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研究活動報告 2000年度

 【スリランカ研究フォーラム】

 スリランカ研究フォーラムでは、引き続き年二回の研究集会を中心に活動している。二〇〇〇年度も、日本人のみならず在日スリランカ人の研究者、学生、市民が集い、研究発表や討論、交流を行なった。
 第九回フォーラムは七月八日に開催し、開発に伴う村社会の変容を取り上げた。

1――執行一利(立教大学講師)
   「大規模農村開発と村落社会の変容」
 北東部のポロンナルワ県に位置するY村は、水田と焼畑耕作を行なう小村であった。そこに外国からの巨額の援助を受けた政府主導の開発計画が進行し、一九八七年には全村民が新開地に土地を得て移転することとなった。執行氏はこのY村の変化を二〇年近く追い続けている。
 新開地には、他県からの入植者が多数転入してきた。旧Y村出身者にとっては、以前よりも広い水田を確保でき、もっぱら水田の稲作を主とした生活となり、水牛や乳牛の飼育も激減した。交通の便もよくなり、村内婚の率は六四%(一九八一年)から五〇%(一九九四年)に減少した。この開発計画では、稲作を主体としたより大規模な自作農の育成を目指していた。水田の売却も分割相続も不可とされていた。しかし、そうした計画は順調というわけではなく、水田では様々な貸借が行なわれている。小作では、定額の金納および物納、水田の質入れ、刈り分け小作などがみられる。しだいに、経営規模の拡大を目指す層と、縮小する層への両極分化が進行しているといえる。

2――高桑史子(都立短大教授)
   「漁村の開発と社会変容」
 高桑氏は、南部ガーッラ県のG村での一五年間の変化を報告し考察した。G村では男性がもっぱら船で漁業にかかわるのに対し、女性はココヤシ繊維の仕事に従事してきた。村内婚が圧倒的に多く、妻方居住の傾向が強い。政府の漁業振興策により、動力船を使用するものが現れ、村内に階層分化を生じさせている。彼らは身内を船長として任せ、自身は運輸や商店経営など新しいビジネスに乗り出している。漁業組合も結成されたが、加入率が低く、あまり機能していない。民族紛争もG村に大きな変化をもたらしている。かつて南西モンスーン期には、島の東部や東南部に移動して操業していたが、内戦激化により極めて困難な状況となっている。八〇年代後半以降、行方不明者が続出し、南部のキリンダ港を拠点とした操業に切り替えている。一方ココナツ繊維の需要減少により、女性たちの仕事は、ナイロン・ロープ作りや縫製工場での雇用へと転換した。

 一〇月一四日の第一〇回フォーラムでは、竜谷大学の経済学部教授、中村尚司氏に「日本とスリランカの経済関係」についてお話しいただいた。
 日本からスリランカへのODAは、一九五四年のコロンボ・プランに始まる。一九六五年からは技術協力に加えて、有償資金協力として一八億円の第一次借款供与が行なわれた。贈与の無償資金協力は、一九六九年の一億八千万円が最初である。こうしたなかで一九七〇年代以降、日本は第一の貿易相手国となり、巨額の貿易赤字がスリランカ側で続いていく。一九七七年のペーラーデニヤ教育病院、七八年の住宅建設計画、七九年のテレビ放送局建設も、日本からのODAによるものである。八〇年に始まるコロンボ港開発計画は、優れた経済性を発揮し、高く評価されている。
 日本の経済協力の特徴は、多数民族シンハラ人が居住する中・南部に集中していること、医療部門と建設事業がほとんどを占めていることである。一方、繰り返し工事が行なわれたキリンダ漁港、漏水により使用不能のままとなっているサマナラウェワ・ダムなど、ずさんな開発事業も少なくない。やはり、プロジェクト案件を発掘する総合商社の役割と経済協力事業との関係が不分明な事こそが問題である。スリランカの人びとにとって有益な開発事業を進めていくには、現地体験の豊富な青年海外協力隊やNGOとの協働が不可欠である。また、内戦激化による軍事費増大は、ODAへの依存をますます強めている要因となっている。

(澁谷利雄)



 【地域環境研究グループ】

 地域環境研究グループは発足二年目を迎え、次の活動目標をたてた。
一九九二年に一八〇余国が参加して開催されたブラジル「リオデジャネイロ」における「地球サミット」で、経済優先から脱却し環境重視の「持続可能な発展」(Sustainable Development)を目指すことが決定された。その後一九九七年の京都会議(COP3)を経て、現在持続可能な発展をめざす種々の努力が世界のいろいろな地域で行なわれている。これらの現状認識に基づき、一九九九年度はエネルギーをキーワードとして、研究会および現地視察を行なった。本年度はその成果の上に立って、一歩進め「循環型社会をめざす」をキーワードとして選んだ。
 「循環型社会をめざす」を掲げ、例会七回、国内現地視察二回および海外視察一回を行なった。研究会および現地視察の内容は以下のとおりである(すべて公開で行なった)。
 五月例会 「一九九九年度の活動報告および二〇〇〇年度計画」(三浦郷子・本学経済学部教授 )
 六月例会 「環境と農業」(小林弘明・本学経済学部助教授)
 七月例会 「代替エネルギーの見通し」(内田正夫・本学総合文化研究所助手)
 七、八月 現地視察
国内:北海道苫前町風力発電所(再生可能エネルギー)、七月二五〜二七日(持田、高木、岡本(喜)、小林、内田、三浦)
外国:ドイツのミュンスター(気候保護環境首都)およびデンマークのコペンハーゲン(風力発電導入環境都市)八月二一日〜八月三一日(岡本(喜)、岡本(典)、三浦)
 十月例会 「温暖化に対する地域の試み」(三浦郷子・本学経済学部教授)
 十一月例会 「プラスチックリサイクルと化学」(高木要・本学非常勤講師)
 一月例会 「リサイクルチャネル(環境改善を中心に)」(岡本喜裕・本学経済学部教授)
 二月 現地視察:北九州市エコタウン(循環型社会をめざして)、二月二一〜二三日(岡本(喜)、小林、三浦、三浦ゼミ生二名)

