未来への大学院を目指して

調査報告に基づく提言

石原静子 人間関係学部教授

――はじめに

 一九九九年春から秋にかけて、和光大学総合文化研究所C系のプロジェクトチームの一つ「高等教育革新の実践的研究」グループは、最近一〇年間にできた人文社会系大学院修士課程を対象とする調査研究を行なった。メンバーは三学部にわたる教員七名で、一九八六〜九六年に同じC系で研究活動をしていた略称「入門研」チームの、一年限りの復活であった。

 調査目的は、二つある。前年一九九八年一〇月に大学審答申が出て、今後日本の大学が進むべき方向を事細かに提起したが、その主柱は大学院拡充と学部教育の厳格化にあった。前者は、日本の大学院が欧米のそれと比べて質量ともに劣ることを指摘して、早急な改善を要請していた。社会一般でも、経済的発展・生活の安定に伴って高等教育の普及、高学歴志向が強まり、最近さしあたって修士課程の新設や改組が増えていた。その実態を、世紀の替わるこの時点で把握しデータにしておきたい望みが、本調査研究第一の目的である。第二に、和光大学は一九六六年創学以来、戦後の大衆化した大学のあり方を模索し試行する「実験大学」を掲げてきたが、諸事情の下、次の実験段階であるべき大学院設置に至らなかった。近年ようやく具体化の機運が高まってきたので、まずは現況を把握し学ぶべきは学ぼうというのが、本調査研究第二の目的である。

 調査の方法は、「入門研」時代に実施して有効と分かっている、アンケートとそれに基づく訪問調査の二法を用いた。具体的手続きは、次の通りである。(アンケートはPDFファイルです。Acrobat Reader をご使用下さい。)

 一九九九年四月に、A4三枚から成るアンケート(前ページに内容掲載)を、一九八九(平成元)年から一九九七(同九)年に新設又は大改組した人文社会系大学院修士課程全部(ただし旧帝大、筑波大と芸術・体育など特殊なものを除く)に郵送し、五月末日までの返送を依頼した。対象二二〇研究科中回答一八〇で、回収率は八二%。この種の調査としては異例の高率を得て、信頼度の高いデータとなった。なお、新制大学院発足後約半世紀、うち正味九年つまり二割弱の年数で、二二〇研究科はこの領域の全修士課程数の四割近く、最近の新設・改組ラッシュが分かる。

 訪問調査の方は、アンケート回答から、意欲的な研究科づくりをしているところ、科名や内容が珍しい、他の回答にない独得な答え、などを基準に、二〇弱の研究科を候補とし、メンバーの合議で訪問先を選んだ。右記第二の目的を考慮して、結局中小規模の私大八研究科になった。回答記入者をターゲットに訪問の交渉をし、メンバー一〜三名ずつ手分けして、一〇月〜一一月に訪問し、懇談して資料も得た。

 二種の調査結果を併せた報告冊子を作成、二〇〇〇年一月に回答校ほかに配布した(訪問八校には各記録原案の校閲を求め、公表の許可を得てある)。データの詳細はこの報告冊子を参照願うこととし、本稿は両調査結果に基づき、未来に向けて大学院のあるべき姿を抽出することに重点をおきたい。なお、両調査が予定通り終了した直後の一一月一七日(水)に、学内で調査結果の報告会を開き(参加者二〇余名)、盛んな質疑・討論があったので、それも随時取り入れて記述を進めたい。

1――アンケート結果から

 といっても、大学院のあるべき姿を論ずるには、その基礎となった調査結果の関係部分だけでも記述しなくては、当事者だけが承知してのひとりよがりな空論となる。そこで、1、2として3の本論に必要な範囲で、両調査結果の摘要を記そう。1はアンケート結果で、グラフは最少限の六枚とした。

