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南西アジア研究会◎

インド、ヒンドゥー寺院における舞踊表現

両性具有の踊り子像に関する考察

袋井由布子・舞踊学会会員

 本稿は、二〇〇〇年度第一回研究集会で報告された袋井由布子氏(和光大学オープンカレッジぱいでいあ「タミル語の世界」講師、舞踊学会会員)の発表原稿を、本誌掲載用に本人自ら執筆されたものである。当会としては、日本のみならずインド本国においてすら指摘されることのなかった、この美術史上の大きな発見成果を公刊できた幸運に感謝したい。

1――インド美術における舞踊表現
 古代以来、インド美術史において「舞踊」は重要なモチーフのひとつである。古代初期の仏教美術では仏伝図の中に、あるいは欄楯の浮彫の中に、舞踊表現が見い出せる。さらに、ヒンドゥー教寺院に至っては、寺院の荘厳な装飾として無数の踊り子像が、壁面、柱側面を埋めるという例も珍しくない。インドにおける舞踊と寺院の結び付きは深く、デーヴァダーシー(「神の召使」)と呼ばれる踊り子が寺に仕えることは広く知られ、また時に「歌舞殿」が寺院に付属するように、舞踊が寺院建築に影響を与える例もみられる。[注1]
 インド美術において数々残る舞踊表現であるが、それらは以下の四つに大別できる。
 ①信仰対象としての舞踊表現。
 ②踊りが物語の一要素になっている舞踊表現。
 ③寺院の柱や壁の空間を埋める装飾としての舞踊表現。
 ④「カラナ」の表現。

 ①の範疇に入る舞踊表現は、シヴァを始めヴィシュヌ、クリシュナ、ガネーシャなど、神が踊る姿をとるもので、「ヌリッタムールティ」と呼ばれる。K・クーマラスワミー、カピラ・ヴァッツァヤン、C・シヴァラマムールティなどによる先学の研究では、神の舞踊に込められたインドの宇宙観などが考察されている。[注2] ②の例としては、仏伝図の降魔成道の場面で仏陀を誘惑する舞踊、クリシュナが牛飼いの女性と踊る場面が挙げられる。
 さて、④のカラナの表現であるが、これはタンジャーヴールのブリハディーシュヴァラ寺院、チダンバラムのナタラージャ寺院、クンバコナムのシャーランガパニー寺院などにみられる特殊な舞踊表現である。
 『ナーティヤ・シャーストラ』はインドにおける最古の舞踊・演劇に関する理論書で、三六章からなり、舞踊、劇の構成、演技、衣装、劇場、音楽、詩論などを網羅した演劇・舞踊の百科全書的様相をみせている[注3]。 舞踊に関わる章では、頭部、手、胸部、胴周り、腰、脚、目、眉毛、鼻、口、唇、顎というように、身体各部が細分化し、舞踊で用いられるそれぞれの動きが分析されている[注4]。そして「ターンダヴァ・ラクシャナム」の別名で知られる同書第四章には一〇八のカラナが列挙されている。カラナとは舞踊で用いられる肢体の基本的なコンビネーション、あるいは動きの型のことであり、複数のカラナが一連の舞踊運動を構成する[注5]。寺院に残るカラナの彫刻はカラナを説明する刻文を伴うこともあり、舞踊の教本に付される挿図のような役割がみられる。カラナの彫刻に関するこれまでの研究は、主に古典書に記述されるカラナと彫刻上の舞踊の型を同定するもので[注6]、このような研究法はカラナの彫刻に留まらず、舞踊図全般、特に③のカテゴリーに属す舞踊表現にも活用されている。
 古典書の中の舞踊を彫刻の上にみようとするこのようなアプローチは、実際の舞踊に多くの示唆を与えているが、ここで留意すべきは、彫刻や絵画という媒体で表現された舞踊が、その時代の舞踊をそのまま表現しているとは限らないという点である。カピラ・ヴァッツァヤンは美術上の舞踊表現に関し、「動きは限界をもってしか表現されえず、彫塑媒体はある動きの一点をつかみとることしかできない。・・彫刻的表現は、動きの大まかな姿でしかなく、動き全体を表現することは不可能なのである[注7]」と述べている。舞踊彫刻は、「動き」を本質とした舞踊と、「静止」という彫刻の特性を併せ持っている。動きの一瞬しかとらえられないという彫刻の限界は同時に、その「静止」の中に彫刻を構成するさまざまな要素――例えば民族・作者・地域・時代などの造形表現に対する趣向、表現の場と共有するコスモロジ――が見出せるという可能性をもつ。舞踊彫刻が実際の舞踊のヴィジュアル資料に留まらないのはこの点である。
 当稿は、インド美術史、特に舞踊彫刻が頻繁に作られたチョーラ朝後期に焦点をあて、そこに見られる奇異な踊り子像を通し、その踊り子の意味を他の彫刻、寺院建築全体から解明していくことを目的にしたものである。

