研究活動報告◎二〇〇一年度

 

A=アジア・地域研究系







 アジア研究・交流フォーラム/地域環境研究グループ/南西アジア研究会

 多国家(分散・分断)民族における内なる民族関係/スリランカ研究フォーラム

 世紀転換期と東アジア研究会

 アラビア海東域の港湾都市をめぐる文化・民族複合の実態調査


B=表象・文化研究系

 表象研究会/神話・イメージ研究会/宗教芸能研究会

C=教育・生活研究系



 グローバル・マネジメント研究会/経済学教育研究会/民族と言語教育

 インターネット・ピース・ジャーナリズム研究会/青年期健康指標研究会



 

  アジア研究・交流フォーラム

 アジア研究・交流フォーラムは、アジア地域研究系に属するプロジェクト・チームの要望に応じ、共同研究会を開催したり、イベントを企画したりして全研究系の討論と交流を進める場である。一九九九年度から、本フォーラムは、研究会の他にシンポジウムとモンゴル祭りを中心に活動の焦点を絞ってきた。

 本年度は、九月に異文化交流室との共催で、ハノイ国立大学の文化人類学者ホ・フアン・ホア先生を招き、ベトナムにおける祭りについて報告していただいた。教員や学生が参加し、興味深い議論ができた。

 また、本年度の主なプロジェクトとしては、一一月二四〜二五日〈Naadam in Wako '01 秋のモンゴル祭り〉を企画し、学内外の参加者がモンゴル文化にふれた。二四日、学術交流として、「多様化の進むモンゴル世界」というシンポジウムを開催した(二〇〇二年度の『東西南北』参照)。発表者は本学の兼任教員であるバー・ボルドー氏、ブレンサイン氏、専任教員ユ・ヒョヂョン氏であった。それぞれ、モンゴル相撲ブフという伝統的スポーツ芸能、中国内モンゴルの漢民族の入植による大草原の激しい変貌、モンゴル高原からかけはなれた中国雲南省にくらすモンゴル兵士の末裔をテーマにし、モンゴル民族の多様な実態を生き生きと語った。

 初日の午前中に、モンゴル人も含めた学生と教職員、地域住民が力を合わせてモンゴル住居「ゲル」を組み立て、当日のシンポジウム後、ゲルのなかで深夜まで親睦・交流会を行なった。翌日は、モンゴル人留学生と日本人学生がモンゴル料理の屋台を出店し、馬頭琴などの伝統音楽コンサート、民族衣装のファッションショー、モンゴル相撲大会を行なった。二日目、参加者は約一〇〇人を超し、異文化交流をさらに深めた。

 来年度も本フォーラムは、学術交流を重視しつつ、文化活動を広げて行きたいと考えている。

(ロバート・リケット)



 

  地域環境研究グループ

 地域環境研究グループは発足三年目の取りまとめの年を迎え次の活動目標をたてた。

 一九九二年にブラジルのリオデジャネイロで開催された「地球サミット」で、経済優先から脱却し環境重視の「持続可能な発展」(Sustainable Development)を目指すことが決定された。その後、世界のいろいろな地域で持続可能な発展をめざす種々の努力がなされている。これらの現状を受け止め一九九九年度は「エネルギー」をキーワードとして、二〇〇〇年度は「循環型社会をめざす」をキーワードとして研究会および環境先進国のヨーロッパ現地視察を行なった。本年度はその成果を踏まえ、最終目的であるアジア地域の環境問題にとりかかった。近年めざましい経済成長を遂げ、同時に多くの環境問題も生じているタイを対象地域として選び、環境問題の実態を明らかにし、今後の方向を探るため資料による調査研究および現地視察を行なった。

 研究会および現地視察の内容は以下のとおりである(すべて公開で行なった)。

 [五月例会]
  「タイの環境問題の概況と本年度調査サイトの選定について」
   発表者:小林弘明・和光大学経済学部助教授

 [七月例会]   「タイ視察の打ち合わせ」

 [八月 タイ視察 八月二一〜三〇日]    参加者:小林、高木、内田、三浦    二一日 バンコク着    二二日 CP・明治(CP-Meiji)社工場訪問        コラート(Nakhon Ratchasima, Korat)へ移動    二三日 キャッサバ澱粉生産業者(A社)訪問       地域農政局訪問   二四日 サラブリ県の世界救世教自然農法センター訪問      森林破壊の様子を観察   二五日 スコタイ周辺の洪水被災地域の視察   二六日 バンコクへ移動 大規模稲作地帯の様子を観察   二七日 カセサート大学林学部訪問   二八日 バンコクのCP・明治本社訪問   二九日 資料収集など   三〇日 帰国

 [一一月例会]   タイ視察資料整理および報告書作成打ち合わせ

 [一二月例会]   タイ視察報告会   発表:小林、高木、内田、三浦

 [一月 屋久島視察]   一月三〇〜二月一日   参加者:水上、岡本(喜)、伊東、三浦、小林   三〇日 屋久町堆肥センター訪問       上屋久町環境政策課訪問   三一日 午前は屋久島を一周し西部林道原生林などを見学。 午後は屋久杉ランド、屋久島世界遺産センター、屋久杉自然館を訪問   二月一日 ガジュマル見学後帰路につく

 ――まとめ

 本年の活動は大部分がタイ視察にむけての準備と視察後の報告書作成にむけられた。

 その報告書は「東西南北2002」に発表されているので詳細は省く。既にタイ滞在経験を持つ小林助教授による訪問先のアレンジにより順調な視察ができた。現地の方々にお世話になったことを心より感謝します。特に、カセサート大学ブンジット博士には全日程にわたりお世話になった。今回の視察はアジアの環境問題についての認識の第一歩であり、この経験を生かし今後どのように研究を進めて行くかが我々のグループの課題である。

 一月〜二月にかけての屋久島訪問はたぶんにタイの森林を観察してきたことと結びついている。程よい気温で好天に恵まれた訪問は好印象をもって終わった。屋久島の森林保護で中心的役割をはたした柴鐵生氏の説明には説得力があった。

 二〇〇〇年における活動では西欧および日本において「循環型社会構築」の着実な歩みを実感したが、二〇〇一年のタイ視察ではアジアの現状は大きく異なっていることを再認識させられた。このようななかで日本が果たすべき役割を模索することが必要とされている。

 ――発表論文

 小林弘明・高木要・内田正夫・三浦郷子「調査報告 タイの環境問題 アグロインダストリーをめぐって」(『東西南北2002』56-84頁)。

 小林弘明 「書評:FAOインターネット版 State of the World's Forests 2001」(『和光経済』第34巻 第1・2号83-89頁)。

(三浦郷子)


 

  南西アジア研究会

 良くも悪くもこれほどまでに日本全体が、南西アジア地域、パキスタンそしてアフガニスタンの報道にさらされたことがあっただろうか? 

