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フェミニズム・ジェンダー研究会◎

諸大学のジェンダー関連機関視察報告

井上輝子 本学人間関係学部教授
吉川 信 本学表現学部助教授

 一九九六年秋に、本学の一教員による学生に対するセクシュアル・ハラスメント事件が持ち上がったことをきっかけとして、フェミニズム・ジェンダー研究会では、活動の一環として、キャンパスにおけるジェンダー問題施策の検討を開始した。セクシュアル・ハラスメントを防止するために、また万一事件が発生した場合には、当事者および大学が適切に対応できるようにするために、大学としてなんらかの施策が必要であると考え、国内外の諸大学におけるセクシュアル・ハラスメントについての取り組みを調査し、学生生活部を中心とするガイドラインづくりに、積極的に協力した。
 九八年にセクシュアル・ハラスメント・ガイドラインが設けられた後、私たちの関心は、大学内のジェンダー関連施設の設置へと向けられることになった。なぜなら、大学構成員がそれぞれ、性別によって、または性的指向によって、不当な扱いを受けることなく、安心してキャンパス・ライフをおくることが出来るようにするためには、ガイドラインだけでは不充分であり、学内に、ジェンダー問題に焦点化したなんらかの機関を設置して、学内のみならず社会全体のジェンダー問題の現状についての認識を深めていくことが必要であると考えたからである。
 和光大学にジェンダー関連機関をつくるとすれば、どのような性格の、どのような組織が望ましいか、またどのような施設が可能であるか、といった事柄を具体的に検討するために、フェミニズム・ジェンダー研究会では、一九九八年度および一九九九年度の活動の一環として、国内外の諸大学における、ジェンダー関連機関について、資料収集、調査を実施した。
 海外については、アメリカとカナダの諸大学の女性センターについての情報をインターネットで入手し、研究会で報告検討したほか、九八年七月八日には、ミシガン大学大学院の山口智美さんをお迎えし、ミシガン大学のセクシュアル・ハラスメント対策、および、
Affirmative Action Office
SAPAC(Sexual Assault Prevention and Awareness Center)
CEW(Center for Education of Women)
LGBTA( Lesbians,Gays, Bysexuals, Transgender Activity)Office
DPS(Department of Public Safety)
Office of Ombudsperson, Institute of Women and Gender
 などの、ジェンダー関連組織について、話していただいた。
 国内については、インターネットや印刷物を通じての情報収集のほかに、九八年度に高知大学と立教大学、九九年度に愛知淑徳大学ジェンダー・女性学研究所、東邦学園短期大学女性自立支援センター、東海ジェンダー研究所などの、諸機関を視察訪問した。
 海外諸大学のジェンダー関連施設については、別の機会に報告することにし、今回は、国内の他大学についての、視察調査の結果をとりあえずまとめておきたい。なお、井上が九八年度を中心にまとめ、九九年度については、吉川が報告執筆する。

一九九八年・高知大学女性の人権委員会、立教大学ジェンダー・フォーラムを中心に

一――高知大学女性の人権委員会ほか


 一九九八年七月二三日、杉本紀子、浦本昌紀、植村洋、岩間暁子、井上輝子の五名で、高知大学を視察訪問した。最初に、一時間半ほど、高知大学女性の人権委員会について説明を受けた後、教育学部有志による「学生&教職員のためのセクハラ問題を考える学習会」にゲストとして参加し、和光大学のガイドラインについて説明するとともに、三時間にわたる討論に加わった。

1・女性の人権委員会
 女性の人権委員会については、人文学部教授の青木委員長のほか、教育学部、理学部の三委員が出席し、一〇点に及ぶ資料をもとに説明があった。特筆すべき点を以下に列挙してみる。

 (1)設置にいたる経過
 高知大学における女性の人権委員会設置経過で特筆すべきは、教職員組合婦人部の長年にわたる活動である。同組合婦人部の「女性を考える会」が、従来から一カ月に一回程度行なってきた昼食会の継続として、一九九〇年四月から学習会を開始した。この中で、学長を囲む女性教職員の昼食会、キャンパス・ウォッチング、女性職員の昇格問題等への取り組みがなされた。
 一九九四年、女性部に「女性の人権を守る委員会」(通称セクハラ相談室)を開設し、九六年には、機関紙「こぶし」でセクハラ相談室入門講座を開始する一方で、公的なセクハラ相談窓口の設置を、学長交渉事項に入れた。これを受けて、九六年五月に、学長の私的諮問機関として「女性の人権問題調査・研究懇談会」が発足し、七月には「女性の人権委員会」の設置に関する提案を答申した。この答申に基き、学長が同年一〇月の評議会で同委員会の設置を提案し、了承される。そして、同年一一月には、女性部主催、中央執行委員会後援による「女性の人権についての学習交流会」が開催され、三〇人以上の参加を得た。
 九七年二月に教育学部の二件のセクハラ事件が新聞報道され、学長、教育学部長が記者会見した直後に、女性部は学長に、パンフレットの作成、調査委員会の設置、罰則の検討を申し入れ、了承された。この申し入れに基づいて、同年四月に、パンフレット『勇気を出して』を、全学学生と教職員に配布し、学生に対してはオリエンテーションを実施。一方、「女性の人権問題調査・研究懇談会」の提案に基づいて、同年五月の評議会で、「高知大学女性の人権委員会に関する規則」、「高知大学セクシュアルハラスメント相談窓口に関する規則」、「高知大学セクシュアルハラスメント調査委員会に関する規則」が、承認・制定される。そして、同年九月に、「女性の人権委員会」が正式に発足した。
 このように、組合女性部と女性教員の連携、学長はじめ大学当局の敏速な対応が、先進的な機関の設置を生み出したのである。セクハラ事件があいついで発生し、対応を迫られたという事情があるにせよ、この敏速さは、見習うに値しよう。

