でした。
 紛争で機動隊を導入しなかった大学は全国の大学で和光だけだったと思いますが、その代わり教職員が体を張ってがんばったのです。そしてそのためにへばってしまうということもありました。
 そのとき私はこの紛争のエネルギーで共同研究シンポジウムといったものができたらなあと夢想したものでした。しかし今、ともかくもこういうシンポジウムを開くことができ、ほんとうに夢のようです。

 共同研究機構というのは先生方はおわかりですが、学生諸君には耳慣れないことばだと思いますが、共同研究の機構organizationと考えていただければいいと思います。十年ほど前になりますが石原、飯沼両学部長の時にいつまでも紛争でへばっていないで研究でがんばろうということで、大学から少しまとまった予算を持ってこられて、共同研究のグループを援助すると公示されました。たちまちいくつかのグループが名乗りをあげ、その後変遷はありますが、いまも七つのグループが活動を続けています。
 この研究グループがばらばらではなく、相互に接点を持ち、さらにわれわれの研究を活性化させるということで、この共同研究機構が昨年四月に発足しました。
 そしてこれはさらに研究所という方向をめざすことになっています。和光大学らしい研究所をつくってその研究を世に問おうというものです。

 それで教員同士の茶飲み話、お酒の席などのなかからこのシンポジウムをやろうということになりました。学部学科を越えた、専門を越えたテーマで、というのが第一のテーマなのですが、始めての企画なので欲張り過ぎて、六人の方に問題を提起していただくということになりました。ちょつと無茶なのですが、おひとり十五分から二十分という時間内に発表というのは大変申し訳ない企画なのですが、それはひとまずお許しいただくとして、問題がそれぞれでまとまらないのではないかと心配です。でも無責任のようですが、まとまらなければまとまらないでいい、同じテーマでこんなに違った問題が出たということでもいいのではないか、あわよくば何か接点があり、スパークすればなおよしなどと考えています。
 今日は十月三十日です。われわれの世代のものは明治二十三年十月三十日といえば誰でも覚えている「教育勅語」の発布の日です。この日はこの勅語(天皇のことば)の奉読を学校の生徒全員が集まって聴くのですが、そのおしまいは「卸名御軍」と結ばれます。天皇の名と印ということですがこれは自称か他称か、最初は「朕惟ふに」と始まります。「朕」というのは中国から来たものですが、天皇だけが使う一人称です。これは今日のテーマに関係がありそうです。



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