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特集1◎環境と農業・都市

農業と環境問題

持田恵三 本学名誉教授

 本日はお招きいただきまして、どうもありがとうございます。久しぶりで和光大学へ来まして、大変懐かしく、うれしく思います。



 最近、農業基本法の改正をやろうというので、今国会にもかかっております。二年ぐらい前に農業基本法の研究会があったのですが、その中でも「農業と環境問題」、あるいは「環境保全」といった問題が出ていました。農業保護の役に立ちそうな自然環境保護とか、そういったことを盛んに農林省あたりが言い出しているわけです。

 今改正しようとしている農業基本法というのは一九六三年にできて、それ以来、毎年農林省が、『農業白書』を出しております。

 その白書を最近さかのぼって調べてみたんですが、環境問題に触れはじめたのは、比較的新しくて、七〇年代になってからです。六〇年代にはほとんど出てこなくて、七〇年代になって初めて出てくるわけです。

 『農業白書』は、二部の構成になっていまして、第一部は、農業の動向に関するいろいろな報告が出ています。例えばその時その時のトピック的な問題、ウルグアイラウンドとか何とかとか、そういったものが書かれていますし、今年の農業はどうなったかということ、これは必ず書かなければいけないんです。

 第二部に農業に関してどういう施策をやりましたということが報告される。そこの中に七〇年代に入ってから環境問題が出てくるわけであります。

 その場合でも、実は公害問題という形で出てくる。一番最初に出てくるのは、水質汚濁とか、土壌汚染とか、地盤沈下とか、そういった問題が出てくるわけです。

 水質汚濁というのは、あくまでも農業用水が汚濁しているということです。土壌汚染というのは、重金属、カドミウムとかが土壌の中に入っていて問題になってくる。要するに農業が環境汚染の被害者であるような公害なんですね。そういう形でまず出てくるわけであります。

 七〇年代に出てくるということの意味は、高度成長の過程の中で産業活動が活発になり、都市化が進み、そういう中で農業の置かれた環境がだんだん悪くなってきたということのあらわれでして、一番有名なのは、農業ではないけれども、水俣病もそうでありますし、四日市の公害もそうです。

 海洋汚染という問題、これは漁業の話ですけれども、そういう問題も出てきたわけです。その中の一環として今言ったようなものが出てくるわけです。

 産業活動にともなう農業に対する被害というのは、一番古いのは足尾鉱毒問題というのがありまして、これは明治の話であります。そういった問題というのは、ある意味では局地的でございまして、極端に言えばそこだけ保障をすれば済むというような問題だったんです。ところがだんだんそれでは済まなくなってくるような、広範囲の問題がでてきた。都市化に伴う問題もちょっと扱いにくい問題として出てきたわけです。

 都市化に伴う水質汚染、汚濁とか、そういった問題を扱おうとすると、そう簡単ではない。局地的ではなくてかなり広範な問題になってきます。下水道を完備しなければならないとか、そういったことにもなってくるわけで、その意味では大変難しい問題を抱え込むことにもなるのです。最近、所沢のダイオキシン問題がありましたが、あれは都市のごみ処理に伴う問題であるわけです。

 都市化に伴う農業に対する被害というのは、高度成長の過程の中でだんだん出てきて、目立つようになってきたというのが最近までの行政でして、「農業と環境問題」についてまず真っ先に出てきたのはそういう話なんです。

 ところが、もう一つの問題は、農業が加害者であるような環境問題というのがあるわけで、そのほうが実は深刻なんです。一番最初に出てきたのは農薬問題です。ここには化学の専門家が二人もおられますが、農薬問題が一番最初に出てきたように思います。

 私は、三〇年ぐらい前に農薬問題についてちょっと書いたことがあるんですが、その知識で申しますと、一番最初の農薬問題というのは、実は農民自身の問題だったんです。農薬を使っている農民が中毒するという話がまず真っ先に出てきました。戦後の農薬というのは、戦争中の毒ガスの研究の成果として、非常に強力な農薬ができました。有機リン系のパラチオンとか、有機塩素系のBHCとか、有機水銀の化合物とか、そういった非常に強力な農薬が登場してくるわけです。

 念のために申しますが、こういった非常に強力な農薬というのは、当初非常に効いたので使われたのですけれども、害も非常に激しいということで、散布する農民自身がそれにやられてしまうわけです。そんなことが問題になって、今はほとんど使われていませんけれども、当初それら農薬が農業の病害虫に対してとにかく画期的な効果を持ったということは事実ですね。

 ただ、今言ったような問題で農民自身がやられるということもありますし、さらにそれ自体が環境汚染に結びついていく。あるいは、作物の中に残った農薬が残留農薬という形で問題になってきたわけです。

 第二次大戦後の先進国における農業の革新というのは大変なものでして、農業革命と言ってもいいぐらいの発展を遂げるわけです。その発展の過程の中に農薬問題が実は組み込まれているわけです。

 表1に、穀物単収の推移というのが出ております。イギリス、フランス、ドイツ、アメリカ、日本といった先進国では、戦前と比べると、戦後の反収が非常に伸びているということがわかります。