――活動の視点
 六月例会は、四月より「環境経済学」担当の経済学部助教授として赴任し、同時に、本研究会員となった小林弘明助教授による発表であった。環境と農業の関係について、世界の現状および日本特有の問題の両面より問題提起がなされ、議論が沸騰し、その後の懇親会にもちこされた。昨年の持田名誉教授による研究発表(今回も研究会に参加)とあわせ、農業問題は環境問題のなかでやはり中心的役割を背負っていることを、再認識させられた。
 七月は循環型社会の要であるクリーンエネルギーへの転換の可能性を見極めるための研究会と同時に、そのための北海道現地視察にむけて討論した。日本の動きは遅々としたものであるが、地方自治体が奮闘していることが明らかになった。
 七、八月の国内および外国の現地視察はのべ一一名の参加により、成果大であった。一〇月例会はデンマーク視察をまとめた報告であった。
 一一および一月の例会は循環型社会におけるプラスチックのリサイクルおよびそれらを含むエコビジネスの動向についての研究会であった。高木非常勤講師による専門家の視点からみた技術的な側面と、岡本喜裕教授によるマーケティングの立場からのビジネスとしての側面の両面から循環型社会を構築するための現実的な議論がなされた。これらの例会は二月に計画されていた「北九州市エコタウン」視察のための勉強もかねたものとなった。

――まとめ
 北海道苫前町における風力発電所は日本におけるクリーンエネルギーの可能性を提起してきわめて重要である。風力発電所の先進国であるデンマークでは国内総エネルギー消費量の一〇%を風力発電で供給し、二〇三〇年には再生可能エネルギーの割合を三〇%以上とする。さらに二酸化炭素の排出を一九九〇年の五〇%に削減する。という目標をたてている。洋上風車は見事であり、クリーンエネルギーへの転換が現実であることを示してくれた。
 北九州市のエコタウンはいよいよプラスチックと大型電気機器および自動車のリサイクル産業が動き出したことを示していた。日本の技術が循環型社会構築に果たす役割は計り知れないものがあることを認識する場となった。気候保護環境首都ミュンスターは徹底した省エネ・リサイクルそして自然との共生を実現しつつある市として我々にカルチャーショックを与えた。
 二〇〇〇年における活動を通して「循環型社会構築」の着実な歩みが始まっていることを実感できた。来年度はいよいよアジアの現状と方向性を明らかにするため、研究会およびタイの現地調査を計画している。

――発表論文
 持田恵三「農業と環境問題」、『東西南北2001』、四二〜五八頁
 小林弘明「食料・農業と環境との関連に関する概観」『東西南北2001』五九・六八頁
 岡本喜裕「マーケティング・チャネル・ネットワークにおけるリサイクルチャネル」『和光経済』、三三(二、三)、二〇〇一、一〜一七頁
 三浦郷子「気候にやさしい都市(ドイツのミュンスター視察記録)」『東西南北2001』、六九・八〇頁
 三浦郷子「シュムペーターの時代におけるエコロジーについて」白桃書房『シュムぺーター、サイモンとその時代』二〇〇一、一四七・一六一頁

(三浦郷子)



 【一九世紀末における東アジアと日本】

 本年は、私たちの研究会も三年目に入り、成果とりまとめのために、毎月の月例研究会では二本ずつの報告を準備し、夏の合宿研究会でもメンバー全員が報告を行なうなど、精力的に研究活動を行なった。
 以下、その一端を、(1)月例研究会活動、(2)合宿研究会、(3)調査旅行の順で簡単に記して活動報告としたい。

――月例研究会
 第一回 四月二六日(水)
 報告一「『大和魂』という代物――民衆精神文化の再編成」橋本堯(本学表現学部教授)
 報告二「日本近代と『国民』の形成」原田 勝正(本学経済学部教授)
 第二回 五月三一日(水)
 報告一「渡良瀬川鉱毒問題と地域民衆――川俣事件百年を振り返って」福島達夫(本学人間関係学部教授)
 報告二「経済学導入史と社会政策学会――社会政策導入の一側面」水上健造(本学経済学部教授)
 第三回 六月二八日(水)
 報告 「長崎における伝染病――世紀末におけるその展開」松永巌(本学経済学部教授)
 第四回 七月一九日(水)
 報告一「第一波フェミニストたちの自己形成――らいてう・菊栄・房枝」井上輝子(本学人間関係学部教授)
 報告二「日本の唐人町――日本の近代化と華僑・華人」佐治俊彦(本学表現学部教授)
 第五回 一〇月四日(水)
 報告一「日本の経済思想――帝国大学を中心に」水上健造(本学経済学部教授)
 報告二「日清・日露戦争期における日本企業の中国進出と中国認識」山村睦夫(本学経済学部教授)
 第六回 一一月八日(水)
 報告一「明治末における衛生行政の形成――石炭酸消毒を中心に」内田正夫(本学総合文化研究所研究員)
 報告二「『国民国家』形成過程における統合と隔離」原田勝正(和光大学経済学部教授)
 第七回 一二月一九日(火)
 報告 「明治末における地域共同体と足尾鉱毒問題――近代日本における『統合と隔離』をめぐって」福島達夫(本学人間関係学部教授)
 第八回 二月一三日(火)
 報告 「近代における日本観と中国観をめぐって」孫歌(中国社会科学院文学研究所研究員)

――合宿研究会
 八月二日(水)〜三日(木)
 於 熱海西山荘
 一 成果刊行(『「国民」形成における統合と隔離』日本経済評論社刊)に関する打ち合わせ
 二 全研究会メンバーの個別テーマ報告(ユ・ヒョヂョン「二つの世紀転換期における在露中国人、朝鮮人社会」他)
 *宿泊所に近い来宮神社の神木「大楠」を見学

――中国大連・瀋陽調査
 一〇月二九日(日)〜一一月五日(日) 原田勝正・福島達夫・佐治俊彦・山村睦夫
 一〇月二九日 大連着 大連賓館(旧満鉄大和ホテル)泊、旧連鎖街等見学
 一〇月三〇日 大連図書館本館にて王若副館長と懇談。その後旧満鉄本社に近い分館(旧満鉄図書館)に移動し、資料閲覧・蒐集。
 一〇月三一日 大連図書館分館で資料閲覧。午後、新華書店で文献蒐集の後、旧東清鉄道ビル等旧跡をめぐる。
 一一月一日 列車にて瀋陽に移動。商貿飯店泊。午後市街散策後、王桂良東北中山大学教授と懇談。
 一一月二日 遼寧省档案館訪問。超煥林、孫成徳両副館長と懇談後、資料閲覧。
 一一月三日 档案館資料閲覧(瀋陽初訪問の福島研究員は北陵旧跡等見学)。超煥林氏による招待昼食会後、改築なった九・一八事変博物館を見学。
 一一月四日 飛行機にて北京へ。午後、古書籍店、書店をめぐる。五日朝、帰国便。
*なお、大連訪問に関しては、福島達夫「大連のアカシア」『東西南北2001』を参照ください。