2――後期チョーラ朝の舞踊彫刻
 九世紀〜一三世紀、南インドに巨大な勢力を築きあげたチョーラ朝は寺院建造に力を注ぎ、現在でもタミルナードゥ州を中心にした地域にこの時代の寺院が林立している。この王朝期には、さまざまな文化活動が活発になり、諸王はそのパトロンとして名を残している。チョーラ朝最盛期に在位し、タンジャーヴールの大寺院ブリハディーシュヴァラを創建したことで知られるラージャラージャ一世(九八五〜一〇一六年)は四〇〇人の踊り子を集め、大寺院の周辺に彼女たちの居住となる長い通りを二本建設したことが伝えられている[注8]。またこのチョーラ朝は、踊るシヴァ神を象ったブロンズ像の意欲的な製作を始めたり、カラナの浮彫彫刻が表現されたりというように、舞踊のヴィジュアル化が大きく進められた時代でもある。
 ラージャラージャ一世、つづくラージェーンドラ一世(一〇一六〜四四年)のチョーラ朝最盛期の後、一〇七〇年に即位したクローットゥンガ一世(一〇七〇〜一一二二年)に始まる後期チョーラ朝の諸王は、その王朝が衰退をみせる一三世紀前半まで寺院の建立、増築を続けた。この時期に建てられたダーラースラムのアイラーヴァテシュヴァラ寺院、ティルブヴァナムのカンパハレーシュヴァラ寺院はチョーラ朝最後の巨大寺院であり、壮大な高塔をもつ寺院建築と優れた彫刻群を残している。この時代の寺院建築がみせる特徴は、「ティルッカーマコーッタム」という名で知られる女神の祠堂が独立して建立されたこと、高塔をもった壮大なゴープラム(楼門)の建築が始められたこと、ヴィマーナ(本殿)全体が馬あるいは象の彫刻で引かれる「車」の様態をとっているなどが挙げられる。そしてこの時代、舞踊彫刻は神像を始め荘厳の目的で寺院の至るところで見ることができる。

 後期チョーラ朝を代表する寺院はダーラースラムに建つアイラーヴァテシュヴァラ寺院である。インド南部、タミルナードゥ州中東部のタンジャーヴール地方に位置するクンバコナムはチョーラ朝の重要な寺院の中心地であり、数々の寺院が林立し、現在でも多くの信者がここを訪れる。クンバコナムから南に五キロのダーラースラムに立つアイラーヴァテシュヴァラはシヴァ派の寺院で、後期チョーラ朝のラージャラージャ二世(一一四六〜一一七二年)により建立、別名「ラージャラージェーシュヴァラム」で知られる。東西一〇九メートル、南北七〇・二五メートルの外壁に囲まれた寺院は東向きに建ち、主尊シヴァリンガを祀る聖室ガルバグリハ、そして前殿アルダマンダパ、マハーマンダパ、ムカマンダパが直線上に並ぶ。本殿の南東部にはラージャガンビランティルマンダパが付属し、この時代特有の車型の建築様式を見せている。
 さて、この寺院の本殿はウパピータと呼ばれる基壇部の上に立ち、その基壇には区切りをもったパネルが並ぶ。これらのパネルには『マハーバーラタ』からとられた場面、こぶ牛、ライオン、戦士の姿などが描かれているが、そこで最も多く採用されているモチーフは舞踊である。
 この時代の特徴的な舞踊の型は、正面性が強く、両肩は地面と平行に保たれるものであり、下半身の型は大きく膝を開いて腰を深くおとし、脚で菱形を作るのが基本で、足の爪先を左右に開いたり、足を交差させたり、片足の爪先をたてたりなどのバリエーションがみられる。アイラーヴァテシュヴァラ寺院の基壇部パネルに残る舞踊像の踊りの型を分析していくと、いずれも後期チョーラ朝の特徴的な型にあてはまるが、中にはそれらから逸脱する例もみることができる。その一つが、腰を大きくひねり、膝を曲げず脚を前後に開き、上半身は手を組み、腕を突き出すものである(以下、この上半身はUP:01 と記す。なお、"UP"は「上半身の型(upper posture)」の略)[図1、挿図1、2]。