 今まで、見向きもされなかった地域に、いっせいに世界中の視線が向けられたという意味でまさに記念碑的な事件が、九月一一日の世界貿易センタービル攻撃から現在までも続いている。偶然にも研究員の村山は、事件当日を、パキスタンのクエッタ市で迎えていた。後に、連日のようにこの街のバザールや広場が日本のお茶の間にも報道され、北西辺境州のペシャーワル市についで、アフガン報道の中継点として知名度をあげたバローチスターン州の州都である。

 振り返れば、ターリバーンの主要構成民族であるパシュトゥーンの一族長の屋敷に身を寄せていた村山は、連日のように訪れるパシュトゥーンの客人たちに日本政府の対アメリカ政策について問い詰められていた。しかし、彼らに反日感情はない。中国人と並んで日本人に対する好意と敬意は、この国では民族を問わず感じられた。

 ただ一つ、事件の前後で変化したことといえば、バザールのなかで通りすがりの現地人に、「広島と長崎に原爆を落とされて、それでも日本はアメリカが好きで味方なのか?」と英語で尋ねられたことである。冷やかされた、または嫌がらせを言われたとも受け止められる。後にも先にも、バローチスターンで日本政府のアメリカ寄りの立場を批判されたのは、湾岸戦争の時以来である。

 ペシャーワルでは、高級ホテルが外国からの報道陣によって、中継センターとなりつつあった。バザールではいつもより警官の配備数が多かったが、日常はいたって平穏であった。ただ、ホテルの従業員たちは「アフガニスタンが攻撃されるのを、あいつらは儲け話に待ってやがるんだ」と明らかに不快感を訴えていた。この街から日本に国際電話を入れると、すぐ帰国しろと心配された。日本の報道チームは、集団礼拝後の過激な宗教デモ以外の、安らかな日常生活にはピントが合わないカメラしか使用していないらしい。

 こんな時勢のなか、第一回研究会は、九月二九日『パキスタン、国土とその人々』と題して、在東京パキスタン大使館一等書記官イムティアズ・アフマド氏を講師に迎えて開催された。

 企画発案当初は、パキスタンの基礎情報をスライドも交えて、学生向けに講じていただくという趣向だった。

 氏の流暢な日本語に感嘆しつつ、パキスタンの言語・民族・自然についての講演を聴き終えると、誰もが待っていた質疑応答の時間となる。氏にとっては、連日勤務先で繰り返される問いであっただろうが、一つ一つ誠意をもって丁寧に返答して下さった。

 パキスタン政府としては、カーブルを安定させた政権を国家の代表として承認する立場を歴史的にとってきた事実などは、ニュースで報道されていただろうか。この事件でパキスタンがいかに苦しい決断を迫られているのかが、出席した教員・学生ともに理解できた。

 この研究会を通じて、パキスタン研究者不在の報道番組よりはるかに、現実的な生きたパキスタン観を育むことができたのではないだろうか。

 アメリカによるアフガニスタン攻撃が続いている翌年二月二日、第二回研究会を開くに至った。

 この当時、われわれも含めて、多くの国民たちが、南西アジア地域のみならず話題の宗教[イスラーム]について大きな関心を寄せはじめていた。豚を食さぬのは言うに及ばず、音楽までも厳しく禁止したターリバーンを通して、イスラーム文化の一端に疑問符が連なる。音楽とイスラームは共存可能なのか? 

 そこで、イスラーム国家パキスタンにおいて音楽文化が辿ってきた道を振り返ると同時に、体制の下で現在直面している大衆音楽活動の現状を若き研究者たちに語ってもらうことにした。

 タイトルは『音楽とイスラーム、その融点と沸点』とし、第一部:パキスタンにおける伝統的音楽文化「ガザルと地域音楽」(星野裕子)、そして第二部:イスラーム国家における音楽活動の諸相「ジュヌーンの活動が攪拌する可能性は」(萩原洋子)という構成とした。

 東京外国語大学でウルドゥー語を専攻する星野氏は、ウルドゥー語のガザルが印パ分離の波とムスリム・アイデンティティーを乗り越えて愛されてきた軌跡を、そしてヒンディー語をきっかけにパキスタン文化に興味を抱いたという萩原氏は、南アジアを代表するロックグループ「ジュヌーン」の活動を本邦で唯一総体として語れる専門家の視点からその特徴と彼らのメッセージを、共に内容の濃いそして質の高い報告に仕上げてくださった。

 学外からも多数の参加者を得て、本研究会は成功裏のうちに幕を閉じた。会の最後に松枝教授から活動終了の挨拶と、新たに生まれる「東西交渉史研究会」への参集呼びかけがなされ、南西アジア研究会四年間の活動は終了した。

(村山和之)


 

  多国家(分散・分断)民族における内なる民族関係

 プロジェクト・チーム発足二年目の二〇〇一年度は、前年度に引き続き、メンバー各自が追求すべきテーマやその方法などを模索しつつ、それをチーム全体として共有していくことを活動の重点においた。

 とりわけ、後者のための一環として、本年度はアジア研究交流フォーラム主催の形で前年度につづいて開催された「和光大学モンゴル祭」の第一日目(一一月二四日)を受け持ち、三人のメンバーが報告者をつとめ、「多様化の進むモンゴル世界」という共通テーマでシンポジウムを行なった。報告の内容や討論の記録は、すでに『東西南北2002』に発表されているので、ここでは参考までにその題名と報告者名を記しておく。

 1、バー・ボルドー
 「ブフ(相撲)文化から見るモンゴル世界」

 2、ブレンサイン
 「農地化から沙漠化へ―内モンゴル東部
    『草原』地帯の変容」

 3、ユ・ヒョヂョン
 「『飛び地の捨て子』か『新モンゴル人』か
   ―中国雲南のモンゴル族」

 当日、シンポジウムには、大阪、仙台など遠隔地からの参加者も多く、活発な討論が行なわれた。

 外部の研究者を招いての研究会は一月三〇日に次のような内容で一回行なった。

 ボルジギン・フスル
 (東京外国語大学大学院博士課程)
 「内モンゴル人民革命党に対する中国共産党の政策(一九四五〜一九四九)」

 海外への現地調査としては、ユによるロシア連邦カルムイク共和国調査とリケットによるアメリカの公文書館調査が行なわれた。

 三年目の二〇〇二年度には、中国内モンゴル自治区フルンボイル盟を重点調査地域と選定し、複数のメンバーが調査に出向く予定である。

 本プロジェクト・チームは、「モンゴル世界」を主な研究対象としつつも、その他の「国境にまたがる民」についてもできるだけ目配りをし、「国境にまたがる民」一般についての研究の深化を目指している。三年目になる二〇〇二年度には、和光大学総合文化研究所の重点研究として指定され、二〇〇三年度中にはその間の成果を一冊の本としてまとめることを計画している。

(ユ・ヒョヂョン)


 

