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シンポジウム◎東西文化交流と比較神話

ユーラシアの美術交流 ケルトから視る

鶴岡真弓・立命館大学文学部教授

 私は、ケルトの美術・文化の研究でアイルランドに留学後、八〇年代の初めに、和光大学で非常勤講師として教壇に立たせていただきました。その意味で私は和光大学の「卒業生」でもあります。その後も前田先生を座長としていろいろな形で支えてくださっている先生方とともに、表象と芸術、イメージ、そういったキーワードの研究会に参加させていただきました。
 現在は、京都の立命館大学文学部で、芸術について講じておりますが、そもそも自明のものとしてアートやデザインがあるというのではなくて、文学ないし人文学、つまり人間とは何か、私と世界との関係は何か、私が生きる中で私はどういう世界像を持って生きていくのか、そういうヒューマニティーズの根本にできるだけ触れながら、芸術やデザインについて講じているつもりです。
 きょうの「東西文化交流と比較神話」というお題をいただいたのは何カ月か前でした。ヨーロッパと日本を隔てながら同時につないでいるユーロアジア、ユーラシア大陸は、今は不幸なことに戦争に巻き込まれています。そこにはさまざまな地域や文明がありますが、その西側と東側を研究することにおいて、日本の大学の中では和光大学の研究会や調査隊が非常にご活躍されています。ですから、「東西文化交流と比較神話」というお題をいただいて、私は非常にまともに反応しまして、ユーラシア大陸をつないだ世界像はたくさんあるけれども、その中で非常に重要な「動物イメージ」、「動物という神」、「動物」というものに人間が思いをいたすときに、どういう形、意味、意匠を込めていたのか、その共通性と違いを考えようとしました。
 おそらく、共通性と違いは何かを考えるときのコインの裏表であり、そのどちらかを強調することではないと思います。私は囲碁はやりませんし、将棋もチンプンカンプンですが、碁の世界で言うと、グリッドの中に白い石であれ黒い石であれ石を置いたときに、それは石として一応そこに存在はしていますが、その置かれた碁石は、隣の石あるいは一〇センチ離れたところにある黒い石、あるいは自分の手前のほうにある白い石、などとの「関係」の中で初めて生命を持ってそこにあるということですね。
 例えばケルトの美術をやっていますと、ケルトの美術というその繭玉の中で、ケルトの美術があたかも糸を非常に純粋に紡いでいるような形として考えてしまいがちです。しかし、きょう、お話しするように、ロシアのある研究者の方から言えば、ケルトはスキタイとバルカン半島周辺で間接的ではあれ文化的な接触を起こしており、「ケルト」文化や美術も大いなる「関係」の中に存在していることがわかります。たとえば吉田先生は、実際ケルト神話の中の聖なる象徴物と日本の神話の中にある聖なる象徴物、そして真ん中にあるスキタイの象徴物が非常に連関を持ってながめられるという考え方を、神話学のほうから提示されました。さらに日本人である吉田先生はそれを展開させて、師匠のデュメジルを超える日本からの考え方の例証というものを世界に発信しておられるわけです。
 美術史の上でもそういうものがあって、今の吉田先生のお話に倣えば、ケルトはユーラシア大陸の東のほうと非常につながっているという様相を予測できるわけです。物の世界――美術は一つのマテリアの中にクオリア、観念を表しているわけですから――人が動かなくても、貿易や交易で物が動き、それによってひとつの「世界観」つまり「文化」が伝わっていくわけです。
 つまり神話の言葉と同じように、美術には物の言葉があって、さらに物の言葉は単なる石ころの言葉ではなくて、そこにはそれをつくった職人や民族の世界像のメッセージが含まれているはずです。同じ丸を描いても、それは白いお餅だと見る日本人の文化と、サークルを描けば中は空洞だというように考える西洋の人たちの文化は違うわけです。「丸という形」は、人が行かなくても、一枚の写本とか一個の丸い金属とかが動くだけで交流します。
 「交流」というのは人間にとって、自分はより十全な碁石としてありたいという、そういう願いのようなものが交流史であると思います。ですから、きょうのタイトルの「文化交流」というのは、ただ自明の交流ということでなくて、実際に交流がどうあったのかということを科学的に認識すると同時に、ひとつの文化の担い手が自分の存在を交流的なものとしてどれだけ生きたかという視点から見られる問いでもあると思うんです。

