特集◎モンゴル―シャマニズムの世界から

モンゴル帝国時代における

ハーンたちの世界観について

 

ソーハン・ゲレルト ・早稲田大学モンゴル研究所客員研究員
――はじめに

 モンゴル帝国の拡大問題は、モンゴル史研究における一つの重要なテーマとして、従来から研究者たちの興味を集めてきました。先行研究を見ると、モンゴル帝国の拡大は、モンゴルのハーンたちが世界を支配し、膨大な物資を手に入れることを欲した、際限のない欲望によると見なす見解が多くの研究者たちによって唱えられています。この見解は、単に問題の一面を指摘したに過ぎないのであり、ハーンたちの世界観や王権の問題を真剣に考慮した上で述べられた意見とは言えないと思います。そこで私は、チンギス・ハーンをはじめ、モンゴル帝国時代におけるハーンたちが、ユーラシア諸地域を征服する過程においていかなる世界観を示していたのかという問題について、シャマニズム的観念の側面から検討し、私見を述べさせていただきたいと思います。


 ――服属の呼びかけ

 モンゴル帝国時代におけるハーンたちは、数多くの対外文書を発送していました。文書には、宛先の国々の服属を求める内容がいろいろなレベルで示されていますが、中にはもっぱら相手方の服属を呼びかける内容のいわゆる服属呼びかけの文書も含まれています。このような対外文書は、モンゴル帝国時代初期における歴代ハーンや高官たちの発令に基づくものであり、彼らの世界観を暗示する貴重な情報をかなり内包しております。

 まず、対外文書の中から典型的な一例として、モンゴル帝国の首都ハラホルムを訪れた修道士ルブルクが一二五四年七月に帰国する際、当時の大ハーンであったムンケ・ハーンからフランス王ルイ九世にあてた服属呼びかけの文書を紹介しましょう。  

 

 この文書は、従来、一通の書簡と考えられていましたが、現在、チンギス・ハーンの命(A)とムンケ・ハーンの命(B)による二通の書簡からなると見なされるようになってきました。[注2]そこで、チンギス・ハーンも、ムンケ・ハーンも神、永遠なる神、神の子などの超自然的な存在を格別に強調していたことがわかります。ここで、少し説明させていただきたいのは、この場合の神、永遠なる神、神の子は、モンゴル語におけるテングリ(Tengri)、ムンケ・テングリ(Mönke tengri)、テングリイン・クベグン(Tengri-yin köbegün)などの言葉がラテン語に訳され、ラテン語から英語に訳され、英語から日本語に訳された重訳であるということです。テングリが、字面の意味において漢語の天と一致するので、テングリは天、ムンケ・テングリはとこしえの天、テングリイン・クベグンは天の子あるいは天子と日本語に直訳される場合もあります。テングリをどのように理解すれば、適切であろうかについては、後で話しますが、話を戻すと、モンゴルのハーンたちは一致してテングリなどを強調していたことが、次の諸史料からも確認されます。

 一二二一年頃、チンギス・ハーンがモスールのアタベクらに対し、モンゴル軍の領内通過を認めさせるために送ろうとした書簡には「神は、我らに地上の帝国を授けた。服属して我らの軍隊を通過させる者は、その国家・家族・財産を維持することができよう」と書かれています。

 オゴダイ・ハーンの時代(一二三〇年代)にロシアで用いられた文書には「天上には神とその子、地上にはChiar Khan」と記されています(Chiar Khan はチンギス・ハーンを指しているのではないかと推察されています)。

 一二三一年に高麗に届けられた文書には「天底氣力、天道將來底言語、所得不秋底人、有眼瞎了、有手没了、有脚子瘸了。聖旨、差撒里打火里赤軍去者、問儞毎待投拜・待廝殺」と記されています。

 グユク・ハーンのローマ教皇あて返書には「神の力により、日の昇るところから日の沈むところまで、全領域は我らに付与されたのであり、我らはそれを保持している」と記されています。

 一二四〇年、西アジアのマイヤーアファリキーンに届けた文書には「天の君主の地上における代官たるハーン」と書かれています。

 一二四〇年頃、ハンガリー国王にあてた文書の冒頭には「我がハーンは、天上の君主からの使者であり、〔天上の君主は〕我に対して従う者を嘉し、逆らう者を下すべく、地上の権を付与した」と書かれています。

 一二五八年、フラグのカリフあて文書には「とこしえの神は、チンギス・ハーンとその一族を選び出し、全地上、東から西までを我らに授けた。心と言葉により服属の誠意を我らに示した者は、何人でも、財産も妻子も命も維持される」と書かれています。