  スリランカ研究フォーラム
 

 スリランカ研究フォーラムは、二〇〇一年度に二回の研究集会を行なった。

 ――第一一回

 テーマ「日本で暮らして思うこと―在日スリランカ人と語る」
 日時:六月三〇日(土)、一四時より
 場所:和光大学・総合文化研究所
 話題提供:ラチタ・ガマゲ氏、シリ・ヘーラット氏、キトゥシリ・ペレーラ氏

 今回は、日本で学び、働き、暮らしているスリランカ人三人を囲んでの座談会とした。

 ラチタ・ガマゲ氏――日本在住六年。コロンボ出身。父親が日本車の輸入販売業のため、日本のエンジニアリングに関心をもつようになる。本年三月に大学を卒業し、自動車販売会社に就職したばかりである。来日前、テレビで「おしん」をみていた。女性はみな着物を着ていると思っていた。来てみて物価の高いのには驚いた。

 シリ・ヘーラット氏――在住一三年。中部のクルネーガラ出身。来日後、潜水夫の資格をとった。趣味で武道を続けている。来日当初、日本人はみな忙しそうに見え、日本語もケンカっぽく聞こえた。映画の「用心棒」をみて、日本人はみな武道をやっているものと思っていた。女性も含めて家族で酒を飲むこと、宗教的な休日がないことは、びっくり。

 キトゥシリ・ペレーラ氏――在住一二年。コロンボ近郊のヌゲーゴダ出身。大学院終了後、気象情報を扱う会社に勤務。日本については、テレビ番組を通してハイテクを用いるデリケートな社会であると思っていた。いまだにスシやサシミなど生物は食べられない。日本の学生は、世界についてあまり知らないと思う。

 このほか、あいさつの仕方や家族関係、職場の人間関係など、文化の差異をめぐって懇談した。

 ――第一二回

 日時:一〇月二〇日(土)、一四時より
 場所:和光大学・総合文化研究所
 発表一:ウダヤーニ・ウィーラシンハ氏(東京大学博物館研究員)
  「スリランカにおける人間と象の闘い」

 発表二:広津 秋義氏(写真家)
  「スリランカのお茶の世界」

 ウダヤーニさんは、開発と自然保護をテーマにして研究に取り組んでいる。スリランカでも近代化に伴って、農地拡大と木材確保のために森林が伐採され、野生動物の減少が著しい。一日当たり一五〇キログラムものエサを食べ広い行動域をもつ象にとって、事態は深刻である。アジア象は今日、一三カ国に三万五〇〇〇〜五万頭いると推定されている。アジア象の亜種にあたるスリランカ象は、現在二〇〇〇〜四〇〇〇頭いると思われる。独立(一九四八年)前には一万二〇〇〇から二万頭いたという。開発の結果、今日の森林面積は二二パーセントにすぎない。農民と象のトラブルも続発し、近年では年間三〇〜五〇人が象の犠牲となり、五〇〜六〇頭の象が殺されている。農産物や農地、住宅の被害も少なくない。開発と象保護の問題は、大変困難な課題である。

 写真家の広津さんは、二〇年以上も前から高地の茶園の取材を続けている。コロンボから東方に車で数時間も走ると、山岳地帯となり一面茶畑となる。というよりも、茶の木で覆われた山々が続いているという光景である。これは一九世紀半ばからイギリス資本と、南インドから導入されたタミル人労働者と、森林伐採に携わったシンハラ人農民の労働の所産にほかならない。スリランカでは今日、中部の茶園地帯を中心にインド・タミルと呼ばれる人びとが暮らしている。彼らはイギリス植民地時代に、コーヒー・プランテーションの労働力として導入された人びとの子孫である。茶は、一九世紀末に病害によりコーヒー園が壊滅した後の代替え作物であった。広津さんは、苛酷な茶摘み労働に明け暮れる女性たちの暮らしに眼を向けてきた。

(澁谷利雄)


 

  世紀転換期と東アジア研究会

 今年度は上記の研究テーマのもとに集まったメンバー(あらたに奥須磨子・経済学部教授及び岡田俊幸・同学部助教授の二名を加え、いっぽう水上健造経済学部教授は定年退職された)により、各個人の研究テーマをどのように設定するか、それにかかわる研究会の積み重ねをも含めての年度と考えて発足した。

 すでに始まったことだが、〈異なる専門領域の研究者が専門の立場を超えて共通のテーマのもとに新しい視点からの研究を行なうこと〉の可能性はどのような方法によって生まれるのか、これから先を考えるうえで重要である。二〇〇〇年度に刊行した『「国民」形成における統合と隔離』をまとめる過程を考えてみると次の二点につきるのではないか。

 (1)個々のメンバーが自己の研究フィールドをinterestをもって構築できるかどうか。

 (2)相互に自由な立場で討議や検討を繰り返し、(1)との間を交錯させつつ〈共通のテーマ〉を見出す。

 それには学内で研究発表を盛んに行なうことはもちろんだが、これまで毎年年末または年度末に実施してきた〈調査旅行〉が意外にも見えないところでその効果を発揮していたことに気づかされた。『「国民」形成における統合と隔離』も、大連(二〇〇〇年度)、長崎・大分・熊本(一九九八〜九九年度)、京都・神戸(一九九七年度)がなければ決して生まれることはなかったのだ。以下、この一年間の研究発表、調査旅行のことをメモしておく。

 [二〇〇一年五月一六日・研究発表]
  橋本堯(表現学部教授)
  「譚嗣同と章炳麟――中国近代を生きた二人の思想」

 [六月一三日・研究発表]
  吉川信(表現学部助教授)
  「ケルト復興とアイルランドのナショナリズムについて」

 [一〇月二四日・研究発表]
  原田勝正(和光大学名誉教授)
  「『明治大帝』論」

 [二〇〇二年二月一四日・研究発表]
  橋本 堯(表現学部教授)
  「国家主義思想の形成―加藤弘之のばあい」

 [三月一三日〜一七日 門司・山口の調査]
  調査参加者:橋本 堯、山村睦夫、佐治俊彦、松永巌、奥須磨子、吉川信。

  一三日
   門司港駅周辺の見学、門司市立図書館での門司港関係の資料調査、世紀転換期における港としての門司港の位置を考える。

  一四〜一五日
   山口大学経済研究所図書館にて調査、資料収集。

 調査旅行に関する補足

 ――現在の門司市はまったく一般観光客のみを対象とした情報案内に重点を置いているので、旧港湾の規模と施設の実際や旧市街地の状況などはまったく不明で、古地図もなく、市立図書館の所在を知るにも苦労した。そこの郷土資料コーナーの蔵書も貧弱であったが、それでも旧門司港の地図を何枚かコピーできた。

 山口大学経済学部の蔵書、資料は東亜経済研究所の蔵書、資料も含めて、さすがに豊富ですばらしかった。ただ、地方国立大学の常として蔵書類の整理、保管は十分とはいえず、宝の山を掘り出すに等しい長所と弱点をもつことを記しておく。

(橋本 堯)


 

