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シンポジウム◎イメージと言語

ディスカッション

司会 先生方にお話をいただいたわけですが、フロアからいろいろご質問もおありのようですから、先生方にだけご議論いただくのではなくて、皆様からのご質問・ご意見をいただき、それに答えるかたちで意見のやりとりもなさっていただきたいと思います。よろしくお願いいたします。

参会者 非常に基本的なことをお伺いしたいのですが、パンフレットに「数千年の時を超えて生きつづける宗教」と書いてございます。けれども、私の理解では、日本人の場合は仏教、西欧人はキリスト教、中近東をはじめとする回教、また中国や朝鮮の儒教と、この程度のイメージしか湧きません。このなかで一番古い宗教というと何でしょうか。

司会 パンフレットのことですから、主催者として私が答えさせていただきますが、一番古い宗教というものについては何も知りません。ただ宗教の形態というものが旧石器時代から残っていること、これは確かです。はたしてこの石器時代の宗教がどれほどのものであったのか、ただ想像するしかありませんが、かなり古い大宗教が存在していたこともわかっております。たとえば古代ペルシアに生まれたゾロアスター教であるとか、かつてヨーロッパを支配していながら忽然として消え去ってしまったミトラス教であるとか、そういう痕跡もございます。今回は、現代に生きている宗教ということを念頭においておりますが、人間が生きていたところに宗教的なものは必ず存在していると、そういう感じで見ていただければと思います。

参会者 現在、地球上の人口が六〇億人に達しているといわれますが、一番信者の多い宗教はヒンドゥー教でしょうか。

ロベール イスラム世界の決まり文句で「一〇億人の信者をもつイスラム」というものがあります。その競争相手としてのカトリック教会も、よく一〇億人の信者がいるなどと言いますが、どうでしょうか。数字ではそうかもしれませんが、イスラム教徒であることとカトリック信者であることとは、内容がずいぶんとちがいます。フランスでもイタリアでも、自分をカトリック信者であると認めている人でも、必ずしも毎週ミサに行くわけではありませんし、懺悔の秘蹟も聖体拝受もしないという人が珍しくありません。一方、自分はムスリム(イスラムの信者)であると自認する人は、カトリックの信者よりはるかに信仰生活を実現しています。毎日の祈りを行ない、金曜日にはモスクに行くし、断食期間をきちんと守る人もとても多い。ですから、信仰を実現している人という点からすれば、イスラム教徒の方がはるかに多いかもしれません。

 ヒンドゥー教について言えば、インド人しか信者になれないのですが、インド人のうち二億人か三億人くらいはイスラム教徒ですし、ほかにもシーク教などもありますから、ヒンドゥー教徒は五億人くらいでしょうか。

参会者 きょう現在でインドの人口は一〇億人、中国は一二億人のようです。

ロベール ヒンドゥー教の生き方というのは、キリスト教よりずっと日常生活のなかに入り込んでいますが、インドの統計はちょっと曖昧ですからね。

参会者 さきほど「二諦一如の観」に入ることを神秘体験であるとおっしゃっておられましたが、そうしたことは昔から日常的にあったことではないでしょうか。

ロベール さて、それはどうでしょうか。慈円自身に言わせますと、彼にとっては毎日の体験ではなかったみたいです。こうした体験を得た、それを特別に記念して作った和歌集なわけでして、くわしくは九月何日から一〇月何日かまで、どこかお寺の近くに籠って作ったと書いております。だから慈円にとっては特別な体験だったんじゃないでしょうか。日付までちゃんと書いてありますから。

参会者 質問させていただきたいのですが、ロベールさんは「聖なることば」「聖ではないことば」というように言われました。高級なことばと低級なことばというように聞こえてしまうのですが、言語学の考え方では、言語そのものに上下はなく、どんな大言語も少数言語も差別はないと和光の学長先生[千野榮一]のお話にありましたから、そういう観念でおりましたところに、いきなり「聖なることば」と言われるのはどういうことかと、それがひとつです。

 もうひとつは『法華経』をフランス語にお訳しになられたというお話でございますが、もともとはサンスクリット語で書かれたものですから、批判的な方がたのお話によりますと、横文字を縦文字に直したのが漢訳であるから、言語的にはまるで異質な言語間の翻訳で、鳩摩羅什は大した天才で両言語に通じていたとしても誤訳がある、そういう指摘が方々でなされています。先生は、そういう点は今度の翻訳にあたって指摘されておられたんでしょうか。