 このように、チンギス・ハーンをはじめ、モンゴルのハーンたちは、テングリの存在を強調し、自らをテングリの子・テングリの使者・テングリの代理人と称し、自らの発した命令をテングリの命と権威付けていたのです。自らをテングリと結び付けて神格化したことは、モンゴルのハーンたちが対外文書において外国の服属を、次のように強調する理由の前提となっています。  

 しかし、モンゴルのハーンたちが自らをテングリの子・テングリの使者・テングリの代理人と宣伝したことは、いかなる観念に由来するのでしょうか。先行研究を見ると、その源流を中国流の天子に求める場合が非常に多かったのです。この見解は、テングリとは具体的に何か、という重要な問題についてシャマニズム的観念の側面から深く検討せず、大まかに天と理解し、その由来を中国の天命思想に求めたことと関係すると思います。したがって、テングリとは何かを、まず分析する必要があります。


 ――テングリの概念

 Jean-Paul Roux 氏は、テングリという言葉について次のように述べています。  

 では、北アジア騎馬遊牧民族の間で、テングリという言葉がいつ頃から使われたのでしょうか。文献資料によると、この言葉は、匈奴の時代から使われてきたことが確認されます。つまり、匈奴の時代にはテングリという言葉が漢文史料に「撐犂(とうり)」と表記されていました。そして、テュルクは Tenggeri、古代ウイグルはTänri、モンゴルは Tengri、Tenggeri と表記しますが、テングリを一つの信仰対象として考えた場合、その由来や伝播に関する議論は、一層活発になります。現在のところ、次のような相反する二つの意見が唱えられています。  

 Aは、古代中華文明を中心と考え、周辺民族の文化的現象の根源をその中心に求める伝播主義的な考え方に基づく意見です。研究資料の蓄積と比較研究の成果によって自然界の物質的な天を天の神と見なすことは、古代中国および周辺諸民族のみに限定される独特の観念ではなかったことが徐々に認められるようになってきました。実際、Aの見解を証明する具体的な証拠は、皆無に等しいと言っても決して過言ではありません。

 Bは、次のような根拠に基づく意見です。

 ①古代中国の火神・火正である重黎(diung li)を匈奴の撐犂の音訳であるとし、天という漢字の tien は tengri が単綴音化した産物である。

 ②日本のタカマガハラ(高天原)とテングリとの語の上での結びつきの可能性が十分考えられる。

 ③ポリネシアのタナガロアもテングリという言葉に由来する。

 これらの根拠にも多くの問題点が認められると思います。故に、AとBのどちらの意見もテングリにまつわる宗教的概念を真剣に吟味した上で導かれた見解ではなかったと、私は考えています。

 私は、テングリという言葉を北アジア騎馬遊牧民族の間で絶えることなく継承・存続させたのは、同一の自然環境に根差したシャマニズムとそのシャマニズムに伴う世界観だと考えています。なぜならば、この言葉は神と神の居住する世界の二つの概念を表してきたからです。

 テングリという言葉には、神の概念があることは明らかです。だが、モンゴル帝国時代の対外文書に、たびたび用いられる「天上には神」や「天の君主」などの表現に注目し、この神と君主がテングリに対応するとすれば、天上と天は何かという問題が生じます。

 文献資料に基づくと、テングリという言葉には匈奴の時代から二つの概念が含まれてきたことがわかります。例えば、匈奴はテングリ(撐犂)をどのように考えていたのかに関して「単于(ぜんう)天降」と「天所立匈奴大単于」だけの史料から確認できます。単于は、匈奴の皇帝・ハーンのような存在でありますが、「単于天降」には単于が天より降ってきたと記されておりまして、この場合の天は明らかに神ではなく、神の居住する世界すなわち天上界を指しています。そして、「天所立匈奴大単于」には天が単于を立てたと記されていますから、この場合の天は天上界ではなく、神を示していると理解されます。

 匈奴以後、テュルクやウイグルなどの騎馬遊牧民族もテングリという言葉を神と天上界の二つの概念で使っていたことが文献資料によって確認されます。そして、モンゴルはテングリという言葉を同じ二つの概念で今まで使っています。例えば、先の「天上には神」という表現に、テングリに含まれる二つの概念がそのまま反映されていると思います。ですから、神の概念で用いられるテングリを天の神あるいは天神と理解した方が適切であろうと思います。

 モンゴル人は、現在も社会的に尊敬される人物が亡くなると、Tengri-düγarba あるいは Tengri bolba と言います。前者は、テングリに昇ったすなわち天上界に昇った、後者はテングリになったすなわち天神になったという意味を示しています。歴史的に見ると、チンギス・ハーンの亡くなったことが『モンゴル秘史』に「天上界に昇った」(Tenggeri-tür qarba)と表現されています。[注4]故に、北アジア騎馬遊牧民族の間で使われてきたテングリという言葉を単に天神と理解するだけでは不十分であり、天上界の概念も含まれていることに注意を払わなければならないと思います。