 私のタイトルは「ユーラシアの美術交流」というのがメインタイトルで、サブタイトルは「ケルトから視る」というものにさせていただきました。
 「ケルト」というのは、いくつかの見方がありますが、皆さんが一番よくご存じなのは、地中海のギリシャ・ローマ文明に対するアルプス以北の北方文明であるというのが一つあります。
 二つ目は、キリスト教が入って来てからの中世ヨーロッパの世界観から見ると、キリスト教の世界に対立する異教的な伝統文化を持っている文化文明であるということです。
 三つ目は、近世・近代になりますと、イギリスやフランスという近代的な社会をつくり上げていった「中心」に対して、非常におくれた周縁の地域であるということです。
 しかし、これはさっき言った繭玉の中の三つの定義にすぎません。きょうはその繭玉からはじけて、「ケルト」文明の四つ目の側面として、ユーロアジアつまりユーラシア大陸の中で一八世紀末から一九世紀、二〇世紀と展開してきたインド・ヨーロッパ比較言語学の体系の中の最も極西の部分に、その言語体系の一員である人たちが形づくった文化としてのケルトという位置から見ていきたいわけです。さっき吉田先生が引用されたトゥアハデダナンなどの神話はゲール語(ケルト語)で書かれたもので、インド・ヨーロッパの言語の体系からすると一番西にあり、そしてインドやイランやヨーロッパ諸語と親戚関係にあるわけです。インド・ヨーロッパ世界の一番極西部をしっかりと保っている文化であるという側面です。
 それから五つ目は、きょうお話しすることですが、インド・ヨーロッパ比較言語学が想定した範囲は西ヨーロッパからインドまでですが、ユーラシア大陸はその範囲を超えてインドより東にもうちょっとあり、中国が代表としてありますね。インド・ヨーロッパの範囲より東方にかかわって参照できるケルト、つまりユーラシア大陸の極西から極東までの文明の関係、交流というものの一端を担う文化、それが五つ目になると思います。
 五つ目の問題は、一八世紀末から一九世紀の前半期に、スカンジナビアやロシア、ドイツ、英国など、主にヨーロッパ北方の研究者たちが、アニマル・スタイル、動物様式ないし動物文様、動物意匠を研究して、今言った五番目の世界像の中にケルトを入れ込んでいく、そういう研究をしてきました。

 皆さん動物というと、ミッキーマウスをすぐ思い浮かべる人、金魚などを思い浮かべる人、それから日本の神話とかが好きで八岐大蛇などを思う人とか、あるいは身近にペットを飼っていらっしゃって、犬とか猫を思う人、いろいろいらっしゃると思うんです。その中で一番意味深いのは私はミッキーマウスのような気がしますが、これはキリスト教文明が生んだ「神の理性を与えられた」動物で、これはこれでまたいろいろ論じられるんですが、それをやっているとまた遅くなるので今回はやめます。
皆さんの中で動物を飼っている人もいると思いますが、動物というのは愛らしい、それから人間の続きで生命を持った同胞である、そういうことがあると思いますが、なぜ飼ったり、動物園に行ったり、ミッキーマウスのシールとかを持っているかというと、それはおもしろいからだと思うんです。おもしろいというのは、思いがけない他者、存在で、思いがけない存在というのはおもしろいんですね。恋人が最初は思いがけない他者だったのに、付き合ってみたらその思いがけなさがなくなって、すごく色があせていったりするわけで、つまり思いがけないという衝撃はすごく大きいんです。
 そしてたぶん動物文様美術、アニマル・スタイルを古代につくってきた民族、スキタイもケルトも中国の人たちも、動物という存在に、笹の中にぱっと見えないとか、天を飛んでいる空想とか、あるいは身近にいるミミズまで含めて、全部それは人間にとって何かすごいものだと、つまり畏敬の念というのを持っていたはずで、その畏敬の念が形になって現れている。ですから、これはただ遊牧民であるからとか、動物が身近にいたから描写したというのではなくて、つまり「実態」から「イメージ」を作ったのではなくて、「イメージ」から「実態」へアプローチする、すごく大きな手段だった。考えることの手段あるいは生きることを構築していくことを表す表象だったということです。
 ついでに言いますと、これは授業でよく言うことですが、特に若い学生さんがいらっしゃるから言いますけれども、何か勉強するのは、この世界には何か私が知らなければいけない実態が石のようにいっぱい転がっていて、それを一個一個手にとって全部調べないと自分は何もものが言えないと思っていることも含めて、それは「実態」から「イメージ」を作り世界を解釈する方法ということになります。しかし実際はその逆の方法で、世界像や思考が構築されていくのではないでしょうか。