}図1 舞踊図、ダー
ラースラム、アイラ
ーヴァテシュヴァラ
寺院、基段部パネル
大きく腰をひねり胸部と臀部を正面に向けるこの舞踊の型は、同時代の基本的な舞踊の型の中でひときわ異彩を放ち、このアイラーヴァテシュヴァラ寺院だけでなく、他の後期チョーラ朝の寺院の舞踊彫刻にも見られるものである[図2、3]。この奇異な舞踊の型を
挿図1 UP:01
挿図2 チョーラ
朝後期舞踊彫刻に
おける捻れた下半身
とる踊り子には、さらにその特異性を際立たせる特徴がある。それはこの踊り子の顔には口髭、一方の正面を向いた上半身には豊かな胸が表現されていることである。つまりこの踊り子は両性具有なのだ。
図2 舞踊図、ティ
ルヴァールール、
ティヤガラージャ
スワミン寺院、第
二ゴープラム(西面)
図3 舞踊図、メッラ
イカダンブール、ア
ムルタガテシュヴァ
ラ寺院、本殿軒下部
(南面)
 手を組み、腕を突き出し、大きく腰をひねり胸部と臀部を正面に向けるこの奇異な舞踊の型は、舞踊の型を分析したカラナの舞踊図群の中にはみることができない。 加えて、両性具有というこの踊り手に見られる特性は、アルダナーリーというシヴァの両性具有像を除き、インド美術においても珍しいものである。以下、この両性具有の踊り子像の舞踊の型、そしてその意味をさらに考察していくことにする。

3――捻れた下半身
 アイラーヴァテシュヴァラ寺院の最東部に開くムカマンダパは、一〇〇本余りの支柱に支えられている。支柱の種類は四種あり、規則的に配置されている。その支柱の側面には余すところなく神像、神話上の動物、花模様などが描かれるが、そこで最も多く表現されるのは舞踊である。それらの舞踊型を分析していくと、手を組み、腕を前方に突き出し、大きく腰をひねり胸部と臀部を正面に向ける舞踊の型は六例見ることができる。
 また、同じ下半身の型ながら、上半身は別の型をもっている踊り子像がいくつかあり、そこで組み合わせられている上半身としては、片手の手のひらを肩の前で正面に向け、反対側の腕は上方に延ばすもの(UP:02)[挿図3]、その手を腿の上に置くもの(UP:03)[挿図4]、肘を曲げ上方に挙げるもの(UP:04)[挿図5]、

挿図3 UP:02
挿図4 UP:03
挿図5 UP:04
挿図6 UP:05
挿図7 UP:06
片手でアラパドマ(小指からそれぞの指を曲げ、間隔を開いた手印[注9])をとり頭上にあげ、もう一方の腕は上部に延ばすもの(UP:05)[図4、挿図6]、
挿図8 UP:07
挿図9 UP:08
その手を腿の上に置くもの(UP:06)[挿図7]、片腕は上方に延ばし、もう一方の手は腰におくもの(UP:07)[挿図8]、両手を上方に広げて挙げるもの(UP:08)[挿図9]などがある[表]。
}4@x}A_[
[XAAC
[@eV@
@AJ}_p
x
 UP:01を除き、これらの上半身はいずれも後期チョーラ朝の舞踊彫刻においては高い頻度でみられるものであるが、一方、手を組み前につきだす上半身の型と別の下半身の型の組み合わせをみることはできない。つまり、この両性具有の踊り子像において特徴となるのは、腰を大きくねじった下半身の型にあるといえる。