 (2)女性の人権委員会の任務・組織・課題
 「高知大学女性の人権委員会に関する規則」は、全部で一〇条から成るが、第二条で、その目的を次のように謳っている。
 「委員会は、様々な性差別の問題についてすべての大学構成員が認識を深め、教育研究の場としての大学にふさわしく、男女が互いに対等平等な関係で、能力を発揮し、コミュニケーションができる快適なキャンパスライフづくりを目指すことを目的とする」
この目的のために、第四条で次の五項目を委員会の任務として規定している。すなわち、

 と、かなり幅広い活動が期待されている。
 委員会の組織を規定した第五条によれば、「委員は学長が指名し」、委員の構成は、(1)各学部の教官各二名、(2)保健管理センター教官一名、(3)事務系職員若干名とされている。
 この委員会の下に、「セクシュアルハラスメント相談窓口」および「セクシュアルハラスメント調査委員会」が設置されるしくみになっている。
 これらの規定を含む「高知大学女性の人権委員会に関する規則」の全文が、『学生便覧』に掲載され、全学の学生に配布されていることも、特筆に値しよう。
 「この委員会の現在の課題は何か」という私たちの質問に対して、出席委員からは、(1)大学・学部構成員のセクハラについての認識を高めるために、講演会、セクハラ防止マニュアルの作成、ポスターなどの、日常的な啓蒙活動の必要性、(2)学生および教職員に対する、セクハラの実態・意識調査の必要性、(3)相談員の任務と権限についての検討、(4)調査委員会の報告についての取り扱い、(5)学生の意見をどのように人権委員会に反映させるか、(6)人権委員会の活動を保障する予算措置などが、挙げられた。

 (3)学生生活実態調査
 国立大学では、文部省の指導の下に、学生生活実態調査を定期的に実施している。高知大学では、全国の大学に先駆けて、一九九六年度の実態調査の中に、セクシュアルハラスメントに関する項目を導入した。
 女子学生を対象に、(1)男性から「一人前の人格として認められない態度」、「コンパ・酒の席での嫌がらせ」、「容姿や言動に対する嫌がらせ」、「視線・動作・行為による嫌がらせ」、「未婚・結婚などに関する嫌がらせ」、「月経や妊娠に関する嫌がらせ」を受けたことがあるかどうか、(2)これらの対応を受けた相手・時期・期間、(3)嫌がらせに対する女子学生の対応、(4)「身近に相談にのってくれる友人がいること」、「男性の意識が変わること」、「性的嫌がらせに対する社会全体の認識が広がること」、「大学に相談窓口があること」、「法制度が整備されること」、「大学外の公的相談窓口の拡充」、「性差別に対する女性の運動が広がること」、「大学で禁止が明文化されていること」など、女性に必要な事柄について、質問したのである。
 この調査の結果についても、『学生便覧』に詳しい報告が載せられている。
 セクシュアルハラスメントの実態調査としては、一九九三年に日教組が全国の小、中、高校の教職員を対象に実施したセクハラ実態調査、九五年の「京都大学女性教員研究状況調査」などの教員を対象とした調査がある。学生を対象とする調査としては、九五年の女性学教育ネットワークによる「大学におけるセクシュアルハラスメント実態調査」、九六年の愛知女性研究者の会による「大学におけるセクシュアルハラスメント実態調査」などがすでに実施されていたが、いずれも自主グループによるもので、大学が組織として調査を実施したのは、高知大学がはじめてであった。「女性の人権委員会」を設置した同大学ならではの試みだったといえよう。
 なお、現在では、ほとんどの国立大学が、学生生活実態調査の中に、セクシュアルハラスメントに関する項目を含んでいるし、私立大学でも同種の調査を実施している大学が増えている。和光大学ではいまだに実施されていないが。

 (4)ジェンダー教育への取り組み
 高知大学教育学部では、一九九一年度から複数教員の担当による「女性論」を、生涯教育課程の社会学科目として開講し、さらに一九九八年度からは、生涯教育課程・生活環境コースで「男女共生社会論」、教育学部基礎教育「人権教育論」の中で、「女性と人権」の講義を開講している。
 これらの授業のテキストとして、一九九四年に「女性論」を刊行し、さらに、九七年には改訂版を出版している。
 高知大学が、他大学に先駆けて、「女性の人権委員会」を設置したり、セクハラ実態調査を実施できた背景には、先述した組合女性部の活動とともに、こうしたジェンダー教育への積極的なとりくみと、教員の協力体制があった。