 例えば小麦について言うと、フランスは戦前は一ヘクタール当たり一・六トンぐらいだったのが、戦後は四・九トン、五トンぐらいまで伸びている。ドイツでもアメリカでもそうですが、まさに画期的な伸びですね。日本の場合、米がそんなに伸びてないのは、日本の米はもともと収穫量が高かったからで、ヨーロッパみたいには伸びていない。

 戦後の技術革新に基づく農業の発展は、ヨーロッパ農業が一番目覚ましかった。それは結局表2にありますように、今申し上げたような農薬もありますし、化学肥料の投入量がふえていくし、トラクターもふえてくる。トラクターを中心とした機械化と化学肥料の大量使用による技術革新が、反収の目覚ましい発展を支えていくわけです。その中に実は農薬の使用が組み込まれていくわけであります。

 図1は『農業白書』にある図です。これで見ると、ヨーロッパなんかに比べれば大したことはなさそうに見えますが、昭和四〇年ごろから化学肥料、農薬の使用量がふえてくるということがわかります。それに対応して、厩肥、すなわち有機肥料はどんどん減っていく。有機肥料が化学肥料に変わっていく形で、戦後の農業の技術革新は起こっていくわけです。

 今申し上げたような技術革新がどういう形で農薬と結びついていくかということですが、表3がございます。これは日本の水稲作に対する病害虫の被害率をあらわしているんですが、被害面積率はどんどん増加しているわけです。年によって違いますけれども、技術革新の中で被害面積がだんだんふえていく。ただ、被害の量は減っているという形になっております。農薬の使用というのは、実は被害面積を減らしたのではなくて、被害量を減らした。被害面積はむしろふえている。

 農薬を投下してどうしてふえていくかというと、それは農薬のせいではないんです。被害面積がふえていくというのは、新しい作付け体系のおかげでありまして、化学肥料を多投しますと病害虫にやられやすくなるというのが一つあります。

 もう一つは、日本の場合、第二次大戦後、新しい栽培技術が導入されていくわけです。それはどういう栽培技術かと申しますと、米で言えばだんだん作付けが早くなった。例えば戦争前の水稲というのは、収穫期は大体11月がピークだったんですが、今はもう10月の中ごろがピークですね。それだけ田植えも早くなっている。早期栽培になっていくわけです。これは水稲全体についてそうであります。

 なぜかというと、早期作にすれば災害をある程度回避できるんです。例えば東北の場合、冷害が回避できる。西日本や九州で言えばメイチュウの害があったんですが、今はメイチュウなんて忘れられている。秋落ちが回避できるとか、早くすればするほどよかったわけです。

 それでは、なぜ昔から早くしなかったのかといいますと、昔は早くすると病害虫にやられてしまうという面があったんです。例えば戦後の東北の農業の革新というのは、保温折衷苗代によって、苗代が早く出来るようになった。一番最初はビニールではなくて、油紙を張ったらしいんですけれども、油紙を張った苗床に種をまいて育てると早く育つ。それができることによって、早期栽培が可能になり、普及し、東北を冷害から救っていく。

 ところが、早期栽培をやるとイモチ病が発生しやすくなるので、それを避けるために農薬を投下しなければいけない。つまり農薬のおかげでそういった新しい作付け体系が可能になったという面があります。

 今申し上げたように、なぜ被害がふえていくかというと、新しい作付け体系のおかげで被害がふえていくのです。そのふえた被害を農薬で抑えるという形で生産力の発展を図っていったというのが、戦後の稲作の構造です。

 そればかりではありませんで、戦後の農業の技術革新の中で非常に目立ったのは、野菜の周年栽培です。今、我々はトマトやキュウリが一年中食べられる。あれはハウス栽培が可能になったからなんですが、温室の中で栽培するということは、高湿度、高温ですから、極めて病害虫に弱い栽培の仕方なんです。それを抑えるにはどうしても農薬が必要になってくる。農薬のおかげで野菜についても水稲についても新しい栽培方法が可能になったという側面がございます。だから被害面積はふえていく。しかし農薬によって抑えるから、被害量は減っているというような形の中に農薬が位置づけられていくわけです。

 現在農法の問題点というのはそういうことなのですが、そういった農法が最近行き詰まってきているというのが、農業における環境問題であり、後でお話しするような環境保全型農業という提案に結びついていくのです。

 化学肥料、農薬に依存するという形の現代農法における一つのマイナスは、自然環境に大きな負荷を与えるということです。もう一つは、そうしてつくられた作物が、はたして人間にとって害はないのかという問題があります。有機農業が今はやっていますけれども、昔風のやり方であればすべて安全で、最近の機械とか農薬とか化学肥料を使ってできた作物はすべて危険であるというような感覚は、本当はちょっと問題だと思うんです。そんなに問題はないと思うけれども、そういう感覚が消費者の中にもかなりありますね。安全性の問題が消費者の側から出てくる。現代農法の行き詰まりということがそういう面からも言えてくるというのが最近の状況です。

 農業というのは一体何なのかという話がそもそも根本にあるんですが、農業の営みというのは非常に特殊な側面を持っております。自然の循環過程に依存して生産せざるを得ないというのが農業の特色なんです。工業とは全然違うわけであります。