(1)最近の修士課程の規模や構造

 九九年三月に修士を得た人数が、一〇人二〇人あたりの研究科が多く、一八〇回答科の六〇%に達する。うち博士課程ほかに進学した者は二〇%弱で、就職者が五〇%弱、残る三〇%は不明や求職中の者である。上に博士課程のある研究科は、私大五〇%国公大二〇%に過ぎず、単一学部の上にある構造は私大五〇%国公大九〇%、専攻数は一〜二が大多数である。こうした比較的単純な構造の割に、院生と学部生の関わりは必ずしも密でなく、特に自主的積極的交流のケースは少ない。

 社会人の受け入れは約九〇%に達し、入れていない科も「きまりではなく事実として」などと注記していた。すべて一般院生と同一専攻、クラスで学んでいる。得られる資格は中高教員どまりで、ほかは心理系と経営領域の少数例のみ。

 以上が、アンケート一枚目と二枚目上半分の回答から分かった。

(2)教員の所属・組織とその権限、及び高度教養教育観

 教員の身分は、学部所属で大学院は兼担の形が大部分である。組織は「研究科委員会」が九〇%近く、「研究科教授会」は七例にすぎなかった。決定権の範囲は、図1に見る通り、学生身分とカリキュラムに関しては一〇〇%近いが、人事、役職と減って予算決算では五〇%を割る。これは、別の問で財政の学部依存を答えた科の多さと、対応していた。

 アンケート二枚目上部二問はカリキュラム関係で、院生の科目履修を当科内に限る所は約三割、他からを認める先は学部、他研究科、他大学院がほぼ同率ずつ。問4の(2)で、「専門の深化と共にそれを支える高度関連教養的科目」を必要と答えた研究科は、国公私立を問わず約三分の二、しかし既設と検討中及び困難の三答の選択は、図2が示す通りほぼ等率だった。

(3)大学院の目標と院生に得させたい力

 アンケートのメインは、問3と問6である。両問ともそれぞれ九と一〇個の選択肢から「いくつでも選ぶ」方式で、従って選択率を見ると、最近の修士課程が持つ目標の構造と目指す院生像が浮かび上がる。両問各々の選択肢を整理して、三と四類とし、ほぼ多い順に線でつないで並べると、図3、4のようになる。

 目標は、学生中心の三項が比較的多く、中でも社会人の再教育を選んだ科は八〇%近い。研究推進と研究者育成も五〇%を超し、図4の最左三項つまり研究能力・専門知識などの多選択と対応する。会話とハイテク、三種の人間的力量の必要度はあまり高くなく、最右の正義感は最も低い。これは図3の最右、市民社会派目標三項の低率と符合する。現代と世界への関心は、図2の高度教養教育必要度と、パーセント数値も似ている。

(4)一八〇回答科のタイプ分けと専門領域比較

 問3で、学問研究三選択肢をすべて選んだ科を研究重視型、学生中心三項を洩らさず選んだ科を学生中心型、市民社会三答中二答(三答選択は二科のみなので基準をゆるめた)を市民社会型と名づけ、二型を兼ねる科を多方位型とした。この順に一五、三六、一四、六研究科で計七一科、残る約六割はどれにも属さない中間型である。この四型を他問とクロス集計した。問4(2)とのクロス結果を図5に示す。タイプによる違いはかなり明瞭で、研究重視型は教養教育不要論と無答が多く、多方位型は全科が必要と答えた。残る二タイプの答は、両者の中間に納まった。

 次に一八〇回答科を、専門領域で分けてみた。教育二二、人文(文学を含む)三一、社会(法学・政治学を含む)二八、経済(経営学を含む)四一、国際(言語関係を含む)二一、人間(の名を冠する全科)一八、ほかに二領域にまたがる科や分類困難などの計一九研究科が残った。この六領域で問3の目標三分類平均選択率を見ると、図6のようになる。

 学問研究は人間、人文、国際の順に多く、学生の学習は逆に社会、教育、経済の順である。市民社会三項目はそろって少ない中で、社会と人文にやや多い。

(5)目標実現への努力、今後への希望と障害

 アンケート三枚目は、自由記述で右の三事項を聞いている。三問とも平均二答前後が熱心に書かれた。

 問7は現行の工夫、努力で、修論指導など研究関係が九一答、カリキュラムや授業の工夫など日常の教育が八五、インターンなど実地指導四三、ほかは昼夜開講など制度・設備二一、研究科外組織(外国を含む)との提携一八など。