2・学生と教職員のためのセクハラ問題を考える学習会
 一九九八年七月二三日、高知大学教育学部で、「第三回学生と教職員のためのセクハラ問題を考える学習会」が、菊地るみ子教授の司会によって開催された。たまたま当日高知大学を訪問中の私たちも、ゲストとして参加した。
 この学習会には、NHKの記者とカメラマンが取材に来ており、開始時にカメラと録音による取材を求められた。
 高知大学の参加者にはあらかじめ了解済みであったようだが、私たち和光大学からの参加者は、あらかじめ取材があることを知らされていなかったこと、映像や音声の編集をチェックする機会がないことなどの理由から、取材を拒否した。
 交渉の結果、和光大学の報告を先にし、それが終了した後に、カメラと録音を入れることで了解が成立した。
 後に、この学習会の模様を含む、大学におけるセクシャル・ハラスメントへの取り組みを写したドキュメンタリー番組が放映されたのを見て、制作意図を納得したが、取材の時点では、あまりの唐突さに、不信感を抱いたため、前述のような対応をしたわけである。

 (1)和光大学セクシャル・ハラスメント・ガイドラインについて
 和光大学からは、同年三月に出来あがったばかりの「和光大学セクシャル・ハラスメント・ガイドライン」を数部持参し、同ガイドライン作成の経過とフェミニズム・ジェンダー研究会の関わり方、およびガイドラインの内容上の特色について、説明した。本学ガイドライン特色として紹介したのは、以下の諸点である。

 これに対して、学生生活部の組織、九六年事件への大学の対応、ガイドライン策定に対する学生の関与などについて、質問が出され、回答した。

 (2)高知大学におけるセクシャル・ハラスメント事件とそれへの対応
 教育学部の教員から、資料をもとに高知大学で起きた三件の事件と、それに対する大学の対応および、教職員・学生の対応、またマスコミ報道について報告され、討論がなされた。
 高知大学では、九四年一〇月にA教授、九五年一月にB教授によるセクハラ事件が、新聞で報道され、両教授に対する処分と、学部長による記者会見などがあいついだ。その経過を踏まえて、前述した、パンフ『勇気を出して』の発行、セクハラ窓口の開設、女性の人権委員会の設置などの対応がなされた。
 ところが、九八年四月、さらにC教授によるセクハラ事件が発生し、学生が相談窓口に訴え、調査と処分、当該教授の謝罪がなされた。だが、この事件に対する大学の対応が、教室と学部長主導の下になされ、相談窓口や女性の人権委員会が十分機能できなかったという問題点が指摘された。
 報告を受けての討論の中で、私たちにとって特に参考になった論点を、以下に列挙しておく。

 国立大学と本学のような私立大学では、抱える問題に多少違いはあるものの、キャンパスにおけるジェンダー文化とセクシュアリティ文化の改革が必要だという点においては共通しているので、高知大学でのヒアリングと学習会は、得るところが大きかった。とくに、教員と職員、また学生の協力と連携の強さは、参考になった。


二――立教大学ジェンダー・フォーラム


 一九九八年一〇月一二日、立教大学ジェンダー・フォーラムを、杉本紀子、岩間暁子、井上輝子の三人で訪問した。立教大学ジェンダー・フォーラムは、女子寮の跡地に建設予定の建物に入る予定であるが、当面社会学部の研究室棟の一室に仮住まいの形で、この年九月にオープンしたばかりであった。仮住まいとはいえ、机や本棚のほかに、冷蔵庫や食器棚が備えてある、アットホームな部屋であった。
 フォーラム所長の庄司洋子社会学部教授のほか、五名の教職員が迎えてくれ、お茶とお菓子をいただきながら、二時間あまり、ジェンダー・フォーラムの設立経緯、組織のあり方、活動内容などについて説明を受けた。

1・発足の経緯
 立教大学には昭和三四年以来女子学生のためのミッチェル館という寮があったが、一九九八年三月で寮を閉館することになっていた。この寮の閉館に当たり、「女子学生の成長」を支援するとのミッチェル館の目的を、発展的に継承する道を検討するようにとの指示が、九六年に大学当局から学生部に出された。
 一九九七年にミッチェル館後の展開について、学生部内部にワーキンググループが結成され、フォーラムの構想が検討されはじめた。その過程で、女子学生のみを対象とするのではなく、男女学生、さらには教職員を含む構成員全体に向けて、活動する場へと構想が展開していった(将来的には同窓生も視野に入れて活動したいとの話である)。
 数回のミーティングの後、ワーキンググループは原案を作成し、総長に提出。総長が部長会(総長+各学部長+事務部長・総務部長等部長級職員で構成)に総長提案として提示し、承認された。この決定に基づいて、九七年末に「立教大学ジェンダー・フォーラム(仮称)世話人会」が発足。世話人会は、各学部の教授、学生部の教員と職員、カウンセラー、総長室等の職員、ミッチェル館同窓会代表を含む二四名から構成され、学生部の原案を基に内容の検討を行ない、九八年三月に「立教大学ジェンダー・フォーラム(仮称)」の規定案を部長会に提出し、解散した。この月の部長会で、多少の文言の訂正を経て正式に規定が承認されたという。
 この経緯の中で特筆すべきは、以下の諸点である。