 自然過程に全くないものを人間が人工的につくっていくというのが工業の過程であります。例えば一番単純な工業製品の織物といったものは、ほうっておいては絶対できません。何万年たっても自然がつくり出してくれるわけではない。工業製品というのは何でもそうで、自然過程に逆らう形でつくっていくわけです。自然過程というのは、自然法則という意味ではなくて、自然のプロセスに逆らう形で物をつくっていくのが工業なんです。

 農業というのはそうではなくて、自然の循環過程に依存して生産せざるを得ない。これは当たり前の話ですけれども、例えば米にしても、種をまけば、ほうっておいてもある程度は自然に実るわけです。

 中世のヨーロッパの農業で、例えば小麦を一粒まいて何粒とれるかというと、三粒とれるという話です。これを三倍になったと考えるか、いかにも少ないと考えるかという問題はありますが、大体そんなのが中世のヨーロッパ農業の生産性だったんです。

 日本の場合、米の収穫率を見ると、江戸時代でも一粒まいたら三〇粒、四〇粒とれたんです。今は一粒まいて大体一二〇から一五〇粒ぐらいとれます。今はヨーロッパでも大体二、三〇倍にはなります。だけど日本の米はけた違いです。

 ほうっておいてもある程度実るけれども、それだけしかできない。それを人間が手を加えることによって拡大していこうというのが農業なんです。例えば一粒まいて、ほうっておけば三粒しかできない。それを一〇粒にし、二〇粒にする。そのために手を加えていくというのが農業の営みであります。

 ちょっと面倒くさい言い方をすれば、農業というのは、自然の循環過程に依存して、それを拡大再生産していく、ということになります。これは穀物ばかりではありませんで、畜産でもそうです。例えば我々は乳牛から牛乳をとるわけですが、牛はほうっておいても妊娠して子どもを産めば乳を出すわけです。ところがそれは子どもの生育に必要なだけ出せばいいわけでして、それ以上出す必要はない。現在、乳牛一頭が一年間に生産する生乳というのは八・七トンぐらいです。そんなものはもちろんほうっておいて出てくるものではありません。

 いずれにしても、自然の恵みを人間が手を加えて拡大していくというのが、農業のあり方であります。

 その一面として、農業は自然の生育過程に基本的に依存せざるを得ないという、そういった弱点を持っているわけです。農業問題とは何かという議論で、私は三〇年前からそう言っているんですけれども、自然の生育過程に依存することが農業の基本であって、だから生産行程は季節に従属し、年中田植をすることは出来ない。だから田植を年中専門にやる人は生まれない。つまり経営内分業が成立しにくい。それが農業問題の特徴なんだと随分前から言っている。

 米をつくるためには、早くても三月、四月に種をまいて、収穫するのは一番早くても八月の中ごろから一〇月で、それを崩すことはできないんです。秋に種をまいて、春に米をとることは、現在の段階では不可能です。人工的な気象室みたいなものをつくってやれば別で、環境を全部変えてしまえばできますけれども、自然環境の中ではそれは不可能ですね。

 特別高価な物、例えば野菜でも一般的なものではなくて、かなり高く売れる物に関しては、人工気象室みたいなものをつくって、太陽光線まで人工的な光線によって、湿度も温度も管理してやれば、自然の制約を突破することはできますけれども、これはもう野菜工場みたいなものですね。それは極めて高価な限られた物だけに可能であって、一般的にはコストの面ではとても引き合わない。穀物のように特に大量生産を必要とする物は、そんなことはとても不可能です。

 炭酸ガス、水、太陽エネルギー、この三つが農業生産の基本なんですけれども、いずれも薄く分布した存在なんです。太陽光線というのは一カ所に集中できない。太陽エネルギーは広い面積で初めて大量の穀物に転化し得る。炭酸ガスにしてもそうです。一カ所で集中的に炭酸ガスを使うわけではなくて、広範囲の面積で炭酸ガスを使っていかなければならない。そういった性格から言えば、どうしても広い面積が必要になってくる。そういう意味では今言った人工気象室みたいなことは、穀物に関してはいつまでたっても不可能だと思います。それよりもむしろ可能なのは、人工的にでん粉を合成するほうがまだ可能だろうと思います。それが農業というものの特色だということです。

 今言ったように、自然の生育過程そのものに依存して、それを拡大再生産していくというのが農業なんですが、もう一つ、自然の生育過程がよってたつところの自然環境そのものをまた拡大再生産していく必要があるのです。

 実は農業の営みというのはみんなそうだと思うんです。例えば一番単純な話では、「地力」という言葉があります。これは農業ではしょっちゅう出てくる言葉なんですが、案外難しい言葉で、厳密に定義しろと言われると困ってしまうんですが、定義するとすれば、作物を生育させる土地の力とでも言うしかしょうがないですね。極端に単純化してしまえば、肥沃度だと思えばいいですね。肥沃であるかないかということなんですけれども、決してそれだけではないんです。

 作物が生育するには、肥料分だけではなくて、土壌の性質とかいったものが非常に重要になってきます。団粒構造だとか、ミミズがたくさんいなくちゃいけないとか、そういった話が必ず出てくるわけでございまして、地力というのは決して肥沃度だけではないんです。