ロベール 聖なることばと俗なることばというのは、私が言い出したのではなくて、事実として言っているだけです。私は言語学者ではないですけれども、言語学としては聖なることばも俗なることばもないということは、もちろん前提として認めます。

 さて、おもしろいことにサンスクリット語の場合もラテン語の場合も、仏教で使われるサンスクリット語、キリスト教で使われるラテン語は、文献学者の目からすると駄目なんですね。文法的には間違いだらけなんです。こうした聖典を書いた人に教育のなかったことが、はっきりとわかります。とくにラテン語訳の聖書がそうです。アウグスティヌスやヒエロニムスも書いていることですが、キリスト教に改宗することの一番の妨げは、ラテン語聖書に書かれているひどい言葉遣いだというのです。それこそ俗語だったんですけれども、この俗語が聖語になってしまった。言語としてみますと、非常に大衆的なことばだったわけです。だから文法規則はまるで守られていません。

 ギリシア語の場合もそうだったんです。一九世紀にエジプトでパピルス写本が発掘される以前は、新約聖書のことばがあまりにも古典ギリシア語とちがうものですから、神様の作ったことばだという意見さえあったくらいです。あるいは神学者のあいだでは、キリスト教のために作られたギリシア語だという意見もありました。それほどひどいギリシア語だったわけです。それでパピルス写本が発掘されて、はじめて晩期ギリシア語時代の日常語がもとだとわかってきたんです。

 ですから聖なることば、俗なることばといっても、言語学的にどうとかいうのではなくて、文化と歴史という範囲のなかでこの語を使おうとしています。

 鳩摩羅什の場合も、もちろんそうです。すでに述べましたように、東アジアにおける仏教思想を理解しようとしたら、鳩摩羅什をよりどころにしないとわからないんです。たとえば先ほど「十如是」に関する和歌を引用してみましたが、「十如是」という観念もことばも考え方もサンスクリット語の原典にはないんです。ですから言語学的に言えば、これは間違いといえるかもしれません。誤訳だったんです。けれども後の東アジアにとっては、思想からいっても歴史からいっても不可欠の語となっているわけです。

 私は、いわば横文字から縦文字になったものをまた横文字に戻したことになります。私の若い頃、六〇年代のパリでは、プロテスタントの本屋でも日本語とか中国語の本はとても少なかったものです。あるとき中国語の聖書を買いに行きましたら、そこの本屋のおじいさんは「東洋人は恵まれている」といいました。なぜですかと聞くと、神のことばを読むというのに、西欧人は横文字ですから横に首を振って「No, No」といいながら読んでいる。それにたいして縦文字の東洋人は縦に首を振りながら「Yes, Yes」といいながら読んでいると。だから私のように「Yes」を「No」に戻したことは、冒涜なのかもしれません。

参会者 五世紀頃のインドのヴェーダーンタ学者でバルトリハリという方がおられますね。この人物は「スポータ説」という学説を出しているようで、ことばそのものがブラフマンだといっております[バルトリハリ『ブラフマンとことば』平凡社]。ブラフマンというのは、じつに神秘的な力をもつ真実のことばという意味のようですけれども、それをつかさどるのがバラモン教のバラモン、カーストのなかの最上級の者だそうです。この、ことばそのものがブラフマンだという考え方は、たとえば日本の言霊にあたるとはいえませんか。先ほどお話しされていた「ヨハネ伝」冒頭の、ことばは神とともにある、ことばは神だということは、ことばそのものの力をいっているのでしょうか。

 インドでも日本でもヨーロッパでも、ことばそのものの神秘性というか、力を見ているように思います。きょうはこの点については触れられなかったようなので、このことを伺いたいのですが。

松村 私は専門ではないので、どうお答えしていいのかよくわからないんですが、たしかにことばというものに力があるというのは、毎日皆さん、日常生活のなかで感じておられると思います。それを哲学化し、体系化していこうという発想は、おそらく世界中になんらかのかたちでいつもあるだろうと思うんです。そういう考え方のうち、あるものが日本の言霊という考え方とか、インドのブラフマンを核とする言語の考え方とか、それからさらには新約聖書、新約聖書のなかでもことば、ロゴスというものを至上化する、最高位につけているのは四つの福音書のうちの「ヨハネ伝」だけですから、それはやはりキリスト教のなかでも、ある一部の限られた考え方に見られるものなのでしょう。