 高知大学の場合にも、女性の職員と教員の連携が重要な推進力となったことは、前に記した。だが、高知大学と違い、立教大学の場合には、組合とは直接関係せず、むしろジェンダー問題に関心をもつ女性職員有志による活動が大きかった。

2・ジェンダー・フォーラムの目的と活動
 「立教大学ジェンダー・フォーラム規程」は、一〇条から成り、第一条で、「固定的な性別役割分業にとらわれないジェンダーフリーの視点に立った人材の育成を通して、男女共同参画社会の実現に寄与すること」を目的として掲げる。
 目的を達成するために所管する事項として、第二条で以下の六項目が挙げられている。

 私たちが訪問した九八年一〇月は、開設後一カ月も経たない時期であったため、フォーラム紹介のチラシづくり、ニューズレターの発刊、ホームページの立ち上げなど、広報活動を中心に行なっていた。その後、学内メンバーを中心とした小規模の研究会「ジェンダーセッション」をほぼ毎月開催したり、外部の講師を呼んでの公開講演会を年二回程度開催するなど、活動が活発化している。また、週に一回「コーヒーアワー」を設けて、学生の参加を呼びかけている。また、ジェンダーに関する図書資料、自治体・団体等の調査報告書を収集し、閲覧に供している。コンピュータを利用した情報収集環境の整備は準備中という。
 立教大学には、すでに人権委員会が設立されているため、ジェンダー・フォーラムは、セクハラ問題への対応等は行なわず、むしろ、学内にジェンダー問題への認識を定着させ、ジェンダーフリーな文化の醸成を主眼に活動しているように見うけられる。

3 ジェンダー・フォーラムの組織・運営
 ジェンダー・フォーラムは、専任教員の中から総長によって任命された所長を中心に運営される。所長の任期は二年で、再任を妨げない。私たちの訪問時に応対された初代所長は二年の任期を終え、二〇〇〇年度には新しい所長が任命されたと聞く。
 所長を議長とする運営委員会が、フォーラムの活動の企画・運営に当たるが、運営委員は公募および所長によって推薦された専任の教員・職員一三名と、ミッチェル館同窓会選出の二名から構成され、運営委員も二年任期で総長によって任命される。初代のメンバー構成は、教員七名(各学部から一名ずつ)、職員六名であった。この他に、協力委員として、二五名の教員・職員が名前を連ねており、必要に応じて、サポートしてもらえる体制になっている。このように、教員と職員が、同じ運営委員という立場で一緒に仕事をする組織というのは、立教大学のなかでも、初めてのケースということであった。
 なお、職員の運営委員は、総長から委嘱状を得ているので、勤務中でも上司の許可を得て、ジェンダー・フォーラムの運営にかかわることができるし、四時半をすぎると、残業手当も支給されるという。けれども、各自の部署の本来の業務が軽減されるわけではないことが、今後の課題として残っているという。
 学生の運営への参加についても検討したが、当面は見送られたという。フォーラム運営の実際的な業務は、嘱託職員が行なうが、立ち上げ時には、専任職員もかなりサポートしたらしい。
 ジェンダー・フォーラムは総長直属の組織であり、他の部局からは独立している。そのことのメリットはあるものの、予算要求など、フォーラムの意思を伝えるルートを確保するために、研究所協議会のメンバーに加えてもらうことにしたという。

 以上が、フェミニズム・ジェンダー研究会が九八年度に実施した他大学視察の概要である。セクハラ問題に焦点化して、相談機能や調査機能を含む、高知大学の女性の人権委員会と、学内の具体的事件への対応は別の組織に任せて、ジェンダー問題の啓発活動に力点をおく、立教大学ジェンダー・フォーラムという、性格の異なる二つの組織を訪問したわけである。
 組織の性格は異なるものの、両組織の成立には、学長ないし総長のリーダーシップと、教員と職員(特に女性教員と女性職員)の連携が不可欠であった点が共通していた。翌九九年度にも私たちは、名古屋地域の諸施設を訪問した(吉川報告参照)が、ここでも同様の例が見られた。

(井上・記)


一九九九年・東海地区研修報告

 フェミニズム・ジェンダー研究会は一九九九年夏、今日のジェンダー問題に積極的に関わっている東海地区の大学および研究機関を訪問し、将来の和光大学の取り組みに有益な情報・資料を収集した。
 参加者は、井上輝子、加藤三由紀、吉川信、杉本紀子の四名である。。

 七月一九日より二〇日までの、二日間の研修・訪問先は以下の通りである。

一――愛知淑徳大学ジェンダー・女性学研究所


 まずは七月一九日午前の、「愛知淑徳大学ジェンダー・女性学研究所」について報告する。この研究所の発足の経緯、構成、活動内容、そして学内での位置づけは、今後和光大学で同様の組織を実現してゆくためにも、十分に参考になるものと思われる。