 さて、イメージから実態への一番印象的なデザインとしては次のようものがあげられます。図1は、アイルランドのダブリンから車で一時間ほど行ったケルズ修道院というところで完成された『ケルズの書』という福音書の、Tというラテン語のアルファベットの頭文字に動物が結合している、何とも奇妙なものです。ジェイムズ・ジョイスはこれを『フィネガンズウェイク』でパロディに使いました。トゥンク・ページと言いますが、これをごらんいただいただけでも、何か気持ちの悪い、しかしパワフルで何か圧倒的な感じを受けるのは私だけではないと思います。
 これは動物という実態を描写してこうなったのではありません。たとえばカントは死ぬ瞬間に、私の外に広がるマクロコスモスと、私の内面に広がるミクロコスモスは本当にわからない、つまり内の実態も外の実態もわからない、と言いました。「動物」の表現も動物の実態を確信したものではなく、それへの畏敬や謎めく存在への関心の総体を「イメージ」として表したといえる。その民族や個人が自分には世界はこう見えるというイメージをまず提示して、実態にアプローチする扉を開けるということです。
 さきほど吉田先生が、スキタイの人たちは金属をすごく尊重していたとおっしゃいました。それは神殿みたいな大きい金属ではなくて、実際にはすごく小さいわけです。ブローチとしてつけるような、腰にじゃらっと下げるようなものが宝物になった、そういう小さな世界なんです。
 そこにこういうデモーニッシュな動物が形どられているわけですが――これはちょっと見たら取るに足りない、実際の動物を何か下手うまで描写したようにさえ見えてしまうものなんですが――実は彼らは実態を描写したのではなくて、端的に言えば、彼らが世界を見るときに、自分たちにとって畏敬すべき動物という神、動物という意外な存在、動物というすごくおもしろい存在、思いがけない生き物、それが私にとって何かすごい意味を持っているということ、それをこういうイメージにすることによって、自分たちの実態というのは何だろうというように扉を開いたのです。ですから、デザインとか美術とかイメージというのは、実態への最初の扉であって、実態の転写ではないわけです。
 写実主義的な美術の権威、古典的な権威、そういうものがずっとあって、それはそれですばらしい美術です。ギリシャとか、ローマとか、あるいは日本人も近代になって模倣したようなのはすごく重要なんですが、それは人間がつくり出す営為の車輪の片方なんです。
 もう片方は、自分の心とか頭の中で「構成される世界像」つまりイメージによる世界像の構築がある。ふっと冷たい風が吹いてきた、コヨーテが鳴いた、パシャッと金魚がはねた、そのときに私が描く「イメージ」から私は世界を見ている、ということです。絵師、金工師だったら、それをかたどるでしょう。「イメージ」とは常に実態に還元されたり、実態にご相談申し上げて、こういうデザインをやっているのではない。イメージというのはもっと旺盛なもので、実態にいつもお伺いを立ててビクビクしてこういう形ができたわけではありません。
 これは言語の活動と同じであるでしょう。言語は非常に抽象度が高く、絵というのは何か具体的で感覚的だから、言語に比べると抽象度が低いような誤解を受けますが、私は抽象度が高いと思います。端的に言えば、観念が言葉をつくり観念がイメージをつくっているからです。

