和光大学総合文化研究所公開シンポジウム

身体表現とジェンダー


会場 和光大学 J棟301教室

1997年10月18日(土)

時間 13:00〜17:30(開場 12:30)

主催 和光大学総合文化研究所

◆ 入場は無料です。直接会場へおいでください。

◆ お問い合わせは、和光大学 〒195 東京都町田市金井町2160

総合文化研究所 044−989−7478 / 学部事務室 044−989−7497

 ミスコンテストに象徴されるように、女性の身体はしばしば鑑賞や品評の対象とされてきました。テレビのCMや街頭の広告には、しばしば女性のヌードが使われますが、「きれいだ」と見入る男性の横で、「不快だ」と目をそむける女性が多いのも事実です。
 このように身体表現には、誰が表現するのか、誰が表現されるのか、誰が眺めるのかをめぐって、ジェンダー(社会的・文化的性別)による差異と確執があります。「見るのは男で見られるのは女」という関係が、芸術表現においても、日常生活においても、あちこちで見受けられます。
 男性作家は女性の身体をどう表現してきたのか、その表現は歴史的にどう変化してきたのか。女性アーチストたちは、伝統的な「見る/見られる」関係への違和感をどのように表現しつつあるのか。「見られる」存在として自分を意識せざるをえない女性たちは、自分の身体イメージを自覚的にコントロールしようとして、どのように格闘しているのか。といった話を切り口に、身体表現とジェンダーの問題を考えてみたいと思います。

写真説明 アルフレッド・スティーグリッツ「ジョージア・オキーフ」1920年 シカゴ美術館蔵
「アルフレッド・スティーグリッツとその仲間たち」展 9月9日(火)〜11月3日(月)


 和光大学総合文化研究所では、1995年以来、私どもの大学にふさわしい独自な視点からの公開シンポジウムを開催してまいりました。三年目を迎えた今年度は、写真表現と文学作品の中に現れる身体のイメージ、現実生活における外見へのこだわりという問題提起を出発点に据えて、錯綜した要因から成り立つ文化の見直しと活性化のために、いまや不可欠の分析軸となってきている身体表現とジェンダーの問題に焦点を当てたシンポジウムを企画しました。このテーマは、ただちに私たち自身の主体性が問い直される問題を数多く含んでおり、教職員、学生、市民のみなさんがご来場、討論にご参加くださることを期待します。

問題提起 〈写真表現のなかでのジェンダー〉   笠原美智子 (東京都写真美術館学芸員)      〈女性の身体表現を男性作家に読む〉                 塩崎文雄   (本学人文学部教授)      〈女性の身体へのこだわり−文化規定としての女性の身体〉                 浅野千恵 (本学人間関係学部非常勤講師) ディスカッション       司会         井上輝子(本学人間関係学部教授)       コメンテーター    酒寄進一(本学人間関係学部助教授)                  杉本紀子(本学人文学部教授)                  永澤 峻(本学人文学部教授) 懇親会    シンポジウム終了後、会議室A・Bで行います。        多くの方々のご参加をお待ちしております。


問題提起要旨 〈写真表現のなかでのジェンダー〉 笠原美智子

 1970年代以降の女性アーティストの一群の作品を考えるとき、常にまとわりついて離れない違和感がある。それはこの一群の作品と、それまでの作品、すなわち伝統的な写真・美術の価値観に則った作品(それは現代作品も含むのだが)、その間に感じる違和感である。これらの作品が、作品をなぜ創るのか、写真をなぜ使うのか、そもそもアートとは何か、といった根本的な問いを投げかけているからである。
 この、常にまとわりついている違和感を意識しながら、現代の「女」の意識や価値観の転換から生まれた作品を考えてみたい。この一群の作品は、各作家の個別的な出自や体験、記憶によりながら、現代を生きる私たちが普通に共有している意識や社会や文化を主題とし、それゆえに自分も含めてごく普通に向き合うところの問題を扱って、意識や社会や文化に変化を促す試みである。 

〈女性の身体表現を男性作家に読む〉            塩崎文雄

 谷崎潤一郎の『鍵』(1956・1〜12)は大変気になる作品である。56歳の夫が長年連れ添い、子まで成した45歳の妻の身体を、明るい光のもとで隈なく見たいという奇怪な欲望を柱としているからである。しかも、その欲望はポラロイド写真や他の男を媒介にするといった倒錯にまで行き着いている。さらには「アルミニユームのやうにツルツルした皮膚を見ると、私はもう一度ゾウッとした」という妻の側から夫に向けて放たれる視線と鋭く交差させられてもいる。外的状況としては、国会で売春防止法案を審議中の法務委員会が、青少年保護の立場から作品の露骨さを問題にするということもあった。
 妻(女性)の身体に向けられた夫(男性)の熱いまなざしが、祝福されるどころかスキャンダルと化すという信じがたい出来事(「奇怪な欲望」とは論者自身も言ったばかりだが)のなかに、日本の近代文学、ことに、戦後の文学が迂回してきた物語枠が秘められている。『鍵』のはらむ問題性を分水嶺として、日本の近・現代文学における女性の身体表現について問題提起を試みたい。

〈女性の身体へのこだわり−文化規定としての女性の身体〉  浅野千恵

 私たちの社会は一般に、女性がみずからの身体にこだわることを自明としている。とくに、女性がきれいになりたいと願うことに対して、女なのだからあたりまえとか、女性特有の自己愛や美意識の現れとか見なして、あまり疑問視しない。
 しかしその一方で、女性がみずからの身体に対して抱くこだわりが、社会で認められている「女らしさ」から逸脱することは、なかなか許されない。例えば、ダイエットをすることは女らしい行為として称揚されるが、ダイエットが行きすぎたり破綻したりした場合には、異常のレッテルが貼られ、逸脱視される、と言うように。
 女性がみずからの身体に対して抱くこだわりと、社会が女性の身体に対して抱くこだわりが、重なり合ったり、ズレたりするところに、「文化規定としての女性の身体」が存在するように思う。摂食障害を事例にして、この女性の身体をめぐるジェンダーの政治について考えたい。

 

問題提起者プロフィール

笠原美智子
1957、長野生まれ。明治学院大学社会学部社会学科卒業、コロンビア大学院修士課程修了(写真専攻)。現在東京都写真美術館主任学芸員。評論に『ジュディ・データー:サイクルズ』(講談社、1992年)、主な展覧会企画に『私という未知へ向かって−現代女性セルフ・ポートレート展』(東京都写真美術館、1991年)、『ジェンダー・・・記憶の淵から』(1996年)、『アルフレッド・スティーグリッツとその仲間たち』(東京都写真美術館、1997年)などがある。

塩崎文雄
1944年生まれ。現在、和光大学教授。泉鏡花、永井荷風、谷崎潤一郎、石川淳、吉行淳之介等の作品を中心に、日本の近・現代文学を考えてきた。最近は、都市〈東京〉と文学とのかかわりに関心を寄せている。編著書『東京・関東大震災前後』(日本経済評論社、1997年)、論文「荷風の大正」(『日本文学』1992.4)。

浅野千恵
1967年生まれ。名古屋大学教育学部卒業、お茶の水女子大学大学院社会学専攻修士課程修了、東京都立大学大学院社会学専攻博士課程在学。和光大学人間関係学科非常勤講師ほか。著書『女はなぜやせようとするのか−摂食障害とジェンダー』(勁草書房、1996年)。
専攻は社会学(ジェンダー論・フェミニズムなど)。


和光大学へのアクセス(41K)

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