  アラビア海東域の港湾都市をめぐる文化・民族複合の実態調査

 本プロジェクトでは、海路による交易を媒介にして種々の文化・民族が集積させてきた、アラビア海東域の沿海都市における文化・民族複合に注目し、学際的な考察を通してその実態を解明しようとする。

 これらの地域では、特にポルトガルの進出がヨーロッパ世界とインド世界との直接的な交易と文化接触を生じさせ、今日のコスモポリタニズムにつながる文化・民族の融合や対立の諸関係をつくりだしてきたといえよう。

 二〇〇一年度は、ヨーロッパ人がもたらした文化の変容と継承、他の諸文化との融合、受容、対立などの諸関係について、主に宗教と生活文化をめぐって、観察と聞き書きによる実地調査を行なった。

 調査は、インド・スリランカ・グループ(澁谷利雄、スワン・ワジラチャリヤ、川島耕司)とイラン・グループ(村山和之、山内和也、前田たつひこ)に分けて実施した。

 ――インド・スリランカ調査

 インド・スリランカ・グループは、一二月下旬から一月初旬にかけて、約二週間にわたって実地調査を行なった。

 川島は、インド南部のケーララ州で、クリスマスをめぐるキリスト教とヒンドゥー社会のかかわりをテーマにして取り組んだ。

 ケーララでは早くも三世紀ころからシリア派キリスト教徒が独自の社会を形成していた。これに加えて、一六世紀に進出したポルトガル人が布教したため、今日キリスト教徒は州人口の二〇パーセント以上に上る。今回はポルトガルの拠点であったコチを主に見聞した。

 クリスマスを間近にひかえて、街路や教会、家庭では、クリスマス・ツリーを初めとする飾り付けがみられた。商店街ではクリスマス・セールが行なわれており、ヒンドゥー教徒やイスラーム教徒も含めて多くの人びとでにぎわっていた。キリスト教徒の家庭および教会では、イエス誕生の場面を模した「まぶね」が作られていた。教会での荘厳な深夜ミサに参加した際には、インドにしっかり根を張っているキリスト教を実感できた。クリスマス・パーティーにも参加する機会を得た。ここでは非キリスト教徒の姿も少なからず見られた。

 概してケーララでは長年にわたって、反キリスト教運動はなかったのだが、近年のヒンドゥー至上主義の台頭によりいくぶん変化が生じている。一九九九年にクリスマス集会に対する襲撃や、ペンテコスタル教会への放火などの暴力行為が報告されている。

 澁谷は、スリランカのコロンボ近郊のジャーエラで、クリスマスの見聞を行なった。

 ポルトガル人の布教活動により一六世紀からキリスト教が定着している。とりわけ西部沿海地方の漁民に多くみられる。仏教の伝統のなかで殺生が否定的にみなされてきたために、漁民の多くが改宗したといわれている。その後オランダ、イギリスの支配が続くが、今日に至るまでキリスト教徒のほとんどはカトリックである。

 ちなみにジャーエラのジャーとはジャワを指している。オランダ時代に当地ではジャワ人を投入して運河を掘ったことに由来するのだという。

 キリスト教徒は全人口の七・六パーセントを占めており、そのうちシンハラ語を母語とする者は民族的にはシンハラ人とされている。シンハラ人は七〇パーセントを占める多数民族で、そのほとんどは仏教徒である。キリスト教徒の民族的アイデンティティの危うさが想像できる。

 ジャーエラもキリスト教徒が多い町として知られている。街路には特設の店や露店も並び、クリスマス・セールが大々的に行なわれていた。クリスマス用品としては。ツリーやロウソク、まぶね用の人形と小屋、カード、ケーキである。大通り沿いの広場には、遊園地や音楽用ステージが設けられていた。クリスマスに先立って聖マリア教会では、少年少女によりイエス生誕のミュージカルが催された。

 デヒヤガーター教会でクリスマス当日の深夜ミサに参加した。聖歌が美しく響き渡るなか、主教自らの手でまぶねに赤子のイエスを安置した。信徒たちはそれぞれイエスに両手で軽く触れ、礼拝し、帰宅して自宅のまぶねにイエスを安置するのだ。

 クリスマスの特別な食べ物としては、ミルク・ライスと豚肉である。仏教徒やヒンドゥー教徒同様、ココナツ・ミルクを注いで調理するのだ。ミルクは、清浄と豊穣のシンボルである。新聞もクリスマス特集に多くのページを割いている。

 ワジラチャリヤは、スリランカのマレー系コミュニティの実態調査に取り組んだ。

 その多くはオランダ植民地時代(一七〜一八世紀)に傭兵や労働力として現在のマレーシアやインドネシア方面から導入された人びとの子孫である。今日のセンサスによれば、全人口の〇・三二パーセントを占めている。一九六〇年代ころまでマレー語の新聞が発行されていたが、英語使用者が増加したり、シンハラ人やタミル人との結婚が増えたことにより、マレー語使用者は減少している。かつてはコロンボのスレイブ・アイランド地区に多く集住していたが、その後各地に散住している。

 そうしたなかで唯一、南部のキリンダにマレー人漁民社会が存続しており、興味深い。最近は、現在多数ある小規模な互助的なマレー人組織を統括しようとする動きがみられる。シンハラ、タミル間の抗争と多民族社会での競合のなかで、イスラーム教を軸にマレー人としてのアイデンティティを再構築しようとするものである。

 前述のジャーエラを初めとして、コロンボ市内のジャーワッタ通りやマレー通り、ジャフナ半島のチャーワー・カッチェーリ(チャーワーはジャワに由来するという説がある)など、オランダの植民地支配とマレー・コミュニティの存在は、スリランカの文化・社会に深く刻まれている。

 同様に、ポルトガル語に由来する人名や生活語彙、カトリックの存在は、ポルトガルの関与の深さをまざまざと示している。インドやスリランカの港湾都市を取り上げる場合、依然としてヨーロッパとの文化接触の考察は不可欠というべきである。

 ――イラン調査

 イラン調査グループは、アラビア海からオマーン湾そしてペルシア湾沿岸地域に点在する港湾都市を対象に、ポルトガルを始めとするヨーロッパ諸国との文化接触の痕跡を確認するべく行動した。

 参加者は、村山和之(民俗文化)、山内和也(考古、言語)、前田たつひこ(歴史、宗教)で、二〇〇二年二月〜三月にかけて三週間にわたって調査に従事した。

 陸路でペルシア湾最奥のフーゼスターン州都アフワーズから、湾の出入り口にあたるホルムズ州都バンダル・アッバースまでの港湾都市を探訪した。イスラーム時代を含む旧来の都市遺跡の記録作業から始まり、要塞や湾岸特有の宗教施設(聖廟、墓地)を含めた建造物とともに、文献・図像・衣装・楽器・遺物等の収集を行なった。