(山村睦夫)



 【南西アジア研究会】


 二〇〇〇年度の主たる活動は、二回の公開研究会開催と研究員二名、学外研究員一名によるインド、パキスタン調査であった。
 研究会の第一回目は、長く南インドはマドラス(現チェンナイ)に足場を固め、インド美術史のフィールドワークを展開する袋井由布子氏に、研究成果の一端を我々の討論の場に披露していただいた。なお、袋井氏は和光大学オープンカレッジぱいでいあ「タミル語の世界」の講師として、日本国内では数少ないタミル語教育の旗頭でもある。
 「インド、ヒンドゥー教寺院における舞踊表現:両性具有の踊り子像考察」と銘打った研究報告は六月二四日に和光大学において行なわれた。
 南インドに林立するヒンドゥー教寺院、そこにはさまざまな舞踊彫刻がみられる。踊るシヴァ神の姿はブロンズ像でも広く知られるものであり、舞踊・演劇のインド古典書『ナーティヤ・シャーストラ』に分析される舞踊の動き「カラナ」の彫刻が寺院の壁面に並べられることもある。南インドに残る数多くの舞踊彫刻の中で異彩を放つのは、顔にヒゲをたくわえながら、豊かな胸をたずさえる両性具有の踊り子像である。この「奇異」な踊り子像の意味そして意義を、ヒンドゥー教寺院という空間、インド神話世界を通し考察していく。
 日本におけるインド美術史界においても、またインドにおいても袋井氏の発見した両性具有の踊り子像に関する報告は皆無であり、今後、文化人類学や神話分析との共同作業の新たなフィールドワークを創出する希有なるテーマであろう。この新しい問題提起の場に居合わせた幸運を、研究会メンバーともに分かち合うことができた。
 第二回目の研究会は、中村忠男氏(立命館大学文学部助教授)を迎えて、年もあらたまった二〇〇一年二月三日に開催された。八月に当研究員の村山和之(イメージ文化学科非常勤講師)が参加した西インド調査の主催者である中村氏は、「ヒングラージ巡礼とヒンドゥー・ディアスポラ」と題した報告を行なった。
 インド、パキスタン分離独立の一九四七年八月を境に、現在のパキスタン・バローチスターン州に位置するインド世界最西端のヒンドゥー巡礼地「ヒングラージ」へのインド側からの参詣路は国境に阻まれて切断されてしまった。ところが、東アフリカ、ペルシア湾岸諸国、イギリス等にコミュニティーを形成するヒンドゥー教徒インド人移民のあるグループは、ヒングラージ女神を自らの職能クラスの氏神として信奉している。彼らの多くは宝石商、金細工師を営むジャーティーに属し、毎年四月にカラチから出発する巡礼団に第三国から参加したり、宗教施設の建設のため大きな献金を行なっていることが分かってきた。
 世界各地に離散したヒングラージ・ネットワークの全体像を紡ぎ出すために、移民たちの出港地グジャラート州西部と寄港地アラブ首長国連邦の商業都市ドバイを調査した本報告によって、新たなフィールドワークの必要性を痛感すると共に、海を越えるヒンドゥー商人や職人たちの逞しさと信仰心のありどころに大いに驚かされた。
 一九九六年に、文部省科研費によって行なわれた和光大学バローチスターン地方調査のなかで、日本人未踏であったヒングラージ聖地は初めて我々によって参詣され報告がなされたわけだが、本研究は、春の巡礼月に行なわれる大巡礼団への参加調査をもってして、はじめて、統括的に「ヒングラージ女神の世界」を直視できるものとなろう。その調査実現と報告書作成まで、資料収集と分析は続けてゆかねばなるまい。
 最後に、フィールドワークについて記しておきたい。インドにおいては前田龍彦(イメージ文化学科非常勤講師)が仏教美術のフィールドから、東インド、ビハールおよび西ベンガルにおいて博物館および仏跡調査を行なった。前記した村山は、西インドのグジャラートにおいて中村氏と共に、ヒングラージ巡礼の廃道そして移民たちの出港地を特定するための踏査を行なった。この調査の中で、村山はパキスタン、カラチのヒングラージ巡礼団事務所を訪問し、巡礼の運営・歴史などについての聞き取り調査を行なった。
 折しも、西インド大地震の数カ月前であった。現在もまだ、我々が映像に記録した神殿や知識を与えてくれた僧侶たちが無事であるか、定かではない。確かなことは、我々のフィールドの記録が、失われたかも知れない有形無形の文化財の、貴重で数少ない資料となってしまったことである。震災からの復興事業の成り行きをみつめ、長期的視野で記録した財産を少しずつ、当該地の博物館などを通し、資料として返還していくことも、研究会として考えている。

(村山和之)



 【多国家(分散・分断)民族における内なる民族関係】


 本プロジェクト・チームは、一九九五年度から三年間日本私学振興財団および学校法人和光学園の助成を受けて行なわれた共同研究「モンゴルの変容する社会と文化の諸相――異文化との接触を視野におさめて」(その成果が、和光大学モンゴル学術調査団『変容するモンゴル世界――国境にまたがる民』新幹社、一九九九年)に関わったメンバーを中心に、新たに数人のメンバーを加えて、本年度に新たに発足したものである。
 『変容するモンゴル世界――国境にまたがる民』の成果を踏まえ、
 一、その過程で新たに提起された、「国境にまたがる民」同士の相互関係、つまり各国および地域に広く分散している各民族集団間のいわば内なる民族関係のありようとその性格および意味などを重点的に調査・考察しつつ、
 二、前回は充分には取り上げられなかった諸地域の状況、とりわけ農耕化地域と小規模分散集団(中国各地とアフガニスタンなどに在住するいわゆる「飛び地の捨て子」)をめぐる状況を補充的に調査・考察し、
 三、これらの考察を通じて、多国家・地域民族の民族生活のありよう、ひいては民族や民族生活全般にかかわる意味ある知見を広く得、関連学会に提供する、ことなどを目標としている。
 一年目の本年度は、全体テーマの追究の仕方を確認しつつ、二年目以降の研究計画などを立て、同時にメンバー各人の分担を調整することを中心課題とした。
 そのための一環として外部のゲスト・スピーカーを招いて、報告を聞き、それをめぐって討論する研究会も二回行なった。第一回目の講師は、内モンゴル通遼市(九八年三月までは哲里木盟)出身で、現在早稲田大学大学院博士課程に在学中のブレンサイン氏で、テーマは「内モンゴル東部農耕モンゴル人社会の形成について」。第二回目はロシア連邦カルムイクから日本に留学しているアルルターノフ・バドマ氏(カルムイク共和国対外経済関係省職員、滋賀大学大学院生)の「ロシア・カルムイク共和国のモンゴル人たち」。ブレンサイン氏の報告は、前回の共同研究では不十分にしか取り上げられなかったいわゆる「農耕化地域」のモンゴル人社会のありようを、その近代史を中心にあとづけたものであり、バドマ氏の報告は、私たちメンバーがまだ訪れていないが、しかし、「国境にまたがる民」としてのモンゴル人を考える時に欠くことのできない重要な地域であるカルムイクのモンゴル人社会の現状を伝えるものであったが、いずれも刺激的で、貴重なものであった。
 一方、現地調査の方は、佐治とユによる中国南部広西チワン族自治区の中越国境地帯の民族調査とユによる雲南モンゴル族調査、それにリケットによるフランスの移民社会調査が行なわれた。これら調査の詳細については、まとまった形でいずれ別途に報告することにしたい。