 一番わかりよく肥沃度ということにいたしますと、地力を高めて、それによって農業生産を拡大しなければならない。自然の地力があるわけですが、それを強めるためには肥料を投下することが必要なわけでありまして、それは結局、自然環境を拡大再生産しているという言い方をしてもいいと思うんです。

 もう一つ、農業にとって一番大事なものは水であります。天然の場合には空から降ってくる水だけですから、天水を使うわけですけれども、農業としてやるためにはそれではとても足りなくなってくる。したがって灌漑とかいう形で水を補給してやらなければならない。これもいわば水の条件の拡大再生産だと言ってもいいわけです。

 農業というのは、とにかく自然の生育過程に人間が関与することによって、それを拡大再生産していく。そのためには、よってたつ自然環境自体を拡大再生産しなければならない。したがって、そこにまた一つ農業というものの限界があって、工業のようにはいかないのです。

 地力自体をどういう形で再生産していくか、そのやり方自体が農法だと私は定義している。農業というのはたえず再生産していかなければならない。つまり一年で終わってしまうわけではないんです。毎年毎年同じ土地で同じようにとれていかなければ困るわけです。そのためには、作物を植えれば必ず地力は消耗するわけですから、それを何らかの形で補てんしていかなければならない。

 その補てんの仕方というのが、ヨーロッパでは畜産と結びつく形で行なわれてきたわけです。例えば草を家畜にやって、家畜の腹を通して厩肥にして、それを畑に投じて穀物をつくる。そういう循環が成立していくというのがヨーロッパ農法の基本的なやり方です。細かく言うといろいろな組み合わせがあるわけですけれども、そういう形で地力を補てんしながら、毎年毎年同じように生産していくというのが農業というものの基本的な姿であり、そのやり方自体を農法と言うわけです。

 日本の水田農業の場合はそんな難しいことを言わなくても、水が自然に肥料分を運んできて、結構それで補っていけるんです。それが水田農業の特色なんです。

 ついでに言うと、これは今日の話とはちょっと違うけれども、嫌地現象というのが水田にはないんです。これが非常な特色で、水によって有害物を流してしまうんです。畑には必ず嫌地現象というのが起こります。毎年毎年同じ作物を植えていくと、収穫量がどんどん減っていく。それを嫌地現象とか連作障害とか言うのですが、それが水田にはないんです。これが水田の特色であります。

 なぜ連作障害が起こるかというと、悪い分泌物がたまるらしいという話で、よくわからないのですが、そういうものがあるらしいんです。そういった悪いものを水が流してしまうから、水田には連作障害は起きないんです。

 また、水田は、水が自然に肥料分を運んでくる。日本の水田の場合には、そのほかに余分なものを多少加えていけばいい。例えば金肥みたいなもの、江戸時代にはホシカと言って、ニシンの干したものを投入したりしていたんですけれども、そういったものを加えていけば、あるいは草を入れていけば済んだわけであります。いずれにしても日本の水田農法のやり方はそうなんです。

 ヨーロッパの場合は畜産と結びつくという形で、農業を長く営んできているわけです。

 そういったものを自然農法と言いますと、自然農法が第二次大戦後の技術革新の中で破壊されてしまって、工業と農業が結びつくことになります。工業における化学肥料生産とか、農薬とか、工業の生産物を農業に取り入れることによって、自然農法の循環というものが破壊されてくる。それで大量に増収したわけですから、一時的には非常にいいんです。これは見方の問題ですけれども、自然農法的な見方からすると、自然本来のあるべき姿の破壊であると、そういう議論になってくるわけであります。それが結局環境を破壊して、自然農法そのものができなくなってくる。

 最近、高度成長の反省の中で、自然環境の破壊、あるいは工業的農業に対する反省が世界的に出てきたわけです。農業の環境問題、新しい農業のあり方が問われている。もう一度昔に帰ったような、環境保全型の農業をやろうじゃないかというのが最近の提案なんです。

 環境保全型農業というのは、最近、日本だけではなくて、アメリカあたりでも言い出している。アメリカでは環境保全型農業のことをLISAと言っています。ローインプット・サステーナブル・アグリカルチャー、つまり低投入・持続的農業ということですが、そういった新しいやり方でやっていこうではないかと。

 その中にはもっとほかの農業問題そのものが実は入っていて、アメリカ、ヨーロッパは過剰農産物に悩まされているわけですから、それへの対策として出てきた面が一つあるんです。簡単に言えば、昔のようなやり方でやって、むしろ生産性を落としていこうという意味が一つあるんです。それは表面には出てきませんけれども、ヨーロッパ農業の場合、新しいやり方というのはまさにそうなんです。集約的農業ではなくて、昔のように粗放的な農業にしようと。日本でも米が過剰だから、生産を減らすためにどうしたらいいかという議論が出ているのと同じように、そういった面と結びついていることは否定できない問題で、過剰農産物問題と結びついているということであります。

