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シンポジウム◎東西文化交流と比較神話

ディスカッション


司会 時間があまりないので、一つ、二つだけ、どうしても聞いておきたいことはございますか。
参会者 きょうはすごく刺激的なお話をしていただき、ありがとうございました。お三方にそれぞれお伺いしたいのですが、神話学としてはそれぞれ違う立場で、お話をされたと思いますが、各神話の共通性とか、類似とか、アナロジーとかというものが、鶴岡先生の場合であれば、イメージとして交流があるという現実に基づいているわけで、これはちょっと今回の話とは違うかもしれませんが、基本的には実際に文化交流があったと。しかし、例えばユングの元型的な話のような、そういった神話構造自体が人間の中にアプリオリにあるんじゃないか、という考え方を全くとられておられないのかどうか、先生方にお聞きします。
吉田 全くとっていないわけじゃなくて、今回はこの講演の全体のテーマの趣旨に沿って、私の研究のそれに合った部分をお話ししたわけです。私は、ユング心理学の日本におけるその方面の第一人者、河合隼雄先生とご一緒に、『日本神話の思想』(ミネルバ書房)という本を出しておりまして、そこではユングの元型という考え方を大いに取り入れています。
 ですから、今まさにご指摘のように、神話の類似というのは二つの場合があると思うんです。例えばユングが言うように、人間が心理的に成長していく過程でもって、どうしても一人前になるために克服しなければならない問題を、ユングは母殺しという大変どぎつい言い方で表現しています。そして、世界中どこでもその問題を克服しなければいけないので、自分が心理的な成長を遂げるために、その桎梏から逃れなければならない。元型的な母親、デヴォアリング・グレート・マザーと言うわけですが、そういうものと対決をして、それに勝つ、殺してしまう、それでもって初めて一人前になれるんだと。そのユングの言う「母殺し」の表現と思われる英雄による怪物退治の神話は世界中に共通してあるわけです。
 ただ、じゃあどこでもそれが同じなのかといったら、やはり違いがあると思うんです。
 日本の場合、河合先生のご著作がなぜこれだけもてはやされるか。本屋さんに行って私の本を取り上げてごらんになると、大概、第二刷とか、後ろに書いてあります。河合先生の本を開いてみると、二十何刷とか、すごく売れるんです。それはなぜかというと、これは日本の文化の特徴でして、日本の人にとってユングの言う母殺しというのは欧米の人よりもさらにいっそう困難なことであって、ほとんどの日本人は母殺しができていない。母離れができていないわけです。
 例えば素戔鳴尊の八岐大蛇退治というのは、まさにユングの言う元型的デヴォアリング・グレート・マザーの殺害がそこに表現されているのですが、素戔鳴尊は確かに八岐大蛇を退治して、クシナダヒメと結婚するわけです。そこまではペルセウス型の神話そのものなんですけれども、それでもってせっかく手に入れた草薙の剣を、自分の姉さんの天照大神に献上してしまうわけです。草薙の剣というのは、さっき申しました三種の神器の一つですから、これを手に入れたということは、そこで素戔鳴尊は葦原中国の支配者の力を手に入れたわけです。
 素戔鳴尊は、生まれたときに父親の伊邪那岐命に、「汝命は海原を知らせ」と言われたのに、ヨモツクニにいるお母さんが恋しくて、それができなくて泣きわめいてばかりいたわけです。その素戔鳴尊が八岐大蛇を退治した。これはまさにユングの言う母殺しを遂げたわけです。けれども草薙の剣を、今度は自分の母親代理に見立てていた天照大神に献上したということは、素戔鳴尊はペルセウスとは違って、母殺しをしてもまだ母離れできない。
 河合先生は、日本の男はみんな永遠の少年だと。これは母離れのできない、母殺しのできていない男のことを言うわけですが、永遠の少年の社会だとか、母性社会日本だとか、そういうふうにおっしゃいます。
 そういう意味で日本の神話を考える場合には、そういう元型が確かに表現されている。だけどそれがほかの文化で元型が表現される、その表現のされ方とは、日本の場合は独特の違いがある。そういうことが考えられるんじゃないかと思います。
司会 よろしいですか。
鶴岡 バスがあるので、終わってからここでお話ししますので。
司会 私もどうしていいかよくわからなくなっておりますが、バスをお気になさらない方が多いのであれば、もう少しお話を続けてもよろしいんですが、いかがでしょうか。
松村 私は特にないです。吉田先生が十分に委曲を尽くしてお話しくださったと思います。
司会 それでは、あわただしい中で申しわけありませんが、締めの言葉を、和光大学の表現学部長、前田耕作先生にお願いしたいと思います。
前田 結語をということですが、結びの言葉というふうに理解していただければいいと思います。
 三時間に及ぶそれぞれのスピーチに、大変感動しております。皆さんのおかげできちんと三時間、密度の高い時間をここで過ごさせていただいたのを、大変ありがたいと思っております。
 先生方も実にすばらしい話を披露していただいたと思います。スキタイの話から始まりまして、ケルトまで至って、まさに洋の東西を神話の構造をもってつないでいただいた吉田先生、それから鶴岡先生は、イメージの断続を通して、にもかかわらずイメージの存続の力というものがいかに強烈であるかということを、私たちに語りかけてくださいました。