(ユ・ヒョヂョン)



 【現代中国研究会】


 本研究会は、二〇〇〇年度中国の少数民族と国境の問題を調査テーマにした。
数度の打ち合わせ研究会を積み上げたのち、三月二〇日、佐治・山村・劉のメンバーが広西チュアン自治区の中心南寧に向かった。南寧で少数民族資料館・博物館を訪ね、広西省における少数民族の歴史と現状を調査、貴重な文献を閲覧・購入することができた。
 その後、ベトナムとの国境の町憑祥へ向かった。途中の道の周囲には南部の農村風景が広がり、水牛を使った耕作が行なわれていた。この幹線道路の処々に「路覇(追いはぎ・自動車強盗)を徹底的に撃退しよう」という立て札が立てられているのには驚き、かつ些か恐怖させられた。さらに憑祥の町に到着する直前に、一九八〇年代の中越紛争の犠牲者を祀る太平山英雄記念碑を見、国境の近さとあの戦争の虚しさにあらためて想いを馳せた。
 憑祥の町は静まりかえっている。壮(チュアン)族、京(ベトナム)族の住民が多く、夜市ではベトナム風の食べ物が並べられ、日本のおでんと似た煮物なども売っている。国境友誼関は山間部を車でかなり走った先にあり、閑かに人の行き来があるのみだが、その近くの交易ステーションへはひっきりなしにトラックが往復し、物の流れの激しさに圧倒された。ハノイまでは数時間、列車も行き来している。
 一旦南寧へ戻り、もう一つの国境の町東興へ向かう。ここは幅二〇mほどの川を隔ててベトナムと接する。小さな船で物が運ばれ、ベトナムの物資で町は賑わっているB商店や役所の看板も中国語とベトナム語の二様に書いてある。改革開放の波が波及してきており、あちらこちらに建築中のビルが目に入る。
 南寧で別れ、佐治・山村は上海へ、劉は昆明へ。佐治は上海・松州・紹興等で越劇の現地調査、劉は少数民族の集住村落を訪ねて少数民族の生活実態と民族政策の問題点を調査した。

(佐治俊彦)



 【アジア研究交流フォーラム】


 アジア研究・交流フォーラムは、アジア・地域研究系に所属する五つの研究グループのための共同討論の場である。昨年度までこのフォーラムでは、研究会やシンポジウムを開催してアジアにおける民族間の諸関係に焦点を当ててきた。本年度は多民族世界のあり方をよりダイナミックに捉えるために、モンゴル族祭りを企画した。
 和光大学では、『変容するモンゴル世界』(モンゴル学術調査団、新幹社、一九九九年)の出版以来、モンゴル語講座やモンゴル研究が盛んになり、その文化や歴史に興味をもつ教職員と学生が増えてきた。これをうけて、よりモンゴル文化に接する機会を与えることを目的に、当フォーラムは「和光大学・秋のモンゴル祭り〜ナーダム・イン・和光」を、二〇〇〇年一〇月二一日に開催した。
 今回のイベントとして、モンゴル料理の試食、伝統的民族音楽コンサート(馬頭琴の演奏、ホーミー、民謡など)、モンゴル映画の上映、モンゴル相撲(ブフ)が行なわれた。主催者はフォーラムであったが、イベントの担い手は、モンゴル人留学生とモンゴル語講座の受講生などであった。教職員や他の学生の多くも参加し、モンゴル民族の伝統芸能をじかに味わい、生き生きとした異文化を体験することができた。
 二〇〇一年度には、学術的交流も加え、学内外の参加者を増やし、さらに異文化交流を深めていきたい。(本誌の八五〜一二五頁を参照)

(ロバート・リケット)



 【言語文化研究会】


 言語文化研究会は、言語学関係者のみならず言語に関心のある異領域研究者も参加することによって、多元的な言語研究を試みたいという主旨と、本学卒業生で他大学大学院などに進学しつつも、発表の場を持てない若手研究者の育成ということをも視野に入れつつ、一九九四年に発足したのであった。
 当初は賛同教員も多く、また言語学と隣接した領域の研究者による報告などもあり、それなりの成果が得られたのであった。
 企画段階での目論見の一つであった学内教員による研究発表会は、教員の多忙さ故に実現し得なかったこともあって、近年はもっぱら外部講師による研究発表会が主流となった。
 他方で、入学学生の質の変化もあってか、多かった大学院進学学生が次第に減少し、後継学生が育たなくなったのである。
 そのような事情から、本研究会の主旨や特性が見え難くなったことにより、「言語文化研究会」を本年度で一旦解散することにしたのである。
 本年度の事業で特筆すべきは、天野みどり助教授の斡旋に基づく在日外国人若手研究者による一連の発表であった。時代の進捗の中で、日本語の新しい研究領域が、これらの人びとの手によって生み出されていることを、改めて実感させられた機会であった。
 前回の報告以降に当研究会が催した、発表会の講師と題目を記す。

――外部講師講演記録
 ましこひでのり(中京大学教授)「抗原抗体反応としての日本語論――日本語文化の境界」
 イ・ヨンスク(一橋大学助教授)「〈国語〉という思想」
 金 仁珠(韓国翰林産業大学日本語学教員)「日本語の待遇表現のしくみ――専用形式によらない待遇表現――」
 ポリー・ザトラウスキー(ミネソタ大学言語文学部日本語学助教授)「日本語文法から見た共同発話」
 研究会としては、副次的な作業として近年のパソコンとインターネットの普及によって、急速に進展した翻訳ソフト類を検証することにより、これら便利なツールが実生活の中で如何なる効用を果たし得るのか、また語学教育という世界にいかなる影響をもたらすかを検証しようとした。
 翻訳ソフトは年ごとにバージョンアップされており、新製品も続々と登場しているために、あくまでも中間報告としかなり得ないのであるが、翻訳ソフトを比較した試用記録は、学習塾の英語教師伊藤大介氏が作成中である。
 また、本研究会に所属した卒業生の内、外地で活躍中の水野剛士氏(スエーデン国立ウメオ大学特別研究員)、平澤かおり氏(ロンドン大学大学院)による「外国事情・言語文化編」の寄稿原稿は、前者と合わせて別の機会に紹介したいと考えている。