 問8の今後に望む方向は、博士課程設置などの制度拡充(財政を含む)一〇五、社会人、留学生等院生指導六五、が主なところで、あとは問7の答にあった諸事柄を今後に期するケースがそれぞれ見られた。 

 問9に答えた困難事は、教員の負担増を中心に教職員関係が一二四、財政、制度、設備などが九二、学生の質や意欲等への苦情八五と、大きく三分類できた。

2――訪問調査結果から

 訪問した八研究科は、前述の通り中小規模の私大で意欲的個性的な研究科づくりが基準だが、選択の際無意識のうちに専門領域も考慮していたらしく、終わってみたら前述1―(4)の六領域に、ちょうど一〜二科ずつ当てはまっていた。そこでこの順に、各研究科の特徴をできるだけ簡略に述べる。

(1)武庫川女子大学臨床教育学研究科

 他の同種研究科が教員養成の国大一色の中で特異、一八〇全回答科の中でも特色ある科名・内容である。「人権教育学」「発達臨床心理学」などユニークな科目が並び、主として社会人が勤務しながら学ぶための夜間のみの研究科(修・博)で、学部を持たず教員身分は以前からあった教育研究所の教授である。学校教育現場の状況に分け入って問題解決を目指す人材育成と、既成の学問を現場で出会わせての新しい「臨床教育学」体系構築とを、志している。中には遠方から新幹線や特急で通学する院生もあり、やがて「臨床教育学会」を創る機運という。歴史の長い女子大全体を、引き締め高める効果も生じているようだ。

(2)英知大学人文科学研究科

 創立三〇余年の小さなカトリックの大学で、その「宗教文化」専攻が訪問のターゲットである。文学部(単科)にも神学科がありキリスト教に集中しているのに対して、大学院(修・博)はそうではなく、仏教、イスラム、ユダヤ教、中国民俗信仰などの諸宗教と文化にわたり、「宗教文化とは何か」を徹底考究しようとする。戦後の日本では物質的豊かさを求めた揚句、精神世界への回帰が人心に萌した故か、社会人を含めて入学希望者は多く、学部にもよい影響を生じている。もう一つの専攻は英語英文学だが、同種の修士課程が近辺に多いため定員を満たし難いとのことである。

(3)関東学園大学法学研究科

 ここを訪問先に選んだ理由は、企業派遣生など社会人教育の重視が明記されていて、法学という大学史と共にある古い学問との調和を、実見したかったからである。学部は法の基礎を万遍なく学ぶきまりだが、院では法哲学から国際政治学に至る諸法から選んで、課題に沿って深めていく仕組みだ。懇談相手の研究科長は、前任校の国大と比べて、科目配置と中身を社会人のニーズに応えて工夫していることを、諸実例をあげて説明された。昼夜開講で教員の負担は重いが、社会人相手の授業はやり甲斐がある、いま大学は、法と同じく進化の途上にある、とのこと。ここも毎年定員の四倍ほどの応募者がある。

(4)関東学院大学法学研究科

 (3)と似た校名で同名の研究科だが、中身は大きく違っていた。懇談相手の教授が企業法・経済法の専攻で、その方面の話が中心だっただけでなく、約一〇年前法学部を分校として設立の際、市の誘致・寄付に応じた代わり、市政への協力と職員・市の企業人の推薦受け入れを約した。つまり地域と密接なあり方の典型だったからである。彼らが持ち込む現代社会の生きた課題(例えば現変革期の新しい企業経営など)が、半数枠の若い新大卒に、成長を促す著しい効果がある。その一方で来年度から、研究者育成の小規模新コースを改めて設けるなど、時代に流されない独自の行き方で、伴う苦労をものとしない気概が窺えた。

(5)明治学院大学国際学研究科

 カリキュラムは、日本研究、世界研究、平和・紛争研究の三本建てで、三本目の柱には紛争、軍縮、格差各研究などのユニークな科目名が並び、前の二群に方向と活気を与えているようだ。三群とも筆頭の「基礎理論」に、担当の教授以外の教員も毎回同席して、院生を含めた討論になるという。