 では、テングリという言葉に内包されるこの二つの概念は、具体的にいかなる観念の上に成り立っているのでしょうか。私は、その土台には宇宙を重層的に天上界・地上界・地下界の三つの世界に分けて考えるシャーマニズム的な宇宙三界観があると考えています。宇宙三界観とは何かを見てみましょう。

 

 ――宇宙三界観

 宇宙が三つの世界に分けられたことに関する神話は、中央アジア、北アジア、東北アジアのシャマニズムを信仰する諸族の間で数多く伝えられています。その中からラドロフ氏が記録した、トルコ系諸族の間で伝えられる次のような興味深い宇宙創造神話を、典型的な一例として紹介させていただきたいと思います。

 

 この天とか地とかが創造される前には、一切が水であつてそこには天もなければ地も存在しなかつた。その時神々の中で最高の神であり、総ての存在の創めであり、人類種族の父であり母であるテンゲレ・カイラ・カン(Tengere Kaira Kan)が現われ、先づ自分と同一の形態を造つた、それが人であると言ふのである。所がその人と、カイラ・カンとが水上を恰も二羽の黒い鵞鳥のやうに静かに飛行してゐた。けれどもこの人はこの幸福の静けさに満足出来なく、是非とも私かにカイラ・カンよりも「より高く」飛ばうという野心を起した。このことは早くもカイラ・カンの知る所となり、人は飛行力を奪われ底知れぬ水中深く奈落のドン底に転落し、将に溺死せんばかりとなつた。瀕死の人はその危急を救ふべくテンゲレ・カイラ・カンを呼んだ。そこでカイラ・カンは奈落から人に上つて来るやうにと命令を下した。斯くて暫く助かり人は再度浮かび上つて来る事が出来た。人は、既に飛ぶ能力を奪われてゐるからその侭にして置けば、又沈んで死んで了はねばならない。茲に於てカイラ・カンは大洋から一つの艫を取り上げさせて、人をしてその上に座さしめ、以て溺死の危険を保護した。

 何時迄も斯うして置けぬ事故、飛ぶ事の出来ない人の為にカイラ・カンはその乗るべき大地を造つてやらうと思つた。人に命じて水中深く潜行して以て大地を持ち来るべき旨を伝へたので人は大地を水面に持ち上げたのである。これ即ち最初に出来たカイラ・カンの造つた大地でその表面は滑かな平坦なものであつた。カイラ・カンはこの大地が浮流するを恐れ、先づ三尾の巨大な魚を造りその背にこの大地を着けて置いた。所が人が先きにカイラ・カンの命を奉じて水中から大地を持ち上げる時に、私かに自分の為に国を造らうと思ひ、内緒で地の一部分を口の中に頬張り知らぬ顔をして居る。〔…中略…〕カイラ・カンの造つた国は滑かに平坦なるに反し、人の口から吐き出された地面は、でこぼこで四方に向つて突出し、全地域、沼や丘で蔽はれてゐた。

 カイラ・カンもこの人の仕打を見て大いに激怒し、これをヱルリツク(Erlick)と名付けて光の国から放逐して暗の国へやつて了つた。〔…中略…〕そこでカイラ・カンは新造の大地の上に人数を殖やす必要を感じ、他の新な人を造らねばならなかつた。〔…中略…〕先にこの世を追われ暗の国に放たれたるヱルリツクは世界の新住民なる人間を見、彼等が皆美しく且つ善良なることを知るや、カイラ・カンに頼むにこれ等の人間を自分に賜らんことを以てしたので、カイラ・カンはこの贈物をする事を拒絶した。そこでヱルリツクは、この贈物を悪魔のもとへ遣はし、暴力を以て引掴むことを知つた。然し、カイラ・カンは斯くも容易にヱルリツクに瞞着された愚かな人間に就いては別に怒らなかつた。そして爾今人間種族については勝手にさせて置く事に決め、一方ヱルリツクを新人間の為に呪ひ且つ破門して地下の暗の国の第三階層へ追放した。

 カイラ・カンは又彼自身の為に十七層を作り多くの眷属と共にこれに住し、自分は天の最高層第十七界層に留まり、そこから世界を支配した。ヱルリツクは美しい天層界を見、大いに羨ましくなり又も野望を抱き、自分も一つの天国を造らんものと思ひ、その天国の出来た暁にはカイラ・カンの許を得た上で、下部の悪霊共を住まはせやうと決心した。その悪霊たるや嘗つてヱルリツクによつて墜落させられたもので今ではカイラ・カンにより造られたる世界の人間より楽に生活して居る連中である。〔後略…〕[注5]