 いずれも確かにことばというものを至上化することでは共通性があると思いますし、それには何らかの普遍的な要因というものが働いていると思うんですが、それが歴史的現在のなかでどういうかたちを取るかというのは、偶然性に左右される部分もあるのかもしれないですね。

 けっきょく私たちがやっていることは、普遍的な問題が歴史的なコンテクストのなかでどういうかたちで立ちあらわれてくるか、そこのところを具体性と抽象性のバランスを取りつつ何らかの表現をしていこうということだと思うんです。それぞれの関心はちがうわけですけれども、めざしている考え方は共通しているでしょう。そのおおもとをたぐってしまえば、人間は言語についてそんな考え方をする傾向があるのかなと思っています。

ロベール ここで少し付け加えたいのは、中国語では「ロゴス」、ことばという観念を翻訳するために「道」(dao)という語が採られたということです。しかし、この語にことばという意味はほとんどありません。白話という明、清時代の小説に使われている会話に近いことばでは「言う」という意味がありますけれども、ことばという意味はほとんどないんです。ですから、ロゴスを「道」と訳してことばを遊んだ人は半分はごまかしだったでしょうけれども、中国の文化史には大きな成果をもたらしました。ことばよりもタオの思想に戻ったということでしょう。

参会者 松村さんにお聞きします。現代の神話とは何かということなんですけれども、最近読んだのですが、日本で神様とか仏様とかいう場合、神道とか仏教というのは危険なイメージが非常に強いと、そういうアンケートがありました。七〇%以上がまがい物だと。そういう意味で今後の神話というのは、たとえば自然や風土に根ざした神話、あるいは理性、知性というような、そこから神話が生み出されるためには歳月というものが必要かと思いますけれども、これはどう考えればよろしいんでしょうか。

松村 山本さんと私とでは、神話ということばの使い方がちょっとちがっているのかなとお話を伺っていて思ったんですが、私はどちらかというと実用主義といいますか、機能主義的に神話をとらえているんです。エリアーデのように神話を理想化したくはないんですが、私たちが毎日を生きていくうえで心の支えになっているものを神話と呼んでみたいんです。山本さんのおっしゃる神話というものは、かなり条件が厳しい。たぶんこれは現代の神話とは呼べないものなんです。

 私が考えているのは、いつの時代にも人間は神話、これは別の名前でもいいんですが、何か自分たちが生きていくうえでの心の支えになっている物語をもっているはずだということです。

 だから、既成宗教ではない、なんだか漠然と目に見えないかたちで心の支えにしているものはなんだろうかということを私は研究したいんです。過去の時代の、もう現代の私たちには無関係となってしまったいわゆる「神話」と呼ばれる物語ではなくて、別のなにかに私たちはすがって生きているのではないか。何が私たちの支えになっているのか。この考え方は間違っているかもしれませんが、これもまた私なりの神話学の考え方です。正しいという保証はありませんが。

 科学技術によって何でも可能になる、人間は幸せになれるという発想だって、私のような者からいわせれば神話じゃないか、俗語的な意味でいう神話じゃないのかと言いたくなります。答えになっているかどうかはわかりませんが。

参会者 私もじつは科学というのは、つじつまの合うかたちで世界を説明できる方法かと思います。そこで科学などが神話学と結びつくのかなと、世の中の仕組みや自然現象などを説明する方法として神話ができあがってくるのかなと思います。

松村 つじつまが合うから納得するか、その説明を心の支えにするかというと、それはちょっとわからない。先ほど愛の神話という例を出しましたが、愛ほどつじつまの合わないこともありませんしね。

参会者 どうもありがとうございました。先進国ほど、概して心の支えを失うような、そういう状況があるかと思いますので、この問題を考えさせてもらいたいと思います。

司会 皆様、ありがとうございました。予定の時間を過ぎておりますので、シンポジウムの後にも懇談できる場を用意させていただきましたから、とりあえずは会をしめさせていただきたいと思います。

 それでは「シンボル文化研究会」を代表して、和光大学の前田耕作から閉会の挨拶を申し上げます。

前田 本日は、長い時間を私たちのシンポジウムにおつきあいくださいまして、まことにありがとうございます。

 今回のような主題でのシンポジウムは、私たちとしても初めての試みでしたが、それぞれ個性のちがった論者を集めたのは成功だったと感じます。山本さんも私の挑発にちゃんと乗ってくださいまして、見事な反論を立てられ、なかなか鋭い切り口を見せてくださったと思います。フィールドを踏まえた神話への関心を見せていただきました。