 分校の立地条件から社会人受け入れは目下検討中の段階だが、ここの入試はむしろ厳格な選抜制で、研究意欲・資質の者だけを採る。学部卒も安易に当大学院に進ませず、適性に応じ留学や他院への進学を勧めるという。研究・教育共に高い質を保つことが、結局私学の生き残る道だ、と確信に満ちた言葉を聞いた。

(6)麗澤大学言語教育研究科

 専攻は一つで「日本語教育」なのが珍しく、日本語の教え方の研究や教師養成かと思ったら、全く違った。カリキュラムは、言語学の基本領域諸科目と、中、韓、タイなどアジア諸言語と文化を日本のそれらと比較する二つの科目群とから成り、これに情報処理科目群が付く構造だ。日本語を人類言語の一つとして相対化する研究が主柱で、教え方研究はその一分野にすぎない。つまりしっかりした言語理論と生きた近隣諸語を両刃として、日本語を解明し人類の言語に迫ろうという、国際的研究機関なのである。自然に院生定員の半ばかそれ以上がアジア中心の留学生となり、生活上の理由で学業挫折しないよう、諸種奨学金の充実をはかっている。

(7)常磐大学人間科学研究科

 同名学部の上に立つ、同名単一専攻の小さな研究科(修・博)だが、志は高い。カリキュラムは、「人間の発達と適応」など五つの科目群と、研究法・合同演習の合計七類。合同演習は、教員と院生約二〇名ずつの全員が毎週同席して、二年生の研究発表を中心に議論を闘わせる。この異年齢異経験のルツボで成長するのは院生だけでなく、教員も自閉しがちなわが専門を客観視し、取り組み直す好機となる。懇談相手の教授は医学者で、人間科学のその面の充実をはかるなど、単なる寄せ集めの総合化ではない学問の創造とメンバーの磨き合いに、力を注いでいた。「学問することと学校づくりは同時にやれる」の一言が、印象的だった。

(8)神戸学院大学人間文化研究科

 専攻は二つ、人間行動論と地域文化論とである。一見異質な両者がどう「人間文化」に結実するのかを、知りたかった。前者は教育学、社会学、心理学と人類学の四講座、地域文化の方は歴史、地理、文化論が各々日本と西洋にわたる構造で、両者をつなぐ共通科目としてワークショップ八科目が、異領域の教員二名の共同運営で設けてある。見学、調査、体験旅行など、院生の主体性と関心を生かした進め方を合意している、とのことだ。この二専攻構造は、母体である人文学部が長らくの教養部から一〇年前に転身した結果で、教養領域縮小の大勢の中で、苦心の構成らしい。立地条件からか、社会人は来ていない。

3――変わりゆく大学院と未来のあり方を考える

 以上、アンケートと訪問の両調査を併せて、われわれは何を得たのか。大きくまとめて、二つあると思う。第一は、調査対象以前のつまり戦後約四〇年の大学院と違ってきた、いわば変わりゆく修士課程の実状を知り得たこと、第二に、それをふまえて、次世紀に向けてあるべき大学院について考え得たことである。二つとも、近い未来に修士課程を作ろうとなったとき、参考にできることは言うまでもない。以下は、結果の順でなくいくつかの具体面に絞って、考えていくことにしよう。

(1)社会人の受け入れが当然となった現実と、

 そのメリット

 アンケートで約九割の回答科が社会人受け入れを答え、まだのところも「きまりとしてではない」旨、言い訳がましく付記していた。訪問八校中の二科も後者に該当したが、立地条件の不利ゆえで、前向きに検討中と言っていた。これらで見ると日本で少なくとも最近できた修士課程が、社会人の受け入れを当然と考えるようになった事実が、見てとれる。問3「大学院の目標」でも、九選択肢中最も○が多かったのは、「社会人の再学習」であった。