(鈴木勁介)



 【シンボル文化研究会】


 シンボル文化研究会は古今東西のシンボル、美術史、歴史学、考古学、神話学、宗教学、人類学などの学際的研究によって解明することを目的としている。二〇〇〇〜二〇〇一年度は以下の三回の報告会を行なった。本年度はイランのゾロアスター教についての報告が中心となった。

――第一回 六月一七日(土)
 「古代イランの女性像――アナヒターを中心に」 岡田明憲(本学講師)
 ゾロアスター教のパンテオンには種々の女神が存在する。それらの中でもアールマティ、アシ、アナーヒターの三女神は特に重要である。アールマティは神々のヒエラルキーにおいて、アフラ・マズダーに次ぐグループを形成するアムシャ・スプンタの一員である。アシはゾロアスター自身の教説にあって中心的概念を意味するアシャ(天則)と密接であるばかりか、「ヤシュト書」においてはゾロアスターの恋人とさえ称されている。これに対し、アナーヒターはメソポタミア的な大母神の性格を有して、一般庶民にも人気があった。
 ゾロアスター教の三女神は、各々配偶者とも称すべき、特定の男性(神)と密接に関係する。すなわちアールマティはアフラ・マズダーと共に、人祖の両親であるし、アナーヒターはミスラと対で信仰されることがあった。また、アシと密接なスラオシャはゾロアスターに代表される祭官の守護神である。
 ササン朝の銀器に見られる女神像をアナーヒター女神と結びつける説は、最近田辺勝美氏などによって否定されているが、当時のアナーヒター信仰は必ずしも『アヴェスタ』の記述から明らかになる訳ではない。むしろ、かかる記述とは性格を異にする女神信仰が、アナーヒター女神に結びつけられていた可能性が大である。かかる観点から、古代イランの女神像を再検討する必要がある。〔岡田氏による要旨〕

――第二回 一二月一五日(金)
 「ウォーバーグ研究所と占星術研究」チャールズ・バーネット(ロンドン大学ウォーバーグ研究所教授)
 ドイツ人アビ・ヴァールブルグがハンブルグに創設した私設の文化史研究所は、パノフスキー、ザクスル、ゴンブリッジといった錚々たる研究員を擁していたが、ナチス台頭のためドイツを去り、英国に拠点を移し、英国風にウォーバーグ研究所と名前を改めた。第二次大戦後はロンドン大学付属研究所として、膨大なアルカイヴによって今日もイコノロジー(図像学)研究の中心地となっている。さて、西洋文化の形成にアラブ文化の果たした貢献は見逃せないことは言うまでもない。
 プラトンもアリストテレスもアラブ語圏で保存されてきて、それがルネサンスの引き金となったのである。古代メソポタミア、ギリシア・ローマ、インド、ペルシアなどの文化要素はアラブ・イスラーム文化を介してこそ、中世、ルネサンス、近世のヨーロッパに伝わり、その文化的基盤を形成した。ヴァールブルグはルネサンス美術におけるギリシア・ローマの伝統に関心があったが、そこにおいてもアラヴ・イスラームの貢献があったのだから、彼の創設した研究所におけるアラヴ・イスラーム文化史の研究は、まさしく故人の意図に適ったものといえるだろう。
 さて、講演者のバーネット氏は、「中世および近代におけるヨーロッパへのアラビア・イスラームの影響の歴史」講座の教授であり――御本人の言葉によれば、「最も長い肩書きの教授の一人」――、講演では研究所の歴史や現在の状況をはじめ、専門分野での研究状況などについて話された。ウォーバーグ学派の図像学研究を大きな理論的支柱としてきた本研究会にとっては、研究所について知るうえでも、また当代の最高のイスラム学者の一人と交流し、その最新の研究成果を聞かせていただけるという意味でも、大変に有意義な機会であった。学外からも多くの専門家が参加して、熱心な討論が繰り広げられた。
 またこの講演後には、イメージ文化学科の開学記念ならびにG棟展示室開設記念として、「ムネモシュネ・・アビ・ヴァールブルグの図像世界」という展示が行なわれ、展示の内容を紹介した同題の小冊子も発刊されたことを申し添えておく。

――第三回 一月一三日(土)
 「第七回ゾロアスター教徒会議報告」香月法子(中央大学大学院博士課程)
 二〇〇〇年一二月二八日から二〇〇一年一 月二日にかけてアメリカ、テキサス州ヒューストンで行なわれていた会議に参加した報告で、以下の項目に沿って話が進められた。
 ・世界各地のゾロアスター教徒――ゾロアスター教はかつてはイランで栄えたが、イスラム化によって本拠はインドに移った(パルシー教徒)。しかし最近は北米における教徒数が大幅に増大している。また各地に点在する教徒間の交流が難しくなってきている。
 ・ゾロアスター教徒による主な組織――三つの組織がある。
 ・World Zoroastrian Congressの歴史――一九六〇年に初めて開催され、その後今回まで七回開かれている。これまで開催地はイランとインドに限られていた。
 ・7th World Zoroastrian Congress――しかし北米での教徒数の激増に伴い、今回初めて欧米地域での開催となった。参加者は約二、二〇〇人で、異教徒の参加者は、イギリスの著名なゾロアスター教学者ヒネルズと報告者のみであったという。
 ・今後の展望――アメリカ育ちの若い世代は旧い世代と異なる価値観を備えている。またインド系とイラン系の教徒間における文化的背景の違いもある。そして三つの組織を統合するような世界組織が作れるのかも問題である。

(松村一男)