 自然環境と農業という話から少しはずれるかもしれませんけれども、農業というのは、今こういった形で言うと、あるいは環境保全型農業ということで言うと、いかにも農業は自然の保護者であるような感じがあるわけですけれども、実は原生的な自然に対する問題で言えば、農業というのはまず第一の破壊者です。農業は原生的な自然を破壊することなしには成り立たないんです。したがって、まず第一の破壊者は農業です。

 日本からヨーロッパ農業を見ていて、ぴんとこないことがいくつかある。ヨーロッパというのは、一つは農地率が高いんです。イギリスにしろフランスにしろ、国土の半分ぐらいは農地なんです。日本はたった15%です。ヨーロッパが一面の農地になっているのは、実は12世紀ごろからの話なんです。

 ヨーロッパの原生的自然というのは、もともとは大森林地帯だった。それが11世紀ごろに大開墾時代というのがありまして、鉄製の農機具が使われるようになってくると、それを武器にして森林を開墾して、みんな農地にしてしまうわけです。それ以来ヨーロッパではほとんど農地はふえていないと言われています。そのくらいの大開墾をやったわけです。そういう意味ではヨーロッパの農業というのは、今はいかにも自然の保護者みたいな顔をしているけれども、もともとは原生的自然を壊すことによって成立したわけです。

 日本の場合もこの点は同じです。水田を開いて、灌漑施設を持ってくるというのは、人工的な営みであります。そうした営みが江戸時代になってから初めて本格的になってくるんです。水田が一番最初に開けたのは、山間部、川の上流の渓谷地帯です。相手が小さくて、水の管理が容易だからです。今、我々が知っている水田地帯は、信濃川とか利根川とか筑後川など大河川の河口部の広大な平地が水田になっていますが、これは土木技術が進んで、大河川の水の管理が可能になって初めてやられたんです。

 要するに私が言いたいことは、日本の農業でも、農業は人間がつくり出した自然の上に成り立っているということです。農業的自然とでも言うべきものが、我々が見ている自然です。決して自然そのものではないのです。

 農業的自然が形成されて、それに基づいて生産してきた農業というのは、とにかく自然の循環機能そのものを保全しなければやっていけないという面がどうしてもあるわけです。したがって、農業というのは自然循環機能を保全する。自分が生きるためにも自然環境を本当に破壊してしまってはできないんだという意味では、自然保護的な、自然環境保全的な機能を持たざるを得ないんです。そうしなければ農業自体がつぶれてしまいますから、そういう形で自然の循環を守ってきたというのが、農業と自然とのかかわり合いなんです。

 そういったかかわり合いを、工業的な農業、つまり化学肥料と農薬に依存するような農業、あるいはトラクターに依存する農業というのはぶち壊してきたわけでして、そのつけが最近出てきているということになるわけです。

 その反省として、先ほど申し上げたような環境保全型農業をやろうではないかという発想が出てくるんです。

 ついでに申しますと、工業的農業の自然に対する負荷という形では、畜産の廃棄物の問題もあります。日本の畜産というのは、アメリカから輸入した飼料によって大量生産される畜産ですね。豚にしても鶏にしてもそうですが、簡単に言えば、日本にはそういった家畜の排泄物を返すべき土地がないんです。アメリカの広大な土地を背景にした飼料穀物を食べさせて、理屈としては、それによって出てきたものは有難く日本の土地に入れればいいじゃないかということになるんだけれども、たちまちにしてそれが過剰になってしまう。

 過剰になると、畜産の廃棄物による水質汚染の問題が出てくる。霞ヶ浦の汚染の問題というのは、その周辺の豚の生産と結びついているわけです。今や大畜産農家では浄化槽をつくらなければならないという話になっているわけであります。

 もともとヨーロッパ型の畜産は農業とうまく結びついていて、そこでうまく循環していたものが、化学肥料によって厩肥が要らなくなると、それが廃棄物という形になって出てくる。それが問題の基本なんです。ヨーロッパでも、畜産の厩肥過剰による地下水の汚染が問題になっている。そういうのが新しい工業的農業の一つの問題点であるわけです。

 そうし問題に対する反省から、環境保全型農業というのが提唱されていくということになるのです。

 例えば今年出た「農業白書」では、第一部で農業の自然循環機能の維持・増進ということを大きく取り上げています。農業の持続的な発展のため、農業の自然循環機能が維持・増進されることが必要である。さらに持続性の高い農業生産方式の普及定着が求められるとか、有機農産物の生産は、消費者ニーズに的確に対応することが必要であるとか。安全志向ですね。

 それから、農業分野でも地球環境問題の対応の強化が必要です。地球環境問題、いわゆる CO2 の問題とかそういった問題は、比較的最近、農業の中でも出てきて、それに対してどうするんだという話があるわけです。現在の農業というのは石油依存農業で、石油を除いて日本の農業というのは成り立たない。トラクターの燃料だけではなくて、肥料とか農薬そのものが石油化学の所産なんです。その意味では農業も CO2 を出す源泉になっている。

 もう一つよく言われるのは、家畜のげっぷが問題になっている。家畜のげっぷから発生するメタンガスが、温暖化の一つの原因になっている。それから肥料をやった土壌、あるいは家畜の糞尿から酸化窒素が排出され、これが温室効果をもたらす。温暖化問題にかかわって、最近そういった問題が農業の側から反省されているのです。

