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シンポジウム◎イメージと言語

日本の神々のかたち

ひとつの反措定

山本ひろ子 本学表現学部教授

 私に与えられたテーマは、「日本の神々のかたち」という、とんでもないものになっています。内輪話をすることになりますが、大体こういう企画はボスの前田耕作先生が決めまして、これをやれという感じで来るわけです。私と言えば、ろくろく見ないで、はいわかりました、と――。期日が迫ってきまして、よくよく見たら「日本の神々のかたち」という題になっていたわけです。
 これはとても私の手に負えない。というよりも、こういう問題の立て方でいいのかなと、もしかしたらこれは私に対する前田先生の挑発であろうと思いまして、あえてその挑発を受けて立つということで、一つの反措定という形――つまり「日本の神々」というような極めてグローバルな形で問題を立てるということ自体、はたしてどれだけの意味があるのかという疑問を常々持っておりましたので――言ってみれば、今回のシンポジウムのテーマの一画を切り崩すような形で話を進めていきたいと思います。
 もう一つは、非常に真面目で、優秀な神話学者の松村先生から、今回の発表資料が事前に私の方に来たわけです。私は夕べ突貫工事でやりましたが。松村先生のレジュメを見ていましたら、神話学者の立場から、特に西欧における神話と神話学の形成といいますか、問題点をきちんと提起されていました。だったら、やはりこれも壊したいなというのが私の立場なわけです。
 それで、急に思いついた形で今日のお話をしていくことになります。
 さて私のレジュメは最初に、「神話」(学)への反措定、と書いています。神話という問題の立て方――もちろん私もしょっちゅう使うので、それが問題と言われればそこで終わってしまいますが――とにかく神話とか神話学の基盤みたいなものをあらためて考え直してみたい。その一つの手がかりは、やはり「神話」という翻訳語にあるだろうと思います。
 もう一つは、神話といえば、私たちはすぐ記紀神話を思い浮かべる。つまり記述された神話から出発します。
 翻訳語としての神話、記述された神話からの出発を、もう一回考え直してみようではないかということが、私からの発想になります。

――近代知における神話の位相

 これもまた松村さんの先ほどの報告と絡むのですが、西欧の神話にはロゴスとミュートスという二面性があります。
 まず最初に、ロゴスとしての神話という問題を考えてみたい。別の言い方をすると、「近代知における神話の位相」となりましょうか。
 松村さんの報告の「ロマン主義と神話学の誕生」の中で、「理性の過度の重視としての啓蒙主義とその揺り戻しとしての感情の重視としてのロマン主義」という流れがあったと指摘されています。これとも関連すると思うのですが、フランクフルト学派といわれる学者集団――批判哲学を果敢に行なう学派――の第一世代といわれるT・W・アドルノとM・ホルクハイマーの二人が著した『啓蒙の弁証法』という本があります。これは私自身、二〇年も前に非常に啓発された本ですが、この本の中でアドルノとホルクハイマーは次のようなことを言っています。扱っているテキストは、先ほども出てきた『オデュッセイア』です。
 「神話とは、報告し、名付け、起源を言おうとするものであった。しかしそれとともに神話は、叙述し、確認し、説明を与えようとした。この傾向は、神話が文字によって記録され、文書として収集されることによって強化された」ということで、「既に神話(ミュートス)が啓蒙である」、「啓蒙は神話(ミュートロギー)に退化する」というテーゼを出しています。
 神話をミュートスとミュトロギーと分けて使っているんですね。ふつう、啓蒙と神話というものは対立するものと考えられますけれども、そうではない、と。既に神話が啓蒙であり、啓蒙は神話に退化していくということで、彼らが批判の対象にしたのはナチズムの神話です。代表的なものはローゼンベルクの『二十世紀の神話』で、今日、その翻訳を持ってきました。
 完訳ではありませんが、昭和一三年に出されたものでたくさん売れたらしい。日本がファシズムへと狂奔化していく時代の中で『二十世紀の神話』のようなものがたくさんつくられました。これに当たる日本の天皇制の神話としては、「国体論」があげられましょう。
 フランクフルト学派第一世代の人たちは、ナチズムの政治神話というものを批判しながら、その淵源は、例えばプラトニズム自体にも胚胎されていると指弾しました。西欧知というものは「呪術からの解放」を旗印としてずっと突き進んできた。啓蒙というものをとことん発展させていくということは、結局、啓蒙自身が自己崩壊に陥って、先ほどの松村さんのことばで言えば「揺り戻し」として自然に退落していく。ここにナチズムの神話のようなものが出現してくるんだということです。言ってみれば西欧知そのものが、こういった神話と啓蒙の弁証法――この場合はもちろん弁証法というのは両義的、批判的に使われているわけですが――を抱えこんでいることになります。
 さて日本では、ほとんど同じ時期に、三木清という哲学者が活躍していました。今日紹介するのは『構想力の論理』という未完の大著です。
 日本の天皇制というものが、皇国史観でイデオロギー武装して、アジアの支配にますます拍車をかけて突き進んでいく。かたやヨーロッパを見れば、かつて自分も傾倒したハイデッガーもナチスに入党するというような趨勢の中で、三木は、危機の哲学を提唱し、あらためて歴史と神話というものの関係を探っていこうとするわけです。
 『構想力の論理』は、第一章が神話になっていまして、第二章は制度、第三章は技術、第四章は経験、第五章は言語であったはずですが、ついに書かれずに終わってしまいました。「構想力」(Einbildungsklaft)という言葉自体はカントから引き継いでいるものですが、三木は、構想力をひらかれた方法概念として再提出することによって、先ほどのロゴスとミュートス――三木の言葉で言えばロゴスとパトス――を統一していく。そういう方向で新しい哲学を構築しようとしたと言えるかと思います。
 一つだけ三木の引用をあげてみましょう。  