図1 『ケルズの書』
頭文字Tの怪獣
 九世紀のアイルランドの『ケルズの書』を書いた修道士がつくったTという文字に合体している動物は、その人たちが動物というのはこうであると「観念した」形象でありましょう。九世紀の立派なキリスト教の時代になっても、こういうものを描き続けている。キリスト教では龍みたいなものやヘビみたいなものはご法度ですから、普通だったら描けない。だけどこれをやはり描いてしまう。『ケルズの書』は立派な修道士の記念として、典礼用の写本として、ケルズの修道院に九世紀のときにあったわけです。
 Tというのは、キリストが逮捕されるときの非常に重要な頭文字ですが、それを描かなければならないと考えているその人の頭の中には、こういう動物をイメージする文化的な観念が強烈にあった。
 だから、言語の活動とイメージの活動は両輪なんです。どっちが偉くてどっちが低いとか、どっちが抽象的にわかって、どっちが感覚的だからわからないとか、そういうふうにずっと区分しているのは非常におかしい。言語にしろ美術にしろ表現のスタートラインは人間の直観と、それが昇華してつくり上げる観念なんです。
 以上、前おきのつもりでちょっと長く話してしまいました。和光大学ではイメージ表現を研究するディシプリンがあって、「イメージ」や「表現」を扱っていますね。そういうものがもっと前にどんどん出ていって、文章を読むということとイメージについて語ることが、本当に両輪で回転していくことの重要性を発信していると私は思うんです。そうした大学でのシンポジウムであるだけに、言葉とイメージの両輪ということをまず大前提にして話さないといけないと思って、つい時間を消費してしまいました。

 要するにきょうの結論は、ケルトの動物文様は西ヨーロッパにあって、もちろんケルトという非常に独特なものを持っていますが、それはさっき吉田先生が話されたスキタイあるいはサルマタイ――スキタイは前期の南ロシアの動物文様であり、後期にサルマタイの様式がある――そうしたものが中国の動物文様までつながっているという「交流」的見方の紹介です。ロシアのロストフセフという人が一九二〇代、三〇年代にそういう考え方をたくさん書きましたが、こういった考え方を非常にかためようとした時期があるんです。
 さて、ケルト美術は、金工、石、羊皮紙の三つのマテリアル(素材)の中でパラレルに展開しました。キリスト教時代、五世紀から九世紀の最盛期、渦巻など、キリスト教が入ってくる以前のケルト的な文様美術が表現されました。その一番の輝きとして、さっきから出ている『ケルズの書』というのが、八〇〇年ごろにケルズの修道院で完成しました。
 『ケルズの書』はダブリン大学のトリニティ・カレッジ、『ガリバー旅行記』を書いたジョナサン・スイフトやオスカー・ワイルドが卒業した大学のトリニティカレッジにあります。三四〇葉、六八〇ページぐらい現存していますが、その中にさきほどのケルト文様と言われるものがたくさん描かれています。
 その文様のディテールを今ごらんいただきます。動物と文字が組み合わされたり、鳥の文様などたくさんの動物系文様が表されました。動物の足であるとか、あるいはくねらせた体躯であるとか、くちばしだとか、アーモンド型の目であるとか――関節のところを強調した渦巻、非常にデモーニッシュな湾曲の体躯、写実を超えた鋭い湾曲のくちばし、ドロップ型の目――そういうものがキリスト教の図像の影に隠れて、異教時代のケルティックなものがディテールにでてきます。そういうものは全部歴史的に異教時代のケルト美術にありました。
 動物だけではなくて、人間が組紐化しているという、非常に奇妙な、キッチュな、ちょっと笑ってしまうような、そういうものもあります。
 キリスト教の信者たちにとっては非常に重要なキリスト像のページのアーチのところにも、キリスト教が禁じた怪獣、ヘビ様やドラゴン様の動物が描かれています。描かれたのは八〇〇年で、キリスト教が入ってきて四〇〇年もたったときです。
 これは一体何なのか。動物文様や動物イメージに対する非常に強い何かがあるはずだということなんです。