 

 これと酷似する宇宙創造神話は、モンゴルや満州などの諸族にもありますが、時間の関係で省略させていただきます。

 この神話に述べられている、至上神テンゲレ・カイラ・カン(モンゴル語ではテングリ・ハイラハンとされます)と悪魔ヱルリツク(モンゴル語ではエルリクとされます)と人間それぞれの居住する世界、そしてその相互関係を図式化すると、図1のような構造になろうと思います。

図 1
 図1の図式には、神話に述べられている内容が簡潔に反映されていると思います。最も重要なのは、宇宙三界観はトルコ系諸族だけではなく、中央アジア、北アジア、東北アジア諸族のシャマニズム的世界観においても重視すべき意義を持つということです。

 ハウエルズ氏は、次のような資料を伝えています。  

 ハウエルズ氏は、このような宇宙三界観を北東アジア諸族共通の世界観だと位置付けています。ハウエルズ氏の提供するこの資料は、ラドロフ氏の伝える神話の主旨と基本的に一致しています。ですから、このような世界観は、中央アジアから北東アジアまでの諸族に広く認められると考えても差し支えないと思います。

 清朝時代の稗類(野史)を集めた『清稗類鈔』にも宇宙三界観に関する次のような記事が記されています。  

 また、長谷川兼太郎氏は、一九四一年より以前、現在の内モンゴル自治区ナイマン旗を巡廻している際、シャマンの「疾病救治の祈祷」に接し、その祈祷すなわち神歌の序文には次のような資料が記されていることを伝えています。  

 この資料は、『清稗類鈔』の資料とほぼ同じ内容のものと思われます。

 時間の関係で、宇宙三界観に関する資料の紹介をここまでにさせていただきます。勿論、広く世界中に見られる宇宙三界観を中央アジア、北アジア、東北アジア諸族のシャマニズムだけに局限される観念と見なす必要はありません。とはいえ、北アジア騎馬遊牧民族におけるシャマニズムの主流は、宇宙三界観を基盤としているので、彼らの世界観の根底には宇宙三界観が横たわっていると考える必要があります。ですから、彼らの精神世界の側面から見ると、宇宙三界観は、決して宇宙を漠然と三つの世界に分けただけの空想ではなかった筈です。

 善と悪は、どの宗教にも認められる対極の概念であり、保護と破壊、幸福と災難を象徴します。このような二元論の由来に関する解釈は、民族や宗教によって異なります。シャマニズムを信仰する北アジア騎馬遊牧民族は、それを宇宙三界観によって解釈してきたと思います。

 例えば、モンゴル人は、善なるものは天神の世界(Tengri-yin orun)すなわち天上界より、悪なるものは悪魔の世界(Erlig-ü orun)すなわち地下界よりやってくると考え、そして黄金の世界(Altan delekei)すなわち地上界における保護と破壊、幸福と災害は、それぞれが天神(善霊)と悪魔(悪霊)によってもたらされると信じていました。この考え方を図式化すると、図2のような構造となります。

図 2
 この考え方は、先ほど紹介したトルコ系諸族の宇宙創造神話と酷似しています。宇宙三界観が、北アジア騎馬遊牧民族に認められる共通の世界観の土台となっていることを考慮すると、モンゴル語とトルコ語におけるテングリ(Tengri)とエルリク(Erlig)という言葉の一致は、全く不思議なことではありません。

 このように考えると、テングリという言葉に含まれる天神と天上界の概念は、宇宙三界観の上に成り立ち、それによって支えられているということが明らかだと思います。ですから、天上界のない天神もなければ、天神のない天上界も存在しないという相関関係で結ばれたこの二つの概念は、北アジア騎馬遊牧民族の間でテングリという言葉だけによって伝えられてきたのではなく、彼らの世界観とも言える宇宙三界観と共に継承されてきたと考えるべきだと思われます。

 これから神の子すなわちテングリの子に関する話に移りたいと思います。この話を、天神と悪魔の地上界の人間に与える影響に関するさらなる説明を付け加えながら進めていきたいと思います。

 さて、モンゴル帝国時代のハーンたちはなぜ、自らをテングリの子と称していたのでしょうか。


――テングリの子

 モンゴルのテングリの子という概念についても、その由来を中国の天子に求める意見が従来から唱えられてきました。例えば、ラケウィルツ氏は、チンギス・ハーンは耶律楚材を仲立ちとして中国流の天子なり、天命なりの考えを受け入れ、モンゴル国家の統治を正統化し強化したと考えています。この見解を支持する研究者もいますが、仮にラケウィルツ氏の言うとおりであったとすれば、テングリという言葉が匈奴の時代からモンゴルまで使われてきたこと、匈奴の単于やテュルクとウイグルのハーンたちも自らをテングリの子と考えていたことなどをどのように解釈すべきでしょうか。また、モンゴルのハーンたちが、相当後の時代に至るまで仏教、道教、キリスト、イスラムの教徒を「告天人」すなわちシャマンと考え、[注9] 彼らを天神に祈らせていたのはなぜでしょうか。