 つまり神話というのは「存在の一定の仕方」であり、そしてそこに脈々と流れる構想力というものは単なるロマン主義的な情念ではなく、ギリシャ哲学によって「形の論理」として、いわば制作の論理として形成していかなければならない。そこからポイエーシスという展望が出てくるわけです。
 さらに三木は、西欧的なザイン==有の哲学の限界性、有の論理の袋小路から何とか超出しようとする。そのときに「東洋的な無」という主題が立ち現われてくる。「無からの表現」、別な言葉で言えば創造的なものとして無を設定していく。東洋的な人間の可能性を探ろうとしたわけで、このような三木の哲学的思考と作業仮説は、今なお有効であろうと思います。
 さて時代は戦後になりますが、もう一人、ロゴスとして神話を分析した吉本隆明という人がいます。今の人には、吉本ばななのお父さんと言ったほうがわかるようですが、吉本隆明は、『共同幻想論』という有名な本を書いています。『共同幻想論』のテキストは『古事記』と『遠野物語』です。彼は『古事記』と『遠野物語』の解読を通じて、「神話の普遍的な共通性」、これは吉本の言葉ですけれども、それを探ろうとした。「神話はその種族の〈共同幻想〉の構成(ゲシュタルト)を語るもの」と定義しました。つまり『共同幻想論』は、大和王権の統一的な論理というものを、特に『古事記』の天照とスサノオの神話を通して抽出しようとした営みだったわけです。それはそれで意味がないことではないんですが、しかしながら、それではたして神話というものの淵源にたどり着けるのだろうかという疑問がわいてくるわけです。
 吉本はその後、『初期歌謡論』という本を書いています。この中の一節を引用してみましょう。    「象徴」というあたりは、まだ『共同幻想論』を引きずっているんですね。この後、「言葉の重さは、ただトーテムとおなじ重さであったし、言葉の時間は胎内をかけめぐっているだけであった。そのとき詩歌はどういう形で存在しており、どういう統一した感性をはらんでいたか。そこはいつの時代か? 不可能な夢でも、こういう課題へ接近したいという欲求には、切実な現在の思いがこめられている」と言っています。これは吉本の当時の問題意識をよく表わしている文章だと思います。
 その後、吉本自身は、「歌」というものがどこから発生したのか、「未明の言葉」をとらえる営みによって、神話というものの原型に迫るという着想で、歌謡論を展開していくことになります。