 ではもう一度ケルト文様の構造を確認してみましょう。図をごらんください。ケルトの文様に対する意識、つまりケルトは文様を描くことによって世界像を描いている、語っているということがわかると思います。

図3 ケルティック・スパイラル
図2 ケルティック・インターレース
 「ケルト文様」には三種類ありまして、図2のケルティック・インタレース、ケルトの「組紐文様」、二つ目は図3のケルティック・スパイラルというケルトの「渦巻文様」で、三つ目[前掲・図1]は、ズーモルフィック・インターレースないしはズーモルフィック・パターンという「動物文様」で、この三つの文様がメインになって、五世紀、六世紀、七世紀、八世紀、九世紀と、ヴァイキングが来るまで、修道士のスクリプトリウム(写字室)ではこういうものをずっと描いていました。
 ケルト美術の編年をつくったり、体系化した人の中でヤコブスタールという重要な研究者が、ドイツのナチスの迫害でロンドンに逃げて『初期ケルト美術』という本を一九四四年に英語で書きましたが、彼の有名な言葉に、「ケルトの美術にはゲネシスがない」、つまりケルトの美術には創世期がないという有名な言葉があります。
 ケルトの美術以前に何らかの美術があって、そこからケルトの美術が発展的にでき上がったという考え方は可能だけれども、彼は、圧倒的な文様の非常に狂気じみた、あるいは人をくったような、おもしろさに満ちたこういうものは前例がない。つまりゲネシスなき美術というふうに言ったんです。けれども、彼もだんだんそれを受容していったと思うんですが、ケルト以前にいろいろな美術があって、さっきから言っている交流史があって、その中でできてきたものですね。
 二つ目のケルティック・スパイラルは、コイルをただ巻いているんじゃなくて、コイルの外に流れ星のしっぽみたいなものがムニュッと出ているのが特徴なんですが、このケルティック・スパイラルは造形的なテンションが高くて、すごく厳しい感じがします。だからインカ帝国や中国の古代の土器の渦巻とは違うもので、これはケルティック・スパイラルとしか言えないものなんです[図3]。
図4 古典的植物文様から
ケルト渦巻文様への変遷
 これをAとしますと、B[図4]が、(1)、(2)、(3)、(4)、(5)と下りてきます。(1)はエトルリアの文様で、真ん中がパルメット(シュロ)で、ロータス(ハス)が囲まれています。もう一つ、アカンサスというアザミの葉があります。、この三つが、もちろん前にエジプトもありますが、ギリシャ、ローマ、エトルリア、マグナグライキアと、全部ギリシャの系譜をつくるところです。
 それがだんだん変形して(6)になると、これはフランスで発見された金工品の中にあるものですが、交流の中で接触して、変形して、渦巻っぽい文様になった。こういうふうに変型したんだという説もあります。このような説明は、二〇年前に大英博物館でガリアの美術展があったときにちゃんとカタログに載せられていますから、一つの発展的な文様史観として認められています。。
 けれども皆さん、一目見てAのスパイラルとBのスパイラルは、私がさっき言ったテンション、緊張感が違うな、それから外側にホウキ星の尾っぽのようなものがムニュッと出て旋回しているデザインのAとBは――感覚的にでいいんですが――決定的に違うなとお思いになるでしょう。
 さて次に動物文様を見ましょう。