 私は、北アジア騎馬遊牧民の間で、テングリという言葉が匈奴の時代からモンゴルまで天上界と天神の意味で使われてきたことと同様に、テングリの子も彼らのシャマニズム的な宇宙三界観と密接に関係する概念であったと思います。

 先ほど話したように、宇宙三界観によると、地上界における保護と破壊、幸福と災害は、それぞれが天神と悪魔によってもたらされ、普通の人間には自分の運命さえ掌る能力がないと信じられていますが、天神と悪魔は、具体的にどのようにして地上界に影響を与えると信じられているのでしょうか。神話や英雄叙事詩などの現存資料から適切な答を得ることができます。

 神話や英雄叙事詩などの資料によると、天神と悪魔のいずれも三つの世界を貫く通路を使って地上界に影響を与えると考えられています。例えば、三つの世界を示したシャマン太鼓の模様には、その通路が図3のようにはっきりと描かれています。

図 3
 モンゴルの英雄叙事詩や最初のシャマン誕生神話などに基づくと、悪霊と悪魔は自ら地上界に上がってきて人びとに災害をもたらし、人間社会を破壊するとされています。一方、天神は自ら地上界に降ってくることなく、使者を派遣することによって悪魔のもたらす災害をなくし、人びとの幸せな生活を保障すると信じられています。

 天神の派遣する使者には、英雄とシャマンの二種類がいます。英雄は、天神の派遣した霊的存在と人間の女との間から生まれた者、あるいは霊的存在が人間の女の胎内に入り込んでから生まれ変わった者のいずれかです。最初のシャマンも一般的に英雄と同様に誕生すると考えられていますが、天神に直接派遣される特例も見られます。例えば、次のブリヤードの最初のシャマン誕生神話にはシャマンの誕生に関する二つの類型が示されています。  

 この神話には、天神は最初のシャマンを地上界に派遣し、後に人間に生ませた経緯とその目的がはっきりと述べられています。だが、この神話に見られる天神に関する善悪の区別は、明らかに宇宙三界観による考え方ではありません。モンゴル系諸族の中でブリヤードのみに著しく見られるこの考え方に関していくつかの見解が唱えられていますが、その中ではペルシャのゾロアスター教の影響を被って成立したものと見なした意見が適切ではないかと思われます。故に、本来ならば西方の善いテングリは天神、東方の悪いテングリは悪魔に相当すると考えられます。

 天神が英雄を地上界に生ませることに関しては、トルコには次のような神話があります。  

 この蒼いオオカミが霊的存在であったことに関しては、後で話します。

 また、モンゴルのジャンガル(Ĵanγar)などの英雄叙事詩によると、ほとんど全ての英雄は、先ほど言ったように誕生すると考えられています。そして、モンゴルの英雄叙事詩に共通する主題は、天神の子とされる英雄は、人間にない体力と知恵の持ち主であり、悪魔と戦い、悪魔を退治し、悪魔のもたらす災害をなくした後、理想的な国を立て、自らハーンとなって人間社会の秩序を保護し、人びとの幸せな生活を保障するということです。

 このような神話や英雄叙事詩などは、宇宙三界観に薫陶された遊牧民たちがシャマンと英雄の誕生を願望した典型的な実例に他ならないと思います。ですから、遊牧民たちはシャマンとハーンを実際にもテングリの子・テングリの使者・テングリの代理人と考えていましたし、シャマンとハーンもまた、シャマニズム的世界観に満ちた遊牧社会の期待に応える役割を果たすため、自らの権威と権力を具現する必要があったと思います。

 シャマンは、宗教的行事を行なうことによって、天神と人間の霊媒たる権威を簡単に示します。ハーンは、シャマンの超能力を利用して自らの権力を強化する場合も珍しくなかったのです。例えば、『モンゴル秘史』やラシード・ウッディーンの『集史』によると、ホルチ・ウスン・エブゲンとテブ・テングリの両シャマンは、チンギス・ハーンが天神に選ばれたハーンであることを個別に伝えたとされています。なぜならば、ハウエルズ氏が伝えるように、シャマンのみ天上界または地下界の領域に行くことができると考えられているからです。また、『集史』にはテブ・テングリに関する次のような記事が記されています。  