 私たちもあちこち調査に出かけます。私たちはイメージ文化学科という学科に属している教員ですけれども、フィールドワークを非常に重視して、それぞれの領域でフィールドワークを行なっております。たとえば山本さんが日光に行かれるということになれば、私たちも日光についていって勉強させていただく、そういうように相互のフィールドの交錯をもめざしておりまして、今回のシンポジウムもその成果のあらわれといえます。

 私たちがアジアに出かけ、たとえばアショーカ王の記念柱などを見ることがあるわけです。アショーカは、自分の政治理念を広く伝えるために領土のあらゆる場所に大きな柱を立て、そこに銘文を刻みこませました。その銘文は、それを読む人が理解できる言語で表現しなければ意味がないわけですから、その土地に見合った言語で書き込むのです。たとえば、現在は残念ながら行くことができませんけれども、アフガニスタンの北辺にあたる土地にもアショーカ王の足跡があって、そこには柱がないので岩に刻みこまれた銘文が残っているのです。彼はインドの王ですから、「法」のことは「ダルマ」という。サンスクリット語ですね。ところがアフガニスタンにいた人びとはというと、そこにはペルシア語とギリシア語の話者しかいないんです。ですから「ダルマ」などといっても、当然のように通じない。ですから、必ず二カ国語の碑文をそこに掘らせるわけです。ところがそれは文字ですから、これは山本さんも指摘されておりましたが、文字化した場合は伝わり方がちがってくる。文字の場合は文字を読めるような階級の人びとにしか受け取られないわけですが、それはそれで政治的な意図もあるのでいいんです。どんな言語を使うかといえば、アラビア語とギリシア語です。アラビア語は当時のペルシアの公用語ですから、その言語を解する人が必ずそこにいるわけです。

 たとえばインドのデリー博物館にあるアショーカ王柱を見ると、碑文は当然インドのことばで書かれている。これがもととなる文章だと見ることができます。ところがそれをギリシア語に訳し、さらにアラビア語に訳されるわけですから、どんどん中身が変化していきます。同じ「法」といっても、それをそれぞれの文化の読み方、理解の仕方で受け取ってゆくことになるのです。

 もっとおもしろいのは、インドのことばで「父と母」という順序で書いてあるものを、ギリシア人はそのまま「父と母」と訳す。ところがアラビア語を使う人びとは「母と父」と書くんですね。そういう文化だからです。こういう碑文を読んでいると、言語を受け渡してゆくときの受け手の違い、文化の違い、コンテクストによっては受け手が必ずしも同じ意味を受け取っていないことが見えてくるんです。なかなかダイナミックな問題が秘められています。この点については、きょうロベールさんが宗教とことばという、もうひとつ異なったテキストのなかで説明なされたことでした。

 また驚くべきことは、「神話」という用語は明治時代に翻訳されてできた語だということです。そういう観念がなかったのか。それとも別の表現を日本人がもっていなかったのかどうか。これはあらためて追求すべき問題でしょう。

 似たような観点からいえば、「アジア」という語も近代語なんです。近代になって私たちが受け取った語であって、もともとは遙か遠く中央アジアから現在のトルコあたり、そうした場所から生まれた語なんです。それがどうやって私たちのもとに届いたのか。これは意外なことで、大英帝国のアジア支配とともに「アジア」という語が聞こえてきて、それを私たちは昔ながらのもののように逆に使っている。さらに間違えて、アジアの中心は自分たちだなどと誤解してしまっている。これもまた問題です。

 浮遊する言語、旅する言語というものを追求し、文化のコンテクストや歴史の流れの間隙を縫ってたどれば、それだけでもダイナミックな文化の姿が見えてくるはずです。

 そういうわけで、今回は宗教、とくに神といった問題を中心にしましたが、次回はもう少し突っ込んだ話を皆さんの前で披瀝できる機会をもちたいと思います。どうぞまたこういう催しのおりには、これに懲りずに足をお運びいただいて、思い思いのことを語りあいたいと願っております。御礼申し上げます。

司会 本日は長時間おつきあいいただいてありがとうございました。今後もこういう機会をたびたびもとうと考えておりますし、そのお知らせは大学のホームページや和光大学総合文化研究所、あるいは各学科のページを見ていただきますと、最新の情報が載っております。ぜひご覧ください。

[http://www.wako.ac.jp]

*発言中に[ ]でしめしたのは、関連する文献などです。ご参照ください。




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