 ブルガリアから出ている、ロストフセフが検証したユーラシアの動物文様の関連で出された卍型の動物装飾を見ると、ケルトのAの渦巻とユーラシアの動物文様をつなぐものがあったことを思わせます。
 私は、このスパイラルは地中海の植物文様が変形してできたのではなくて、ユーラシアのこうした動物文様の回転する構造を持ったものが非常に強く作用して、ケルトのスパイラルというもの――これはいわゆるラテーヌ・スタイルという紀元前五〇〇年のスパイラルなんですが――そういうものをつくり出したのではないかということを、もう一度ちゃんと考えてみようと思いました。
それはきょうのお題をいただいて、改めて動物文様の体というものを見てみると、曲線とか、エロティックななまめかしさに満ちていて、結局それを造形すると渦巻になっていくというような、そういうものすごい動物の体というものをその人たちは造形化したんだなということが何となく目に濃く入ってきたからでした。
図5 バス・ユツのフラゴン 図6 『ダロウの書』と
分解図fol.192v
 そのなまめかしい体を持った動物[図5]は、フランスの、ドイツに近い東のほうのバス・ユツというちょっと変わった名前のところから出て、大英博物館に蔵されているワインを注ぐフラゴン(注ぎ器)についているものです。取っ手になっている動物の耳が突っ立っているというか、すごくぴんと張っている。くちばしが噛みつくようになっている。あごからくちばしにいくまでが波打っている。それから、体が弓のような曲線を持っています。これは紀元前五〇〇年とか四〇〇年のケルトの首領の墓から出たものです。
 それから一〇〇〇年後の中世においても、動物文様は盛んに表されました。
 紀元後の六八〇年にアイルランドの修道院で『ダロウの書』が書かれまして、動物がびっしり描かれているんですが[図6]、これを分解すると三頭の文様になります。この三頭はくちばしのところが非常に強く突き出ている。耳が鋭くとんがって突っ立っている。関節のところが強調されている。それから、体がS字というか、湾曲したような形になっている。三番目のものは、S字を逆にぴんとはね上げたようなのけぞるような形で、、非常に躍動感がある。
図7 『ダロウの書』動物の肢の
付け根・間接の文様化
 そして、図7の二つをごらんいただくと、関節が強調され、右の牛の関節は完全に渦巻になっています。左のライオンは渦巻まではいっていませんが、S字曲線がはっきりと埋め込まれています。そして、くちばしも強調され、四足獣なのに特にライオンの方はすごくきついくちばしのようになっています。
 要するに『ダロウの書』は紀元後の六八〇年に書かれた、現存するアイルランドの写本では一番古いものですが、さきほどの紀元前五〇〇年の首領の墓に出てきたバスユツのフラゴンと同じような威力を持ったデザインを持っています。
 ここで、ケルト側の歴史・美術からアニマル・スタイルを整理すると、四つの特徴があげられます。
 一、アーモンド型の目
 二、肢の付け根に渦巻ないし涙型ないしドロップ型の文様があって、強調されている
 三、エロティックにくねる体躯
 四、三の要素を強調した明確な輪郭線
 また、金工品でクロワゾンネというのがあって、金工の中にガラスを入れて焼くいわゆる七宝ですが、金属で輪郭線を強調していく、まさにたがをはめていくわけですけれども、その手法が右下のライオンとか牛にも見られるし、『ダロウの書』の三匹のそれぞれの動物の輪郭線が非常にくっきりとしているのがおわかりになると思います。