 今回の調査からは、対象地域にはキリスト教など定着したヨーロッパ文化またはその深い影響はみられない。海岸線などにポルトガル時代の要塞が残り、各地に彼らに導入されたアフリカ系黒人の子孫がみられ、イギリス時代の商館建築にわずかにヨーロッパ的デザインが窺われる程度である。こうしたなかで、オマーン湾沿岸地域で興味深い伝承を採集することができた。ポルトガル人と戦って名誉の死を遂げたバローチ民族の英雄を称える民俗芸能である。

 「ヨーロッパ」をキーワードとした今回の調査からは、ペルシア湾交易の長い歴史においては、一時的に勢力を維持したにすぎないヨーロッパ文化の影響力の弱さと、イラン文化の豊かさや強さが対照的にみてとれた。今後の展望としては、イラン南東部からパキスタン南西部への踏査を通して、アラビア海沿岸文化ベルトを追究したいと考えている。

 [本プロジェクトにはこのほか、前田耕作、川添修司、松枝 到、佐川信子が参加した。]

(澁谷利雄)


 

  表象研究会

 本年度からは「情報化社会における文化混淆の問題」をテーマに掲げて活動を開始したが、事前の準備不足と研究会主催者の過度の忙しさによって趣旨の一貫した研究会を開催できなかった。この点については大いに反省している。次年度はもう少し問題点を絞って会を運営したいと考えている。

 ――第一回研究会 五月九日

 テーマに関するメンバーの問題意識を喚起し、かつ方法論のある程度の近似をめざして全員で『構築主義とは何か』(上野千鶴子編)を読んだ。

 各章の担当者がレジュメを発表して問題点を指摘し、他のメンバーの意見を聴取するという方式をとった。社会学の分野では耳慣れた用語であるようだが「構築主義」というのは、戦後の一時期を席巻した「構造主義」の静態的な見方を超克し、かつ「ポスト構造主義」といったお手軽な命名を避けて、よりダイナミックな構造分析をめざそうとしている各界の思考の挑戦を命名の次元で工夫するというようなものであると思われる。この著作の執筆者の大半は社会学畑の研究者であることでもわかるように、戦後の哲学、言語学、文学、歴史学、文化人類学等々の各分野で進められてきたエピステーメーの大転換を統合して、社会学(引いてはカルチュラル・スタディーズ)へと吸収していこうという目途のもとに編まれているようで、現今勢いを取り戻し、リアルな世界とその理念化を今まで学の対象に乗せられてこなかったさまざまな分野に拡大しつつある社会学の強烈な自負心を感じた。「文化混淆」の問題を対象とする場合には社会学(カルチュラル・スタディーズ)が関心を寄せている領域についての知見を得ておくことは必須の前提であるが、各個別の分野がたどってきた研究方法の革新の全てをこのように社会学が我がものとすることに疑問の声があがったのも至当であると思われた。著作のそれぞれの見解にはそれぞれの評価・批判があったことはいうまでもない。

 ――第二回研究会 三月九日

 「文化混淆」といえば、「ポスト・コロニアル」とか「クレオール」といった言葉が付随してくるのがおきまりであるが、「ポスト・コロニアル」はまだしも「クレオール」とは何か、基本のところを把握しておこうと、クレオール文学の研究者、日本への紹介者である一橋大学の恒川邦夫氏にお話をうかがった。「クレオール」という言葉の持つ歴史的背景から、現在のアンティーユ諸島におけるフランス語とクレオール語の関係まで、実例を示しながらの紹介で、この会は各人の知識の平均化に非常に有益であった。

 ――第三回研究会 三月一三〜一四日

 掛川の資生堂資料館へ見学に行った。主たる展示は化粧品、および資生堂のコマーシャル雑誌である「花椿」や宣伝用ポスターであるが、化粧品にまつわる科学的研究の進展および女性(昨今では男性も)の化粧に関わる意識の変化、雑誌やポスターに表れる時代性など、「美容」というひとまとめにしがちな分野がさまざまな文化のまさに複合、混淆であることを痛感した。

 メンバーの一人の発案で、その他のメンバー全員の関心とは直ちに結びつくものではなかっただけにその成果が危ぶまれたが、じっさいに行ってみた参加者がそれぞれの関心に引きつけてアプローチする事こそ文化混淆の問題を自分のものにすることだと実感したという意味で、結果的には大成功であった。

(杉本紀子)


 

  神話・イメージ研究会

 象徴図像研究会およびシンボル文化研究会という名称で長年にわたって美術史・文化交流史の視座からのイコノロジー研究を中心として行なわれてきた研究会に、新たに神話研究も加えて、二〇〇一年度より神話・イメージ研究会が発足した。

 永澤峻と松村一男が代表・世話人を務め、イメージが神話や図像表現においてどのように用いられているのかを普遍性と時代・文化特殊性の二面から考察している。

 二〇〇一年度は次の三人の方々に発表していただいた。

 ――第一回 五月一四日(土)

 篠塚千恵子(東北芸術工科大学助教授)
「裸体と着衣――古代ギリシア美術の女性表現試論」

 ギリシア神話では女性やニンフや女神が男神によって強姦される場面が少なくない。そしてそうした強姦の場面は言説のレベルだけでなく、彫刻や壷絵といったイメージ表現においてもしばしば見受けられる。このことは、神話と芸術にとどまらず、古代ギリシア文化全体の理解にも関わる重大な問題であるといえよう。

 篠塚氏はこの発表において、彫刻や壷絵における女性の着衣、裸体、そしてその中間段階としての片肌を露わにした姿の三種類のモチーフのうち、とくに片肌露出について、作品をスライドで紹介されつつ、動的と静的の二種に大別したのち、その内部でさらに分類を試みて、それぞれのタイプのもつ意義を考察された。動的なものとしては(1)レイプ、(2)アマゾネスとの戦い、(3)運動競技、(4)飛翔、(5)ディオニュソス的舞踏などがあり、静的なものとしては母性や豊穣のメッセージとしての授乳場面があるとされた。そしてレイプの場面での片肌露出は、大きな危険を前にした女性の無防備さ、傷つきやすさ、死の脅威を象徴するが、同時にまた女性が意図しないセクシュアリティをも表現しているという解釈が示された。

 ――第二回 七月一四日(土)

 保井亜弓(金沢美術大学助教授)
 「沈黙の徴と愚者――〈沈黙〉の身振りのシンボリズムと〈愚者〉のイコノロジー」

 西洋中世末期のマイスターESの〈形象アルファベット〉の版画や北方ルネサンスの画家たちの問題をギリシア・ローマ文化末期の異教における沈黙の神ハルポクラテスと関連させた興味深い図像分析が展開された。