 それから、国産食料品の安全性の確保のため、ダイオキシン類とか環境ホルモンの対応に対する強化が必要である。こういうことも今年の白書に書いてあるわけです。

 そういう意味では、環境問題に対する農業側の取り組みというのが、今言ったような形で出されてきています。

 今審議されている農政審議会の調査会の答申には、農業とか農村に対する国民の期待として、農業の自然循環機能の発揮ということが盛り込まれています。あるいは、農業、農村の多面的機能の発揮。農業生産活動の国土環境保全機能、あるいは、農村では多様な生物が生息しており、それぞれ地域固有の農村景観を持ち、歴史と伝統に根ざした地域の文化が維持されているというようなことを答申の中で強調しているわけです。だから農業とか農村を大事にしましょうという話に結局はなるわけです。基本的にはそういうことを言いたいわけです。

 さらに、農村の豊かな自然環境や、美しい景観の持つ重要性なども、国民に必要な多面的機能に含まれるというのが、新しい基本法の答申の一つのポイントなんです。

 農業と環境というのは、今そういう形で見直されつつあるということは事実でありまして、それは過去の生産性向上一辺倒の工業的農業に対する反省の結果として出てきているわけであります。

 ただ、農業基本法の調査会の答申もそうなんですが、こうした問題というのは必ず全部、だから農業保護が必要だということに結びつくわけです。それが一つ問題なんだけれども、そういう形で今、農業保護のあり方の理由づけというものが見直されてきているのも事実です。

 図2は、基本法の答申に出てくるんですが、農業生産活動がどういうふうに環境に役立っているかという話や、マイナスの面もあるわけですが、そういったものが図で描いてあります。

 もう一つ強調しているのは地下水の問題です。例えば図3ですが、雨が降ったときに水は一体どうなるのか。耕作地、作付けした土地では地下水の浸透が非常にうまくいくけれども、裸の土地ではあんまり浸透しないということを強調しています。だから地下水を浸透させるためにも耕地が必要だということであります。

 農村における農業の多面的機能というのは、図4に示したものであります。多面的機能の中で、下に書いてあるように、評価するとどのぐらいになるか。六兆円とか七兆円とかいうことになるわけでありまして、これもちょっと我田引水的な話ではあるけれども、いずれにしてもそういうふうに役に立っている、農業保護の費用はむだではないということを強調したいわけです。

 図5は有機農業の栽培方法別構成で、有機農業と今言われていて、環境にやさしい農業と言われている農業の内容を示しています。無農薬、無化学肥料というのが一番多いんだけれども、本当に無農薬・無化学肥料でできるかどうか。化学肥料を減らして有機肥料を使うとか、そういったことが今言われている有機農業なんです。

 これで話を終わらせていただきます。

質疑応答―――――

司会 どうもありがとうございました。ご質問やご意見がございましたらお願い致します。

参会者 ヨーロッパでは過剰生産物の施策のために、農法を粗放農法に戻そうというお話ですが、ヨーロッパで消費するよりも、はるかに多くつくったということですね。

 日本ではどうしてそういうことができないんでしょうか。農業白書では、農業が大切だというところに持っていこうとしています。でも、実際は多くの食糧品は輸入していながら、輸入の問題はあまり何も言っていない。

持田 日本で問題になっているのは、米の過剰の問題があります。米の過剰に対して、生産性をむしろ落とそうということで、今、減反という形で作付けを減らしています。そういう形で対応しているわけです。

 日本は確かに膨大な食糧品、六割ぐらいを輸入しています。その原因は日本の戦後の食生活にあります。戦後、日本の食生活は、畜産物を食べる形で進んできた。畜産というのは、日本の農業にもともとないものです。水田農業と畜産というのはそもそもなじまないんです。

 畜産物を食べたいというと、簡単に言えば飼料の問題で、日本には飼料を栽培する農地がないので、輸入せざるを得ない。そうなると工場的な畜産にならざるを得ない。一番大きいのは飼料の輸入なんです。

 そのほかにも、外国の安い小麦を輸入したり、自由化された何でも輸入できるものは輸入しているというのが現状ですけれども、日本人の食生活そのものが変わらない限り、自給は無理だと思います。

参会者 私が不思議に思ったのは、ヨーロッパはそうやってヨーロッパの内部でちゃんと自給して、むしろ過剰に生産しているわけです。日本は、一部のものは過剰になるけれども、他のものはほとんど輸入している。なぜ輸入するかというと安いからで、では輸出しているところ、例えば東南アジアではそのために環境破壊が生じている。なぜそういう形になってしまったのか、ということです。

持田 日本が輸入に依存せざるを得ないというのは、基本的には土地資源の不足です。ヨーロッパは土地が多いんです。面積は日本と同じでも、半分は農地でしょう。日本は一五%ですから。

 これは農業一般に言えることですけれども、昔はヨーロッパの農業も、農業として見た場合、日本と比べれば貧弱な農業で、広大な土地を必要としていました。面積が広いと、耕耘も手ではできず、畜力が必要になってくる、という方向に発達していったわけです。その後、化学肥料とか、工業的農業に入っていく。そうすると一挙に生産性が上がって土地資源が有効に使われ、農業生産全体が非常に高まったわけです。その結果として過剰になる。