――神話から神語りへ―無文字の視界

 共同幻想としての神話ではなく、未明の言葉を探り当てる、歌が発生する磁場に原神話を見ていこうとする、こうした発想には、実はすぐれた先駆がありました。柳田国男と折口信夫の仕事です。ひとことでくくれば、神話から神語(かみがた)り、あるいは神言(かむごと)へ、記述された神話ではなく、無文字の神話世界を探っていく営みです。
 先ほど松村さんの報告にもありましたように、ミュートスという言葉を「神話」として翻訳したのは明治時代でした。柳田は、「我々はMythusという洋語を、うっかり神話と訳してしまったが、あれは実際は後悔してもよい不出来であった」と言っています。なぜでしょうか。日本の古語には、ハナスという言葉は存在していなかったんです。もちろん「話」という漢字はありました。しかしこれはすべからく「かたり」、あるいは「ものがたり」と読まれているんです。「話す」というのはとても新しい言葉なんです。神話という言葉を我々は今、何の抵抗もなく使っていますが、神様についての「話」と考えてしまうと、これは大いなる間違いである。神話とは語られたものであると認識しなければいけない。
 さらに柳田は、神話というのは、本来口伝えのものであること、それから、神に仕える者のみが管掌してきたと言っています。
 また、『桃太郎の誕生』というすばらしい本があります。読まれた方もいらっしゃると思うんですけれども、その中で柳田は、昔話と伝説の両者を統合したところに神話を置いています。従来、神話というと、昔話や伝説とまったく関係のないところで、言ってみれば非常に特権的な位置を与えられたものとしてながめてしまうんですけれども、そうではなく、柳田は、実は桃太郎の話はかつては神話であったろうとまで言っているんです。そして昔話が語られた場、あるいは伝説が生成するかたちを通して神話のありようを見ていく。そういう柳田の仕事をも我々は今なお新鮮な意味合いで受けとめていく必要があるだろうと思います。
 もう一人、折口信夫は、『国文学の発生・第一稿』という論稿で次のように語っています。「一人称的に発想する叙事詩は、神の独り言である。神、人に懸って自分の来歴を述べ、種族の歴史・土地の由緒などを陳べる。……其等の「本縁」を語る文章は、もちろん巫覡の口を衝いて出る口語文である。さうして其口は十分な律文的要素が加わって居た」と。ここにも舌を巻くほど驚くべき内容が語られています。
これらの柳田と折口の洞察によれば、神話というものは、つまりこれはもう神話ではなく――神語りとか、神言とか呼ぶべきものですが――どういうものであるかというと、おそらく次の三つの条件を満たすものだろうと思うんです。
 一つは、村落共同体の場のなかで、巫者、シャーマンによって口誦で語られたものであること。
 二番目は、担い手が存在すること。つまりふつう我々が読むような文学作品などのテキストではなく、管理者がいるということです。これは大体、巫者であることが多いです。
 そして、三番目の要素は、これはだれしもが認知しているところだと思うんですけれども、神の出自や共同体のなりたちを、原初における一回的なできごととして語るものということです。
 このような神話ないしは神語りの条件というものを十分に満たしている驚くべき呪詞が、南島の古謡群の中にありました。それが今日皆様にお配りした『南島歌謡大成・奄美編』(角川書店)の中に収録されている「島建てしんご(神語・神言)」と言われる呪詞です。
 私たちは南島というと『おもろそうし』ぐらいしか頭に浮かばなかったんですが、昭和四〇年代に入って、膨大な南島の古謡群が採集され、それが文字化されるようになりました。これは国文学界にとっては大変な事件、恐らく一〇〇年に一回ぐらいの大事件だったのではないでしょうか。
 さてこの「島建てしんご」を管掌していたのはユタであったことがはっきりしています。そしてこの呪詞は、ユタさんの行なうさまざまな祈祷・儀礼の最後のほうで唱えられました。つまり、柳田や折口が指摘するように、巫者の担い手が存在する。「島建てしんご」はまさに「神語り」として、十分な条件を満たしていると言えるわけです。