 今回の発表では、とくに西洋中世末期からルネサンス・バロック時代にいたるまでのエンブレマタ(寓意画集)中のテキストと画像の対応関係の例を豊富に引き合いに出して、唇に指を当てた沈黙の寓意像が知者と愚者の両方を指し示すのに用いられた経緯を詳細に跡づけた上で、これらの時代における愚者と沈黙の図像の顕著な特徴を明らかにすることが試みられた。これらは、(1)コメンテーターとしての愚者、(2)賢い愚者、(3)沈黙の美徳と舌の罪という三つの視点から分析がなされ、近年注目されているオランダ一七世紀の風俗画家ニコラス・マースの「立ち聞き」の油彩画や日本の歌麿の浮世絵「遊女と達磨」などの具体的な作例に則して、スリリングな新しい図像解釈の局面が提示された。

 ――第三回 一一月一〇日(土)

 田井淳三郎(エーゲ海考古学者)
 「有翼獣のいる風景―サントリーニ島アクロティリ壁画について」

 エーゲ海キクラデス諸島南端に位置する火山島サントリーニ(ティラ)は、紀元前一六世紀中頃の大規模な火山爆発によって島の中心部が沈み、現在のような形になったが、ミノア文明以前にキクラデス文明が栄えていた地で、アトランティス大陸伝説のモデルともされている。

 田井氏はギリシアに留学され、アクロティリ遺跡も調査されており、今回はスライドを使用してフレスコ壁画を紹介し、そのうちとくに有翼獣グリフォンと女神のモチーフについて分析を行なった。その過程で、モチーフからエジプト、アッカド、クレタなどとの文化交流が考えられること、また壁画には描かれていないが、有翼獣の手綱は画面の外に伸びており、そこには手綱をもつ支配的神格が想定されていて、上下二層の世界観が示されているのではないかという壁画の意義についての仮説が述べられた。

(永澤峻・松村一男)


 

  宗教芸能研究会

 ――第一回 五月二六日(土)

 「長崎くんち――芸能史からみた近世都市祭礼」
 報告:福原敏男氏(日本女子大学)
 映像資料『風流のまつり 長崎くんち』(二〇〇〇年度制作)を導入に、風流という美意識を祗園祭とともに現代に伝える「長崎くんち」を、伝承・文献・画像から考察し、近世都市祭礼研究のための布石とする報告。

 休憩時には福原氏架蔵の「稲荷社祭礼図」が披露され、実物の祭礼絵図を前に参加者で絵解きを楽しんだ。

 ――第二回 七月一四日(土)

 シンポジウム「柱祭りを考える」其の弐

 二〇〇〇年度に続く柱のシンポジウム第二弾で、第一部は映像鑑賞『諏訪の御柱』『インドラ・ジャトラ』で、第二部で二つの報告と討論を行なった。

 「神樹と柱立て〜諏訪の御柱とシャーニズムをめぐって」
 報告:萩原秀三郎氏(民俗研究家)
 ある空間領域の中心軸をなし、秩序を創出し、天地の始まりの時間を演出する柱。
 諏訪の〈御杖柱〉に着目しながら、柱を神の依り代とする通念を越え、シャーマニズムにおける〈宇宙樹〉の役割を探ろうとするもの。

 「ネパールの柱祭り〜マッチェンドラ祭を中心に」
 報告:寺田鎮子氏(ネパール研究家)
 緑の葉でおおわれた巨大な〈山〉を曳く雨乞い神事マッチェンドラナート祭。この山車に焦点を当てつつ、カトマンズのインドラ・ジャトラ祭、バクタプルのビスケート祭と合わせて柱祭祀の意義に加え、政治と祭祀の関わりが指摘された。

 ――第三回 一〇月二七日(土)

 「対馬の神人〜神職・神楽師・巫女・法者」
 報告:渡辺伸夫氏(昭和女子大学)
 昨年に続く、対馬の宗教芸能シリーズの第二回である。
 対馬総宮司職の藤家と法者頭の蔵瀬家。
 両者は対立関係にあったのか。吉田神道の支配を受けず、独自の対馬神道を形成した両家の古文書と対馬藩の藩政資料の解読により、これまで不明であった、対馬の神人の実態に迫る報告。
 新資料の発掘と解読により、対馬の神楽の内実が次第に浮き彫りとなってきた。第三回の報告が待たれる。

 ――第四回 二月二日(土)

 「伝統音楽と声――三味線と歌によるレクチュア・コンサート」
 出演:歌・語り・三味線=高田和子氏
 助演:「玉手箱」歌・筝=佐久間景子氏、
     笙=豊 明日美氏
 ゲスト:お話・歌・打楽器=港 大尋氏
 日本の伝統楽器の代表格である三味線。古来より歌の伴奏楽器として活躍してきたが、一部では筝曲など、弾き歌いの形式をとるジャンルがあった。

 伝統の世界に筝曲から入り、現在は古典を踏まえ、三味線による現代の弾き歌いを追求し、「狐」(テクスト=山本ひろ子、作曲=高橋悠治)を通じ、山本ひろ子との協働を行なった三味線奏者・高田和子が、ジャンルを越えた声を駆使して伝統楽器と声の変遷を探るコンサート。研究会にとって新しい試みといえる。

 ――第五回 三月一六日(土)

 「王の舞〜声と音の芸能史」
 報告:橋本裕之(千葉大学)
 コメンテーター:小島裕子(本学非常勤講師)
 鳥兜に鼻高面で舞う「王の舞」は、中世前期を代表する芸能の一つで、現在でも広い地域に分布している。

 そもそも、王の舞は特異な声を伴っており、「王の舞」という名称自体がそうした声に由来していたとしたら……。声に託された象徴の効果についても考察した。

(山本ひろ子)


 

  グローバル・マネジメント研究会

 グローバル・マネジメント研究会では海外進出日系企業における現地人ホワイトカラーの育成を研究テーマとしており、本年度はアジアにおける日系企業の人材育成を取り上げることとした。その理由は近年アジア諸国への日本企業の進出は激増しており、それに伴いアジア日系企業では、現地従業員の育成の重要性に対する認識が深まりつつある。しかし、アジア現地日系企業の日本人管理職は人材育成の重要性は認識しつつも、現地事情に精通していないこともあり、日本における人材育成をアレンジして行っているのが一般的である。したがってアジア現地に適応した人材育成システムを創造することが日本側・現地側双方にとって急務となっている。そこで本研究グループでは、まず在アジア日系企業が現地でどのような人材育成システムを取っているかをアンケート調査とヒアリング調査で明らかにすることにした。

 四月〜七月はアンケート票を作成するために研究会を毎月開催し、アジア日系企業における人材育成システムについての問題点を討議・検討した。また、二〇〇二年春のヒアリング調査に向け、二〇〇一年八月に上海の日系企業(エレベーター製造メーカーと銀行)に対してプレ・ヒアリングを行なった。

 九月〜一月においては研究会での検討とプレ・ヒアリングにより『アジアにおける日本企業の現地コア人材に関する調査』を行なうことに決定し、アンケート票を作成した。

 二〇〇二年二月に東南アジア三カ国(シンガポール、マレーシア、タイ)の日系企業三〇〇社にアンケート票を送付し、三月五日までに七〇社から回答があった。回答のあった七〇社のうちの一〇社(シンガポール五社、マレーシア三社、タイ二社〉に対して、三月二五日から四月二日まで特別研究員の谷内篤博氏と鈴木の二名でヒアリング調査を行なった。シンガポールとタイでは現地企業に対してもヒアリングを行なった。なお、二〇〇二年度は中国において調査を行なう予定である。