 日本の場合は面積当たりの収穫量がもともと高いためそんなに上がらないんです。米の反収が倍になるのに明治以後七〇年ぐらいかかっている。もともと水準が高いものだから、なかなかそれ以上高くならないんです。だから、ヨーロッパのような形で急激に生産が増えていくということはまず望めないと思います。土地もないし、土地面積当たりの収穫量が急激に上がっていくこともない。ぜいたくな食生活をしようとすれば輸入せざるを得ない。ヨーロッパの場合は全体が上がったから、十分な食生活をやってもまだ余裕があるんです。アメリカはもちろん大輸出国です。

 日本では、土地資源の不足が基本的にありますね。それに農法がそもそも違っていたということが根本にあるんですね。

参会者 私は農業は全くわからないんですが、今、先生のお話で、近代農業がなぜ環境破壊につながったかというと、都市化にあるというわけですが、それでは都市化を抑えて、農業から来る環境破壊を抑えるという方法が一つあるわけです。

 日本の農業はずっと保護政策で来たわけですから、もっと保護をして、いわゆる有機栽培ができるような形の体制をつくれば農業が自然破壊をしないという理屈になりますか。

持田 理屈としてはそうでしょうね。自然破壊しないということになるかもしれないけれども、都市化がすべてではなくて、原因の一つとして都市化があるということです。

参会者 農業経営というものは家族経営を中心にしていて、家族それぞれがやって、農業があることで自然が守られているのではないかという感覚があったけれども、そうではなくて加害者であると。そうすると、もう一歩飛躍的な現代化を図らないことには環境保全はできないのではないかということですね。

持田 一番簡単なのは、野菜工場みたいなものができて、工場生産になってしまえば問題は解決しますね。そうなると農業問題はなくなってしまうわけです。

 野菜とか一部のものについてはそれができると思いますし、今、現にありますけれども、農業生産物の中で一番大事なのは穀物ですから、何千万トン、何億トンという穀物全体を人工的な形でつくることは恐らく不可能だと思います。

参会者 私もきょうの先生のお話で一番おもしろかったのは、加害者としての農業というところなんです。もしも日本が、今後農業は収益率が低いからやめて、工業化していくとなった場合には、今度は国土の保全といったものに影響してくるんでしょうか。

持田 それはそうでしょうね。農業的自然と私は言っていますけれども、現在我々が知っている自然というのは、農業によって囲い込まれた、改造された自然ですね。それがなくなっていくということは、環境問題としては大きいでしょうね。

 ただ、極端な話になることはないので、一九世紀型の国際分業ということは今はあり得ない。世界最大の穀物輸出国はアメリカです。アメリカがハイテク産業という一番進んだところと、農業で食っているわけですからね。その農業というのは世界最高レベルに立った、生産性の高い農業ですからね。あれだけの膨大な農産物を、総人口の二%以下でやっているんですから、大変な生産性です。

 そういう意味で考えれば、農業と工業の分業とかいったことは簡単には言えないと思います。農工業の国際分業というのはもうないと思うんです。農業もコンピュータ管理されたハイテク産業として工業の一部となっている。農工国際分業なんていうのは一九世紀ですよ。

参会者 今、バイオテクノロジーの農業や畜産がどんどん進んでいますね。例えばドリー(世界初のクローン羊)ができたり、品種改良も、今は遺伝子をいじっていますね。そうすると農薬の要らない穀物というのがつくれると、こういう問題はよくなるんでしょうか。

持田 よくなるんじゃないですか。私はバイオテクノロジーに反対ではないんです。あれは大いにやればいいんじゃないですか。

参会者 バイオテクノロジーの話に関連して、先ほど先生のおっしゃった自然循環型の農業というのは、これは工業との関係が当然あるわけですけれども、農業はもともと自然循環型で、今は工業も自然循環型にしたいんです。そうならないと汚染は本質的に解決できない。私はそう思っているんです。

 それで、我々工業屋は、工業製品も自然循環に最終的に入る方法を考えなければならないところに来ているわけです。

 農業のほうは、どうも工業化農業という方向にいっている。工業はもともと自然の循環とは全く独立したものですから、その独立したものから、少なくとも工業の中で、あるいは生活圏の中で循環するものは循環させますが、どうにもならないものが必ず出てくる。その出てきたものを自然の循環の中に移し入れるという、それができなければごみは絶対なくならない。それをどうしてやるかというのが技術屋の問題になっているわけなんです。

 きょうの先生のお話は、化学工業屋としての面から非常に考えさせる面がありました。結論的に言いますと、農業も大変なことになっているなという感じがしたわけです。

参会者 私、農業の立場から考えてみて、自然の保全と循環過程から考えて、耕地が戦前の四五・五%ぐらいに減ってしまったところへ、穀物とか大変安いものが外国から入ってきて、今、日本ではいくら逆立ちしてもできないですね。

持田 耕地が減っているのは、乱開発や、宅地、道路、あるいは工場とかに転用されているためです。最近は放棄されて休耕地になっているのが多い。植えてないわけです。山間部とか条件の悪い耕地で休耕地が年々ふえている。そういう形で耕地がさらに減っているわけです。