 【フェミニズム・ジェンダー研究会】


 二〇〇〇年度のフェミニズム・ジェンダー研究会は、フェミニズム・ジェンダーに関する研究・講演会、および、ジェンダー・フリー・スペース設置に向けての準備を、中心的な活動とした。
 二〇〇〇年度の研究・講演会は、第一回目が五月二四日、第二回目が二〇〇一年二月二一日に行なわれた。
 第一回の講演者は田中かず子氏、題目は「キャンパス・セクハラはなぜ起こる?」であった。三時からの講演に多くの学生が集まったことは言うまでもないが、その後研究所会議室にて行なわれた懇談会にも、一五名ほどの教職員および学生が参加し、活発な意見交換が行なわれたことについては特筆したい。話題はまず、講演者の勤務する国際キリスト教大学での取り組みについて情報が提供され、セクハラ問題に対処する機関の構成形態・予算配分について説明がなされた。
 (国際基督教大学では、「女性センター」に相当する部署は、形式上、学生部に所属しているが、予算は二〇〇万円以上が別途配分されている。)大学院を抱える大学では、院生の指導に当たる教員との関係が、院生の就職に大いに影響する。この点で院生は指導教員のセクハラに対しては非常に弱い立場に置かれる。本学ではまだこの種の問題には直面していないが、いっぽう、「女性センター」的な機関の発足・運営にあたっては、院生の協力が大変有効であると思われる。
 ともあれ、大学という教育機関において、今後教員がどのようにセクハラ問題に対処して行くべきかが活発な議論を呼んだ。
 教育者・指導者としての立場上、仮にセクハラの加害者が教員、被害者が学生となった場合、学生は明らかに弱い立場に置かれる。だが過去の事例において、教員の側が加害者であることが判明した場合、大学側はまず、「加害者の保護」を懸念する。やはり教員間の認識を新たにする必要がある。と同時に、このような問題を自由に語り合えるスペース、具体的には「ジェンダー・フリー・スペース」の必要性が、あらためて議題に上った(これについては、人工的に大学側が提供したスペースに、学生がどの程度馴染んでゆくか、という人間工学的な疑問も提出されたが、諸般の現状を省みるに、そのスペースの必要性だけは確認されたと思われる)。
 なお、講演会および懇談会に参加した一教員からは、つぎのような感想が寄せられた。「最初の講演そのものは、大学院もしくは国立大学のケースとして、正直なところ、ぴんと来なかったのですが、会場からの発言―知識と人格とは別であるということや、性教育を受けていない世代の問題など、大学という社会がもつ落とし穴に改めて気がつきました。キャンパスセクシャルハラスメントは人権問題であるとともに学習権の問題として学ぶ必要があるし、学ばねばならないものだと思います」。
 つぎに、第二回目について述べる。講演者は本学非常勤講師(二〇〇一年二月現在)の浅野千恵氏、題目は「映像と暴力―アダルト・ビデオをめぐって」であった。講演とはいえ、今回はいささか違ったかたち、一種のワークショップという形式であった。参加者はおもに教員で、専任、非常勤を含むおよそ二〇名が、浅野氏の用意したアンケートや設問に返答した。たとえば、部屋の中心に線を引き、「嫌な仕事も仕事であれば仕方なく引き受ける」などの質問に対して、イエスとノーのグループに分かれる。強くイエスと思う者は部屋の端に、限りなくノーに近いイエスであれば中心にある線の近くに立つ、というものである。
 このような形式でいくつかの思考様式を確認しあった後、アダルト・ビデオが放映された。内容はレイプを扱ったものであったが、普通にビデオ・ショップで売られまた貸し出されているものである。これが実際に行なわれたものであるのか、いわゆる「女優」と「男優」による演技であるのかは議論の分かれるところだったが、あまりにグロテスクな映像に嫌悪感を覚える参加者も少なくなかったようだ。それがたとえ「演技」であったにせよ、あきらかに暴力的なこのような映像が流通していることに対して、さまざまな意見が交換された。
 最後に、ジェンダー・フリー・スペース設置に向けての準備活動について述べる。
 フェミニズム・ジェンダー研究会は、ジェンダー・フリー・スペースの必要性についてこれまでにも再三強調してきたが、今年度はとくに、「G棟の跡地利用にかかわる新しい組織の立ち上げに関する委員会」によって、この新しい組織立ち上げに際しては、総合文化研究所が設置の窓口となることが了解された。
 これを受けて当研究会は、和光大学総合文化研究所に宛てて、おおよそつぎのような内容の文書を提出した。大学の教員および学生が、社会の抱えるジェンダー問題を考察しようとする場合、大学のカリキュラムだけでは広く学生の理解を得ることは難しく、またこの考察を、大学のタテ割りの部局に任せきることもできない。ジェンダー問題に関して、教員と学生が、公開で、いくつかのテーマに基づいて討論する場、交流を深める場は、和光大学の今後の発展のためにも是非とも必要であろう。
 「G棟の跡地利用にかかわる新しい組織の立ち上げに関する委員会」に出席した際には、ジェンダー問題、セクハラ問題に関して、この新しい組織が、「相談機能」を果たすことへの懸念が表明されたが、これについては、「場合によって、副次的にその機能が発生するかもしれない」と返答した。しかし実質的にこの機能が発生する可能性は、ほとんどないものと推測される。G棟に立ち上がった場合、ここに専任の教員が常駐するわけではなく、多くは情報収集・資料管理にあたるアルバイト学生が在室することとなり、学生が自由に出入りできる空間となることが予想されるからである。この点も理解したうえで、この組織が無事二〇〇一年四月発足となることをお願いした次第である。

(吉川信)



 【表象研究会】


――第一回 六月三〇日
 報告者:野々村文宏氏、
 テーマ:匿名の視線
 パブリック・アート、都市計画、庭園と言った作り手の個性が比較的直接的出ない現代のアート環境についての話を聞きながら、ある点で作り手の意志が強烈に受け止められるドキュメンタリーについて考えた。

――第二回 一二月九日
 報告者:坂尻昌平氏、
 テーマ:フレデリック・ワイズマンの手法
 アメリカのドキュメンタリスト、ワイズマンの「コメディー・フランセーズ――演じられた愛」を見た後に講師の解説と問題提起。全体性を追求する彼の手法とその可能性、限界について意見交換。

――第三回:三月七日
 報告者:森達也氏、
 テーマ:「A」を見る
 オウムの荒木広報部長を追った作品を見て、作者の森達也氏に撮影時の具体的なお話を伺いながら、作品について意見交換をした。

(杉本紀子)



 【宗教芸能研究会】


 二〇〇〇年に発足した宗教芸能研究会は、日本を中心にアジアを射程に入れながら、個性的な宗教芸能・祭・テクストに光を当て、研究会と調査により文化が創造・伝承される磁場を見据えていくプロジェクトである。