(鈴木岩行)


 

  経済学教育研究会

 近年の経済学部経済学科新入生の学力低下(基礎学力の貧弱さ)や、経済学を勉強する上での動機の希薄さはまことに憂慮すべき事態です。しかしながら、そういった学生が今後も継続的に入学してくることもまた明白です。われわれはこのような事態を直視し、経済学の基礎訓練や経済学を学ぶ動機をどのように高めていくかべきかについて考えざるを得ない、というところからこの研究会は発足しました。

 経済学科も他学部他学科と同様に、開学以来プロゼミナールで新入生に経済学を勉強していく上での動機付けを与え、経済学へのオリエンテーションを行なってきました。しかしながら、初学者(新入生)に経済学の基礎のどれだけを、如何に効果的に教えるかという方法論はあまり考慮されていなかったように思われます。なぜならば、学びたい者は学べばいいというのが一般的な風潮であったと考えられるし、特に和光大学においては学生を大人として扱い自発的に勉強させるべきだ、と考えられていたからのように思われます。またそれでも大学、特に経済学科はさして危機感を感じるものでもありませんでした。それはバブルのころには受験生が殺到し、経済学または経済学科への需要は十分にあると考えられていたからです。

 しかしながら、少子化などによる今後の大学の(存続に関わる)危機的な状況を考えれば、(経済学科では)経済学の教育法について十分吟味する必要があります。受験生の減少とともに、入試方法の多様化によって学生の基礎学力のレベルに大きなバラツキが生じている現実を考えると、今後の経済学科の新入生に、経済学の基礎のどれだけのことを、如何に教えるかということを改めて考える必要がある、というのが本研究会発足の主要なテーマです。今年度は二度の合宿研修を含め、総計六回の研究会を実施し、以下のような研究活動を行ないました。

 今年度は経済学科の「ミクロ経済学」と「マクロ経済学」の授業を利用して、

 一、経済学の基礎として、どれだけのことを教えるべきか、

 二、いかに効率よく教えるか、

 三、授業のスタイル、内容についてはどうあるべきか、

 などの点について考えました。

 経済学科の「ミクロ経済学」と「マクロ経済学」は一年次の必修科目であり、経済学の基礎科目であるという点でわれわれのテーマにとって最適であると考えました。両科目ともに、毎週宿題を出しました。両科目とも前期八回、後期一〇回で合計一八回です。試験は前期末試験と後期末試験の二回、他に「ミクロ経済学」で一回、「マクロ経済学」で二回の小テストを行ないました。両科目とも宿題のテーマはその日の授業の復習です。翌週の授業開始前に宿題を提出させ、授業の前半で宿題の解説をします。その後、授業の後半の内容を再び宿題として出し、翌週の授業の前に提出させます(宿題を毎週提出させるために宿題のプリントは二部ずつ配布します。実際にはB4の用紙に両面印刷し、真ん中で切って二部にします。一部は宿題としての提出用、もう一部は各自の保存用です。なぜそのような方法をとるかといえば、二百数十人以上の受講生の宿題を採点して返却するのが不可能だからです。両科目で一八回掛ける二〇〇人としても、膨大な数量になります。前期末試験、学年末試験の採点と返却だけでも大変な重労働です)。

 以上のような宿題の提出と、複数回の試験の結果から、いくつかのことが判明しました。

 一、宿題の提出回数と最終成績の相関関係は非常に高い。毎回宿題を提出している学生はよい成績を得ています。ところが、毎回宿題を提出しているにもかかわらず、成績が芳しくない学生も若干います。これは授業内容の理解が不足しているか、または宿題だけを出席代わりに提出しているだけの学生のように見えます。

 二、宿題をほとんど提出していないにもかかわらず、成績がいい学生もわずかながらいます。授業にでて経済学の学習をするのではなく、独自に勉強しているといえるのでしょうか(または試験の時に、頼りになる友人が隣にいたとか)。

 上記のような経験から導かれるのは以下のようなことです。

 一、毎回与えられる宿題のように、授業内容の復習を目的とする教材は学習の理解を深める上で有効である。

 二、クラスの学生数が二〇〇人以上というのは大きすぎる。

 三、通年の授業は緩慢になるので、半期ごとに授業が完結する方式(セメスター制の導入)を考える必要がある。

 四、授業時間以外に、授業の内容や宿題について自由に質問できる環境が必要である。

 次年度は以上のような点をふまえて、経済学科の他の専門科目を利用し、それと同時に他大学の情報なども参考にしてさらに研究を充実させていきたいと考えています。

(山田 久)


 

  民族と言語教育

 本研究会は「アジアの教育―研究と交流」研究会を受けついだものであるが、前研究会と本研究会の成果をまとめて、『東西南北』別冊として「アジアの教育――その変貌と未来」(和光大学総合文化研究所年報『東西南北・別冊02』二〇〇一年一二月一日発行、一二八頁)をまとめた。今年度はその作業を中心として動いた。今年度を以てこの研究会は一休みする。

(奥平康輝)


 

  インターネット・ピース・ジャーナリズム研究会

 本研究会は前年度の「平和の文化研究会」を受け継いだものである。本研究会の二〇〇一年度の課題は、すでに立ち上がっている平和の文化ニュースネットワークのサイトであるCPNNに関するアクションリサーチである。

 平和と非暴力の国際一〇年に向けて、CPNNという構想がある。「CPNNは、ユネスコとその平和パートナーが行うプロジェクトである。平和の文化と非暴力の文化に関する地域の活動、およびメディアの動向の情報を、インターネットによって広げることを目的としている。」とあるように、これは新しいジャーナリズムである。ホームページを開いてそこに誰でも投稿できるようにする。その投稿したものを、モデレータと呼ばれる、あらかじめ訓練を受けた編集者がこれを編集する。「私の平和宣言」に基づいた、八つの項目のキー概念のどれにあたるかという判断を投稿者と編集者がお互いに共有しながら、平和のニュースやメディアかどうかということを判断していく。したがって、民主主義的であり、双方向的であり、インフラがあればという条件付だけれども、非常に安くできるメディアでもある。

 すでに、英語版はメルボルン大学の国際紛争解決研究所において作られている。ユネスコの公用語である六カ国語のサイトもできている。本プロジェクトは日本語による七番目のサイトである。二〇〇〇年にCPNNが日本で立ちあがるのに多くの時間を要し、またそれを継続するという課題があった。