――日本の神々への反措定

 次に、「日本の神々」という立て方への反措定というものを提出してみたいと思います。
 「日本の神々」という形でくくる発想は、「日本的なるもの」の無批判的な想定と、どこかでリンクしやすい。つまり知の神話という問題が生起してくるのです。たとえば、丸山眞男の「歴史意識の古層[1]」という論文があります。いろいろな問題を含んだ刺激的な内容であることは間違いないんですが、連続性の神話というものを容認している限り、これはやはり批判していく必要があるだろうと思います。
 丸山は、まず本居宣長の『古事記伝』の一節から始めていきます。
 「(すべ)世間(よのなか)のありさま、吉善事凶悪事(よごとまがごと)つぎつぎに移りもていく (ことはり)は…… (ことごと)に此の神代の始の趣に依るものなり」と本居宣長は言っています。すべて世の中のありさまは、いいことであろうと悪いことであろうと、次々に移り変わっていく。そのことわりというのは、つまるところ、古事記の神代の巻によっているのだと。
 丸山はそれを受けて、「未来を含む一切の「理」が神代に凝縮している。……記紀神話の冒頭に、……そこでの発想と記述様式のなかに、近代にいたる歴史意識の展開の諸様相が存在する」「日本の歴史意識の古層をなし、しかもその後の歴史の展開を通じて執拗な持続低音としてひびきつづけてきた思惟様式」と言っているんです。要するに神代の巻の記述の中に、それ以降の日本、特に歴史意識を決定してきた思惟様式があるということです。
 そして丸山は、その思惟様式というものを、「なる」、「つぎ」、「いきほひ」という三つの言葉によって集約させます。「つぎつぎに、なりゆく、いきほひ」、これがその後、近代に至るまで、日本人の歴史意識を決定づけてきた、と。
 例えば、西欧は「つくる論理」だけれど、日本は「つくる」ではなく、「なる」なんだと。イザナギ、イザナミの結婚のように「産む論理」もありますが、しかしそれも「なる」に吸収されてしまう。また「なる」という言葉が持っている働きは、畢竟、ムスヒ(産霊)というヒの生産力、物を生み出す生産力ということに凝縮される。
 そして丸山は、『愚管抄』や『水鏡』など、鏡物の記述の中から「なりゆく」という言葉を抜き出すんです。そして次のように言っています。
 


 つまりムスヒには物を生み出す力と同時に、ペシミスティックな側面もあるということで、時には仏教と結びついたりし、基層低音としてずっと流れてきたものなんだと言っているんです。
 この丸山の論文というのは、実は種本がありました。それは、紀平正美という学者が昭和一七年に出した『なるほどの哲学』というものです。丸山は、もちろんこれは日本主義の哲学ではあるが、外来思想とは「異なる何ものかを日本的思惟として嗅ぎ分けよう」とした、「ある種の直観から出た真実が含まれて」いると一定の評価を与えています。「なる」=ムスヒということが、言うなれば日本の神道、あるいは日本の歴史観を決定してきたのだというわけです。
 ところで私は、現在、主に中世の宗教思想や儀礼の研究をしております。そういう資料を見ると、ほとんどと言ってよいほどムスヒの神々に対する関心は払われていません。逆に言うと、紀平はむろん、丸山も、「中世」を捉えそこなっている。概してこれまで中世と言えば、鎌倉新仏教であったり、和歌であったり。そういう意味からも中世の、特に神道というもののきちんとした位置づけ、解析というものが必要になってきていると思います。
 さて丸山は、「つぎつぎに、なりゆく、いきほひ」を日本の歴史意識の基層としてとらえていき、それが連綿として続いてきていると認識したわけですが、もう一人、石田一良も「神道の思想[2]」で似たような見解を示しています。これが発表されたのは「歴史意識の古層」が書かれる二年ぐらい前ですが、「神道は、わが国固有の宗教として、日本の歴史を生きつづけてきた」とし、やはり神道の原始的本質はむすび(産霊)の働きにあるとみなしています。
 リベラルな思想史家たちだけに、こうした神道観が与えた影響力は今なお大きいですし、それだけに問題の根も深いはずです。
 では、自分は中世の神道をどう考えるかというと、今回の話の枠からそれるし、時間もないので、視角だけを述べておきましょう。私は歴史をとらえる場合、どちらかと言えば継続ではなく断絶を見る人間です。極論するなら、神道というものは、中世に発生・成立したと考えています。すでにあった古神道が、仏教を導入することによって中世神道へと姿を変えたといった連続的な思考では神道をとらえることはできないということです。
 先ほど神秘体験の話がロベールさんからありましたが、(中世)神道の発生にも個的な宗教体験というものが基層にあった。私の考えではそれは「霊的マンダラ」として与えられた[3]と確信しているのですが――そうした啓示の内実をどのようにして「相伝」していくのかというところにテキストが成立してくる。全体をつらぬくものは儀礼的な思考だろうと思うんです。この意味における「神道」は、記紀神話的なものやその延長上に存立するものではありません。
 あらためて中世の神道に光を当てると、まったく違う景観が見えてくる――さらに言えば、世界の他の宗教とも共有できる現在性・可能性があるのではなかろうかということで、今、自分の仕事を進めているということです。
私の話は以上で終わらせていただきます。


*1 「歴史意識の古層」(日本の思想六『歴史思想集』解説、筑摩書房、一九七二年)

*2 日本の思想一四『神道思想集』、筑摩書房、一九七〇年

*3 拙稿「霊的曼荼羅の現象学││中世神道の「発生」をめぐって」(宗教への問い3『「私」の考古学』岩波書店、二〇〇〇年)



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