4――両性具有の踊り子像と円形装飾の被り物
 さて、奇異な下半身の型をもった両性具有の踊り子像にはひとつの共通点がある。それはこの踊り子像のほとんどが円形の大きな被り物をかぶっているということである。この被り物は、現在インドで演じられる歌舞劇カタカリやヤクシャガーナなどにみられるものと似ており、被り物の正面部には縁どりや放射線状の装飾が施されている。ただし、この装飾された円形の被り物をかぶっている人物像は両性具有の踊り子に限られるものではない。この踊り子像の意味を探るため、次に同時代における円形の被り物をかぶる人物像をみていくことにする。

 先に紹介したダーラースラムのアイラーヴァテシュヴァラ寺院ムカマンダパ支柱側面には、円形の被り物をかぶった奇異な人物像がひとつみられる[図5]。

図5 ダーラースラム、
アイラーヴァテシュ
ヴァラ寺院、ムカマン
ダパ支柱側面
ムカマンダパ内南部に位置する柱の西面には三つのメダイヨンが上下に並び、その最下部のメダイヨンには三人の人物が描かれている。向かって左には高い冠をかぶった王らしき人物が座っており、中央には円形の被り物をかぶった人物、そして右側には片手を挙げた女性が立っている。メダイヨン中央で被り物をかぶる人物は、王に向かい胸の前で合掌している。そしてここで留意すべきはこの人物の姿勢である。合掌する上半身は正面を向きながら、臀部が正面を向いている、つまり、この人物の体は不自然にも上半身と下半身が捻れているのである。被り物をかぶり合掌するこの人物像と、口髭と豊満な胸をたくわえた両性具有の踊り子像との共通性、それは捻れた下半身である。いずれも腰部を大きく回転させ、下半身の正面が描かれていない。ここで推測できるのは、被り物をかぶった合掌の人物像、そして両性具有の踊り子像は、不自然な体の動きを表現しながら、男性器がある体の正面をあえて隠しているということである。それは損失した男性性を暗示するといえるかもしれない。口髭と豊かな胸をたずさえる踊り子像がとる捻れた下半身は、両性具有を特徴づけるもう一つの表現とみることができるであろう。
 このムカマンダパではさらに別の被り物をかぶった人物像がみられる。同マンダパ東部に立つ柱の南側面の最下段は三つの区切りをもち、そこには『マハーバーラタ』からの一場面、ビーマとキーチャカの物語が描かれている[図6][注10]
図6 ダーラースラム、アイ
ラーヴァテシュヴァラ寺
院、ムカマンダパ支柱側面
 パーンドゥ王の五王子とその妻ドラウパディーは追放され、追放生活最後の一三年目、ヴィラータ王の宮殿で、ユディシュティラは賭博の師、ビーマは料理人、アルジュナは王女の踊りの師、ナクラは厩使い、サハーデーヴァは家畜使い、そしてドラウパディーは王妃の侍女として身を隠すことになる。ヴィラータ王の義弟キーチャカはドラウパディーを見るなり彼女に恋心を抱くようになるが、ドラウパディーはことごとく拒絶する。執拗に言い寄るキーチャカをドラウパディーはある夜、王宮の劇場に誘う。しかしそこで待っていたのはドラウパディーではなくビーマであった。キーチャカがドラウパディーと思い近づいたとたん、強靭ビーマはキーチャカを殺し、その体をまるめ肉塊の球にしたのだ[注11]
 支柱側面最下段の向かって左側の区画には、柱の陰に隠れるビーマが、そして中央部にはキーシャカを殺しその体を操るビーマの姿が描かれている。そして、このビーマの頭部には、両性具有の踊り子、上半身と下半身が前後逆になった人物像と同じ円形の被り物を見ることができる。