 1・発足
 ジェンダー・女性学研究所は、一九九四年四月に設置されたが、最初の取り組みは一九八〇年代後半から始まった。まず授業形態として「女性学」にオムニバスの講座をもうけ、教員に女性学への積極的な参加を促した。一九九〇年、大野光子教授を中心に活動を本格化し、一九九四年に正式に発足。一九九五年に新家屋が建てられるとともに、現在のスペースが確保された。これには学生に対する宣伝および学長への「直訴」が不可欠であった。現在学内には四つの研究所(言語文化、ソシアル・メディア、ビジネス・コミュニケーション)があるが、スペースがあるのは当研究所のみであり、いまでは学長も、これが大学の宣伝になっていると考えている。
 (ちなみに大野光子教授は、以前よりアイルランド文学の研究者として活躍している。永年英帝国の植民地であったアイルランドは、被支配階級であるカトリック民族が自治権を獲得した一九二二年以後、独自のゲール・カトリック文化の発展に、国家的な取り組みを行なった。しかしながら、本来保守的で男性優位主義を誇るカトリックの教権制度は、女性の自立というテーゼなど受け入れる余裕はない。堕胎のみならず避妊すら認めない教権制度のなかで、カトリック教徒の女性たちは独自の「近代」を希求した。「政治」と「宗教」の関係がこれほど端的に表面化し、また今日まで明確な問題として意識されている国はほかにない。"Division between Church and State"という理念は、近代ヨーロッパの成立にとっては不可欠な概念であったが、これはあくまで、教会勢力が政治・行政を左右してはならないという、ある種の「制限」を言うものであった。これが「政教分離」と翻訳されてしまった日本では、「政治は本来宗教と無関係である」もしくは「国家・政体は本来宗教的に無色である」と解釈〔もしくは誤訳〕されてしまった〔たとえそれが「アメリカのイデア」であったにせよ、当時の日本の政治的イデオローグは、欧米の歴史にあまりに無知でありすぎたのではないか〕。このような状況を目の前にしたヨーロッパ・アイルランド研究者は、やはりこの国の女性問題までも、真剣に考えずにはおれなかった。これは当然の成り行きと思われる。)

 2・構成
 ジェンダー・女性学研究所の「所長」は、学長が任命することになっている。現在の所長は国信潤子教授で、設立当初から替わっておらず、任期はいまのところ定められていない。ほかに「運営委員」を四〜五名(うち一名は副学長)、所長が任命することになっている(できるだけひとつの学部・学科に集中しないような人選が行なわれている)。所長には管理職手当てが支給されているが、運営委員はボランティアである。(なお、全教員数は一四〇名、学生数は六〇〇〇名、全学は二学部五学科からなっている。)
 また、この研究所に大学の専任職員は関わっていない。また男性教員の積極的なサポートは(非常勤講師一名を除いて)皆無である。この点については、来訪者として深く追究することはできなかった。多分に推測(邪推?)を促される問題である。

 3・活動
 ジェンダー・女性学研究所の予算は、発足時に、人件費を含めて五〇〇万円が配分された(それ以外は、「外部からなんらかの形で得るしかなかった」とのこと)。その後の年間予算は一三〇万円で、その内訳は、書籍代三〇万円、年二回のシンポジウムの講師料、年二回のニューズレターの発行および郵送料となっている。毎年、残額はほとんどなくなるほどに使い切るそうである。ただし、研究所専属の職員の給与(時給払い)は、別枠で大学本部からまかなっているとのことだった。また職員の採用人事については、特例措置という形を取っている。とりわけ人選にあたっては、名古屋市からの紹介により、これを学長判断で行なっているとのことであった。
 図書・資料は、ジェンダー関係の新刊書を積極的に受け入れ、一定期間研究所に置いた後、図書館の「ジェンダー・コーナー」に移動している。購入した図書は、事務手続き上、図書館所蔵とし、それを研究所が借り出しているかたちにしている(もちろん、図書館はこの方法をあまり好ましく思っていない、とのこと)。
 また、研究所の紀要はいまのところ発行していない。これは今後大学院生が育ってから取り組む予定だそうである。
 その他この研究所の取り組みとしては、ある程度の学生相談も射程に入っている。ジェンダーに関わる相談窓口としての機能を果たしている(この点は、和光大学では不可能であろう。それは一〇〇パーセント承知しているつもりでこの報告を書いている)。専門家が必要な場合はその紹介も行なっている。
 たとえば就職の面接の際のセクシャル・ハラスメント事件において、当研究所から労働省に電話したため、企業側が謝罪したケースもある。ただしこの種の事件の場合、「それでも就職を希望する親」からのクレームに対して、研究所に特別な権限はない。したがってこの種の訴えは、あくまで学生の責任で行なわれる必要がある。
 研究所の活動は、学生掲示板にも掲示されている。
 講演会への参加学生数は、おおよそ二〇〜一〇〇名。講演料は、地域団体から補助を受ける場合もある。