 しかし最近著しくなった事柄ゆえに、具体的施策は模索中試行中なのも、自然である。ほとんどの科で一般院生と同一クラスで学ばせているが、それでいいのか検討中と自由記述に出てくるし、語学力のばらつきや、関心・目的の多様さなど、指導困難の訴えもある。自治体・企業等からの派遣と自主進学では、求めるものが違うのは当然だ。どちらにせよ、休職などして丸々の在学は大抵の場合無理だから、夜間・昼夜・休日開講、サテライト校設置等の施策が必須となる。教員の負担は、授業内容の工夫を含めて確実に増す。職員負担も加えて、このことは「目標実現への障害」として、最も多く言及された難関である。

 しかしこれらの難関をのりこえて、お釣りのくるメリットが、社会人受け入れにはある。第一は、訪問した受け入れ校で異口同音に聴いた、教授たちの「やり甲斐」である。夜間そこにだけ灯のともる教室でも、侘びしさやつらさは感じない、毎回が真剣勝負のようだ、居眠りも私語もない集中・緊張が快い、と。「子どもを教えるのと違うから」と言い切った人もいた。こちらが伝えたい核心といったものを受け取ってくれる、目に見えない手ごたえは、共に職業人として社会を支えている同士だからこそあるものなのだろう。

 第二に、「子ども」である新大卒たちもまた、社会生活を経てきてもう一度志を立てた先輩から学ぶことは数知れず、彼らの成長を促す、とは懇談相手の教授たちの多くが口にした観察である。他方で先輩たちも、若い人びとと勤め先でのような利害や上下関係抜きで付き合えて、若者の感覚や考え方を知り得る、と語った教授もいた。考えてみると幼稚園から大学、さらに職場まで、異年齢異経験の者がまじって相互作用する機会は、今の日本では乏しい。故にそのメリットを生ずる稀な場となり得るのであろう。

 社会人受け入れに伴う第三のメリットは、右の一、二に劣らず大きい。次節に述べる学問の変化、新しい創造に関わることである。従来のように研究者を志す院生が徒弟制度風に教授に師事する大学院では、狭い専門領域の尖鋭な研究は進み得るが、学問の生き血ともいえる現実との通路は、閉ざされがちだ。志を立てて大学院に再入学した人びとが持ち込む生きた課題は、世俗的で漠然としているとしても、新しい刺激となる可能性がある。経済法の教授が、最近の経済界での切実な解決を要する問題を持ち込まれて、文献も既成の答もないため苦労は数倍だが、これも教員の力が試されるやり甲斐ある機会だと思う、と話したのは、その適例である。

 こうして新しい形の師弟が共に取り組んだ研究は、やがて課程を終えた職業生活で、あるいは在学中も、いろいろな形で社会に還元されることになるだろう。学会・学術誌や産学関係を通じての還元経路とは違う、目に付きにくいが実質的なたくさんの通路が開かれることになる。教員など人間相手の仕事なら尚更、リフレッシュの効果は職場に広がる可能性が大きい。まとめて第四のメリットと言ってよさそうである。

 さまざまな困難があり、うまくいっていない修士課程もあるにちがいないが、二つの調査からわれわれが得た感触は、これからの大学院は従来と違って、社会人がいつでも志せば参加でき、院の側もいっそう工夫して、学びやすく研究し甲斐のあるものにつくり変えていって、むしろ大学院は、生涯教育の学習・研究機関となるべきではないか、ということである。かなり年輩の、定年後院生や子育てを終えた主婦の話も聞いた。彼らは、旧来の学問研究偏重の大学院では、非戦力の余計者だろうが、学習権が人権の重要な一面である今後の社会では、一人一人の充実を通じて世界が充実向上していく、見えない戦力であり得る。問3で生涯学習や良き市民育成の項目が著しく低選択率なのは、現在がまだ過渡期であることを示しているのではないだろうか。