 クンバコナムの南東一一キロにあるパラヤーライという村はパッラヴァ朝からその名が知られ、後期チョーラ朝には大勢の僧侶たちが住み、さらにヴィクラマ・チョーラ王(一一一八〜一一三五年)の居住地があった所でもある[注12]。現在は簡素な村に過ぎないこのパラヤーライには、ソーマナータル(あるいはソーマリンガル)寺院が残っている。その建築様式は後期チョーラ朝の代表的な寺院、ダーラースラムのアイラーヴァテシュヴァラ寺院、トリブヴァナムのカンパハレーシュヴァラ寺院と通ずるところがあり、建立年代は紀元一一三〇から一一六〇年と推定されている[注13]
 この寺はかつて二重の外壁をもち、ゴープラムがそれぞれの方向に付されていたが、現在、東側に開いたゴープラムのみが残っており、その内側の通路外壁は、片面に八本、計一六本のパネルの列が配置されている[注14]。それぞれの列には、一〇のパネルが上下に並び、これらのうち四五のパネルが踊り子像、八のパネルが太鼓、シンバルなどの奏者像、その他、樹下女立像(シャーラバンジカー)、踊るガネーシャ像などを見ることができる。
 さて、このパネル群の中には先にアイラーヴァテシュヴァラ寺院の例で紹介したキーチャカを倒すビーマの姿を有するパネルがひとつある。そして、このビーマ像のパネルと向かい合う反対側のパネルには、ここで問題となる奇異な舞踊の型をとった踊り子像が残されている。
 ソーマナータル寺院東ゴープラム内壁に残るこれら二つのパネルの配置は、円形装飾の被り物をかぶった二つの人物像――両性具有の踊り子像とビーマ像――の関連性をさらに裏付けるものである。そして、ここに奇異な踊りの型をとった両性具有の踊り子像は『マハーバーラタ』に関連する人物と推定できる。『マハーバーラタ』において「踊り」、「両性具有」に関わる人物、それはアルジュナである。
 一三年間の追放生活の中で、素性を隠しヴィラータ王の宮殿で働くパーンドゥの五王子であるが、前述のように勇者アルジュナは踊りの師となる。かつて神々の武器を手に入れるため、天上界で過ごしたアルジュナはガンダルヴァの長チットラセーナから踊りと音楽を習う。アルジュナが地上に帰ろうとした時、チットラセーナは、魅惑的な天女ウルヴァシーを使い、彼を天上界に留めようとする。ある夜、その豊潤な体でウルヴァシーはアルジュナを誘惑したが、アルジュナはウルヴァシーを相手にしなかった。それに立腹したウルヴァシーはアルジュナに対し、男性性を失い女たちの間で踊りを踊るものになるよう呪う[注15]。そして追放生活最後の年、ヴィラータ王の宮殿においてアルジュナは去勢された体で、踊りと歌を王女ウッタラーに教えることとなる[注16]。アイラーヴァテシュヴァラ寺院ムカマンダパにみられた合掌する異形の人物像はヴィラータ王を拝するアルジュナ、また奇異な踊りの型をとった両性具有の踊り子像はヴィラータ王の宮殿で踊りを教えるアルジュナの姿であると以上より推定できるであろう。

5――踊るアルジュナ像の重要性
 後期チョーラ朝の寺院では、先に紹介したキーチャカを殺すビーマ像を始め、『マハーバーラタ』の場面が浮彫彫刻で描かれるので、その登場人物の一人アルジュナの姿がこの時代の踊り子像として見られるのは不自然なことではない。さて、ダーラースラムのアイラーヴァテシュヴァラ寺院ムカマンダパ支柱側面の『マハーバーラタ』、『ラーマーヤナ』の登場人物の頻度は、
 『マハーバーラタ』関連
  ビーマ、キーチャカ(一例)
  キラータールジュナ(一例)
 『ラーマーヤナ』関連
  バーリン、スグリーヴァ(一例)
  ラーマ、シーター、ラクシュマナ(一例)
 と分析する調査報告がある[注17]。前述のように、このムカマンダパには両性具有として踊るアルジュナの姿が約二〇例みられるが、以上の調査結果と比較すると、『マハーバーラタ』の一登場人物であるアルジュナの舞踊表現は異例に多いことがわかる。