 4・位置づけ
 教授会へは、研究所関連の講座を組んだ場合のみ、報告している。研究所は、愛知淑徳大学においては、学長直属の組織であるため、教授会とは無関係である。

二――東邦学園短期大学女性自立支援センター


 つぎに、七月一九日午後に訪問した、東邦学園短期大学女性自立支援センターについて述べる。

 1・設置目的
 このセンターは、女性の自立支援、大学での女性学関連教育、および市民教育の開発と支援を目的として、一九九六年五月、東邦学園名東コミュニティ・カレッジ(略称TMCC)と同時に開設された。「センター長」には大学の女性教員が就任し、一九九六年には、事務職員として専属スタッフ(フルタイムの嘱託)を採用した。センター設立の背景には、男女共同参画の時代という、社会の趨勢に加えて、東邦学園短期大学が、それまで女性教育に積極的に携わってきたことがあげられる。特徴は、TMCCとリンクすることで、学内スタッフが地域住民の協力を得て事業を進めていること、研究調査と相談とを結び付けていることである。TMCCの女性自立支援コース受講生(女性)が研修を受け、センターのボランティア相談員に成長し、センター事務局員とともに月二回の電話相談(一般市民の女性を対象とし、無料)を実施している。公的機関や企業から講演を依頼されることもある。その実績をもとにして、発足から三年目に規程が作成された。独立した運営組織・委員会に相当するものはなく、センター長と事務局員の二人が、実質的には活動を担っており、学内全体で取り組む環境は整備されていない(この点は、さきの愛知淑徳大学が、学長直属とせざるを得なかった事情に通じるものがあるのではないか)。そのため、調査・研究事業は立ち後れているという。電話相談は学外で高い評価を得ているが、学内では、成果としての認識が共有されておらず、在学生とのつながりが希薄である。また大学の事業としても明確な位置づけはない。これらが今後の課題であるとの認識が、このセンターにはある。

 2・TMCCおよびセンターの設置に至った経緯
 学長は一九八七年、姉妹校協定のためアメリカのコミュニティ・カレッジを訪問した際、そのキャンパスにある女性支援センターの活動を目の当たりにした。このことがきっかけとなり、学長は短大教育の在り方についてフォーラムを開催、学内論議でコミュニティ・カレッジの立ち上げを決定し、一九九四年にこの構想が固まった。地域に寄与できるテーマとして、女性学と情報教育を立てた。学内でも、大学の責任として、社会に巣立つ女子学生にセクハラ問題や女性の自立を考えてもらおうと、オムニバス形式の授業「女と男」(原案は「女性を考える」であったが、男子教員の理解を得るためにもこの名称に変更された)が、一九九三年度から毎年開講されるようになった。家族制度、従軍慰安婦問題などがジェンダー教育の流れのなかで取り上げられ、自主的に学習を始める学生も出てくるようになった。
 こうして、TMCC構想と大学教育とが関連づけられることになる。TMCCは、教授会が中心になって設立にこぎつけた。また、当時の学長も、それを大学政策の一つに掲げていた。現在、ともに学長直属機関となっているが、TMCCは教授会のもとに運営委員が置かれている。しかし、センターはTMCCから独立させた際、独自の委員会を立ち上げることができなかった。
 TMCCは、学外向けであることを明確にしたうえで責任を持とうという考え方から、学生は割引で受講できるが、今のところ単位にはならない。また、TMCCは複数の企業からなる「フレンズ東邦」と現役学生の後援会より、いくばくかの援助を受けている。

 3・[活動1]セクシュアル・ハラスメントガイドラインの作成
 東邦学園短期大学では、学生の七〜八割が女子であり、学生の意識が変わるなかで教員もまた新しいモラルを持たなければならないことが痛感され、またセクハラ問題発生の前に体制を整える必要が痛感され、ここに、学内のみならず社会的にセクハラなどを扱う「人権委員会」の必要性が生じ、取り組みが始まった。
 ガイドラインの趣旨説明と具体的な対処の方法(調査・処置など)を整える一方、相談窓口も設けることとなった。相談員は研修を受けた教職員と学外の専門家からなっている。卒業生および退職した教職員も、過去の被害について、窓口で相談できる仕組みである。さらに、もう一つの制度である学生生活委員会の相談体制を強化した。またガイドラインのパンフレットは、一九九九年四月から配布している。

 4・[活動2]女性の「ひとりだち」への電話相談
 これを視察したのは、(相談日が限られているため)翌二〇日の午後であった。この日は弁護士が入らない日であったので、相談件数が少ないのではないかと聞いていたが、相談受付時間の午後三時になったとたんに電話がかかってきた。センターの看板が掛かった一室に、前センター長、事務局員、二名のボランティアが詰めていた。二台の電話に相談員が張り付き、メモを取りながら対応している。ベテラン相談員の傍らで、やり取りを聞く研修中(?)のボランティア一名の姿もあった。
 一件の相談は、短くても二〇分、長い場合には一時間近くにおよんだ。相談が終了すると、電話中のメモをもとに記録が作られる。調査研究が立ち後れていると聞いたが、膨大な記録の蓄積には驚かされた。相談終了時間は午後八時、その後その日の相談ひとつひとつをスタッフ全員で検討し、総括するという。電話では、受話器を取る際にも、「東邦学園」の名はまったく出てこない。宣伝臭がまったくないことも、電話相談を信頼できるものにしているようである。

三――東海ジェンダー研究所


 七月二〇日午前は、東海ジェンダー研究所を訪問した。これは、上記の大学組織による運営機関とはまったく性質を異にするものであるから、和光大学にとってどの程度参考となるかはわからない。だがむしろ、ジェンダー問題に対する取り組みが、今日の日本でどのような進展を見せているか、その雰囲気の一端でも嗅ぎ取ってもらえればと、以下の報告を記す。