 面白いのは、ハーンも天神の指示と支援を自ら受けることができるとされています。例えば、チンギス・ハーンのホラズム遠征軍の進入に際し、ホラーサーンを逃れ、デリーの宮廷に仕えていたジュズジャーニが次のような情報を伝えています。  

 これらの資料は、テングリの子とされるシャマンとハーンの権威・権力を示していると思います。けれども、モンゴルのハーンたちは、他の支配者と同様、出自による権力の正統化を決して忘れていませんでした。では、彼らが自らの出自をどのように宣伝していたのでしょうか。


 ――チンギス・ハーン一族の出自

 モンゴル人自身によって一三世紀に著された『モンゴル秘史』には、チンギス・ハーン一族の族祖神話が図4のように記されています。

図4
 通常、蒼き狼神話と称されてきたこの神話を訳すと、次のような意味となります。  

 研究者たちは、この神話に関して昔より興味を示し、多くの視点から各自の観点を述べてきました。その一つは、蒼き狼とは何かという問題でした。現在のところ、蒼き狼に関する次のようないくつかの意見が唱えられています。

  ①自然界の狼
  ②歴史上の人物
  ③トーテム動物
  ④祖獣あるいは獣祖

 ①の意見は、最初、中国の歴史家たちによって唱えられたと思います。②の意見は、主に内モンゴルの研究者たちに維持されています。この意見の背後には、漢人がモンゴル人の祖先を狼だと歪曲しているから、蒼き狼を歴史上の人物と言い張る必要があるという、ちょっとしたエピソードがあります。そして、③の意見は、蒼き狼を狼そのものと見るには無理があるし、また歴史上の人物と見るのにも有力な史料が存在しないという実情のもとで、トテミズムの側面から唱えられたものです。しかし、この意見を唱えた研究者たちには、研究した研究者の数ほど多くの概念が提唱されていると言われるトテミズムを持ち出したことに関して多少、違和感を感じます。④の意見の根拠は、はっきりしませんが、たぶん神話学研究者たちが、北アジア諸族の族祖神話には獣祖型神話が多いという見解に基づいているのではないかと推測されます。

 思うには、これらの意見を唱えた研究者たちは、蒼き狼神話が何を語っているかという問題を軽視し、蒼き狼とは何かという問題だけにこだわりすぎたのではないでしょうか。チンギス・ハーン一族が蒼き狼に出自を求めたとすれば、蒼き狼神話が彼らの王権にとってそれほど重要な意義を有しないと考えられます。そこで私は、構造主義の立場から蒼き狼神話を分析し、チンギス・ハーン一族の根源を蒼き狼に求めているのか、天神に求めているのか、明らかにしたいのです。

 一般的に、構造とは変換を行なっても不変の属性を示す諸要素と、その諸要素の関係の総体であると言われています。では、蒼き狼神話には、その構造を構成する要素がいくつあるのでしょうか。次のような四つの要素が挙げられると思います。

   要素Ⅰ、天神
   要素Ⅱ、蒼き狼
   要素Ⅲ、淡黄色の牝鹿
   要素Ⅳ、バトチ・ハン
 そして、これらの諸要素は、次のような相互関係を保っていると考えられます。

   天神 → 蒼き狼
         ||→ バトチ・ハン
        淡黄色の牝鹿

 これは、蒼き狼神話の構造であり、要素Ⅰの天神より要素Ⅱの蒼き狼が生まれ、要素Ⅱの蒼き狼が要素Ⅲの淡黄色の牝鹿と「結婚」して、要素Ⅳのバトチ・ハンを生んだという意味を伝えています。すでに紹介したトルコの神話を思い出すと、要素Ⅰに天、要素Ⅱに蒼いオオカミ、要素Ⅲに雌シカ、要素Ⅳに英雄・征服者などがあり、蒼き狼神話と全く同じ、次のような構造を構成しています。

   天 → 蒼いオオカミ
        ||→ 英雄・征服者など
       雌シカ

 四つの要素によって構成されるこのような構造を持つ神話は、これだけにとどまりません。中央アジア、北アジア、東北アジア諸族に多く見られますが、神話そのものを個別に紹介することを避け、四つの要素だけをまとめますと、表1に示されるとおりになります。

表1
 表1から要素Ⅰは、みな天と関係する天神や天上界などであり、要素Ⅳは始祖・最初のシャマン・英雄・支配者などの人間であることが容易に看取できます。そして、要素Ⅱは動物・自然現象・人態化された男女などであり、オスの方が多く見られます。要素Ⅲは、男女・動物・植物などであり、メスの方が多く見られますが、自然現象は一つも見られません。これらの特徴を持つ四つの要素によって構成される神話の構造を図式化すると、次のような形となります。