――第一回 二〇〇〇年五月二七日(土)
 「六十六部縁起と日光山の天海――頼朝伝説をめぐって」日光山輪王寺光樹院・柴田立史氏
鎌倉将軍頼朝の前世譚を伝える「六十六部縁起」は、中世から近世にかけて日本六十余州を巡り歩いた納経者=六部たちの縁起である。日光天海蔵に納められた中世文書の頼朝伝説と慈眼大師(天海大僧正)伝の記述との奇妙な符号を追って、「常行堂」という中世日光山の一中心地と鎌倉幕府の関わりが、東照大権現を迎えて江戸期の日光山へと再編されていくプロセスが報告された。天海伝説のさらなる追求への期待はもちろん、土佐・物部村にも六部の伝承があるなど六部にも関心が集まり、民間宗教者として重要な研究対象であることが確認された。

――第二回 二〇〇〇年七月一日(土)
 「シンポジウム――柱祭を考える」
 第一部は柱祭の映像観賞で、最初に「諏訪の御柱―平成四年/上社・下社総集編」(ヴィジュアル・フォークロア制作)を上映し、七年毎の寅と申の年に、荒ぶる山の大木を里に下ろして神にする、世界最大の柱立て祭の全容を紹介した。 次の「インドラ・ジャトラ―ネパールの女神と柱立て」(ヴィジュアル・フォークロア制作)では、ネパールの宗教、歴史、民族、王権等の文化的背景が集約されている大祭の全容を紹介した。
 第二部「アジアの柱をめぐる講演と討論」では、寺田鎮子氏(ネパール文化研究家)によって「ネパールの柱祭り――その多様性をめぐって」が報告された。柱建立の祭儀は、世界中に分布しているが、ネパールの中心地カトマンズ盆地で行なわれる柱祭は、とりわけ盛大で重要な意義を含んでいる。インド亜大陸の文化の保存庫としてのネパールに伝わる、国家的祭祀としての「インドラ・ジャトラ」など三つの柱祭を概観し、周辺諸国および日本の御柱祭も視野に入れながら、柱の祭儀とは何なのかの問題提起がなされた。
 続いてコメンテーター田中基氏(縄文図像学研究家)により、諏訪信仰の原質や御柱についての示唆的な見解が出され、次年度にも「柱祭り」のシンポジウムを開催し、諏訪・伊勢を含めた柱祭の問題性をより深めることが約束された。

――第三回 二〇〇〇年一〇月二一日(土)
 「対馬の命婦と法者――神楽と祭文の世界」渡辺伸夫氏(昭和女子大学)
 対馬では早くから、「法者」と呼ばれた祭の執行者と、「命婦」と呼ばれた座女によって神楽が演じられてきた。冒頭で命婦神楽の映像を紹介、続いて対馬藩の藩政史料(宗家文庫)の解読により、これまで不明であった法者と命婦の歴史的実態が浮き彫りにされた。
 安易な文献操作に対する氏の批判は、地道な踏査と文献収集・整理に裏付けられたもので、真のフィールドワーカーとしての学問的態度は、参加者に強いインパクトを与えた。また三年連続で対馬の神楽の報告を行なうとの表明がなされている。

――第四回 二〇〇一年三月一〇日(土)
 「明治のパフォーマンス――浪花節と国民国家をめぐって」兵藤裕己氏(成城大学、現在は学習院大学)
 近世末から近代にかけて声の文化(oral literature)が流行した。浪花節に代表される近世の物語芸能が、わが国の大衆社会や国民的心性の形成に、どのように関与したのかを考え、あわせて、日本近代におけるもうひとつの日本文学史の可能性が示された。
 平家物語や太平記などの軍記物研究のほか、一貫して近・現代の〈語り〉にこだわり追いかけてきた氏の個性が発揮された報告で、フロアーでの川田順造氏(文化人類学)と高橋悠治氏(作曲家)の「声」を めぐる論争により、近代国家と「声」というテーマの重要性がいっそう浮き彫りとなった。

(山本ひろ子)


 【民族と言語教育】


 民族と言語問題についての概説的理解からはじまって、少数民族の言語問題や日本における英語公用語化問題など、英語帝国主義と世界語としてのコミュニケーション問題、地域語・民族語と共通語の問題などについて、数回の研究会をもった。三月に、メンバー四名がシンガポールを訪問調査した。シンガポールは、英語を公用語の一つとしてきたが、最近、全小学校で英語を授業用語とすることにした国である。訪問調査についての報告は、二〇〇一年度紀要に掲載されている。

(奥平康照)



【「平和の文化」研究会】


 西暦二〇〇〇年が「平和の文化国際年」、二〇〇一年から二〇一〇年が「世界の子どもたちのための平和と非暴力の文化の一〇年」と国連で決定されたことにちなみ、「平和の文化」を総合的、学際的に探求するという当初計画のもと、二回の公開研究会が行なわれた。

――第一回目会議
 日程:六月七日(水曜日)五時〜六時半頃
 場所:伊藤研究室
 議論は次の通閧ナあった。西暦二〇〇〇年が「平和の文化国際年」がユネスコから提案され、国連決議となって、「わたしの平和宣言」運動が提起された。これは、身近な分野から国 際平和まで、いわゆる戦争のない状態としての平和だけではなく、人びとの尊厳が重んじられ、お互いに助け合っていくような社会を、個人のレベルから地球レベルまでつくっていくことが目的である。内容は、すべての生命と人権を大切にする、非暴力で問題を解決する、思いやりの心をもち経済的にも助け合う、相手の立場にたって考え傾聴、地球環境を守る、連帯を再発見し、民主主義と男女平等を実現するというものであった。

――第二回会議
 日程:一〇月一一日(水曜日)六時ー七時半
 場所:中文研究室(A棟六階)
 報告:橋本堯「『三酔人経綸問答』にみる中江兆民と平和の文化」
 中江兆民は土佐藩出身である。ジャーナリストとして活躍。明治三四年に死去。岩波文庫からあと二冊でている。南海先生と紳士君と豪傑君が登場。前二人は書斎派である。紳士君が民権思想について詳しそうであり、兆民は三人のすべての立場をとる。いわば三人とも兆民の分身である。経綸とは政治のこと。問題点として、(一)「進化」の無条件的肯定がある、(二)精神主義的(唯心論的傾向)「戦争は勇気がもとである。」、(三)農・工・商すなわち「人民」の位置づけに欠ける、(四)現状肯定的であり、a・国際法の無力、b・論より技術を重視、c・「自強―富国」すなわち侵略戦争の肯定(文明と戦争の不可分)、d・軍備増強の肯定、等がある。豪傑君のコトバに対して他の二人が反論しない問題がある。人民を愚民と思っているのではないか? 洋学紳士君は無抵抗主義である。出版が一八八七年で、日清戦争の一八九四年より前、平和思想としては、いろいろ問題があったが、軍備をいらないと言ったのはすごいことである。徴兵・国民皆兵が明治二四年であった。民衆の政治の力を期待しなかった点に兆民の弱点がある。