 一〇時二〇分、四名は住宅街の一角にあるマンションに到着した。2DKの間取りが事務所用に改装された部屋である。迎えてくださったのは、研究所理事の西山恵美氏、水田珠枝氏、杉本陽子氏、安川悦子氏の四名であった。一通りの自己紹介を終えて後、まずわれわれのほうから、和光大学フェミニズム・ジェンダー研究会の設立の趣旨、活動内容、および今回の東海地区視察の目的を述べた。つぎに四名の方々から、この研究所の概略をうかがった。これは全国でもただ一つの、財団法人の研究所であり、どういう経緯で設立の運びになったのか、またその資金源も含めて、かなり興味深い話であった。
 研究所が発足したのは一九九七年六月、したがって今回の訪問の時点で三年目に入るところであった。まず一九七五年に「愛知女性研究者の会」が発足し、この会を土台にして一九九〇年、現在の研究所の主要メンバーが中心となり「現代フェミニズム研究会」が設立された。本来「女性研究者」というからには、「女性学の研究者」の謂いではない。たとえば大学ではアメリカ文学を講じていたりする方々である。文学研究に関わる以上、昨今の批評動向には敏感であらざるを得ず、おのずと「フェミニズム批評」に携わることになる。
 「現代フェミニズム研究会」は、やはり名古屋近辺の地域に限られていたため、一九九四年頃より、これを全国規模にする方法を模索し始める。まず「学会」という形にすることが考えられたが、学会となると、運営は全国から選出した常任理事による活動となってしまう。それよりはむしろ、この研究会のメンバーを中心とした、自由な活動を目指したいということで、財団法人という形を取ることになった。つまり、資金面は、ひとりのメンバーの多大な寄付に依存している。ひとことで言えば、補助金など一切当てにせずに財団法人を立ち上げてしまうだけの財力があった。
 財団認可権を持つ総理府は、たまたま「男女共同参画社会基本法」の成立という背景もあって、迅速に事務手続きを進めてくれ、申請後わずか一年足らずで、「東海ジェンダー研究所」認可の運びとなったのである。
 研究所の活動としては、以下のようなものがある。
 (1)若手研究者の育成――個人およびグループの研究者に助成金を交付する(個人には三〇万円、グループには五〜一〇万円)。現在は個人二件、グループ三件に交付中である。
 (2)入門講座・講演会・シンポジウムなどの開催――今期の入門講座は定員三〇名が三日で満員になったという。うち男性は二名。
 (3)広報活動――『ジェンダー研究』一九九八年一二月創刊(年刊)。ニューズレター『リーブラ』刊行(季刊)。エッセイ集『鹿の子通信』という定期刊行物のほか、翻訳活動も行なっている。
 (4)情報収集および提供――研究所に図書の棚が数棹。フェミニズム・ジェンダー関係のみの書籍が並んでいる。
 その後フリートーキングで双方の現状などを話し合った後、次の訪問先との待ち合わせの時間も迫っていたため、一二時過ぎに辞去した。
 フリートーキングでわれわれが訊ねたのはおもに、なぜこの名古屋の地に、民間団体や大学にも属していない研究所が成立し得たのか、経費はどの程度か、であった。第一の質問については、愛知の県民性という答え(これは、実を言えばこちらには、いささか把握しかねる返答だったが)と、東京と関西という強力な二大文化圏に挟まれて、名古屋では既成の学問基盤が強くなかったから、という答えが返ってきた。要するに、女性学のような比較的新しい学問領域に対する既成の学問領域からの抵抗が比較的小さいため、女性研究者の集いに対して寛容な土地柄であった。先にあげた一九七五年に出発した「愛知女性研究者の会」には、現在約一五〇名の研究者が集い、年一〇回の研究会が行なわれている。メンバーの多さもさることながら、研究会がほぼ月一回の頻度で行なわれている。
 第二の疑問点である経費については、設立当初の篤志家の寄付の額が、並々ならぬものであったことが、後々の活動を活発にさせているように見受けられた。年間経費は二〇〇〇万円というから、それが寄付の額の利子とすると、推して知るべしである。一九九九年度からは会員から会費を取るようになったというが、現会員数は約一四〇名、会費は二年間で一〇〇〇円ということであるから、一年の会費収入は七万円にしかならない。

 今回の訪問に応接してくださった研究所の方々は、いずれも比較的年輩の女性たちであった。他の訪問先で応接していただいたのが、若手、中堅の女性研究者たちであったから、この研究所の方々は、いわば「種まく人」であったのだろう。名古屋・東海地区の女性研究者の連帯、競合が、成功しているとの印象を受けた。