   要素Ⅰ → 要素Ⅱ
          ||→ 要素Ⅳ
         要素Ⅲ
 この構造を便宜上「基本構造」と称しまして、この基本構造は、次のような主旨を伝えていると考えます。
   要素Ⅰ → 要素Ⅳ
 つまり、要素Ⅳの始祖・最初のシャマン・英雄・支配者たちは、天神の子孫であるということを伝えているのが諸神話の主旨であるということです。そこで、多くの研究者たちを悩ませた蒼き狼神話は、チンギス・ハーン一族の族祖とされるバトチというハン[注15] がテングリの子であることを述べている、と言ってよいでしょう。

 蒼き狼を狼・歴史上の人物・トーテム動物・祖獣あるいは獣祖と見なした先学の意見を無視するわけにはいかないと思いますが、先学の考察に欠如している方法論的な一つの欠点は、蒼き狼神話を次のレベルで理解したところに認められます。

    蒼き狼
    ||→ バトチ・ハン
   淡黄色の牝鹿
 勿論、先学たちは、構造的分析を行なったわけではありませんが、このレベルで蒼き狼神話を考えると、要素Ⅰの天神が欠落してしまい、蒼き狼とは何かという問題に議論の焦点が自然に集まってくると思います。

 構造とは諸要素の関係の総体であることを念頭に入れて、蒼き狼とは実際にいかなる存在だったのかについて考えますと、要素Ⅱの蒼き狼は、要素Ⅰの天神に由来している霊的存在だったと言わざるを得ません。この見方は、蒼き狼を他の神話構造における要素Ⅱと比較することによって、より一層証明されると思います。

 表1に挙げられる諸神話の要素Ⅱを見てみると、蒼き狼は、ただの狼でもなければ、歴史上の人物でもなかったことが一目瞭然です。そして、蒼き狼をトーテム動物と見なすと、他の自然現象・人態化をもトーテムと考えなければなりません。しかし、雹や霰や天の娘などを自分たちのトーテムと信じる人びとは、果たしていたのでしょうか。

 実は、表の第一五番目の要素Ⅱに天界の精霊と記されているように、すべての要素Ⅱは要素Ⅰの天上界より降ってきた霊的存在であったのです。一つだけ例を挙げると、ブリヤートのある神話には次のようなことが述べられています。  

 この神話は、基本構造と一致する構造を持ち、要素Ⅱの雹は、要素Ⅰの西方テングリの一精霊であったと明記されています。ですから、蒼き狼も動物の形を取った霊に他ならないと言えます。

 中央アジア、北アジア、東北アジアのシャマニズムにおいて、霊は動物の形を取ると広く信じられています。例えば、エヴェンキ人の神霊ハニャン(chniyan)再生に関する次の資料は示唆的です。  

 また、シャマンの補助霊も動物の形を取って現れると言われていますが、見てきた資料と分析によって、蒼き狼は動物の形を取った霊であることが証明されたと思いますので、その紹介は省かせていただきます。

 神話にはなぜ、要素Ⅱが必要であったのでしょうか。話が長くなることを避け、簡単に言いますと、この問題も宇宙三界観や霊魂不滅思想と密接に関係しておりまして、神話の信憑性を高めるための一つの操作であったと思われます。

 チンギス・ハーン一族の出自に関する話をまとめると、彼らは自分たちがテングリの子であることを示すため、蒼き狼神話を作り、系譜的にも天神に由来するテングリの子であるということを『モンゴル秘史』に書き留めています。蒼き狼神話は、宇宙三界観を確信する当時のモンゴル人に一種の「真話」として受け入れられ、チンギス・ハーン一族が天神の子どもたち(Tengri-yin k喘eg歸)であると信じさせるのに、大きな役割を果たしてきたに違いないと考えられます。


 ――おわりに

 モンゴルのシャマニズム的観念の立場から見ると、チンギス・ハーンをはじめ、モンゴル帝国時代のハーンたちは、自らをテングリの子・テングリの使者・テングリの代理人と称したのは不思議なことではありません。当時のモンゴル社会に生きる遊牧民たちは、宇宙三界観を信じており、安定した安全な社会生活を維持するために、テングリの子たるシャマンやハーンの存在が実際にも不可欠であったと思います。例えば、元々チンギス・ハーンの父イスゲイ・バートルの支配下にいた諸部族は、イスゲイの亡くなったのち、チンギス・ハーンから離脱して、当時の有名なシャマンであったテブ・テングリのもとに集まりましたが、後に再びチンギス・ハーンの麾下に自ら投降しにきた一例も、いずれかのテングリの子に頼らなければならなかったという当該社会の実情を反映しているのではないかと思われます。この意味においてテングリの子は、まさに遊牧社会が生んだ産物に他ならないと思います。