 さて、アイラーヴァテシュヴァラ寺院の隣には女神の寺院ダイヴァナーヤキが独立してたつ。この寺の建立年代に関しての刻文はみつかっていないが、建築様式はアイラーヴァテシュヴァラ本殿と共通する点が多く、本殿が建てられて間もないころの建築物であることが推定される[注18]
 この寺は東方に開かれ、アイラーヴァテシュヴァラ寺院と同じく基壇の上に立っており、そこに並べられたパネルには倭人の舞踊あるいは戦う姿が多く見られる。前殿の東面には張り出しがあり、その左右には階段が付され、正面部には奏者を伴った踊り子像を描く三つの大きなパネルがはめ込まれている[図7]。

図7 ダーラースラム、ダイヴァナーヤキ
寺院、張り出し部
 向かって右側のパネルでは太鼓とシンバル奏者に挟まれた女性の踊り子の姿が描かれる。この踊り子がとる上半身の型は右手の手のひらを正面に向けるUP:02型、そして下半身の型は膝開き、腰を落として右足のかかとを上げるものである。左側のパネルの踊り子像は、肘を曲げた腕を上方にあげ、もう一方の腕は下方に伸ばす上半身、膝を開き腰を低く落とし、足を交差させる下半身の型をみせ、その脇には太鼓奏者、また片手をあげる人物が表わされている。そして、中央のパネルには口髭と豊かな胸をもったアルジュナの舞踊が太鼓奏者とシンバル奏者に挟まれる形で描かれている。このアルジュナ像にはその特徴となる腰を捻った下半身の型、さらに円形の被り物が明瞭に判別できるが、ここで留意すべきは、このダイヴァナーヤキ祠堂におけるアルジュナの舞踊像の配置である。これら三つのパネルが並べられているのは、寺院の最東部、つまりこの寺院境内に入ると最も正面にくる部分であり、さらにアルジュナの像はその中央部に表現されているのである。

 タミルナードゥ州ティルヴァールールのティヤガラージャスワミン寺院は長年にわたり建築が続けられた寺院で、後期チョーラ朝の王としてはラージャディラージャ二世、クローットゥンガ三世、ラージャラージャ三世の刻文がみられる。
 この寺には二つの回廊外壁があり、それぞれに東ゴープラムが付されているが、内側のゴープラムはパネルを並べた基壇の上にたち、そこには主に踊り子の姿が描かれている。通路口の左右それぞれ六パネル、計二四パネルがあり、その中の二パネルにアルジュナの舞踊がみられる。いずれも上から厚くペンキが塗られているため、口髭は判別できないが、豊満な胸、そして円形の被り物は判別できる。一つのパネルのアルジュナ像は太鼓奏者を伴ったもので、その特徴的な下半身をみせ、そしてアラパドマをとった右手を頭部横に、左手は腰にあてている。もう一つの踊るアルジュナ像は典型的なその舞踊の型、組んだ手を前につきだし、腰をひねった下半身をとっている[図2]。
 そして、このティヤガラージャスワミン寺院の例でも留意すべきは、これらアルジュナ像の配置位置である。踊るアルジュナ像を有するパネルは、ゴープラム西面の通路口のすぐ脇、つまり本殿に面したゴープラムの中心部二つを占めている。これらのアルジュナ像は異なる上半身をみせながら、同じ下半身を左右対称にとっており、二体で一組という様相をみせているが、ダーラースラムのダイヴァナーヤキ祠堂と同様、このゴープラムにおけるアルジュナの舞踊像は、寺院全体からも特出した場所に配されることとなっている。

6――性の境界を超えた踊り手の意味
 以上のように、後期チョーラ朝に見られる『マハーバーラタ』の一登場人物アルジュナ、その舞踊像の登場頻度の高さ、また時に寺院の特出した箇所に配置されるという表現意図には、時的な理Rを見い出せるかもしれない。例えばクローットゥンガ一世は周辺勢力との戦いを、「アルジュナがカーンダヴァの森を焼いたように、コーッタールの要塞を破り……[注19]」と例えたように、チョーラ朝勢力拡大においてはアルジュナの英雄化がみられる。寺院の多くが王朝の庇護の下に建立されるこの時代、王に好まれる図像が頻繁に登場することは決して特異な例ではない。しかしながら、以下のようなインドにおける舞踊観、そして両性具有の聖性などを考えるほうが、踊るアルジュナ像の特別な表現意図はより自然に理解できるのではないだろうか。