 いずれも心に残ることは、最初に吉田先生がおっしゃったように、比較神話学が成立するときに、一つの枠組みをつくって比較をしていくわけです。そしてその枠組みというのはインド・ヨーロッパという枠組みなのですが、その枠組みを維持しないと、いわば比較の精密度、あるいは信憑性というものが改めて問われるということになりますから、その枠組みの中できちんと成立してきました。その枠組みを、鶴岡先生も吉田先生も超えられて、インド・ヨーロッパの枠組みをはずされた。その問題提起を、一つは神話の構造を通して、一つはイメージの変容を通して話されたということは、非常に大きな意味があったと私は受けとめました。先生方ならではということです。
 それから、松村先生は、『オデュッセイア』から『ロビンソン・クルーソー』を経て、そして『ユリシーズ』まで、どういう変容があったのかということを展開していただきました。
 『オデュッセイア』については、やや点が辛いのではないかと、『オデュッセイア』ファンといたしましては、いささか納得しかねると思わぬ点がないわけでもなかったんです。
 『オデュッセイア』の主人公オデュッセウスは確かにトロイの戦争に勝って帰国の途につくわけですが、彼は偉大な戦士として多くの人びとを殺してしまった。帰還途上の流浪の旅は、その魂をいかに浄化するかという根本的課題を背負ってのことでした。これを『ロビンソン・クルーソー』ごときと一緒にされてはとてもたまらない、というのが私の思いです。
 そういう感じがいたしましたが、さてやがてジョイスの『ユリシーズ』に受け継がれていって、いわば二〇世紀の散文世界というものを対象にしたときに、はたして『オデュッセイア』のような問題がどのようにつかまえなおされるのか。私はジョイスもまた魂の問題を依然として引きずっているという意味では連続性があると思っております。
 このことは私が発見したことではなくて、ホメロスにおける魂問題というものをテーマ化したエルビン・ローデーという偉い学者がいて、たまたまそれを今、学生たちとゼミで、魂とはいかなる構造のものかということを『オデュッセイア』を通して読んでいるので、思いいたったということです。
 それはともあれ、スキタイの話は非常に象徴的だったと思います。これは鶴岡さんのスキタイ、サルマタイの文様の話も通してですが、黒海の上側がいわばスキタイですから、そのスキタイからもう少しアジア側のカスピ海に寄ったところのサルマタイというようなものが、東西の文化を考える上で非常に大きなブリッジをかけているということが伝わったのではないかと思います。
 そのときに鶴岡先生はロストフツェフという人の名を挙げられましたが、ロストフツェフは、一九一七年のロシア革命の後、ロシアのその後の歩み方に異議を唱えて、アメリカにやがて亡命せざるを得ないという人生をたどった人です。そういう一つの歩みと、もう一つは、そういう自分の運命をやむなく選択させている背景に、一つのキリスト教社会ならキリスト教社会の社会観みたいなものを背負っておられて、それに対する反発も一つあって、彼はもう少し遊牧的なものを、最近のはやりの言葉で言うと反思考的と言うんでしょうか、そういう研究をロストフツェフは抱え続けた人だったというふうに思います。
 最近、幸いなことに、ロストフツェフの『ローマ社会経済史』という巨大な本が翻訳されました。翻訳者のあとがきを見ますと、二五年かかって訳したということです。今時そういう人がいるのだというので、それにも改めて感動いたしましたが、実は私たちはロストフツェフのことをよく知っていて、昔、新潮社から出ました『隊商都市』という本があります。パルミラという、シリア砂漠の東の方、ユーフラテスの川岸にある、一つの遺跡の発掘に彼は携わるわけですが、そこでいわば東西をつなぐ一つの文化を発見したんです。これがパルティアというもので、彼はパルティア文化の存在ということを初めて提起しました。私たちもまたそのパルティア文化論に非常に大きな影響を与えられたことを覚えています。
 それはなぜかというと、パルティアはガンダーラの芸術と非常に深いつながりがあったからなのです。それが立てられるまでは、ローマあるいはヘレニズムとガンダーラとの間に文化的なブリッジを架けることができなかったのです。それをブリッジできるものがパルティアで、パルミラを中心としたところに独自に花開いた文化だったのです。このことをロストフツェフが指摘して、これに一つの文化として名称をつけるべきだということを彼は提案したのです。そのことによって初めてブリッジがかかったという、そういう経験がありました。
 私がしゃべっていてはいけませんので、結びの言葉ですが、きょうの講師の方の長い熱弁に皆さん方がご支持を与えてくださったことを、大学といたしまして、あらためて感謝を申し上げます。
 先生方の紹介が前後しますが、吉田敦彦先生はもっとも早くジョルジュ・デュメジルという世界的な比較神話学者に学ばれ、その比較理論を日本神話に適用され、こんにち独自の日本文化論を展開されている方です。デュメジルが一九六六年に出した『古ローマの宗教』という画期的な大著の序文に、私はアツヒコ・ヨシダの名を初めて目にし驚いた思い出があります。
 鶴岡真弓先生は和光大学の「象徴図像研究会」に当初より加わっていただき、共に勉強してきました。エミール・バンヴェニストの名著『インド‖ヨーロッパ語彙集』の翻訳出版の仕事もいっしょにいたしました。それにバンヴェニストとデュメジルが友人であったことも、不思議な縁を感じます。鶴岡先生は一九八九年に『ケルト/装飾的思考』を出版され、衝撃をもって多くの人びとに迎え入れられました。
 このおふた方に今日、ここにつどいよって下さったことを感謝しないではおれません。
 先生方、ありがとうございました。
 これを機会に和光大学のほうに足を運んでいただきたいと思います。これは先生方にもお願いしますし、聴衆の皆様にもお願いをしたい。
 ありがとうございました。

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