(2)新しい学問の創造

 社会が一応安定し、高学歴志向が強まるにつれて、高等教育の重点が上へと移行して、昔は最高学府だった学士教育の比重が軽くなるのは、時代の流れであろう。それに沿って大学院を作るのは自然だし、確かに大学院を持たない大学は格が低いような雰囲気が、徐々に増している。一八〇回答科の中にももしかするとそんな配慮から、学部の構造や習慣の続きのようにして修士課程を設置した向きが、あるかもしれない。これから作るかどうか決めるところでは、いわゆる大学全入時代を目前にして、いっそうあせる気持ちにもなろう。

 そうではなく、というかそれも動機の一つだったにしても、作るとなったときちゃんと基本のところから考えて、間に合わせや格好つけではなく、本格的な構想を立てて実現に至っている研究科を、いくつもの訪問先で実見した。

 日本の学校教育現場がさまざまな問題を抱えていることは、誰が見ても否定し難い事実といっていいが、教育学・心理学はこの現実に自ら分け入って問題解決をはかるに至っていなかった。見過ごせないと思う人びとと既成の諸学とを現場で出会わせ、これまでなかった研究と教育の構造を創り出すことが、可能である。宗教とその文化といえば古来、信ずるという合理性を超えた心の営みから発しているが、それが本当に何なのか、という基本的な問を立てて、キリスト教以外も含めた諸宗教と文化の窓を、公平客観的に開くことができる。

 日本語という、日本人にとっていつのまにか自分と不可分自明となった事柄を、いったん客観の場に戻して、言語学の現段階と近隣諸語との比較作業によって、基本のところから解明し、成果を「教え方」にも生かす構想を、立てることができる。人間の科学といえば、人間と関わるあらゆる学問や思想を取り込み得る、広さと共にとりとめなさが難物なのだが、生物としての人間から考え起こして、独自の研究と教育の体系を、見栄えや義理でなく工夫することも、やればできるのである。

 変動著しい世紀末だから、どんな構想を立て人を集めて、どんな科目構成や履修規定にするかは、ピンからキリまでいろいろなやり方がある。難しいがこれも、やり甲斐のある仕事である。懇談で会った研究科長や教授たちの多くは、苦労を承知でその一極に決断していた。次項で述べる経営の隘路をはじめ、摩擦は当然多いが、辻褄合わせに流される大学院づくりより、少なくとも未来を望見できるし、その分教員、院生を元気づけることができる。

 複数の研究科で、不思議にも申し合わせたように、院生には大きく分けて三種ある、そのどれもが大事、という発言を聞いた。専門領域にもよるが、資格を取ったり修士号を得たりして社会的地位上昇を目指すタイプ、第二は院の構想が新しかろうと古かろうと、研究それ自体に意義や関心、適性を見出す人びとである。第三は、このどちらでもなく曖昧模糊としている連中で、例えば人間そのものに興味があってとか、社会を支える下絵としての法をもっと知りたい、のたぐいだそうだ。

 この第三のタイプは新大卒にも社会人にもいて、旧来の大学院では少なくとも大っぴらに言って回れはしなかっただろう。これも最近の修士課程に表れた変化の一つといっていいが、彼らもまた大事、という意味は、既成の学問の類別や方法にとらわれない自由な発想の余地が大きいから、という。そういえば五〇〜六〇代の人は大体このタイプかな、いまさら出世でもないし、とのことだ。教員も異なる領域や気風の者が新しい構想の中で揉み合い、院生同士も異なる志向を互いに認めて影響し合うと、活気ある修士課程ができていって、成長を促し合うことになるらしい。

(3)経営の困難を超える道

 院生は少数で、教授の陣容は高度を要する。大学院が、儲かるどころか経営的に引き合わないことは初めから分かっていて、結局は学部の大衆学生の犠牲の上に乗ることになる。故に私大ではなく国や自治体の仕事であるべきだ、というのが初代梅根学長の持論であり、和光大学が大学院設立に踏み切らなかった大きな理由であった。

 この状況は、好転しているわけではない。最近新設・改組の修士課程の三分の二は、定員二〇人までの小規模な上に、不況やリストラの現代である。大衆化が学部を席巻して大学院に達しつつあるとはいえ、院生数を簡単に増やすわけにはいかない。アンケート回答で財政の学部依存、教員は兼担で予算決算に決定権少なく、自由記述でも財政問題が多くあげられた。訪問先で経営のことに話が及ぶと必ず、「引き合うはずがない」という答が、いかにも当然といった淡白さで返ってきた。