 インドにおける舞踊の理論書『アビナヤダルパナム』、あるいは『サンギータラトゥナカラ』によると、舞踊は三つのカテゴリ――ナーテャ(芝居)、ヌリテャ(音を伴ったマイム)、ヌルッタ(純粋舞踊)――に分類される[注20]。また別の角度から、舞踊というものが「ターンダヴァ」というダイナミックなものと「ラースャ」という優雅なものに分けられることもある[注21]
 『アビナヤダルパナム』によれば、「ターンダヴァ」はシヴァの従者ターンドゥから、「ラースャ」はパールヴァティの踊りから出たものとされる[注22]。そのため「ターンダヴァ」は「男性的な舞踊」、「ラースャ」は「女性的な舞踊」と分けられることもあるが、この分類はあくまでも踊りの技法に関してであり、踊り手の性別を限定するものではない。
 舞踊におけるこれらの分類法は、現在のインド舞踊でも広く採用され、ひとつの演目の中で「ナーテャ」、「ヌリテャ」、「ヌルッタ」そして「ターンダヴァ」、「ラースャ」を織り混ぜながら、舞台が構成されていく[注23]。舞台の上で踊り手はさまざまな役割を演じ、舞う。時には王になり、動物になり、勇者になり、恋をする乙女になる。役者を兼ねた踊り手は、あらゆる性別、年齢、社会的階級、さらに人、神、動物の境を超えた役割を舞い分けねばならない。
 その際、踊り手本人のジェンダーあるいは年齢がその踊りに関与することは許されない。舞台の上で踊り手は観客に芝居・踊りの内容・感情を伝える中立的な存在であることが要求される 。天女ウルヴァシーに呪われたアルジュナは男性性を失い、ヴィラータ王の宮廷で踊りを教えた。インドにおけるこのような舞踊観から考える場合、アルジュナの「男でもなく女でもない」という属性が、踊るアルジュナ像の特別な表現意図として想定できるであろう。
 性の境界を超えたものこそ、踊り手に要求される自己の中性化を象徴するものであり、完璧な舞踊手を特徴づけるものと言えるのである。舞踊彫刻が寺院の至るところにみられ、寺院と舞踊の結びつきの強さが窺えるこの時代、踊るアルジュナ像は理想的な舞踊手として表現されたものである。
 しかしながらアルジュナ舞踊像のシンボリズムはそれだけに留まらない。インドにおいて性の境界があやふやな存在としてヒジュラ[注24]は広く知られるところである。インドでは古来からヒジュラは「グル(師)」を中心に「チェラ(弟子)」たちがコミュニティーを構成、共同生活を営み、宗教的職能者、あるいは芸能者として子どもの誕生、結婚式、葬式など通過儀礼では欠かすことができない役割を演じている。
 両性具有である人びとは時に雨乞いをし、乾いた大地に豊穣をもたらし、また時に子孫繁栄を祈る。インドでは現在に至るまで、豊饒性を誘発する両性具有の聖性が人びとの生活の中で必要とされている。豊かな胸と口髭をたくわえたアルジュナ像に特別な表現意図を考える場合、インドの伝統の中に生き続けるこの両性具有の聖性を軽視することはできないであろう。

――おわりに
 以上、寺院における舞踊彫刻が盛んになる後期チョーラ朝という時代、そこに現れる奇異な舞踊の型に焦点を当て、その型をとった踊り子像の解明と表現意図を考察してみた。インドにおいては、宗教と美術、そして踊りを含めた芸能が密接な関わりを持っている。美術における踊りの表現は実際の舞踊を色濃く反映する。先学の研究が示唆してきたように、舞踊彫刻はかつてのインド舞踊の姿を見せることもある。
 しかしながら、彫刻における舞踊表現は、実際の舞踊の動きを写し取るのみではない。インド美術における膨大な数の舞踊表現からみえてくるものは決して少なくないはずである。
 ただし、舞踊彫刻の探求に潜む可能性は、芸能・彫刻に留まることのない多角的視点からの考察、体系的なフィールド調査によって裏づけされるということは言うまでもないであろう。