四――愛知サマーセミナー


 七月二〇日午後はまず、キャンパス・セクシュアル・ハラスメント全国ネットワーク東海ブロックのメンバーと会食し、その後「第一一回愛知サマー・セミナー」を見学した。会食には、金城学院大学の武田万里子氏をはじめ、名古屋大学の大学院生を含む四名の方々が参加された。若い女性研究者および研究者志望の人びとが抱える問題等が話題となり、なごやかな会食となった。
 以下には、二時頃より見学した、愛知サマー・セミナーについて簡単に述べる。
 これは七月一八日より二二日の日程で、東邦学園高等部、愛知淑徳高校、その他専門学校などを会場として、シンポジウムや講演会など、数多の講座が開かれた。主催は「愛知サマー・セミナー実行委員会」であるが、後援者には、愛知県、名古屋市、各教育委員会、中日新聞社、各テレビ局などが含まれている。七月二〇日の午後だけでも、六五の講座が開講されており、活気を呈していた。今回われわれが各々出席したシンポジウム・講座名は、「ジェンダー・フリーを実践してみたら?」、「ジェンダーの視点で読む源氏物語の試み」、「セクシュアル・ハラスメントを考えよう」である。おもに名古屋大学の大学院生による、活発な討議を聞くことができた。
 その後は、東邦学園短期大学女性自立支援センターにおける電話相談を見学したが、これについては二――4で述べた通りである。

 今回の研修会は、他大学・他地域の取り組みを視察することで、わが国のジェンダー問題に対する取り組みが現在どのような段階に達しているかを見極めることを第一の目的としていた。だがもうひとつの目的は、和光大学の場合ならば今後どのような取り組みが可能であるか、その方法を探るということである。周知の通り、フェミニズム・ジェンダー研究会の発案による「ジェンダー・フリー・スペース」は、目下立ち上げに向けて議論が進行中であるが、設立についてはかならずしも楽観視できない状況にある。その困難な要因は、筆者の未熟な「和光経験」では推し量りようのないもので、もはや沈黙せざるを得ないのかもしれない。だが、未熟ながらもひとつだけ確信できるのは、それが和光大学の将来にとっては、プラスになっても決してマイナスにはならない機関である、ということである。さもなければ、フェミニズムやジェンダー問題に関しては理論面(しかも文学におけるフェミニズム・ジェンダー批評という領域に限って)でしか理解し得ていないはずの筆者のような門外漢が、このような研修会に参加するはずもないのである。

(吉川・記)


他大学視察の後で

 フェミニズム・ジェンダー研究会では、視察した他大学、他機関の例を参考に、本学におけるジェンダー関連組織のあり方を検討した。何回かの議論の後、ジェンダー問題への認識をつうじて、大学構成員のエンパワーメントを図る立教大学ジェンダー・フォーラムを直接的なモデルとして、「ジェンダー・フリー・スペース」構想をまとめるにいたった。幸か不幸か、G棟跡地への利用希望の募集があったので、一九九九年一月に構想を「大学施設建設委員会」に提出した。
 しかしながら、構想提出後すでに二年が経過した二〇〇一年一月現在、いまだに「ジェンダー・フリー・スペース」実現の見通しは立っていない。私たちが訪問した他大学と異なり、新しい組織の立ち上げには、「既成組織によるオーソライゼイション」が必要だということで、どの既存組織に位置付けるべきか、オーソライゼイションの手続きはいかに、といった議論が蒸し返されているからである。構想を提案した私たち自身の努力不足や見通しの甘さを反省しつつも、一方で大学の意思決定のあり方に疑問と危機感を持たざるを得ない。「小さな実験大学」として新しい試みを奨励してきた本学の建学の精神はどこへ行ってしまったのだろうか。
 二〇〇〇年四月から、「文部省におけるセクシュアル・ハラスメントの防止に関する規定」が実施され、また同じく二〇〇〇年四月に「女性に対する暴力をなくす運動」実施要綱が文部次官から各国公私立大学長宛に送られたことなどに触発されて、多くの大学がキャンパスにおける女性の権利を保障するための施策に取り組みはじめている。
 このような動きに対して、本学ではジェンダー問題に関して、私たちの構想以外に、格段の施策が議題化しているわけではない。では、和光大学は、他大学に先駆けて女性学の講座を開設したり、セクシュアル・ハラスメント・ガイドラインを作成したから、学内のジェンダー問題がなくなったかといえばそうではないだろう。
 セクシュアル・ハラスメント・ガイドラインを発表した後にも、すでに二件の事件が表面化していることでもわかるように、本学から性暴力や性差別が一掃されたわけではないし、教員・職員・学生の間で、ジェンダー問題への認識が共有されているとも思えない。ジェンダーに特化した活動の拠点となる組織とスペースの必要性は、高まるばかりであるように思われる。「ジェンダー・フリー・スペース」の早期実現を希いつつ、報告を終えることにする。

 最後になるが、私たちの訪問に快く応じて、労を惜しまず、さまざまな参考になる情報と智恵を伝えて下さった高知大学女性の人権委員会の青木宏治委員長、菊地るみ子委員をはじめとする皆さん、庄司洋子所長ほか、立教大学ジェンダー・フォーラムの皆さん、愛知淑徳大学ジェンダー・女性学研究所の国信潤子所長ほかの方々、東邦学園短期大学の原学長をはじめ、同大学女性自立支援センターの戒能民江教授ほかスタッフの方々、西山恵美所長をはじめとする東海ジェンダー研究所の理事の方々、およびキャンパス・セクシュアル・ハラスメント全国ネットワーク東海ブロックの武田万里子、北仲千里さんほかの皆さんに、心から感謝の念を述べたい。
 なお、本報告は、フェミニズム・ジェンダー研究会の各機関への視察参加メンバーによる記録・手記をもとに、井上、吉川がまとめたことを付記しておきたい。

(井上・記)




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