 そうした遊牧モンゴル社会に高く聳えるハーンも、諸遊牧部族をまとめていくには、自分たちをまるで真のテングリの子であるかのように、広く信じさせなければならなかったと考えます。そのため、系譜で示す、シャマンを利用する、自ら神託・占卜を行なうと同時に、抵抗勢力を害敵として徹底的に滅ぼす、戦利品を平等に分配する、領土を拡大するなどの実質的な活動をも行なう必要があったと思います。ですから、対外文書に見られる「天の君主の地上における代官たるハーン」や「天上には神とその子、地上には Chiar Khan」などの表現は、まさにシャマニズム的宇宙三界観に基づく世界観であったと思います。

 歴史的に見ると、モンゴルのハーンたちは、対外文書に述べたとおり、敵対した者を滅ぼし、服従した者を保護していました。このような実例は、研究者たちによって多く挙げられています。したがって、チンギス・ハーンをはじめ、モンゴルのハーンたちは、他の国々・人びとの服属を呼びかけた背景には、そのような世界観がありまして、それがモンゴル帝国拡大の一因に数えられるのではないかと思います。

 ご清聴、ありがとうございました。

 

 ソーハン ゲレルト
 SUUHAN Gerelt

 中国内モンゴル自治区フルンボイル盟イミン・ソム生まれ。中国中央民族大学卒業。一九九四年来日、早稲田大学大学院文学研究科修士課程入学。二〇〇二年六月、博士(文学)号取得。現在、早稲田大学モンゴル研究所客員研究員、和光大学総合文化研究所特別研究員。

  [注]

 *1 カルピニ・ルブルク(護雅夫・訳)『中央アジア蒙古旅行記』桃源社、一九六五年、287�289頁。

 *2 海老澤哲雄「モンゴル帝国の対外文書をめぐって」『加賀博士退官記念中国文史哲学論集』講談社、一九七九年を参照されたい。

 *3 M・エリアーデ(島田裕巳・訳)『世界宗教史3』筑摩書房、二〇〇〇年、27頁。

 *4 栗林均・确精扎布(編)『『元朝秘史』モンゴル語全単語・語尾索引』東北大学東北アジア研究センター、二〇〇一年、570頁。

 *5 田尻末四郎 「蒙古に於ける土着宗教と農業問題――特に薩瞞教を中心として」『満蒙』、一九三六年四月、41�42頁。

 *6 小口偉一・堀一郎(監修)『宗教学辞典』東京大学出版局、一九七三年、250頁。

 *7 『清稗類鈔』第15冊、64�65頁。

 *8 長谷川兼太郎『満蒙鬼話』長崎書店、一九四一年、258頁。

 *9 胡其德「蒙古碑刻文献所見統治者的宗教観與政策」『蒙元的歴史與文化―蒙元史学術討論会論文集』(下冊)学生書局、二〇〇〇年、685�686頁

 *10 蒲原大作 「契丹古伝説の一解釈」『民族学研究』第47巻第3号、一九八二年、261頁。

 *11 アンリ・グーゴー「序文」、ダニエル・ベルナール(高橋正男・訳)『狼と人間 ヨーロッパ文化の深層』平凡社、一九九一年、10頁。

 *12 Rashīd al-Dīn, Jāmi' al-Tawārīkh., Tehran, 1973/1995, pp.166-167.

 *13 首を縄で巻くシャマニズム的な意味については、ソーハン・ゲレルト「チンギス・ハーン時代のダルハンに関する一考察」『史滴』二四、二〇〇二年を参照されたい。

 *14 Minhāj ibn Sirāj Muhammad Jūzjānī, Tabaqātī Nāsirī. 'Abd al-Hayy Habībī, Tabaqāt Nāsirī yā Tārīkh-i Īrān wa Islām, vol.2, Kabul 1343/1965, p.100.

 *15 ハンとハーンは、異なる称号と見なす意見がありますが、私は同一の称号ではないかと思います。

 *16 蒲原大作 「契丹古伝説の一解釈」『民族学研究』第47巻第3号、一九八二年、257頁。

 

 *17 川の上流に位置する「魂の保管庫もしくはその住居」を意味する〔アドルフ・フリートリッヒ「ツングース族の世界像―生活と生命の起源に関する一自然民族の意識―」『神話・社会・世界観』角川書店、一九七二年、117頁〕。シベリアのエヴェンキ族のシャマニズムには天上界と地下界といった霊界が普遍的に存在せず、川の上流と下流を以て霊界となす。

 

 *18 アドルフ・フリートリッヒ「ツングース族の世界像―生活と生命の起源に関する一自然民族の意識―」『神話・社会・世界観』角川書店、一九七二年、118頁。