参考・引用文献
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  注


ふくろい・ゆうこ
一九九三年以降、マドゥライ・カーマラージ大学、マドラス大学の博士課程に在学し、特に舞踏表現に関わりながら、インド美術史を専攻。

*1 例えば、オリッサー州ブヴァネーシュヴァルに残るリンガラージャ寺(一一世紀)の歌舞殿(ナトマンディル)。

*2 Gopinatha Rao,Elements of Hindu Iconography vol. Ⅱ, Part I, Motilal Banarasidass Publishers, reprinted 1985,1993,pp.221-260; Ananada K. Coomaraswamy,The Dance of Shiva on Indian Art and Culture,Sagar Publications,reprinted,1991; KapilaVatsyayan,Classical Indian Dance in Literature and the Arts,Sangeet Natak Akademi,1968; Anne-Marie Gaston,Siva in Dance, Myth and Iconography,Oxford University Press,1982; David Smith,The Dance of Siva:Religion,Art and Poetry in South India,Cambridge University Press, 1996 など。

*3 Adya Rangacharya,The Nãtyasãstra:English Translation with Critical Notes,Munshiram Mahonarlal Publishers,1996,p.ⅹⅷ。

*4 The Nãtyasãstra,Vol.1& 2, (edited and translated by Manomo-han Ghosh), Manisha, revised 3rd ed.,1995、第8、9章。

*5 Michael Rabe,'Dynamics of Interaction Between Indian Dance and Sculpture', Bharata Natyam in Cultural Perspective (ed.George Kliger),American Institute of Indian Studies,1993,p.125.

*6 V.Narayanaswami Naidu, Srinivasulu Naidu,N.Rangayya Pantulu,Tãndava Laksanam,Munshiram Manoharlal, 1st published 1936,3rd ed.1980;Kapila Vatsyayan,Dance Sculpture in Sarangapani Temple,Society for Archaeologic-al,Historical and Epigraphical Research,1982;C. Sivaramamurti,Natarãja in Art, Thought and Literature,National Museum,1974など。

*7 Kapila Vatsyayan,Classical Indian Dance in Literature and the Arts,pp.269-270.

*8 C.Sivaramamurti,The Chola Temples,Archaeological Survey of India,1st ed.1960,5th ed.1992, p.16.

*9 Nandikesvara's Abhinaya-darpanam (ed.and translated by Manomohan Ghosh),Manisha,3rd ed.,1975,146.

*10 Françoise L'Hernault,Darasuram, École Français D'Extréme Orient,1987,p.113.

*11 Mahãbhãrata, 4:22.

*12 S.R.Balasubrahmanyam, Later Chola Temples,Mudgala Trust,1979,p.199.

*13 S.R.Balasubrahmanyam, Later Chola Temples,p.200.

*14 ただし、最上部のパネルは後代の修復とみられる。

*15 Mahãbhãrata, 3:45-46.

*16 Mahãbhãrata, 4:11.

*17 Françoise L'Hernault,Darasuram,p.93.

*18 Encyclopaedia of Indian Temple Architecture-South India Lower Dravidadesa 200B.C.-A.D.1324 ,pp.306-309.

*19 K.A.Nilakanta Sastri,The Cõlas,University of Madras,1984,p.312.

*20 Kapila Vatsyayan,Classical Indian Dance in Literature and the Arts, p. 25; Abhinayadarpana,11-12,15-16 ; Sangitaratnakara, Ch.Ⅶ, 4,16-17, 26-17.

*21 Kapila Vatsyayan,Classical Indian Dance in Literature and the Arts.

*22 Abhinayadarpana, 3-5.

*23 Kapila Vatsyayan,Classical Indian Dance in Literature and the Arts, p.27.

*24 ヒンディー語で「半陰陽」をあらわす語で、生まれながらに男でも女でもない人びとが作り出す集団をさす。ヒジュラたちは、おもに女装して歌や踊りを見せることで生計を立てている。


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