 さて、こうしたアニマル・スタイルは、ケルトの修道院の美術では紀元後の七〇〇年とか八〇〇年まで続いたわけですが、それの起源というのは一体どこから来たものでしょうか。

図8 スキタイの動物闘争文
図9 スキタイの織物 図10 ヒッタイトの浅浮彫り
 ピョートル大帝が集めた、エルミタージュ美術館にあるスキタイ・コレクションを見ていただきますが、図8は二頭の動物が闘争している動物闘争紋です。左はライオンで右は馬らしいのですが、ライオンにはグリフォン的な羽があり、ライオンよりもやられているほうの馬をごらんになると、馬の耳と足の付け根に不要な渦巻というかドロップ型のようなものがあり、どちらもS字に曲線を描いていて結合しています。
 これはスキタイの金工だけではなくて、図9はヤギとグリフォンが闘争している、有名なスキタイの織物にも見られます。ヤギの関節のところは、日本の太鼓にあるような巴紋のかたわれでもって関節を強調しています。これはスキタイの金工品にも織物にも見られます。それから図10はヒッタイトの動物ですが、馬のところをよくごらんいただくと、足の関節の付け根もそうになっているし、目もドロップ型の目を持っています。
図11 スコットランドの石彫に
表された動物像
 次のピックティッシュ・ストーンと言われるスコットランドに散在するケルト系のピクト美術の動物は、スコットランドの人たちがこうしたのではなくて、ずっと大陸からやってきた、ユーラシアのアニマル・スタイルを分かち持っています。ここにピックティッシュ・ストーンの牛[図11―左]とオオカミ[図11―右]がありますが、スコットランドだけではなくて、イングランドからも金工でブローチとかそういうものが出土しています。そこにも関節の強調、目、くちばし、S字の体、こういうものが全部出ています。
図12 『エヒテルナッハ福音書』fol.75v.
マルコの象徴<獅子>の全体像と部分拡大図
 ここで仲間外れなのが図12の『エヒテルナッハ福音書』です。エヒテルナッハというのは今のベネルクス三国のあたりですが、これはちょっと違うオリエント系の動物だということがたぶんおわかりになると思います。
 こうしたものを『ケルズの書』と『ダロウの書』で見てまいりましたが、ユーラシアのアニマル・スタイルとの比較で重要なのが、すでに示しました『ダロウの書』のフォリオ一九二というすごく有名なページ[前掲・図6]です。三頭の動物はダロウ・アニマルとも言われますが、これはバルカン半島でユーラシアのスキタイと接触したケルトが、ユーラシアの動物を摂取した。それを『ダロウの書』がまず受け継いで、その後、『ケルズの書』などの立派な写本に受け継がれていったことが、以上のようなディテールのタイプの共有に示されています。アニマル・スタイルの系譜に、アイルランドの中世のダロウ・アニマルがあり、その連続性が問われてきました。
 アニマル・スタイルの研究の大家の一人は、ロシアに輩出しました。アニマル・スタイル、動物文様の起源を論じたのは、さっき一度名前が出ているロストフセフというロシアの歴史家で、考古学者で、美術家です。その人の代表的なものに、プリンストン大学でレクチャーしたThe Animal Styie in South Russia and Chinaがあります。これは復刻版の本物で、もちろんロシア語で書かれてから英語版になったものですが、彼は一九二九年にアメリカでのレクチャーをもとにしてこれを書きました。次の、Iranians and Greeks in South Russiaは、準備はされましたが、刊行されませんでした。
 ロストフセフは「アニマル・スタイルは人類があらわした装飾美術の中で最古のものだ」と述べています。彼の結論は、スキタイ文化の動物文様は、それを取り囲んでいる南のシリアとかギリシャ、つまり南ロシアから見たギリシャ方面、シリア方面の動物文様と実際に関連があるのではない。西と南東部との関係に起源があるのではなくて、東のほうを見ていかねばならないということでした。
 セントラル・アジアから南ロシアには紀元前八世紀から七世紀はスキタイがいて、その後四世紀から二世紀にサルマタイの人たちが来るわけです。このイラン系のサルマタイの人たちは、インドの西側のボーダーのあたりからやって来て、南ロシアにおいて、先ほどはスキタイのほうをお見せしましたが、動物文様を完成させたということです。
 そして、サルマタイの人たちの動物文様、特にグリフォンのような怪獣の文様はどこから影響を受けているかと言うと、中国の周から漢、特に周です。西周と東周から始まって戦国時代があって、前漢、後漢で紀元後の三世紀になっていきますが――もちろん殷の青銅器などもロストフセフの中にはいっぱい引用されていますが――周から前漢、後漢のあたりまでのスキタイ人は、中国と北アジア、インド、イランという地理的な関係の中で交流があって、特に幻想獣は中国との関係を持っていると考えられます。
 ただ、さっきのくちばし、関節の強調、目がドロップ型であることは周や漢のものと関係があるけれども、漢は実はギリシャのものと交流があるとか、いろいろ複雑に絡んで来ます。造形的にどのようにドロップ型やくちばしのようになっていくかは、細かいことをいろいろたどっているわけですが、それは割愛しまして、サルマタイと中国の周から漢の動物金属に施された関係というのを非常に強調いたしました。ロストフセフはロシア人として、南ロシアのサルマタイの動物文様が、南西側つまりギリシャやシリアからやってくるという考え方を退けて、圧倒的に中国までつなげて考えていくことをしたわけです。
図13 南ロシア出土の動物装飾
 図13の上から三番目のものが、骨製の用具です。これがサルマタイの人たちのものにかかわっていく、くちばし、それから、目は真ん丸ですけれども、スキタイとサルマタイの連携プレーで南ロシアに完成していった、非常に洗練された動物文様です。そしてこれらユーラシアの動物文様は、『ダロウの書』の三頭の動物のくちばしや体や関節に驚くほど似ています。こんなことがあっていいのかと思うぐらい、あらためてロストフセフの集めたものを見ていくと、サルマタイのものが発見されているということがわかるわけです。