 それなのになぜ、この九年間に二百を超す人文社会系修士課程ができたのか。まず大学院にはやはり、学部では達し得ない存在意義めいたものがあると、まず仮定することができる。アンケート問3で、研究者育成や社会人の再学習等を半数以上や八〇%近くの科が選んだ事実、問6の院生につけたい力の選択も各項にわたって多いことが、この好意的仮定の理由である。しかしその先は、大きく二つに分かれるように思われる。

 一方は(2)でも触れた通り、学部だけの大学は格が低いという世間の見方が一般化してきたから、中身はとにかく修士課程を作り、院用として見栄えのする建物を建てることが、少子化の今後も何とか学部の定員を確保する道だ、という計算である。もう一つは、良い修士課程を作ることによって、大学院自体だけでなく学部も、陥りがちなマンネリや自己満足状況を脱して、又はそうなることを防いで活性化する、という可能性に賭ける道である。

 前者が時流迎合的で後者こそ正道だ、と切り分け決めつけることはできない。完全にどちらかだけで作ることは、第一稀だろうし。しかし、教員のほとんどが学部所属の兼担で、院と学部が同一キャンパスにあるのが普通な日本の大学の現状では、大学院は作ることだけが主目的であるよりも、(2)のようにきちんとした志向を持ったエネルギーを傾注しての研究科づくりだと、学部にも良い影響を及ぼす。新しい充実に向かって学部も動き出した、という観察を何人もの当事者から聞いた。そういう研究科づくりは間に合わせのそれよりカネがかかるから、当面見える形での経営的マイナスは大きいが、長期のタイムスパンではプラスになる、と語った人もいた。

 学部活性化はいわば副産物だが、学部空洞化が危ぶまれる今日、大学院共々成長するのが本道ではなかろうか。訪問した歴史の古い女子大で、学部をもたない独立研究科、つまり大衆学生数で不足を補う道のない大学院をあえて作ったところでは、元々その意図があったのかどうか、九九年度の学部入試で、関西の女子大中第二位の倍率と別の資料で知った。

 大学院自体が入学希望者を集める能力も、(2)で例示した構想の豊かさユニークさと、比例していると見受けた。そういう院の一つは、得られる資格については要覧に三行きり、建物もキャンパスをはみ出した目立たないものなのに、常時五倍を超す受験者を集めていた。別の大学院で、同じ研究科内であっても英文学など類例の多い専攻は、定員充足困難という実例のあることは、先述の通りである。目立つユニークな構想を打ち出してはいないが、法学という古い学問を現代に生かす地味な努力を重ねている研究科は、やはり四倍の院生志望者を得ていた。

 研究科発足後数年になる訪問先では、これも申し合わせたように似た新しい困難の話を聞いた。構想に従い心をこめて集めた主要メンバーが、やがて定年で去ることになり、次の人事が必要になるからである。教員組織の大部分が研究科委員会の形で学部内に在ることは、大学自治の伝統である人事権に、微妙な問題を生じやすいのだ。この難関をどう乗り越えて初志を持続し得るか、最初の試金石といえる。

(4)大学院や大学にとって、地域と何か

 訪問した八校の一つで、市の誘致・寄付に応じて一〇年、市政に人づくりに緊密な協力関係を続けている例に出会ったのは、珍しい経験だった。懇談中も何度か学外かららしい電話が掛かり、教授の名刺の裏には、近隣の市や町を含む何々委員長・審議会長などの肩書が、七つも並んでいた。といっても、義理でいやいやの感じではなく笑って話されたのは、人柄もあろうが、一昔前の大学院にはなかった変化である。たまたま立地する地域とは無縁に聳える、真理探究の城だった昔とは違う。これほどでなくても、大学が地域の人向けの市民講座や子育て相談などをするのはもはや当然のようになっていて、それが大学院にも広がりつつある。文部省でも修士課程申請の際、地域からの設置要望を重視する、とは少し前から聞いたし、今回の訪問でも耳にした。