 だからどうしようという話になると難しいんですけれども、山間部に手をつけろという話になっているけれども、非常に難しいですね。農業基本法が四〇年目になって、今やり直そうとしているわけです。四〇年間、一体何をやってきたかというと、はっきり言えば何もやってないんですね。

 自立経営をつくろうということで、規模拡大をうながした。生産性の高い、国際競争力のある農業をつくるというのが夢でしたからね。四〇年かかって余り進展しなかった。

 土地が不必要な畜産なんかではかなり規模拡大は進んだが、土地利用型農業というのはほとんどだめだったんです。

 これからどうするのかという話になってくると、結局また同じことを繰り返すことになるんですね。生産性の高い農業をつくろうと。もうそんなのはあきらめてしまえという話もないことはないんだけれども、どうしても農林省が書くとそういうことになるんですね。輸入の自由化が進んでいる段階で、消費者に高い米を買ってくださいとは言えませんからね。どうしてもそれに対抗できる農業ということになってくると、同じことを繰り返すことになるんですね。

 その中で土地は減っている。どう頑張っても、条件の悪い土地では生産性の高い農業はできないんです。平たいところだけができるわけですが、そういう土地は限られてしまう。そういう意味では、農業というのはそう簡単にうまくいかないんです。

参会者 地球上の人口問題は、いわゆる工業的農業は大体限界だから、もう少し環境保全的にやるという方向にいった場合に、これは大丈夫なんですか。

持田 問題は途上国なんです。先進国は今、基本的には過剰農産物を抱えていますから、少々生産性が落ちてもいいわけです。だけど途上国は一体どうするのか。まだ工業的農業までいっていませんで、原始的農業をやっているわけです。そこはやはり農薬と化学肥料を取り込まなければいけないんじゃないか。

緑の革命というのは成功したのか失敗したのかよくわからないけれども、とにかくある程度伸びたんですね。あれはやはり灌漑とか化学肥料のおかげですからね。先進国型の農業に進んでいったおかげであれだけできたのですから、それを抑えるわけにいかないでしょう。しかし熱帯のほうは私はよくわからない。

参会者 今、世界的に相当人口が伸びていて、なおかつ農業における土地生産性がだんだんと緩やかな増加になっている。そうした中で日本の農業なり世界の食糧をどう生産していくか、すごく間近に迫った大きい課題だというふうに思っているんです。

 そういう状況をある程度想定した上で、日本の農業をどうするかといった場合、先生はある本の中で、山間地の水田を生産基盤として残す方法として、作付けはしないんだけれども、必要に応じて米をつくれるような状態に保つようなやり方なんかも真剣に考えていいのではないかと。

 それを読んだときに、じゃあそれを担うのは誰なのかと。具体的にこうしたらいいんじゃないかとか、そういうことを教えていただければ、と思っているんですが。

持田 私の書いたのは、簡単に言えば水田を耕作しなくとも、保全しておけばいいんだ、それが一番大事だということなんです。水田という米の生産装置を大事にしなければだめだと。日本の食糧資源はこれしかないんだから。ただ、水田に毎年毎年、米を植えて、米が過剰になって苦しむ必要はないだろう。だから水田には水をたたえておいて、いつでも使えるようにとっておけという発想なんです。

 それを誰がやるかというのは本当に大問題で、これは机上の発想かもしれないけれども、私は、村などで水田の保全を仕事とするような第三セクターをつくればいいと思うんです。

 もう一つ、私が言っていることは、基本的には水田保全奨励金を出せという話なんです。水田を水田として持つ限りにおいて、一〇アール当たり四万円なら四万円出しましょうと。それは植えなくてもいいんです。そして所有者に水田保全をやってもらうのが一番いいわけですけれども、だめなら第三セクターに保全奨励金を渡して頼むというような形でやったらどうだろうというのが私の発想です。

参会者 それから、第三セクターで維持するのも、そんなに簡単ではありません。ただ、収益性を目ざすのではなくて、村役場の誰かが水田に水だけやって、時々耕起しておくというくらいでよいのではないか。

 もう一つ、生産活動を通じての技術の継承という問題がありますが、この場合、日本の農業もアメリカやヨーロッパと同じように農場制農業にならなければだめだ。農場の大きさの単位は一〇ヘクタールなら一〇ヘクタールで、三つ持てば三〇ヘクタール、そのぐらいの規模でなければ日本の水田農業はもうだめだろうと思うんです。

持田 今、平均は一ヘクタール少々ですが、もし平均が一〇ヘクタールになれば、農民の数は十分の一でいいわけです。家族経営で、おじいさんや親から技術を継承しなくても、十分の一の農民で済むなら、専業的な農家が技術を持っていればいいわけです。全部の農民が持つ必要はないわけです。

 私は日本の米の農場の規模は三〇ヘクタールだと思っているんです。そうすれば農民の数がもっと減ってもいい。生産性が高くなるだけの話で、同じ量の米ができるわけですから、そういう姿にならなければ、日本の農業は生き残れないと私は思っています。

司会 長い時間、どうもありがとうございました。これで終了させていただきます。



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