 最後に、松村先生のお話につながっていくかどうかわかりませんが、イメージという言葉という両輪において、動物はもちろん神であったところもあるでしょうし、神話に語られたところもあるでしょう。近代の人たちが、古代人のものの考え方を神話から見ていこうとするわけですが、それは近代のいろいろなイデオロギーとか、国民主義の盛り上がりとか、ロマンティックな民族主義とか――日本の『古事記』が尊重された明治時代の状況を考えるだけでも我々はわかるわけですが――どんなに私たちは一人の純粋な一個人だと思っても、グリッドの中の碁石であることで立たせていただいているということを考えれば、一九二〇―三〇年代のロストフセフも時代の状況にせき立てられるようにして、ユーラシア、南ロシアのアニマル・スタイルの美術史の体系というのをつくるのに至ったのではないかと思います。
 インド・ヨーロッパの比較言語学が、美術史の枠組みや考古学の枠組みをつくりました。ケルトとインドというのは関係があるというように言われるわけです。それを土台にしているからこそ、ケルトとサルマタイとインド、イランが関係があり、中国まで引っ張っていけるんじゃないかという考え方が、ロストフセフの一九二〇年代であり、三〇年代に入っていくときでした。
 そのときロストフセフは、はっきりと起源はギリシャやシリアではない、西には求められないと主張した。東へどこまでも引っ張っていくという説で、その当時の美術史や言語学や神話学の人たちが共有していた、まさに世界像にくみした。そしてその中で彼もまた中国というものを水平線のかなたに立ち上がらせて、ギリシャ的なものよりも、イランを介して東方とギリシャもつながっていくということや、スキタイだけではなくてサルマタイを見ていくということにおいて、南ロシアの重要性を考えていく一つの大きな考え方の枠組みの、いい意味で時代の範疇の中にあった人だと思います。
 このように雄大につないでいくものの考え方は、「ケルト学」にも大きな影響を与えました。ケルトもまた、インド・ヨーロッパ語族の一つの文化として非常に尊重され、持ち上げられました。だけどもそこには一つの西欧のイデオロジックなものとか、政治的なものとか、いろいろなものが絡み合って尊重され、めでられ、そしてほめられながらおとしめられているというところもあったと思います。
 しかし少なくとも古代において「アニマル・スタイル」の要素や、「動物」を重要な表象として共有する集団的心性というものが、速度をもってユーラシアのある部分を横断していたということは、ロストフセフたちの研究で明らかになった。その辺をご紹介して、次の松村先生にお渡ししたいと思います。
 どうもありがとうございました。



つるおか・まゆみ
早稲田大学大学院修了後、ダブリン大学留学、現在立命館大学文学部教授(西洋美術史・ヨーロッパ文化史・ケルト芸術・表象研究)。
編著訳著『ケルト/装飾的思考』(筑摩書房)、『ケルト美術』(ちくま学芸文庫)、『ジョイスとケルト世界――アイルランド芸術の系譜』(平凡社ライブラリー)など。近年は、日本の装飾美術についての著作も手がける。


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