(伊藤武彦)



【教育研究へのコンピューター利用研究会】


 二〇〇〇年度の活動は前年度に掲げた目的と方法を継続し、とくにメンバー各自の専門領域の研究教育の場面においてコンピュータ利用を積極的に試み、そこで必要とされるテクニックやノウハウを相互に報告しあった。この活動は、学内の情報環境整備の進展にともない、それをよりいっそう有効に活用できるよう教員の技能を高めることに役立ったものと思われる。
 研究会において報告された事例、テーマは以下の通りである。

1――「PC(パーソナルコンピュータ)を利用したビデオ映像編集と教材への利用可能性について」小林稔
 ここ数年、著しいPCの性能向上と価格低下により、ビデオ映像の編集がPCをベースとして行なうことが可能になってきた。しかし、ビデオ映像の情報量は膨大であり、PCベースの機材とソフトウェアでどの程度の水準のビデオ映像の編集が可能であるのか、またPCベースで制作したビデオ映像が高等教育の現場で教材として利用可能であるのか調査研究を試みた。
 方法論としては、実際にPCベースの編集システムを構築し、ビデオ映像ソフトの制作を行ない、その技術的水準を実際に確認するとともに、その作品を公開し、第三者の意見などを収集、分析することで教材としての可能性を検討した。
 使用した機材は、DV規格のビデオカメラ、アップルG4―400MHz(HDD80GB×二、メモリ384MB)、編集用ソフトウェアは、アップル「Final cut Pro」を使用した。
 実際に製作したソフトは、経営学科小林稔研究室の研究生による、(一)自主制作映画(外部公開などを実施)、(二)経済学部プロモーションビデオなどである。
 (一)自主制作映画については、学外での公開を実施し、約三○○名の視聴者を集め、その反響も極めて良い感触を得た。
 (二)経済学部プロモーションビデオについても、大学説明会で高校生に公開し、好評を得ている。
 以上のように、実際にPCベースの機材で制作したビデオ映像でも、画質や編集の効果などかならずしも満足なものとはいえないが、一定の水準は確保できることが確認できた。しかし、技術的には、編集ソフトへの習熟にかなりの時間を必要とする。また、実際の編集作業も極めて多くの時間を必要とし、教員が教育・研究業務の空き時間などに行なうにはかなりの困難を伴うことが予想される。さらに、映像データの保存に一○○GBレベルの記憶メディアが必要となり、現状では大容量のHDDを複数用意しなければならないなど、技術的、経済的負担も強いられる。
 このような点を考慮すると、PCベースのビデオ映像の編集には、教材利用を含め大きな可能性が指摘できるが、現状の技術的水準では教員個人レベルでの教材への応用には、時間的にも経済的にもかなりの負担があるのではないだろうか。
 したがって、PCを利用したビデオ映像教材の制作には、複数の教員によるプロジェクト方式、アシスタントの導入などチームワークで進めることを検討していかなければならない。

2――「ユネスコの平和学プロジェクト日本支部のホームページを立ち上げて」伊藤武彦
 コンピュータによる教育を平和の文化と結びつける活動として、「平和と非暴力の国際一○年」に向けて、CPNNというウェッブサイトwww.cpnn.net をつくった。CPNNは、ユネスコのプロジェクトで、平和の文化と非暴力の文化を広める地域の活動やメディアの動向に関する情報を、インターネットによって広げることを目的とした、ジャーナリズムの新しい形態である。和光大学でのプロゼミとゼミのなかで学生に記事を書いてもらい、平和のニュースとメディアの紹介を行なうという試みを行なった。授業内で記事の編集を練習し、ひきつづき授業以外でもトレーニングワークショップとして行なう予定である。コマーシャルベースのマスコミが戦争をあおるような報道を行なっているのに対して、草の根的な教育的活動として、CPNNの構想は、今後大学だけでなく、中学生や高校生にも広げていきたい。

3――「出版物の電子化の試み」内田正夫
 近年、紀要などの大学出版物の電子化が話題とされるようになってきた。印刷製本経費の節減のほか、図書館における整理の手間や収納スペースの問題、また推定される利用形態等を考慮すると、「読みやすさ」の点でいまだ改良の余地が大きいものの、長期的に見てこれは必然的な方向と思われる。そこで、『東西南北』などの既存のコンテンツを利用し、それらをPDFおよびHTMLファイルとしてCD―Rを制作することを試みた。これは、テキストベースのコンテンツであれば専門的な機器やソフトを使用することなく、パソコンを使って素人でも比較的容易に制作することができる。CDメディアのプレス工料の価格低下ともあいまって、近い将来、紀要類ばかりでなく教材などを含めて電子媒体による資料配布という形態が日常的なものになることも予想されうるだろう。

(内田正夫)



【企業行動分析研究会】


 本研究会では、二〇〇〇年度も日本企業と外国企業との比較分析のための活動を行なった。モンゴルと東南アジア諸国の企業を研究対象とした。
 七月二九日〜三一日、上野哲郎がモンゴルのウランバートル市で開催された国際シンポジウム(モンゴル経営学会と日本の経営行動研究学会の共催)に参加した。テーマは二一世紀に向かうモンゴル・日本企業の経営課題であった。モンゴル側の報告によると、社会主義経済から資本主義経済への移行過程にあるモンゴルでは、企業経営の内部で技術、会計、財務管理、マーケティングなどを担当するものが絶対的に不足しており、この点でマネジメント教育が緊急の課題であるとのことであった。
 一九九八年度から三年間にわたって調査研究を続けて来た東南アジアの日系企業の経営に関する報告書を発行した(七月付け、自費出版)。内容は以下のとおりである。
 序文:飫冨順久、
 第一章:東南アジアにおける日系企業の経営管理に関する調査研究(鈴木岩行)
 第二章:東南アジアの日系企業に対する小
 集団活動の移転――電子機器メーカーA社の事例をもとに――(竹川宏子、特別研究員)
 第三章:事例研究ベトナムから中国へ――岐阜アパレル企業の海外展開と「産地」の変質――(根岸秀行、特別研究員)
 お忙しい中をご協力いただいた特別研究員の方々に厚く御礼申し上げます。

(鈴木岩行)



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