 そのために本年は国内で四回のモデレータワークショップを行なった。また、一〇月にはオーストラリアにトレーナーのトレーニングワークショップに会員が参加することができた。また、第一期のウェブデザインから、第二期へのウェブデザインに変更することができた。二名がCPNNについてのアクションリサーチをもちいた卒業論文を完成することができた。埼玉の平和のための戦争展に参加してCPNNを普及した。

 このように、今年度の活動は、CPNNを運用することに主な努力を行なってきた。来年度は、継続して和光大学の学生が中心となってさらにCPNNを発展させることが課題となる。

(伊藤武彦)


 

  青年期健康指標研究会

 二〇〇一年度は、「青年期にある男女一般大学生と運動部に所属する男女大学生の体組成と骨密度の関係」を研究テーマとした。

 正木らによる、「子どものからだ報告書」では、保育者、教員の実感として、「なんでもない骨折」「ちょっとしたことで骨折」ということが「最近増えている」という項目の回答率は、一九七八年に小学校一九%、中学校二六%、高等学校二一%であった。しかし、一九九〇年は小学校五八・四%、中学校六一・四%、高等学校五五・七%と急増、一九九五年には小学校五五・二%、中学校六三・六%、高等学校四三・九%となっている。この調査はあくまで実感を調査したもので、実態とはいえないが、子どもたちと日々接している回答者の実感として無視できないデータであり、青年期にある大学生への影響も考えられる。

 今年度の研究は、青年期にある男女一般大学生と運動部に所属する男女大学生を対象としてこの時期の骨密度の特徴とそれに影響する要因について検討することを目的に調査を実施した。

 ――研究方法

 A、対象
 本研究の被験者は、継続的な運動経験のない大学生一一〇名(男性六〇名 女性五〇名)と、スポーツ選手[スケート選手(男性五名 女性九名)、空手選手(男性一七名 女性一四名)、野球選手(男性二九名)]の七四名(男性五一名 女性二三名)、の計一八四名(男性一一一名 女性七三名)である。年齢の平均値は一九・五一歳 ± 四歳(一五歳〜二三歳)であり、スポーツの継続的経験がない学生を一般女性群(n=五〇)、一般男性群(n=六〇)、スポーツを継続的に行っているスケートの男性、女性、空手の男性、女性、野球の男性を合わせて、スポーツ女性群(n=二三)、スポーツ男性群(n=五一)、の四つのカテゴリーに分類した。

 B、測定項目および測定方法
 測定項目は、身長、体重、骨密度、体組成、脚伸展パワー、アンケートとした。

 一、体組成
 体重、体脂肪率、脂肪量、除脂肪量、およびBMIは、タニタ社製のPBF110を用いて体内脂肪量測定などを行なった。

 二、脚伸展パワー
 ジャンプ高、ジャンプ力、及び最大ジャンプ力はバイン社製のジャンピングプロセッサー2を用い、装置の上で四回ジャンプを実施させ、その時のジャンプによる高さ、ジャンプ時の最大筋力とその平均を計測した。

 三、骨密度
 骨密度はX線被爆がなく、簡便で単位時間当たり多くの測定を行なえるという点で、超音波法を採用した。ALOKA社の超音波骨評価装置(AOS―100)は踵に超音波を放射し、透過した超音波の音速(Speed of Sound:SOS)と踵骨部分を透過した超音波の透過指標(Transmission Index:TI)を計測し、このSOSとTIの演算から音響的骨評価値OSI(Osteo Sono Assessment Index)が算出される。

 この装置は、電離放射線を発生せず、乾式であることから、五秒以下と短時間での測定が可能である(他の装置では、三分以上の測定時間を要し、水槽内に水を供給する必要があり再現性(CV値)が悪い)。

 また、本体重量一六と軽量であり持ち運びが可能である。これにより右脚踵骨の骨密度を計測した。

 ――体組成および骨密度における運動歴と性差の比較

 *身長は、スポーツ男性群(一七三・一 ± 五・二六)、一般男性群(一七〇・七 ± 四・七三)、スポーツ女性群(一五九・三 ± 五・三一)、一般女性群(一五八・〇 ± 四・五五)の順で男性群と女性群の間に有意な差がみられた。

 *体重は、スポーツ男性群(六九・八 ± 八・九七)、一般男性群(六二・七 ± 九・三四)、スポーツ女性群(五八・三 ± 五・五八)、一般女性群(四九・六 ± 六・三八)の順で、スポーツ男性群とスポーツ女性群、またスポーツ男性群と一般女性群の間に有意な差が見られた。

 *体脂肪率はスポーツ男性群(一一・〇% ± 二・五二)が有意に低く、ついで一般男性群(一七・五% ± 六・六九)、スポーツ女性群(二〇・七% ± 四・八九)、一般女性群(二三・三% ± 四・七一)の順であった。一般男性群は一般女性群に比べ、有意に低かったが、一般男性群とスポーツ女性群には有意な差はみられなかった。

 *脂肪量は、スポーツ男性群(七・九 ± 二・八六)がスポーツ女性群(一二・二 ± 三・五六)、一般男性群(一一・五 ± 六・五一)、一般女性群(一二・〇 ± 四・四五)の三群に比べ、有意に低かった。また、三群間には有意な差はみられなかった。

 *除脂肪量はスポーツ男性群(六一・八 ± 六・三六)、一般男性群(五一・二 ± 五・〇二)、スポーツ女性群(四六・〇 ± 三・九八)、一般女性群(三七・八 ± 三・一八)、の順にそれぞれ優位な差が見られた。

 *BMIはスポーツ男性群(二三・二 ± 二・四九)と一般男性群(二一・五 ± 三・一八)の間に有意な差がみられた。スポーツ女性群(二二・九 ± 一・七六)はスポーツ男性群より低く、一般男性群より高かったが、有意な差ではなかった。また、一般女性群(一九・八 ± 二・三〇)はほかの三群に比べ、有意に低かった。

 *ジャンプ高は一般女性群(二五・二 ± 五・二九)が、一般男性群(三五・九 ± 九・一一)、スポーツ女性群(三二・八 ± 四・五四)、スポーツ男性群(三五・四 ± 七・八三)の三群に比べ有意に低かった他は有意な差は見られなかった。

 *ジャンプ力はスポーツ男性群(三一・九 ± 一〇・七)がスポーツ女性群(二七・二 ± 五・五五)、一般男性群(二三・七 ± 三・七五)、一般女性群(一九・〇 ± 三・八八)に比べ有意に高く、スポーツ女性群と一般男性群の間に有意差は見られなかったが、スポーツ女性群のほうが高かった。一般女性群は他の三群に比べ有意に低かった。

 *骨密度はスポーツ男性群(三・四六〇三 ± 〇・四四二)、スポーツ女性群(三・二二五八 ± 〇・三一五)、一般男性群(二・九四五〇 ± 〇・三二六)、一般女性群(二・七三六九 ± 〇・三二〇)の順で高く、スポーツ男性群とスポーツ女性群の間に有意差はみられなかったが、その他の群の間にはそれぞれ有意な差がみられた。

(矢田 秀昭)