 その一方で、意欲的な研究科構想は、大きく立てるほど、日本の現実に基づきつつフィールドは世界諸地域に広がることを、訪問したいくつかの科で実見した。日本語の客観的研究を志す研究科で、面白い修士論文の例を聞いた。明治期の欧米語漢訳(哲学・美学の類)が韓国に伝わって、当地に以前からあった漢名詞を変化させたプロセスを、実証的に追った研究である。大構想の下で地域研究が他国に広がり得ることの、一例といえよう。

 研究科の目標実現のための方策として、教室を出て各地で実習や体験学習旅行をする試みは、アンケートの自由回答に多く書かれたし、それらが目の前の地域を超えて他国へも広がる例に、訪問でも出会った。教室、研究室に閉じこもりがちだった旧来の大学院と比べて、この活発な活動性と対象地域の広がりは、これまた新設研究科の特徴の一つである。アンケート問6の「院生に得させたい力」で、「世界と現代への関心」は「自立した研究能力」に次ぐ第二位の選択率であり、高度教養教育を必要と答えた科が三分の二を占めた事実とも対応していた。

 考えてみると、世界のあらゆる所、人間が生活する場所にはすべて、大小さまざまの地域がある。立地する具体的地域と関わり、その発展に力を貸すのと並んで、世界諸地域とも交わり、人びとの生活向上に地道に尽力する、両面の生き方がこれからの大学院の方向であるように思える。

(5)良い大学院づくりは志と夢を広げる一歩一歩から

 アンケートの添え書に研究所長名で、「研究科のことに詳しい方、責任者など」にお願いしたい、と書いた効果もあって、回答者のほとんどは当研究科づくりの中心人物か、それに準ずる方々だった。そこに訪問依頼の的を絞ったことは、話が通じやすく快諾を得やすいメリットだけでなく、研究科づくりの当事者に、この仕事に賭けた夢、苦労話と共に夢が実現していく歓びなどを、じかに聴くことができた。設置審査クリアのコツなどを進んで伝授してくれた人もあって、これも楽しく参考になったが、何より大きな訪問の収穫は、この当事者効果であった。設立のために招かれたり、或いは審査クリア教員中最年少の回り合わせなどで、構想づくり人集め、面倒な申請事務などの柱となった方々が、この創造的な仕事に傾けた情熱と深い思慮のあれこれが、ひとごとでなく切々と伝わってきた。

 しかしこの大事業を、一人でやれるわけもない。彼らが一人また一人と同志を増やし、周辺多数の人びとの信頼を得ていくプロセスも、劣らず重要である。特に若い仲間に志と夢を伝える教員集団づくりは、(3)の終わりに書いた新しい難関にどこもさしかかる今後、のりこえる最大の力となるはずだ。

 訪問先のあちこちで、カリキュラムの中心的な科目に複数の教員が同席して討論したり、中には教員・院生全員が出る例まであった。教員の数と大差ないほどに院生定員が少数なのは、経営上はマイナスだが、やがて広義の志を継ぐ者として彼らをも巻きこむことで、同志の輪を未来に広げていくことができる。社会人が大多数の研究科で、修士OBたちによる学会づくりの機運が生まれているのは、その端的な例である。

 学ぼうとする一人一人が、年齢・経験を問わず志を遂げ、より充実した生き方を目指すことが、大学院レベルで可能な時代となった。教員自身も実は、その一人である。一見小さいと見える個々の人生の充実が、重なり連なって世界の充実向上を、一歩ずつでも進めることになる。

 次の世紀に向けて、もし大学院を作るならきちんとそこまで考えて、然るべき人を集め充分に語り合って、未来を見渡して作るべきだ。この調査研究は、単なる数字やグラフ、記録の文章が結果なのではなく、伝わり広がる志こそが、実践的研究の成果なのだ、と言いたい。

(「高等教育革新の実践的研究」チーム代表)